徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツ:5人に1人の子供が継続的に貧困 ベルテルスマン財団調査報告(2017年10月23日)

2017年10月23日 | 社会

ドイツ・ベルテルスマン財団が今日発表した貧困調査報告によると、ドイツの子供の21%、つまり5人に1人が継続的又は繰り返し貧困であるという。ここでいう「継続的」は少なくとも5年以上を指しています。「貧困」とされるのはドイツの平均収入の60%以下の収入しかない家庭です。

この21%の内訳は下記のグラフによると、11.6%が「継続的に生活が確保されていない」、5.8%が「継続的に保護を受給」、3.7%が「不安定な収入状況」となっています。

またそれ以外にも9.9%が「一時的な貧困状況」にあります。

 

実際にドイツでの貧困は何を意味しているかを、手に入れられない・諦めなければならない項目を数えることで表現するという調査が行われました。その際23項目の物品および社会的参加の観点について、それらの項目が経済的な理由で欠けているかどうかについて聞き取り調査されました。それら23項目には十分な大きさの住居や洗濯機、ネット接続可能なコンピューターや毎月一定額を貯金できるか、また社会的な観点として毎月映画館に行くことや友達を家に呼んで食事をごちそうするなどの項目が含まれています。

調査の結果、継続的に貧困にある子供には平均的に23項目のうち7.3項目、一時的貧困の場合は3.4項目欠けていることが判明しました。それに対して安定収入が確保されている家庭の子供は平均的に1.3項目諦めるだけで済んでいます。

こうした欠落・諦めは長期的な影響があります。

ベルテルスマン財団代表イェルク・ドレーガーは「子どものうちに貧困によって社会的生活に参加できないと、学校でもチャンスに恵まれにくいことが実証されている。それは後に貧困を乗り超えて自己決定可能な生活をする可能性が低くなるということだ」と主張しています。従って、今後の家族・貧困政策は子供を中心に考えるべきだということです。

 

参照記事:

Bertelsmann Stiftung Studie, 23.10.2017, "Kinderarmut ist in Deutschland oft ein Dauerzustand(子どもの貧困はドイツでは継続的状態であることが多い)"


ドイツ:貧富の格差はヨーロッパ最大

ドイツ:持たざる者ほど多い税等負担~ベルテルスマン財団調査

ドイツ:最新貧困統計(2016年度)


オーストリア:2017年国民議会選挙結果 強烈な右傾化

2017年10月20日 | 社会

 

 

今年のヨーロッパは選挙続きです。ドイツに続いてお隣のオーストリアでも10月15日に国民議会選挙が行われました。19日に郵便投票を含めた最終結果が出ましたのでここに簡単に報告します。

投票率は2013年より5.09%ポイント上昇して80%となり、その上昇率は史上最高だそうです。

一番の勝者はÖVPことオーストリア国民党で31.5%(2013年比+7.5)。

現与党のSPÖ(オーストリア社会党)は選挙翌日の結果ではFPÖ(オーストリア自由党)に負けていましたが、郵便投票分で若干挽回し、得票率26.9%の第2勢力となりました。

右翼政党であるFPÖは得票率26%(2013年比+5.5)で第三会派になりました。

その他議会入りしたのはNEOSおよびピルツ・リストの2党で、緑の党は4%の壁を超えられませんでした。ピルツ・リストというのは元緑の党議員で「対汚職戦士」として知られていたペーター・ピルツが独自に立ち上げた候補者リストのことです。

ÖVPはドイツのCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)の姉妹政党で、今回の史上最年少の党首セバスティアン・クルツ(31)による右翼を抱き込むような選挙戦略が特にCSUから注目されていました。CSU党首であるホルスト・ゼーホーファーはかねてより「CDU/CSUより右の合法的政党はない」という意見の持ち主で、AfDに負けないように右翼受けする政策を掲げるべきだと主張してメルケル首相と衝突していました。ÖVPの大勝利はもはやゼーホーファーの党内地位を強めるものとはなり得ませんが、メルケル首相の立場を弱めることにはなりそうです。

ÖVPは右翼政党であるFPÖと連立政権を形成するものと見られ、クルツがすでにFPÖ党首ハインツ・クリスチアン・シュトラッヘと会談しています。両党は2000-2002年に連立政権を形成し過去があり、今回はその右翼連合政権の復活となります。

FPÖの得票率26%と比べればドイツの右翼政党AfD(ドイツのための選択肢)が得た13%弱の得票率がかわいく見えて来るものです。FPÖは基本的に反ヨーロッパの立場なので、首相候補のクルツが「オーストリアのEU離脱はない」と主張しているものの、EU政治において、特に難民政策においてはメルケル・ドイツに敵対するものと予想されています。

国民議会選挙の一番の争点は難民政策でした。党首討論を見ましたが、セバスティアン・クルツは他に問題がないかのようにどんなことも難民政策に結び付けて強引に議論を進めているように見受けられました。彼の若さとさわやかな外見による人気がÖVPの得票率の伸びに貢献したという部分もあるでしょうが、彼が煽った難民に対する不安も得票に繋がったことは否定できないでしょう。難民も殆どおらず、直接問題が起こっているとは考えられない地区で特にÖVPの得票率が上がったことがそのことを示しています。

参照記事:

Die Presse, 19. Oktober 2017, "Wahl: Das Endergebnis inklusive Wahlkarten(選挙:郵便投票を含む最終結果)"

Die Presse, 19. Oktober 2017, "Nationalratswahl 2017: Gesamtergebnis, Detailergebnisse, Wahlbeteiligung, Koalitionsrechner und Wählerstromanalyse(2017年国民議会選挙:総合結果、詳細結果、投票率、連立カルキュレータ、有権者動向分析)"


ドイツ:2017年連邦議会選挙結果


化学療法の後は放射線治療?!(がん闘病記12)

2017年10月18日 | 健康

今日は血液検査とドクターとの面談のためにがん専門クリニックへ行ってきました。

前回の抗がん剤投与前の血液検査では血小板の値が上がってましたが、今日はまた正常値に戻っており、全然心配ないようです。

抗がん剤投与後の副作用は、だるさと関節痛のみ。関節痛は投与後2日目に始まって2日間で収まりました。それ以外の、例えばドクターが特に心配している発熱なども全くなく、吐き気とか食欲減退とか「どこの話?」というくらい無縁です。

世の中には「抗がん剤治療は効果がないばかりか死ぬ原因」とか言って全否定する人もいますが、かと言って代替療法でがんが寛解するのかと言えばそうでないケースもかなりあります。実際にはこの分野では分かってないことが多いので、なにごとも極端な決めつけはよくないと思いますね。

有名な2012年に「Nature medicine」に発表されたNelsonを始めとするアメリカの研究者たちの論文では確かに抗がん剤治療が抗がん剤に対する免疫をもつがん細胞の発生に一役買っていることとそのメカニズムが明かされていますが、これはあくまでもより効果的な抗がん剤を開発するための研究の一環としての論文であり、ちまたの「抗がん剤効果なし」という主張を追認するものではありません。

ドイツでも確かに抗がん剤を含むがん治療剤は巨大な市場(2015年度は28.5億ユーロ)であり、抗がん剤を調合できる薬局またはその権利のある薬局が全国でたった600件しかないことを鑑みれば、少数ががっぽり儲けている構図が明らかになり、またそこに健康保険組合とのやり取りで不正請求(抗がん剤の価格を上乗せて請求)も少なくはないそうで、実に問題の多い所ではあります(Handelsblatt, 7. Sept. 2016, "Das hässliche Milliardengeschäft mit Krebsmitteln")。

とは言えドイツのトレンドとしては化学療法を止めて代替療法へ行くのではなく、「総合的な治療」への移行です。つまり化学療法単独ではなく食事療法や生活習慣改善および精神衛生上のケアを含めたトータルケアですね。私の通院しているクリニックにも栄養コンサルタントがいます。私を担当してるドクターは食べ物に関しては「何食べてもいいよ」とおおらかです(笑) 体重を維持することと散歩などの軽い運動をできる限りすることは勧めてますけど。

因みにドイツのテレビなどで現在話題になって、問題視もされているのは「メタドン(Methadon)」という鎮痛剤です。この鎮痛剤が抗がん剤投与の際に効果を高める作用があることが分かってきており、現在臨床試験の最中です。ただ、これが抗がん剤との併用ではなく、単独でもがん患者の生活の質を高め、あまつさえ寛解を達成できたという報告もあるため、多くのがん患者たちがこの奇跡の薬を求めて、これを処方してくれる医者のもとに殺到しているようです。メタドンはがん治療薬としては認可されていないため、あくまでも「鎮痛剤」として処方されます。

閑話休題。

食事の話に戻りますが、食事の基本はやはり「体を酸性にしないものを食べる」ことでしょう。新鮮な野菜・果物などのアルカリ性食品8割、善玉の酸性食品(全粒のパンや玄米、ナッツ類、発酵食品など)2割摂取するのが良いと例えば「Zentrum der Gesundheit(健康センター)」というサイトの記事で推奨されてます。肉・魚・卵もオーガニックのものを少量であれば「善玉酸性食品」にカテゴライズされているのは意外な感じがしないでもないですが、私も完全なベジタリアンではないのでこういう食品リストの方が実践しやすいです。

こういう食生活の他に3週間前からマリア・トレーゼンの抗がんハーブレシピに従って「ヤドリギ茶6週間療法」をやっています。

私が抗がん剤の副作用が少なく、人混みに行っても変な感染症をもらってこないで済んでいるのはこうしたハーブティーを含む食生活改善によるものではないかと考えています。元々の抵抗力が強いというのもあるでしょうけど、ただ病気をもらってこないというだけでなく抗がん剤投与にもかかわらず快食・快便で肌の調子までいいのはやっぱり食べ物のおかげだと思いますね。

まあそんな感じで結構体調がいいんですが、今日のドクターとの面談で「化学療法後」のことを言われてちょっと「うえっ」となってます。抗がん剤投与はあと2回で終了になり、その後は精密検査をしてどうするか検討する、ということは了承していたのですが、実は私が手術を受けたマルテーザー病院での腫瘍カンファで決まった治療方針によれば「抗がん剤治療、後場合によっては放射線治療」となっていたそうです。「だから検査の後は放射線治療医との面談の予約を入れておく」とドクターに言われました。放射線治療が必要と判断されるかどうかはまだ分かりませんが、治療は3か月くらいかかるようです。

感覚的に放射線治療はお断りの方向で考えてます。「必要なし」と言われればそれに越したことありませんが、「必要あり」でもやるつもりはないです。

がん闘病記13


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

ドイツ:傷病手当と会社からの補助金(がん闘病記6)

抗がん剤投与2回目(がん闘病記7)

抗がん剤投与3回目(がん闘病記8)

医者が満足する患者?(がん闘病記9)

マリア・トレーベンの抗がんハーブレシピ(がん闘病記10)

抗がん剤投与4回目(がん闘病記11)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


ドイツ:ニーダーザクセン州議会選挙結果(2017年10月15日)

2017年10月16日 | 社会

10月15日日曜日はニーダーザクセン州の州議会選挙でした。連邦議会選挙後初の地方選挙ということで、中央政権の連立交渉に参考になる所見が得られるかどうかと注目されていました。

ニーダーザクセン州はVWの本拠地であり、大株主でもあるため、ディーゼル排ガス不正や事件州首相とVWの癒着の有無などで揺れていました。政権はドイツ社会民主党(SPD)と緑の党の連立でした。そういうタイミングで緑の党の議員の一人が党を去り、キリスト教民主同盟(CDU)に移籍したことで連立政権の過半数が崩れたために解散選挙となった次第です。「なにそれ?」と呆れるくらいのドタバタ劇ですが、そういう変なことがドイツでも起こり得るということです。

同日に行われたオーストリアの国民議会選挙と違って、ニーダーザクセン州議会選挙はすでに正式な結果が出ています。オーストリア国民議会選挙の正式結果は木曜日に出るそうですので、その後にこのブログでもそれについて書こうかと思いますが、まずはドイツ・ニーダーザクセン州の選挙結果です。

2013年の各政党の得票率は以下の通りです。

CDUが最大勢力であったにもかかわらず、政権与党は第二・第三会派のSPDと緑の党で形成されていました。連邦議会選挙で大躍進したドイツのための選択肢(AfD)は前回選挙ではまだ投票先として存在していませんでした。左翼政党(Linke)は5%の得票率を得られず、議会入りを果たせませんでした。

今回の選挙での各党の得票率は以下の通りです。

今年あった州議会選挙で負け続け、連邦議会選挙でも史上最低の得票率だったSPDがニーダーザクセン州では19年ぶりに最大勢力に返り咲きました。国レベルでSPDが下野する方針を取ったことがどれほど追い風になったのかどうかは不明ですが、ヴァーレン研究グループのアンケート結果では「州政治が投票先決定においてより重要」と回答した人が61%で、「連邦政治の方が重要」と回答した人(34%)を大きく上回っていました。

逆にCDUは史上最低の得票率となり、これから連邦レベルで連立交渉を始めようとしているメルケル首相はかなり厳しい立場に追い込まれています。もしかするとメルケル退場劇があるかもしれないと各メディアで報じられています。

緑の党は第三会派の地位は維持したとはいえ得票率の喪失の幅はかなり大きく、人事的な変更があるかもしれません。

AfDは州議会入りを果たしたものの、得票率は6.2%にとどまりました。そもそも西側の比較的経済状態の良いニーダーザクセン州ではAfDがそれほどお呼びではないということもあるかもしれませんが、連邦議会選挙後のAfD党首フラウケ・ペトリの突然の離党および新党「青の党」結成などで勢いがそがれた可能性もあります。

左翼政党は得票率は延ばしたもののやはり5%の壁を超えられず、今回も州議会入りは果たせませんでした。

前回比の各党の得票率の動きは以下の通りです。

結局得票率を延ばしたのはSPDとAfDだけですが、その伸びが有権者全体の中でどのくらいの意味を持つのか投票棄権者数と比較してみるとよく分かります。下のグラフで左端の紫色の縦棒が投票棄権者の割合(36.9%)を示しています。つまりSPDに投票した人たちよりも13.5%多いことになります。

今回の投票率は63.1%で、2013年の選挙の時の投票率59.4%よりは改善されていますが、「政治失望派が最大勢力」と言われています。投票しないイコール無関心ではないことは世論調査などで確認されています。

 

第18回ニーダーザクセン州議会の議席配分は以下の通りです。

 

SPDが勝ったとはいえ、これまで連立パートナーだった緑の党が大敗しているので、同じ連立では過半数に足りません。残された連立の可能性は「大きな連立(Große Koalition)」と呼ばれるCDUとの連立か、各党のトレードカラーを取って「信号機連立(Ampelkoalition)」と呼ばれる自由民主党を交えた3党連立となります。

また敗北したとはいえ第2勢力であるCDUがFDPと緑の党の「ジャマイカ連立(Jamaikakoalition)」と呼ばれる3党連立を形成することも理論的には可能です。

ただそこでネックとなるFDPが選挙前からSPDと緑の党と連立することを拒絶しています。このため政権に参加したい緑の党は「FDPが民主主義的責任を果たしていない」などと批判しています。FDPがこれからSPDと緑の党との連立交渉に応じるかどうかは不明ですが、確率的には低そうです。

結果的には連邦レベルではSPDの党の性格をうやむやにするという理由で「大きな連立」のための交渉には応じないとした党方針を州レベルでは覆して「大きな連立」の州政権が誕生する可能性もあります。

ヴァーレン研究グループのアンケート結果では「大きな連立」が可能な連立の中では一番支持されていますが、それでも「いいと思わない」という回答(43%)が「いいと思う」(40%)を上回っているところが難しい状況ですね。

 

選挙の争点として最も重要と見なされていたのは、学校・教育が44%で断トツのトップでした。次点が難民・統合で24%。

 

参照記事:

Bundestagswahl 2017, "Landtags­wahl 2017 in Niedersachsen: Ergebnis, Sitzverteilung, Koalitionen", 最終更新2017年10月16日 、15:20

ZDF heute, "Landtagswahl in Niedersachsen: Liveblog: Reaktionen und Analysen(ニーダーザクセン州議会選挙:ライブブログ、反応および分析)", 16. Oktober 2017

ZDF heute, "Nach der Niedersachsen-Wahl: Es wird eng für die Kanzlerin(ニーダーザクセン州選挙後、首相の立場が危うい)", 16. Oktober 2017

ZDF heute, "Niedersachsen nach der Wahl: Rot-Grün abgewählt - Appell an FDP(選挙後のニーダーザクセン州:赤緑連立は敗北。FDPへのアピール)", 16. Oktober 2017


ドイツ:2017年連邦議会選挙結果

ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州議会選挙(2017)

ドイツ:シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州議会選挙(2017)

ドイツ:3州同時選挙。右翼政党「ドイツのための選択肢」大躍進


書評:きのこ著、『発酵マニアの天然工房 エエもん・アカンもん、見分けたるー!』(三五館)

2017年10月16日 | 書評ーその他

『発酵マニアの天然工房 エエもん・アカンもん、見分けたるー!』も昨日友人からついでに渡された本です。麹の漬物を作ってみようと思いつつついついそのまま放置してたので、これを読んで初志貫徹(?)するかと思って早速読んでみました。160ページ弱の小冊子で、量的にもさらっと読める手軽さがありますが、文の大部分が関西弁で書かれていて、目の付け所というか突っ込み所が見事でかなり笑って楽しみながら読める本です。

目次

第1章 体と発酵のビミョーな関係

第2章 麹は自分でつくってしまえ

第3章 天然酵母と乳酸菌のレシピ

第4章 こんなにあるぞ!乳酸菌の活用術

第5章 乳酸菌から環境を考えてみよー

第6章 発酵パワーで放射能をやっつけろ!

 

もちろん中には発言がラジカルすぎるというか、そこまで決めつける根拠はちょっと弱いんじゃないかと思える部分もありますし、いろんな「やってみよー」の中にはドイツではかなり難しいものもあります。

また第5・6章では最初の方のテンポの良さや可笑しさ・面白さが残念ながらかなり失われてしまいます。話の繋がりは分かるんですけど、タイトルから期待される内容からはやはり多少脱線していて、全体の座りが悪くなっていると感じずにはいられません。コラム的に挿入するだけの方が良かったのではないかと思います。

何はともあれ第1章から4章は、発酵品・乳酸菌の効用を原理から理解するには楽しくていい入門書です。

とりあえずお米のとぎ汁を捨てないことから始めてみようかと思います。

この方のブログ http://kinokokumi.blog13.fc2.com/ は多少読みづらい感じがありますが要チェックですね。

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書評:カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)

2017年10月16日 | 書評ー小説:作者ア行

昨日は日本に一時帰国してた友人と会って、頼んだものの他にもいろいろと頂きました。その中にカズオ・イシグロの『Never let me go』の日本語訳『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)があり、そもそも原文で読もうと思ってすでに注文してあったことや、ピケティの『21世紀の資本』が読みかけであることなどをさっさと頭の隅に追いやって一気に読んでしまいました。解説・あとがき含めて450ページというのはそれほど長編ではありませんが、読み終わった時は夜中の2時半をゆうに過ぎてました(自宅療養生活バンザイ!(笑))

話の大筋はYouTubeで映画『Never let me go』(2010)を見てたので知ってはいたのですが、翻訳ではありますが原作を読んで改めて映画のちょっとした演出の意味が分かったり、映画では表現されてない部分もとても興味深かったりで、読み出したら止まらなくなりました。

もちろんこれにはイシグロ氏の優れた筆致と物語の構成力によるところが大きいとは思いますが、訳者の日本語力によるところも大きいと思います。自分でも副業で産業翻訳ではありますがそういったものに関わっているもので、「翻訳」という作業が「AをBに訳す」という単純なものではなく、目標言語の読者に読みやすく分かるように様々な工夫を凝らさなければならないものだということをよく理解しているつもりです。つまりこの日本語訳『わたしを離さないで』はイシグロ氏の作品であると同時に土屋氏の作品でもあるわけですね。翻訳小説には読みづらく分かりにくいものも少なくない中で、この作品は優れていると思いました。

さて、日本ではドラマ化もされているらしいので内容をだいたい知っている方も多いのでネタバレをあまり気にせず思ったことを書こうと思います。

この物語はある介護人キャシーの独白で、章が進むにつれて彼女の生まれ育ち生きている世界の全貌が徐々に明らかにされていきます。大まかに1970年代のイギリスでひょっとしたら可能だったかもしれないパラレルワールドといえます。論理的に「想像可能」という意味での可能性です。それを象徴するかのように映画ではお店の看板なども含めて文字が鏡写しになっているのだと思います。何十年前のイギリスに見えるけど、そうじゃないんだよ、という感じです。

キャシーと共に施設ヘールシャムで育ったトミーとルースの濃密な三角関係のラブロマンスに目が行きがちではありますが、淡々としたナレーションで明かされていくのは彼女たちの置かれた状況の異常さです。彼女たちは【提供】という使命を果たすために作られた【提供者】です。それが具体的に意味するところはキャシーの子供のころからつい最近までの回想を通して明らかになっていくので、始めの方は結構謎に満ちています。社会から隔絶され保護されていた子供が見聞きでき理解できたことには自ずと限界がありますので、その認知限界をうまく利用してミステリーっぽい物語進行になっているところが魅力です。

その【提供者】が臓器提供者を意味していることは比較的早い段階に明らかになりますが、施設ヘールシャムの本当の役割や子どもたちの創作活動を熱心に助成する教育方針の本当の意味は、物語のクライマックスとしてパラレルワールドの全容が明らかにされる瞬間に語られます。

このパラレルワールドでは彼女たち【提供者】に救いのようなものはなく、提供の猶予がもらえるかもしれないというかすかな希望は残念ながら木っ端みじんに打ち砕かれます。なぜそうなってしまったのか施設ヘールシャムを支えてきたエミリ先生が「仕方ないのよ」と言わんばかりに外の理屈をかつての教え子たちに教え、「自分はそれでも精一杯のことをあなたたちのためにした」と疲れ顔で語ります。「そのことを感謝しろというのは無理な話」とはエミリ先生の協力者であるマダムと呼ばれる女性も言っていますが、そのシステムの冷たさ・容赦のなさはトム・ゴドウィンの古いSF小説『冷たい方程式』を彷彿とさせるような厳格さを漂わせる一方で、提供者の子供たちのために尽力してきたという慈善活動家でさえ努力して「克服」する必要のあった提供者たちへの感情的わだかまり・気味悪いと思う感情が吐露されることで、提供者たちの特異性を際立たせると同時に慈善を偽善的に見せてしまう後味の悪さを余韻として残しています。

ここで問題となっているのは具体的にはクローン技術と臓器提供の組み合わせですが、世に問われているのはもっと普遍的な倫理の問題です。医療技術・遺伝子工学がどんどん進歩していく中で、信心深い人たちにとっては既に「神の領域」に手を出しているかのように思われている様々な技術の可能性に人類はどのように向き合うべきなのか立ち止まってじっくりと考えるべきだとこの作品は警鐘を鳴らしているようです。また同時に人間とは何か、何をもって人は基本的人権が保証されるべき人足り得るのか、一つの社会が何を保証するのかしないのかといった社会的合意と得体の知れないものに対する感情のわだかまりから来る差別問題の関係も改めて問われているように思いました。

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書評:カズオ・イシグロ著、『The Buried Giant(忘れられた巨人)』(Faber & Faber)


書評:カズオ・イシグロ著、『The Buried Giant(忘れられた巨人)』(Faber & Faber)

2017年10月11日 | 書評ー小説:作者ア行

ノーベル文学賞受賞ということで読んでみようと思ったカズオ・イシグロ氏の作品。本当は映画化された有名どころ『Never let me go(私を離さないで)』とか『The remains of the day(日の名残り)』あたりから読もうかと思ったのですが、それらは電子書籍が紙書籍よりもなぜか2~3ユーロ高いので、紙書籍で注文したら納品に1-2週間かかるとのことでした。

それで、スウェーデン・アカデミーがノーベル文学賞授与の理由として挙げた『uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world(世界とつながっているという我々の幻想的感覚の下にある深淵を暴いた)』という評価はイシグロ氏の最新作『The Buried Giant(忘れられた巨人)』を特に意識したものであるらしいと知り、たまたまこの作品に限って電子書籍の方が紙書籍より50セント安かったので、この作品から読んだ次第です。

本作品は4部17章プラス「インターメッツォ」とも言うべき挿入部2章(ガウェインの独白)からなる長編です。物語は荒涼とした丘陵地帯の貧しい集落に住む老夫婦アクスル(Axl)とベアトリス(Beatrice)が長いこと会っていない息子に会いに旅に出る決意をするところから始まります。時代設定は明言はされていませんが、冒頭部の「ローマ人の残した街道は壊れたか草が生い茂って荒野に埋没した」云々というくだりと、あとから出て来るアーサー王(Arthus)の甥にして円卓の騎士の一人であったガウェイン(Gawain)が老騎士として登場することからだいたい6世紀中庸のイギリス・ウェールズ地方が舞台となっていることが読み取れます。アーサー王のおかげで実現したブリトン人と侵入者であるサクソン人の比較的平和な共存が続いている時代のことです。

アーサー王伝説は中世の英仏文学の重要な要素で独自の世界が築かれていましたが、近世には下火になり、それがまた現代でファンタジー小説やゲームなどに復活している不滅のネタとも言えます。円卓の騎士、魔法使いマーリン、エクスカリバー、アヴァロンへの船出などなど。

本作品は、そうしたアーサー王伝説の要素を取り入れていても、それが中心ではなく、あくまでも老夫婦の息子を訪ね、失われた記憶を取り戻す旅が中心に据えられています。そこが「ファンタジー小説」のカテゴリーに収まりきらないところではないでしょうか。

確かに人々の記憶を奪ってしまうらしいメスのドラゴン(she-dragon)が登場し、それを退治する使命を持ったサクソン人戦士・ウイスタン(Wistan)が密かにドラゴンを保護する使命を帯びていた老騎士ガウェインと対決する辺りはアーサー王伝説群に連なるファンタジーという感じを強く受けますが。

老夫婦アクスル&ベアトリスに話を戻しますと、彼らは息子が住んでいる村がどこだったのかすら正確には覚えていないのに「行けばきっと分かる」というおおらかさで旅に出てしまいます。最初に宿泊したサクソン人集落で二人はサクソン人戦士・ウイスタンと彼に怪物から助けられた少年・エドウィン(Edwin)と出会い、山の上の僧院まで一緒に旅することになります。その途中でウイスタンを追う者および老騎士ガウェインと出会います。この時点ではガウェインはウイスタンの使命を聞いただけで、直接戦いはしません。ただ彼らの行き先である僧院の大修道院長にウイスタンのことを告げ口したため、老夫婦まで巻き添えを食らって僧院から抜け出さなくてはならない羽目になってしまいます。とは言え彼らはそもそもその僧院に向かう目的であった高僧に会い、村を覆う霧と失われた記憶の謎がドラゴンの吐く息のせいだということを知ることができたので、記憶を取り戻すにはドラゴンが退治されなけらばならないという認識を新たに持って旅を続行します。

しかしながら、川を下っていくはずが途中ピクシーに邪魔されて、仕方なく川を出て山中に入ってしまい、そこで助けてくれた子どもたちにドラゴンを退治するために毒を盛られたヤギをドラゴンの住処であるらしい巨人の石塚まで連れて行くように頼まれてしまったため、さらに山を登ることになってしまいます。途中で老騎士ガウェインと再会し、下山するように忠告されますが、結局三人で山登りすることに。なんと言うか頑固な人たちですね。まあ、こうして無事に子どもたちに言われたとおりにヤギを繋いで一息ついているところに、別ルートで来たウイスタンとエドウィンが追いついてきます。ここでガウェインとウイスタンの対決という運びになります。老夫婦はブリトン人であるとはいえ、ドラゴンが退治されて記憶を取り戻すことを望んでいたので、ガウェインの味方はせずに戦いを見守ります。

サクソン人戦士・ウイスタンが勝利した後に不穏な言葉を吐きます。「The giant, once well buried, now stirs(これまでうまく忘れ去られていた巨人が今目覚める)。」そしてサクソン人たちはブリトン人に対する憎しみを思い出し、攻撃を始めるだろうと。

ここで初めて「巨人」がドラゴンによって奪われていた記憶を指していることが明らかになります。どうやらドラゴンが人々の記憶を奪うようにしたのは魔法使いマーリンの魔法のせいらしいのですが、それによってブリトン人とサクソン人の平和共存が担保されていたのだとすれば、確かにそれは平和の幻想でしかありません。いざ魔法が解けてしまえば、わだかまりや憎しみや復讐心といった負の感情が悲痛な過去の記憶と共に呼び起こされてしまうのですから。

最後の章では島へ船を渡す船頭が語り手となっています。記憶を徐々に取り戻した老夫婦は息子が島に渡ったこと、そして少なくともアクスルのほうはその息子がすでに流行り病で亡くなっていることも思い出します。夫婦二人の間にあったわだかまりも。

老夫婦が旅に出て間もなく出会った船頭に島には原則的に一人ずつしか渡れないこと、例外的に本当の絆で結ばれた夫婦だけが一緒に渡れることを聞いていたので、アクスルは二人一緒に渡ることに固執していたのですが、すでに船に乗せられたベアトリスとの会話の後に諦めて岸に戻っていくところで物語は終わります。ベアトリスは船頭を信用し、彼が必ずアクスルを間もなく迎えに行くのでそれを信じて待つようにアクスルに言い、船頭と仲直りするようにも言うのですが、アクスルは岸に戻る際に船頭に見向きもせずに行ってしまったので、二人の永遠の別れを暗示しているように解釈できます。

旅の間中ずっと妻・ベアトリスを「お姫様」と呼んで守り甲斐甲斐しく世話してきたアクスルですが、記憶を取り戻した後の彼女との温度差に絶望してしまったのでしょうか。自分だけが過去の傷を癒す必要性を感じており、彼女の方は彼女の過去の裏切りを覚えてすらいないようで、そこにやはり二人の間の心理的な距離・深淵が広がっていたと理解できます。

なんとも悲しい結末ですが、なんかおかしいという違和感に目をつぶり見せかけの平穏を保ったままの方が良かったのかどうか、辛くても真実に辿り着いたことをよしとするのか、読者の一人一人の判断に任されているところが押しつけがましくなくていいと思いました。

それに、考えてみれば老夫婦が旅をしてもしなくても、それとは無関係にサクソン人戦士・ウイスタンは自らの使命を果たしたでしょうから、記憶はいずれ戻って来たんでしょうけど、その瞬間を村はずれの我が家で迎えてたとしたら二人のその後はどうなっていたのだろうかと思いを馳せずにはいられません。

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抗がん剤投与4回目(がん闘病記11)

2017年10月11日 | 健康

10月10日、抗がん剤投与も4回目となり、1サイクルの3分の2が終了しました。今回も特に問題なく、クリニックに居た時間は朝8時過ぎから午後1時まででしたがそのうちの2時間近く完全に熟睡してました ( ̄∇ ̄;)

帰る頃には若干めまいがして足元がふらつく感じでしたが、迎えの車のところまで歩く分には問題有りませんでした。

投薬プランも前回と同じ

血液検査の方は、なぜか血小板値がまた350x10^3以上に上がってました。来週の火曜日にまた血液検査と担当医との面談があるので、何か問題があるのか聞いてみるつもりです。

クリニックから帰宅後軽く果物などをつまみながらネットやってたんですが、1時間くらいしたら猛烈に眠くなり、3時間ほど爆睡。このため、夜は普通の時間に眠れなくなって、朝4時過ぎにようやく就寝。今日起きたのは昼過ぎでした。自宅療養中で時間的な拘束がないと睡眠時間も自由でいいですね。

 

今日は会社の10月分の給料明細がメールで届き、漸く傷病手当への補助金の計算が完了したようで、8・9・10月分が16日にまとめて支給されることになり、ひとまず安心しました。やはりお金の心配というのは精神衛生上よくないので、しなくて済むに超したことはありません。

あと気になるのは抗がん剤治療の効果ですね。元の子宮・卵巣がんは病巣切除でなくなっており、併発していた腹膜がんに切除しきれていない可能性があるため、予防的な抗がん剤治療ということですが、この腹膜がんには血液検査で分かるようなマーカーがないので、1サイクル終えて精密検査しないとどうなっているのか分からないというのが厄介です。精密検査と言っても普通のCT撮影では発見できるとは限りませんし。現に子宮がん切除手術前にしたCT撮影では腹膜がんどころか、卵巣転移すら発見されませんでした。手術中の細胞診で初めて転移が確認されたわけです。なので精密検査をどれだけ信用すべきなのかかなり疑問です。漠然と再発の不安とともに生きていくしかないんでしょうね。

がん闘病記12


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

ドイツ:傷病手当と会社からの補助金(がん闘病記6)

抗がん剤投与2回目(がん闘病記7)

抗がん剤投与3回目(がん闘病記8)

医者が満足する患者?(がん闘病記9)

マリア・トレーベンの抗がんハーブレシピ(がん闘病記10)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


ドイツ統一記念日~シュタインマイヤー大統領のスピーチ~「歴史に対する責任が啓蒙的愛国精神」

2017年10月04日 | 社会

ドイツ統一記念式典におけるシュタインマイヤー独大統領のスピーチがその立場としては珍しく具体的な政治的内容に立ち入ったものであったと話題になっています。

私は特にドイツ人であるとはどういうことかを説明するくだりに感銘を受けました。ドイツの歴史認識を受け入れることがドイツ人であることに含まれているというのです。

「後の世代にとっては個人的な罪ではないにせよ、変わらぬ責任を意味する歴史に対する認識です。二つの世界大戦の教訓、ホロコーストの教訓、いかなる民族的思想や人種差別または反ユダヤ主義の拒絶、イスラエルの安全に対する責任、これらすべてがドイツ人であることに含まれているのです。」

また、この「歴史に対する責任に終止符が打たれることはないと彼は断言しています。

日本の歴史的責任をろくに認めないまま、終止符を勝手に打とうとしている安倍首相以下同じ穴の狢的政治家たちのスタンスとは真逆ですね。

また彼は「変わらない歴史に対する責任を共有することが啓蒙的愛国精神に含まれている」とも言っています。

日本の暗い過去をただ言及するだけで「反日」と揶揄するようなネトウヨ的脊髄反応とは真逆です。国の良い所だけではなく、深い影の部分も含めての愛国心こそ真の愛国心だと言うことでしょう。

 

シュタインマイヤー独大統領のスピーチ全文は大統領府のホームページから閲覧できます。ビデオはこちら

少し長いですが、全文日本語訳してみました。

ドイツ統一記念式典におけるシュタインマイヤー独大統領のスピーチ~マインツ、2017年10月3日

「昔を懐かしむ気持ちはない
昔の心配事を

ドイツよ、ドイツはまた一つになり
自分だけがまだ千々に乱れてる」

私たちは毎年のようにドイツ統一記念日を祝います。そしてそれを、このドイツの東と西が再び一つになった10月3日を祝うのは正しいことです。

それでも今年は少し意味合いが違っています。冒頭に引用したヴォルフ・ビアマンばかりでなく、他の多くの人が疑念や心配や不安な気持ちでわが国の内側の統一を見ています。これが今日という日の一側面です。今年はそれがはっきりと感じられます。

しかしながらまた別の側面もあるのです。それを私は今このホールに集まっている若い人たち、16州の生徒たちに見ています。あなたたちを特に心より歓迎いたします。

「ドイツ統一の日?」とあなたたちは疑問に思うかもしれません。「そもそもなんで年1回なのか?ドイツ統一は毎日のことではないか。」と。27年前から年365日ずっと。違う状況など全くの知ることがなかったでしょう。再統一されたドイツで生まれ育った非常に若く生き生きとした世代がすでにあるのです。

親愛なる青少年少女の皆さん、あなたたちにこの国の未来が託されているのです!そして私たち父母・祖父母の世代は、27年前に獲得されたもの、すなわち自由で平和なドイツをあなたたちに引き渡す義務があります。今日の気持ちが喜びであれ複雑な心境であれ失望あるいはまた希望であれ、どんな気持であるかにかかわらず、統一ドイツ、自由で民主的なドイツ、心配ではなく希望を持って未来を見ることができるドイツ、このようなドイツを私たちは子どもたちに渡す義務があるのです。

親愛なる青少年少女の皆さん、そうです、ドイツ統一は毎日のことです。それはすなわち、私たちは今日、日常的なものを祝うということです。でもそれは自明のことではないのです。統一後生まれで以前がどうだったか知り得ない人たちに助言します。それを体験した人たちに質問してください。

東欧から来た来賓の方々に質問してください。自由と民主主義を求める意思が東欧ブロックを揺るがせ、ベルリンの壁に最初のひびを入れたポーランドやハンガリー出身の人たちに今こそ質問してください。

この壁をさらに崩壊させた東ドイツの人たちに質問してください。彼らはその時憎しみや暴力等なしに、平和的な抵抗と大いなる勇気でそれを成し遂げたのです。

政治家たちに直接聞くのは非現実的なので、グーグルで西と東の、統一ドイツが平和なドイツであると私たちを信じてくれた政治家たちを検索してみてください。

そして特に今年は、ここラインラント・プファルツ州出身のドイツのヨーロッパ人であり、歴史的な機会を掴んで統一の偉業を政治的に成し遂げた政治家、3か月前に亡くなったヘルムート・コールについて調べてみてください。

これがあなたが生まれてきたドイツです。それは。ヨーロッパに戦争と荒廃をもたらした暴走したナショナリズムから冷戦中の分断された国家を経てヨーロッパの中心の民主的で強い国となるまでの長い道のりを歩んできたドイツです。

皆さん、私たちの道はヨーロッパの隣国との平和と友情の中の道であり続けなければなりません。そして二度とナショナリズムに戻る道に行かないように!

ドイツ統一は毎日のことです。けれど、それを私たちは毎日感じているでしょうか?日常生活の中で一体いつ私たちが8000万人の共同体の一部であることを自覚するでしょうか?

多くの人にとっては9日前の9月24日だったでしょう。自由で平等な選挙権が私たちを結びつけているのです。それを隣人と共に投票箱の前に並んでいる時に毎回感じるのです。9月24日

は前回およびその前の連邦議会選挙の時よりもずっと多くの人がこの誇らしい権利を行使しました。それ自体はいい知らせです。

それでもその日の夜に支配的だったのは統一の安心感ではなく、むしろ見逃すことのできない大小のひびが入った国を見る気持ちでした。

私は陰鬱な衰退シナリオなどにはなんの価値も見出しませんが、それでも、たとえ祭日であっても、何事もなかったかのように「チェックをして、はい次!」みたいな振る舞いはしてはいけないと思っています。特に選挙結果を政党や議員団又は連立交渉に丸投げしてはいけないのです。確かに彼らは今大きな責任を担っています。しかし、その選挙結果のメッセージは私たち全員に向けられたもので、私たちが、私たちドイツ人が答えを見つけなければならないのです。

それは次の質問から始まります。そもそもいったい誰が – 「私たちドイツ人」なのか。本日10月3日に私たちは確認します。確かにドイツ統一は政治的日常となりました。我が国を分断する大きな壁はなくなりました。しかし9月24日に明らかになったのは、別の、より見えにくい、有刺鉄線やデッドゾーンのない壁、

でも私たち共通の 「私たち」という感覚を阻害する壁があるということです。

 

私たちの生活の世界の間にある壁、都市と田舎、オンラインとオフライン、貧困と豊かさ、老いと若さなど、一方が他方のことをほとんど知り得ないような壁のことを私は言っています。

インターネットのエコー室を囲む壁-そこでは音がどんどん大きく派手になっていくのに、私たちがもう同じニュースを聞いたり、新聞を読んだり、放送を見たりすることがほとんどないために絶句するしかないのです。

また疎外感や失望あるいは怒りといった感情が一部の人たちの間で深く刻まれ、議論が不可能になるような壁もあります。こうした壁の背後で民主主義とその代弁者、いわゆる「エスタブリッシュメント」に対する深い不信感が焚きつけられています。その「エスタブリッシュメント」には自称反エスタブリッシュメント戦闘員以外の全ての人が含まれることもあります。

どうか誤解しないでください。背を向ける人が全て民主主義の敵だと言っているのではありません。しかし彼ら全員が民主主義に欠けているのです。だからこそ10月3日に9月24日のことを黙っていてはいけないのです。

もちろんそれは議論を呼びます。意見の相違は私たちの一部です。私たちは多様な国です。重要なのは、意見の相違から敵対関係にならないことです。違いが相容れないものとならないように。

それが政治的な現実でないことはこの時代の政治の課題であり、そのために議会ほど重要な場所はありません。今年の10月3日は過渡期にあたります。旧連邦議会は開会されなくなり、新しい議会はまだありません。しかし確かなのは、9日前に選ばれたドイツ連邦議会が違うものになるということです。より鋭い対立、また社会にある不満も反映されることになります。議論はより荒れたものとなり、政治文化が変わることでしょう。

しかしながら、今日こちらにいらっしゃっている議員の皆様、あなた方は今民主主義に大きく貢献することができます。民主主義者が、民主主義を誹謗する人たちよりも良い解決策を持っていることを示すことができます。怒りが最終的に責任を取ることの代用にならないことを証明することができます。タブー破りが次のトークショーの出番をもたらすことはあっても、問題が一つも解決されないということを証明することができます。私は確信しています。正論が憤りのパロールよりも遠くへ響き渡ることをあなた方は証明するでしょう。

憤りの代わりに正論が必要なのは、まさにこの2年間にこれ以上ないくらいに我が国を揺るがせた問題、難民と移民の問題においてもです。これほど意見が相容れずに対立している問題はありません。家族内でも、夜の食卓でも。一方にとっては定言的「人道的命法」 であることが、他方からはいわゆる「自国民に対する裏切り と非難されます。この問題が両極の間の倫理的戦闘領域である限り、世界の現実とわが国に可能なことを融合させるという本来の課題にあたることができません。

人の危機に私たちは決して無関心であってはいけません。わが国の基本法は、忘れてはならないドイツの正当かつ歴史的な理由から政治的弾圧からの保護を保証しています。しかしながら政治的弾圧を受けている人たちを将来もきちんと保護できるようにするには、誰が政治的に弾圧され、誰が貧困から逃げて来たのかという区別を取り戻す必要があります。

私たちは二つの意味で正直にならないといけません。まず、両方の避難理由の裏には人々の運命が隠されているにせよ、同じでものではなく、同様の無制限の請求権を正当化するものではないということです。次に私たちがどのような移民をどのくらい希望し、場合によっては必要としているかという問題においても正直になる必要があります。私見では、それには移民を単に受け付けないということではなく、亡命権やヨーロッパの努力の範囲を超えて法に則ったドイツへの入国を定義し、移民を私たちの基準で制御しコントロールすることが含まれると思います。この二つの問題で私たちが正直になった場合のみ、議論の二極分化を克服できるでしょう。政治がこの課題にあたる時、我が国にできてしまった相容れない敵対の壁を崩すチャンスがあると私は確信しています。

避難と移民に関する議論はドイツを搔き乱しました。しかしそれは搔き乱された世界の結果であり投影でもあるのです。社会の変動や多くの国際的な危機・紛争を見て、私は多くの市民からここ数年次の言葉を聞きました。「もう世界が理解できない」– 正直に申しますと、私もこの言葉がよく分かります。

今年、私の新たな大統領の立場ではまた違う言葉も耳にしました。「もう自分の国が理解できない。」この言葉はもっと悩ましいことです。

G20サミット反対運動の後にハンブルクの城砦区域の店主たちが「全く普通の通行人が野次馬や強盗に変身するのを見てる以外なかった」と口々に言うのを聞きました。

ビッターフェルトの女性は、「本当は選挙演説を聞きに来たのに、同じ市民が、お隣さんが憎しみのこもった顔をしていて、本当に怖かったんですよ」と話してくださいました。

シュトゥットガルトでは自動車産業で働くトルコ労働移民の息子が「俺は何年もずっとドイツを代表する産業で働いていることを誇りに思っていた。でも今はみんなが、俺も一緒になって騙していたのかと聞くんだ。」と語ってました。

そして東ドイツで一度ならず聞いた言葉は、「うちの会社は倒産、村は空っぽ。あんたらがヨーロッパのことやるのはいいけど、でも誰が俺らの心配してくれるんだい?」ということでした。

そんなことは祭日には聞きたくないものですが、もし誰かが「自分の国で疎外感を感じる」と言ったら、誰も「まあね、時代が変わったのさ」などと答えてはいけないと思います。もし誰かが「もう自分の国が理解できない。」と言ったら、それはドイツでは経済成長率や頭頚のいい数字以上にやるべき課題があるということです。

なぜなら、理解し理解されることは誰もが望むことで、誰もが自分の人生を自信をもって送るために必要とすることだからです。理解し理解されること。それが故郷です。

故郷に憧れを抱く人は過去の人ではないと私は確信しています。むしろその反対です。世界が目まぐるしく変わるほど、故郷への憧憬は大きくなるものです。自分が良く知るところ、見当がつけられるところ、自分の判断に自信を持てるところ。それが変化の流れの中で多くの人にとって難しくなってきているのです。

こうした故郷への憧憬を私たちは、「我々対その他」的感情あるいはまた血と土地等のバカげたことや存在したことのないような美しきドイツの過去を呼び起こすことによって故郷を定義する人たちに独占させてはいけません。故郷、安全、ペースダウン、結束そして承認への憧憬。これらものをナショナリストたちに独占させておいてはいけません。

故郷は過去にではなく未来に向かっていると私は思います。故郷とは私たちが社会として創造する場所のことです。故郷とは「私たち」が意味を得る場所です。私たちの生活世界の壁を超えて私たちを結びつける場所。そのような場所を民主的な公共体は必要としており、またドイツもそれを必要としています。

ドイツ国内を巡回するする過程で私は素晴らしい体験をしました。どこが故郷なのかということに関しては語ることがたくさんあります。ゼンケ・ヴォルトマンの新しい映画「夏祭り」はルール地方のふるさと映画で、その中で生粋のボッフム人が「なあ、ストーリーは道端のあちこちに落ちてるぜ。そいつらを拾うだけでいいんだ。」と言うところがあります。

私はそれが始まりだと思います。お互いに無視し合うのではなく、私たちの物語を読み上げましょう。9月24日の後に誰もが自分の社会的立ち位置から呆れて首を左右に振り、お互いに他方について話し、あるいはまた無視しているところで、私たちは再びお互いに相手の話を聞くことを学ぶべきです。私たちがどこから来て、どこに行こうとして、そして何が重要なのか。

東ドイツの人がDDR(ドイツ民主主義共和国)の故郷が統一後にどのように根本的に変わったか、 新しい自由が憧憬の対象であるばかりでなく、理不尽な要求でもあったこと、変革の中で維持したいと思っていた多くのものが失われたことなどを語る時、それらも我が国の歴史の一部なのです。統一の達成は巨大事業でした。もちろん1990年以降間違ったこともされました。それについて沈黙する理由はありません。東ドイツの人たちは再統一後に西側の私たちの世代が聞いたこともないような断絶を体験しました。にもかかわらずこの東ドイツの歴史は、西側のそれのようには「私たち」の欠かせない一部とはなっていません。それを今正す時だと私は思います。

勇敢な弁護士で作家であるセイラン・アテシュが最近私に言いました。「イスタンブールでボスポラス海峡を見ると、胸が躍ります。そしてベルリンに戻ってくる途中であのテレビ塔を見ると、やはり胸が躍ります。」彼女の物語にはシンプルでかつ重要なことが含まれています。それは故郷が複数でもあるということです。一人の人間が一つ以上の故郷を持ち、また新しい故郷を見つけることもできるのです。そのことをすでに何百万人の人がドイツで証明しました。この人たちみんなが「私たち」の一部となったのです。移民の全世代が今日誇らしげに「ドイツは私の故郷だ」と言います。そのことが私たちを豊かにしたのです。

それは私たちが直面している大きな統合の課題に希望を与えることでしょう。私たちはこうも言います。「故郷は開かれているけれど、無制限ではない」と。

来たばかりの人にとってそれはまず私たちの言葉・ドイツ語を習うことを意味します。それがなければ、理解し理解されることもありません。しかしそれはそれ以上のことも意味しています。ドイツに故郷を求める人は、ドイツ基本法の秩序と共通の信念に貫かれた共同体の中に入ることになります。それは法治国家、憲法順守、男女平等という信念です。これらは全て法文であるばかりでなく、ドイツにおける共存の成功に不可欠のものです。

また、あらゆる議論やあらゆる違いがあっても、このドイツの民主主義において交渉不可であることが一つあります。それは我が国の歴史に対する認識です。後の世代にとっては個人的な罪ではないにせよ、変わらぬ責任を意味する歴史に対する認識です。二つの世界大戦の教訓、ホロコーストの教訓、いかなる民族的思想や人種差別または反ユダヤ主義の拒絶、イスラエルの安全に対する責任、これらすべてがドイツ人であることに含まれているのです。

また、ドイツ人になることには、我が国の歴史を認めて受容することも含まれます。このことを私は東欧やアフリカあるいは中東のイスラム圏から我が国に来た人たちにも言います。ドイツに故郷を求める人は、「それはあなたたちの歴史で、私のではない」と言い逃れすることはできないのです。

しかしながら、もしそれが我が国の民主主義において反論の余地のないものであり続けないのなら、どうしてこうした認識を移民に要求することができるでしょうか?我が国の歴史に対する責任には終止符が打たれることがありません。ましてやドイツ連邦議会の議員たちにとってはそれこそあり得ないことであると私は付け加えたいと思います(訳注:一部 AfD 党員の歴史責任否定やホロコースト否定論に対する批判・釘刺しです)。

この国に属しているということは、その大きな長所もまたその類稀な歴史的責任も共有するということを意味しています。私にとってはこれこそがドイツの啓蒙的愛国精神に含まれていると思っています。もしドイツで私たちを表彰するものがあるなら、それは長く続く、難しく、痛みの伴う我が国の歴史の再評価であり、たくさんの明るい側面と同様にドイツの一部である深い影に特別に目を向けることです。私たちはそのことを誇りに思っていいと思います。

連邦議会選挙の後にあまりにも頻繁に「多くの人がドイツに、民主主義とその執行機関に失望している」というようなことを読みました。連邦共和国に失望したという人は、かつてそれに何かを期待したということなのです。

私は固く信じています。この国には多くのことを期待できます。いくつかの危機を脱した国。未解決の問題をなきが如く扱うのではなく、未来に向けた政治で。こうしてドイツ人の大多数が望むドイツを、つまり民主的な国、

世界に開かれたヨーロッパの国、結束する国を作っていくことができるのです。この国はそうであり続けるでしょう!

 

もし知ったかぶりや不平屋あるいは永遠に憤然としている人たちや、全てのことや全ての人に対する怒りを日々抱えている人たち、そういう人たちが我が国を形成するのでなければ、この国の理念は変わらないでしょう。

行動を起こし、我が国における成功と公共心のために日々努力している何百万人もの人たちがいることに私は希望を持っています。

義務で話に病気になった隣人の様子を見たり、老人ホームで朗読したり、難民の人たちを到着の際に助けたりする、そういう人たちです。またシングルマザーに午後の自由をプレゼントする人たち、数えきれない協会で我が国の文化的豊かさを提供し、村での生活を生きる価値のあるものにしている人たち、仕事の後に町内会で図書館やプールの世話をする人たち、死にゆく人たちの人生の最後の時間を共に過ごす人たち。自分だけではなく、他の人たちの世話をするすべての人たち。

皆さん、こういう人たちこそがあらゆる知ったかぶり屋が言っていることとは違って我が国を結束させているのです。彼らが毎日新たに統一に貢献しているのです。


ドイツ統一27周年

ドイツ:2017年連邦議会選挙結果


ドイツ統一27周年

2017年10月03日 | 社会

10月3日はドイツ民主主義共和国(旧東独、DDR)がドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland、BRD)に正式に加盟したことを記念する国祭日です。ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日。それからわずか1年足らずの間に東西両国の統一交渉および戦勝国であるアメリカ・フランス・イギリス・ソ連とのいわゆる4+2条約の交渉がなされ、1990年10月3日に正式に統一が果たされました。

毎年10月3日のドイツ統一記念日(Tag der deutschen Einheit)には各地で様々な催し物が開催されますが、公式祝典はその時の連邦参議院の議長についている州で開催されます。今年はラインラント・プファルツ州で、祝典は州首都マインツで行われます。

今年はドイツ統一27周年。東西ドイツが分断されていたのは1961年8月13日のベルリンの壁建設から1989年11月9日の壁崩壊までの28年間でしたので、来年は分断の年月と統一の年月が同じ長さとなります。

果たしてこの27年間で分断の歴史は克服されたのでしょうか?

毎年この時期になると東西ドイツが融合発展したかどうかを問う世論調査が行われます。以下は forsa という世論調査会社の2017年9月13日~9月21日までの調査結果をドイツの統計サイト Statista.de でグラフ化されたものです。

 

全体では「東西ドイツは一つの国民になった」と思う人が50%いますが、東西や年代でその感じ方は大分違うようです。西側では52%の人が「一つの国民になった」と考えている一方で、東側ではそれが43%に過ぎません。

年代別に見ると14歳から44歳まではいずれも60%以上であるのに対して、45歳~59歳では46%、60歳以上では40%となっています。

 

あくまでも主観的な感覚を反映したものに過ぎませんが、世代間の感情の違いは個人的な体験あるいはトラウマに由来していると私は考えています。45歳というと、27年前は18歳で、旧東独のシステムの中で教育を受け、その後の進学なり就職なりの予定が全て白紙になったという体験をしている人が多いでしょうし、当時18歳以上で、すでに職を持っていた人たちの中には統一後に突然失業した人が相当数いたはずです。また中には西側で就職活動をして、「東出身」であることで差別を受けたり、期限付きの仕事しか見つからずに、家族を東に残したままの出稼ぎ状態が続いている人もかなりいるでしょう。この「出稼ぎ状態」は金曜日の昼過ぎからの西から東への高速道路の渋滞プラス日曜日の夕方からの東から西への渋滞にも現れています。私の元同僚にもこれを10数年続けてついにギブアップした人がいます。西側で安定した職に就けないまま心を病んでリタイヤしてしまった人も私の知り合いにはいます。このような個人的な苦々しい体験がドイツ統一を肯定的に見られない、つまり「一つの国民になった」と感じたくない原因になっているのではないでしょうか。

連帯税(Solidalitätszuschlag)が導入され、新5州と呼ばれる旧東独のインフラ整備のために投入されて来ましたが、東西の経済及び構造格差はいまだになくなったとは言い難いです。東から西への人口流出のトレンドはここ2・3年で止まったようですが、失業率や貧困危険率などの統計を見ると東側5州はやはり目立って悪い状況にあると言えます。もちろん西側にも産業構造の変化に取り残されて落ちぶれてしまったブレーメンやルール工業地帯の一部など失業率も貧困危険率も高い所があります。だから連帯税をそういう弱体化した西側の地域の復興に充ててもいいのではないかという議論も出ているくらいですが、今のところ議論だけで終わっているようです。


ドイツ:最新貧困統計(2016年度)