徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツ:グントレミンゲン原発、本日(2017年12月31日)計画通り停止

2017年12月31日 | 社会

本日(2017年12月31日)、南ドイツ・バイエルン州にあるグントレミンゲン原発の原子炉Bが、脱原発計画に従って停止しました。福島第一原発と同じ型の沸騰水型軽水炉で1984年3月に運転開始しました。

同原発の原子炉Cは同じ1984年の数か月後に運転開始したにもかかわらず、2021年末まで稼働していいことになっています。

グントレミンゲン原発は今日までドイツで唯一稼働中の原子炉が2基ある原発でした。

原子炉Bの発電容量は1.2ギガワットで、現在建設中の世界最大の風力発電の発電容量に相当しますが、だからと言ってドイツが電力を輸入しなければならないことになるわけではありません。ドイツは2011年ですら電力輸出超過でしたし、それ以降も輸出量記録を伸ばし続けています。

それはともかく、残る原子炉Cの即時停止も環境団体から求められています。理由は、この原子炉も福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉で技術的な不安があるということと、使われているMOX燃料がプルトニウムを多く含む危険なものであるということで、まさに「時限爆弾」と言えるからです。

参照記事:

ZDF heute, 31.12.2017, "Meiler in Gundremmingen geht vom Netz(グントレミンゲンの原子炉が運転停止)"

Frankfurter Allgemeine, 31.12.2017, "Atomausstieg in Gundremmingen(グントレミンゲンの脱原発)"


ドイツ:百万年の耐久性を求めて~核のごみ最終処分場選定手続きの提案

ドイツの脱原発、核廃棄物の処理費用は結局納税者持ち~原子力委員会の提案

ドイツ:原発事業者4社、本日(2017年7月3日)核廃棄処理基金へ240億ユーロ振り込み

ドイツ:憲法裁判所で脱原発公判開始

ドイツのエネルギー法改正

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (1)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (2)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (3)

ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状 (4)― 事後責任法案本日閣議決定

ドイツ:2015年度国外電力取引統計ー脱原発の現状


放射線腫瘍医との面談(がん闘病記17)

2017年12月29日 | 健康

今日、というかすでに昨日ですが、聖マリア病院(St.Marien-Hospital)の放射線科で放射線治療についての初面談に行ってきました。当初の予定では29日だったのですが、病院側の都合で28日に変更になりました。

うちから車で10分強のところで、丘の上に立つ結構大きな病院です。放射線科は本館の向かい側にあるモダンな建物で、待合室も明るく、あまり病院という感じがしない雰囲気なのですが、今日そこで見かけた患者さんたちは、傍から見てもかなりやつれていて苦しそうな感じで、「ああ、やっぱり病院なんだな」と妙に実感してしまいました。

 

さて、今日は放射線治療が必要かどうか、どういう効果とリスクがあるのかについて話をしたわけなんですが、結論から言うと、今放射線治療をやることを強く勧められました。

子宮内膜がん〔子宮体がん〕の診断が出た当初は、CTなどで他の転移が認められなかったので、ステージ1aなら手術のみ、ステージ1bなら手術の後に放射線治療という治療方針が提示されていました。この場合の放射線治療は、膣の中から子宮口に向けて局所的に照射する内部照射の一種の腔内照射でした。

実際にはステージ1どころではなく、両側の卵巣および腹膜にもがんが見つかり、当初予定されていた子宮・卵管・卵巣ばかりでなく、リンパ節44個に大網膜も切除する大手術になってしまいました。幸い郭清されたリンパ節はどれもクリーンだったので、遠隔転移の可能性は無く、最終的な診断はステージ3bと出ました。がんの組み合わせとしてはかなり珍しい部類だそうです。子宮体がんが発生源で、卵巣・腹膜へ転移ということで治療プランも練られましたが、卵巣がんが転移ではなく原発性である、つまり子宮体がんと併発した可能性もないとは言えず、また腹膜がんも卵巣からの転移ではなくやはり併発の可能性もなくはない、みたいなことが診断書に書かれてあります。今日の面談でも改めてそのことを指摘されて、しばらく忘れていたのに現実に引き戻されてしまった感じです。

とにかくその腹膜がんがあったせいで、本当に転移なのか併発なのか確定できないにせよ、がん細胞が取り切れてない可能性が高いということで、手術後は放射線ではなく化学療法を勧められ、それが終わったら必要に応じて放射線治療という治療プランが推奨されました。

そして8月8日から3週間ごとに抗がん剤投与を計6回受けて、11月28日の血液検査を最後に化学療法は無事終了し、今日の面談までの1か月間治療的なことは一切なく、体調もよかったので、私もダンナも病気のことをほとんど忘れかけていたわけです。普通に買い物に行ったり、散歩したり、コンサートにまで出かけていって、かぜすらひかずにいるので、むしろかなり元気だと言えます(笑)

しかしまあ今日の放射線腫瘍医の話では、再発の危険をより少なくするには化学療法に加えて放射線治療をするのがいいとのことでした。この場合の放射線治療は外部照射で、範囲は下腹部に限られているとはいえ、腔内照射に比べればずっと広範囲の照射になります。具体的には「三次元原体照射」という、最初にコンピュータとCT、MRI、PETなどの画像を使って、がんの大きさや形、部位を特定し、がんと周囲組織を立体的に再現した上で、治療装置を回転させながら、がんの大きさと形状に合わせて正確に放射線を照射する方法で、正常組織への影響がなるべく少なくなるように工夫されているため、以前に比べれば副作用が格段に少なくなっているらしいですね。

下の写真は放射線治療のパンフレットを写したものですが、その中の右側の写真がCTで、左側の写真が直線加速器「TrueBeam」です。

もっとも、私の場合はCTで分かるほどのがん細胞が発見されるかどうかはかなり疑問ですけど。治療をするのであれば、週5回、トータル28回(約6週間)の照射になるとのことです。

思ったほどリスクが多くないことと、体への負担は化学療法よりもずっと軽いということを聞いて、治療を受ける方にかなり心を動かされています。やはりできるかぎりのことはした方がいいのではないかと。

このまま放置してがんが再発する可能性はそれほど高くはないらしいのですが、こういうことはそもそもはっきりと予想できることではありませんし、珍しい組み合わせのがんということで、予後の予想がより難しいということは念頭に置いておかないといけません。発生と転移に関する診断も確定していないほどよく分からない組み合わせって何なんでしょうね?

放射線治療を「しない」ことに対する不安要素はかなりあります。

第1の不安要素は統計的な予後の悪さです。子宮体がんのステージ3期の5年後生存率は日本の統計では60%弱のようです(ドイツの統計では57-66%というのもあれば、40%前後というのもあり、???)。卵巣がんは原発性ではなく、子宮がんからの転移という所見のほうが優勢ではありますが、卵巣がんから腹膜への転移というのは比較的珍しくない話で、その場合もステージ3になります。卵巣がんのステージ3の5年後生存率は40%だそうです。また、腹膜がんが原発性である可能性も否定しきれないということが診断書に書かれているので、原発性腹膜がんで5年後生存率の統計があるかと思ってリサーチしたのですが、珍し過ぎて統計がないんですね。一般的に予後は卵巣がんより悪く、1年以内に亡くなってしまう方も多いらしいですが、5年後もぴんぴんしている人もいないわけではないらしいので一概には何とも言えないみたいですね。でもまあ統計的に見れば、私が5年後に生存している可能性は高く見積もって6割強ということになりますよね。

第2の不安要素は抗がん剤治療が腹膜がんには必ずしも有効とは言い切れないということです。一般的な説とは言い難いかも知れませんが、一説によると血液を通して投与される抗がん剤は血流の少ない腹膜には有効な量が到達しない可能性があるらしいです。このため折角受けて何とか終了した抗がん治療で「安心」とは言えず、どうしても一抹の不安が残るわけです。

第3の不安要素は、がん再発後の治療成績がよくないということです。放射線治療は、がん細胞ががん細胞と認知できないくらいの時に徹底的に潰すつもりで行う方が効果が高く、再発後の場合だと照射する放射線量を増やさないといけなくなるため、治療リスクがより高くなるらしいです。だから、放置せずに今のうちにやっておいた方がいいということですね。

第4の不安要素は最近読んだアメリカの研究で、がんの標準治療を受けた患者とそれをせずに代替治療を受けた患者の5年後生存率を比較すると、乳がんの場合はなんと代替治療を受けた患者の死亡率が5.7倍も高いとのことでした。調査したがんの種類全体での結果は「転移のない早期がんの治療に代替療法を選んだ患者が、5年以内に死亡する確率は、標準療法を選んだ患者より2.5倍高い」というものでした(拙ブログ「抗がん剤のお値段とがん代替治療の死亡率(がん闘病記14)」にちょっと詳しく書きましたので、興味のある方はそちらも読んでみてください)。この「2.5倍」という数字の中には子宮がんや卵巣がんの症例は含まれていません。どちらも乳がんに比べると症例数がぐっと少なくなるので統計的な比較が難しいのでしょう。でもある種の「傾向」としてこの数字は無視できないと思うのです。
食事療法でがんが治った例というのも巷には溢れてますし、「標準治療」をほとんど敵視する向きも随分あるようですけど、そうした成功例の陰に多くの失敗例があるのではないでしょうか。
実際、健康な食生活を奨励するような健康情報サイトで、抗がん剤・放射線治療を一切せずに食事療法を選択し、肌はつやつやにもかかわらずがんの進行が止まらず、たぶん余命いくばくもない感じの患者さんの例が紹介されていました。ご本人はその選択を後悔していないとのことでしたが、私がその立場ならかなり後悔するのではないかと思います。免疫力増進のために毎日欠かさず新鮮な野菜・果物ジュースを飲み、体を酸性にしないような食生活を心がけて、また体を冷やさないようにする努力もしてますけど、「それで100%大丈夫」と言い切れる人はいないでしょう。いるとしたら、それは他人事だから軽く楽観視しているだけで、かなり無責任な安請け合いだと思いますね。

私もこのアメリカの研究を読むまではどちらかというと放射線治療は願い下げにしたいなと思ってたのですが、これを読んでから大分考えが揺れてました。ただ、放射線腫瘍医がどういう見解を示すか分からなかったので、それ以上考えず一時棚上げにしてました。でも、今日話を聞いた後では、天秤は「やる」方に傾いてます。

というわけで、1月2日はすでにCT撮影と照射計画、1月8日に初照射という日程を決め、インフォームドコンセントの書類にも目を通して署名してきました。これはまだ治療の同意書ではなく、「説明を聞いた」ということに対する署名です。最終判断は1月2日にすることになります。あまり日数はありませんが、それまでもう一度考え直して断ることも可能です。

がん闘病記18


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

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え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

ドイツ:傷病手当と会社からの補助金(がん闘病記6)

抗がん剤投与2回目(がん闘病記7)

抗がん剤投与3回目(がん闘病記8)

医者が満足する患者?(がん闘病記9)

マリア・トレーベンの抗がんハーブレシピ(がん闘病記10)

抗がん剤投与4回目(がん闘病記11)

化学療法の後は放射線治療?!(がん闘病記12)

抗がん剤投与5回目(がん闘病記13)&健康ジュースいろいろ

抗がん剤のお値段とがん代替治療の死亡率(がん闘病記14)

抗がん剤投与6回目&障碍者認定(がん闘病記15)

化学療法終了…その後は(がん闘病記16)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


書評:恩田陸著、『ユージニア』(角川文庫)

2017年12月26日 | 書評ー小説:作者ア行

『ユージニア』(角川文庫)は、K市(石川県金沢市)の旧家・青澤家で起きた大量毒殺事件の真相を数十年も経ってから追跡するストーリーで、その追跡者が誰なのかは最後の方にならないと分からない、ちょっと奇妙な構造の小説です。

その事件の実行犯は自殺してしまったため、毒殺を教唆したものの存在が疑われていたものの、結局そのまま事件は捜査打ち切りとなり、後味の悪さと謎を残したままとなりました。

事件の全容がいろんな人の証言からだんだんと明らかになっていくのですが、結局のところ真犯人はグレーのままでお話しは終わってしまいます。そのため、すっきりしない読後感が残ります。

著者本人が「黒だけでも白だけでもない、グレーゾーンを描きたかったんです」とあとがきのような「ユージニアノート」に書いているだけあって、事件の真相もキーパーソンである青澤家唯一の生き残り・緋紗子のキャラもグレーのままですね。それが意図されていることであっても、どちらかというとあまり好きにはなれない感じです。

また、第3章「遠くて深い国からの使者」では同じ事件が、10年後に事件についてのノンフィクションらしきものを書くことになる少女・雑賀満喜子(さいがまきこ)の視点で描写されているのですが、登場人物の名前が(緋沙子が久代に、青澤家が相澤家に)変えられており、このピースが全体のパズルのどこに位置付けられるのか結局最後まで分からずじまいでした。彼女の本の一部なのでしょうか?

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三月・理瀬シリーズ

書評:恩田陸著、『三月は深き紅の淵を』(講談社文庫)

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書評:恩田陸著、『チョコレートコスモス』(角川文庫)

2017年12月24日 | 書評ー小説:作者ア行

『チョコレートコスモス』は、小説版「ガラスの仮面」と言っても過言ではない作品かと思います。

北島マヤに相当する素人で毛色の変わった天才が佐々木飛鳥、姫川亜弓に相当する芸能一家のサラブレットで天才と評判の東響子と、キャラ構成に被るところはありますが、「マヤ、おそろしい子」のセリフで有名(?)なマヤを見出して演技指導をする月影先生的な役どころはありません。基本的に主要人物は女性二人と、女性二人の芝居の脚本を書くことになる脚本家・神谷の3人です。その3人の周りにそれぞれ味わい深い脇役が配されています。

最初この3人はまったくバラバラに描かれ、それぞれのエピソードの関連性がなかなか見えてこないのですが、話が進行する過程で「女性二人の芝居」のためのオーディションで三人の結びつきが見えてきます。このオーディションの劇中劇がこの小説の中核と言え、そのあたりが『ガラスの仮面』を想起させるエレメントとも言えます。

非常に力強い筆致で読者を引っ張っていく力はさすが、という感じがします。

脚本家・神谷と謎の少女・佐々木飛鳥の最初の出会い、というか神谷が一方的に飛鳥のすることを観察していただけなのですが、その謎めいた感じがミステリーのようにもファンタジーのようにも見え、どういう謎なのかと思ったら、演劇ものだったという、軽く騙された感覚を覚えなくもないです。

同じ劇中劇でも山本周五郎賞受賞作品の『中庭の出来事』のほうはもっとミステリー色が強かったですが、この作品は「演劇」のほうに重点があります。

さて、この文庫のあとがきで『チョコレートコスモス』の続篇なる『ダンデライオン』に言及されていたので、2011年に連載中だったのならばとっくに文庫が出ているのではないかと思い、しかし、恩田作品はまだ読み始めで網羅してないとはいえ、タイトルは全部見ている感覚があり、『ダンデライオン』を見た覚えがないことを不審に思って調べると、連載していた雑誌『本の時間』が廃刊となり、この作品もそのまま放置されているということが判明しました!OMG!

ファンにとって一番欲求不満になる嫌なパターンですね。『ガラスの仮面』も50巻が発売予告されて、それが取り消されてからもう数年経ちます。有川浩の「シアター!」の第3弾も出る気配ありません。(T_T)

というわけで、面白くはありましたが、作品として「一応」しか完成しておらず、むしろこれから本編が始まる前座のような印象があるため、不満の残る読書となりました。

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書評:恩田陸著、『私の家では何も起こらない』(角川文庫)

2017年12月19日 | 書評ー小説:作者ア行

3週間ちょっとぶりに恩田ワールドに戻ってきました。『私の家では何も起こらない』(角川文庫)は2016年11月発行。丘の上に立つ幽霊屋敷と噂される一軒家にまつわるエピソードをまとめた本です。

割と残忍で凄惨な事件が起こっているにもかかわらず、当事者の視線で語られることで、なぜか凄惨な印象が薄れてしまうという不思議さ。

エピソードによっては一体どんな視点から事件が語られているのかが最後になってようやく判明し、軽い驚愕を覚えるのと同時に、本来ならあり得ない「語り手」に納得できない不可思議さを感じます。

幽霊を当たり前のように受け入れ、生きた人間の方が怖いという考え方は理解可能ではありますが、「何も起こらない」というのは皮肉でしかないでしょう。

不思議なスリルを感じられる一冊です。

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書評:上杉聰著、『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団 』(合同出版)

2017年12月18日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

日本の政治の動向は日本会議を抜きには理解できない面も多々あるので、上杉聰著、『日本会議とは何か 「憲法改正」に突き進むカルト集団 』(2016年5月発行)を読んでみました。なかなか複雑な成り立ちで、神道系だけかと思いきや、キリスト教系や仏教系の宗教団体も合流しているなど意外な事実が明らかにされていて、興味深い本でした。

目次は以下の通り。

序章 日本政治の大きな焦点・憲法改正

第1章 改憲の推進勢力—―日本会議の実態

第2章 日本会議とはどんな組織か

第3章 押しつけ憲法論と憲法第9条の真実

第4章 日本会議の教科書運動

第5章 育鵬社は大阪でどのようにして大量採択を実現したか?

おわりに 日本会議と今後

 

第3章の「憲法第9条の真実」は「自衛隊は違憲」と考える人たちにとっては青天の霹靂かもしれません。憲法改正小委員会の議事録が1995年まで非公開だったために、憲法学者の間でもほとんど知られていなかったらしいのですが、9条には当初から自衛権が想定されており、それを元に「専守防衛」という法文解釈が成立してきたのだそうで、私もびっくりしました。

マッカーサーは当初は「憲法3原則」の第2として日本には自衛戦争さえ認めないとしていましたが、草案を作成する過程で「自国の安全を保持する手段としても」が削られた経緯があるそうです(本書p53-54)。その理由としては、その前年に調印された国際連合憲章の第51条が武力による自衛戦争を認めているために、日本の自衛権を否定することには「無理がある」と憲法の実務に当たっていたケーディス氏が証言しています(本書p54)。

そして、「専守防衛」の解釈が正しく、自衛隊の存在が合憲であることを示すのが、憲法担当大臣だった金森徳次郎氏の発言で、それによると、第1項では永久性を持たせているが、「国際連合との関係で戦力を持つことを可能にするため、第9条第2項にある戦力不保持に永久性を持たせないようにした(将来、戦力を持てるようにした)」ということです。つまり日本国憲法成立当初から自衛隊のような戦力の保持が想定されていたことになります(本書p56)。

裏を返せば、現在安倍政権がやろうとしている「自衛隊を憲法で明言する」加憲はまったく不必要ということになります。

ただ、憲法は自衛権を否定するものではないとはいえ、「積極的に自衛権を行使する」とも言っていないので、これが「専守防衛」の根拠になるわけですが、改憲派の目的はこの「専守防衛」を打ち崩すことにあるのでしょう。

この辺は平和主義を掲げる護憲派もきちんと勉強しておかなければならないでしょう。9条が完全な戦争放棄・戦力保持放棄を定めるものではないこと、その性質をきちんと理解した上で改憲論議に臨む必要があると思います。

憲法改正の動きと同時に、積極的に戦争する場合に戦争に行く当事者となり得る世代に早いうちから洗脳を施しておく目的で教科書運動も日本会議が積極的に進めているということは危機感を持って認識すべきでしょう。本書の第4・5章で論じられている育鵬社の問題教科書の採用率はまだ極めて低いですが、それが低いままに抑制されるようにシビリアンコントロールが必要です。

また、日本会議の教科書を発行する育鵬社は、フジ・メディア・ホールディングスの100%子会社として2007年にわざわざ教科書を発行するためだけに発足したこと、そしてその発足の際に安倍晋三からフジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長・日枝久への口利きがあった(本書p70)こともしっかりと認識しておくべきでしょう。

恐るべきはその組織力ですね。

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バッハ、クリスマス オラトリオ。ボンの城内教会にて

2017年12月17日 | 日記

本日二つ目のコンサートは、クリスマスらしくバッハの「クリスマスオラトリオ(Oratorium in tempore nativitatis Christi, BWV 248)」で、場所は元はお城だったボン大学の中にある城内教会(Schlosskirche Bonn)です。コンサートホールとしてはかなり小さく、チケットはネットでは買えないというアナログさ。

中はパステルイエローを基調にしたバロック的装飾で、なかなか風情があります。

  

毎年クリスマスオラトリオを聞きに行きたいと思いつくのが遅すぎて、チケットを買えなかったのですが、今年はすでに11月半ばにそのことを考え、チケット販売開始2日目にダンナが唯一のチケット前売り所であるカウフホーフというデパートの中のチケット販売コーナーへ行って買ってきました。

このただの紙切れに印刷しただけの手作り感、大学のスタンプを押してコピーでないことを示すアナログ感がたまりませんね。


この城内教会はケルン大司教の居城に属し、1777年に火事で焼失した後に建てられました。この教会で、かの若きベートーベンがクリスチャン・ゴットリープ・ネーフェからオルガンの授業を受け、ウイーンに移るまでここでオルガン奏者をしていた、というボンが誇る数少ない歴史文化財の一つです。だからと言っていつまでもデジタル化の波に逆らう必要はないと思うのですが(笑)

一応ホームページがあり、オーケストラやその他の演奏者の紹介、コンサートの日程などのお知らせなどが掲載されています。チケットは完売だったようで、教会はこれ以上ないくらいに満員でした。

教会なので、木のイスで、座り心地は最悪。オラトリオ全部ではなく、1部と4~6部だけとはいえ2時間近く座り続けるのは結構苦痛でした。大きなバロック式教会のように寒くなかったというのが唯一の救いみたいな…

さて、音楽の方はというと、オーケストラの演奏、ソリストの人たちはとても良かったと思います。でも合唱団全体としては今一つでした。音響が今一つというのもあるのかも知れませんが、もう少し歌詞がはっきりと認識できても良かったのではないかと思いました。

一番面白いと思ったのが、ソプラノとエコー ソプラノとオーボエがお互いにまねっこしながら順番を替えたりして戯れる曲でした。バッハもこんなユーモラスな曲を作曲できたんだ、とちょっと感心してみたり。。。

一応バッハの全作品を収録したCD集を持ってるんですが、とにかくたくさんあり過ぎて一つ一つ覚えられるわけもなく、類似するものもかなりあるので、どれがどれと区別がつかないことも多いので、こういうユーモラスなものが紛れ込んでいることに気づきませんでした。まあ、オルガン音楽の方を重点的に聞いてたせいもあるでしょうが。

何はともあれ、第3アトヴェントらしくクリスマスオラトリオを聞いた後は、そこから歩いて1分もかからないところにあるお寿司屋さん「Ichiban Sushibar」で晩ごはんを頂きました。

ダンナは「生(いき)ビール」とかいうゆず入りのビール(日本からの輸入品らしい)に挑戦。私はアルコールフリーのドイツ産小麦ビール。

手始めにほうれん草の胡麻和えと鮭南蛮およびお味噌汁。

私はちらし寿司を頂きました。

ダンナは「Tokyo」という寿司盛り合わせ。

デザートは抹茶アイス。

ま、日本人が舌鼓を打って味わえるほどの素晴らしいお味ではないのですが、この近郊にあるすしバーの中ではかなりましな部類です。近頃は普通のスーパーでもパック寿司が売られるようになっていて、他にも寿司を扱うお店が増えたこともあり、以前ほどこのお寿司屋さんは賑わっていないようです。

今日は本当に贅沢な一日でした。

コンサートが二つかぶってしまったのはちょっときつかったと言えばきつかったのですが、どちらも逃したくなかったのでこういうことになりました。


ベートーベンオーケストラのマチネ。コンサートシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)2」


ベートーベンオーケストラのマチネ。コンサートシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)2」

2017年12月17日 | 日記

今日はまたベートーベンオーケストラのマチネコンサートに行ってきました。先月の五嶋みどりさんが出演したコンサートと同じシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)」の第2弾となります。

このコンサートシリーズでは政治と音楽の関りを考察する対話が組み込まれており、演奏される曲を作曲当時の政治状況の文脈の中でより深く理解する試みです。

今回の曲目はベートーベンの交響曲第3番変ホ長調「エロイカ(英雄)」でした。細かいことを言えば、「エロイカ」を「英雄」と訳してしまうのは不正確で、シンフォニー(交響曲)にかかる形容詞として「Sinfonia eroica」というイタリア語の原題通り「英雄的な交響曲」とすべきなんですが。「エロイカ」は女性形なので、その訳として「英雄」という男性の象徴のような名詞があてられると、ものすごい意味的な不調和を感じずにはいられません。なので、私にとってベートーベンの第3はあくまでも「エロイカ」です。

 

バン...バン...

と出だしのオーケストラ全体が一つの打楽器のように2音を打った後、指揮者のディルク・カフタン(Dirk Kaftan)がくるっと聴衆の方に振り返って、「Guten Morgen(おはようございます)」と言ったので、一瞬「えっ?!」と思った後に、ホールの中で思わず笑いがさざ波のように広がりました。

交響曲ということで、ソリストがいないため、対話の相手は誰なんだろうと思っていたら、哲学者のペーター・スローターダイクでした。彼の言うことは抽象的で、前回のみどりさんのように聞きやすいものではありませんでした。しかも、指揮者兼司会のディルク・カフタンとの対話があまり成立しておらず、噛み合わない二つのモノローグを聞いているようでした。

19世紀初頭、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として交響曲第3番作曲されました。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話があります。実際にその表紙には大きな穴があるそうなんですが、 それならなぜ後に「一人の偉大な人間の思い出に」と総譜に書かれていたのか、またなぜベートーベンは「ボナパルトのために作曲」と書き加えたのか、という疑問が残ります。事実はもっと複雑なようです。

それはともかく、前回と同じようにモチーフの解説にその部分の生演奏が続いて、抽象的になりがちな言説をメロディーで感覚的に理解できるように構成されていました。エロイカにも当然様々な曲のモチーフが引用されています。第一楽章の二つの打音に続くのはモーツァルトのジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』K.50からの引用で、打音なしでエロイカを演奏し出すともうほとんど引用元の曲と区別がつかなくなるくらい「パクって」いるのですが、二つの打音を先に持ってくることで、後に来るドラマチックな展開を予感させて、「ただの田園風景じゃないんだぜ」と主張しているようにも取れます。

最新の研究では、「エロイカの背後には人間の自由と、芸術および文化による救済という思想があり、ある種のプログラムがシンフォニーの下地になっている」と推測されてるそうですが、そういった「救済」的なものをどこらへんで特に感じられるのかといったことも話題にされました。具体的な個所はどこだったもう分りませんが、確かに村祭りのような世俗的な雰囲気からだんだんと何やら高尚な雰囲気に変換され、最終的に真っ青に突き抜けた青空に昇天するようなイメージが想起される部分でした。スローターダイクさんはそれを哲学者らしい「Transzendent(超越的な)」という言葉を使って形容してましたけど、それじゃあ全然イメージ湧きませんって( ̄∇ ̄;)

第二楽章の葬送曲なのになぜか途中でウインナワルツのような軽やかなものに変わるのも興味深いですね。そこだけ聞くとウインナワルツ以外の何ものでもないようにしか聞こえません。

エロイカは実はその前年に作曲されたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の物語を反映する構成だそうです。第一楽章はプロメテウスの創造と無駄な教育の試み、第二楽章は悲しみに打ちひしがれて冥界を歩むプロメテウス、第三楽章は彼の再度の目覚め、そして第四楽章・フィナーレで人間の様々な性情がオーストリア及びドイツの舞踊曲やアグレッシブなフガーティおよび賛歌などを交えてフルに提示される、というふうに当てはめることができるようです(知らんけど)。特に第四楽章は同時代の人たちには「封建制度からの解放への希望」と理解されていたらしいです。

そうした蘊蓄をメロディーをまじえて聞いた後に通しでエロイカを聞くと、イメージの広がり方が違いますね。でも、第四楽章はちょっとシーンチェンジが激し過ぎて忙しい感じがしました。お花畑にいたと思ったのに、急に暗雲が立ち込めて、雷がドカンと落ち、土砂降りになって、うへーとか思っていると晴れ上がって、穏やかに水平線に沈んでいく夕日が見えるような?と思っていると、兵隊さんの行進ですか?みたいな感じになって、そこから怒涛のようにファンファーレに持っていかれて、最後にバーンとカタルシスがある、みたいな?

せわしないと感じたのは速めの演奏テンポのせいだったかもしれません。1980年代まで活躍した20世紀の最も著名な指揮者と呼ばれるヘルベルト・フォン・カラヤンは、ベートーベンの曲をやたらとスピーディーに演奏することでも知られていましたが、今日のディルク・カフタンはそれよりもさらにアップテンポだそうで、ゲストのスローターダイクが「今まで聞いた中で最もスピーディーなエロイカ」と評していたくらいでした。

あと残念なのは、ボンのベートーベンオーケストラが超一流ではないということですね。常任指揮者は面白いのですが、オーケストラの方はいまいち洗練されてない、悪くはないけど、平均的なんですよね。実に惜しい。

今日は夕方もコンサート(バッハのクリスマス・オラトリオ)に行く予定なので、その前に取り急ぎマチネコンサートの印象を書き留めました。「取り急ぎ」と書きましたけど、別に後で推敲・清書するつもりはありませんのであしからず。


書評:石黒圭著、『語彙力を鍛える~量と質を高めるトレーニング~』(光文社新書)

2017年12月11日 | 書評ー言語

石黒圭著、『語彙力を鍛える~量と質を高めるトレーニング~』(光文社新書)は2016年5月発行。これまでに読んだ語彙力の本4冊とは全く違うアプローチで、個別の言い回しや慣用句・ことわざなどの正誤を羅列するようなことは一切なく、あくまでも語彙力を高める方法論が展開されています。中には言語学的な専門用語もあり、簡単に説明されているとはいえ、予備知識のない方にどれ程理解できるものなのか分かりません。私は一応言語学修士ですので、その辺は問題なくスルーして理解も容易だと感じましたが。

著者の石黒圭氏は、国立国語研究所研究系日本語教育研究領域代表・教授、一橋大学大学院言語社会研究科連携教授だそうです。

彼は語彙力を以下のように定義します。

語彙力=語彙の量(豊富な語彙知識)x 語彙の質(精度の高い語彙運用)

「脳内の辞書を豊かにする22のメソッド」と煽りにありますが、語彙の量を増やすメソッドが11、語彙の質を高めるメソッドが11、本書に紹介されています。

目次は以下の通りです。

はじめに 言葉が思考を規定する

第一章 語彙についての基礎知識

一 語彙について考える

二 理解語彙と使用語彙

第二章 語彙の「量」を増やす

一 類義語を考える

二 対義語を考える

三 上位語と下位語を考える

四 語種を考える

五 文字種を考える

六 書き言葉を考える

七 専門語を考える

八 方言を考える

九 新語と古語を考える

十 実物を考える

十一 語構成を考える

第三章 語彙の「質」を高める

一 誤用を回避する

二 重複と不足を回避する

三 連語の相性に注意する

四 語感のズレを調整する

五 語を適切に置き換える

六 語の社会性を考慮する

七 多義語のあいまいさを管理する

八 異なる立場を想定する

九 語の感性を研ぎ澄ませる

十 相手の気持ちに配慮する

十一 心に届く言葉を選択する

あとがき

参考文献

索引

この目次を見れば一目瞭然かと思いますが、語彙の「質」に実際の運用場面などの社会的文脈やコミュニケーションの質そのものまで含まれています。そこに著者の社会言語学者としての見識がふんだんに盛り込まれているということが理解できます。そうした言葉の社会性がコミュニケーションの際に重要なことは言うまでもありませんが、それを「語彙力」に内包させることには少々違和感があります。こうした観点は「コミュニケーション能力」の重要要素ではあっても、「語彙力」の構成要素ではないはずです。このため、第三章の内容は、阿部紘久著、『文章力を伸ばす 書くことが、これでとても楽になる81のポイント』の内容と重なる部分が多いです。つまり「語彙力」の範疇を超えてしまっているということですね。

そうした細かいツッコミは置いとくとして、本書は系統だった語彙力を高める方法論を提示しており、話題の達人倶楽部編『大人の語彙力が面白いほど身につく本 レベル1&2』のようにただやみくもに知識が羅列されているわけではないことが大きな特徴です。語彙を勉強するコツとそれを使う際の心構えを学ぶには優れた本だと思います。


書評:語彙力向上研究会著、『できる人の語彙力が身につく本』&『ビジネスですぐ使える語彙力が身につく本』

書評:話題の達人倶楽部編『大人の語彙力が面白いほど身につく本 レベル1&2』(青春出版社)

書評:阿部紘久著、『文章力を伸ばす 書くことが、これでとても楽になる81のポイント』(日本実業出版社)


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書評:阿部紘久著、『文章力を伸ばす 書くことが、これでとても楽になる81のポイント』(日本実業出版社)

2017年12月04日 | 書評ー言語

この『文章力を伸ばす 書くことが、これでとても楽になる81のポイント』(2017年6月発行)は分かりやすい実用書です。レイアウトがそれ自体で内容の構造を明確に視覚化する助けとなっており、報告書やプレゼンなどのレイアウトの模範と言えます。

まずは目次から。

はじめに

序章 書く力は、考える力そのものです

第1章 受け手発想で書く

第2章 文の基本形を確かめる

第3章 言葉を削れば、より多く伝わる

第4章 読むそばからスラスラ分かるように書く

第5章 文を分ければ、スムーズに伝わる

第6章 的確に書く

第7章 「てにをは」を使いこなす

第8章 読点は意味の切れ目に打つ

第9章 共感が得られるように書く

第10章 長文をすっきり構成する

第11章 視覚的効果と表記に気を配る

第12章 話し言葉の影響を避ける

おわりに

どの章も最初に学習ポイントが提示され、その後に悪い例とその改善案が続くように構成されています。その悪文の例を見て、私は自分の文章力に少し自信を持つことができました。「そこまでひどい文は書いてない」という安心感のようなささやかな自信ですけど。

文章を構成する原則は、「いかに自分の思考を読み手に分かりやすく表現するか」というどの言語にも基本的に共通することなので、私がこれまで意識してきたドイツ語の文章構成原則と概ね一致しています。すなわち、読み手が誰かを意識する、簡潔に書く、修飾をつけすぎない、重複表現を避ける、視覚的効果を活かすなどのポイントです。この本でこれらの点を日本語の例でおさらいできました。

日本語独特のポイントとしては、読点の打ち方や話し言葉の影響が挙げられます。

最近受けた翻訳実務検定試験の和訳の課題で、私の翻訳文をチェックしてくれた方と読点の打ち方で少々見解の違いがあり、「実際のところどうなんだろう?」と疑問に思っていたところだったので、本書の第8章はまさに「そう、それが知りたかったの!」と拍手したくなる内容でした。読点が必要なところが12項目きちんと明文化されて分かりやすく解説されています。また、中黒「・」の使い方も説明されていて、もやもやとしていた霧が晴れるような思いがしました。

話し言葉の影響に関しては、海外在住でタイムリーな日本語にあまり影響を受けない私にはさほど問題になることはないのですが、気を付けなければいけないとすれば、「逃げ腰表現」ですね。「みたい」「かな」「感じ」「とか」「たり」「結構」「的には」といった表現のことですが、はい、私的には結構こういう表現使ってたりしてるかな、とかいう感じですね(笑)

もっともこのような逃げ腰表現を書いているのは、もっぱら自分のブログやSNSでのやり取り上のことなので、人間関係を円滑にするための一手段だと思いますし、また、ブログやSNSは言葉を「書く」ところではありますが、厳密には「書き言葉空間」とは言えないので、話し言葉で書くのがむしろ適切だろうかと思います。

「」を活用するという指摘も、目から鱗が落ちるような示唆に富んだものでした。

ここ何日か語彙力関連の本を連続して読みましたが、この文章力の本が一番ためになりました。

語彙はつまるところひとつひとつ覚えるしかないという壁がありますが、文章力は原則をおさえればいいというある種のシンプルさがあるので、両者を単純に比べることはそもそもできません。けれど、それを承知の上であえて言えば、本書が先に読んだ語彙力関連の本4冊よりも読み手視点が反映されているので、教育学的観点から見て特に優れていると思います。

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書評:語彙力向上研究会著、『できる人の語彙力が身につく本』&『ビジネスですぐ使える語彙力が身につく本』

書評:話題の達人倶楽部編『大人の語彙力が面白いほど身につく本 レベル1&2』(青春出版社)

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