徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

レヴュー:竹宮恵子著、『風と木の詩』全16巻(eBook Japan Plus)

2016年04月30日 | マンガレビュー

『風と木の詩』は1976年「週刊少女コミック」10号から掲載開始され、1982年7月号から連載媒体が「プチフラワー」に変わり、1984年6月号まで掲載された元祖BL(ボーイズラブ)と言える少女漫画の古典で、19世紀末のフランス、アルルのラコンブラード学院の寄宿舎で繰り広げられる、思春期の多感な少年達を中心とする物語。愛欲、嫉妬、友情など、さまざまな人々の想いが交錯するなか、共に非凡なバックグラウンドを持つ2人の主人公、華麗かつ愛を求めてやまない孤独なジルベールと誠実なセルジュの切ない愛が描かれています。

この作品の連載当初、ブーム時は、私はまだこういうテーマに興味を持つ年齢に達していなかったため、高校生の時(すでに連載終了後)に入っていた漫研でネタとして耳に入る程度で、まともに読んだのは今回が初めて。

最初の方は二人の出会いとジルベールの放蕩ぶり、彼と寮の同室となった転入生セルジュの誠実さ、同年齢の子にはあまり見られない芯の強さなどが描かれています。ジルベールの方は反発が強く出ており、セルジュは友情を求めて真摯に近づこうと努力する健気さが出ています。

中盤でジルベールの生い立ち、母アンヌ・マリーと夫の弟オーギュスト・ボウとの不義の子で、両親不在で育つ過程や叔父(実父)オーギュストにレイプされるなどショッキングな出来事などを通じ、ジルベールの人格形成過程が細やかに描写されています。それに続いてセルジュの過去の部があり、こちらはご両親(バストゥール子爵家嫡男の父アスランとジプシーの血を引く高級娼婦の母パイヴァ)の恋物語から始まり、セルジュが生まれ、ピアノを始めるいきさつ、両親の死、バストゥール家跡取りとしてのお披露目、優しい祖父母の死、後見となった叔母との緊張関係、肌の色による差別の経験を経て、叔母の娘との不幸な事故を機に家を出て、ラコンブラード学院の寄宿舎に入るまでが描かれています。

この二人がお互いの愛を認めるまでにかなりの時間が費やされます。ジルベールの方は叔父(実父)との関係の他、学院に放り込まれてからは上級生たちとの破滅的な関係を続けてきたため、同性愛への抵抗は全く無いわけですが、まじめなセルジュの持つ抵抗感は比べものにならないくらい強いので、ジルベールに惹かれている気持ちを認めるまでに相当苦悩することになります。

オーギュストが、ジルベールを寄宿舎に入れてからずっと蔑ろにしてきたにもかかわらず、セルジュの登場に危機感を抱き始め、二人を引き裂いてジルベールを取り戻そうと画策。これによって二人とも散々な目に合うのですが、たくさんの生徒たちの協力を得て、ついに学院を脱出し、パリへ駆け落ち(?)。ただ、身元保証もない少年二人がパリでまともな生活をしていけるわけはないので、二人の苦労は絶えません。それでもまじめに働こうとするセルジュとその妖艶さゆえに危険を呼んでしまうジルベールの間の溝はどんどん広がっていってしまい、最後はジルベールを手に入れようとしていた悪の親玉のような人の罠にはまってアヘン中毒となってしまったジルベールが自滅の道まっしぐらに落ちていき、事故にあってその短い生涯を閉じてしまいます。彼の死後バストゥール家に戻ったセルジュはショックから立ち直った後、ジルベールへの愛を音楽に昇華させ、ピアニストの道を進みます。

絵柄の美しさもさることながら、古典的悲劇オペラ的ストーリー展開や登場人物の生い立ち・深層心理を深く掘り下げることで作品に文学的深みが増しており、「少女漫画」の枠を大きく逸脱している作品だと思います。この作品の美学・耽美性を成立させしめているのはやはり舞台が19世紀のヨーロッパであることと主人公二人が貴族の血を引いており、どちらもかなり美形であるということではないでしょうか。少女たちの憧れの凝縮形がここにあると言っても過言ではありません。これの舞台が現代日本の男子校とかだったら台無しになってしまうことでしょう。なぜならそこに美しい幻想を抱ける余地があまりにも少なすぎるから。


ドイツ・グントレミンゲン原発のシステム、コンピューターワーム2種に感染

2016年04月28日 | 社会

ドイツ・バイエルン州にあるグントレミンゲン原発のブロックBで使用されている燃料棒制御システムに属するコンピューターが2種類のコンピューターワームに感染していることが2016年4月25日、システム点検の際に発覚しました。燃料棒制御システムは例えば使用済み燃料棒を炉心から取り出し、冷却プールへ運搬したりしますが、感染したコンピュータは燃料棒制御に影響を与えるものではなく、制御記録を編集・ビジュアル化するのためのもののようです。このシステムは2008年に追加装備されたとのことです。ブロックBは4月7日に定期点検のため、運転停止しました。

発見されたワームはConficker 及びW32.Ramnitの2種類。Confickerは2008年から2009年初頭まで世界中に広がったものですが、現在のコンピュータシステムには何の脅威でもなく、ごく普通のアンチウィルスプログラムで撃退できる類のものです。W32.Ramnitのコマンドサーバーは2015年にユーロポールによって無害化されました。どちらのワームも有名なものであり、本来個人用コンピュータを目標としているため、事業者であるRWEは原発を目標とした攻撃ではない、と見ています。また原発のシステムはインターネットに接続していないため、ネット接続することで効力を発揮するコンピューターワームは危険とならないとのこと。またオフィスITと制御システムは相互に影響することはあり得ないし、本当に原子炉保護のセキュリティーに重要な機能はハードで繋がっており、ITを必要としないとRWEは明言しています。

既述のコンピュータの他に計18個のデータキャリア(主にUSBスティック)が同じワームに感染していたそうです。

RWEは今回の発見後、原因究明と共にマルウェア防御措置を強化するそうです。この件は連邦情報技術局(BSI)にも報告され、同局は捜査を開始しました。当局は2015年度の報告書で産業設備へのサイバー攻撃の警告を発したばかり。譬え重大なシステムがインターネットから隔離されていたとしても、USBスティックや通常のオフィスITを通じて生産システムにまでマルウェアが阻害されることなく侵入してしまうことが比較的頻繁にあるとの指摘です。

 

グントレミンゲン原発はドイツ最後の沸騰水型軽水炉で、原子炉3基、ブロックA、B、Cからなり、うち最も古いブロックAは既に1977年1月に稼働停止。1985年に解体作業が開始され、現在ほぼ完了しています。この解体で約1万トンの放射性廃棄物が出ました。解体費用は2.3億ユーロで、うち500万ユーロはEUの助成金で賄われたとのこと。

ブロックBとCは共に1984年に運転開始しましたが、ブロックBは2017年末、Cは2021年末に稼働終了予定です。コンピューターワーム発見に先立つ週末には反原発派約750人が残り2基の早急な廃炉を求めてデモしました。

緑の党議員団長マルティナ・ヴィルトは、「グントレミンゲン原発のブロックB、Cは沸騰水型軽水炉としてドイツ最古の原子炉に属します。私たち緑の党ばかりでなく、専門家たちもこの2基の原子炉が非常に古く、老朽化しており、安全基準を完全には満たしていない、と批判しています。グントレミンゲン原発では去年だけで5件の報告義務のある事象がありました。今またブロックBでコンピューターウィルスが見つかりました。グントレミンゲン原発ブロックB・Cはドイツにおいて最大とまではいかないまでも大きなリスクとなっています。この原子炉は今こそすぐに稼働停止すべきです」と発言しています。

マルティナ・ヴィルト(マルティナ・ヴィルト、バイエルン州緑の党議員団長)

バイエルン州議会緑の党の調査で、グントレミンゲン原発がバイエルン州の電力供給及び送電網安定性にとって現在すでに無用の長物となっていることを証明しました。風力及び太陽光による安全なエネルギー生産は期待よりも早く記録的レベルに達しました。チューリンゲンの電力ブリッジが今年の夏に運転開始すれば更なる供給安定性が得られるため、「グントレミンゲン原発の2021年までの稼働期間は危険なばかりでなく、電力市場的観点からも根本的な間違い」とヴィルト氏は指摘しています。

 

参考記事:

独紙フランクフルター・アルゲマイネ、2016.04.25、「ドイツの原発でコンピュータウイルス発見
バイエルン放送、2016.04.26、「グントレミンゲン原発にマルウェア:専門家はデータセキュリティーに疑問」 
独誌ハイゼ、2016.04.26(最終アップデート:2016.04.27)、「グントレミンゲン原発:大昔のマルウェアに感染」 
独紙ツァイト・オンライン、2016.04.26、「バイエルンの原発にコンピューターウィルス発見
ロイター通信(アメリカ版)、2016.04.27、「ドイツの原発、コンピューターウイルスに感染、事業者談」 
独紙アウグスブルガー・アルゲマイネ、2016.04.28、「誰がグントレミンゲン原発等の解体のために払うのか?」 
独紙アウグスブルク新聞、2016.04.28、「緑の党はグントレミンゲン原発の早急な停止を要求」 


ドイツの脱原発、核廃棄物の処理費用は結局納税者持ち~原子力委員会の提案

2016年04月27日 | 社会

ドイツ政府が2015年10月に核廃棄物処理のための資金調達方法を審議するために立ち上げた俗にいう『原子力委員会(Atomkommission)』は正式には『脱原子力資金調達審査のための委員会(Kommission zur Überprüfung der Finanzierung des Kernenergieausstiegs (KFK)』といい、元ハンブルク市長オレ・フォン・ボイスト(CDU)、元環境大臣ユルゲン・トリッティーン(緑の党)、元ブランデンブルク州首相マティアス・プラツェック(SPD)の三人を代表とし、その他16名の委員で構成されています。委員たちは様々な分野から集められており、ドイツ社会の利害や考え方をおおよそ網羅していると言われています。その委員会が本日、2016年4月27日、全会一致で一つの資金調達方法を採択しました。その提案というのは、ドイツ4大電力コンツェルンであるエーオン、ヴァッテンファル、RWE、EnBWがこれまでに積み立ててきた172億ユーロプラスリスクプレミアム上乗せ分61.4億ユーロ、合計233.4億ユーロを国の基金に振り込むというものです。それを超える核廃棄物の中間貯蔵及び最終処理場建設・稼働費用は全て納税者の負担となり、電気事業者は233億ユーロ以上のリスクは負わないこととなります。そのため、今回の結論は【電力会社の勝利】と見る向きも少なくありません。

電力会社は原発で過去30年以上にわたり数千億ユーロの利益を上げてきたため、たったの233億ユーロ余りでリスクの高い事業の責任から逃れられることに対して激しい批判の声が上がっています。核廃棄物の処理も自己負担で行うべきだという意見です。昨年9月にガブリエル環境相(SPD)が計画していた「永久責任法」がこの趣旨に沿ったものであったはずですが、その法案は10月に閣議決定されて以降進展がありません。このまま原子力委員会の提案が連邦議会で可決すれば、「永久責任法」は永遠に成立しないことになります。せっかく称賛に値するアイデアだと思っていたものが実現しないとなると非常に残念です。まだ決まったわけではありませんが、原子力委員会の意見はかなりの重要度を持っているらしいので、永久責任法の可能性はだいぶ低いと見てよいかもしれません。

環境保護団体は4大コンツェルンが基金に払うことになる金額では全く足りないと見ています。特に最終処理に関しては場所の選定もまだ行われておらず、技術的にも未知の部分が多いため、コストの膨張リスクが非常に高いと見られています。グリーンピースの見積もりでは最低440億ユーロ必要とされています。その場合、最低でも206.6億ユーロは納税者が負担することになるわけです。冗談じゃない、と納税者が思うのも無理ないことですよね。別に見積もりでは最低475億ユーロ必要となっています。因みにイギリス・セラフィールド廃炉コストは、BBCニュースによれば、廃炉開始時の50億ポンドから現在530億ポンドに10倍以上膨張しています。

原発で大儲けしてきた電力コンツェルンも、再生可能エネルギーへの転換期を逃してしまい、現在かなりの苦境に追い込まれています。10年、20年後に会社が存続していない可能性もあります。従って、単なる企業の内部留保として存在している脱原発のための積立金を今のうちに国の基金に吸収してしまうことはそれなりに理にかなっています。倒産してしまえば内部留保も何もありませんから。

委員会の示した金額233.4億ユーロは、電力会社側の提示額をわずか5億ユーロ上回っているだけなのですが、電力会社側は既に委員会提案を拒否する姿勢を示しています。廃炉費用や核廃棄物の運搬費用は当然事業者側の責任だが、廃棄物処理は国の行政責任だ、というのが彼らの言い分です。また、委員会の提示額が既に電力コンツェルン4社の資金力の限界を超えている、とも主張しています。これは真偽のほどは定かではありませんが。

委員会の報告書はひとまず政府預かりとなり、審査・審議後必要な措置を取る、とのことです。どう決着がつくのか注目すべきイシューです。

参照記事:

ターゲスシャウ、2016.04.27、「核廃棄物中間貯蔵及び最終処理費用:コンツェルンは233億ユーロを支払うべし
シュピーゲル、2016.04.27、「脱原発費用:原子力業界最後の勝利」 
ハフィングトンポスト・ドイツ、2016.04.27、「原発妥協への批判:費用は合意された総額の何倍にもなるだろう」 
ドイツ連邦経済エネルギー省プレスリリース、2016.04.27、「脱原子力資金調達審査のための委員会は推奨案を連邦政府に手渡した」 


ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (1)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (2)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (3)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (4)― 事後責任法案本日閣議決定


書評:長谷川幸洋著、『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社)

2016年04月26日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

長谷川幸洋著『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社・現代プレミアブック)は2009年6月発行で、割と古い本なので紙書籍の新刊ではもう入手しづらくなっています。私が読んだのは電子書籍版です。

長谷川幸洋氏は元【官僚のポチ】(=記者クラブ付き新聞記者)の視点から官僚とメディアの関係、官僚と政治家の関係と支配構造を分析しています。目次は以下の通りです。

第1章 官僚とメディアの本当の関係

新聞は何を報じているか
不可解な事件
霞が関の補完勢力になった新聞
転向の理由
政権を内側からみるということ 

第2章 権力の実態

政治家と官僚
「増税」をめぐるバトル
財務官僚の変わり身
福田首相の本心
事務次官等会議 

第3章 政策の裏に企みあり

「政策通」の現実
カネは国が使うべきか、国民が使うべきか
定額給付金は「ばらまき」か
「官僚焼け太り予算」を点検する
政策立案の手法
「専務理事政策」とはなにか 

第4章 記者の構造問題

記者はなぜ官僚のポチになるのか
真実を報じる必要はない?
「特ダネ」の落とし穴
記者は道具にすぎない
官僚にとっての記者クラブ 

第5章 メディア操作を打破するために

霞が関幻想
先入観としての「三権分立」
「政府紙幣発行問題」の顛末
記者が陥る「囚人のジレンマ」
報道の力を取り戻すために 

表題となっている問い「本当の権力者は誰か?」の答えは「官僚」です。選挙という洗礼を受けない官僚集団が自分たちの都合のよい政策(天下り先確保)を作成し、事務次官等会議で各省の「調整」をし、そこで可決されたもののみを閣議に上げるため、閣議、更に国会審議が形骸化しているという指摘です。

天下り先が確保できる政策を「専務理事政策」といい、新しい独立法人を作り、先輩官僚を理事の座に天下りさせ、予算をそこに回すことができる官僚が「優秀」とされる制度ができあがっており、そこに民主的抑制が全くきいていないことが大きな問題点です。

そして、官僚は自らに都合のよい政策を「特ダネ」として特定の記者クラブ所属の記者に売り、その宣伝を請け負わせ、記者を代理人として使っている実態。記者は記者クラブ勤務のため、殆ど独自の調査を行わなず、官僚が記者クラブに流す情報を垂れ流すだけの記事を書くことに始終してしまう傾向が強いらしい。記者クラブを追放されたくないから、官僚を怒らせるような突っ込んだ質問や批判はおのずとしなくなり、飼いならされてしまうことで「官僚のポチ」と化してしまう。

報道の力を取り戻すために著者は記者クラブの廃止と通信社との分業(通信社は速報、新聞は調査報道)を提案しています。

 官僚批判自体は別に新しいことではありませんが(未だに改善されていないのがむしろ驚き)、本書は政治家との関係だけでなく、メディアとの関係も分析しているので、興味深く読ませてもらいました。

この本が発行されてから7年弱。【報道の力】はますます弱まっていると言えます。毎年国境なき記者団によって発表される報道の自由度ランキングを見ると、安倍政権になってから悪化の一途をたどっています。別に民主党政権を擁護するつもりはありませんが、少なくともその当時日本は報道の自由度ランキング12位でした。2016年度のランキングは昨年度よりさらに11位下がって72位となりました。先進国の中ではイタリアを除くと最下位です。

デービッド・ケイ特別報告者(米国)が4月19日、暫定的な調査結果を公表しましたが、そこでも記者クラブは批判の対象でした。調査結果の内容は、日本語メディアの中では東京新聞の記事「「特定秘密保護法は報道に重大な脅威」 国連報告者が初調査」が一番詳しいようでした。

以下東京新聞より引用:

国連のデービッド・ケイ特別報告者の暫定調査結果の詳細は以下の通り。

【メディアの独立】 放送法三条は、放送メディアの独立を強調している。だが、私の会ったジャーナリストの多くは、政府の強い圧力を感じていた。

政治的に公平であることなど、放送法四条の原則は適正なものだ。しかし、何が公平であるかについて、いかなる政府も判断するべきではないと信じる。

政府の考え方は、対照的だ。総務相は、放送法四条違反と判断すれば、放送業務の停止を命じる可能性もあると述べた。政府は脅しではないと言うが、メディア規制の脅しと受け止められている。

ほかにも、自民党は二〇一四年十一月、選挙中の中立、公平な報道を求める文書を放送局に送った。一五年二月には菅義偉(よしひで)官房長官がオフレコ会合で、あるテレビ番組が放送法に反していると繰り返し批判した。

政府は放送法四条を廃止し、メディア規制の業務から手を引くことを勧める。

日本の記者が、独立した職業的な組織を持っていれば政府の影響力に抵抗できるが、そうはならない。「記者クラブ」と呼ばれるシステムは、アクセスと排他性を重んじる。規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し、密接な関係を築いている。

こうした懸念に加え、見落とされがちなのが、(表現の自由を保障する)憲法二一条について、自民党が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」との憲法改正草案を出していること。これは国連の「市民的及び政治的権力に関する国際規約」一九条に矛盾し、表現の自由への不安を示唆する。メディアの人たちは、これが自分たちに向けられているものと思っている。

【歴史教育と報道の妨害】 慰安婦をめぐる最初の問題は、元慰安婦にインタビューした最初の記者の一人、植村隆氏への嫌がらせだ。勤め先の大学は、植村氏を退職させるよう求める圧力に直面し、植村氏の娘に対し命の危険をにおわすような脅迫が加えられた。

中学校の必修科目である日本史の教科書から、慰安婦の記載が削除されつつあると聞いた。第二次世界大戦中の犯罪をどう扱うかに政府が干渉するのは、民衆の知る権利を侵害する。政府は、歴史的な出来事の解釈に介入することを慎むだけでなく、こうした深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない。

【特定秘密保護法】 すべての政府は、国家の安全保障にとって致命的な情報を守りつつ、情報にアクセスする権利を保障する仕組みを提供しなくてはならない。

しかし、特定秘密保護法は、必要以上に情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす。

懸念として、まず、秘密の指定基準に非常にあいまいな部分が残っている。次に、記者と情報源が罰則を受ける恐れがある。記者を処分しないことを明文化すべきで、法改正を提案する。内部告発者の保護が弱いようにも映る。

最後に、秘密の指定が適切だったかを判断する情報へのアクセスが保障されていない。説明責任を高めるため、同法の適用を監視する専門家を入れた独立機関の設置も必要だ。

【差別とヘイトスピーチ】 近年、日本は少数派に対する憎悪表現の急増に直面している。日本は差別と戦うための包括的な法整備を行っていない。ヘイトスピーチに対する最初の回答は、差別行為を禁止する法律の制定である。

【選挙の規制】 (略)

【デジタルの権利】 インターネット上の自由の分野で、日本がいかに重要なモデルを示しているか強調したい。政府の介入度合いが極めて低いのは、表現の自由への政府のコミットメントを表している。

政府は盗聴に関連した法律やサイバー空間のセキュリティーの新たな取り組みを検討しているが、自由の精神や通信の安全、オンライン上の革新性が保たれることを望んでいる。

【市民デモを通じた表現の自由】 日本には力強く、尊敬すべき市民デモの文化がある。国会前で数万人が抗議することも知られている。それにもかかわらず、参加者の中には、必要のない規制への懸念を持つ人たちもいる。

沖縄での市民の抗議活動について、懸念がある。過剰な力の行使や多数の逮捕があると聞いている。特に心配しているのは、抗議活動を撮影するジャーナリストへの力の行使だ。

 ・・・以上引用・・・

 

国連のプレスリリース「日本:国連の人権専門家、報道の独立性に対する重大な脅威を警告」はこちら

ドイツ語メディアの中ではハンデルスブラットが一番詳しい記事(「国連は日本を批判:報道?決して自由ではない」)を出していました。大まかな点は東京新聞のまとめと一致しますが、興味深いのは、ハンデルスブラットはケイ氏がメディア自身の責任を指摘したことをきちんと報じているのに対して、東京新聞の記事では曖昧に濁されていることです。
「問題は日本の政治家がメディアに影響を与えようとすることではない。そのような攻撃はどの民主主義国家にも起こる。メディア自身がメディアの傷つきやすさに対してかなりの部分責任を負っているのだ」ということと、「もし日本のジャーナリストが会社ごとに細分化された組合ではなく、ジャーナリスト同士の連帯と自己統制および自身の独立性のためのもっと総括的な組織を持っていたならば、政府の影響力に対して抵抗することがもっと容易にできただろう」というケイ氏の指摘がハンデルスブラットではそのまま引用され、それを阻害している記者クラブという制度、それによって二分化されている日本のメディアの実態―スキャンダルを比較的自由にすっぱ抜く週刊誌等と記者クラブという形で省庁に張り付いているメジャーメディア―が詳しく報じられています。

英語ができる方はぜひオリジナルの記者会見をご覧になってください。YouTubeのビデオ「David Kaye: "The Freedom of Expression in Japan"」はこちらから。

政府と大手メディア幹部が定期的に会食しているという異常事態も、日本ではなぜかスルーされているように見受けられますが、これは本当に危機的状況です。このままでは報道の自由、すなわち報道の力が失われていく一方です。民主主義国家として恥ずべき事態と言えるでしょう。

民主主義国家において当然保障されるべき国民主権は情報の公開がなければ成り立ちません。情報公開は政府・行政の管轄ですが、それを調査して報道するのはメディアの役割です。日本では情報公開性は特定秘密保護法などにより制限され、大手メディアは記者クラブで飼いならされ、政府・行政機関を監視する役割を「自主規制」によって早々に放棄してしまっています。これによって民主主義を支える重要な柱が骨抜きにされてしまっているという自覚を日本人は持つべきでしょう。選挙に行くばかりが民主主義ではありません。選挙の結果選ばれた政府がやりたい放題していいということではありません。世の中には「選ばれた政府を批判するのはもっての外」と考えている人たちが居るようですが、それは民主主義の本質を理解していない証拠でしょう。選挙は政党にその後の政策を「丸投げ」することではありません。真の民主主義は常にシビリアンコントロールを要求します。そのための情報公開であり、報道の自由であり、集会の自由なのです。それらが保障されなくなっている日本は既に民主主義国家ではありません。


書評:孫崎享著、『戦後史の正体 「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解く』(創元社)

書評:孫崎享著、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館)

書評:孫崎享著、『日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』(祥伝社)

書評:孫崎享著、『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

書評:高橋洋一著、『経済政策の“ご意見番”がこっそり教える アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)


ドイツ:右翼テログループ逮捕とAfDの過激化

2016年04月20日 | 社会

右翼テロ

近頃は、「テロ」のキーワードですぐに連想されるのは【イスラム過激派】と言っても過言ではありません。しかしながら、今回ドイツのザクセン州フライタール(Freital)で逮捕されたのは難民排斥を旨とする右翼テログループでした。そのグループはフェースブックで『市民防衛隊(Bürgerwehr ビュルガーヴェァ)』と名乗り、難民収容施設又はその予定地への放火や難民の直接攻撃などの計画・実行をしていたと見られています。現在のところ容疑がかかっている犯行は昨年9月―11月にかけての難民収容施設またはそれに準ずる住居プロジェクトに爆発物を仕掛けた事件3件、左翼政党事務所への攻撃複数回、及びフライタール市役所所有の車への攻撃1件です。

家宅捜査の際、大量の東欧起源の花火が押収されました。いわゆる「ポーランド爆竹(Polenböller)」ですが、大抵のものはドイツでは販売禁止になっています。このような爆発物はネオナチ・テログループ「オールド・スクール・ソサエティー(OSS)」でも難民収容施設攻撃に使用される予定でした。このグループは今年1月に起訴されました。

上述の一連の事件は既に去年11月からドレスデンの検察庁検事、更に検事長によって捜査されていましたが、今年4月11日に連邦検事総長が引き継ぎ、特に刑法129a条「テロ」の容疑で捜査を開始しました。刑法129a条は国家の基盤が脅かされる恐れのある場合のみ適用されます。連邦検事総長の指示によって、ドイツ連邦刑事局(BKA)、連邦警察及びザクセン州警察が協力体制を整え、反テロ部隊GSG9出動により、今回の大規模な家宅捜査・逮捕が可能となった、とのことです。

ザクセン州の首都ドレスデンの南部に位置するフライタールは昨年7月の反難民デモで国際的な知名度を上げました。例えば英紙インディペンデントで報道されましたが、ホテル・レオナルドが難民収容施設に転用されたことに反対して、地元民を含むネオナチら1200人がホテルを包囲し、ヘイトスピーチを続け、石や爆竹などでの攻撃をした事件です。

1世紀前にはフライタールは全く違った意味で有名になりました。実はこの街はワイマール共和国成立初期の1921年に社会民主党(SPD)の主導で創設されたのが始まりで、『搾取と抑圧』から自由(frei)であることを目指したため、フライタール(Frei-Tal、自由な谷)と命名されたのです。当時はSPDが3分の2以上の多数派を占めていたのです。しかし、ヒトラーの第三帝国と東ドイツ(ドイツ民主主義共和国)という二つの独裁体制を経て、今ではすっかり右翼の巣窟となり果ててしまったようです。何十本もの電柱に「No Asyl」と落書きされ、車のナンバーにアドルフヒトラーのコードネームであった「AH 18」が使われたり、ネオナチシーンのファッションを来て道行く人々がいたり。住民に普通に難民への理解を説いたりすれば、あっという間に「左翼のダニ」呼ばわりされるとか。ネオナチの攻撃を恐れて口をつぐむ住民も少なくないらしいです。今その人たちはGSG9が介入したことでほっと息をついている所のようです。

参照記事:
ツァイト・オンライン、2016.04.19付けの記事「右翼テロ容疑者5人逮捕」 
シュピーゲル・オンライン、2016.04.20付けの記事「ザクセンの右翼テロリスト:栄光とスキンヘッド
インディペンデント、2015.07.15付けの記事「ネオナチ、フライタールの難民申請者ホテルを包囲。東独でまたもや人種差別が醜い顔を表す」 

 

ドイツのための選択肢(AfD)の過激化

先月の3州同時州議会選挙で大躍進をした右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」ですが、党のプログラムを作成する過程で過激な発言が続き問題になっています。上述の右翼テロとは直接関係はありませんが、ヘイトの空気が濃くなっている、とでも申しましょうか、危うい感じです。

事の始まりは4月17日にAfD党首代理ベアトリックス・フォン・シュトルヒ(Beatrix von Storch)が独紙フランクフルター・アルゲマイネに対し、間近に迫っている党大会で反イスラム路線を決議することを明かしたことです。その際に彼女は「イスラムはドイツ基本法と相容れない」と発言し、「ミナレットとムアッジンの禁止」を唱えました。同じくAfD党首代理のアレクサンダー・ガウラントはモスクの禁止まで視野に入れているようです。この過激な反イスラム路線が特定宗教に対する差別であり、信仰の自由を侵害するために、当然物議を醸しだしました。日本人にはそれほどぴんと来ないかもしれませんが、ドイツはほんのわずかでもナチスの過去を連想させる事柄には非常に神経質に反応します。時と場合によっては大袈裟であったり、思考停止状態の決めつけであったりもしますが、とにかくナチス的なものは即座に排除・否定しなければ社会的信用を失うというような空気が支配的なのです。そういう政治的土壌の中で、いきなり「イスラムはドイツ基本法と相容れない」発言がどれだけの爆弾であるか想像してみて下さい。

AfDの中には「自分たちは極右(ナチス)ではなく、普通の政党」と思いたい人たちもかなり居ます。ただメルケル首相の難民政策やヨーロッパという枠組みで自分たちの生活よりも例えばギリシャなどの救済に多大な税金が投入されていることに不満に抱いているだけだと。しかしながら、AfDが拡大する過程でかなり過激な極右勢力も党に吸収されてきて、それゆえに統一性に欠け、党が割れだしているとも言えます。

AfD党首フラウケ・ペトリは騒ぎを収めようと「党はイスラム全体を差別するつもりはないが、政治的なイスラムはドイツ基本法に反している」などと答弁していましたが、フォン・シュトルヒは激しい批判をものともせず、新オスナブリュック新聞のインタヴューで「今日、民主主義と自由を脅かす最大の脅威は政治的なイスラムだ」と反イスラム路線を更に強調しました。彼女によると、イスラムは宗教ではなく政治的なイデオロギーであり、ドイツ基本法に反しているとのこと。また反ユダヤ的な攻撃のほとんどは背景にイスラムがある、と指摘。

ドイツムスリム中央評議会が即座に反論したのを皮切りに、メルケル首相を始めとする主たる政治家、イスラム専門家などがこぞって批判・反論を展開しており、最終的にどこに着地するのかまだ見えていません。「ここでAfDを徹底的に叩かなければ、ナチスの歴史が繰り返される」という不安が反AfDのエネルギーの渦となっているように見受けられますが、世の中には理性的な説明に耳を貸さず、ひたすら感情論をベースに自分に都合のよい理屈をこね、それ以外は認めない、という姿勢の人たちが残念ながら少なくないありません。そうしたムードを巧みに掬い取って、AfDは成長してきたので、現在のメインストリームのAfD批判は「弾圧」あるいは「思想の自由の侵害」などと捉えられているだけでしょうし、メジャーメディアが書きたてることはそもそも信用しないことを信条としている人も多いことから、恐らく「メインストリームによる弾圧に負けずに真実を主張する英雄」みたいな自己陶酔に浸っている人たちも少なくないと思われます。どの国にも一定数そのような救いようのない人たちが存在するものなので、仕方ないといえば仕方ないのですが、これ以上エスカレートしないことを切に願っています。

参照記事:
独公営放送ターゲスシャウ、2016.04.17付けの記事「イスラムはドイツ基本法と相容れない」 
南ドイツ新聞、2016.04.19付けの記事「シュトルヒはAfDの反イスラム路線を強調」 


EU・トルコ難民協定~中間統計

2016年04月19日 | 社会

EU・トルコ間難民協定が発効してから早3週間半が経ちました。協定については既に「EU・トルコ難民協定本日(2016年3月20日)発効」で説明しましたのでここでは割愛します。

協定発効後最初の統計が4月16日に独雑誌シュピーゲルで公表されました。

下の折れ線グラフは一週間にギリシャの島々に到達した難民数の推移を表しています。昨年の12月は週当たり2万5千人(1日当たり平均約3500人)の難民がギリシャの島々に到着することもありましたが、3月に入って激減し、4月に新しく到着した難民は殆ど居ないと言っていいくらいになりました。一日あたり平均110-374人が来ています。UNHCRによれば記録開始以来最小レベルだそうです。

3月20日以降に来た難民はトータル6,480人で、うち326人がトルコへ送還されました。

トルコへ送還された難民数が少ないのは、囚人のように施設に閉じ込められていることに不満を持った難民たちがデモやハンガーストライクばかりか暴動まで起こす騒ぎがあったので、トルコ送還は見送られ、実際に送還が実施されたのはたったの二日だったことが原因です。

また、レスボス島などのいわゆる「ホットスポット」と呼ばれる難民臨時収容施設に閉じ込められた難民たちが、難民申請をしなければ即座にトルコに送還されることになると知って慌てて申請をしたので、申請手続きが終了するまでは取りあえずトルコに送還されることはありません。同時にEUから派遣されてくるはずの審査官らがまだ必要なだけ現地に着任していないため、難民申請手続きは簡易手続きにもかかわらず時間がかかっているという事情もあります。

これまでトルコに送還された326人の出身国の内訳は以下の通りです:

パキスタン 241人
アフガニスタン 42人 
イラン 14人
その他 29人

この送還ペースが続けば、いかに新たに来る難民数が減ったとはいえ、ホットスポットに留まらざるを得ない難民数は増える一方になります。 

協定ではトルコに送還された難民一人につきトルコからシリア難民を一人EUに引き渡されることになっていますが、実際にEUに引き渡されたシリア人はたったの79人です。うち37人がドイツ、31人がオランダ、11人がフィンランドに送られました。

以上、シュピーゲルの2016.04.16付けの記事「今週の統計グラフ:EU・トルコ難民協定はこう機能する」より

4月19日の最新ニュースによれば、ギリシャのホットスポットで難民申請をし、かつ25日以上滞在している難民は外出が許されることになったそうです。先日ローマ法王がギリシャ最大のホットスポットであるレスボス島の施設モリアを訪問し、難民の人道的扱いと待遇の改善を強く求めたことも影響して、規則の変更に至ったようです。

 

ギリシャ本土にはまだ5万3千人以上の難民が留まっています。マケドニアとの国境イドメニでは一時マケドニア軍対難民の抗争と化していました。アラビア語のビラで煽られた難民たちがマケドニアの国境警備に投石したり、有刺鉄線を破壊してマケドニア側に侵入を試みたりしましたが、催涙弾やゴム弾などの反撃を受けたりして、けが人が多数出ました。

ギリシャはピレウスとイドメニの難民キャンプの解体を開始しました。そこにいる難民たちはバスで近くの公営難民収容施設に移動させられています。今週末までには無秩序キャンプの解体が完了する予定だそうです。

参照記事:シュピーゲル、2016.04.18付けの記事「ピレウスとイドメニ:ギリシャは難民キャンプを解体


ドイツ:フィリップスブルク原発、虚偽の定期検査

2016年04月18日 | 社会

ドイツ、バーデン・ビュルッテンベルク州にあるフィリップスブルク原発でスキャンダルが起こっています。先週、外部委託の従業員が2015年12月に第2原子炉において、放射線管理用計器類の定期検査をせずに検査済みの報告をしたことが明らかになりました。同従業員はそれ以外にも7回虚偽の検査報告をしたことが分かりました。それを受けて4月13日にバーデン・ヴュルッテンベルク州環境省は第2原子炉の安全性が証明されるまで、再稼働を禁止しました。同原子炉は4月8日に定期検査のため停止していました。

事業者であるEnBWは、詳しい調査のためのタスクフォースを設置しましたが、今日また新たな事実が明るみに出ました。外部委託の従業員一人だけではなく、他の社員二人も虚偽検査に関係していたようです。

EnBWのタスクフォースによれば、第1原子炉で計9回放射線管理用計器類の検査が行われないまま、検査プロトコルに検査済みと記入されていました。そのうちの8回に最初の従業員が検査済み確認の署名をしており、残りの1回は二人目の従業員が代理で確認署名をしていました。因みに第1原子炉(フィリップスブルク1)は2011年8月に既に稼働停止となっています。

三人目の従業員は第2原子炉で検査を行ってはいましたが、15回にわたり検査日時を偽ったとのことです。検査予定日が過ぎてしまっていたことを誤魔化すためだったようです。第2原子炉(フィリップスブルク2)は2019年末(あるいは残留電力量によってはそれよりも早く)に完全停止となる予定です。

またヘッセン州にあるビブリス原発でも似たような虚偽検査があったようです。2014年第4四半期から2015年3月まで計器類の検査済みのプロトコルが作成されていましたが、実際には検査が行われていなかったとのこと。2015年5月にはヘッセン州環境省に報告されていましたが、ドイツ公営放送SWRによってこの度明るみに出ました。ビブリス原発は福島原発事故後2011年8月に停止し、現在廃炉作業中です。

監督省庁であるバーデン・ヴュルッテンベルク州環境相フランツ・ウンターシュテラーはこの事件が報告義務のある原子力事象ではないとは認めていますが、今後報告義務の基準を厳格化していくよう他州及び連邦環境相に働きかけていく構えです。

参照記事:
南ドイツ新聞、2016.04.13付けの記事「フィリップスブルク原発、安全検査したふり」 
独雑誌ハイゼ、2016.04.15付けの記事「ビブリス原発でも虚偽検査
独雑誌ハイゼ、2016.04.18付けの記事「検査官3人が虚偽検査に関係」 

 

原発に「安全」などあり得ませんが、事故を起こさないように最大限の努力をすることを怠っては、ただでさえ危険なものの危険性がさらに増します。ルーチンワークで気が抜けているのかも知れませんが、許されることではありません。虚偽検査に関わっていた従業員たちは最低でも懲戒免職にすべきですし、事業者側は今後このような虚偽ができないようにコントロールを強化すべきでしょう。EnBWは改善措置を取ると約束していますが、それはもう必要最低限だと私は思います。

ドイツの脱原発の詳細について興味のある方は拙ブログ記事「ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状(1)」をご覧下さい。


書評:孫崎享著、『小説外務省2 陰謀渦巻く中東』(現代書館)

2016年04月17日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

このブログもなんだかだんだん書評がメインになってきてしまいました。ブログ開設当初は、FBでは過去記事が見つけづらいので、検索可能な備忘録もかねて自分が調べたりしたことをまとめた記事を書いていこうと思ってただけなのですが、次第に自分が読んだ本の記録も欲しいな、と思うようになりまして、現在に至っております。やはり、読んだ直後はともかく時間が経つとその内容や印象は薄れていきますし、読書量が多いため、他の本との混同も起こります。確認が必要になったとき、読書記録があれば便利です。

それはさておき、孫崎享の『小説外務省』第2弾『陰謀渦巻く中東』について。

『小説外務省』第1弾『尖閣問題の正体』において、尖閣問題には「日中の棚上げ合意」があるという真実を指摘して、イラン大使館に「左遷」された西京寺が今度はイランの核開発合意やISの日本人人質解放に向けて活躍。その中で、アメリカの事情(主に戦争やの思惑とそれに対抗する派閥)、イラン革命後にアメリカに亡命したイラン人たちの事情・心情、イランの事情、トルコの事情、サウジの事情、ロシアの事情などが、主に西京寺の情報収集活動として明らかにされていきます。最近の中東の動きのおさらい、更にその裏側を見ることが可能です。ISの日本人人質解放のために日本政府が何もしなかったのはアメリカやイギリスからそういう圧力がかかったから、ということが暴露されています。
イランの童話や詩なども紹介されており、興味深いです。きっと孫崎氏自身が駐イラン大使時代に学んだことの一部なのでしょう。

カバー装画は、戦前からニューヨークで活躍し、開戦後はアメリカの戦時情報局で対日プロパガンダを引き受け、日本とアメリカのはざまで生きることに苦悩した画家・国吉康雄の「ミスターエース」だそうです。仮面を半分外して観客に挨拶しているようですが、口元はともかく、目が笑っていません。アメリカで生き残るために仮面をかぶらざるを得なかった、そしてそのような努力をしてもアメリカに本当に受け入れられることはなかったという国吉氏本人の自画像らしいです。その苦悩は、イラン革命前にシャーの側近であったゆえに革命後にアメリカに亡命せざるを得なかったイラン人たちの苦悩にも繋がります。ビバリーヒルズに住む亡命イラン人たちはCIAとの繋がりも深く、だからこそ、イランがアメリカの軍産複合体、いわゆる【戦争屋】に敵視されることに苦悩しています。小説にはイラン系アメリカ人でCIAエージェントであるルクサナという女性が登場します。

「陰謀論」や「捏造」とこの作品を一蹴するのは簡単でしょうが、そういう方たちには、まずこのレベルのものを書いてみろ、と言いたいですね。限りなくノンフィクションに近い小説です。

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書評:孫崎享著、『戦後史の正体 「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解く』(創元社)

書評:孫崎享著、『日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』(祥伝社)

書評:孫崎享著、『小説外務省 尖閣問題の正体』(現代書館)

書評:孫崎享著、『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

書評:孫崎享著、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館)

 

 

 


書評:松岡圭祐著、『探偵の鑑定II』(講談社文庫)

2016年04月16日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

『探偵の鑑定II』電子書籍版の発売と同時に購入し、早速気になっていた続きを読みました。

『探偵の鑑定I』の書評で『探偵の探偵』シリーズ(講談社)の紗崎玲奈と『万能鑑定士Q』シリーズ(角川書店)の凜田莉子のダブルヒロイン、と書きましたが、続編はもっと豪華(?)キャストで、『特等添乗員α』シリーズの浅倉絢奈とその婚約者及び『水鏡推理』シリーズの水鏡瑞希が登場します。事件の発端となった【穴あきバーキン】の裏にいた指定暴力団の獅靭会に莉子が攫われてしまうところで1巻が終わっていたのですが、その彼女を救出するために、この二人のヒロインが活躍します。と言ってもどちらかと言えばチョイ役なのですが。

1巻ほどの緊張感はないような気がしますが、最後まで退屈させない展開でした。

莉子の方はまた新たな事件に関わっていくことが仄めかされていましたので、『万能鑑定士Q』シリーズの新作に繋がるのかも知れません。玲奈の方は探偵を廃業することは決定事項でしたが、代わりに何をするのか将来はまだ決まってない感じ。でも彼女を主人公にした新シリーズはなさそうです。

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書評:松岡圭祐著、『探偵の鑑定I』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『千里眼完全版クラシックシリーズ』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『探偵の探偵IV』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理2 インパクトファクター』(講談社文庫)



書評:高橋洋一著、『経済政策の“ご意見番”がこっそり教える アベノミクスの逆襲』(PHP研究所)

2016年04月15日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

日本経済、アベノミクス、税政策についての総括的な分析に興味があって、本書高橋洋一著「経済政策の“ご意見番”がこっそり教える アベノミクスの逆襲」(PHP研究所)を手に取ってみました。著者が本人曰く【元財務省のポチ】というところにも興味を引かれました。久々に硬質の経済理論を読んだ、という感じがしました。そこそこ経済学を齧ったことのある人には分かり易く、いい分析書だと思いますが、「経済学も経済数学も難しくてさっぱり分からない」という人向けのものではないかもしれません。私自身、ドイツの大学・大学院で必修科目としてマクロ経済学関連の授業を履修した、つまり「齧った」程度です。しかもドイツで勉強したので、日本語の経済専門用語には明るくありませんし、日本で一般的な経済論というのも私にとっては未知数です。アメリカで主流の経済理論は授業で割と重点的に扱われていて、英語の文献をかなり読まされたことはあるのですが、日本経済・日本語文献はノータッチでした。授業や試験に関係ないので、日本経済関係にかまけている余裕がなかった、というのが本音ですけど。
そういうわけで、大学の勉強から解放された後も日本のことはドイツ的な視点でしか見てこなかったのですが、日本の人が日本経済をどう分析しているのか、今ホットな話題である「アベノミクス失敗」「消費税増税」を考えるにあたって勉強してみようと思いました。この本の他にも関連するテーマのものを何冊か既にピックアップしてあります。そちらも読んだらおいおい書評を書いていこうと思っています。

「アベノミクスの逆襲」の目次は以下の通りです。

序章 朝日新聞社に「掲載拒否」された”アベノミクス批判”批判コラム

第1章 消費税「増税」で、こんなに大損害!

第2章 検証!「増税」を正当化するデタラメな議論

第3章 アベノミクスへの通信簿

第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える

第5章 今こそ「アベノミクスの逆襲」の時

この目次から察することができるように、高橋氏の立場はアベノミクス擁護、そして消費税増税反対です。私はアベノミクスも消費税増税も反対ですので、おのずと高橋氏への感情的な距離感を感じるわけですが、それでも彼の展開する経済理論と分析には整合性があり、一読一聴に値するものであることを認めることは吝かではありません。経済学とあまり縁のない方には不思議に思われるかもしれませんが、経済学においては理論に整合性があることとその理論の「正しさ」とは別物です。なぜなら経済理論は必ず何らかのモデルに基づいており、そのモデルというのは現実を正確に再現したものではなく、簡易化されたもので構築され、大抵の場合は数式として表されます。その数式の中には、「経済は半分心理学」といった事情も考慮されることがあり、それは経営者や消費者の期待値として記号化されたりしますが、それでも現実を写し取れるわけでも、正確な未来予想ができるわけでもありません。つまり理論として矛盾がないということと現実に当てはめた時の正しさは別次元なのです。経済政策は更に別次元です。なぜなら『政策』には倫理的正しさや社会的な合意といったものも考慮されなければならないからです。

高橋氏の経済論には論理的に矛盾のない確固とした経済モデルが基礎となっている、という点だけを取ってもそこら辺の新聞の論評やら、利害だらけのデタラメな議論よりずっと価値のあるものだと私は思います。ただし、高橋氏はそのモデル(例えば『インフレ率が上がれば失業率が下がる』など)を信奉し過ぎているきらいがありますけど。

それはともかく、高橋氏の説を簡単にまとめると次の要点に集約させられる、と私は思います。

  1. アベノミクスの異次元緩和政策は増税前まで経済成長をもたらしていた。
  2. 消費税の8%への増税はアベノミクスの一環ではない(<--事実)
  3. 増税実施後の2014年4-6月期は、その直前の【駆け込み需要】の反動として減少する需要の分を差し引いたとしてもマイナス4.4%も余計に落ち込んでしまった。この余計な落ち込みが「増税効果」。その落ち込みは過去33年で最大であり、「気象変動」などという生易しい要因では説明できない。
  4. 消費税増税は財務省の思惑。予算配分などの関係で、「増税利権」が存在する。だから増税擁護のメディア操作が大規模に行われている。
  5. 金融政策の最終目標は失業率を下げること。金融緩和→予想インフレ率上昇(=実質金利低下)→株高・円安→消費・投資・輸出増→求人増→失業率低下。このプロセスに増税は水を差した。
  6. デフレだからブラック企業が増える。経済は予想インフレ率で動いている。予想インフレ率が上がれば、ブラック企業の頭の悪い経営者は淘汰される。(つまりデフレ脱却できない限り、どんなに法規制しても根本的な解決にならない)
  7. 消費・投資・輸出増加→企業業績向上→賃金上昇→GDP増加
  8. 財政再建を議論するときはプライマリー収支(税収と支出)を見るのが国際的常識。借り入れや借入金にかかる利子の返済はプライマリー収支とは無関係(<--事実)。だから増税擁護に利子云々を言うのはデタラメ。企業業績向上し、賃金も上昇すれば、税収が増え、プライマリ収支も改善するため、財政再建を図ることができる。

マクロ経済学の教科書的だという印象は5と7に非常に強く表れています。ここで抜けている視点は「タイムスパン」です。マクロ経済学理論の典型的な欠陥とも言えますが、金融政策を変えてから、失業率低下や賃金増加に辿り着くまでうまくいって数年かかり、その間失業者や低所得であえいでいる人たちなどは他の救済政策を取らない限り放置されることになります。人々が経済政策に期待することは「今」あるいは「来年くらい」に自分たちの生活が改善されることであり、数年後うまくすればまともな職にありつける可能性ではありません。

余談ですが、古典的な自由主義経済理論では経済とは長期的な視点で見れば常に需給のバランスの取れた点に回帰するというような見方がありました。「セイの法則」と呼ばれています。それはいわば「見えざる手」によって調整されているようなものだから、政治は経済に介入すべきではないという考え方です。それに対して「経済がバランスが取れるころには私たちはみんなとっくに死んでいる」と反論を唱えた経済学者の一人がケインズ経済学で有名となったイギリスのエコノミスト、ジョン・メイナード・ケインズでした。背景には世界的な経済危機があり、彼は特に失業の原因について研究していました。彼の提唱した経済論の要点はザックリ言えば政治介入、すなわち財政支出によって、消費を増やすことで経済成長を促す、というものです。これはまあ、古典的な経済理論の論争ですが、それぞれの派閥でこれまで理論の進化・発展があったとはいえ、最終的な決着はついてません。ただ、政治的にはいわゆる【新自由主義】と呼ばれる経済理論の系統が優勢です。

アベノミクスにもこの高橋氏の経済論にも政治介入により直接的に消費拡大を促すというケインズ的な要素はありません。サプライサイド、つまり企業の業績向上を政治介入(主に金融政策と企業を儲けさせる公共事業)によって図り、結果的に失業率低下・賃金上昇が達成されると期待しているわけです。ご存知の方も多いかもしれませんが、いわゆる「レーガノミクス」という米大統領ロナルド・レーガンの経済政策の焼き直しです。これは新自由主義の代表的な理論の一つで、「トリクルダウン理論」と呼ばれている理論に基づいています。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」という考え方ですが、それが事実に反することは現在貧富の格差のが過去最高のレベルに拡大していることが示しています。世界中で経済格差が拡大したことがこの新自由主義の【実績】だと言えます。期待された「所得の底上げ」は起こらなかったのです。貧乏人はより貧乏になりました。零れ落ちてくるものがなかった証拠です。

「企業業績向上→賃金上昇」が実際に成立するためには、人手不足、すなわち求職者の売り手市場であることが必要条件です。つまり、「賃金を上げないと必要な人が来てくれない」という状況がない限り、たとえ企業業績が向上したとしても賃金が上昇することはないのです。高橋氏は予想インフレ率が上がり、実質賃金が下がる(名目賃金マイナス予想インフレ率)ことで求人増につながり、それだけで、「賃金を上げないと必要な人が来てくれない」という状況が生じるかのように考えているようですが、それは閉ざされた経済であれば比較的早く実現するかもしれませんが、企業がより賃金レベルの低い海外へ移転できることや、低賃金で満足する外国人労働者の流入を考慮すると、その状況の実現が容易ではないことが分かります。例えば建設業界などでは海外移転は意味がありませんので、人が建設現場に来ることが必要です。外人労働者の受け入れは日本ではまだまだかなり制限されていますので、復興事業とオリンピック事業による需要増加に人手不足で対応できない状況が生じています。ここでは賃金の上昇傾向も見られますが、それが他業種に飛び火することはよほどの関連性がない限りあまり起こりません。そして企業が「人手不足で対応できない」ということは企業業績が向上してないということでもあります。でも賃金上昇はしているわけですから、一概に「企業業績向上→賃金上昇」というプロセスが成立するとは言えません。

つくづく経済理論は制約というかそれが成立するための条件が多いモデルだな、と思いました。そういう意味でこの本は頭の体操にはなりました。

それとは別に、第4章のバブル期の考察は非常に面白かったです。私は不動産バブルが不動産取引の総量規制で弾けてしまったことは知っていましたが、金融関係の事情には明るくありませんでした。株バブルが生じた原因が法の不整備にあり、「営業得金」と言われる財テクが横行したこと、そしてそれが「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」という通達で損失補填付きの財テク事業を禁止することで、株バブルの原因は既に取り除かれていたことなどは知りませんでした。その二つの通達でバブルの原因が取り除かれていたのに、バブルの原因を「カネ余り」と分析した日銀が金融引き締め策を取り、資産バブルを除けば普通だった日本経済に大きな打撃を与えた、とのこと。これは勉強になりました。