徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:日経ウーマン、『言いにくいことの上手な伝え方』(日経BP社)

2016年06月30日 | 書評ーその他

日経ウーマンの『言いにくいことの上手な伝え方』は想像以上に実践的なアドバイスやお役立ち情報が満載でした。

目次は以下の通り:

      【PART1】 「感じがいい」人になる会話術
      男性にも女性にも信頼される人になるために、今すぐできる会話のスキルを磨きましょう。

 

      【PART2】 相手別・言いにくいことの伝え方
      人付き合いの中で必ずと言っていいほど起こる、「困った」シーン。そんな時便利なフレーズを押さえておくだけでストレスも軽減、人間関係も円滑になります。

 

      【PART3】 恥をかかない敬語&マナー
      上司との会話に電話応対、取引先とのやりとりなど、敬語がきちんと使えるかどうかは、あなたの信頼度を左右します。間違いやすい敬語の使い方を中心に、正しい言葉遣いをチェックしましょう。

 

      【PART4】 聞く力&話す力の磨き方
      「聞く」&「話す」。この2つの力を高めることで、人付き合いのストレスはぐっと軽減できます。“好印象女子”の実例も参考に、正しい会話力を学びましょう。

 

      【PART5】 仕事力が上がる会話術
      直接会って話をする時のコツはもちろん、メールや電話応対など、オフィスシーンに欠かせない、仕事に役立つ会話術をまとめました。

 

この本のいいところは、単なる「マニュアル」に終わってないこと。確かに具体例として、こういうタイプのこれこれの立場の男性あるいは女性に対してはこういう対処で、お役立ちフレーズはこれ!みたいな情報もあるのですが、そればかりでなく、「話下手だ」と思っている人は実はどういうことを考えているのかあるいは考えにとらわれているのか分析されて、その上で、こういう心構えで臨めば変われるあるいは楽になれる的なことが書いてあります。

個人的に特に勉強になったと思ったのは、Part1とPart2ですね。私はどちらかと言うとかなりズバッと思っていることを言ってしまう傾向があるので、オブラートにくるんで伝えたいことが伝わるように言うことが日本語でできればいいなと思ってました。普段のオフ生活ではドイツ人に囲まれているので私のストレートさが目立つようなことはありませんが、ネット・SNS上では日本人との付き合いもあるので、こういうハウツーものを手に取ってみた次第です。

この本のもうひとつ面白いところは、(日経ウーマンを読むような)日本人女性がどのようなことで「困った」と思ったり、苦手意識を抱いたり、悩んだりするのかが浮き彫りにされているところです。日本でもドイツでも共通する「困った状況」というのも勿論ありますが、やはり男尊女卑の激しさや上下関係の厳しさから来る問題はドイツでは考えられない日本独特のものです。そういうものに悩む女性の声とプロの対処法の提案はよそ者の私にとっては大変興味深いものです。

私自身は日本の女性にとって煩わしい全てのことから逃げ出してよかったと思いますが、誰もができることではありませんので、厳しい環境の中頑張っている日本人女性たちにエールを送りたい気分になりました。

この本は、特に人とのコミュニケーションが苦手と思っている人、頑張って自分の意見を言っているあるいは自己主張しているのに伝わらない、理解してもらえないと悩んでいる人にお薦めです。相手にとって理解しやすいメールの書き方やプレゼンの仕方のコツ、タイプ別立場別の相手に会った伝え方など、きっと参考になると思います。


書評:海棠尊著、『新装版 ナイチンゲールの沈黙』(宝島社文庫)

2016年06月29日 | 書評ー小説:作者カ行

『ナイチンゲールの沈黙』(上・下)「チームバチスタ(田口&白鳥)」シリーズ第2弾は随分前に人に借りて読んだことがありますが、上下巻をまとめた新装版が出ていたので自分で買って読んでみました。この作品が元は『螺鈿の迷宮』と一つの話だったのが、複雑になり過ぎたために二つの物語に分離して完成されたもの、ということは覚えていたのですが、話の筋はすっかり忘れていました

タイトルのナイチンゲールが暗示する通り、歌姫のお話です。とは言え職業歌手ではなく、歌の上手な看護師ですが。この歌姫看護師浜田小夜の担当は網膜芽腫の子どもたち。看護師長猫田の差配で不定愁訴外来の田口公平が彼らのメンタルサポートをすることに。患児の一人はすでに中3の牧村瑞人で、彼の父親は治療の承諾を拒否し、呼び出しにも応じない、ネグレクト。そんなある日瑞人の父親が殺され、しかもバラバラに解剖されてしまった!

捜査を担当する加納達也、通称デジタル・ハウンドドッグはデジタル・ムービー・アナリシス(DMA)という技術を駆使して検挙率を挙げている警察庁からの出向者。この方は他の海棠作品にも登場します。彼の補佐をするのは玉村誠警部補。このキャラは独立した作品『玉村警部補の災難』にもなっている味わい深い人物です。

メインの田口&白鳥コンビばかりでなく、様々な人物が色々なところで活躍するのが海棠ワールドの面白いところだと思います。『ナイチンゲールの沈黙』は海棠ワールドの中では重要なエピソードです。

この『ナイチンゲールの沈黙』は単独のミステリーとしてはちょっと?なところがあります。小夜の歌が聞く人に共感覚を呼び起こし、彼女のイメージをそのまま伝えることができる、という能力をどう捉えるかにも好みが分かれるところなのではないでしょうか。ミステリーとしての緊張感は『チームバチスタの栄光』や『アリアドネの弾丸』に比べると劣っていると感じました。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村


ドイツ:2015年度憲法擁護庁白書 — 過激派犯罪急増

2016年06月28日 | 社会

世間ではイギリスのEU離脱の話題でもちきりです。日本語メディアでもかなり取り上げられているので、私なんぞが出張って私見を述べるまでもないと思いますので、地味ですがドイツで本日発表された2015年度憲法擁護庁白書について書きたいと思います。

憲法擁護庁白書は自由民主主義的原則にとっての脅威について報告するもので、政治的過激派、テロリズムあるいはスパイ行為による危険を明確にします。2015年度白書の概要(Kurzfassung des Berichts)は内務省サイトからダウンロードできます。

英語版(34p)    ドイツ語版(38p)

オリジナル白書(317p)

ドイツ連邦刑事庁は2015年、38,981件の政治的動機による犯罪を確認しました。これは前年比19.2%増加です。うち民衆扇動罪は13,687件(35.1%)。2014年の12,543件(38.4%)に比べて絶対数は増えているものの、政治的動機犯罪全体に占める割合は減少しています。それに対して暴力行為の割合が明らかに増えています。どの方向性であれ、過激派シーンは人気が高まっており、暴力犯罪も激化しているとのことです。

「…外国人排斥的な扇動が我々の社会の中心に到達するのが心配される。憲法擁護庁は警戒を強め、連邦および州の公安機関との協力を密にしている。」とドメジエール内相。

 

 

右翼の犯罪

右翼過激派をバックグラウンドとする犯罪は21,933件(2014年:16.599件)で、うち暴力行為は1,408件に上り、2014年度から42.2%増加しています。外国人排斥的な暴力行為は918件(2014年:512件)で、「政治的動機犯罪」の定義を2001年に導入以来の最高記録となりました。

左翼に対する暴力犯罪は252件で、前年比82%増。それ以外の政敵に対する暴力犯罪は82件、36.7%増。

殺人未遂は8件ありました(2014年:1件)。

 

左翼の犯罪

左翼過激派をバックグラウンドとする犯罪は5,620件(2014年:4,424件)で、うち暴力犯罪は1,608件(2014年:995件)。左翼過激派による警察や公安局に対する暴力犯罪は1,032件に登り、前年比62%増加しました。また右翼などの政敵に対する暴力も883件で、前年の約2.3倍でした。

国あるいは国の象徴に対する暴力犯罪は572件(2014年:326件)でした。

殺人未遂は8件(2014年:7件)。

 

外国人による政治的動機犯罪

外国人過激派による犯罪は1,524件、うち暴力犯罪は235件でした。このカテゴリーでは前年比24.3%減少しましたが、暴力犯罪に限った減少率は9.3%に過ぎません。

殺人未遂は3件(2014年:6件)。

ドイツからシリアやイラクの戦闘地域に向かうイスラム原理主義者の数は減少しましたが、国内のサラフィー主義者は18.7%増加し、過去最高の危険人物数となりました。

「公安当局は引き続きシリア・イラクへの出国計画を徹底的に阻止する構えだ。現地で戦闘経験を積み、最悪の暴力行為を体験しかつ自らも行った人たちは、ベストケースで幻滅して、ワーストケースで非常に過激化してドイツまたはヨーロッパに帰還してくる。彼らが我々の社会に戻る道を探している場合は我々の支援を必要とする」とドメジエール内相。

 


ドイツ:難民の犯罪、右翼の犯罪


フランス横断旅行記(5)- 銀の海岸:アルカション

2016年06月28日 | 旅行

2012年7月4日夕方にちんたらドライブをしながら目的地のアルカション湾に到着しました。

泊ったのはHôtel Le Nauticという三ツ星ホテル。ツインルームに二人で一泊80ユーロプラス朝食1人当たり9ユーロ。アルカションのホテルの中では比較的お手頃なお値段です。

まずはちょっと港を見学。

    

 

翌日の7月5日はショッピングモールやマルシェのある商店街を回り、また豪華なヴィラなども見て回りました。街の地図にはヴィラ巡りができるように有名なヴィラがきちんと記載されています。

    

       

丘の上の展望台からの眺め。

   

バシリカ・ノートル・ダム。中には18世紀に設営されたちょっときんきらした感じの船乗りチャペル、シャペル・デ・マラン (Chapelle des Marins)があります。大火事で一度焼け落ちたそうで、現在のチャペルは1987年の再構。

   

街中を見た後は、少し遅い時間でしたが、テシュ鳥類公園(Parc Ornithologique du Teich)へ。イル・ドレロン島の野鳥公園よりも広く、水鳥の種類も豊富です。決まった巡回コースが大回りと小回りの二つあり、ポイントごとに観察小屋が設置されています。閉園まであまり時間がなかったので、私たちは小回りコースを行きましたが、十分楽しめました。

         

小回りコースとはいえ、優に1時間はかかったので、足が痛くなってしまいました😅 

ディナーはル・グリル(Le Grill)というレストランで、ちょっと豪華に前菜にカキ、メイン、デザートつき。ケーキにスプーンを刺して供するところが斬新。トリップアドヴァイザーで探したレストランだったので、珍しく店名も記録していました。通常はよほどでない限りどこの何というレストランで何を食べたなんてことは記録も記憶もしませんが…

  

 


翌日の7月6日はアルカションから南へ12㎞の所にあるピラ砂丘(Dune du Pilat)へ。この砂丘は3kmの長さに及び、高さは104mで、ヨーロッパ最大の砂丘です。放っておくと砂丘がどんどん街の方へ広がってしまうので、松を植林して現状維持しているそうです。

 

砂丘に上るには途中まで階段があるのですが、頂上部まで行くにはまさに砂の坂を上らなければならないので結構大変です。ふくらはぎのところまで砂に沈んでしまったり、予想外に砂に足を取られて転んだり、と苦労しました。

    

砂丘を散策した後は、10㎞ほど南へドライブしてビスカロス(Biscarosse)というところにある湖を覗いてみました。ウォータースポーツの盛んなところらしいのですが、まだ本格的なシーズンは始まっていなかったので、人影もまばらでした。

   

ディナーはまたしてもトリップアドヴァイザーで探し出したレストラン、ル・パヴィロン・ダルガン(Le Pavillon d'Arguin)で。前菜・メインディッシュ・デザートそれぞれ5-6種類の中から選べるセットメニューでした。メインディッシュとデザートの間にチーズが供されました。盛り付けからしてちょっと高級なフレンチですね。フランス大西洋岸旅行最後の夜でしたので、奮発しました(^^)

前菜

  

メイン

  

チーズ(Délice de frommages et sa douceur)

 

デザート

 

私はまたしてもカキを頂きました。アルカションで現在養殖されているカキは実は日本種なのだそうです。でも、日本から直接幼貝を輸入したわけではありません。19世紀にアルカションのカキが病気で殆ど全滅した時に日本と交渉したら断わられたそうで、カナダの商人を通じて日本のカキを仕入れて養殖を再開したのだとか。

カキはアルカションで食べて以降全然食べてません。ドイツではあまり簡単には手に入らないので…

 

翌7月7日、家路に着いたのですが、さすがに直線距離でもアルカションから1000㎞以上離れているので、一気にドイツに帰ることはできず、885㎞地点のシャロンゼン・シャンパーニュ(Châlons-en-Champagne)で一泊することに。

 

遅い時間だったのでよさげなレストランの選択肢もあまりなく、適当に選んだのがBrasserie de la Bourse。クレジットカード払いだったのでデータが残っていました。トリップアドヴァイザーにも載ってないレストランです。味はまあ普通でした。

 

簡単な食事をとった後、これまた簡易なホテル、Hôtel Le Montréalにチェックイン。モーテルに毛が生えたようなところなので、遅い時間で予約なしでも部屋が取れました。一泊50ユーロプラス観光税。

 

こうして2012年6月24日-7月7日までの2週間のフランス旅行を終えたのでした。帰宅すると、ベランダで育てていた食べごろだったはずのグーズベリーが跡形もなく消えていました。鳥たちに全部食べられてしまったようです(笑)

2012年は私たちにとって『フランスの年』でした。この2週間の横断旅行に行く前に既に2度フランスに行きました。ドイツ寄りのロレーヌ地方とアルザス地方です。その時のことはまた別の機会に…

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方 

フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル

フランス横断旅行記(3)ー 光の海岸 :イル・ドレロン島

フランス横断旅行記(4)ー 銀の海岸:ボルドー


フランス横断旅行記(4)ー 銀の海岸:ボルドー

2016年06月27日 | 旅行

2012年7月1日~4日までボルドーに滞在しました。

 

泊まったホテルはHotel Le Chantryという二つ星ホテル。ツインを二人で一泊約65ユーロ、朝食1人9ユーロと手ごろなお値段。宿泊費は曜日や滞在日数によって変わります。一泊だけだと現在80ユーロのようです。

ジロンド川河口以南からバヨンヌのアドゥール川までの大西洋岸は『銀の海岸(コート・ダルジャン、Côte d'Argent)』とよばれています。ボルドーは海岸には面していませんがこの地域に属しています。

ボルドーはフランスでマルセイユの次に古い港町。古代からワイン通商で街の富を蓄積してきた歴史があります。12世紀のイギリスの支配下でイギリスへのワイン輸出の独占によってボルドーは更に富むようになり、今現在でも『ワインの首都』の地位は不動のものです。ボルドーの町並みは18世紀に新たに整備されたため、町全体に統一感があります。

7月1日は夜遅くホテルに到着したので、観光は翌2日から。歩いて回るにはあまりにも広いので、オーディオガイド付きの観光バスに乗って見て回りました。

      

   

ガロンヌ川にかかる橋もなかなかの芸術作品です。川岸にはヌートリアという巨大なネズミ。わざわざえさを与える人がいるらしく、かなり繁殖していました。そばで見ると結構迫力があり、ちょっと怖いかも。

  

 

下は聖アンドレ教会。元々はローマ法王ウルバヌス2世によって1096年に創立されたロマネスク様式の建築です。ウルバヌス2世は第一回十字軍を呼び掛けた人です。この教会は12-15世紀にゴシック様式でかなりの部分が拡張されました。全長124m、幅23m、高さ29m(聖歌隊席部分)。オルガンの大きさには目を見張るものがありますが、ステンドグラスも美しいです。

      

ボルドーにはもちろん現代的な建物もあります(^^)綺麗かどうかはともかく…

       

 

翌日7月3日はアキテーヌ地方郷土博物館(Musee d'Aquitaine)へ。考古学的な出土品やワイン栽培の歴史などが主な内容です。

     

 

博物館見学の後は、先日通行止めで見られなかったボルドーの観光名所エスプラナーデ・デ・カンコンス広場(Esplanade des Quinconces)へ行きました。ヨーロッパ最大の広場の一つと言われ、12万6千m2の広さです。1810-1828年にトロンペット城(Château Trompette)の跡地に造営されました。その広場の北端には高さ43mのジロンド党員追悼碑が君臨しています。フランス革命の際ロベスピエールの恐怖政治の下(1793-95)で斬首刑となったジロンド党員たちを偲ぶものだそうですが、噴水になってる彫刻を見ている限りあまり関連性は見出せませんでした。

広場は残念ながら大部分が工事現場となっており、写真が撮れませんでしたので、ジロンド党員追悼碑だけカメラに収めました。

    

 

翌7月4日は近くのワインの産地として有名なサンテミリオン(St-Émilion)やソテルヌ(Sauternes)やサン・マケール(St Macaire)に寄り道しつつ次の目的地、アルカション(Arcachon)へ向かいました。とは言え、サンテミリオンはボルドーの西に位置し、東南の太平洋岸のアルカション湾に向かうには遠回りなのですけど。

 

サンテミリオンは山間の小さな町ですが、ワインの産地としての歴史は8世紀まで遡れるとか。崖を掘って作られた修道院が有名です。中世の城壁も残っています。

   

   

 

サン・マケールはメジャーな観光案内に載っているような街ではないのですが、素朴なワイン製造を主産業とする田舎で、歩きでぐるっと回って1時間半くらいの小さな村です。

      

下はかつての市場。アーケードが特徴的で、雨天での買い物もOKだったそうです。

  

アルカション編に続く。

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方 

フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル

フランス横断旅行記(3)ー 光の海岸 :イル・ドレロン島


フランス横断旅行記(3)ー 光の海岸 :イル・ドレロン島

2016年06月26日 | 旅行

2012年6月29日、ラ・ロシェル(La Rochelle)を出発し、イル・ドレロン(Île d'Oléron)島へ向かいました。

 

イル・ドレロン島に行く途中にロシュフォール(Rochefort)という街があります。ラ・ロシェルのライバルでもあり、17世紀にフランス最大の造船所の立地として整備されました。毎年300隻以上の帆船が進水していたとか。18世紀以来海軍武器庫の立地でもあります。

   

ロシュフォールの海岸から引き潮の時だけ通れる道を通って小さな島(イル・マダム、Ile Madame)に行くことができます。

    

海岸から島まで意外と距離があり、道もところどころ歩きにくいところがあって、往復したらかなり疲れました。

その後、イル・ドレロン島へ。泊まったホテルはレ・ジャルダン・ドレロン(Les Jardins d'Oléron)という二つ星ホテル。ダブルルーム二人で一泊64ユーロ。朝食は一人8ユーロ。4年後の現在でも値段は変わっていないようです。ホテルというよりはペンションという感じですが、アットホームで清潔感のある感じの良いところでした。

このイル・ドレロン島はフランスでコルシカの次に大きい島です(長さ60㎞、幅は最も広いところで15㎞)。長くきれいな砂浜、砂丘、松林…そしてカキの養殖所(写真は翌日の2012年6月30日のもの)。

 

遠くに見えるのはロシュフォールのフランス海軍基地を守護するための要塞フォール・ボワヤール(Fort Boyard)。ナポレオンの指揮下で、1801年に着工しましたが、引き潮の時しか工事ができないことと、砂州に運び込んだ岩塊が自らの重さで砂州に沈み込んでしまうこともあり、1809年には工事中止。1837年に英仏関係がまたしても緊張したのを機に工事が再開されました。1847年に土台が完成し、10年後の1857年に要塞が完成。工事期間はトータル28年ですが、同じものを現在立てるとしたら、もうちょっと速く完成するのでしょうか?現代でも大きな建設プロジェクトは大抵予定よりも時間がかかり、予算を超える費用がかかるものですが…

上から見るとコロセウムを楕円にしたような奇妙な建物(写真はドイツ語版ウィキペディアより)。本当にイギリスに対する防衛に役立ったのかは不明。

 

 

こちらはカキの養殖村。周りは自然保護区のシト・ド・フォール・ロワエ(Site de Fort-Royer)。カモメが幅を利かせています。

     

 

次に訪れたのが野鳥の湿原(Marais aux oiseaux)。タカやフクロウなどの猛禽類以外は基本放し飼い。なぜか亀もたくさんいました。

            

野鳥の湿原を回った後はサン・ピエール(St-Pierre)という地区のル・フォラン(Le Forum)というレストランでディナー。前菜は当然カキ。ボリュームたっぷりで、ダンナもご満悦。

    

 

翌日7月1日はオレロン城の1630 ー 1704年に建設された要塞(Citadelle du Château d'Oléron)へ。天気は漸く快晴。

     

 

要塞を出るとすぐに大陸へ向かう橋があります。次の目的地はボルドーでしたが、そこへ行く途中で、光の海岸(コート・ド・リュミエール)南端であるジロンド川河口のあるロワヤン(Royan)に寄り道しました。

 

海水浴場となっているジロンド川北岸は砂浜が2㎞にも及んでいます。豪華なホテルやショッピングモール、遊歩道など、割と贅沢に整備されたリゾート地です。

     

ロワヤンは、19世紀から20世紀初頭にかけてボルドーからの富裕層や作家、芸術家などが集まりました。エミール・ゾラは海岸の写真を撮り、ピカソはカフェ・デ・バンを描きました。それらは記録の中でしか残っていません。なぜなら、第二次世界大戦中にドイツ軍と上陸した連合軍の間で激しい戦闘が行われ、町の85%が破壊されてしまったからです。

それでもいくつかアールヌーボー風の家が残っています。

   

ボルドー編に続く。

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方 

フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル


フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル

2016年06月26日 | 旅行

2012年6月26日の夜遅くニオールから更に西へ約70㎞走り、宿泊地であるラ・ロシェルへ到着。イル・ド・ノワルムティエからジロンド川河口までの大西洋沿岸は『光の海岸(コート・ド・リュミエール)』と呼ばれています。1年の日照時間は2000時間に及ぶとか。コート・ダジュールに次ぐリゾート地だそうですが、値段的にそんなに高くありません。

ホテルはBrit Hotel La Rochel - La Brasserie du Cap で、ツインで1人当たり一泊73ユーロ。4年後の現在でも値上がりはしていないようです。朝食は一人8.40ユーロ。まあ、おフランスの標準的な朝食でしたね。ハム各種やサラダなどが出て来ることはなく、バゲットやクロワッサン、ハム1種類、チーズ2-3種類、果物、ジャム各種、シリアル各種、茹で卵、牛乳、ジュース、ヨーグルト、コーヒー、紅茶。これがフランスの三つ星ホテルの朝食のスタンダード。最近ではフランスのホテル朝食も変わりつつあるらしいですが…


6月27日、朝食後目指したのはラ・ロシェルの街中ではなく、北東へ30㎞戻って、マレー・ポワトヴァンという広大な湿地帯へ向かいました。ここは数千の運河が迷路のように錯綜しており、現地の人は大昔から平らな黒いボートで水路を移動しています。湿地帯の中央を流れる川はセーヴル川で、前日訪れたニオール(Niort)に繋がっています。

    

大きな運河の跳ね橋が上がるところを捉えました。

 

足元をよく見ると、カタツムリが鈴なり!

 

小さな村の教会を除いてみました。

    

更にドライブし、比較的乾燥している区域から緑深い地域へ。

    

ダンナが混んでるところが嫌いなので、なるべく人のいないところを狙って車を止め、自然を楽しんでいましたが、一応観光地でもありますし、観光客向けのボートなども出ております。下の写真はメゾン・ドュ・マレー・ポワトヴァン(Maison du Marais Poitevin)より。

私たちは一日湿地帯で過ごし、晩ごはんですらスーパーでバゲットと出来合いサラダやハムや飲み物を買って、運河沿いに腰を下ろして食べたり。。。

翌日の6月28日は、ラ・ロシェルの水族館へ。建物の写真は水族館のオフィシャルサイトから。

 

水族館の中ではあまりいい写真は取れなかったのですが、そこそこ成功したものをここにアップします。

     

砂利の中に穴を掘って住む魚がかわいい。

  

さていよいよラ・ロシェルの11世紀から栄えた港町と旧市街。港への入り口を見張るのは14世紀に建てられた『鎖の塔(トゥール・ド・ラ・シェンヌ、Tour de la Chaine)』(左)と『聖ニコラス塔(トゥール・サン・ニコラ、Tour St. Nicolas)』(右)。以前はこの二つの塔の間に鎖がかけられ、港への侵入を阻むようになっていました。

 

『鎖の塔』から100mくらい離れたところには15世紀に建てられた灯台、トゥール・ド・ラ・ラテルヌ(Tour de la Laterne)があります。

こちらは港の内側と港に面した旧市街。真ん中に移っている時計塔は元々は中世の城壁に据え付けられていた塔で、馬車用と歩行者用の出入り口になっており、時鐘(1478年のもの)が備えつけられていました。現在のルイ15世スタイルの時計塔になったのは1746年。

 

 通称『アンリ2世の家(Maison Henri II)』またの名をオテル・ドューグ・ポンタール(Hôtel d'Hugues Pontard)。16世紀中庸に建築家ポンタールによってアンリ2世のために建てられたもの。ロココのような派手さはなく、つつましやかな美しいお屋敷。

 

対して、市庁舎は豪華。15世紀末から16世紀初頭にかけて建設された市長の居城です。外側はごっつい城壁、ゴシック様式の門に守られ、内側はルネサンス様式の優美なパレスになっています。外壁の写真はフランス語版ウィキペディアから転載。

  

街を少し離れると、素敵な遊歩道のある海岸公園が…

   

まだ明るい感じがするかもしれませんが、最後の写真は夜の10時過ぎてます。10分後にはこんなに暗く…

翌朝、次の目的地に移動する前にラ・ロシェルの旧市街をもう一度見て回りました。灯台も見てきました。

 

ここから旧市街。

  

 

次の目的地イル・ドレロン(Île d'Oléron)へ続く。

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方 



フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方

2016年06月25日 | 旅行

今からちょうど4年前車でフランス各地を回りました。最終的な目的地がボルドーでした。ドイツ・ボンから車でボルドーを目指すと、必然的にフランス中部を横断することになります。だから『フランス横断旅行記』というタイトルにしてみました。それ以外に大した意味はありません。

2012年6月24日に出発し、最初の宿泊地はロワール川沿いのブロワ(Blois)でした。

ブロワは15世紀から16世紀末までフランスの王都でした。残念ながら到着した頃かなり激しい雨に降られ、さほど街中を見て回ることはでませんでした。泊まったホテルはibis styles Blois Centre Gare Hotelという三ツ星ホテル。その名の通りブロワ中央駅の近くに建っています。現代的でシンプルすが、ビジネスホテルというほどそっけなくはない庶民向けのホテルです。ツインで一泊一人当たり45ユーロでした。値段はシーズンや曜日によって変わります。

翌日も雨がぱらついていてあまり外を歩く気にならなかったのですが、天気が良ければきっとそれなりに美しい街なのでしょう。

   

宮殿シャトーロワヤル・ド・ブロワは王様が変わるたびに増築されたようで、13-17世紀の建築様式の宝庫のような感じです。

     

     

ブロワからほど近い、ロワール川支流コソン川沿いにロワール地方最大の有名なシャンボール城(Château de Chambord)があります。シーズン中は常に観光客でごった返しているところですが、いかにもメルヘンチックな宮殿は確かに見る価値があります。もともとその場所にはブローニュの森での狩りのための居城があったそうですが、1519年にフランソワ1世が取り壊しを命じ、その後レオナルド・ダ・ヴィンチのものと思われる設計図に従って礎石が置かれたそうです。400室を擁する宮殿はルイ14世の時代、1685年に完成しました。よくそんなお金があったものだと感心する次第です。

               

シャンボール城見学後はまたブロワに戻ってディナー。

   

翌日6月26日はブロワからロワール川沿いに西へ35km、アンボワーズ(Amboise)へ。 アンボワーズはルイ11世の居城があり、またシャルル8世の生誕地でした。フランソワ1世及びカタリーナ・ディ・メディチの10人の子どもたちもここで育ちました。レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごし、またフランソワ2世に対するユグノーの陰謀が失敗した場所でもあります。

  

あまり時間がなかったので、アンボワーズ城には入らず、近くのレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館クロ・リュセ(Clos-Lucé)へ。通り道には崖を刳り抜いたような家が何件かありました。ぜひ中を見て見たかったのですが、博物館で時間を取られると思ったので断念。

 

ここからクロ・リュセ。フランソワ1世が1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボワーズへ招き、このクロ・リュセ城を与えました。彼はモナリザ、洗礼者ヨハネ、アンナ・メッテルツァの3点の絵をここへ持ち込み、1519年に亡くなるまでここで過ごしました。

       

ここからレオナルド・ダ・ヴィンチのデザイン画から再構した様々な機械のモデル。

       

これらのモデルの他、ダ・ヴィンチグッズや本などが置いてあるショップは下の写真のようなかわいらしい建物の中に納まっています。レオナルド・ダ・ヴィンチのお墓も近くにあるということでしたが、お墓参りは省略。

この日の宿泊地ラ・ロシェルに向かう途中でニオール(Niort)によりました。ニオールもラ・ロシェルも既にロワール地方ではなく、ポワトゥー・シャラント地方で、ラ・ロシェルは大西洋沿岸の地です。アンボワーズから南西へ200km近く走るとニオールに辿り着きます。

ニオールには12世紀にヘンリー2世とリチャード獅子心王によって建てられたダンジョンがあります。このダンジョンは100年戦争で随分重要な役割を果たしたそうです。

 

中世にセーヴル川の港町として栄えただけあって、いまでも水路が美しい街並みです。

  

 

ラ・ロシェルのホテルに着いたのは夜遅い時間でした。「光の海岸」編へ続く

にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ

ドイツ:世論調査(2016年6月24日)~ドイツ人にとってはEUはメリットの方が大きい

2016年06月25日 | 社会

ZDFの世論調査ポリートバロメーターが6月24日に発表されましたので、以下に結果を私見による解説を加えつつご紹介いたします。

まずは昨日世界中で話題となったイギリスのEU離脱ーBrexitについて。

BrexitとEU

イギリスのEU離脱をどう思いますか?:

いい 7%(前回比-1)
悪い 69%(+2)
どちらでもよい 22% (-1)

 

Brexitはドイツにとって大きな経済的損害?:

はい 34%
いいえ 56%
分からない 10% 

 

Brexitは今後数年でEUの崩壊に繋がる?

はい 31%
いいえ 63%
分からない 6% 

どうやらドイツ人の大半はイギリスのEU離脱の影響力を大して大きく評価しておらず、EUの存続に比較的楽観的であるようです。

 

EUの未来:今後10年で加盟国間では…?:

より強い団結 16%
独立性が強まる 32%
変化なし 54%
分からない 7% 

 

EU加盟国であることはメリット・デメリット?:

メリット 45% (2月:37%)
メリットとデメリット 38%(42%)
デメリット 14% (19%)

今回初めてEU加盟が「どちらかというとメリットをもたらす」が「メリットとデメリット」を上回りました。Brexitをめぐる議論の中で、EUのメリットを改めて自覚したという人が増えたのかも知れません。あくまでも個人の捉え方ですから、実際にドイツがどれだけEUで得をしているのかはまた別問題ですが。

下のグラフは2004年1月16日以降のEUに関する世論調査の結果を表したものです。ずっと水色の線(メリットとデメリット)が一番上だったことがよく分かります。

 

NATOとロシア

ロシアの攻撃性(?)に対抗するため、東欧のNATO加盟国の要請により、NATOの東欧駐屯軍が増強されました。

東欧の加盟国を守るためのNATOの駐屯軍増強は正しいと思いますか?:

正しい 34%
正しくない 56%

 

各政党支持者の間で「正しくない」と答えた人の割合:
CDU/CSU 48%
SPD 55%
左翼政党 79%
緑の党 60%
FDP 63%
AfD 70%

 

ロシアはポーランドやバルト3国にとって深刻な脅威ですか?

はい 45% (2015年3月:59%)
いいえ 43% (32%)
分からない 12% (9%)

去年の3月に比べると、ロシアはそれほど深刻な脅威とは捉えられていないようです。ロシアがウクライナやシリアを除くと大した軍事的動きをしていないことも影響しているのでしょう。クリミア半島併合、ウクライナ東部の分裂と続けば、次はバルト三国か?!とホラーシナリオが描かれるのはある意味当然の帰結ですが、ロシアとしても本気でNATOと一線を交える気はなく、ちょっと挑発して、外交的に有利なポジションを得ようとしただけなのでしょう。

 

ウクライナ紛争:対ロシア制裁措置はどうすべきですか?

緩和すべき 40% (2月:33%)
現状維持 29% (40%)
強化すべき 24% (21%)

今週、EUは対ロシア経済制裁の延長を決議しました。それは必ずしもドイツの民意とは一致していないようです。もともとドイツはロシアとの経済協力関係が密だったので、ロシアに経済制裁を与えれば自分で自分の首を絞めることにもなるので、消極的にならざるを得ないのですが、アメリカとイギリスの意向が強く反映された結果が対ロシア経済制裁延長となりました。

 

政党・政治家評価

CDUとCSUは重要な政治問題で…?:

意見が一致している 21%
袂を分かっている 67%

両党の関係は今後?:

改善する 14%
悪化する 17%
変化なし 59% 

 

政治家重要度ランキング(スケールは+5から-5まで)

  1. ヴィルフリート・クレッチュマン(バーデン・ヴュルッテンベルク州首相、緑の党)、2.2 (前回比-0.2)
  2. フランク・ヴァルター・シュタインマイアー(外相)、2.2(+0.2)
  3. ヴォルフガング・ショイブレ(内相)、1.9(+0.2)
  4. アンゲラ・メルケル(首相)、1.3(-0.2)
  5. グレゴル・ギジー(左翼政党)、0.9(-0.2)
  6. トーマス・ドメジエール(内相)、0.7(変化なし)
  7. ジーグマー・ガブリエル(経済・エネルギー相)、0.7(+0.2)
  8. ウルズラ・フォン・デア・ライエン(防衛相)、0.6(変化なし)
  9. アンドレア・ナーレス(労働相)、0.4(変化なし)
  10. ホルスト・ゼーホーファー(CSU党首・バイエルン州首相)、0.3(変化なし)

 

 

連邦議会選挙

もし次の日曜日が議会選挙ならどの政党を選びますか?:

CDU/CSU(キリスト教民主同盟・キリスト教社会主義同盟) 34%(+1)
SPD(ドイツ社会民主党)  22% (+1)
Linke(左翼政党) 9%(変化なし)
Grüne(緑の党) 12%(-1)

FDP (自由民主党) 6%(変化なし)
AfD(ドイツのための選択肢) 12%(-1) 
その他 5% (変化なし)


1998年10月以降の連邦議会選挙での投票先推移:

 

政権に対する満足度(スケールは+5から-5まで): 0.8(変化なし)


この世論調査はマンハイム研究グループ「ヴァーレン(選挙)」によって行われました。インタヴューは偶然に選ばれた有権者1.224人に対して2016年6月20日から6月23日に電話で実施されました。

次の世論調査は2016年7月8日ZDFで発表されます。

 

参照記事:ZDFホイテ、2016.06.24、「ポリートバロメーター


ロマネスクサマー•ケルン(音楽フェスティバル)2016

2016年06月23日 | 日記

現在ケルンではロマネスクサマー・ケルン2016(Romanischer Sommer Köln 2016)という音楽フェスティヴァルが開催中です。「時空間を通じて聴く・道」をモットーに中世的な音楽をケルンのロマネスク様式の教会で堪能する、どちらかと言うと地味な催し物です。

私はチケット・ケルンというチケット販売サイトからのメルマガでこのフェスティヴァルを知り、丁度コンサート三つセットチケットが割安で販売されていたので、6月23日は平日にもかかわらず、滅多にない機会だからと買ってしまいました。この為に有給休暇を一日取りました。

聖パンタレオン教会

本日最初のコンサートは「ロマネスクの昼休みーRomanische Mittagspause」というタイトルで、開始時間は12:45。このところずっと☁だったり☂だったりで、気温は20度超えればいい方だったのに、今日は快晴で、いきなり33度。溶けそうなくらい暑い中、聖パンタレオン教会へ向かいました。下の写真は教会近くの公園。

聖パンタレオン教会の中はひんやりと涼しくて、助かりました。元は10世紀に創設されたベネディクト教会で、12世紀にバシリカに建て替えられ、19世紀に西翼が改築されたそうで、なかなか長い歴史のある教会です。

講壇と懺悔室があるので、カトリック系ですね。

コンサートの演奏者はアンサンブル・ミクストゥーラ(Ensemble Mixtura)というアコーディオンとシャルマイ(Schalmeiまたはショーム)のコンビ。シャルマイはもともとはイランのSornay、トルコのZurnaがヨーロッパに渡って進化したものと言われており、中世及びルネサンス期に最盛期を迎えた楽器です。バロック時代になり、オーボエが登場してからはほとんど姿を消していたのだそうです。20世紀半ばにある種の『再発見』があり、中世・ルネサンス音楽の演奏を始め、フォークなどにも使われているのだとか。

演奏された曲は全て現代の作曲ですが、14世紀の音楽にインスピレーションを受けているとのことでした。実際中世のお祭りなどで演奏されたようなメロディーもあり、なるほどと納得のいくものでした。演奏された曲の題名などは全然言及されなかったのでさっぱり分かりませんが、アルプスに放牧されたヤギや牛を思い浮かべてしまうような牧歌的な曲もあれば、中世の修道院に好奇心と一種の畏怖感というか緊張感を持ちながら入っていって、探検しているうちにおどろおどろしい雰囲気になり、終いにはなんかやばいものが出てきた、というイメージ(私の勝手な脳内変換)が湧いてくるような曲、ホラー映画のサウンドとしか思えないようなものとかもありました。そうかと思うと、演奏者の足元にとっちらかってる紙をアコーディオンの和音(あるいは不協和音)に合わせて破くパフォーマンスや、足を踏み鳴らして効果音として使ったりと、非常に面白かったです。毎日聞きたいとは思いませんけど。シャルマイのよく通るメリハリのある音にかぶさるアコーディオンの伴奏が教会の荘厳さの中でゆったりと響き渡る時、未知の世界へ誘うような不思議な気持ちになりました。

聖ウルズラ教会

二つ目のコンサートは聖ウルズラ教会で、開演時間は20:00。聖ウルズラ教会は1135年からバシリカ。その後いろいろ増築されています。現在位置はケルン中央駅から北西に徒歩10-15分くらいのところです。尖塔のバロック風冠は17世紀のもの。

出演者はムジカ・フィアータ(Musica Fiata)とカペラ・ドゥカーレ(Capella Ducale)というグループで、ローラント・ウイルソン指揮の下、1650年のベネチアを音楽的に再生。モンテヴェルディと彼と同時代人の作品が演奏されました。楽器は見てわかる限りではオルガン、ヴァイオリン、ハープ、トランペット、ファゴット、テオルボ。そして男女混成の合唱団。ベネチアのサンマルコ聖堂のように、聖ウルズラの2階席及び祭壇の奥行で独特の音響空間が再現される、とのこと。

実際、素晴らしい音響でした。音楽もこれぞまさに教会音楽という感じでしたが、バッハとは一味違う中世的な素朴さがあり、ロマネスク様式の教会によく合ってると感じました。バッハはバロック教会というイメージですが。

曲目によって舞台に上がる歌手の人数が変わり、女声だけあるいは男声だけの曲もありました。楽器は決して歌声の伴奏ではなく、むしろ歌声の方が楽器の一つになっていたように感じました。

出入り口でCD販売していたので、2つ購入しました。2つで25ユーロ也。大量生産でない分割高ですね。ライブには若干劣るとはいえ、満足な音質です。

 

聖アンドレアス教会

三つ目のコンサートは聖アンドレアス教会で22:00から。この教会はケルン大聖堂・ケルン中央駅から徒歩3-5分くらいのところにあります。私たちは聖ウルズラ教会から歩いて移動しました。この教会も10世紀に創立され、12世紀にクロッシングが加えられ、更にゴシック様式の聖歌隊席などが中世後期に増築されました。

さてこの教会の中に入って、困ったことが起こりました。私はダニ、ハウスダスト、カビなどに対するアレルギー持ちで、古い教会では場所によってアレルギー反応を起こしてしまうのです。聖アンドレアス教会はまさにアレルゲンの宝庫だったようで、入ってしばらくすると咳が出て、息ができなくなるほど。コンサートが始まった直後でしたが、取りあえず外へ出ました。残念ながらマスクの手持ちがなかったので、どうしようかと考えた末にハンカチを鼻と口に当ててもう一度はいることにしました。すぐに出られるように出口近くに座ったので、楽器などはあまり詳しく見ることはかないませんでした。でもハンカチで何とかコンサート終了前の約1時間持ちこたえました。若干苦しかったですが…

演目はケルンのドミニク修道会系尼僧院パラディーゼ由来のあまり知られていないグレゴリオ聖歌。パラディーゼの尼僧の作も何点か入っている可能性がある手書きの礼拝式聖歌集を再現したもの。マリア・ヨナス(Maria Jonas)指揮で女性ばかりの合唱団アース・コラーリス・ケルン(Ars Choralis Coeln)が出演。女声によるグレゴリオ聖歌は初めて聞きましたが、これも教会で聞くと美しくていいですね。心が洗われるようです。

難を言えば、どの曲もなんだか同じように聞こえることでしょうか。楽器が変わるので辛うじて違う曲だと分かる感じです。この点では男声によるグレゴリオ聖歌も同様なのですが。

今日は比較的珍しい演目のコンサート3つを堪能できて、贅沢な一日でした。ロマネスクサマー・ケルンは明日で終わりです。明日はバッハやシューベルトなどのメジャーどころやジャズなどの現代的な演目みたいです。フェスティヴァル中一番おいしいプログラムは今日だったと思いますね。

明日は今日休んだ分の仕事をしないといけません。では、おやすみなさい。