徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ヒトラー著『我が闘争』、ドイツで著作権切れ

2015年12月30日 | 歴史・文化

アドルフ・ヒトラーが1924-26年に書いたプロパガンダ本『我が闘争』はナチス時代に数百万部発行され、どの新郎新婦にも結婚式で『我が闘争』が贈られたものでした。これにより、ナチス思想が拡散されると同時にヒトラーも億万長者になりました。
来年1月には『我が闘争』の解説付きの学術版がミュンヘンの現代史研究所から発行されることになっています。今年末の著作権切れを目途に三年前から学術版プロジェクトがスタートしていました。本は27章、1950ページ。第1刷は4000部で59ユーロだそうです。

ヒトラーは自分の遺産相続人としてNSDAP(ナチス党)を指定し、党が解散している場合には国がそれを継ぐ、としていました。ヒトラーの住民票は最後までミュンヘンにあったため、彼の遺産はバイエルン州が相続しました。その中にはもちろん『我が闘争』の著作権も含まれています。バイエルン州政府の政策は明瞭で、これまで『我が闘争』の復刻を許してきませんでした。
この著作権はヒトラー死後70年、即ち2015年12月31日を以て失効します。その為、新たに復刻版を発行するか否かで物議を醸しだしています。バイエルン州としては復刻版の発行により、数百万人の命を奪うことになった世界観が再び広められることを何としても阻止するつもりです。しかしながら、絶版以前の古本はこれまでずっと普通の古本同様売買可能でありましたし、電子書籍もドイツ国内で出回っています。ドイツ国外でも言わずもがなです。
州法務省は刑法130条第2項、「ある特定グループに対する扇動を内容とする書物の拡散する者は3年までの禁固刑あるいは罰金刑を科される」、に基づき、復刻版を出版しようとする者を罰せられると見ています。
これに対し、パッサウ大学の政治学教授バルバラ・ツェーンプフェニヒは、『我が闘争』を禁止するのは大袈裟であり、不必要だ、70年間の民主主義を経て、ドイツ国民もこの本と理性的に向き合えると信じてもいいはずだ、と批判しています。

参照記事:ZDFホイテ、2015.12.29付けの記事「ヒトラーの『我が闘争』は今なお議論を呼ぶ」及び「アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』、新たに出版」

ドイツ人はしょうもない論争をする、と時々呆れます。議論があるのは民主主義の証拠なのかもしれませんが、ことナチスに関しては相当神経質です。
この記事とは別に、とある右翼団体の代表がインタビューで、今時の右翼は『我が闘争』にせいぜいシンボリックな意味しか見出していないし、大抵は本棚のどこかに飾ってあるだけ、と言っていました。
そもそも『我が闘争』は「読めない」という定評があります。私も日本語で挑戦したことがありますが、退屈なうえに論旨が一向に見えない悪文が多く、読破できるものではなかったと記憶しています。解説付きの学術版ならともかく、オリジナルの復刻をわざわざ買って読もうとする人はあまりいないと思われ、出版する経済的旨味がないかと予想されるので、わざわざ禁止にすることもないのではないでしょうか。

 

追記:「わが闘争」の学術版についてはこちらもご覧ください。

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書評:孫崎享著、『日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』(祥伝社)

2015年12月28日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

孫崎享の「日米開戦の正体」(510p)、実に示唆に富んだ本です。

日米開戦の発端は既に日露戦争後、ポーツマス条約により日本が得たとされた「権益」とは何かという解釈の違いにあった、ということが様々な証言をもとに示され、私にとってはまさに『目から鱗』でした。
ポーツマス条約を言葉通りに取れば、日本がロシアから得たのは南満州鉄道の経営権のみ。満州は清国が主権を有するということが明記されています。これを陸軍の一部が満州で特殊な利権を得たと(わざと?)勘違いし、その利権を守るために満州支配を画策します。条約を文言通りにとって、国際協調を唱えていた伊藤博文は暗殺されてしまいます。実行犯は朝鮮人の安重根でしたが、陸軍関係者がそそのかした疑いあり。

本来権利のないところで軍隊が駐屯し、現地支配をすれば、当然国際的に非難を浴びます。満州支配は特に英米との関係を悪化させます。中国で台頭していた民族主義・反帝国主義も日本にはマイナスに働きます。こうしたことを予見していて、満州支配や中国への戦線拡大に反対を唱えていた要人たちが次々に暗殺(2.26事件はその一端)、左遷などで葬られていき、中国や米国への理解の足らない陸軍が政局を支配していったため、政治家も外務省も引いては昭和天皇まで、明確な反発を避け、日米開戦への道にずるずると引きずり込まれていったことが克明に描かれています。
陸軍側の読みは実にご都合主義で、アメリカが適当なところで妥協して、停戦の運びになるものと考えていたというから呆れるばかりです。当時の日米の国力(生産力)の差は10対1。まともに戦える筈などなかったのに、一度得たと思われた満州利権を守るため、またそのために既になされた多大なる犠牲を無駄にしないために日米開戦に突っ走り、さらなる犠牲をもたらしてしまった、とのことですが、これは株で大損して、それを更なる投資で補填しようと深みに嵌るあほなケースとそっくりですね。
勝つ見込みがないことは真珠湾攻撃作戦の中心を担っていた山本五十六連合艦隊司令長官もはなから分かっていたようです。彼は「それは是非やれといわれれば、はじめ半年や一年の間はずいぶんあばれてごらんに入れる。しかしながら年三年となれば全く確信はもてぬ」と1940年9月に近衛首相に対して発言しています。

また陸軍軍人でありながら石原莞爾は日米の国力差が分かっていました:「負けますな。(略)アメリカは一万円の現金を以て一万円の買い物をするわけですが、日本は百円しかないのに一万円の買い物をしようとするんですから。」(孫崎享著『日米開戦の正体』、p49)
彼は東条英機と対立して敗れ、閑職に追いやられてしまいました。

「政党の有力者または有能な官僚の一部は、あるいは故意に、あるいは心ならず、軍部に協力を示し、よって権勢の地位につくことに心がけた」と第47代首相で元外交官の芦田均が振り返ってますが(孫崎享著『日米開戦の正体』、p459)、この状況、現在も同じですよね。
マスメディアもまさに「軍部に協力を示し、よって権勢の地位につくことに心がけた」という態度そのもので、読売新聞戦争責証委員会『検証 戦争責任』が、「関東軍が、満州国に国民の支持を得ようと、新聞を徹底的に利用したのも確かだ。しかし、軍の力がそれほど強くなかった満州事変の時点で、メディアが結束して批判していれば、その後の暴走を押しとどめる可能性はあった」と指摘しています。この反省が現在に活かされているようには思えません。
そういう意味で、(安倍独裁政権の)今、真珠湾攻撃というアチソン国務長官(当時)をして「これ以上の愚策は想像もできなかった」(孫崎享著『日米開戦の正体』、p58)と言わしめた愚行を振り返る意味は大きいと思います。
集団的自衛権、原発再稼働、TPPなど、指導者が嘘や詭弁で誤魔化し、マスコミは検証もせずにその嘘や詭弁を拡散し、国民がそれを無批判に鵜呑みにし、一定の方向へ誘導される図式は真珠湾攻撃へ至る道と驚くほど似ています。

昭和天皇の立場も興味深いです。1945年9月27日、天皇が初めてマッカーサー元帥と会見したとき、「もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民は私を精神病院か何かにいれて、戦争が終わるまで、そこに押しこめておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛していなかったならば、彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう」と語った(ジョン・ガンサー著『マッカーサーの謎』、孫崎享著『日米開戦の正体』、p488に引用)、とあります。私見ではここで言う「国民」は陸軍強硬派と置き換えるべきでしょう。マスメディアに踊らされただけの大衆が天皇の斬首を求めるとは思えません。
昭和天皇は初めのうち日米開戦に難色を示していました。その態度を貫かなかったのは恐らく軍部からの圧力があり、保身のために妥協せざるを得なかったのでしょう。国家元首として褒められた態度ではありませんし、国や国民のことよりも保身の方に重きを置いた彼自身の責任は問われるべきだと私は思います。たとえそれで幽閉か暗殺の憂き目にあった上に結局戦争は避けられなかったのだったとしても、すくなくとも一般大衆の戦争に対する見方は違ったのではないでしょうか。なぜならそれは軍部の暴走であり、その統帥権を持つはずの天皇の「お墨付き」がなかったことになるのですから。そして若い兵士たちが「天皇陛下のために死ね」と教え諭され、またその通りにその命を散らしていくこともなかったでしょう。その意味で、不本意とは言え「お墨付き」を与えてしまった昭和天皇の責任は重大です
それはともかくとして、興味深いというのは天皇個人が何を考えているかは右翼団体にとって重要ではないという点です。彼らの掲げているのは「利用する天皇制」で、「ゾルレン(あるべき)姿の天皇を守るためにはザイン(ある)天皇を殺してもいいという暴論まではいた人もいました」と右翼団体「一水会」最高顧問の鈴木邦夫氏が指摘しています。(孫崎享著『日米開戦の正体』、p486)
余談ですが、ゾルレンはドイツ語のSollen(正しい発音はゾレン)という助動詞で、「ーすべきだ」といういみです。ザインはSeinというドイツ語動詞で、英語のBeに相当します。
この考え方は現在にも受け継がれているといえるでしょう。現天皇陛下は度々平和憲法を支持し、安倍政権の暴走を暗に批判していますが、それに対して右翼団体からは「天皇は在日」批判まで上がっています。彼らの理念としての天皇は平和主義者であってはならないのでしょう。実に身勝手なものです。


書評:孫崎享著、『戦後史の正体 「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解く』(創元社)

書評:孫崎享著、『日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』(祥伝社)

書評:孫崎享著、『小説外務省 尖閣問題の正体』(現代書館)

書評:孫崎享著、『小説外務省2 陰謀渦巻く中東』(現代書館)

書評:孫崎享著、『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

書評:孫崎享著、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館)


ベルギー・デゥール原発、またしても事故

2015年12月25日 | 社会
ベルギー・アントワープ近郊にあるデゥール原発3号炉(Doel3)は、12月21日(月)に21か月ぶりに再稼働されたばかりですが、25日に非核区域のジェネレータに水漏れが見つかり、修繕のために緊急停止しました。電力網から外されただけで、完全停止の必要はなかったとのことです。(ターゲスシャウ、2015.12.25付けの記事参照)

デゥール3号炉は、ティアンジュ原発2号炉同様、2012年8月に原子炉圧力容器に細かい亀裂が見つかったため、集中点検のために停止していました。
超音波検査で発見された数千もの亀裂は安全性に影響はないとして、2013年6月初めに再稼働されたものの、2014年3月に再び両原子炉は停止勧告を受けました。実験用原子炉モルでの原子炉マテリアルテストで、物理的抵抗力に関して予想外の結果が出たためでした。
それでもベルギー原子力監督庁は2015年11月、16万筆以上の反対署名にもかかわらず、両原子炉の再稼働を認可しました。
ドイツ政府も再稼働に批判的でした。今回の故障を受け、ベルギー政府に対して抗議する姿勢を強めていくようです。

デゥール原発2号炉も12月24日に再稼働したばかりです。次の緊急停止までに何日持つでしょうか?

デゥール原発とは
デゥール原発は、アントワープから北へ15㎞くらいのところにあり、ヨーロッパにある原発の中でももっとも人口密度の高い地域に立地しており、半径75㎞圏に約900万人が住んでいます。
原子炉は4基あり、1号炉(392MW)・2号炉(433MW)はウェスティングハウス社製、3号炉(1006MW)・4号炉(1008MW)はフラマトム社製です。営業開始年は1号炉・2号炉が1975年、3号炉が1982年、4号炉が1985年で、どれも老朽化が進んでいます。それでも2014年12月、ミシェル政権は、本来なら2015年に当初の稼働計画期間を終えるはずだった1・2号炉の稼働期間を10年延長することにしました。理由は冬場の電力不足です。

デゥール原発はベルギーのもう一つの原発ティアンジュほど事故や故障に見舞われてはいませんが、2011年3月18日に4号炉の給水ポンプの損傷が見つかり、INES(国際原子力事象評価尺度)レベル2と評価されました。代用ポンプがあったために大事には至りませんでした。
また2014年8月には、4号炉のタービンがオイル喪失によって著しく損害されました。大幅な修理の後、2014年12月には再稼働となりました。

ティアンジュ原発については、よろしければ拙ブログ記事「ベルギー・ティアンジュ原発の暗黒史」を参照してください。

Heiligabend (クリスマスイヴ)

2015年12月24日 | 歴史・文化

今日はクリスマスイヴです。ドイツ語ではHeiligabend(ハイリッヒ・アーベント、聖夜)と言います。
私が初めてドイツに来た年、クリスマスには衝撃を受けたものでした。なぜなら、クリスマスイヴの14時からお店が全て閉まり、バスや電車まで午後の早い時間に終わってしまったからです。長距離電車はその限りではありませんが、とにかく、その寸前までのクリスマス買い物客の賑わいというものがあっという間に静寂に変わってしまったのでした。私はその当時ボン郊外の学生寮に住んでいて、街中からバスで20分弱乗らなければいけなかったのですが、買い物した後にちょっとぼーっとしていたら、帰宅する手段がタクシーしかなくなっていたという悲惨な目に合ったわけです。
ドイツは12月25,26日が祭日です。それぞれ、Der erste Weihnachtstag(デァ・エァステ・ヴァイナハツターク、第一クリスマス休日)、Der zweite Weihnachtstag(デァ・ツヴァイテ・ヴァイナハツターク、第二クリスマス休日)といいます。開いているお店は通常ありません。つまり、24日の14時までにクリスマス休日分の食糧を買い込んでおかないといけないわけです。今年はクリスマス休日明けの27日が日曜なので、1日分余計に食糧備蓄が必要です。慣れればどうということはありませんが、日本の年中無休24時間営業のコンビニがあることに慣れている人には非常に不便な生活と言えるでしょう。それでも閉店法緩和のおかげで土曜日でもスーパーが22時まで開いている所が増え、昔よりは融通が利くようになりました。

さてドイツのクリスマスですが、ドイツ人はクリスマスを家族とともにどちらかと言うと静かに過ごします。Besinnlich(ベジンリッヒ、瞑想的な)というのがクリスマスの過ごし方のキーワードです。敬虔なクリスチャンであれば、24日のKindermetteというミサに参加し、その後先祖の墓参りをします。お墓に小さなクリスマスツリーを飾り、ろうそくを供えます。ろうそくだけ供える場合も多いです。
家庭によって過ごし方は様々ですが、夕方クリスマスソング(Weihnachtslieder、ヴァイナハツリーダー)を歌ったり、クリスマスの物語などを語ったあとに、子どもにとって一番楽しみなクリスマスプレゼントが渡されます。プレゼントは前以てクリスマスツリーの下に宛名付きで置かれており、歌を歌って人心地着いたら「プレゼントがありますよ」と宣言され、各自クリスマスツリーのところに行って自分宛てのプレゼントがあるかどうか確認します。プレゼントはその場で開けるのが原則です。プレゼントの後歓談し、ディナーとなります。
クリスマスディナーに七面鳥、というのはドイツでは一般的ではありません。どちらかと言うとガチョウがポピュラーです。
私の夫の実家ではクリスマスイヴはエスカルゴとフォンデューと決まっていました。義父がフランス生まれだった為、かなりフランス風な家庭でした。
しかし本来は12月24日はまだ断食日になっていたため、肉食は厳禁で、魚料理(クリスマスの鯉料理などが知られています)が中心でした。25日のクリスマスミサの後で漸く肉が解禁となり、ソーセージやポテトサラダなどが食卓に上ったそうですが、今日ではクリスマスとキリスト教の乖離が激しく、そのような食事の規定はよほど敬虔なクリスチャン家庭でない限り残っていません。大抵の「今時普通の」クリスチャンはミサにも行かず、クリスマスっぽい音楽を聴き、プレゼント交換をし、普段より豪華な食事をします。
25・26日は親戚同士やご近所・友人同士が訪問し合い、クッキーやシュトレンなどクリスマスに典型的なスイーツを分け合ったり、またはディナーを共にします。日本でいうところの正月三が日のようなものです。年に一度とはいえ、この親戚一同とのおつきあいを煩わしく思う人が少なくないのはドイツも同じです。
シュトレン(チェリー入り)

クリスマスの起源は、ご存知の方も多いでしょうが、キリスト教とは本来一切関係ありません。イエス・キリストの誕生日でもありません。もともとはローマ帝国において冬至を迎え、春の到来を祝うお祭りだったと言います。イエス・キリストは秋に生まれたらしいのですが、その復活の神秘に重ねて、冬至祭りの日である12月25日がその誕生日に相応しいと考えられたようです。文献で12月25日に祝うクリスマスの初出は紀元後325年です。古い信仰が新しい宗教に内包されつつ生き延びていく良い例と言えます。人々の信仰はそう簡単に180度転換できるものではないということなのでしょう。

皆様、素敵なクリスマスをお過ごしくださいませ。

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書評:福島菊次郎著、『ヒロシマの嘘(写らなかった戦後)』

2015年12月17日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

引き続き読書感想文です。今回の対象は小説ではなく、ドキュメンタリー。
福島菊次郎氏が今年9月24日に亡くなられ、それを機に彼の著書がネットで少し話題になっていたので興味を惹かれ読んでみた次第です。
写らなかった戦後シリーズ第1弾の『ヒロシマの嘘』は2003年刊行です。福島氏が反体制写真家として活躍されていた期間は、私が生まれる前あるいは若過ぎて彼のテーマに興味を持たなかった時代(1960-80年代)のことで、また90年初頭からドイツ在住のため、彼のことを知ったのはお恥ずかしながら、彼の訃報が初めてでした。

さて、本の内容ですが、目次は以下の通りです。
1.ピカドン、ある被曝家庭の崩壊二〇年の記録
2.原爆に奪われた青春
3.四人の小頭症と被爆二世・昭男ちゃんの死
4.被爆二世たちの戦い
5.広島取材四〇年
6.広島西部第一〇部隊、僕の二等兵物語
7.僕と天皇裕仁
8.原爆と原発
9.カメラは歴史の証言者になれるか

「写らなかった」と題されているだけあって、福島氏の写真は表紙の一枚を除き一切掲載されていません。彼が世に出した写真たちの裏側の物語、世に出せなかった写真たちの話、あるいは「写せなかった」情景や人物たちの物語やその時の福島氏の心情が細やかに描写されています。
例えば第1章の崩壊した被曝家庭中村家のエピソードですが、被写体となっている被爆者家族の苦しみがあまりにも悲惨過ぎて撮影するのに躊躇してしまったカメラマンの著者の葛藤も描写されていて、読むのも辛いです。そしてここでも全然助けにならないどころか犠牲者家族を更に追い詰めていく生活保護制度とそうした行政に迎合し、被爆者たちを蔑視する民生委員たちの感受性の欠落が生活保護台帳の引用によって明らかにされています。漁村に住み、もともと漁師として生計を立てていた家庭の食卓に魚があることをまるで悪いことのように記録報告する民生委員の越権行為。家出した長男の収入分を生活保護から差し引き、返還要求をしたり、飼い犬は生活保護受給者に相応しくないと処分を「指導」するなど(表紙の写真はその処分の決まった犬と最後の時を過ごす中村さん)、原爆症で苦しみ、行商で家計を支えていた奥さんに先立たれ、6人の幼子を抱えた被曝貧困家庭に対してなんと冷酷な処遇でしょうか。
第2章では3人の被曝女性たちに触れています。お1人はブラジルに移住し、婚約するも、原爆症を発症し、治療のために帰国し、結局婚約解消してお亡くなりになった女性。もう一人は、顔に目立つケロイドがあり、「私には強姦してくれる男もいないの」と嘆く女性。もう一人は原爆孤児として施設で育ち、結婚せずに「広島妻」として不倫の恋に生きた女性。三者三様の人生ですが、三人の中ではケロイドもなく原爆症も発症しなかった「広島妻」の女性が一番幸運だったと言えるでしょう。
第3章・第4章で描かれている被爆二世たちもそうですが、本人の与り知らぬことで苦しんでいる人たちに対して、そうでない「普通の人」たちの差別はすさまじく、日本人のムラ社会的差別意識に嫌悪感を抱かざるを得ません。
第5章で言及されている、現在は広島平和公園の緑地となっている基町の原爆スラムに対する行政差別、朝鮮人被爆者を無視し続ける行政など、南アフリカのアパルトヘイトを想起するような行政の在り方は噴飯ものです。被爆者たちを調べるだけ調べて、治療しない米軍機関ABCCとそれに迎合する属国日本の役人たち。福島氏はこのような広島の闇をつまびらかにしつつ、「平和都市ヒロシマ」がいかに虚構であるかを証明しています。

第6章・7章は福島氏の軍国青年だった時代、軍隊での体験、終戦、天皇行幸の体験と天皇制に対する考え方が記されています。軍隊での体験談はともかく、あからさまな天皇制批判を含む、読む人が読めば「不敬罪!非国民!」と騒ぎだしそうな内容がよく日本で出版できたものだと少し感心しています。
『初めて見た現実の天皇は、まさに地に落ちた偶像で、目を覆いたくなるほどみすぼらしかった。一瞬ギョッとして、「こんな男のために死のうとしていたのか」と、子どものころからの夢を破られて愕然とし、こんな男が何百万もの国民を殺したのかと、殺す者と、殺される者の不条理に思わず激しい怒りが込み上げた。』(295ページ)
こうした失望や怒りは福島氏のように軍国主義教育を受けて育ち、実際に軍隊に入って、自殺部隊に投げ込まれて死の恐怖を味わいながら終戦を迎え、そして天皇の行幸を体験した人でなければ持ちえないものでしょう。私には想像もできません。
彼は一部の人たちに聖書のようにあがめられている日本国憲法にも疑問をぶつけています。まず憲法の序文に「朕は日本国民の総意に基づいて、日本国建設の礎が、定まるに至ったことを深く喜び云々」とあることに対して。「国民の総意」とは何なのか。天皇制の継続に反対した多くの戦争犠牲者たちの声は丸無視されています。
そして主権在民の憲法の冒頭を戦争責任のある天皇条項(第一-八条)が占める矛盾も指摘しています。憲法第九条が早くから自衛隊の設立によって形骸化しているのは言うまでもありません。

第8章の原爆と原発の闇も示唆に富んでいます。特に2011年3月に起きてしまった福島原発事故とそれに対する国の対応を鑑みると、福島菊次郎氏の指摘がいかに正しかったか理解できます。
『二名の死者を出したJCO事故で周辺住民が放射能障害を訴えているのに、国と会社が放置しているドキュメントを二〇〇二年九月六日のNHKで放映していたが、原発事故が起きたら国民は確実に同じ運命に晒されることになろう。同日の全国紙は、日本被団協が原爆症認定の二度目の集団申請をしたと報じた。四〇万被爆者のうち原爆症と認定されたものはわずか〇.八%である。半世紀前の悲劇をいまだに放置している国が、原発事故が起きた時被爆者を放置するのは確実である。覚悟しておくべきであろう。』(366ページ)。

国は「放射能の影響、考えられない」キャンペーンを目下実施中です。広島・長崎の被爆者に対するABCCさながらスクリーニングはするが根本的な解決となるはずの汚染地からの避難を住民に許さない姿勢です。これでさぞかし被曝障害に関する貴重かつ膨大なデータが集まることでしょう。ABCCで集積された情報はアメリカに独占されて、日本は被爆国でありながら被曝障害の研究に後れを取ってしまいましたが、今度はスリーマイルでもなく、チェルノブイリでもなく、日本国内の日本企業が運営する原発で起きた事故なので、情報独占も隠蔽も日本政府のやりたい放題にできます。折よく秘密保護法も施行されたことですし、フクシマをはじめとする汚染地域の住民たちはお気の毒ですが、広島・長崎の被爆者たち同様国によって救済されることなく、野ざらしにされ、その上更なる被曝を余儀なくされ、膨大な人体実験のモルモットにされるのでしょう。

同時に現在、安倍政権で愛国主義の復活が進められています。「非国民」呼ばわりもネットには溢れています。
『家庭も学校も社会も環境も崩壊してしまったこの国の何を愛せと言うのか。政治が正道を歩み、国民を守っていれば国民は誰に命令されなくてもこの国を愛し、この国を守るだろう。』(309ページ)という指摘の正しさをかみしめるばかりです。


書評:又吉直樹著、『火花』~第153回芥川賞受賞作

2015年12月12日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

昨日に引き続き、今日も読書感想文です。
今日の対象は又吉直樹著の『火花』という第153回(2015年上半期)芥川賞受賞作。私が読んだのは電子書籍版で230ぺージですが、紙書籍ではたった148ページの短編。

「BOOK」データベースの商品解説では
【お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。】
とあります。又吉直樹氏のデビュー作だとか。

売れない芸人たちの理想と現実の悲哀が淡々と描写されており、特に意外な展開もなく、徐々に壊れていく感じはなんとなくロシア文学を彷彿させ、神谷の「奇想の天才」という凡人の理解の及ばない、不器用かつある種の純粋さを持つ人物像は不思議と10代の頃に読んだドストエフスキーの『白痴』の主人公を思い出させました。ストーリーも題材も違うのに。それだけ、『火花』が純文学の系譜を継承しているということでしょうか。
『火花』は短編だけあって、主人公たちの「末路」までは描いていません。「この人たちはこれからどうなっていくのだろう」あるいは「どうしていくのだろう」と読者に想像させる余韻を持たせて小説が終わっています。その余韻もまた味わい深いものです。
ストーリーだけを見ると、スリル満点とかハラハラドキドキの対極にあり、「面白い」とはいいがたいです。お笑い芸人同士の対話も笑えるものはごくわずかで、どこか滑稽な悲壮感が漂っている印象があり、そこが売れない芸人の悲哀を醸し出しているのかも知れません。
通常スポットライトの当たらない舞台裏あるいはプライベートのお笑い芸人に焦点を当てて、淡々とその人物像を描き出しているのは、自分が普段興味を持つようなところではないだけに「興味深い」と思えるわけです。

私の読書傾向は節操なし。何かの賞の受賞作品を読んでみたり、ドラマで話題になったものの原作や単に人から勧められたものを読んでみたり。そして一度ある作家が気に入ると、その作家の作品を全作網羅したり。
今回『火花』を手にしたのはそれが芥川賞受賞作品だからという理由でした。
いつもニュースや最新情報を負うのではなく、たまには誰かが現実や時代の潮流を一度消化して違う形で表現したものを味わう、というのも乙なものです。

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書評:ピエール・ルメートル著、『その女アレックス』(文春文庫)

2015年12月11日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

このところあまりブログ更新してなかった理由は「読書にふけっていたから」、という実に単純なものですが、この本、ビエール・ルメートルの『その女アレックス』は今朝読み終えました(夜更かしした上に、出勤時間を遅くして)。
私は普段犯罪ものも翻訳ものも読むほうではないのですが、これは面白かったです。さすが 英国推理作家協会(CWA)賞インターナショナル・ダガー賞受賞作品と言うべきでしょうか。



ストーリーは3部に分かれていて、アレックスの誘拐・監禁を扱った第1部(アレックスの様子と誘拐事件を捜査する刑事ヴェルーヴェン)、独自脱出後のアレックスの行動と誘拐事件から一転「正体不明の女(=アレックス)」を追うことになったヴェルーヴェン警部を描写する第2部、そしてその裏にある事実や一連のアレックスの行動の動機を解明していく第3部という構成ですが、第3部の3分の一くらいまで読者(少なくとも私)は?????でいっぱいのまま。一度読み出したら、いっぱいの???が解き明かされないままにはしておけないストーリー展開。ミステリー・サスペンスファンには堪らない話なのではないかと思います。いろんな賞を受賞しているだけはあります。

そして日本語訳も完成度が高いですね。ウン十年前の新潮文庫辺りのフランス文学とか哲学とかの翻訳本なんて読みづらくてどうしようもなかったという印象が残ってますが、『その女アレックス』は日本語作品としてもレベルが高いと思います。ダジャレ的なものは説明的になってしまっているので、ちょっと残念な感じですが、ほんの2・3か所のことですので、「何が何でも原文を」と思ってしまうことはありません。もっとも私の初級レベルのフランス語能力で読みこなせるようなものではないという悲しい現実もありますが。

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