今年の2月23日の木曜日はヴァイバーファスナハト(Weiberfastnacht、女たちのカーニバル)でしたが、一昔前とは違って私の勤める会社でも仮装してきたり、午後に本社で開催されるパーティーに参加したりする人は少数派で、大抵の人は休みを取っているか普通に働いているかのどちらかでした。私は普通に働いている部類で、ミーティングというか少人数の打ち合わせもありました。その席で同僚の一人がベルリーナーを皆のために差し入れしてくれ、その際に「ヴァイバーファスナハトにベルリーナーなしでミーティングなんてあり得ない」と言ったので、おや?と思った次第です。そして思い起こしてみれば確かにカーニバルの時期は普通の砂糖をまぶしただけのベルリーナー(下の写真)だけではなく、卵リキュールやらクリームやら、色とりどりの飾りつけされたのやらのバリエーション(上の写真)がパン屋などで随分売られているし、過去に何度かあったヴァイバーファスナハトの日のミーティングにはベルリーナーが供されていたことに、ドイツのカーニバル本拠地域在住27年目にして漸く気が付いたのです。
日本の方にはそもそもベルリーナーがどんなものか分からないかもしれませんので、ちょっと説明を。日本にあるものでこれに一番近いのは揚げパンです。いつだれが考案したものなのか諸説ありますが、恋煩い中の料理女が間違えてケーキの生地をオーブンではなく油の中に入れてしまったのが始まりとか、連隊所属料理人がケーキ生地を大砲の弾の形にし、オーブンがないので、ナベに油を入れてあげたのが始まりだとか。
揚げパンのようなものはドイツ語圏では1200年頃の修道院の献立表に記載されているものが最古の記録のようです。ただしこの頃のものは丸ではなく、長細かったという話です。そしてその両端がかぎ爪のように曲げられていたためにクラプフェン(Krapfen、中期高地ドイツ語 krapfeは「かぎ爪」という意味)と呼ばれ、その呼び名が今でも一部地域に残されています。
「ベルリーナー」は「ベルリンのパンケーキ(Berliner Pfannkuchen)」の省略らしく、主に北ドイツとドイツ西部ニーダーザクセン、ノルトライン・ヴェストファーレン、ラインラント・プファルツおよびバーデン・ヴュルッテンベルク州の一部、ザールラント、ドイツ語圏スイスなどでの一般的な呼称です。逆にベルリンを含むドイツ東部での名称は「プファンクーヘン」が一般的です。バイエルンやバーデン・ヴュルッテンベルク州の一部及びオーストラリアでの名称は既に述べた「クラプフェン」です。
中味はジャムが一般的ですが、地域によるバリエーションもシーズンによるバリエーションも様々です。このページの最初の写真はそのバリエーションの一部です。上の2個は糖衣がかけられたもので、中身はどちらも同じ。右側のに色付きチョコが載っているのが唯一の違いです。下の左のはクリーム・ベルリーナーと命名され、カスタードクリームが入っています。下の右側のは卵リキュールのクリーム入りです。
さて、なぜカーニバルにベルリーナー(プファンクーヘン)を食べるのかという疑問ですが、Esskultur(食文化)というサイトの記述によりますと、カーニバルのばか騒ぎの後に始まる断食に備えるためだそうです。断食前にカロリーたっぷりのものを一杯食べておこう、ということらしいですね。
ベルリーナー(プファンクーヘン)が中世から広く普及した理由は、油または油脂を使ってオーブンがなくても簡単に作れる手軽さだろうと言われています。
ベルリーナー(プファンクーヘン)はドイツ・スイス・オーストリアばかりではなく、その他のヨーロッパの国々にも普及しています。
ドイツ語版ウイキペディアの記事によりますと、ベルギーではブール・ド・ベルラン(boules de Berlin、ベルリンのパンケーキ)、オランダではベルリーナー・ボレン(Berliner bollen)と呼ばれ、通常真ん中で切られ、バニラクリームが入っているそうです。
ブルガリアではポニチュキという名称で、バニラ・カスタードクリームまたはベリー類のジャム入り。ポーランドではポンチュキ(Pączki)という名称。
フィンランドではジャム入りのベルリーナーはヒロムンキ(hillomunkki、マーマレード・クラプフェン)、糖衣バリエーションはベルリーニンムンキ(berliininmunkki、ベルリンのクラプフェン)そして知られています。
ノルウェーではベルリーナーボラー(berlinerboller)という名で、ジャムまたはバニラカスタードの入ったものがあります。
スロベニアではトロヤンスキー・クロフ(trojanski krof)と言い、あんずジャム入り。オーストリアのベルリーナーが一般的にあんずジャム入りなので、それが伝わったものと考えられます。
以上に挙げた国はドイツまたはオーストリアと近接しており、関係も良きにせよ悪しきにせよ密接にあったので、菓子パンに同じものがあっても不思議はないのですが、意外なのはポルトガルに伝わっているボラス・デ・ベルリン(bolas de Berlin)とチリのベルリネス(berlinés)ですね。いつだれが持ち込んだのか興味深いですね。