徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ブダペスト~ヨーロッパの真珠

2015年09月30日 | 旅行

少し時間が経ってしまいましたが、ブダペスト(現地の発音はブダペシュト)の印象を忘れないうちに記しておきたいと思います。
ブダペストへは女同士で週末を利用して7月31日から8月3日まで行ってきました。
今回の小旅行は初日に写真撮影に気を取られている間に財布を取られて、散々でしたが、幸い現金の持ち合わせがさほどなく(120ユーロ位)、もともと連れが現地での費用を持つということだったので(私はホテル・飛行機代を負担)、旅行自体は問題なく続行することができました。更に幸いだったのは50ユーロをフォリントに両替した後、フォリントは別のお財布に入れていたこと、パスポート及びブダペストカードやホテルの部屋のキーもバッグの別のポケットに入れてあったことでした。身分証明書や免許証は財布と一緒に紛失しましたが、パスポートがあったため、取りあえず自分の身分を証明することができて、警察でも帰りの飛行機でも事なきを得ました。
この初日のトラブルのせいで、ただでさえ短い旅行の貴重な半日を潰してしまったので、まだ見たりないという思いでいっぱいです。そもそも見るものが多すぎて、3-4日ではとても消化しきれない感じで、じっくり堪能したいなら1週間は欲しいところです。そういうわけでブダペストは再チャレンジすることに決定しました。

  
セチェンニ橋周辺。この橋のブダ側にある環状交差点あたりでお財布が取られたと思われる。

ブダペシュトの街の印象は素晴らしく、夜景は今まで見た中では一番きれいでした。さすが「ヨーロッパの真珠」とうたわれるだけのことはあります。ドナウ川を挟んで、一方は宮殿やマチアス教会をはじめとする教会を擁する城壁に囲まれた高台のブダと平地のペシュトの市街地という地形は、少しドイツのハイデルベルクに印象が似ています。このハイデルベルクも美しいと評判ですが、格と規模が全然比較になりません。やはり、オーストリア・ハンガリー帝国に君臨したハプスブルク家の財産を投入して、権力誇示のために作られた街と、たかが神聖ローマ帝国の一選帝侯の領土では比べること自体おこがましい、という感じですね。日本のレインボーブリッジとお台場に至っては「ごみ」です。

ブダ側のマティアス教会 マティアス教会に隣接する漁師の陵堡 漁師の陵堡から見下ろしたドナウ川と国会議事堂

ペシュト側でガイド付きの観光ウォーキングをしました。英語の分かる方はこちらのビデオをご覧になってください。Szabadság Térという公園前での説明です。その公園から歩いて5-6分くらいのところにハンガリーの国会議事堂があります。ヨーロッパで2番目に大きいと言われるもので、イギリスのバッキンガム宮殿を手本にしたという話ですが、ガイドさんの話によると、ハンガリーの国会議事堂の方が美しい、そうです 
 ハンガリー国会議事堂。

夜景の素晴らしさを堪能するにはナイトクルーズ、特にディナークルージングがお勧めです。混んでいてなかなか乗船できない場合もありますので、前もってネットかツーリストインフォでチケットを買っておいた方がいいでしょう。新婚旅行とかできたらロマンチックだろうなあ、と思いつつ女二人でナイトクルーズした光景をご覧ください。

   
  

ペシュト中心から英雄広場までの大通りは「東のシャンゼリゼ」と言われるそうですが、はっきり言ってパリのシャンゼリゼよりも綺麗です。道幅はシャンゼリゼほどありませんが、ごみが落ちていない、排泄物のにおいがどこにもしない、という衛生面で優れているばかりでなく、並木と格式高いブティックやレストランの絶妙なハーモニーで、全体的の上品です。またそのすぐ下を走るヨーロッパ最古の地下鉄は古いだけにあまり地下深くなく、駅構内も小さくて一車両分しかないので、地下鉄もいまだに一両編成、という愛嬌があります。無理に拡張工事をして現代化を図ろうとしないところがいいな、と思いました。


「東のシャンゼリゼ」

 
地下鉄M1のBajczy-Zs駅                    1車両のみの車内

 
英雄広場

ハプスブルク家支配以前のハンガリーはトルコ支配下にあり、様々な温泉施設にその名残を残しています。さすがにそのずっと以前のローマ帝国時代のお風呂は残っていないようですが、ローマ人たちもブダペストの天然の温泉を堪能した、という話です。私達が行ったのは英雄広場からも近いセチェンニ浴場です。セチェンニ浴場は20世紀初頭に建てられたヨーロッパ最大のスパ施設で、豪華なロココ調の建物はさながらお城のようです。

        

ハンガリー人は自称フン族の子孫ということですが、中央アジアの騎馬・遊牧民族の特徴をまだ外見的に持っているのかと言うと、そうでもないです。全体的に小柄で、肌は明るい色ですが、白人ほど血管が透けるような白さではなく、髪や眼の色も暗い色の方が若干多い感じがしますが、金髪碧眼の人ももちろんいます。
3日やそこらでハンガリーの人たちを深く知ることは勿論できませんが、接することのできたハンガリー人たちは概ね親切で愛想がよかったです。でも、イタリア人やトルコ人のような馴れ馴れしさというか押しつけがましさはなく、つつましやかな印象を受けました。でも、うちには強い民族意識と反骨精神を秘めているのかも知れません。社会主義政権下でも他の社会主義圏の国々とは違った独特のものがあったようで、俗に「グーラシュ社会主義」と揶揄されていたとか。
ブダペストは第2次世界大戦の際に町の約80%が破壊されたそうですが、社会主義政権下で大した経済力もなかったはずなのに、重要文化財のほとんどを戦後に再建したそうで、そこにしたたかな文化的エネルギーを感じます。東西ドイツ統一までろくに歴史的遺産の再建復興をせずに、ブロックのような団地や新たな社会主義的モニュメントを立てていた東ドイツとは実に対照的です。

ブダの丘の上にそびえる王宮は1905年の形態を復元したものです(写真)。戦略的な立地からすでに1400年にはゴシック様式の城砦がその場所に立っていました。現在みられるような広大壮麗な王宮はマリア・テレジアによる拡張工事によるものです。

        

王宮近くに小さなお土産屋さんの並ぶ市場がありました。日曜でも観光客向けに開いてました。唐辛子が鈴なりに展示されているのにはちょっと衝撃!

  

ブダペシュト最後の晩に行ったレストランは"Matyas Pince" というエリザベート橋の近くのレストランで、ジプシーオーケストラの生演奏が聞けるところです。演奏は地下で行われますので、席に案内される際には演奏が聴きたい旨を伝えておくとよいでしょう。多少観光客向けになり過ぎて、地元の良さというのが出ていないのかも知れませんが、料理はハンガリーの物価にしては高くても美味しかったですし、ジプシーオーケストラの演奏もなかなか良かったです。リーダーのヴィルモス・ラカトス氏はRajkoという音楽学校を卒業し、そこで教師を務めたり、パリやフランクフルトのオーケストラで演奏していたこともある人で、ジプシー音楽独特の「泣くような」バイオリンの演奏が素晴らしい。リクエストにもこたえてくれます。

レストランの地下 ヴィルモス・ラカトス氏  前菜セット グーラッシュ・スープ

音は悪いですが、生演奏の様子はこちら

本当に女同士で行くにはもったいないくらいロマンチックな気分を味わえる街です。建物の建築様式が19世紀末から20世紀初頭のものが多いため、同じハプスブルク帝国の支配下にあったプラハと印象が被る感じがしますが、個人的にはプラハやウィーンよりもブダペシュトの方が美しいと感じました。

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フランス・フェッセンアイム原発がヤバい!

2015年09月29日 | 社会


ドイツ国境近くにあるフランスのフェッセンアイム原発は、オランド仏大統領が2012年9月に宣言した通りであれば、2016年末に稼働停止、閉鎖されるはずでした。ところが先日、9月8日にセゴレーヌ・ロワヤル仏環境相が稼働停止は延期され2018年になると発表しました。(注1)理由はフラマンヴィーユ原発完成の遅延とか。しかし、これまでフェッセンアイム原発停止とフラマンヴィーユ原発完成が連動する話にはなっていませんでした。この二つを連動させるととんでもないことになります。なぜなら、フラマンヴィーユに建設中の原発は欧州加圧水型炉と呼ばれる代物で、同様のものが、フィンランドでも建設中ですが、設計上の問題があるため、どちらも建設工事が大幅に遅れ、コストも膨大になっています。両者が果たして本当に完成するのかすら危ぶまれているくらいです。ですから、新原発の完成と老朽化の激しいフェッセンアイム原発停止を連動させるということは、危なっかしい原発がいつまでも稼働し続けることになり、周辺住民を危険にさらし続けることになります。
フェッセンアイム原発がいかに危険か以下にご紹介します。

フェッセンアイム原発とは

フェッセンアイム原子力発電所(フランス語:Centrale nucléaire de Fessenheim)は、フランス共和国オー=ラン県フェッセンアイムに所在する原子力発電所。施設はアルザス大運河(fr:Grand canal d'Alsace)の西岸にあり、ドイツ国境から約1㎞のところに位置しています。国境を接しているのはドイツ、バーデン・ヴュルッテンベルク州です。
計画段階では加圧水型原子炉や天然ウラン黒鉛炉などが候補に挙がっており、1967年には2つの原子炉に建設認可書も出されようとしていたのですが、1969年、EdF(フランス電力公社)がその計画を取り消し、加圧水型軽水炉を建設することに決定しました。その際、ウェスティングハウスのモデルが採用されました。1970年に建設が開始され、総工費は約10億ユーロでした。
この原発用地には当初原子炉4基の建設が計画されていましたが、第3、第4ブロックの建設は1991年になって、最終的に破棄されました。
1977年にフェッセンアイム原発はそれぞれ880メガワットの平均出力を持つ軽水炉2基で商業運転を開始しました。現在稼働中のフランスの原発の中で最古の原発です。事業者発表では毎年約4億ユーロの純利益を上げているとのこと。

フェッセンアイム原発の問題点

まずは通常運転で許容されている放射性ガスの排出量です。フランス電力公社によると、トリチウムの上限は1480テラベクレル(1TBqは1兆ベクレル)、ヨードその他は111ギガベクレル(1GBqは10億ベクレル)空気中に排出されてよいことになっています。また排水には74テラベクレルまでのトリチウム及び926ギガベクレルまでのヨードなどがアルザス大運河に流出してもいいことになっています。2009年には24テラベクレルのトリチウムがライン川に排出されたとのこと。これが本当に許容されていい値なのかもちろん議論の余地が大いにあります。

次に温排水によるライン川への負担です。フェッセンアイム原発には冷却塔が設置されていないため、施設内で排水の再冷却をすることができず、温水(約30度)のまま放出されることになります。

フェッセンアイム原発はまたアルザス大運河の水位よりも低いところに位置しているため、大雨でダムが決壊して洪水になった場合は、施設が簡単に浸水することになります。

また耐震性の問題もあります。オー=ラン県の大部分は第3種の地震活動帯に分類され、特に県南部域は第4種の最も危険な地域に分類されています。事業者発表ではフェッセンアイム原発施設はマグニチュード6.7までの耐震性を想定しているとのこと。これは中世最大の地震と言われる1356年に起きたバーゼル地震がマグニチュード6.7だったと推測されていることに基づいています。
2011年3月11日に地元の情報・監視委員会はマグニチュード7.2の地震発生時にプラントの安全性について、また「冷却システムの冗長性」についての専門家による鑑定を依頼しました。2011年7月4日付の意見書で原子力安全局は福島第一原子力発電所事故の結果を受けて、第三者検討会を通して安全性の見直しを進めた上で、危険性はないと判断し、発電所閉鎖の妥当性は無いとして、10年間の運転継続を認めました。その判断が妥当かどうか明らかになる日が来ないことを祈るしかありません。

プラントの土台は通常4.3mの厚みがあるのに対して、フェッセンアイム原発の土台は1.5mの厚みしかありません。仏原子力安全局はこの土台の強化を求めましたが、それは技術的に難しく費用がかさむため、事業者側は部分的な土台の強化といわゆる「コアキャッチャー」を設置することでお茶を濁しました。(注2)

さらに問題なのは使用済み核燃料棒冷却保存プールです。グリーンピースの報告書(注2)によれば、保存プールは原子炉建屋外にあり、保護カバーがないとのことです。従って例えば飛行機の墜落やテロ攻撃に対する防御措置が不十分なのです。
不十分なのは原子炉格納容器も同様で、通常は2重の壁であるところを1重の壁にしかなっていないので、事故の際の耐性に疑問があり、余分な放射能漏洩に繋がる可能性もあります。
また、ティアンジュ原発同様圧力容器にひび・亀裂がフェッセンアイム1号炉に見つかっています。「安全」って何でしょう?

事故歴

2004年
1月24日、弁から誤って放射性物質が排出され下請け業者7人が被曝し、国際原子力事象評価尺度レベル1に分類される事故。

2005年
9月29日、1号炉で電源障害により燃料を撤去する際、配電盤が容器内のホウ素濃度測定の結果異常を検出し、使用済燃料プールの冷却ポンプが蓄電池放電が原因で停止。この事故は国際原子力事象評価尺度レベル1に分類。

2009年
2009年12月27日、2号炉が植物の残骸が冷却給水システムに見つかったため一時停止。仏原子力安全局はこの事件を国際原子力事象評価尺度でレベル1と評価。メンテナンスのために同年12月26日に一時停止していた原子炉は27日6時に再稼働する筈でしたが、冷却水取水ポンプを起動する際に植物の残骸が入ってしまったとのこと。

2010年
8月24日、50立方メートルの放射性ガスが放出。仏原子力安全局の8月30日の発表では、ガスの放射性崩壊は漏えいの際に計測されなかったという。この事件は国際原子力事象評価尺度でレベル0と評価。
10月20日、換気扇のスイッチを入れた際にショートを起こし、1号炉は念のため一時停止。

2011年
4月3日、1号炉で操作ミスによる自動停止。事業者による検査の後、翌日には再稼働。仏原子力安全局はこの事故を国際原子力事象評価尺度でレベル1と評価。
4月25日、事業者発表によれば、2号炉の機械室でオルタネーターの冷却部分に火災が発生。

2012年
5月8日、2号機に問題発生。停電をシミュレーションするため、通常電力網から切り離してテスト中に自動緊急停止。
9月5日、過酸化水素蒸気が放出され、数人が負傷。

2014年
4月9日、貯水槽への取水ミスでプラントのいくつかの部分が水浸しに。その際1号炉の緊急停止やその他の安全システムの稼働に必要な防護装置の1系統が浸水で故障。予備系統は故障なし。プラントは修理のため即座にシャットダウン。
国際原子力事象評価尺度でレベル1の事故。

2015年
2月28日、機械室で配水管の亀裂から100立方メートル以上の水が漏えい。電気系統が浸水のため緊急停止。亀裂の原因が不明のまま3月5日には再稼働。事故は国際原子力事象評価尺度レベル0。

どれも大事には至らなかったとはいえ、かなり危なっかしい自転車操業であるような印象を受けざるを得ません。正直、即時廃炉にしてほしいです。そのための署名活動が実施中です。
署名サイトはこちら

・・・・・・・・・・・
注1:ソースはシュピーゲル誌、2015年9月8日の記事です。原文はこちら
注2:グリーンピースの報告書より

ベルギー・ティアンジュ原発の暗黒史

2015年09月28日 | 社会
9月19日に「18日の夜11時30分、ティアンジュ原発で技術トラブルが発生した」とエレクトラベル社が発表しました。これにより9月7日に運転再開されたばかりのティアンジュ原発1号機が再度停止しました。

ティアンジュ原発は加圧水型軽水炉3基からなる老朽化の激しい原発で、既に10年以上前からトラブルの連続に見舞われているにもかかわらずいまだに稼働し続けているとんでもない原発です。
ティアンジュ1号機は1975年、2号機は1982年、3号機は1985年に運転開始しました。3基合計容量は約1000メガワットになります。
EUの原発ストレステストでティアンジュ原発は洪水防御措置にかけているため、特に悪い成績を収めました。しかし、ベルギー政府は2012年7月、ティアンジュ1号機を本来計画されていた2025年までの稼働期間を更に10年延長することを決定しました。電力不足を避けるため、というのが理由です。

以下にドイツ放送局WDRでまとめられたティアンジュ原発のトラブルの歴史を紹介します。元記事はこちら


2015年8月13日、 ティアンジュ3号機故障のため一時停止
メンテナンス準備の際に3号機は自動的に停止。原発事業者エレクトラベルのスポークスマンは、従業員や環境への危険はどの時点でも生じていなかった、と発表。

2015年8月8日、従業員4名罷免。
ティアンジュ原発の従業員らは何度も安全規則を無視。安全監視局は「いい加減な仕事」と非難し、従業員4名を罷免し、従業員全員にスクーリングのやり直しを指示。当局は通信社ベルガによると初めてティアンジュ原発閉鎖をにおわせた。過去6週間の間だけで6件の違反があり、その一部はエレクトラベル社自身が申告していた。

2014年11月30日、ティアンジュ原発3号機で爆発。
3号機は午前10半ごろ、爆発の後に自動的に運転停止。変圧器の一つから火災が発生していた。エレクトラベル社の発表では3号機の原子力領域外での火災で、消化は速やかになされ、あらゆる安全措置が取られたという。2014年12月2日には再稼働した。

2012年、ティアンジュ2号機にひび発見。
原子炉は1年間運転停止。2013年に再稼働したが、安全性の欠陥のため何度も停止した。2号機の圧力容器外壁には9cmにも及ぶひびが2000か所見つかった。調査の結果、稼働中の際の放射線が初力容器のスティールを脆くさせたということが分かった。

2020年10月4日、酸を含む排水がマース川へ流出。
18時過ぎにおよそ600ℓの酸を含む水が排水溝からマース川へ流出した。エレクトラベル社の発表では、放射性物質は流出しておらず、酸は川の中ですぐに中和されるとのことだった。

2002年、一次冷却系で圧力低下。
2002年にはそれまでで最も危険な事故がティアンジュ原発で起こった。圧力調整弁が間違えて開けられてしまったため、一次冷却系で圧力低下が起こり、冷却水の蒸発に繋がった。幸い安全システムが反応し、格溶融は回避することができた。この事故は国際原子力事象評価尺度でレベル2の事故と評価された。因みに1986年のチェルノブイリ原発及び2011年の福島原発事故は国際原子力事象評価尺度でレベル7の「深刻な事故」と評価された。

以上WDRより引用

ティアンジュ原発で最も懸念されているのは2号機の圧力容器外壁に見つかった無数のひびです。これらのひびがいずれ圧力容器の崩壊を招き、格溶融に繋がるリスクがある、と環境保護団体や反原発団体が原子炉の即時停止を求めていますが、事業者側はその危険はないとはねつけ、現在に至っています。

ドイツの難民受け入れ

2015年09月28日 | 社会

歴史的背景、法的根拠

ドイツが今難民を受け入れるのは、ナチス時代のユダヤ人迫害の反省からだ、とよくドイツ国外では報道されているようです。しかし、ドイツ各地で8月末から難民の世話のために活躍しているボランティアの方たちがそういうことを思っているわけではありません。むしろ、単純に「人助けしたい」「役に立ちたい」というごく普通の人間的な動機から動いていると言えるでしょう。
それでも、「ナチス時代の反省から」というのに根拠がないわけではありません。難民の受け入れはドイツの憲法である基本法第16a条「政治的に迫害されている者は亡命権を享受する」に基づいています。この条文こそが、ナチス時代のユダヤ人迫害の反省からできたもので、日本国憲法の第9条の非戦の誓いに相当すると言えます。この亡命権は、成立当初は第16条「市民権剥奪、外国への引き渡し」の第2項に含まれており、政治的迫害の被害者は国籍を問わず、ドイツに庇護権を請求できるよう定められていました。しかし、その無制限さが批判の対象となり、1993年に激しい議論の末、亡命権の部分を第16条から独立させ、第16a条として、いくつかの制限を付ける改定がされました。その制限とは以下の通りです。

1)欧州連合加盟国あるいはそのほかの安全な第3国を通って入国した外国人は亡命権を引き合いに出すことはできない(基本法第16a条第2項)
2)特定の出身国(いわゆる安全な出身国)の場合は、そこでは政治的迫害が行われていないと推測することが許される。亡命申請者がその推測を覆すことができる場合は、その限りではない。(第16a条第4項)
3)他国が欧州管轄協定の枠内において、亡命申請者の庇護に関して所轄権限がある場合はドイツにおける亡命権が制限または適用外とされ、亡命申請者はその申請の審査なしに当該国へ送還される。

広義の意味で「亡命権」は難民の地位に関する条約(いわゆるジュネーヴ条約)に基づく難民認定にも適用されます。

この条文の重要さはメルケル独首相の2015年9月11日のライニッシェ・ポスト紙のインタビューでの発言「政治的迫害を受けたもののための亡命の基本権は上限を知らない。それは内戦の地獄からわが国へ来た難民にも言えることです」(注1)にも表れていますし、先日9月27日のマインツで開催された異文化交流週間オープニングセレモニーでのガウク独大統領の演説の中で「ナチス時代からの教訓としてドイツの「政治DNA」に既に織り込まれている亡命権は我が国において、特別な意味がある一方、私たちの受け入れ許容量には、たとえその境界線がどこにあるのかまだ協議されてないにしても限りがある。」と明言されてもいます。(注2)

ドイツにこうした基本法条項があることは、ドイツが経済大国であることと共に難民たちをひきつける要因の一つになっていると言えます。
それに加えて、2015年8月25日、連邦移住難民庁は、シリア難民に関してはダブリン協定に基づく難民手続きから除外すると宣言しました。ダブリン条約に基づく難民手続きとは、難民が最初に難民登録をしたEU国で難民申請をしなければならない決まりです。これにより、ドイツへ入国した難民がドイツで難民申請できず、登録国へ戻されていましたが、この連邦移住難民庁の指針変更により、シリア人難民は登録国がどこであろうともドイツに留まることができるようになりました。この指針変更は、もともとはギリシャなどのキャパシティー超過の悲惨な状況に考慮したものでしたが、それでも周辺国に混乱を招くことになりました。なぜなら、難民たちが最初に入国した国に留まろうとせず、余計にドイツを目指そうとしたからです。「ドイツはダブリン協定を破棄した」という誤解も広がっていきました。そしてドイツへ向かおうとする難民たちとダブリン協定を守ろうとするハンガリー警察の間で衝突が起こり、ブダペスト東駅は難民に対して封鎖され、そこから電車でウィーンに向かおうとする難民たちを足止めしました。彼らはハンガリーでの登録及び難民申請を拒否していたため、駅周辺で野宿を続け、混乱を極めました。この状況を緩和させるためにメルケル独首相は8月31日、ドイツ国民にフレキシブルな対応を求め、ハンガリーから難民たちを引き取ることを決定しました。この件に関して事前の協議などはありませんでした。いわば彼女の独断です。この決定により9月5日以降毎日数千人単位で難民がドイツに入ってくるようになったのです。もちろん彼らの一部はドイツも通過してスウェーデンやイギリスに向かいましたが、大部分はドイツに留まり、難民申請手続きを開始することになります。

ドイツ人の難民に対する反応

既にニュースで世界中に報道されましたが、ハンガリーからオーストリアへ運ばれた難民たちは、そこで温かく迎えられ、食料や飲み物などを受け取って、更に特別電車でウィーンからミュンヘンへ搬送されました。9月5日のミュンヘン駅の様子はたとえばBBCニュースのビデオで見ることができます。ミュンヘン駅にはボランティアたち以外にもたくさんの市民が押し寄せ、難民たちを拍手で迎えました。子供にはチョコレートやぬいぐるみがプレゼントされ、実に微笑ましい光景でした。同じ光景が難民の到着したドイツ各地で繰り返されました。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、東ベルリン市民が恐る恐る西ベルリンへ向かった時、西ベルリンの市民たちが同じように拍手で歓迎した光景を思い出した方も多かったことでしょう。ドイツのWillkommenskultur「歓迎する文化」だとあちこちで語られました。

シリア難民の子どもがパッサウの連邦警察で待っている間に書いた絵。絵は連邦警察官に手渡された。

それでももちろんドイツ人もドイツ政府も一枚岩ではありません。メルケル独首相が「亡命の基本権に上限はない」と発言したのに対して、姉妹政党CSU(キリスト教社会主義連盟)党首かつバイエルン州首相であるホルスト・ゼーホーファーは即座に現実問題として受け入れ容量に限界があることやダブリン協定に基づく秩序が必要と批判しました。先に引用したガウク独大統領の言葉もゼーホーファーの言を受けるもので、メルケルへの批判と取れます。また難民の大量受け入れが始まって間もなく行われた世論調査でも、けして歓迎ムードばかりではないことが読み取れます。例えば9月11日のドイツ公営放送ターゲスシャウの世論調査では

「これほどたくさん難民がドイツに来るのは怖い」
   はい 38%
   いいえ 61%」
というように、不安を感じている人が4割近くいます。
もちろん、難民収容予定の建物への放火もドイツ東部を中心に相次いでいます。こういう行動に出るのはほんの一握りの過激派ではありますが、そこまで攻撃的な行動には移らないにせよ、難民たちにいい感情を抱いていない、あるいはたくさん受けいることに不安を感じているドイツ人は少なくないため、メルケルに対する批判も高まっています。彼女は「ハンガリーで立ち往生していた難民を受け入れたことは間違いだった」という国内批判の声に反応して、9月16日、
「もし私たちが今、緊急事態に優しい顔を見せることに対して謝罪しなければならないのだとしたら、それはもう私の国ではない」と発言しました。この発言にも賛否両論ありますが、私は少なくとも素晴らしいと称賛するような発言ではないと考えています。なぜなら、国民の約4割が抱いている不安や現実問題としてのキャパシティーや財力の限界という問題に何も答えていないからです。「私たちはできる」という精神論でどうにかできる問題ではないにもかかわらず、「それならもう私の国ではない」と感情的に批判を抑えてしまおうとするのは国を代表する政治家として褒められたものではありません。そういうことを反映してか、9月26日のシュピーゲル誌による政治家人気ランキングでこれまでずっとトップ独走していたメルケルは任期中初めて4位に落ちました。それに対して彼女を批判してやまないホルスト・ゼーホーファーは人気順位が上がりました(メルケルにはまだ遠く及びませんが)。人気1位となったのは外相フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー(67%)、2位は経済相ヴォルフガング・ショイブレ(65%)、3位はドイツ大統領ヨアヒム・ガウク(64%)、そして4位がアンゲラ・メルケル(63%)で、前回に比べて5ポイントの低下でした。(注3)

ドイツの今後の難民政策

難民の受け入れ姿勢は州によってかなりの差があります。特に旧東独5州は受け入れに消極的です。しかし、ドイツには国家的事業を行う場合の各州の負担率を定める「ケーニヒシュタイナー・シュリュッセル(ケーニヒシュタイン基準)」と呼ばれる各州配分基準があり、3分の2を税収、3分の1を人口という比率で各州の事情が反映されるようになっています。2015年度の配分率はノルトライン・ヴェストファーレン州が最大の21,24052%、次がバイエルン州15,33048%、バーデン・ヴュルッテンベルク州の12,97496%と続きます。難民の受け入れもこのケーニヒシュタイン基準に基づいて配分されるということが政府・各州間ですでに合意されています。連邦政府から州に対する経済的援助も9月24日の内閣・各州首相臨時会議で協議され、基本合意されました。詳しくは別のブログ記事をご覧ください。この基本合意に基づく法案が早急に提出され連邦議会及び連邦参議院で採決されることになっています。

今後のドイツの課題は、国内的には過激派の放火などの予防、難民審査期間の短縮、認定された難民のドイツ社会及び労働市場へのインテグレーション、難民支援とドイツ人貧困層支援との均衡を保つことです。対外的にはシリア難民を百万人単位で受け入れている周辺国の支援やドイツでの難民申請者の約半分を占めるバルカン諸国出身者たちに難民申請の道を閉ざす代わりに合法的な労働移住の可能性の拡大や、バルカン諸国自体への支援が考えられます。
シリア紛争自体の解決は短期的には無理だと思いますし、ドイツがフランスのようにISに対する攻撃をするとも考えられません。個人的にはアフガニスタンのように泥沼化するのではないかと恐れているのですが、ドイツが「建設的対話」でどこまで外交的成功を収めることができるのか今後注意深く見守っていくつもりです。

難民対策のまとめを読む

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注1:オリジナル記事はこちら
注2:演説内容はたとえばフランクフルター・アルゲマイネ紙に報じられている。興味のある方はこちら
注3:シュピーゲルのオリジナル記事はこちら


ドイツ・ボンの森、コッテンフォルストを歩く

2015年09月27日 | 日記
今日は、天気も良く、日中最高気温20度近くと、温かい絶好の散歩日和でした。
コッテンフォルストはドイツ、ボン市の西部に広がる比較的大きな森林地帯で、その多くが自然保護区域です。そのため、指定の遊歩道から外れて森の中に入ることは禁じられています。アカシカ、ノロジカ、アナグマ等がいるらしいのですが、実際に出くわしたことはありません。

天気の良い日曜日は、散歩、サイクリング、ジョギングなどを楽しむ市民で賑わいます。
   

コッテンフォルスト周辺は乗馬用の馬の飼育場や馬場が数件あります。

 

森の中を自由に乗馬することは許されていません。乗馬用に決められた道があり、青地に白の馬の標識でそれと分かるようになっています。


乗馬用の道に歩行者が立ち入ることは基本的に禁止されてますが、まあ、馬糞を踏む危険を冒してまでわざわざ立ち入ろうとする人はあまりいないのではないでしょうか。

コッテンフォルストは特にブナやシデが多いため、秋でもあまり秋らしく色づくことはないので残念なのですが、それでもところどころ楓もあり、少し色を添えています。


しかし、やはり目立つのはセイヨウナナカマドの赤い実でしょうか。ドイツ語ではVogelbeere「鳥のベリー」と呼ばれている木で、街路樹としても好まれています。


ちょうど、ナナカマドの木に止まっているズアオアトリをカメラに収めることができました。


残念ながら、森は高速道路で分断されています。


森の端の方は農耕地が隣接しています。ちょうどビートの収穫が終わったところのようで、大きなビートの山ができていました。

 

秋の森といえばキノコ類です。田舎育ちでない私は残念ながらキノコ狩りの経験がなく、日本にあるキノコ類とも違うので、どれが食べられるものなのか区別がつきません。食用キノコによく似た毒キノコもあって危ないということなどで、素人が手を出すのは控えた方が良さそう。カメラに収めるだけで満足しましょう。



今日の散策は2時間余り。良い運動になりました。


ドイツ環境相ガブリエルは永久責任法を計画

2015年09月26日 | 社会
ドイツは放射性廃棄物の最終処理について最終的な解答をまだ見つけていませんが、その最終処理に対する責任を国が持つことを良しとせず、企業の責任を明確にする法案が計画されています。これまでさんざん補助金を受けた上に多大な利益を享受してきたのだから、その後始末だけ納税者に押し付けるなんて不合理が通っていい訳がないですね。その意味で、この法案は歓迎すべきものです。日本では責任のセの字も議論されませんが、ぜひ見習ってもらいたいものです。

以下はドイツメディアn-tvの記事の翻訳(原文

ドイツ環境相ガブリエルは永久責任法を計画。原発コンツェルンは責任逃れ
ドイツ環境相ジーグマー・ガブリエルは新たな法律で電気事業者が脱原発のコストから逃れるのを阻止するつもりだ。それは各省庁ですでに検討・調整済みの法案から明らかになっている。
ドイツ最大のエネルギーコンツェルン、エーオンはこの法案に対して裁判で係争することを検討している。「事後責任」導入によってドイツ連邦は、コンツェルンがたとえ原発事業を子会社などにアウトソースしていたとしても恒久的に原発廃炉及び放射性廃棄物最終保管のための数百億に及ぶコストを負担することを確かなものとするつもりだ。
「このため法的な新規定により放射性廃棄物処理に対する長期的な近津エルン責任を保証し、国家財政上のリスクを減じることが目的である」と法案に記されている。
エーオンは無期限・無制限の恒久的な責任は異論の余地があるとみている。「このコンツェルン事後責任法案は合憲か否かの審議に耐え得るものではない。この形で採決されるならば、我々は九分九輪法的手段を取らざるを得ないだろう」とエーオンの広報官は言った。RWE、EnBW及びヴァッテンファルもこの法案を法的に検証する予定だ。
エーオンは原子力、ガス、石炭事業を子会社ユニパーにアウトソースし、本社はエコ電力に集中する計画だ。新法案がなければエーオンの連帯債務者としての事後責任はアウトソーシングから5年後に終了することになる。
原子力コンツェルンエーオン、RWE、ヴァッテンファル及びEnBWは原発廃炉及び最終保管のために総額358億ユーロの引当金を積んでいる。
ガブリエルは責任法に加えて委員会を投入し、脱原発資金調達のための代替案を探らせる予定だ。財団モデルや基金などが検討されている。遅くとも2022年にはドイツ最後の原発がシャットダウンされる。

難民危機 ヨーロッパ、とくにドイツの対策

2015年09月26日 | 社会
2015年9月22日火曜のEU内相会議、水曜のEU臨時会談、木曜のドイツ内閣・州首相会議などで取り決められたことをまとめてみました。

EU内相会議(難民分配について)
1)ヨーロッパ内の12万人の難民の受け入れ割り当てについて合意。先週既に難民4万人の移住について合意していたため、総計16万人の難民がヨーロッパ内で分配されることになる。クォータ制導入には至らず。分配引き受け義務から免除されるための罰金(難民一人当たり6500ユーロ)も過半数を得られなかった。
ギリシャから5万400人、イタリアから1万5600人他国へ割り当てられることになる。ハンガリーは自国の負担軽減のための他国への割り当てを(なぜか)拒否。難民の引き渡しは2か月以内に実施される。

EU臨時首脳会談
1)海難救済プログラム強化:月900万ユーロの予算。パトロール海域については合意に至らず。
ドイツはフリゲート艦と補給船を1隻ずつ派遣。他国もそれに倣う。
イギリスは救済のための軍艦は派遣するが、救済された人たちは最寄りの安全な港、すなわちイタリアへ運ぶだけで、彼らに難民申請の権利は認めないことを強調。
2)密航組織に対する軍事行動:密航組織のネットワークおよびその船舶を含む財産の破壊を目的とする軍事行動を実施。そのために必要な国連委任状を得る手続きをフランスとイギリスが行う。
密航用船はリビアなどの北アフリカ沿岸で難民を乗せる前に発見し次第破壊する戦略。リビアの政治的混乱が利用されているためだが、このオペレーションのためにリビアの合意も必要。
3)年内にアフリカ連合との臨時サミットがマルタで開催予定
4)イタリアは難民登録実施を徹底させる。
5)EUはシリアなどの難民の食糧補給のために主に世界食糧計画へ10億ユーロ追加拠出する。
6)イタリアとギリシャに11月末までに難民登録のための「ホットスポット」を開設。難民のスピーディーな振り分けを可能にする。ここでいわゆる経済難民ははじかれる。

ドイツ内閣・州首相会議
1)2016年より、州は難民一人につき月670ユーロの支援を連邦から受ける。支給期間は初登録から難民審査手続き終了まで。審査期間は5か月で計算。
2)アルバニア、コソヴォ、モンテネグロを「安全な出身国」リストに加える。ドイツで難民申請する人たちの中でアルバニア出身が16.3%、コソヴォ出身が13.3%を占めるため、彼らを早急に出身国へ送還できるようになれば、それ以外の国の出身者の審査手続きが速められることになる。
3)連邦政府から各州への難民対策補助金は今年20億ユーロ追加、来年度も40億追加予算を組む。2016年はさらに80万人の難民申請者が来ると予想されている。
4)連邦政府は公営住宅建設に5億ユーロ補助金を出す。
5)連邦政府は大人の同伴なく来た未成年の難民の支援のために3億5000万ユーロ補助金を出す。
6)移住難民庁は3000人増員。主に連邦労働庁から派遣(現在移住難民庁長官を連邦労働庁長官が兼任しているため)。これにより移住難民庁職員は3300人から6300人に。
7)審査期間を3か月に短縮。
8)審査期間中、難民申請者は臨時収容所に留まることを義務付け。
9)難民申請を却下された人たちの早急な国外退去の徹底。
10)「お小遣い」支給の代わりに交通機関利用券や商品券などを支給。金銭目的でドイツに難民として来る人たちをこれによって忌避できるとする。
11)「安全な」出身国からの難民申請者は審査期間中の就労禁止。
12)難民のためにヘルスカードを導入。これにより難民が受けた医療サービスは医療機関と健康保険との間で決済され、移住難民庁の決済負担が相当軽減される。

補足情報:ドイツにおける難民申請者統計
出身国(2015年8月現在)
シリア 22.9%
アルバニア 16.3%
コソヴォ 13.3%
セルビア 5.7%
アフガニスタン 5.5%
イラク 5.4%
マケドニア 2.8%
エリトリア 2.6%

年齢・性別(2015年7月現在)
難民申請者全体 218,221人
30歳以下 141,574人
18歳―25歳の男女比:男性 80% 女性 20%


学歴(全体)
大卒 13%
高卒 17.5%
中卒 30%
小卒 24%
学歴なし 8%
平均以上の生活水準 47%


学歴(シリア出身)
大卒 25%
高卒 25%
中卒 23%
小卒 17%
学歴なし 3%
平均以上の生活水準 62%

統計のソースはドイツ公営放送ターゲスシャウのビデオ
http://www.tagesschau.de/i…/soziogramm-fluechtlinge-101.html