徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」ケルン公演

2018年06月29日 | 日記

ちょっと日にちが経ってしまいましたが、6月28日(木)にケルンのシュターテンハウスというオペラハウスでジュゼッペ・ベルディの最後のオペラ作品「ファルスタッフ(Falstaff)」を見てきました。このオペラの原作はシェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」という喜劇。今日でも上演される数少ない喜劇(コメディア・リリカ)です。粗筋はウイキペディアをご覧ください。

ここ最近はケルンのオペラ座の公演は演出が気に入らないことが多くて避けていたのですが、6月28日は「オペラデー」ということで全席破格の16.50ユーロ(15ユーロプラス前売り手数料1.50ユーロ)ということだったので、「それなら」と前売りを買った次第です。実際そのように考えた人が多かったらしく、会場はいつになく満杯でした。平日でオペラがそこまで盛況になることは今まで見たことなかったので、この特別割引のせいなのだろうと思います。

今回は舞台も演出も変に現代風アレンジされることなく、割とオーソドックスに上演されたようで、不快になることなく楽しめました。

絵が描かれた仕切り幕が下りている時はファルスタッフが入りびたる酒場。

この幕を取ってテーブルが全部見えている時はフォードの庭園またはウインザー公園(第3幕のみ)。

喜劇ということで、美しいアリアとかはないので、あまりオペラを見ている感じがしなかったのですが、面白かったです。

演出で面白いなと思ったのは、コーラスが客席の後から出てきたり、ファルスタッフを追い回すウインザーの男たちが客席の通路を通って行ったりという客席を舞台の一部にしてしまっている所でしょうか。

ただ、会場の問題なのですが、きちんとした作りの客席ではなく階段などが組み立て式で、人が通るときしんでしまうため、雑音が多くなるのが残念です。シュターテンハウスは、オッフェンバッハプラッツにある本来のオペラ劇場の修理が完了するまでの仮のオペラ劇場として使用されているだけのイベント会場だから、オペラ上演のために最適化されてないのですね。ホールが3つあり、ホールを繋ぐ廊下に変なオブジェが飾ってあるあたり、オペラ劇場的情緒が一切ない感じです。

 

MUSIKALISCHE LEITUNG WILL HUMBURG / INSZENIERUNG DIETRICH W. HILSDORF / BÜHNE DIETER RICHTER / KOSTÜME RENATE SCHMITZER / LICHT ANDREAS GRÜTER / CHORLEITUNG ANDREW OLLIVANT / DRAMATURGIETANJA FASCHING


抗がん剤治療終了半年後のCT撮影(がん闘病記26)

2018年06月19日 | 健康

抗がん剤治療終了から半年後の経過観察のため、CT撮影をしてもらいに「Haydnhaus(ハイドン・ハウス)」という放射線科医院に先日6月18日に行って参りました。待ち時間、造影剤を飲む時間合わせて1時間くらいで、実際にCT撮影に至ったのは予約していた時間の1時間後でした。まあ、病院というのはそういうものですね。ちなみにCTは東芝の機械でした。

撮影後、放射線科医が最初の所見を話してくれたのですが、ひとまず「再発・転移の気配はない」とのことでした。よかった~!

ただ、去年、CTで子宮がんの卵巣転移や腹膜がんが見つからなかったことを考えると、「見つからない」で100%安心というわけではないのですけど。でも見つからないものを心配しても仕方ないので、体調に異変でもない限り「ない」ことにしておくのが最善でしょう。

放射線科医がCDもすぐに渡してくれました。仕事が速いですね!

 

来月はまた放射線治療を受けたクリニックに行って、担当医と面談します。8月は婦人科の方へ定期検診に行くことになってます。一応重要な情報はすべて担当のがん専門医に送られることになっているので、たらい回しというのとは違うのですが、あちこち回されている感が半端ないです。

また、抗がん剤の後遺症の一つと思われる歯周病で6月11日から歯医者にも通ってます。すでに救いようもなくぐらぐらしていた歯が3本抜かれました。昨日抜かれた下の前歯2本の分の仮の差し歯を装着してますが、装着自体の違和感はなくなったものの、食べる時はやはり噛みづらいものがあります。以前に抜いてかけている部分を合わせて全部で三か所・5本分の隙間ができているので、どこで噛んだらいいのか分からない感じで、結構食欲減退してます。

フレックスタイムで在宅勤務が可能だから、こんなに病院通いながらでも働けますが、毎日通勤しなければならない状況だったら欠勤が増えてしまいますね。なので、自分の会社の良さを実感している今日この頃です。

がん闘病記27へ。


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

ドイツ:傷病手当と会社からの補助金(がん闘病記6)

抗がん剤投与2回目(がん闘病記7)

抗がん剤投与3回目(がん闘病記8)

医者が満足する患者?(がん闘病記9)

マリア・トレーベンの抗がんハーブレシピ(がん闘病記10)

抗がん剤投与4回目(がん闘病記11)

化学療法の後は放射線治療?!(がん闘病記12)

抗がん剤投与5回目(がん闘病記13)&健康ジュースいろいろ

抗がん剤のお値段とがん代替治療の死亡率(がん闘病記14)

抗がん剤投与6回目&障碍者認定(がん闘病記15)

化学療法終了…その後は(がん闘病記16)

放射線腫瘍医との面談(がん闘病記17)

放射線治療の準備(がん闘病記18)

放射線照射第一回(がん闘病記19)

放射線治療の経過(がん闘病記20)

放射線治療半分終了~副作用キター!(がん闘病記21)

直線加速器メンテナンスのため別病院で放射線照射(がん闘病記22)

放射線治療終了(がん闘病記23)

段階的復職~ハンブルク・モデル(がん闘病記24)

経過観察(がん闘病記25)


書評:カズオ・イシグロ著、『A Pale View of Hills(遠い山なみの光)』(Faber & Faber)

2018年06月17日 | 書評ー小説:作者ア行

 『A Pale View of Hills(遠い山なみの光)』はノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロ氏のデビュー作で、長崎出身で、今は一人でイギリスに暮らす女性エツコが、ロンドンに住む次女ニキが里帰りしていた日々と、遠い長崎での思い出、長女ケイコを身ごもっていた夏のことを語ります。詳しい経緯が説明されているわけではなく、「現在」も「過去」もほぼ会話で成り立っているので、そこから話を総合すると、エツコは戦後オガタ ジローと結婚し、ケイコを身籠った。ジローとの離婚あるいは離別に関しての言及はないのですが、いつか新聞記者のイギリス人と再婚し、渡英して次女ニキを生んだということになるのでしょう。ケイコは引きこもりのようになり、成人して家を出て、マンチェスターのアパートで自殺をしたようです。

回想で語られるのは、ケイコを妊娠していた夏に、アメリカに行くとか行かないとか騒いでいた友人サチコとその娘マリコのこと、福岡に住む元教師の義父が数日滞在してたことなどです。長崎平和公園にあるギリシャ神話の神様のような彫像のことが言及されているので、1955年以降のことなのでしょう。彼女の回想の数々はセピア色の昭和の映画のシーンのようです。

登場人物たちは説得力のあるキャラクター設定で、見事に好きになれない感じの人たちばかり。ケイコ自身もお人好しで物腰の柔らかな女性ですが、基本的にとても保守的で、そのせいでいまだに結婚せずにロンドンでボーイフレンドと同棲している次女と若干衝突します。
元義父の「オガタさん」は戦時中に教師として子どもたちに国家主義を教え諭していた人で、戦後もそれが間違っていたとは考えず、自分たちは必死に働いて社会に貢献してきたと考えるおじいさん。彼と息子のやりとりは「ウザイおやじ」丸出し( ´∀` )
夫のジローは仕事一筋で、都合の悪いことはのらりくらりと逃げてしまうタイプ。
友人だというサチコは、それなりに地位のある父を持ち、英語を習ったこと、そして「いいお家」に嫁いだことにプライドを持っているらしく、現在母子家庭で、ゴミためのような所の小屋に住んでいることを不本意に思っていて、常にエツコにバカにされるまいと言い訳しているような扱いづらい女性で、よく友達やってられるなと感心するようなキャラ。娘のマリコのことを第一に考えていると言いつつ、彼女が嫌っているアメリカ人のボーイフレンド・フランクとアメリカに行くと言ったり、行かないと言ったり…
娘のマリコも頑固で、少々奇怪な行動をとる女の子(10歳くらいらしい)。この母娘が神戸に行くことになり、荷造りしているところで回想が終わっているので、本当に神戸に行って、その後アメリカに行ったのかどうかはまるきり不明です。
この母娘と一緒にケーブルカーに乗って遠出した先で出会った親子との会話も見事にえげつない感じに説得力がありました。三菱工業か何かの社長夫人とその息子らしいですが、英語で書かれているはずなのに「宅の息子は」「宅の息子は」という日本語の自慢話に聞こえてくるから不思議です。

良くも悪くも昭和半ばの日本が切り取られていると感じました。

唯一共感が持てたのは娘のニキだけだったような気がします。全体的にあまり思い出したくないものを思い出させられてしまった気がしました。


書評:カズオ・イシグロ著、『The Buried Giant(忘れられた巨人)』(Faber & Faber)

書評:カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第八幕』(富士見L文庫)

2018年06月16日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

辰国皇后であり武官である関小玉が隣国・寛との最前線で矢傷を負って、矢の汚れによって症状が悪化し、かなりピンチに陥っているところで「次巻に続く」になっていて、「なんでまた次が出ていないんだ?!」と悶絶してからさほど日数が経ってないのに新刊が出たので、喜んで一気読みしました。実はカズオ・イシグロの『A Pale View of Hills』を読んでいる最中でしたが、英語だというのと、話の内容が「先が気になって仕方ない」というほどわくわくするようなものではないので、中断するのに躊躇はしませんでした( ´∀` )

第八幕は宦官武官である賢恭が小玉に代わって軍を指揮し、辺境民族の協力を得て隣国・寛との戦いに挑むところから始まります。小玉は病状が一時期悪化したものの、治療の甲斐があって徐々に回復していきます。

これまでも小玉の親友の明慧が任務で皇子を守るために命を落とし、第七幕では明慧の夫が小玉を守るために命を落とし、この巻では皇后のお世話係である梅花、後宮で皇后に一番派手に反発していた司馬淑妃そしてその息子・鳳が命を落とすことになります。

この主人公の敵も味方もどんどん人が死んでいくシビアさや容赦のなさもシリーズの魅力の一つであると思います。主人公の関小玉は基本的に心優しい人ですが、皇后という立場をよく理解しており、一時の感情や同情に惑わされずにシビアな決断を下せる成熟した人間であることも魅力的です。

この巻で一応「第一部終了」なのだそうです。たしかに「次巻に続く」的に気になって仕方がない終わり方はしておらず、将来的な不安要素や気になる問題は残されているものの、それなりにキリがいい印象は受けました。


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語』第零~七幕(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第九幕』(富士見L文庫)


スペイン・アンダルシア旅行記 II(6):アルムニエーカル

2018年06月12日 | 旅行

アルムニエーカル(Almuñécar)について

第2回アンダルシア旅行最後の宿泊地は、アルメリアから西のマラガ方面へ向かって120㎞くらいのところにあるアルムニエーカル(Almuñécar)というリゾート地です。コスタ・トロピカル(Costa Tropical、熱帯海岸)と呼ばれる海岸の町で、その名の通り亜熱帯気候で、晴れの日が年間約340日もあるのだそうです。つまりほぼいつも晴れてるわけですね。キウイやパイナップルなどの果物の産地としても知られており、高速道路から見える範囲一面にビニールハウスが広がっているという光景がやや不気味でもあります。

アルムニエーカルはまた、スペインの地中海沿岸の町の中で最も高い山系(2000メートル級)が海岸線に迫っている特殊な地形でも知られています。

フェニキア人が住んでいた頃はセクシ(Sexi)という名称でした。ローマ人がここに作った水道は現在も使われているものがあります。1500年以上使用されている水道って凄いですよね。

私たちは行きませんでしたが、旧市街の上には庭園、鳥類園、ローマの魚の塩漬け設備に囲まれたサンミゲル城(Castillo de San Miguel)があるそうです。8世紀にモーロ人によって建設され、16世紀にキリスト教徒によって改築・拡張されたというこの地域の他のお城とほぼ同じ歴史をたどっています。大元はローマ人の居住地か要塞・駐屯所だったはずです。

ホテル

宿泊したのは町はずれの大きなリゾートホテル「Bahia Tropical」で、中庭にプールがあり、目の前が海水浴場といういかにもなリゾートホテルです。今回のバカンスには少なくとも1日くらいは観光で歩き回ったりせずにビーチかプールサイドでゴロゴロするつもりでしたので、その線でホテルを探していたら、Booking.comというサイトでセールになっていたので、このホテルを予約してみました。二人二泊朝食付きでたったの135€でした。シーズン中なら一泊分の料金でしょう。

私たちの部屋は5階にあり、プールも海も見えました。35平方メートルの部屋は玄関・居間・寝室・浴室に分けられており、浴室は寝室と玄関の両方から入れるようになっていました。居間からベランダに出られます。

玄関 ↓ (靴を履くためのベンチ、姿見、クローゼットがある)

 

居間 (テーブルと椅子3脚、ソファーとローテーブル、サイドボード2つ、テレビ付き)↓

 

寝室 ↓

浴室 ↓

ベランダ

ベランダから見た中庭のプール ↓

晴れていましたが、気温は22~23度で風も割と強く、プールは温水ではなかったので、温水プールに慣れた軟弱者にはちょっと冷たすぎる水温でした。というわけで、ちょっと泳いだだけで、後はプールサイドで日向ぼっこしてました。

ホテルでは朝食だけでなく、昼食及び夕食ビュッフェもあり、一日中ホテルで過ごせるようになっています。スパもあるようでしたが、利用する時間はありませんでした。

朝食ビュッフェ ↓

   

私がアルメリアのアルカサーバで足をくじいてあまり歩けなくなっていたので、夕食もホテルで頂きました。夕食ビュッフェは一人15€、飲み物は別料金。

 

ビュッフェは四つ星ホテルに相応しい豪華さで、味もよかったです。たぶん1週間このホテルで食べ続ければ飽きてしまうとは思いますが(笑)

周辺

ホテルの目の前にある海水浴場は小規模で、「これだけ?」という印象を持ってしまいますが、少し街中の方向へ行くと、まとまって長い砂浜(Playa Tropical)があります。砂は細かくなくて、どちらかというと砂利に近いです。風が吹いても飛ばないので痛くないという利点はありますね。

 

 

到着した日(6月5日)はホテルの昼食ビュッフェの時間が過ぎていたので(ホテルのビュッフェの時間はスペイン時間とはずれがあるようです)、近所のレストラン El Kiosco で遅い昼食を取りました。例によって日替わりメニュー。

サラダとサルモレーホ(Salmorejo)というコールドスープ。ガスパッチョと違って、卵やベーコンやクルトンが入ってます。

  

メインは「San Jacobos」。辞書で調べても見つからなかったので、試しに頼んでみました。ダンナは同じ「ヤーコプ/ハコボス」だからエスカロップ貝(ドイツ語でJakobsmuschel)を想像してましたが、出てきたのはハムにチーズを挟んでパン粉の衣で揚げたコルドンブルーでした(笑)思いっきり騙されましたね。

 

アルムニエーカルに着いた翌日6月6日はシエラネヴァダにドライブに行きました。つくづく一か所でゴロゴロするバカンスができない私たち...

 

追記

帰国日の6月7日は、朝食後荷物をまとめ終わってから、チェックアウト時間の12時ギリギリまでホテルのベランダで日向ぼっこしてました。そしてマラガに行き、ショッピングセンターで時間を潰してから空港に向かい、16時50分フライト予定だった飛行機に乗って帰国しました。フライトは1時間近く遅れたと思います。デュセッルドルフ空港は土砂降りでした。このため空港からDBのデュセッルドルフ空港駅へ移動するスカイレールが運行しておらず、シャトルバスで行くように指示が出ていたのですが、そのバス停を探すのが面倒なので、Sバーンという近距離列車用の駅でケルン行きの電車に乗りました。しかしその電車も悪天候のためデュセッルドルフ中央駅で止まってしまい、乗り換えを余儀なくされました。デュセッルドルフ中央駅からボンへ直通で行く電車はその時間帯なかったので、ケルン行きの電車にまず乗り、ケルンで乗り換えてボンまで帰りました。荷物がなくても電車の乗り換えはうざいと思いますが、スーツケースを抱えての乗り換えとなるとかなり重労働ですよね。私は足をくじいてましたので、スーツケースを運んだのはダンナですが。

あの抜けるような青空のスペインからドイツに帰国して、今日(6月12日)に至るまで灰色の空しか見てません(´;ω;`) 今日も雨です。なので「すぐにでもスペインに戻りたい!!!」とダンナともども地団太を踏んでおります ( ´∀` )


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿

スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)


スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア

2018年06月11日 | 旅行

グラナダの後にシエラネヴァダ山脈をドライブし、今回のアンダルシア旅行3番目の宿泊地アルメリア(Almería)に行きました。

アルメリア市について

アルメリアはコルドバを首都とする後ウマイヤ朝の重要な港で、貿易及び織物工業の中心地として栄えた街です。1489年にキリスト教徒に征服されて以降はおよそ300年間廃れる一方でしたが、19~20世紀に鉱山業の勃興及び港の新築を機に復興します。しかしスペイン内戦によってその繁栄も急速に収束してしまいます。現在は良質な海岸のあるリゾート地としてそれなりに栄えているようです。

アリメリア市内の見どころは1000年の歴史を誇るスペイン最大のイスラム建築の要塞であるアルカサーバ(Alcazaba de Almería、面積25000平方メートル以上、城壁の長さ430メートル)で、現在も考古学的発掘調査が行われています。発掘区域は立ち入り禁止ですが、それ以外は入場料なしで入ることができます。ただし月曜日は閉まっています。

もう一つの見所はアルメリア大聖堂です。北アフリカから来るベルベル人の海賊の襲撃に備えて要塞化した教会で、その外観の無骨さは要塞そのものですが、1522年の地震の後に造られたルネサンス様式のファサード(上の写真)や繊細な彫刻が施された聖歌隊席、ゴシック様式の身廊やアプスに設置された大理石の祭壇の他、優美な噴水のある中庭を囲む柱廊など、結構なお宝が見られます。また、ゴシック様式では通常身廊の天井が側廊の天井より高くなっていますが、大砲による襲撃に備えて構造的安定を実現するためにこの教会ではどちらの天井もほぼ同じ高さになっているのが興味深い点です。

港と平行に走る車道に沿って作られた公園はなかなか素敵です。

ホテル

私たちが泊まったホテルは Hotel Catedral で、その名の通り大聖堂(Catedral)に隣接しています。予約したのはスタンダードルームだったのですが、手違いで空きがなく、追加料金なしでスペリオールルームにアップグレードしてくれました。5階のベランダ付きの部屋で、ベランダから屋上のミニプールに行けるようになっていました。

  

ベランダから見下ろせる Plaza de la catedral ↓

朝食ビュッフェは四つ星ホテルに相応しい豪華さで、特にフルーツの豊富さがうれしかったです。

   

スクランブルエッグや目玉焼き、ベーコンやソーセージなどはビュッフェに作り置きされておらず、注文すると作ってもらえるようになっていました。温かい食べ物はその方がおいしいですよね。

このホテルの難点は、駐車場が若干遠いことと、バスルームにシャワーしかなく、全体的に設備が古くて使いづらいことです。でも、アメニティは豊富に用意されていました。

お値段は二人2泊朝食付きで178.20€。

 

観光

アルメリアに到着したのが結構遅い時間だったので、特に何かを見に行くことはしませんでしたが、目の前の教会広場で堅信礼と思われる儀式が行われていたのでそれをしばらく眺めてました。素人撮影ですが、ビデオはこちら

 

この儀式を見終わった後に夕食に出かけました。レストランが並ぶ界隈は非常に範囲が狭く、選択肢が大してなかったので、取り敢えず開いていてそこそこ賑わっているレストランに入ってみました。「Taberna Nuestra Tierra」というレストランで、飲み物一つ頼むと、小さなタパスをただで選べるようになっていて、それ以外の食べ物にはきちんと値段がついています。システムを理解するまでに少々時間がかかりましたが、アルメリアでは飲み物&ミニタパスで一つの値段というのが割とあるようです。

ポテトチップスとパンが載ったお皿がミニタパス。お肉のお皿は普通の有料タパス。↓

 

ズッキーニのフライ(ミニタパス)↓

   

焼きタコ

デザート(フランとチーズケーキ)

 

脂っこい料理とデザートでかなりお腹いっぱいになりました。支払はチップも含めて33€。

Catedral

6月4日は月曜日でアルカサーバは閉まっていたので、まずは目の前の教会を見学しました。見学者用入口は教会広場から建物に沿って左に曲がり、その壁面の終わりに近い所です。入場料はオーディオガイド込みで5€でした。

ホテルの部屋のベランダから撮影した大聖堂。要塞にしか見えない ↓

 

中に入って、階段を上ると修道院と柱廊に囲まれた中庭に出ます。中の噴水はイスラム建築の名残りですね。

 

アピスに設置された背の高い祭壇とその両側にある説教台 ↓

 

パイプオルガンは聖歌隊席を挟んで両側にあります ↓

聖歌隊席の裏側にもう一つ3色の大理石が使われている祭壇があります。

別室の礼拝堂の祭壇 ↓

絵画もたくさん飾られています。

身廊と交差廊が交わる交差部

側廊にはたくさんチャペルが設置されています。そのうちの一つ ↓

Sala Capitular

中の博物館に展示されていた楽譜(?) ↓

 

 教会見学の後はアルメリア県内のカボ・デ・ガータ自然公園へ。

 

アルカサーバ

アルカサーバは6月5日(火)に見学しました。 緑の部分が多いイスラム様式の庭の方から徐々に緩い勾配を登っていくと元王家の居住地区(まだ大部分が発掘中)があり、そこからさらに上ると砲台塔などがあるキリスト教徒によって建築された部分に至ります。

     

王家居住区域にある長方形の池にはなぜか金魚がいっぱい ↓

 

下の庭園と王家居住区域を分ける城壁にある塔の中 ↓

キリスト教徒による建築部分。イスラム的要素がほとんどない ↓

  

ここから引き返す途中の段差でよろけて、バランスを取り戻そうとして余計にふらついて結局こけてしまいました。転んだ時にごつごつした表面の石畳に右手をついたので擦りむいたところが地味に痛みましたが、後から痛みがひどくなったのはくじいた右足でした(´;ω;`)

午後1時ごろにアルメリア市を出て、次の目的地アルムニエーカルへ向かいました。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(5):カボ・デ・ガータ(アルメリア県)

2018年06月11日 | 旅行

カボ・デ・ガータはアルメリア県東南部にある自然公園です。地図で見ると、イベリア半島の右下の角に当たります。この辺りはスペインでも最も乾燥している地域なんだそうです。

私たちが最初に目指したのは Mirador Las Salinas という本来は塩田なのですが、水鳥の憩いの場になっているところが見渡せる場所でした。

バードウオッチング用の小屋 ↓

フラミンゴの群れ ↓

    

ラス・サリナスに生息する動物たちの解説 ↓ 全部スペイン語なので、分かるのは絵だけですが(笑)

そこから海岸沿いのAL-3115をドライブして、灯台のところまで行きました。火山岩が波に削られて見事なリアス式海岸を形成しているなかなか風光明媚な眺めです。

途中で下りて灯台を撮影 ↓

灯台に到着してから撮影 ↓

 

この岩がモアイのように見えるのは私だけ?

灯台を見た後はラス・サリナスに戻って最初に見つけた開いているレストラン(El Naranjero)で遅い昼食を取りました。シーズンオフで開いているレストランが少ないと色々不便ですね。日替わりメニューを頼んで、チップ込み26€で済んだのはいいのですが、お味の方はなんというか、いまいちでした。私の頼んだサラダやダンナの頼んだ煮込みスープはOKでしたが、メインの魚のフライ盛り合わせの中には明らかに「まずい」と感じて食べられないものがあり、お肉の方もいまいち(ダンナの感想)でした。トリップアドバイザーの口コミが散々なのが理解できます(笑)

   

このいまいちなごはんにめげずにシエラ・デ・カボ・デ・ガータ山脈を越えてサンホセという海水浴場までドライブしました。

「Mirador」の標識を見るとつい行きたくなってしまう癖がついてしまい、狭いくねくねした道を運転する羽目になったダンナが文句を言っておりました(笑)プラットフォームは真新しい感じで、作ったばかりのようでした。

 

 

空いているの海水浴場 Playa de San Jose

 

ここで肌寒くなるまで(18時半くらい)ゴロゴロしてました。 ダンナはちょっとだけ海水に入ってましたが。浅瀬の範囲が広く、30mくらい進んでも腰くらいの水深にしかならないところです。風が強くなると細かい砂がバチバチと体に当たって結構痛かったです(´;ω;`)

サンホセの海水浴場はさほど長くなく、街中も山の斜面に張り付いているような狭くるしい区域が多いので、結構リゾート地化されてますが、そんなに魅力的とは言い難いと思いました。地図で見る限りでは、サンホセの南方8㎞くらいのところにある Playa de los Genoveses の砂浜の方が長いので、そちらの方がよかったかもしれません。

この後アルメリア市に戻って食べた晩ごはんはちょっと失敗でした。宿泊中のホテルから近いシーフードレストラン「Entremares Cervecerías」で、ここもやはり飲み物を頼めばただでミニタパスを1皿選べるようになっていましたが、店員がやたらと量が多く高いものを勧めるので、まだ片言しか話せないダンナが根負けして、貝のミニタパスがフルサイズに化けてしまいました。

  

でもこのナスのフライ、ハチミツソースかけは美味しかったです。やはり量は多すぎた感がありましたが… ↓

教訓:店員のお勧めに根負けしてはいけない(笑)


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

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スペイン・アンダルシア旅行記 II(4):アルメリア


書評:有川浩著、『明日の子供たち』(幻冬舎文庫)

2018年06月11日 | 書評ー小説:作者ア行

『明日の子供たち』は児童養護施設をテーマにしたお話です。実際に児童養護施設に入ってた当時高校生の女の子が著者に、施設のことをより多くの人に正しく知ってもらいたいので、施設をテーマにした小説を書いて欲しいと手紙を書いたことがきっかけで、著者が取材して作品化したとのことです。文庫のあとがきはこのリクエストをした当事者の方が書いています。

元ソフトウエア関係の営業職だった三田村慎平が児童養護施設に転職するところから話が始まります。彼の施設の子どもたちに対する勝手な思い込みが指導担当の先輩や施設の子供たち、特にしっかりした高校生の谷村奏子に初っ端から打ち砕かれ、少しずつ施設の在り方と子どもたちに対する理解を深めて行きます。本編は5章ですが、章と章の間に子どもたち目線及び他の慎平の同僚たちの目線で書かれた番外編が挿入されています。

基本的に慎平目線で書かれていますが、目線は必ずしも固定されておらず、施設に入所している当事者と施設関係者たちのそれぞれの思いや人生を踏まえた上で、互いにぶつかり、悩み、迷い、歩み寄り、関係を築き上げていく群像劇のような印象を受けます。繊細な気持ちの機微がやさしい視線で描写されており、読者をぐいぐいとカナちゃんや慎平ちゃんや和泉ちゃんや猪俣さんなどの世界へ引っ張り込んでいきます。解説込みで522ページは文庫にしては分厚いですが、読み出したら止まらず、一気読みしました。

私も児童福祉問題に関してはくわしくはないので、この小説を通していろいろと勉強させていただきました。児童福祉は社会の投資であり、「負担」ではないというのは私からすれば当たり前の考え方ですが、「施設の子どもたちはいずれ大人になる【未来の票田】」という見方は目から鱗が落ちるほど斬新に感じました。考えてみればそれも道理なのですが、その道理が児童福祉をもっと重視するように政治家に訴える際にとっさに出て来るかといえば、決してそうではない視点だと思います。


書評:有川浩著、『レインツリーの国 World of Delight』(角川文庫)

書評:有川浩著、『ストーリー・セラー』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、自衛隊3部作『塩の街』、『空の中』、『海の底』(角川文庫)

書評:有川浩著、『クジラの彼』(角川文庫)

書評:有川浩著、『植物図鑑』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『ラブコメ今昔』(角川文庫)

書評:有川浩著、『県庁おもてなし課』(角川文庫)

書評:有川浩著、『空飛ぶ広報室』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『阪急電車』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『三匹のおっさん』(文春文庫)&『三匹のおっさん ふたたび』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『ヒア・カムズ・ザ・サン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『シアター!』&『シアター!2』(メディアワークス文庫)

書評:有川浩著、『キケン』(新潮文庫)

書評:有川浩著、『フリーター、家を買う』(幻冬舎文庫)

書評:有川浩著、『旅猫リポート』(講談社文庫)

書評:有川浩著、『キャロリング』(幻冬舎文庫)


書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』(HarperCollins)

2018年06月10日 | 書評ー小説:作者カ行

スペイン旅行の行きと帰りの飛行機の中と帰宅後に旅行記を書く傍らこの推理小説の古典を読みました。あまりにも有名なアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』(1939)ですが、実はこれまでまともに読んだことはなかったので、原作に挑戦することにしました。

私が読んだのはHarperCollins出版社の2015年に発行された電子書籍です。このため「インディアン島」は「兵隊島(Soldier Island)」になっていますし、「10人のインディアン」の歌は「10人の小さな兵隊さん(Ten Little Soldier Boys)」になっています。「10人のインディアン」自体も実は変更後のもので、元は「10人の小さな黒人(Ten Little Niggers)」だったそうで、作品の題名も1939年にイギリスで刊行された際はこれだったそうですね。タイトルはアメリカで刊行される際に歌の最後の句をとって「And Then There Were None(そして誰もいなくなった)」に改題されたとのこと。(英語版ウィキペディア参照)

舞台となったデヴォン州の島はBurgh Islandらしいです。

現行版の詩は以下の通りです。()内の日本語訳は詩としてではなく、原文に沿った比較的言葉通りの翻訳にしてみました。

Ten little Soldier Boys went out to dine; (10人の小さな兵隊さんが食事をしに出て行った)
One choked his little self and then there were nine.(一人がのどを詰まらせ、そして9人になった)

Nine little Soldier Boys sat up very late; (9人の小さな兵隊さんがとても遅くに起きた)
One overslept himself and then there were eight.(一人が寝過ごし、そして8人になった)

Eight little Soldier Boys travelling in Devon; (8人の小さな兵隊さんがデヴォンに旅していた)
One said he'd stay there and then there were seven.(一人がそこに残ると言い、そして7人になった)

Seven little Soldier Boys chopping up sticks; (7人の小さな兵隊さんが薪を割っていた)
One chopped himself in halves and then there were six.(一人が自分自身を割ってしまい、そして6人になった)

Six little Soldier Boys playing with a hive; (6人の小さな兵隊さんが蜂の巣をもてあそんでいた)
A bumblebee stung one and then there were five.(一人がマルハナバチに刺され、そして5人になった)

Five little Soldier Boys going in for law; (5人の小さな兵隊さんが裁判に入った)
One got in Chancery and then there were four.(一人が動きが取れなくなって、そして4人になった)

Four little Soldier Boys going out to sea; (4人の小さな兵隊さんが海に出て行った)
A red herring swallowed one and then there were three.(一人が赤いニシンに飲み込まれ、そして3人になった)

Three little Soldier Boys walking in the zoo; (3人の小さな兵隊さんが動物園に行った)
A big bear hugged one and then there were two.(一人が熊に抱きつかれ、そして2人になった)

Two little Soldier Boys sitting in the sun; (2人の小さな兵隊さんが日光浴をしていた)
One got frizzled up and then there was one.(一人が焼けあがって、そして1人になった)

One little Soldier Boy left all alone; (小さな兵隊さんがたった一人残された)
He went out and hanged himself and then there were none.(彼は出て行き首をつり、そして誰もいなくなった)

この恐い詩をなぞるように、兵隊島にゲストとして招かれあるいは使用人として雇われた10人が一人ずつ殺されていくという典型的な「見立て殺人」で、しかも孤島で船が本土から来ない限り出られないという典型的な「閉ざされた空間」で起こる殺人ミステリです。そして最初10体あった磁器の兵隊人形が、一人殺されるたびに一体ずつなくなったり壊されたりしていくのが不気味です。

最後には10体の死体が残され、スコットランドヤードの捜査官二人が頭を抱える事態になります。結局のところ犯人の自白書が届かなければ永遠の謎となっていた事件になります。島にいる10人のうちの誰かが殺人者のはずで、生き残っているものたちがお互い疑心暗鬼になっている中、「死んだうちの誰かが実は死んでいない」というところまでは想像がつくわけですが、それが誰なのかはやはり自白書を読まないと分からない仕掛けになっています(少なくとも私は分からなかった)。

この作品は推理小説の原点と言えるのでしょう。この作品からインスピレーションを得た作品がたくさんあると思います。だからこの作品を読み終わった時にいろんな既視感を感じたのだと考えています。


書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『And Then There Were None(そして誰もいなくなった)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Endless Night(終わりなき夜に生まれつく)』(HarperCollins)


ポワロシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder on the Orient Express(オリエント急行殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The ABC Murders(ABC殺人事件)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Murder in Mesopotamia(メソポタミアの殺人)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『After the Funeral(葬儀を終えて)』(HarperCollins)

 

ミス・マープルシリーズ

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『The Mirror Crack'd From Side To Side(鏡は横にひび割れて)』(HarperCollins)

書評:アガサ・クリスティー(Agatha Christie)著、『Sleeping Murder』(HarperCollins)


スペイン・アンダルシア旅行記 II(3):シエラネヴァダ山脈

2018年06月09日 | 旅行

シエラネヴァダ山脈(Sierra Nevada)はアンダルシア州のグラナダ県及びアルメリア県にまたがる山脈で、3000メートル級の高山がいくつもそびえる国立自然公園です。最高峰はムラセン(Mulhacén)で、3482メートル。

6月3日、私たちはグラナダ市を出て、シエラネヴァダの南側に連なる山系ラス・アルプハラス(Las Alpujarras)をドライブしてアルメリア市へ向かう予定でしたが、ナビをうまく調整できず、グラナダ市から高速道路A44で南下すると最初に出て来る「Sierra Nevada」の標識に従って車を走らせたら、A395を辿ってシエラネヴァダの北側にあるスキー場に出てしまいました(笑)

 

A395では素敵なパノラマ展望が楽しめます。

ルート上に植物園(Jardines Botánicos Hoza de Pedraza)があったので入ってみました。スキー場まであと4㎞のところです。シエラネヴァダにはこうした植物園のネットワークがあるらしいです。ここの植物園は駐車場から斜面をかなり降りたところに管理棟があり、そこから左右になだらかな坂があり、植物を観察しながら山の眺めを楽しみつつ散策できます。

       

植物園をひと回りしてから、昼食を取るためにレストランを探しにスキー場のほうまで行きましたが、オフシーズンですからもちろん開いているお店はほとんどなくて、見た限りで唯一開いていたレストランは非常に混雑していたので、元来た道を戻って、グエハル・シエラ(Güejarr Sierra)という地区にあるペンションのレストラン(Pensión El Desvio)で何とか食事にありつけました。

大したものはありませんでしたが、簡単なスープにオムレツを食べました。そこそこ食べられる味で、取り敢えず空腹が満たされたのでよしとしました。

 

高速道路A44に戻る途中で撮影した風景 ↓

 

当初の目的地だったラス・アルプハラス(Las Alpujarras)には6月6日にアルムニエーカルから行きました。

高速道路A44をグラナダ方面に向かい、途中でA348へ行くとランハロン(Lanjaron)という村に入ります。ランハロンは水源地として知られており、「シエラネヴァダの水(Aqua de Sierra Nevada)」はここで採取されます。風力発電機が多く設置されており、村の入り口には見晴らしの良い展望台公園があります。

 

  

鉄分を含む鉱泉水があるため、保養地としても知られているそうです。どおりで小さい村の割にホテルやペンションが多く、混雑していたわけですね。通過した時は不思議に思いましたが、後で調べて納得しました。

A348をさらに走ると、オルヒヴァ(Órgiva)というシエラネヴァダ最大の町に出ます。私たちは市街地をさっさと通過し、そこからA-4182でさらに奥地へと向かいました。その途中に洞窟があり、いい具合に駐車場もあったので覗いてみました。

駐車場から見た景色 ↓

 

ソルテス洞窟(Cueva de Sortes)↓

  

この洞窟は現在オルヒヴァ市に属していますが、洞窟の名前は以前その近くにあった「ソルテス」という古い街に由来するらしいです。写真を撮影した時点では表札もなかったので洞窟の名前すら知りませんでしたが、ジオデータ付きで撮影したので、後から位置情報を地図上で確認することができ、洞窟の名前もそれで知ることができました。最近の技術はすごいですね!

A348をさらに進むと、ポケイラ谷(Poqueira)の斜面に張り付くように白い家々が並ぶ山村に着きます。パンパネイラ(Pampaneira)がその最初の村で、そこから上の方にあるブビオン(Bubión)とカピレイラ(Capileira)という村も見えます。

  

私たちはパンパネイラ村の集落に入る手前にあった食料品店を兼ねたレストラン Guillermo で昼食をいただきました。入口のすぐ近くに車を止められたので、足をくじいていた私には都合がよかったのです。

前菜にはダンナはサルモレーホ(Salmorejo)という冷たいスープを、私は単なるサラダ(Ensalada de la casa)を食べ、メインにはこの地方の郷土料理の一つ Migas alpujarrañas を頂きました。ミハ(Migas)はパンくずのことで、上に乗っているものに全然言及しない料理名(アルプハラのパンくず)ですね。ちなみにパンくずの上に乗っているのはブラッドソーセージ、オニオンソーセージ、ピーマン、この地方のハム及びメロンです。もう一つはこの地域独特の調理法で作られた目玉焼き(Huevos fritos)。焼き跡がついてないので、焼いたというよりは蒸したか茹でたかしたのではないかと思われます。

 

 

パンパネイラの集落を通り過ぎてブビオンやカピレイラへ向かう道が分岐するところにあったガソリンスタンド&駐車場から撮影した景色 ↓

  

ここで折り返して、アルムニエーカルのホテルに向かいました。

その途中のオルヒヴァでA348でガダルフェオ(Guadelfeo)川を越えてモトリル方面行のA346に入ったところで撮影した風景 ↓ 
遠くにシエラネヴァダ最高峰のムラセン(Mulhacén)が見えます。

  

車で行ける部分だけしか見ていませんが、シエラネヴァダの風景の素晴らしさを堪能しました。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記 II(1):マラガ

スペイン・アンダルシア旅行記 II(2):グラナダ~アルハンブラ宮殿