徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Murder on the Links(ゴルフ場殺人事件)』(HarperCollins)

2019年03月28日 | 書評ー小説:作者カ行

『The Murder on the Links(ゴルフ場殺人事件)』(1923)はポワロシリーズの第2作です。アーサー・ヘイスティングズがフランスから帰国するカレー行きの列車の中でシンデレラと名乗るアクロバット女優の少女と出会うところから始まります。帰英すると同居人の探偵エルキュール・ポワロのもとにフランスのMerlinvilleにあるお屋敷Villa Genevieve(ジュヌヴィエーヴ荘)に住む富豪Paul Renauld(ポール・ルノー)氏から助けを求める電報が届き、二人は即渡仏し、ジュヌヴィエーヴに向かいますが、時すでに遅く、ルノー氏はその日の早朝に殺害されてしまっていました。二人は警察の捜査に加わります。夫人は、二人組の暴漢が夫を拉致したと証言しますが、犯人たちは、わざわざ拉致した被害者を屋敷のすぐ隣にあるゴルフ場予定地で殺し、墓穴まで掘りながら死体を埋めずに放置するという不可解な行動をしていたことになるため、夫人の証言が真っ赤なウソだと見抜いたポアロは、同時に「彼女は、夫殺しの下手人ではない」とも結論付けます。一方のヘイスティングズは、事件の翌日、以前カレー行きの列車で同乗したシンデレラと殺人現場近で思わぬ再会を果たします。物見高い彼女に請われるまま死体の安置場所を案内しますが、後でその場に保管されていた凶器の短剣が紛失していることが発覚し、さらにその翌日、紛失したはずの短剣を胸に突き立てられた浮浪者の死体が、敷地内の物置小屋から見つかります。その死体にはルノー氏のものと思われる服が着せられており、死亡時刻はルノー氏の死よりも前、48時間以上前と推定されたため、事件は複雑な様相を呈します。

たびたびルノー氏のもとを訪ね、金銭を受け取っていたと思われるDaubreuil(ドブルーユ)夫人がルノー氏殺害の夜にジュヌヴィエーヴ荘を訪ねたかどうか使用人の意見は分かれ、ルノー氏と彼女の関係がいわゆる愛人関係なのかどうかも不明。ドブルーユ夫人の娘Marthe(マルト)は素晴らしい美貌の持ち主で、ルノー氏の息子ジャックがマルトと結婚すると父に伝えると、猛反対されて大げんかになります。ジャックは父親ドブルーユ夫人の関係については何も知らなかったようです。結局このポール・ルノーとドブルーユ夫人の過去の繋がりが事件を解くカギとなりますが、重層的な構造で複数の理論が成り立つため、紐解くのは困難を極め、決定的な証拠を欠く中で、ジャックが父殺しのかどでポワロに対抗心を燃やすジロー・パリ警察警部によって逮捕・起訴されます。この後ストーリーは2転して意外な真犯人にようやく辿り着きますが、自白して自殺とかいうのではなく新たな殺人に失敗して死んでしまうところが凄惨な感じです。

その凄惨な印象を和らげるかのように二つの恋が成就します。ヘイスティングズはシリーズ第1作で女性にプロポーズして失笑を買っており、今回も美貌のマルトを女神のように讃え、一方でシンデレラに対して鼻の下を伸ばしているという節操のなさなので、彼はずっとこのまま女性に振られ続ける三枚目の役割なのかと思っていましたが、最後にシンデレラとうまくいって、ちょっと意外でした。

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書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Endless Night(終わりなき夜に生まれつく)』(HarperCollins)

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ポワロシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Mysterious Affair at Styles』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder on the Orient Express(オリエント急行殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The ABC Murders(ABC殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder in Mesopotamia(メソポタミアの殺人)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『After the Funeral(葬儀を終えて)』(HarperCollins)

ミス・マープルシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Mirror Crack'd From Side To Side(鏡は横にひび割れて)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Sleeping Murder』(HarperCollins)



書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Mysterious Affair at Styles(スタイルズ荘の怪事件)』(HarperCollins)

2019年03月26日 | 書評ー小説:作者カ行

アガサ・クリスティーのポワロシリーズの最初の3作を合本にした電子書籍を買い、最初の1作『The Mysterious Affair at Styles(スタイルズ荘の怪事件)』(1920)を読みました。この作品はアガサ・クリスティーのデビュー作でもあります。

Hercule Poirot(エルキュール・ポワロ)の友人であるArthur Hastings(アーサー・ヘイスティングズ)が語り手で、彼が第一次世界大戦中に負傷し、イギリスに帰還した際に旧友のJohn Cavendish(ジョン・カヴェンディッシュ)の招きに応じてエセックスのスタイルズ荘に滞在することになった時に起こった事件ージョンの義母Emily Inglethorp(エミリー・インゲルソープ)の毒殺事件ーの解決に至る経緯を物語ります。富豪のエミリーは20歳年下の男性と再婚して間もなく、ある朝発作を起こして亡くなります。ストリキニーネによるものと診断されますが、ストリキニーネが夜のコーヒーに入れられたのか夜中のココアに入れられたのか、あるいは彼女が常用していた薬の中に入れられていたのか、そして、夜に飲んだものに入れられていたのであれば、通常即効性であるストリキニーネがなぜ朝になって効果を発揮したのか、それともストリキニーネを少量含有する薬の意図しない過剰摂取による事故死なのか、など疑問点が多くあり、ヘイスティングは近くに滞在していたポワロに警察沙汰にする前に助言を求めますが、検死の結果結局警察沙汰になり、まず最初に夫であるAlfred Inglethorp(アルフレッド・インゲルソープ)に遺産目当ての殺人容疑がかけられます。しかし彼のアリバイが証明されたため、容疑者候補から外されて捜査が進められます。捜査の中でジョンの部屋からストリキニーネの瓶を始めとする怪しげな物証が見つかったため、ジョンが逮捕・起訴されます。ポアロはその間必死で「ミッシングリンク」を探して真犯人逮捕に尽力します。

この作品にはアガサ・クリスティーの薬学の知識が存分に生かされているばかりでなく、複数の人の思惑や行動が錯綜したために様々な物証の解釈が複雑となっているため、真相がなかなか見えて来ない(疑わしい人が複数)ので、最後まで緊張感があってミステリーを楽しめます。裁判描写の緊迫感も魅力の一つです。また、ジョンとメアリーの冷え切った夫婦仲を改善するためにジョンの逮捕を容認したというポワロのオチもユーモラスです。

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書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』(HarperCollins)

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書評:Robert Menasse著、『Die Hauptstadt(首都)』(Suhrkamp)~2017 Deutscher Buchpreis

2019年03月18日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

ロバート・メナッセの『Die Hauptstadt(首都)』は2017年度Deutscher Buchpreis(ドイツ図書大賞)受賞作品ということでちょっと話題になっていたので結構前に買っておいたのですが、ようやく先週手を付けて日曜日に読了しました。ドイツ語の小説を読むのは実に10年以上ぶりです。

ロバート・メナッセはオーストリア人なので、この作品にはわずかながらオーストリア独特の言い回しや単語が登場します。しかし、舞台がヨーロッパの首都とも言えるブリュッセルで、登場人物たちの多くが欧州委員会の官僚だったりするので、英語、フランス語、オランダ語、フラマン語、イタリア語、ギリシャ語、スペイン語、ポーランド語、チェコ語、ハンガリー語などのフレーズが登場します。場合によってはドイツ語に翻訳されていたり、説明されていたりしますが、そういうのがない場合もあります。多言語環境でコミュニケーションが難しいということだけ分かればいい場面なので、翻訳・説明がなくても支障はないです。

さて、どういう話なのかというと、ブリュッセルのある時期を切り取ったモザイク状のエピソードの集合体とでも言いましょうか。主人公はいません。重要な登場人物は幾人かいますが、最後まで他の重要登場人物とかかわりを持たないキャラクターが半分くらいいて、残りの半分は欧州委員会の官僚たちです。

「In Brüssel laufen die Fäden zusammen – und ein Schwein durch die Straßen.(ブリュッセルでは(物事の)糸が集まる。そして一匹のブタ🐖が通りを駆け抜ける)」

という前書きで始まるこの作品は、むちゃくちゃでユーモアに富む一方、暴露本的な鋭利な風刺も豊富で、ヨーロッパの歴史、アウシュビッツとヨーロッパ統合プロジェクトの関連性、そしてヨーロッパの未来について読者にもう一度考えさせるパワーを持っています。

また、重要登場人物の一人(David de Vriend)が残り少ないアウシュビッツの生き残りの一人で、最後にたまたま老人ホームからメトロに乗って出かけ、帰りのメトロを待っているところで「Da detonierte die Bombe(そこで爆弾が爆発した)」と突然人生の終わりを迎えてしまいます。このため、欧州委員会創設(1967年ブリュッセル条約)50周年記念祭プロジェクト(Big Jubilee Project)でヨーロッパの理念の根底に「アウシュビッツを繰り返さない!」があると考え、アウシュビッツの生き証人を招こうとしていたコミュニケーション部局長Fenia XenopoulouのメンバーらがDavid de Vriendという人物を特定したものの、実際に連絡を取ることはできなくなってしまいました。

このように登場人物たちはニアミスすることはあっても本当に関連性があるかというと実はない感じです。重要登場人物たちの何人かはSainte-Catherineに突如現れ、Rue du Vieux Marché aux Grainsを突っ切り、Hotel Atlasのそばを通ってどこかへ消えて行ったブタ🐖に遭遇しています。ちょうどその時Hotel Atlasでは人が殺され、殺人者Mateusz Oswieckiの行動が描写されます。捜査に乗り出したEmile Brunfaut警部がMateusz Oswieckiを捕まえることなどなく、なぜかブタの目撃証言を集めてしまい、その後事件は外部圧力によってなかったことにされ、事件に関するデータや書類はすべて抹消されてしまいます。この🐖はのちにまたSNSやメディアで話題になりますが、結局最後まで捕獲されることなく、正体不明のまま目撃されなくなってしまいます。

この正体不明の一匹のブタとは関係はないのですが、欧州のブタ生産者と中国との取引も話題にされます。中国のブタ需要は大量で、欧州連合全体で中国と交渉すれば有利な条件が引き出せるはずだとする陣営と、欧州各国の個別の利益を優先し、中国と個別交渉を始める陣営の対立が浮き彫りにされます。そして、欧州委員会としては欧州内市場における豚の供給過剰を理由に廃業する生産者にプレミアムを支給しているという矛盾・歪みが明らかになります。これはこの作品で明かされる欧州の実態のほんの一例です。

作品の時間軸はブリュッセル条約50周年の2年前、すなわち2015年です。『Die Hauptstadt(首都)』は2015年のブリュッセルの世相断面図と言えるでしょう。そこに一匹の🐖を走らせることで全体的に滑稽な雰囲気になっています。

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ケルン・オペラ座、ドヴォルザーク作曲『ルサルカ』

2019年03月14日 | 日記

昨夜ケルンのオペラ座でドヴォルザーク(1841~1904)作曲のオペラ『ルサルカ』を見てきました。チェコ語のオペラはこれが初めてでしたが、歌詞が聞き取れないのはいつものことなので、響きが違うとかそういうことは感じませんでした。

『ルサルカ』は3幕の叙事詩的なメルヘンオペラで、ケルン・オペラ座での演出が変な社会学的な解釈とか妙な現代的新解釈などがなく、メルヘンに相応しい幻想的なもので、衣装とコレオグラフィーが素晴らしかったです。

ストーリーはアンデルセンの人魚姫と似ていて、水の精ルサルカが人間の王子様に恋をして、魔女に頼んで声を失うことを条件に人間にしてもらいます。そして二人は森の中で出会い、王子はルサルカを城に連れ帰って結婚しようとしますが、口をきかず、情熱的でもない、抱擁すると寒気すらするルサルカに不満を持ち、ちょうど訪問中の外国の王女に心変わりをしてしまいます。ルサルカの父であるウォーターゴブリンが現れ、心変わりした王子に呪いをかけます。王子はルサルカの死の抱擁を逃れることはできないと。城に居場所を亡くしたルサルカは姉妹たちのいる幸福な水の世界にも戻れずどちらでもない世界に囚われ、また魔女のイェジババに助けを求めます。魔女はルサルカが裏切り者の王子を殺せば、その血の熱でルサルカを癒すことができると助言し、ナイフを渡しますが、ルサルカはそんなことはできないとナイフを捨てます。呪いをかけられ、外国の王女にも見捨てられた王子が病気になり、ルサルカを探して森を彷徨い、ついに彼女を見つけて彼女に口づけを求めます。それが彼に死をもたらすものであっても。ルサルカは最初は拒否しますが、結局彼の頼みを聞いて彼を口づけと抱擁によって苦しみから解放し、その後一人で暗い水底へと去っていきます。

ルサルカの不幸は、愛した相手に裏切られたばかりでなく、彼に死をもたらしてしまったこと、そして自分一人で滅びることもできず、どこにも戻れない永遠の孤独を漂っていかなければならないことです。

正直、王子の身勝手さには腹が立ちましたね。なに1人で陶酔して「命がけで愛してる」みたいなたわけたことを言っているのかと。残されるルサルカのことなど1ミリも考えず、自分だけが苦しみから解放されることを求めるのですから。彼が外国の王女にうつつを抜かすことなどなければそもそもそんな苦しむこともなかったのに。身勝手な男のロマンチシズムにうんざり。

でも舞台演出と音楽・歌唱・演技は文句なしでした。

指揮はChristoph Gedshold、演出は2015年にゲッツ・フリートリヒ賞を受賞したNadja Loschkyという人。

登場人物

ルサルカ(ソプラノ) Olesya Golovneva

王子(テノール) Mirko Roschkowski

外国の王女(ソプラノ) Adriana Bastidas-Gamboa

ウォーターゴブリン(バス) Samuel Youn

魔女イェジババ(メゾソプラノ) Daila Schaechter

家畜世話人(猟師、テノール) Insik Choi

料理人(ソプラノ) Vero Miller

第1のエルフ(ソプラノ) Emily Hindrichs

第2のエルフ(ソプラノ) Regina Richter

第3のエルフ(アルト) Judith Thielsen

狩人(バリトン) Hoeup Choi

 

【ルサルカ】はスラブの水の精ですが、西ヨーロッパの魂を持たない水の元素から生じた水の精たち(ギリシャのシレーネ、フランスのメルシーヌ、ドイツのウンディーネ、ローレライなど)と違って、魂を亡くした人間の女性の成れの果て(不自然な死を迎えた女性の幽霊)で、人間の男性と結ばれることで魂を取り戻すことができるとされています。元々は誰かを愛して裏切られた、大抵は妊娠中の若い女性で、絶望から入水自殺して、そこでも溺死者として安息を得られずに彷徨うことになり、時に人に死をもたらす存在です。その意味で、人間界と自然界の境界、生と死のはざまで漂う矛盾に満ちた存在と言えます。


書評:松岡圭祐著、『グアムの探偵』1~3巻(角川文庫)

2019年03月12日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

松岡圭祐の久々の探偵ものが立て続けに発売されたので一気に3巻買って読み切りました。

このところ歴史エンタメ小説が続いていましたが、「探偵ものに戻って来たのかな、でも、なぜグアム?」というのが私に限らず多くの松岡ファンの疑問だったのではないでしょうか。

1巻の冒頭で『探偵の探偵』シリーズや『探偵の鑑定』シリーズの登場人物スマ・リサーチ代表取締役・須磨康臣が日本とグアムの探偵の関りに言及し(浮気調査対象が愛人と好んでグアムに行くので、追跡を現地探偵事務所に依頼する必要がある)、グアムで活躍する日系人探偵事務所「イーストマウンテン・リサーチ社の事件簿のいくつかを、出版という形でここに紹介できることは、私にとって誇りである。本場の探偵の活躍ぶりが広く知られ、日本の探偵業法の見直しや権限拡大につながれば、これ以上の喜びはない。」と述べていることから、グアムの探偵が日本の探偵と違って準州政府公認の私的調査官であり、れっきとした法の執行者として警察ほどではないものの、それなりの権限を持ち、刑事事件に関わることができ、その調査結果は公判に正式な証拠として採用され、また拳銃の携帯も許可されていることを短編の事件簿を通じて広く日本で知らしめることが作者の目的であるようです。

3巻まで立て続けに発行され、各巻に5編ずつ収録されています。

イーストマウンテン・リサーチ社の社長ゲンゾー・ヒガシヤマ(77)は血筋から言えば純粋な日本人で、子どものころに渡米してアメリカ国籍を取得し、フランス系アメリカ人の奥さんエヴァと結婚し、その息子デニス(49)は一時LA市警で警察官を務めたものの、諸事情によりゲンゾーの探偵事務所の副社長に収まります。日本人女性ケイコと結婚し、一人息子のレイ(25)はグアムで生まれ育ち、最初から探偵を目指して資格を取り、祖父・父の経営する探偵事務所に就職しました。この経営者一家3代が当シリーズの主人公で、これまでの若く美しく、なんらかの特殊能力を持つ女性をヒロインにしていたシリーズとは一線を画しています。そういう意味では歴史エンタメに続く作者にとっての新境地開拓の一環なのかもしれません。シリーズに重要な女性の登場人物はなく、あくまでも「男たちの事件簿」として展開します。また主人公3人が祖父・父・孫の身内であるという関係ならではの打ち解けた悪態の付き合いおよび緊急事態発生時の阿吽の呼吸が魅力的です。

さらに、ストーリーの中に北朝鮮のミサイルの標的にされたことや、グアムの1/3が米軍関連施設で占領されていることなどのタイムリーな話題やグアム独特の事情がさりげなく盛り込まれており、事件簿を楽しみながらグアムの事情通にもなれる感じです。

エピソード同士の関連性・連続性はないので、どのエピソードから読み出しても支障はないと思います。日本語を話せる人がいるのが探偵事務所の売りの一つであるため、日本人の浮気調査や日本人移住者または観光客のトラブルなどの相談・依頼が多いですが、現地の観光局やその他ローカルな依頼もあり、シリーズの定型というものがなく、一話一話に事件の意外性、ローカル事情、ぐっとくるポイントが盛り込まれていて全く退屈しません。

1巻の収録内容:

前書きにかえて

第1話 ソリッド・シチュエーション

第2話 未明のバリガダハイツ

第3話 グアムに蟬はいない

第4話 ヨハネ・パウロ二世は踊らず

第5話 アガニアショッピングセンター

解説 村上貴史

2巻の収録内容:

第1話 スキューバダイビングの幻想

第2話 ガンビーチ・ロードをたどれば

第3話 天国へ向かう船

第4話 シェラトン・ラグーナ・グアム・リゾート

第5話 センターコート@マイクロネシアモール

解説 吉野仁

第3巻の収録内容:

頼りになるグアムの探偵

第1話 ワームホールへのタンデムジャンプ

第2話 メモリアル・ホスピタルの憂鬱

第3話 ラッテストーンは回らない

第4話 スプレッド・ウインズSNS

第5話 きっかけはフィエスタ・フードコート

事件簿は血生臭くないものがほとんどですが、『万能鑑定士Q』シリーズのように徹底的に「人が死なないミステリー」ではないらしく、2巻第4話の『シェラトン・ラグーナ・グアム・リゾート』と3巻第5話『きっかけはフィエスタ・フードコート』は殺人事件を扱っています。『シェラトン~』の方は最初に殺人が起こり、犯人も明確なのですが、犯人が自分の地位と顧問弁護士を利用して不起訴どころか逮捕すらされない状況を作り出し、ヒガシヤマ一家が庶民の味方としてその状況を以下に覆すかに焦点が当てられています。推理の対象が犯人探しではなく、逮捕されない決め手となったものであるところが新鮮と言えます。『きっかけは~』の方は世間知らずの若い日本人女性・渡邊梨奈が白タクのカモにされ、レイが匿名の電話を受けて現場に駆け付けるところからはじまり、殺人が明らかになるのは中盤以降です。このため、やはり典型的な殺人推理小説の定型からは外れていますが、ストーリーの構造自体にはそれほど新鮮味があるわけでもありません。しかし、犯人がいかに罪を他人になすりつけようとしたか、そのトリックが面白いと思いました。世間知らずで騙されやすい渡邊梨奈が事件に巻き込まれているうちにレイの進言通りにブラフを使えるまでに成長するところも見逃せないポイントです。彼女はその後イーストマウンテン・リサーチ社にひと月だけ手伝いに来ます。なので、シリーズの続編には彼女がまた登場することになるのかもしれません。

全体的当シリーズでは、「筆がのってる」印象を受けました。シリーズ完結までにレイ、25歳、恋人なし、が恋人を見つけられるのかもちょっとした注目ポイントですね(笑)

 

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2019年03月10日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『トカトントン』(『群像』1947.1)は日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の9番目に収録されている往復書簡体形式を採った短編です。この小説は、太宰の愛読者である保知勇二郎という青年からの手紙の中に出てくる金槌の音がヒントとなって書かれたそうです。正体不明な「トカトントン」という音に取り憑かれた「私」の告白が中心的内容ですが、単に一復員青年の虚無的な心理模様が緻密に描かれているばかりでなく、玉音放送、復員、新円への切り替え、民主主義の提唱、総選挙、共産党の合法化、労働者のデモ、文化国家の建設といった当時の世相もふんだんに盛り込まれています。これらすべてに心を動かされ「これだ」と思った途端に例のまた「トカトントン」という音が聞こえてきて一気に気分が萎える、と青年は訴えます。結末の「某作家」による返信に新約聖書の「マタイ福音書」からの引用があることからも分かるように、「トカトントン」もまた、「駆込み訴へ」(『中央公論』一九四〇・二)などの太宰作品同様、聖書と切っても切れない関係を持っています。

ただ、引用されているマタイによる福音書第10章28「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得るものをおそれよ。」は誰の訳なんでしょうかね?「ゲヘナ」=地獄という解釈を知っていたとしてもなんとも分かりにくい訳だと思うのですが。日本聖書協会の1954年改訳版では「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」と随分と平易で論理的つながりも訳出されて格段に分かりやすくなっています。

なにはともあれ、「このイエスの言葉に霹靂を感ずることができたら、君の幻聴は止むはずです。」という助言でこの作品は締めくくられていますが、これは青年の虚無感が「いかなる弁明も成立しない醜態」を避け、勇気を出さないことによるものと分析した上で、体しか殺せないものを恐れずに勇気を出せばその虚無感がなくなるものと考えているみたいですね。でも、これって、魂の不滅を信じていなければ何の意味も持たない助言ですよね(笑)

『ヴィヨンの妻』(『展望』1947.3)は、放蕩無類の生活を送ったとされる15世紀のフランスの詩人フランソワ・ヴィヨンのイメージと重なる昭和初期の大酒飲みの詩人・大谷の生活を、なんでも軽くさばいていく傷つくことのないように見受けられる内縁の妻の視点から語ります。夫が泥酔して帰宅するところから始まり、彼が店のお金を取ったので料理屋・椿屋の夫婦が彼を追いかけてきます。大谷は少々の言い争いの後、また家を出て行ってしまいますが、夫婦は大谷の妻に引き留められて事情説明をします。彼女は自分が何とかするから警察沙汰にするのはもう一日待ってもらうように椿屋の夫婦に頼み、何の計画もないまま翌日椿屋に向かい、お金を返す人が来るからそれまでの人質として自分が店で働くと嘘をつきますが、幸運にも大谷がひょっこり店に現れて盗んだ金を返します。その後彼女は椿屋で働いて大谷の残りの借金を返すと言って本格的にそこで働き始め、時々来る大谷と一緒に帰宅することに幸せを感じる、というようなお話です。

この、太宰治の分身のような詩人は、やはり酒を楽しくて飲んでいるのではなく、死にたいのに死ねずにいる不遇を嘆き、恐怖と戦い続け、それを紛らわすために酒を飲んでいる鬱病の人のようです。彼は言います。「女には、幸福も不幸もないものです。」「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです。」と。女性の私からすれば、これほどムカつく決めつけはありませんね。

実際、妻の視点で書かれているはずの作品には彼女の心情についての細やかな描写が一切ありません。小さな、どうやら知的障害があるらしい子どもを抱え、3・4晩帰ってこないことが当たり前、帰って来ても泥酔している夫。時々出版社の誰かが持ってきてくれるお金でどうにか飢え死にせずに暮らしているうら若い女性が、籍もいれていない内縁の妻という立場や現在・未来の生活についてなんら心配らしいことをしていないというのはまるで説得力に欠けますし、知的障害のあるわが子(太宰治自身の一人息子もダウン症で知的障害があったのがモデルとなっているらしい)を「阿呆のようだ」と思うだけで何の心配もせずにただ受け止めていることも不自然に感じますし、椿屋のお客の一人が送り狼に変貌してレイプされても平然といつも通りに店に出る(「うわべは」と断ってはありますが)というのも女性としてはやはり違和感があります。そして彼女をして最後に「人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ。」と言わしめるところが詩人の放蕩生活(ひいては作者自身の乱れた生活)を肯定するためのご都合主義的人物配置としか思えず腹が立ちます。いかに彼が女性の内面に興味がなく、見ていなかったかがうかがわれるようです。結局作者は自分の存在のことしか興味なかったのでは?

 

この作品集の最後を飾る『桜桃』(1948)は作者の死の直前に書いた短編で、何とも身勝手な言い訳私小説のようです。「子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ」と冒頭と最後に言い訳がましく掲げられており、父=夫=私と主語を変えながら子供3人いる家庭とその日の珍しい夫婦喧嘩を描いています。長女7歳、長男4歳(唖、知的障害児)、次女1歳の面倒を、妹の看病に行こうとしていた妻に押し付け、仕事だと言って家を出て酒を飲みに行き、行った先で出てきた桜桃を見て、これを子供にやったら喜ぶだろう、と思いながら1人まずそうにそれを食し、つぶやく言葉は「子供より親が大事」( ゚Д゚)

作者の実生活の家族構成がそのまま作品に現れているので、どこまでが真実でどこから脚色なのかは不明ですが、「生きるということは、たいへんなことだ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。」とか「もう、仕事どころではない。自殺のことばかり考えている。」というのは作者自身の本音だったのではないでしょうか。ちゃんとした遺書もあったそうですけど。この奥さんに3人の子どもを任せ、さらに婚外子1人残し、別の愛人と玉川上水で入水自殺を図る無責任さ。女の敵ですね、この男は。

『桜桃』に対する私の正直な感想は、「だめだ、こいつ」でした。せめてもの慰めに、タイトルの桜桃の花の写真を上に入れてみました。

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2019年03月10日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『走れメロス』(1940)は、中学だか高校だかの国語教科書に掲載されていたような気がします。日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の8番目に収録されています。あまりにも有名な短編小説ですが、まともに読んだことはなかったように思います。

「古伝説と、シルレルの詩から」と作品の最後に書かれていることから、この作品が太宰治のオリジナルの創作でないことは明らかです。その文学的系譜を見る前に作品自体の感想を言いますと、文体は軽やかでリズム感があり、ひたすら突っ走るメロスの動きを描写するところは言葉そのものに躍動感すら感じられるようです。

しかし、内容的にはツッコミどころ満載です。一般に『走れメロス』は信頼に基づく固い友情の物語とされていますが、そもそもなぜメロスが友人セリヌンティウスを死刑から解放するために走る羽目になったかと言えば、メロス自身が、人間不信のために多くの人を処刑している暴君ディオニス王(=ディオニュソス2世)を無謀にも亡き者にしようとし、何の計画もなく王城に向かって取っ捕まったことに端を発し、すぐに処刑されるところを「あ、いや、妹を結婚させなければならないので、三日待ってくれ」と猶予を願い、自分が戻ってくるまでの人質として友人セリヌンティウスを差し出したからです。つまり単純な自己陶酔的ヒロイズムによって無謀な行動に出ただけでなく、その尻拭いに大切な友人を本人に断りなく勝手に人質に指定したと言えます。そうして王城に連れてこられたセリヌンティウスはメロスのために人質になることに同意しますが、「なんて馬鹿なことをしでかしたんだ」くらいメロスを責めてもよさそうなのに、それすらしないのはよっぽどのお人好しなのか何なのか、美談にしてもできすぎていて、読んでいて恥ずかしくなってしまうほどです。

このように勝手な都合で友人を巻き込んで命の危険に晒してしまったのですから、それで約束を違えて友人を見殺しにするなどもっての外です。巻き込んだ責任を取るために死ぬ気で爆走するのは当然のことで、自業自得、身から出た錆でしょう。それでメロスがギリギリで戻ってきて、二人の友情を確かめ合うように抱き合い、その姿に感動したディオニス王が改心してめでたしめでたし、と終わるところがなんともご都合主義的で、思わず眉をひそめてしまいます。曲がりなりにも権力者が一介の牧人が約束を違えずに戻って来たからと言って、そう簡単に自分の非を認め、改心などするものでしょうか?しかも「暴君」で通っている人間ですよ?実は素直な善人だったというわけですか?びっくりですよ。

まあでも、これは太宰治の創作ではなく、元のモチーフがそうなってたので仕方がないとも言えます。

古伝説「ダモンとフィンティアス」

元となっている「古伝説」とは、古代ギリシャの伝承「ダモン(Damon)とフィンティアス(Phintias)」のことで、ウイキペディア(ドイツ語版)によると、紀元前6世紀のピタゴラス派教団員間の団結の固さ、無条件の信頼を示す逸話として発生したものです。この伝承には2つのバージョンがあり、1つはダモンとフィンティアスと同時代の哲学者アリストクセノス(Aristoxenos, Ἀριστόξενος)によるもので、もう1つは紀元前1世紀の史料編纂官ディオドーロス(Diodoros, Διόδωρος)によるものです。

アリストクセノスのバージョンでは、ディオニュソス王が固い友情を自慢するピタゴラス派教団員を試すために、フィンティアスを王城に呼び出し、陰謀に加担したと非難し、死刑を宣告します。フィンティアスは刑を受け入れますが、その前に私的な用事を済ませたいと猶予を願い出ます。ディオニュソスはそれを、彼の友人であるダモンを人質として差し出し、同日の日没までに戻らなければ代わりに死刑になることを条件に許可します。宮廷人たちはフィンティアスが戻ってくるはずがないと友情を信じるダモンを嘲笑しましたが、フィンティアスはきちんと戻ってきたため、ディオニュソス王は感銘を受け、その友情の仲間に入れて欲しいと頼みますが、二人はそれを拒絶します。

ディオドーロスのバージョンでは、アリストクセノスのバージョンとは違って、フィンティアスが実際にディオニュソス王暗殺を企んでいたことになっています。その後の経緯はほぼ同じですが、フィンティアスの帰還が本当にギリギリ、ダモンの処刑の寸前となっている所と、仲間に入れて欲しいとディオニュソス王に頼まれた後の二人の反応がないところが違っています。

どちらのバージョンが歴史的に正しいのか議論がありますが、アリストクセノスは、政権転覆後コリントに亡命してきたディオニュソス王本人に聞いたと言っているので、ディオニュソス王自身の役割が軽く扱われている可能性があるのに対して、ディオドーロスは時代が違うとはいえ、ディオニュソス王が支配したシシリアの出身のため、現地の詳細な言い伝えを反映している可能性があるとのことです。

この題材をローマ共和国で最初に取り上げたのはキケロで、次にヴァレリウス・マクシムス(Valerius Maximus、紀元後1世紀)、ヒュギニウス・ミュトグラフス(Hyginius Mythographus、紀元後2世紀)がこれを文学的に装飾しました。

シラーの『保証』

「シルレル」ことフリートリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)はヒュギニウス・ミュトグラフスの『説話集(Genealogiae)』をベースとして1798年に『保証(Die Bürgschaft)』という物語詩(バラード)を書きました。そこでは名前が変えられて、メロス(Möros)とセリヌンティウス(Selinuntius)となっています。メロスのシラクスへの帰還を悪天候や洪水、盗賊の襲撃などで無意味に困難にさせることで友愛と忠誠の絶対的理想(absolutes Ideal freundschaftlicher Liebe und Treue)を際立たせています。その粗筋はそのまま『走れメロス』に反映されています。つまり、わざとらしくツッコミどころ満載の物語にしたのはシラーだったわけですね。

ちなみに、文春文庫に掲載されている「シルレルの詩」の注釈「シルレルの一七九五年作の物語詩「保証」のことである」とありますが、1798年が正しい作成年です。

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2019年03月09日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の6・7番目に収録されている短編。

『葉桜と魔笛』(1939)は妻美知子の母から聞いた話がヒントになって書かれた作品。「桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。-と、その老婦人は物語る。-今から三十五年前、…」で始まる老婦人の物語は、まだ20歳で、父も妹も存命でしたが、妹は腎臓結核を患い、すでに手遅れの状態だったため、妹を元気づけようとした姉の優しさ、それをすべてわかって受け取る妹の優しさが溢れる物悲しい中にも心温まるお話です。

「老婦人」とありますが、20歳が35年前なら、現在の年齢は55歳で、現代的感覚ではとても「老婦人」とは言えない年齢ですよね。そのことに改めて驚きを感じましたが、お話自体は美しい姉妹愛の物語として気持ちよく読めます。

「軍艦マアチの口笛」というのが軍事国家の世相を反映している唯一の要素です。


『駈込み訴え』(1940)は、ユダがイエス・キリストを売る際の口上です。ユダの視点からイエス・キルストに対してどのような感情を持っていたのかが切々と語られます。イエスに対する純粋な愛情と憧れる一方、彼のためにしてきたことが彼に認められずむしろ蔑まれていることに憎しみを覚え、彼の他の弟子たちや娼婦に対する優しさに嫉妬を覚え、イエスは酷い、嫌な、悪い人であると訴えずにはいられない、愛憎入り混じる混乱が浮き彫りになっています。商人ゆえに、金銭ゆえに「優美なあの人(イエス・キリスト)」からいつも軽蔑されてきたと言い、最後には自分は商人で何が悪いと開き直って密告の報奨銀三十を半ばやけくそで受け取る様子は気の毒なくらいです。報われない思いゆえの復讐。

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書評:太宰治著、『富嶽百景』(文春文庫)

2019年03月09日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『富嶽百景』は、日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の5番目に収録されている作品で、作者が昭和14年、甲州御坂峠に上り、井伏鱒二の厚意で甲府の石原美知子と見合いをする前後のことを書いた手記・エッセイです。

描かれた富士山の頂角について、広重の富士は85度、文晁の富士も84度などという富士山に関するほとんどどうでもいいことの考察から始まるこの手記の文体は平易で、『人間失格』のような魂の叫びのようなわーわーした感じがない、とても静かで、ささやかなユーモアと落ち着いた将来に対する希望すら漂っています。

「風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文通りの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」とか、

「どうにも俗だねえ。お富士さん、という感じじゃないか。」「見ているほうで、かえって、てれるね。」など昔から絵のモチーフとして描かれてきた富士山のある景色を見て好き勝手な感想を漏らしているところに可笑しみがあります。

富士山見て照れる、恥ずかしくなる感覚は、初めてあるいはごくたまに盛装・正装してばっちり決まった自分を姿見で見る感覚に通じるものがあるのかもしれません。決まり過ぎてて恥ずかしい、みたいな。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

昭和14年(1939年)と言えば支那事変が始まってから2年、太平洋戦争開始前2年。世の中は不穏に軍国主義に染まっていく真っ最中だったはずですが、この作品からはそのような不穏さなど一切感じられず、静謐で俗世の動きなど超越してしまっているかのようです。

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書評:太宰治著、『ダス・ゲマイネ』&『満願』(文春文庫)

2019年03月08日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の3番目に収録されている作品が『ダス・ゲマイネ』という短編です。『ダス・ゲマイネ』はドイツ語のDas Gemeine(通俗性または卑俗性)と作者の出身地青森県の方言「ダスケ(だから)マイネ(だめだ)」をかけた題名で、作者がパビナール中毒に苦しんでいた時期に書かれた作品の一つ。本人にとっては自信作だったらしいのですが、作者の分身同士が作中で会話をしているような奇妙な印象を受けました。臼井吉見の作品解説では【私小説】と【客観小説】の混乱形式とか、【自己喪失者の自己表現】などと書かれてますが、私には「超自己の視点の多い私小説」のように思えます。

友人たちから「佐野次郎左衛門」または「佐野次郎(さの・じろ)」というあだ名で呼ばれる25歳の大学生が「私」という語り手で、初恋を経験したと話す場面から始まります。上野公園内の甘酒屋で知り合った個性的な東京音楽学校の学生・馬場数馬(ばば・かずま)や、馬場の親類で画家の佐竹六郎(さたけ・ろくろう)、そして新人作家の太宰治(だざい・おさむ)の4人と共に『海賊』といった雑誌を作ろうとするも、馬場数馬と太宰治の仲違いから白紙に戻り、最終的に主人公の佐野次郎が電車に轢かれて死亡してしまうという内容です。この4人のうち佐竹六郎を除く3人は明らかに作者の分身と言えます。語学、特にフランス語が得意な主人公は仏文学を修めた作者が投影されていますし、娼婦に恋をしたり、酒を飲んで乱れた生活を送っているところなども作者と共通しています。馬場数馬は地主か何かの金持ちの息子で気前が良く、生活感に欠けているところが、東北の地主の息子という作者の生い立ちと共通しています。太宰治は名前からして作者そのものですね。そして、馬場数馬はこの太宰治を「嫌な奴だ」と最初から思っていて、「あいつの素顔は、目も口も眉毛もないのっぺらぼうさ。眉毛を描いて眼鼻をくっつけ、そうして知らんふりしていやがる。しかも君、それをあいつは芸にしている。」と罵りますが、この描写は『人間失格』における「私」の手記作者・大庭葉蔵の写真に対する印象に通じるものがあり、太宰治=大庭葉蔵=空っぽ(のっぺらぼう)の素顔を隠し、仮面をかぶって人付き合いする男、という図式が成り立ちそうです。馬場数馬はそのような作者の自己をある程度客観視する超自己の視点ようなものでしょう。

「頭がわるいから駄目なんだ。だらしないから駄目なんだ。」と叫びながら走って自爆するように事故死する佐野次郎の自己嫌悪も作者自身の自己像そのままなのではないでしょうか。

語り手の主人公が事故死してしまうので、エピローグは馬場数馬と佐竹六郎の対話と佐野次郎に惚れていたらしい甘酒屋のお菊に対する慰めの言葉などが述べられ、「人は誰でもみんな死ぬさ。」という佐竹の一言で締めくくられています。馬場数馬が「あいつ、うまく災難にかかりやがった」と死んだ佐野次郎を羨ましがる風なのが印象的です。自殺願望というか、「生きたくない」願望を持っているあたり、やはり作者の自己が入り込んでいるようです。フィクションですが、作者の内面がだだ洩れしているようで、「名作」というより「迷作」何じゃないかと思います。

 

『満願』は同文庫の4番目に収録されているショートショートで、小説家の「私」が伊豆の三島の知り合いのうちの二階で一夏滞在していた頃の体験を描いたもので、町医者と仲良くなって、そこに新聞を読みに通うようになると、「奥さま、もう少しのご辛抱ですよ」と叱咤されている女性が目につき、ある日その辛抱が終わり、美しくさっそうと歩いているその女性の姿を見て感動した、というだけの内容です。4年経って、その女性の姿がさらに美しく心に残っているために、そのことを日記のように書き留めたみたいな感じです。太宰治にしては比較的明るく日常的な情景の作品と言えるのではないでしょうか。少なくとも死や絶望の影がありません。

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