徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:池井戸潤著、『下町ロケット ガウディ計画』(小学館文庫)

2018年07月31日 | 書評ー小説:作者ア行

『下町ロケット ガウディ計画』、待ちに待った文庫化。発売直後に注文して、昨日届いて、今日読み切りました。なんでも単行本では省略されていたところも収録されているそうで、小説の完成度としては文庫の方が高いということですね。

新聞連載・ドラマ化・単行本発行と『下町ロケット ガウディ計画』は2015年に随分話題になったようですから粗筋を知っている方も多いかと思いますが、自分の備忘録として粗筋をここに書かせていただきます。

前作『下町ロケット』でロケットエンジンのバルブシステムの開発により倒産の危機を切り抜けた大田区の町工場・佃製作所はまたもや危機にさらされます。日本クラインという大手医療機器メーカから謎の依頼が舞い込み、あとでそれが人工心臓のコア部品のバルブであることが判明しますが、量産を見込んで赤字でしかない試作品の製作を受けたものの、何やら怪しい動きがあり、結局試作品を納品しただけで取引打ち切り。そればかりか、佃製作所のプライドの根幹をなすロケットのバルブを収めている帝国重工からも次のロケットエンジンの開発では、NASA出身の社長率いるサヤマ製作所とのコンペになるという知らせが入り、経営の危機に直面。日本クラインのバルブ制作の受注も実はこのサヤマ製作所が横取りしていました。この二つの会社経営を揺るがす事態に加えて、内側からも危機が迫る。技術開発部の若手・中里が日本クラインのバルブを担当し、挫折してからおかしな動きをします。

そんな中、かつての部下・真野から北陸医科大学と福井の地元工場・サクラダと心臓の人工弁「ガウディ」を共同開発する話がもたらされます。ロケットから医療機器への進出は大きなリスクを伴うものの、完成すれば多くの、特に子供の心臓病患者を救うことができるというので、佃航平社長は腹をくくって新らしい挑戦に受けて立つ決断をします。

人工心臓のバルブ、ロケットエンジンのバルブ、心臓の人工弁という3つのストリングが絡み合いながら話が進行していきますが、その中で浮き彫りになるのは大企業の驕りと内部抗争に明け暮れて医療機器の本質を見失っている人たち、医学会の患者そっちのけで権力闘争にかまける人たち、医療機器の「許認可」権限を自身の権力とはき違えて威張る人たち、ただただ保身に走る人たちの卑しさと、患者第一で、医療機器を一刻も早く完成させようと真摯に努力する医師、モノ作りに誇りを持ってただひたすらいいものを作ろうと真剣に取り組む人たちの鮮やかな対比です。後者の努力が最終的には報われるというハッピーエンドですが、味わい深いと思うのが、「敵役」的な立ち位置だった人たちのなかには、ちゃんと反省し、自らの原点に立ち返ることができた人たちがいたことですね。

佃社長が神谷弁護士とともに日本クラインの傲慢コンビをやり込めるシーンも痛快ですが、部下の手柄横取り、大学の理事会でより大きな権力を求めて人工心臓の開発を進め、追放した部下の関わるガウディ計画の妨害など相当な悪役ぶりを発揮した貴船アジア医科大学心臓血管外科部長が、スキャンダルの後に地位を追われ、最後の片づけを終えて学部長室から外を行き交う人々をいとおしそうに眺め、見舞いに来た日本クラインの営業に「患者のためと言いつつ、私が最優先してきたのは、いつのまにか自分のことばかりだったな。だけどな、久坂君。医者は医者だ。患者と向き合い、患者と寄り添ってこそ、医者だ。地位とか利益も関係なくなってみて思い出したよ」というくだりが素晴らしい。そしてそう語りかけられた久坂が、なぜ自分が医療機器メーカーに就職したのか、そして営業ノルマや収益目標に追い立てられるうちに高邁な理想は脇へ追いやられ、ひたすら収益と効率を追求するばかりの日々を過ごしてきたと自覚するあたりが感動的ですね。どちらもいやーなキャラだったんですが、このように反省してくれると逆に好感度が上がります。こうして敵役の中でも様々な人物を描き分けるところがさすがですね。

先日『下町ロケット ゴースト』の書下ろし単行本が発売されました。今すぐ読みたい気持ちでいっぱいです。文庫化されるまで待つか、単行本の電子書籍版を買ってしまうか、迷うところです。

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書評:池井戸潤著、『七つの会議』(集英社文庫)

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書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The ABC Murders(ABC殺人事件)』(HarperCollins)

2018年07月31日 | 書評ー小説:作者カ行

アガサ・クリスティーのポワロ(またはポアロ)・シリーズのうちの1作『The ABC Murders(ABC殺人事件)』(1936)はあまりにも有名な推理小説の古典ですが、私にとっては題名しか知らない作品の1つでした。

『ABC...』というタイトルから想像できるようにアルファベット順の連続殺人事件。先ずロンドン在住のベルギーの私立探偵エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)の元に「6月21日、アンドーヴァー(Andover)を警戒せよ」と文末に「ABC」と署名された挑戦状が来ます。その通りその日タバコ屋の老女アリス・アッシャー(Alice Asher)が死体で見つかり、そばにはABC鉄道案内が置かれていました。

警察(スコットランド・ヤード)は当初、彼女が夫と不仲であったため、夫を疑いますが、間もなくABC氏から第2・第3の犯行を予告する手紙が届き、Bで始まるベクスヒル(Bexhill)でB.B.のイニシャルを持つベッティー・バーナード(Betty Barnard)が、Cで始まるチャーストン(Churston)でC.C.のイニシャルのサー・カーマイケル・クラーク(Sir Carmicheal Clarke)が犠牲になり、【切り裂きジャック(Jack the Ripper)】の再来かと思われる連続殺人事件として捜査されます。 やがてセントレジャー競馬が行われる日に犯行を予告する手紙が届き、ポアロたちは第4の殺人を防止すべく、競馬の開催地ドンカスター(Doncaster)へ向かいますが、町の映画館で殺害されたのはイニシャルがD.D.の人物ではなくG.E.の理髪師の男。近くにイニシャルがDの男性が座っていたため犯人に間違えられたものと推測されます。

そんな中、てんかん持ちのアレクサンダー・ボナパート・カスト(Alexander Bonaparte Cust)は新聞報道を読み、自分が殺人事件の起きた日に同じ場所に何度も居合わせていたことから、自分が犯人なのではないかと悩み自首してきます。彼の家からは「ABC鉄道案内」が多数発見され、事件は解決したかと思われますが、カストはポアロに手紙を書いていないと主張しており、ポアロはカストの頭脳ではこうした連続殺人は計画できないため、真犯人が別にいると推理します。

その経過は大部分はポワロの協力者であるキャプテン・アーサー・ヘイスティングス(Captain Arthur Hastings)によって語られます。カストの行動はヘイスティングスの語りではなくいわゆる「神の視点」から描写されていますが、この男が本当に犯人なのか、そうでないなら真犯人は誰で、カストの役割は何なのかが分かるまで読むのをやめられません。

犯人の意図的なミスリードのトリックがかなり手が込んでいて、ポワロがその全容を明かす時、いくつかは若干の唐突感を否めません。私が伏線を読み落としただけかもしれませんが。

また、ポワロはベルギー人で、フランス語のフレーズを取り交ぜて話すという設定なので、日本語訳ではきっとフランス語の部分もカッコ入りで日本語に訳されてたりするんだと思いますが、原作では何の説明・解説もなくフランス語のまんまなので、かなり読みづらいですね。


書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Endless Night(終わりなき夜に生まれつく)』(HarperCollins)


ポワロシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder on the Orient Express(オリエント急行殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The ABC Murders(ABC殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder in Mesopotamia(メソポタミアの殺人)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『After the Funeral(葬儀を終えて)』(HarperCollins)

 

ミス・マープルシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Mirror Crack'd From Side To Side(鏡は横にひび割れて)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Sleeping Murder』(HarperCollins)


ドイツ社会のスケープゴートの変遷~長期失業者から難民へ

2018年07月22日 | 社会

つい先日たまたまドイツの長期失業者(1年以上無職の者)に関する統計を見かけました。ドイツ連邦統計局のサイト「Statista.de」で公開されたものです。それによると過去10年間で長期失業者の数が50万人減り、また全失業者に占める長期失業者の割合も40.7%から34.9%に減ったとのことです。

 

この減った「50万人」の中には、職に就くことなく年金受給年齢に達したために「失業者」とカウントされなくなった人たちが多く含まれています。統計的な意味の「失業者」とは単なる無職者ではなく、労働局に「求職中」である届け出を出し、失業手当などの何らかの支援を受ける人たちのうち、職業(再)訓練などのプログラムに参加していない人たちを指しています。

この定義での「失業」が長期化する典型例は55歳以上の労働者です。このため、過去5年間の平均収入から算出される第1種失業手当の受給はこの年齢層には2年間支給されます。55歳未満の場合の支給期間は1年間のみで、それを過ぎても就職ができない場合は、俗に「ハルツ4」と呼ばれる第2種失業手当が支給されます。これは、就労可能者に支給される生活保護の一種ですが、そのように呼ばれないのはシュレーダー政権時に実施された「アゲンダ2010」プログラムによる生活保護と失業手当の統合改革によります。この改革以降「生活保護(Sozialhilfe)」の受給者は就労不能な者(病人や障碍者、高齢者などでその他の保護が受けれない者)に限定されています。

「アゲンダ2010」が提唱された当時(2003年)、ドイツの失業者は500万人を超え、失業率は10.5%でした。経済は停滞し、ドイツは「ヨーロッパの病人」とさえ言われていました。現在好景気に沸き、3年連続財政黒字を計上しているドイツからは想像もできないかもしれませんが、とにかく失業者対策が喫緊の政治課題だったのです。「保護が手厚すぎる」というのはまだましな批判でしたが、「働けるのにさぼってる怠け者」「金食い虫」「社会の寄生虫」などの失業者バッシングも盛んに行われました。

そして現在、失業率はわずか5.4%、2018年6月現在で228万人です。

 

州別に見ると以下のようになります。数字は失業率のパーセンテージで、カッコ内の数字は前年同月の失業率を表します。出典は労働局サイト

最も失業率が高いのはブレーメン州の9.7%。船舶業の衰退から産業構造の変革が進まずなかなか浮上できない地域です。次が首都のあるベルリン州の7.9%。

旧東独5州の失業率平均が6.6%なのに対して、旧西独11州の平均は5%なので、いかにも東西格差がある感じですが、私の住むノルトライン・ヴェストファーレン州(人口最大の州)の失業率は6.7%で、旧東独平均を上回ります。上の地図を先入観なくパッと見ればお分かりかと思いますが、あるのは東西格差ではなくむしろ南北格差です。

それはともかくとして、ドイツのサクセスストーリーが本当に「アゲンダ2010」によるものなのか諸説があります。実は「アゲンダ2010」は全く無関係の労使協定による実質賃金上昇の抑制によって国際競争力が増したという説もあります(Christian Dustmann, Bernd Fitzenberger, Uta Schönberg, and Alexandra Spitz-Oener, "From Sick Man of Europe to Economic Superstar: Germany’s Resurgent Economy", Journal of Economic Perspectives—Volume 28, Number 1—Winter 2014)。その賃金上昇抑制はすでに1995年に始まっていたので、「アゲンダ2010」とは無関係というわけです。

名目賃金の上昇率だけ見ると、1992年以降概ね上昇し続けたと言えますが(例外は1997、2003、2005年)、実質賃金(名目賃金から物価上昇率を差し引いた賃金)はほぼ横ばいです。下のグラフは1992~2017年の名目賃金の上昇率を表しています。

実質賃金がほぼ横ばいなら、生活がよくはならなくても苦しくもなってないということのはずですが、それはあくまでも「平均」の話で、実は所得格差が拡大しつつあり、「2015年度の下の方の40%の実質賃金は、1995年度のそれよりも低くなっている」と昨年経済事務次官のマティアス・マハニクが警鐘を鳴らしました(Süddeutsche Zeitung, 22. August 2017, "Deutschland hat ein Lohnproblem(ドイツには賃金問題がある)")。要するに低所得層40%は、好景気の恩恵に預かれないばかりか、逆に生活が苦しくなっており、場合によっては仕事を掛け持ちするなどして、何とか生活しているわけです。それに対して上位60%は一部かなりの実質賃金の上昇があったと言います。上位60%は割と広範なので、「富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しく」とは言い切れませんが、40%の人たちが置いてきぼりになっているのは確かのようです。

好景気の中、所得格差が拡大し、貧困問題が深刻化する現在のドイツでは、少なくなった失業者はもはやスケープゴートではなくなっています。むしろ忘れ去られていると言っていいほど話題になりません。失業者が減った背景には好景気ばかりでなく、ミニジョブやパートタイムなどを含む低賃金労働者が規制緩和によって増加したこともあります。日本の非正規労働者の割合ほどではありませんが。

現在のスケープゴートは言うまでもなく難民です。昨年の連邦議会選挙でついに連邦議会入りし、野党第一党となったAfDがその荒んだ空気の象徴と言えます。

それにしても、2015年秋から2016年春までのいわゆる「難民危機」の間なら難民バッシングや難民排斥的政策を求めるのも分からなくはないのですが、バルカンルートが封鎖されてからは、ドイツまで来る難民は激減しました。難民危機の間は1日で1万人前後の難民がドイツに流入していましたが、今年の新規難民登録は1か月で1万人ちょっとです(出典は連邦統計局サイト)。

今リビア沖で救出された難民たちの受け入れをイタリアやマルタが拒否して、右往左往の挙句にスペインが入港を認めるなど、難民問題の焦点は地中海に移行しており、既にドイツの問題ではなくなったと言えます。それなのになぜ夏季休会直前の数週間与党内、メルケル首相のCDUとゼーホーファー内相のCSUの間で難民問題について激しいバトルが繰り広げられたのでしょうか?そしてバイエルン州首相マルクス・ゾーダー(CSU)が州のイニシアチブで隣国のオーストリアとの国境の警備強化や難民送還問題を激しく取り上げる理由は何でしょうか?

理由として考えられるのは、まずバイエルン州議会選挙のための布石として、CSUがAfD票を取り戻そうとAfDの主張を横取りしているという側面です。CSUはよく「CSUより右に合法的な政党なし」ということを主張してきました。この主張は、AfDという今のところ合法的な政党の存在によって崩されてしまっています。このため、より右寄りになることでAfDに「不満票」を入れた有権者をCSUに惹きつける戦略を取ったわけですが、あまりにも執拗な難民問題バトルは逆効果だったようで、CSUの支持率は下がり、CSU元党首のホルスト・ゼーホーファーの政治家ランキングはがた落ちしました。

もう一つの理由として考えられるのは、国民の目を難民問題に向けることで他の問題から目を逸らさせようとしている政治的意図です。内政問題から目を背けさせるために外敵を作り、それに対して国民を団結させるというのは歴史的によくある政治の常套手段とも言うべきものです。しかし現在ヨーロッパには適した「外敵」が国としては存在しません。その代わりイスラム系テロリストと難民がその役割を果たしていると言えるのではないでしょうか。イスラム系テロリストのスリーパーは既に数年または十何年も前に国内に入っていましたから、「外国籍危険人物の祖国送還」が検討され、新たにそうした危険人物が流入して来ないように入国管理を強化することが検討されるわけです。それらが対策の必要な問題であることは確かですが、これほど国会議論や国民的議論の比重を占めるに値するものであるかどうかについては疑問を差し挟む余地があると思います。

少子化、医師不足や教師不足、介護士・介護ヘルパー不足、所得格差や子供の貧困、老後の貧困などの深刻な内政問題があるのに、そこに割かれる議論の時間や報道の比重が少なすぎる気がします。

「難民」というスケープゴートは、社会の不満分子、特に置いてきぼりにされている下層40%(の少なくとも一部)のガス抜きに利用されている側面もあるようにも思えます。

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書評:村田沙耶香著、『星が吸う水』(講談社文庫)

2018年07月21日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

『星が吸う水』には表題作の他『ガマズミ航海』の女性の性をテーマにした作品2編が収録されています。

『星が吸う水』の主人公鶴子は自分が勃起をし、性欲発散を「抜く」という感覚を持ち合わせていることを普通じゃないかもしれないと少々悩みつつも大事にしていて、その思いをもし理解されるなら友達や恋人らしき人物と分かち合いたいと願っています。しかし彼女の友人の一人は自分を「商品」と考え、「いかに高く売るか」に重きを置いており、もう一人の友人は性欲が一切ないという。

『ガマズミ航海』は、温もりをしゃぶりたいがために男と性行為を繰り返すが「本当のセックス」は違うものだと考える結真と、セックスを苦痛に感じ彼氏に嫌悪感を抱きつつも別れられない美紀子が「性行為じゃない肉体関係」を求めて実験をします。

どちらも何か実験的な感じのする作品です。性のあり方についての固定観念や「女性に性欲はない」的な偏見をお持ちの方にはなかなかショッキングでチャレンジングな作品だと思います。メッセージは「性的嗜好は人それぞれで良し」という一面と「性欲も睡眠欲や食欲に同じように簡単に愛情を介さず処理できれば楽なのに」というところでしょうか。正直その辺はよく分からないのですけど。

この作家は「普通」「常識」といったものを破壊し、新たなアスペクトを模索・提示するので興味深い側面が多いですが、「普通とは何か」を問う作品には共感しても、性や出産をテーマにしたものはあまり波長が合わないようです。嫌悪感を抱くところまではいきませんが、「ふーん、そうなんだ」という以外の感想を持てないというのが正直なところです。


書評:村田紗耶香著『コンビニ人間』(文春e₋Book)

書評:村田紗耶香著、『きれいなシワの作り方~淑女の思春期病』(マガジンハウス)

書評:村田紗耶香著、『殺人出産』(講談社文庫)



書評:小川勝己著、『葬列』(角川文庫)~第20回横溝正史ミステリ大賞受賞

2018年07月18日 | 書評ー小説:作者ア行

第20回横溝正史ミステリ大賞受賞作品ということと、角川フェアだったかフェスだったかで割引されていたので、新規開拓とばかりに手に取ってみた『葬列』ですが、うーん。「戦慄と驚愕の超一級クライム・アクション」という煽りにある通り確かに戦慄し、驚愕しましたよ。 「不幸のどん底で喘ぐ中年主婦・明日美としのぶ。気が弱い半端なヤクザ・史郎。そして、現実を感じることのできない孤独な女・渚。社会にもてあそばれ、運命に見放された三人の女と一人の男が、逆転不可能な状況のなかで、とっておきの作戦を実行した――。果てない欲望と本能だけを頼りに、負け犬たちの戦争が始まる!」という商品紹介。明日美としのぶは元々知り合いでしたが、20歳そこそこの渚は3人とは一切無関係。史郎はおしぼりを届けに明日美の勤め先であるラブホテルに出入りしていたので顔見知り程度。この一見無関係な4人が合流し、強盗を計画し、その後に史郎が娘を殺された復讐のために自分の属していた九條組に戦争を仕掛ける、というのがストーリの大筋ですが、それだけで終わらず、意外なラスボスが最後に登場し、真相の一面を明らかにするのに驚愕を覚えました。

全体的な話運びとして「起承転ー起承転ー起承転転転結」みたいな感じでした。クライムアクションなので、なんというか死体がゴロゴロ半端なく出ます。やめとけばよかったという後悔もすでに遅く、途中まで読んだらやはりどこに話が辿り着くのか見届けずにはいられない、つまり「はまって」しまったので、最後まで一気読みでした。

コロボックルでほっこりした後はミステリの気分だったから横溝正史ミステリ大賞受賞作品を選んだわけなんですが、「これもミステリなの?」という疑問はぬぐえず、気持ちがざらつき過ぎて読後感は最悪。でも思わず「はまってしまう」筆致・ストーリー展開はやはり賞を取るだけのことはあると思います。「欲望むき出しの人間は怖い」というのと、「一度スイッチが入る、またはリミッターのようなものが振り切れてしまうと人間は豹変し、いくらでも残酷なことができる」というのがこの本を読んで改めて確認した結論ですね。その豹変の過程の描写が説得力ありました。


書評:小野不由美著、『営繕かるかや怪異譚』(角川文庫)

2018年07月14日 | 書評ー小説:作者ア行

小野不由美の新刊文庫を久々に目にしたので早速購入した『営繕かるかや怪異譚』。

この作品に触れるまで「営繕」という言葉を知りませんでしたが、「営繕」とは、「建築物の営造と修繕」のことをいい、具体的には、建築物の新築、増築、修繕及び模様替などを指します。字面からなんとなく縁起の良さそうな感じがするのは私だけでしょうか。

というわけで、『営繕かるかや怪異譚』は家にまつわる怪異譚の集成で、営繕かるかやの尾端(おばな)という大工が家の「障り」のようなものを修繕して、住み続けられるようにするエピソードが6編収録されています。

小野不由美の怪奇物はマンガ化された「ゴーストハント」を除けばどちらかというと地味にじわじわ怖くなる感じの物が多いと思いますが、これもその一つで、一編ごとにちゃんと営繕屋が解決策を示すまで読み切らないと不気味さが残って夜中どれもにトイレに行くのがなんとなく嫌になります 

奥座敷の襖が何度閉めても開いている(「奥庭から」)、「屋根裏に誰かいる」と不安を覚える母親(「屋根裏に」)、雨の日に鈴の音と共にたたずむ黒い和服の女が徐々に袋小路にある自分の家に近づいてくる?(「雨の鈴」)、おやつやお供えがあさられ、押し入れを開けてみたら痩せた老人がうずくまっていて、目が合ってしまうが他の家族には誰にも見えない(「異形のひと」)、祖母の家を受け継いで「使えない井戸」を庭のうち水や植木に使ったら枯れ込んでしまい、何やら異臭を放ち水跡を残す「何か」が徘徊するようになった?(「潮満ちの井戸」)、4歳の娘を連れて出戻ったら親に厄介払いされ、格安で貸してもらった親戚の古い家では車の調子がしょっちゅうおかしくなり、暗いガレージで男の子が現れるようになった?(「織の外」)。

どれも自分で体験するのはごめんこうむりたい現象ですね。

それにしても、私は小野不由美は「十二国記」シリーズからファンになったんですが、ああいうファンタジーはもう書かれないのでしょうか。というか「十二国記」自体いまいちすっきりと終わっていない(行方不明のままの麒麟とか)ので、続編が出ないかなあと思ってるんですけど。でも最近出ているのは怪奇物ばかりで、中でも『残穢』は一番怖かったですね。実話っぽい現実感が特に。

(購入はこちらから)

それに比べるとこの『営繕かるかや怪異譚』は軽くて朗らかな感じすらしてきてしまいます。営繕屋がやっていることは除霊でもお祓いでもなく単なる大工工事ですし。もちろん家相や由来などはきちんと考慮されてますが。そのささやかなことを大事にしている感じが微笑ましいです。


書評:有川浩著、『誰もが知ってる小さな国』(講談社)

2018年07月13日 | 書評ー小説:作者ア行

本日2冊目の本。やはり日本語だと読むのが速すぎて何冊買っても足りない感じです。これでも書評を書くことでスピードを落としてはいるのですが。書評を書かなかった頃はそれはもう次から次へと。。。。

さて、『誰もが知ってる小さな国』はコロボックルのお話しです。佐藤さとる氏が戦後生み出した『コロボックル物語シリーズ』の継承作品とのことで、本人からのお墨付きももらっています。実は私は『コロボックル物語シリーズ』のほうは読んだことがないので、今度そちらを読んでみようと思いました(こうしてまた読みたい本が増える...)

主人公は日本全国を旅するはち屋(養蜂家)の息子ヒコ。小学校3年の夏に北海道で同業者の娘ヒメと出会い、またコロボックルのハリーと秘密の友達になります。コロボックルが登場するまでに随分はち屋についての説明が多く、それはそれで興味深いのですが、「コロボックルは?」という期待になかなか答えてくれないので、ちょっとじれったい感じがするかもしれません。

作中で佐藤さとるの『コロボックル物語シリーズ』が何度も言及されていて、コロボックルもその本に出合ってびっくりして大騒ぎになったとあって、素敵なオマージュだと思いました。途中でコロボックルを危機にさらすような事件が起き、成り行きが不安になりますが、もちろん丸く収まるので、概ねしあわせな気分で読めるお話です。最後に明かされるはち屋とコロボックルのご縁の輪が見事ですね。そのしあわせな世界観にほっこりしました。


書評:有川浩著、『レインツリーの国 World of Delight』(角川文庫)

書評:有川浩著、『ストーリー・セラー』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、自衛隊3部作『塩の街』、『空の中』、『海の底』(角川文庫)

書評:有川浩著、『クジラの彼』(角川文庫)

書評:有川浩著、『植物図鑑』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『ラブコメ今昔』(角川文庫)

書評:有川浩著、『県庁おもてなし課』(角川文庫)

書評:有川浩著、『空飛ぶ広報室』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『阪急電車』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『三匹のおっさん』(文春文庫)&『三匹のおっさん ふたたび』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『ヒア・カムズ・ザ・サン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『シアター!』&『シアター!2』(メディアワークス文庫)

書評:有川浩著、『キケン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『フリーター、家を買う』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『旅猫リポート』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『キャロリング』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『明日の子供たち』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『アンマーとぼくら』(講談社)


書評:有川浩著、『アンマーとぼくら』(講談社)

2018年07月13日 | 書評ー小説:作者ア行

なかなか文庫化されないので単行本を買ってしまいました。『アンマーとぼくら』(2016)は、かりゆし58の「アンマー」に着想を得て書き下ろされた長編だそうで、「かりゆし58」もその名曲だという「アンマー」も知らなかった私は早速YouTubeで検索して、その曲の生誕秘話のビデオまで見てしまったのですが、そうして受けた印象は確かにこの『アンマーとぼくら』の作品の中に生きています。設定は全然違うのですが。

主人公のリョウは休暇で沖縄に帰って来て、親孝行のために「おかあさん」と島内観光して3日間を過ごすお話しですが、この「おかあさん」は実は継母で、実の母親「お母さん」は北海道で教師をしていましたが、彼が小学生の時に癌で亡くなってしまっていました。カメラマンの父親はその喪失に耐えられなかったらしく、撮影旅行に出ることが一層増え、死後1年かそこらで沖縄でガイドをしてもらった女性「晴子さん」に恋していまい、再婚することになり、早々に北海道の家を売って、息子を連れて沖縄に移住していまいます。

作品ではこの無神経ダメ父との思い出が丹念に語られます。お母さんの今際の際の言葉「お父さんを許してあげてね。お父さんは、ただ、子供なだけなのよ」というプロローグで始まるだけあって、この作品は「アンマー(母)」にだけ捧げられる息子の感謝の気持ちだけではなく、この再婚後たった4年であまりにも早くこの世を去ってしまったダメ父にも和解と理解の気持ちが捧げられています。

また、かりゆし58の前川真吾氏が「「女性」と「母性」、この小説に出てくる母親たちの愛情には、二つ分の深さがある、二乗分の美しさがある。」とコメントされたらしいですが、その通り、二人の母、「お母さん」と「おかあさん」の女性としての父に対する愛情も切なく描写されています。その辺はやはり女性の視点なのかなと思いますが。

そしてこの「3日間」が、沖縄が起こしたある種の奇跡であるという趣向も味わい深いです。過去の回想というだけでなく、妙に過去の出来事とその当時の自分の姿を質感を持って感じられることや、自分の「現在」の記憶があやふやであることなどただの休暇の日々でないという違和感が漂っています。それがどういう現象だったのかという説明はありませんし、野暮でしょう。ただ最後にリョウこと坂本竜馬がなぜ沖縄に来ていたのかという現在の本当の理由と状況は説明されています。

偉大な母の愛情やダメ父の分かりづらい愛情も結構ぐっときますが、一番ぐっと来たのは女性としての晴子さんが亡くなった夫に思いを馳せて「いつかニライカナイで会いましょう」と言うところと、あの世で取り合いにならないようにと前妻のお墓参りに行って彼の「魂を分ける」取り決めをしてきたというところでしょうか。女性としても人間としても懐が深い感じがしますね。あと、棺の中のダンナにひっそりとキスをするところも切なくていいシーンでした。

泣けるところが結構あるので外で読む時は要注意かもしれませんね。

親子関係が希薄な私はこうした親子の絆みたいなものが羨ましくもあります。


 

書評:有川浩著、『レインツリーの国 World of Delight』(角川文庫)

書評:有川浩著、『ストーリー・セラー』(幻冬舎文庫)

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書評:有川浩著、『クジラの彼』(角川文庫)

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書評:有川浩著、『ラブコメ今昔』(角川文庫)

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書評:有川浩著、『三匹のおっさん』(文春文庫)&『三匹のおっさん ふたたび』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『ヒア・カムズ・ザ・サン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『シアター!』&『シアター!2』(メディアワークス文庫)

書評:有川浩著、『キケン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『フリーター、家を買う』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『旅猫リポート』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『キャロリング』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『明日の子供たち』(幻冬舎文庫)

 


書評:辻村深月著、『サクラ咲く』(光文社文庫)

2018年07月12日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『サクラ咲く』(光文社文庫)は、「約束の場所、約束の時間」、「サクラ咲く」、「世界で一番美しい宝石」の3篇が収録された短編集。「約束の場所、約束の時間」と「サクラ咲く」の2編は同じ中学を舞台としており、「約束の~」の主人公が「サクラ咲く」に先輩としてちょこっと登場します。「世界で一番美しい宝石」は高校生のお話。

「約束の場所、約束の時間」

若美谷(わかみや)中学2年の武宮朋彦のクラスに転校してきた菊池悠は、実は療養のために未来から来た男の子で、未来から持ち込んだゲームを朋彦に偶然見られてしまったことから事情を打ち明けて仲良くなるという心温まる友情物語です。

「サクラ咲く」

本好きで引っ込み思案であることを気にしている若美谷中学1年の塚原(つかはら)マチが主人公。ある日図書室の本に挟んであった「サクラチル」と書かれたメモを発見し、別の本にも同じ筆跡のメモを見つけたため、それを書いている人とシリーズ本を介して文通のようなことを始めます。その謎の文通相手は誰なのかという謎解きの要素と、普通の中学生的悩み、友情、淡い恋の要素があります。作者の優しい視線が感じられるストーリー。

「世界で一番美しい宝石」

3人だけの映画同好会で自作映画を撮るために主演女優を探していた一平はある日「図書室の君」に出会い、どうしても彼女を撮りたいと感じ、彼女に出演依頼をしますが、彼女は今は止めてしまったものの演劇部で『嵐が丘』の幼少時と大人のキャスリンの役を両方演じた経験者なので、女優には適役のはずなのですが、彼女は依頼を断り続けます。一平のしつこさに負けて、出した交換条件は、彼女が子供のころに読んだことがあるという、世界一の宝石職人の(絵)本を見つけること。なかなか青春しているお話。

3篇に共通するのは、一般に「地味」と言われる子の視点ですね。「地味」な子が学校で自分の居場所を獲得する物語とでもいいましょうか。どれもほっこりできるお話ですが、大人向けの小説とは言えませんね。

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書評:カズオ・イシグロ著、『The Remains of the Day(日の名残り)』(Faber & Faber)

2018年07月09日 | 書評ー小説:作者ア行

『The Remains of the Day(日の名残り)』、ようやく読み終わりました。仕事で忙しかったのもありますが、使われている語彙が文学的とでもいうのでしょうか、あまり見ない、知らない単語や言い回しが多くて、読破するのにかれこれ3週間かかってしまいました。『A Pale View of Hills(遠い山なみの光)』や『The Buried Giant(忘れらた巨人)』はもっと読みやすかったのですけどね。

この作品は映画化もされているので、知っている方も多いでしょうけど、イギリス貴族の館に務める執事の話です。物語の「現在」は1956年7月。伝統溢れるお屋敷「ダーリントン・ホール」と一緒にアメリカ人のファラデイ氏に買われた(雇われた)執事、スティーブンスが休暇を貰い、ご主人様の車Fordで旅に出ます。目的地は以前の同僚で、つい最近手紙をくれたミス・ケントン(現ミセス・ベン)の住むコーンウォールのリトルコンプトンという街。お屋敷が今大変な人手不足なので、夫婦関係がうまくいっていないらしい彼女にもしかしたら職場復帰してもらえるかもしれないと淡い期待を抱いて出かけます。それじゃバカンスじゃなくて、半分仕事では?と思わずにはいられませんが、まあ真面目一辺倒で35年間「閣下(his lordship)」と呼ばなければならないような貴族様、ダーリントン卿に仕えてきた執事さんなので、「らしい」といえばそうなのかもしれません。

スティーブンスが語るのは現在の旅行のことが5%くらいで、残りの95%は過去の追憶です。ミス・ケントンに会いに行くので、彼女がらみの追憶が多いのですが、敬愛するご主人様・ダーリントン卿の戦前の国際(裏)舞台でのご活躍についての思い出などもかなり詳細に語られます。また彼の職業について、執事としての尊厳(品格)についての考察部分も多いです。「偉大な執事(great butler)」とはどういう人か、みたいな。執事たるもの四六時中執事でなければならず、プライベートの顔は他人に見られてはならないとか。今時は変わってきているが、彼の世代ではそれが標準、のようなことが語られています。なんかもう「ご苦労様」って感じですが。

語り口は淡々としており、思い出の中の会話からも彼の堅物さ加減が伝わってきます。そして新しいご主人様であるファラデイ氏がどうやらウイットに富んだ受け答えやちょっとした冗談を交えた会話を期待しているらしいということに気づいたので、自分にその方面のスキルがないことを自覚し、大真面目にそのスキルを磨こうとして努力はするものの、現在まで成功していないことを気に病んでたりするところが可笑しいです。いろいろなことを思い出し、旅の途中でいろんな人に出会い、ミス・ケントンにも再会して、ほんのりと彼女に対する過去にあった甘い気持ちをようやく自覚し、人生のあり方とかいろいろ考えた後に、港町のちょっとしたイリュミネーションイベントに集まった人たちの会話を聞きながら、人と人の温かい繋がりには冗談が欠かせないと改めて思い、帰ったら真剣に努力しようと決意を固めて話が終わります。え、そこなの?(笑)

最後の章で、実はこれがすれ違って実らなかった哀しいラブストーリーなのだということが明らかになるのですが、悲しいというよりはほろ苦いけど、滑稽なストーリーですね。「もっと早く気づけよ、バカ」と言いたくもなりますが、そういう鈍い所と真面目に冗談スキルを磨こうとする不器用さがきっとこの執事さんの魅力なんだろうと思いました。


 

書評:カズオ・イシグロ著、『The Buried Giant(忘れられた巨人)』(Faber & Faber)

書評:カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)

書評:カズオ・イシグロ著、『A Pale View of Hills(遠い山なみの光)』(Faber & Faber)