徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:川端康成著、『雪国』(角川文庫)

2023年08月05日 | 書評―古典

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」という出だしで有名な川端康成の『雪国』。正直、タイトルのこの出だししか知らなかったので、期間限定セールになっていたのを機に新仮名遣いの本書を購入し、読んでみました。

情景描写や人物描写に力があり、描かれた状況がくっきりと立ち上がってくるような印象を受けるのはさすが著名な文学作品と感心するあまりですが、ストーリーはというと、ちょっとしたことで知り合った芸者に会いに新潟県の温泉街まで東京から通い、長逗留する無為徒食の男・島村の目線から描かれた芸者・駒子の自分に対する思いや、それにどうとも答えられない自身の情けなさや、雪国へ向かう列車の中で目を惹いた若い娘・葉子に対する曖昧な情など、あまり面白くない、というのが正直な感想です。
島村に対する感想は、「なんだこのふらふらしたどうしようもない男は⁉」です。カッコつけて、斜に構え、親の遺産を食いつぶしながら、少しばかりの書き物をして、自分からは何も積極的に取り組もうともしない、約束も守らないいい加減な男が物珍しい雪国の情景とそれにまつわる女の話を語っただけ。主人公に全く共感できないのは、私が女だからなのでしょうか?

随所に散りばめられた日本語表現だけはすばらしい作品。


書評:山口博著、『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』(角川ソフィア文庫)

2018年04月08日 | 書評―古典

『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』は、古代から近世まで、米や土地などの値段を手がかりに、先人たちの給料を現代のお金に換算する試みで、山上憶良、菅原道真、紫式部などの収入を現在の貨幣価値で明らかにします。また、土地がどのくらいの価格で売買されたかとか、どの官位がどのくらいの価格で買えたとか、職を得るための賄賂がいくらだったとか、非常に興味深い話題が満載です。

平安後期は官位を買って、職を得るために賄賂を贈るのが当たり前になっており、そうまでして職を得ようとするのは、役得(つまり役職を利用した汚職)があることが前提になっているとのことで、よく考えてみると随分と汚職まみれのどうしようもない社会だったのですね。

室町になると、少なくとも専門職は世襲制ではなく能力のあるものにつかせるようになったようですが。。。

江戸時代は貨幣経済も浸透しているため、現代の貨幣価値に換算するのは慣れてしまえばどうということもないでしょうが、それ以前は現物支給が一般的なので、古典の記録を読んだところで全然ピンとこないというのが普通でしょう。本書はそうした理解の壁を取り除いてくれます。分かりやすい文体で、面白い古典のエピソードを紐解いており、読み物としても上等。

ふっと笑ってしまったのが兼好法師とその友人の頓阿(とんあ)の歌のやり取り。

もすずし ねざめのかりほ たまくらも まそでもあきに へだてなきか(兼好)ー>「よねたまへ、ぜにもほし(米給へ。銭も欲し)」

るもう たくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしとひま(頓阿)ー>「よねはなし、ぜにすこし(米はなし。銭少し)」

戯れ歌で、歌の中に言葉が隠されており、各句の頭字を上から下へ、尾字を下から上へ読むそうです。兼好法師は生活に困って友人に無心し、半分断られたということですね。それで評論家に転身したとか。「徒然草」を読むと、雲か霞を食って生きているような世捨て人っぽいですが、実際には生活にきゅうきゅうとしていた模様。

室町時代の御家人の苦労や戦国雑兵の生きるための戦略なども興味深く、遥か昔の人たちの暮らしが一気に身近に感じられるような気になってきます。

江戸時代の下級武士の家計簿も面白いです。

巻末に各時代の物価表が載っています。

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書評:中島輝賢編、『古今和歌集』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月18日 | 書評―古典

『伊勢物語』や『土佐日記』等の様々な作品に引用される『古今和歌集』の和歌。ではその引用元の勅撰和歌集とはどんな感じなのか読んでみたくて手に取ったのが本書。

古今和歌集は、醍醐天皇の勅によって、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)の四人が選した和歌集で、延喜5年(西暦905年)に奏上されました。約1100首の和歌が20巻に収められています。

前半の10巻は、四季歌の春上下・夏・秋上下・冬の6巻から始まり、その後に賀歌・離別歌・羇旅歌・物名が各1巻ずつ続きます。

後半の10巻は、恋歌5巻、哀傷歌1巻、雑歌上下巻、雑躰(長唄や旋頭歌のように31文字でないものや俳諧歌のように主題が特殊なもの)1巻、大歌所御歌(神事とかかわりの深い歌)1巻となっています。

本書にはもちろんこれらすべての和歌が収録されているわけではなく、およそ70首くらいの和歌を各巻から抜粋して紹介・解説されています。解説の中で別の関連する和歌が紹介されていることもあり、和歌同士の繋がりも分かるようになっています。

歌の並べ方にも撰者の意図あるいは解釈が反映されているようなので、連続する和歌が醸し出す世界観のようなものを味わうには全首収録されている古今和歌集を読む必要があるとか。

味わい深いとは思いますが、今は古典本を連続して読んだせいで、少々食傷気味です( ´∀` )

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:山本淳子編、『紫式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:山本淳子編、『紫式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月17日 | 書評―古典

『源氏物語』の作者である紫式部の手記、『紫式部日記』は、寛弘5-7年(西暦1008-1010年)の間の中宮彰子を中心とする宮中または土御門での出来事とそれに対する紫式部の所感などを綴ったものですが、全体の統一感はなく、その成立過程には様々な議論があるようです。

その構成は:

A 前半記録部分~寛弘5年秋の彰子出産前から翌年正月3日まで

B 消息体~「このついでに」に始まる手紙文体部分

C 年次不明部分~いつのことか知らされない断片的エピソード

D 後半記録部分~寛弘7年元旦から正月15日まで

となっています。

中宮彰子は、平安貴族の中で現代で恐らく最も名の知られた大貴族・藤原道長の娘で、一条天皇のもとに入内しますが、その時藤原道隆の娘・定子が帝の寵愛を受けていたため、懐妊するまでに9年もかかってしまったというちょっとお気の毒なお姫さま。紫式部は彼女に仕え、最初こそ慣れない宮仕えに戸惑っていたものの、主人を思いやり、主人のために働く意識の高い女房に成長していったようです。そのことがAとBの間の内容的ギャップに現れています。

Bでは、当時才女として名をはせていた人たちに対する評や彰子に仕える女房達への批判、改善点などが書かれていて、私はこの部分が一番面白いと思いました。和泉式部評もここに収録されています。でも紫式部がここで一番批判したかったのは、『枕草子』ですでに随筆家として名を馳せていた元定子の女房だった清少納言だったようです。定子後宮と彰子後宮が常に比較され、「女房の質が悪い」と彰子後宮が悪く言われていたことが余程悔しかったようですね。「得意顔でとんでもない(したり顔にいみじう侍りける人)」とか、「利口ぶって漢字を書き散らして(さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るども)」とか、「人との違い、つまり個性ばかりに奔りたがる人(人に異ならむと思ひ好める人)」とか、彼女の書くことは「上っ面だけの嘘(あだなるさま)」ばかりだとか、すごく辛辣で、いかに彼女が清少納言を敵視していたかが、ひしひしと伝わってきます。

AとDの記録部分はどちらも出産祝いにまつわる話ですが、祝い事の様子や、誰誰が来て、どんな服装だったとか、非常に細かく描写されていて、それはそれで当時の貴族文化を知ることができて面白いと思います。

本書は、現代訳も優れていますが、解説も豊富で、この作品の背景、人間関係などがよく分かるようになっています。



書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

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書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:川村裕子編、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月15日 | 書評―古典

 『和泉式部日記』は、この日記の中で語られているお相手である敦道(あつみち)親王がわずか27歳で亡くなった後に、悪い噂を払拭しようと和泉式部が寛弘5年(西暦1008年)に書いたものと言われています。ただし他作説もあるようです。

全35段はおよそ次の3部に分けられます(本書解説より):

  1. なかなか進まない恋(1~17段)
  2. 燃え上がる恋(18~32段)
  3. 現実を変えた運命の恋(33~35段)

和泉式部という女性は、恋多き女性、情熱的な歌人として有名ですが、世間の噂ほどには浮ついた人ではなかったということをこの日記で主張しているようです。

「和泉」の名は彼女の最初の夫が和泉守に就任したことから来てます。つまり本名がどうだったかは不明なわけですね。この最初の夫とは一女をもうけたものの関係はすぐに冷えたらしく、夫の方が離れて行ったらしいです。

次のお相手は為尊(ためたか)親王で、これも身分違いの恋で当時随分なスキャンダルだったようです。為尊親王はあろうことか流行り病で26歳の若さで亡くなってしまい、まるで和泉式部のような下賤の女のところに通ったから死んだかのように『栄花物語』に記されています。

和泉式部の中宮彰子の下での同僚であった紫式部も「モラルに反するところがあった」と彼女を評しているようなので、かなり派手な噂のある人だったみたいですね。

さて、この日記の相手である敦道親王は、亡くなった為尊親王の弟で、和泉式部よりも3歳ほど年下。為尊親王が亡くなってから1年ほどして、彼が亡き兄から引き継いだ小舎人童(こどねりわらわ)を和泉式部のもとに遣わすことから二人の恋物語が始まります。二人の歌と文のやり取りが中心です。まあ、平安時代外でデートするとかはあり得なかったので、基本的に男が女のもとに通うしかないわけですが、なにせ男は天皇の息子。皇太子ではなくともそうそう外出などできないご身分なので、通うこともままならないのですね。

おまけに彼は和泉式部にまつわる噂に惑わされ、嫉妬したりいじけたり、最初は結構引に彼女と関係を持ったにもかかわらず、その後は結構煮え切らない態度を示すので、「おいおい、最初の強引さはどうした?」と疑問に思うほどです。

それでも二人の恋が続いたのは、お互いの孤独さ、頼りなさ、信仰心などを通じて響き合う仲だったからみたいですね。紆余曲折を経て、結局和泉式部は敦道親王のお邸に入ることになります。ところがそこには彼の冷めた仲とはいえ北の方、つまり奥さんが居て、和泉式部が来たことに酷くプライドを傷つけられ、お姉さん(春宮・居貞(いやさだ)親王の女御)が里帰りしている実家に誘われて帰ってしまいます。このあたりの経緯を描いているのが第3部(33~35段)で、そこには和歌は登場しません。

和泉式部は「手紙も和歌も、言葉がきらりと自然に光っている感じ」というのが紫式部の和泉式部評のようですが、原文を読んでも私には残念ながらその「きらりと自然に光っている」言葉は分かりませんでした。ところどころ、切り返しがうまいなと思うところはありましたが。

全体的にどちらも噂や人目を気にし過ぎで、非常に窮屈な感じがします。狭い貴族社会に縛られている人たちだから仕方のないことなのかもしれませんが、それでも「噂にそこまで惑わされなくてもよいのでは?」と思うところが所々あります。「しめやかで切ない」と言えばそうかも知れませんが、私の感覚では「嘆き過ぎじゃないか?」という感想の方が強くあります。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

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書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:紀貫之著、西山秀人編、『土佐日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月14日 | 書評―古典

『土佐日記』は承平4年(934)に土佐守の任期を終えた紀貫之が京の自宅に着くまでの55日間(12月21日~2月16日)の旅をわざわざ侍女のふりをして(「男もすなる日記といふものを、女もしてみんむとてするなり」)描いた日記文学です。この時代、日記と言えば男性官人による公務の記録で、漢文で書かれるのが普通でしたが、『土佐日記』は全編【女手】とも言われるひらがなで書かれたものです。

紀貫之は在原兼平のファンだったようで、『伊勢物語』の内容に言及したりしています。その意味では『伊勢物語』⇒『土佐日記』という読む順番は正しかったと言えるかもしれません。

『土佐日記』は旅行記なので、その世界に入り込むのは容易な方だと思います。原文だけではいかんともしがたいですが、現代語訳を読んだ後に原文に当たればそれほどちんぷんかんぷんにも感じなくなります。その後さらに解説を読むとより深い理解が得られます。

旅程は土佐国府のあった大津から室戸岬を回って北上し、鳴門「土佐の泊」から東進して紀伊半島に向かい、大阪から山崎まで川を上り、山崎から車で京に行くというもの。

船旅は全く愉快なものではなく、雨嵐や波に見舞われ、何日も足止めを食らったり、海賊が来ると恐れたり、川を上ろうとすれば水深が浅すぎて進めなかったり。本当にうんざりする気持ちが本文や折々に詠まれる歌に込められています。暇だから、歌を詠むしかなかったのでしょうね。

土佐で失った娘を思う親心もこの作品に一貫して流れるモチーフの一つです。

楫取(かじとり)は風流を解さないばかりが、強欲で雇い主の命を平気で無視するような輩なのですが、「速く漕げ」と催促したのに、それを無視して、楫取が水夫たちに出した号令が、歌のように七五調31文字(御船より、おほせ給ぶなり。朝北の、出で来ぬ先に、綱手はや引け)だったと感心してるあたり、「え、そこなの?」と思えたり( ^ω^)・・・

見送りに来る人、差し入れをくれる人、出迎えに来る人たちを鋭く観察し、一部の人の「浅ましさ」にうんざりしたり、「返礼が大変」と思ったり、その辺にとても共感できました。

最後に帰宅して、邸宅の手入れを頼んでおいたにもかかわらず荒れ放題になっていて失望し、それでも手入れをしてくれた(くれなかった)隣人にお礼をしなければ、と考えてうんざりするくだりも、気持ちがよく分かりますね。そして娘と一緒に帰ってこれなかった悲しみも。

そして最後を、「とまれかうまれ、とく破りてむ(何はともあれ、こんな駄文はさっさと破り捨ててしまいましょう)。」で締めくくっているあたりが面白いですね。侍女のふりをして日記を書くということ自体が「ネタ」だったようです。


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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

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書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)


書評:坂口由美子編、『伊勢物語』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2017年08月13日 | 書評―古典

雅な和歌とともに語られる「昔男」(在原業平)の一代記。垣間見から始まった初恋、清和天皇の女御となる女性との恋、白髪の老女との契り、男子禁制の斎宮との一夜などを経てやがて人生の終焉にいたる様子を描く。」

と商品紹介に書かれている『伊勢物語』。一人の男を主人公にした色恋沙汰を物語っているという点では源氏物語に通じるものがあります。作者・成立は不明ですが、源氏物語の中で「伊勢物語は古い」と言及されていることや、『蜻蛉日記』にも『伊勢物語』の一エピソードが言及されていることから、平安初期に成立し、宮中でかなり親しまれたものらしい。

題名は『伊勢物語』の他、『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』などバリエーションがあります。【在五】は在原業平が在原氏の五男であることから来ています。『伊勢物語』の『伊勢』は伊勢の斎宮との恋物語から来ているようです。

「昔男」は多くの段で「むかし、男ありけり」が冒頭に来ることによるらしい。

古今和歌集から歌を取って、それにまつわる物語を構築したり、または引用改変したりしてるので、作者は和歌の素養がある人なのでしょう。私には分かの良し悪しは分かりませんけど。

ビギナーズ・クラシックスシリーズ定番の現代語訳・原文・解説という構成で古文ビギナーズの苦手意識が緩和されます。

各段は独立性が高く、相互の関連性は比較的薄いので、一人の男の「物語」というよりは断片的な「エピソード集」のほうが近いように思います。それぞれのエピソードは玉石混淆で、風流なものもあれば、「で?」としかコメントできないようなものもあります。

ほほえましいと思ったのは23段の筒井筒です。筒井は丸井戸で、「井筒」は井戸の囲い。その周りで遊んだ幼馴染が成長して会えなくなっても思い合い、ついに望み通り結婚するという他愛のない話ではあるのですが、歌がいいなあと思いまして。

男が「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」と歌を送り、
女が「比べこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき」と返します。

どちらも子どもの頃の思い出に触れつつ、大人になって添い遂げたい心を歌ってるのが純真な感じでいいです。これは「昔男」とは関係のない挿話のようですが。

人が悪いなあと思ったのは62段の「逃げた妻見る影もなくやつれ果て」ですね。男が通わなくなったので、女が別の男について地方に下り、そこの妻に歓迎されなかったので、使用人となって働いていたところに偶然「昔男」が訪れる、というくだりなんですが、こいつが彼女に気が付いて、主人に頼んで彼女を夜伽によこさせ、そこでわざわざ「花をしごき落とした醜い幹のように、みすぼらしい姿と成り果ててしまったね」と意地悪言うんですね。結果女は逃げ出して以来行方不明。許せないですね。

このエピソードは「今昔物語集」巻30に載ってる話を作り替えたものらしいですが、元の哀切な余韻はなく、残酷物語になってしまっています。気遣いのできる「雅な男」はどこに行ったんでしょう?

124段は、晩年の孤独の哀切が感じられます。「思ふこと言はでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ」という歌を詠んだということしか書いてないのですが、「思うことは言わずにやめておいた方がいい、どうせ同じ気持ちの人はいない、分かってくれる人はいない」というのはなんとも哀しいですね。一種の「悟り」とも取れるかもしれませんけど。

全体的になかなか面白かったです。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)



書評:藤原道綱母著、『蜻蛉日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス)

2016年05月02日 | 書評―古典

再び古典です。

ビギナーズ・クラシックスシリーズ定番の現代語訳・原文・解説という構成で古文ビギナーズの苦手意識が緩和されます。『蜻蛉日記』の執筆担当者は坂口由美子。

『蜻蛉日記』は、平安時代中期、10世紀末ごろ成立した日記文学で、作者は例のごとく個人名なしの藤原(右大将)道綱母と呼ばれる上流貴族の女性。上・中・下巻の三部からなり、上巻には15年間、中・下巻にはそれぞれ3年間、全体で21年間(954年夏から974年暮れまで)に渡る記事がまとめられています。テーマは夫藤原兼家との「はかない結婚生活」で、特に上巻がこのテーマに沿ったものとなっています。中巻はテーマにまだかかわりがあるものの、紀行文的要素も増え、下巻になると実質夫婦生活が終了してしまった後でテーマに沿ったネタが無くなってしまったためか、雑多な日常の出来事が綴られています。

作者は藤原家傍流の出で、摂関家嫡流の藤原兼家より家格は落ちるものの、上流貴族のご令嬢であることには違いがなく、しかも美人で優れた歌人と評判だったため、非常にプライドが高く、甘えたり媚びたりするのが苦手らしい。当時の結婚は一夫多妻の上に通い婚だったため、女性はいつ夫が通ってこなくなるのか分からないという危うい立場に置かれているので、現代よりもずっと「待つ」ことが多いし、あまり積極的になってははしたないと思われてしまうので、受け身にならざるを得ません。こうして作者は「はかない身の上」を延々と嘆くわけです。

藤原兼家は、まあ当時の上流貴族男性としては普通だったのかも知れませんが、まずは時姫と結婚し、彼女が妊娠するや、藤原道綱母を口説き落として結婚。道綱母が妊娠すると、今度は町の小路の女にちょっかいを出し、みたいな感じのプレイボーイで、個人的に願い下げな人。それなのに道綱母は兼家にぞっこんだったようで、彼が来るの来ないのと一喜一憂し、「時姫が三男二女に恵まれたのに、自分は息子1人だけ」と比べて嫉妬したり、落ち込んだり。夜離れしがちな夫が、自分の家の前を併記で通り過ぎて他の女のもとに行った、と嘆いたり。彼女自身のプライドが邪魔してか、意地ばかり張って、夫に甘えたり、許したりできないため、夫により不快感を与えてしまい、彼の足が遠のくのに拍車をかけてしまっています。息子道綱が二人の仲をけなげに取り持とうとしても、二人の仲は一時的なものを除くと改善されることはなく、冷え込んでいく一方に。

うーん。物語としての面白さもなく、共感も余りできないですね。なんというか、夫を自分に惹きつけておきたいならもっと努力すればいいのに、なんでそこで意地張るかな、と思うことが多すぎて。浮気者の夫に待つ女の辛さを分かれと言っても無理だと思いますし、浮気者だけに1人の女性といい関係を保とうとする努力はそれほどせず、ちょっとご機嫌伺をして、だめならさーっと引いてしまうような薄情さなので、それでも彼との関係を維持したいと思うなら、女性の方がより努力するしかないですよね。その努力が報われるとは限りませんけど。

そういうわけで、紀行文とか雑記の段は興味深いと思えますが、主題はちょっとつまらないですね。どこぞの専業主婦に甲斐性なしの夫の愚痴を延々数時間聞かされたような気分になります。

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書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著、『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

書評: 菅原高標女著、『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

書評:清少納言著、『枕草子』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックス)

 


書評:谷知子編、『百人一首』(角川ソフィア文庫)&あんの秀子著『ちはやと覚える百人一首(早覚え版)』

2016年02月14日 | 書評―古典

この頃古典づいてますが、今日のテーマは小倉百人一首です。解説本は山ほど出ていますが、他の角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスシリーズから出ている本(枕草子や更級日記など)でいい印象を持っていたので、同シリーズから出ている谷知子編「百人一首」を選びました。

基本的に1首につき見開き2ページで解説されています。まず定番の現代語訳、それから作者について、歌の詠まれた背景についてや関連する歌などが紹介されています。必要に応じて語釈や文法的説明もあります。
またコラムには歌の技法や歌を作る場、現代に繋がる文化など興味深い話題が掲載されており、勉強になります。

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実は私はまんがの「ちはやふる」のファンでもありまして、その関係であんの秀子著「ちはやと覚える百人一首(早覚え版)」も買ってしまいました。こちらの構成は1首につき1ページで、現代語訳の他、「教えて!かなちゃん!!」という「ちはやふる」のキャラで古典の得意なかなちゃんが解説をするコーナー、「ちはやふる」から歌に合う一コマ、それに「xxくん(ちゃん)意訳してみて」というコーナーがあります。また目立たないくらい小さいのですが、和歌が全部ひらがな書きしてあり、競技かるたのための「決まり字」がマークされているので、この決まり字と下の句を結びつけて覚えれば、競技かるたもできるようになるかもしれません。

この2冊を並行して読みました。1首ごとにまずは「ちはやと。。。」の方を読み、それからビギナーズ・クラシックスの方を読んで、もう少し詳しい背景情報を補足しました。

「ちはやと。。。」の魅力は「xxくん(ちゃん)意訳してみて」だと思いました。高校生というか若い人ならではの現代語意訳で、思わずふっと吹き出してしまうようなものもあります。例えばう大将道綱母作「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」の意訳が「私と付き合ってるのに色んな子にヘラヘラして!今更メールくれたって絶対返信しないから!」とか、清少納言の「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」の意訳は「せっかく楽しく話してたと思ったのに突然帰っちゃって!誰からのメール?!もう一度誘われたってお断りだから!」など。原文が台無し、といえばそうなのかもしれませんが、昔の人も現代人もメンタルはそれほど変わっているわけでもありませんから、こうして現代っ子風に意訳することで若い人たちが古典に親しみを感じてくれるなら、いいのではないでしょうか。

「百人一首」は平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人・藤原定家が選んだ和歌集と言われています。依頼人は鎌倉幕府御家人で歌人でもある宇都宮頼綱で、百首の素晴らしい歌を書いた色紙を山荘の襖に飾りたいので、その百首を選ぶように定家に頼んだそうです。定家は「古今和歌集」を始めとする勅撰集から百首の歌を彼の別荘小倉山荘にちなんで「小倉百人一首」として後世に伝えられるようになったとか。1235年5月27日に小倉百人一首が完成されたとされることから5月27日は「百人一首の日」になっているらしい(全く知りませんでした)。

引用された歌集:

  • 古今和歌集(905年)―醍醐天皇
  • 後撰和歌集(950年ごろ)―村上天皇
  • 拾遺和歌集(1005年ごろ)―花山院
  • 後拾遺和歌集(1086年)―白河天皇
  • 金葉和歌集(1127年ごろ)―白河院
  • 詞花和歌集(1151年)―崇徳院
  • 千載和歌集(1187年)―後白河院
  • 新古今和歌集(1205年)―後鳥羽院
  • 新勅撰和歌集(1235年)―後堀河天皇
  • 続後撰和歌集(1251年)―後嵯峨院

書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

2016年02月05日 | 書評―古典

大友茫人編の「徒然草・方丈記」(2012年第三刷)はちくま文庫の「日本古典は面白い」シリーズ第5巻で、現代語訳→原文→語釈という流れで構成される古典入門書。角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」シリーズに比べて、ややお堅い感じがします。恐らく語釈に含まれる文法的解説がそういう印象を強めるのではないかと思います。編者によれば、この徒然草と方丈記は二大思想書として並び称されるが、二つを同列に並べることは本来できないということを読者にも理解してもらいたいので、二作品をまとめて比べられる形にしたとのことです。

私の古典の知識というのはせいぜい日本の高校の授業で習ったレベルですので、徒然草も短い序段の「つれづれなるままに日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよりなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」だけしか記憶に残っていませんでした。
それでも自分のブログのタイトルに選んだのは、このブログが何か決まったテーマを持っているわけでもなく、それこそ「心にうつりゆくよしなし事」をなんとなく書きつけようと思ったからで、それはそれでぴったりだと自分でも思っている次第です。

作者はずっと吉田兼好だと思っていましたが、実は本人がそう名乗ったことは一度もないそうです。出家前は卜部兼好(うらべかねよし)、出家後は兼好(けんこう)という法名を名乗っていたので、法名の方を採って「兼好法師」とするのが正しいのだそうです。ただ彼の実家(卜部家は神祇官の家柄で、吉田神社の社務職を世襲)が後世に吉田姓(吉田に分家した卜部氏だったので)を名乗ったために、それが兼好法師にまでさかのぼって「吉田兼好」と言われるようになったのだとか。まあそいういうこともありますよね。

作品自体は本当にとりとめがないので、感想も段によってだいぶ違います。全体的には、どちらかと言うと共感できない段の方が多いように思います。彼の女性観や俗人に対する考え方などは反感すら抱くほどです。出家した人ですし、男性ですから仕方ないと言えばそうなのかもしれませんが、世の中誰もが出家してしまえば社会が成り立ちません。食べ物を育てたり、採取したりする生産者がいて、その食べ物を運ぶ人がいて、またそれを売る人がいて初めて非生産者は食べ物にありつけるわけですし、服や家財道具などなども同様のことが言えます。出家者が自給自足してるわけではありませんから、世俗の多くの方々の働きに依存しているという自覚を持つべきだと私は考えるのですが…
兼好法師の女性観は、特に真新しいことなどなく、男尊女卑の日本社会、女性蔑視の仏教の考え方を踏襲したものと言えるでしょう。キリスト教でもそうですが、禁欲しなければならない男性は自分の性欲を抑えるために余計に女性敵視するのではないかと思われます。自分が油断すると誘惑されてしまうから、己の心の弱さを棚に上げて、「女は男を誘惑し、悪の道に導くから悪」みたいな勝手な言いがかりをつけているとしか思えません。こういう男性は相手にするに値しないと思います。

強く共感したのは例えば吉日・凶日について述べた段で、「吉日であっても悪を行えばそれは凶だし、悪日に善行をすればそれは吉だ。吉凶は人によるもので、日によるものではない」という主張です。

その他、「学識を誇らず」、「人と争わない」、「分を知れ」などの日本的道徳観や仏教の諸行無常に根差したものの見方など。「まあそうだよね」と同意できることもあれば、「まあそういう見方もできるね」、「人それぞれじゃない?」あるいは「好みの問題では?」と思うものもあれば、反感を抱くものもありました。

 

方丈記は高校の時に序文の「ゆく河の流れは絶えずして~」から「消えずといへども、夕べを待つ事なし」まで暗記・暗唱させられました。

作者の鴨長明は俗名、出家後の法名は蓮胤で、作品にも法名で署名してあるらしいのですが、なぜか俗名の方が通り名になってしまったようです。彼の実家は加茂御祖(かものみおや)神社、通称下鴨神社の禰宜の家系だとのことで、上の兼好法師と似たような家庭環境だったのでしょうか?130年ほどの時の隔たりはありますが。

方丈記はとても短く、【思想書】とするにはちょっと抵抗を感じます。諸行無常の思想に貫かれ、それをまさしく顕現していると思われる事象、<安元の大火>、<治承の辻風>、<福岡遷都>、<養和の飢饉>、<元暦の大地震>の記録を書いている一方、厭世観や出家について、庵・閑居住まいの心地よさなどを記してます。無常観、厭世観は結構ですが、ご本人は飢え死にや地震や大火で苦労することも死ぬこともなくのんびり隠居できてよかったね、という感じです。

内容はともかく、文章は徒然草よりも格調高く、美文と言えると思います。よく推敲された結果のそれなりに技巧を感じさせるまとまりのある文学作品という印象です。徒然草の日記らしいとりとめのなさとは対照的ですね。でもどちらもどこがどう【思想書】扱いできるのか甚だ疑問です。

好みの問題としては、まあどちらも私の好みではないですね。