徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:Marc-Uwe Kling, 『QualityLand クォリティランド』 (Ullstein)

2022年02月25日 | 書評ー小説:作者カ行

Marc-Uwe Kling の『QualityLand クォリティランド』は、現在のアルゴリズムのはびこるデジタル社会を究極まで推し進めた未来社会の中で Nutzloser(役立たず)のレッテルを貼られている主人公 Peter Arbeitsloser(ペーター・ジョブレス)の幸せでない生活とそこから芽生える反発心をコミカルに描くSF風刺小説です。
しゃべる自動運転車、家のドア、家電、Ohrwurm(耳の虫・耳鳴り)と呼ばれるアシスタント、注文しなくても届く品物、世界観・考え方に合わせて提示されるニュースや広告等々。そこに描かれる近未来の世界は、まさにデジタル化の進む社会が向かっている方向です。
このようなIoTを極めた世界を描き出すことで様々な社会批判が可能だと思いますが、マルク=ウヴェ・クリングはコメディアンとしての才能を遺憾なく発揮してすべてを不条理で滑稽な「ふざける」方向に振り切り読者を笑わせます。

Peter Arbeitsloserはある日世界で一番人気のある通販会社TheShopからピンク色のイルカ型バイブレーターを受け取り、なぜそんなものが配達されたのか理由もわからず、使い道もないので返品を試みたものの、TheShop側は「システムは間違わない」という頑なな態度を貫き、一切返品を受け付けません。そこで一般人であれば諦めて商品を捨てるなり人にあげるなりして処分してしまうでしょうが、彼は諦めずに何とか返品して、TheShopのシステムの間違いを認めさせようとします。

一方でクォリティランド大統領の予想死期が迫っていたため、大統領選挙の準備が進められているのですが、候補者の一人は差別主義者のコック、対立候補は何とアンドロイド。
アンドロイドの John of Us は選挙運動でベーシックインカムの導入や富裕層に対する増税などインテリな左派政治家を彷彿とさせる政策をとうとうと説き、論理的にまともなことを言うほど世論調査での支持率が下がっていく事態に直面します。オルタナティブファクトやフェイクニュースに影響されるネット住民の行動原理そのままですね。

また、John of Us の属する政党 Fortschrittspartei(進歩党)の党員である Martyn Vorstand の私生活も描かれます。子どものために買ったなぜか4種の武術をこなせる子守ロボット、妊娠中の妻に付き添って検診に行き、生まれてくる娘の未来予想図が提示され、遺伝子操作を勧められるなど怖くて笑えないシーンもあります。

主にこの3つのラインが交互に語られ、少しずつ絡んでいき、クライマックスですべてが1つの事件に収束していくストーリー構成です。

しゃべるカンガルー(なぜか共産主義者)の登場する『Die Känguru Chroniken カンガルークロニクル』も不条理で可笑しかったですが、こちらは2000年代のドイツの情勢に詳しくないと分からない部分も多いのに対して、『QualityLand クォリティランド』の方はGAFAが支配的な社会の住人であれば理解または想像できる世界で展開されるストーリーなので日本人にもとっつきやすい内容です。

邦訳も出ていますが、B2程度のドイツ語力があれば原文も何とか読めると思います。
不条理なドタバタが一体どこへ行きつくのか気になって、どんどん読み進められるのではないでしょうか。

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書評:ブレイディみかこ著、『女たちのポリティクス 台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)

2022年02月23日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教


ブレイディみかこの著作を3冊立て続けによみましたが、この『女たちのポリティクス 台頭する世界の女性政治家たち』では指導者を題材としているため、彼女のお得意の「地べた」視点ではなく、「上から」のアングルで書かれています。
とはいえ、いわゆる「上から目線」といったネガティブな意味ではありません。

目次
  • はじめに
  • EU離脱とメイ首相~おしゃれ番長はパンチバッグ
  • メルケル時代の終焉~EUの「賢母」か「毒親」か
  • 「ナショナリズム」アレルギーのとばっちりを受けて~スコットランドのスタージョン首相
  • アレクサンドリア・オカシオ=コルテス~どえらい女性議員がやってきたヤア!ヤア!ヤア!
  • 極右を率いる女たち~新たなマリーヌ・ル・ペンが続々と現れている理由
  • 「インスタ映え政治」の申し子~ニュージーランドのアーダーン首相
  • 「サイバー暴行」と女性政治家たち~叩かれても、踏まれても
  • サッチャーの亡霊につきまとわれて~メイ首相辞任の裏側
  • トランプはなぜ非白人女性議員たちを叩くのか~またそんなコテコテの差別発言を
  • 合意なきブレグジットを阻止するのは全女性内閣?
  • 育児のための辞任は反フェミニズム的?~スコットランドの女性党首の決断
  • 英国女王とジョンソン首相の微妙な関係~宿敵のような、でも実は同族の二人
  • 英総選挙を女性問題の視点から見る~止める女性議員たちと、出馬する女性たち
  • 若き女性たちが率いる国が誕生~フィンランド政治に何が起きているのか
  • スコットランド独立の悲願~二コラ・スタージョンの逆襲
  • 日本の右派女性議員をウォッチする~自民党のメルケルになれるのは誰なのか
  • コロナ危機で成功した指導者に女性が多い理由
  • 「ブラック・ライヴズ・マター」運動を立ち上げた女性たち
  • 小池百合子とフェミニズム
  • マーガレット・サッチャー再考~彼女はポピュリズムの女王だったのか
  • おわりに
「小説幻冬」2018年12月号~2020年11月号に掲載された文章をまとめた本書は、その頃の政治事情を振り返るのにも適しています。
「はじめに」と「おわりに」の日付は2021年2月25日で、その時点で最新のアメリカの政局(初の女性副大統領カマラ・ハリスなど)およびサフラジェット運動の歴史に言及し、今後の「女たちのポリティクス」のあり方について大雑把な提案をしています。特に「おわりに」はエッセイ1本分に相当するような量で、最も彼女の思想性が表れている章です。

特に興味深いと思った指摘:
  • フェミニズムの第一世代であるサフラジェットの女性たちには無数の脅迫ハガキが届き、現代の女性政治家たちには無数の脅迫メールやSNS上の誹謗中傷コメントが届く。媒体は違えど脅迫内容はほぼ同じ。女性たちへの誹謗中傷・脅迫は、どうやら肉体的な暴行で得られる快感と同じ中脳辺縁系ドーパミン回路が関係しているらしい。
    そのような暴行を受ける可能性のある場所へわざわざ出て行く胆力のある女性は稀だし、出て行っても長期間耐えられずに辞めてしまう。
  • 女性政治家たちは男性政治家以上に強いバッシングや逆風に晒されるため、それでも潰されずに頂点を極める場合、男性以上に優秀でなければならない。⇒コロナ危機で成功した指導者に女性が多い理由。
  • 左派政党は周縁グループへの差別に反対し、自分たちを倫理的に「上」に置く傾向が強いが、言葉だけで終わっていることが少なくない。その証拠に労働党などの左派政党から女性党首も女性首相も輩出されていない。
  • 右翼女性政治家たちが女性からの支持を得られる理由は、女性蔑視・同性愛厳禁のイスラム教徒たちに対して左派がポリティカル・コレクトネスを気にするあまり煮え切らない態度しか取れないから。本来保守的でない女性たちも含めて「反イスラム」で暫定的団結をしている。
本書では著者の思想がかなり左寄りであることが分かる一方で、従来のフェミニズムや左派政党とは違い、もっと広い視野と現実感覚を持っており、いまだに左右の対立軸でしか議論しようとしない輩を批判しているところが共感できるポイントです。
ステレオタイプ的な決めつけが多いのは右派だけに限らず、左派も相当のものです。「パヨクだ!」「ネトウヨだ!」などとやり合ってる人たちはどちらもまともに相手を見ておらず、塹壕の中から敵がいると思われる方向へ手榴弾を投げたり砲弾を撃ったりしているようなもので、その塹壕から出てこない限りはその戦いに終わりはありません。そして、どちらも往々にして実際の問題に向き合っていない印象があります。

フェミニズムにしても、「育児のために仕事を辞める」という選択肢を「反フェミニズム的」と断罪するようでは、ロールモデルの押し付けに過ぎず、個人の意思の尊重と多様性の現代パラダイムにそぐわないイデオロギーです。

著者が指摘するように、女性が政治のトップに立ったからと言って、必ずしも全ての女性が生きやすくなるような政治が行われるわけではありません。
「女性だから」「男性だから」というジェンダー、あるいはその他のマイノリティーに属しているという理由だけで応援・支持するとひどいしっぺ返しを受けることにもなりかねないので、安直な判断を避けてきちんとそれぞれの主張を聞いて考えることが必要だということを改めて考えさせられました。



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書評:ブレイディみかこ著、『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』(講談社)

2022年02月22日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』は「群像」2018年3月号~2020年9月号に掲載された時事エッセイ連載記事を書籍化したものです。
さらに同誌2017年11月号に掲載された「エモジがエモくなさすぎて」も収録されています。

ブレグジットの交渉の停滞期~コロナパンデミック発生後まで著者曰く「地べた」からの視点でイギリス社会を描写しています。
緊縮財政で一番あおりを食っている底辺の労働者階級と一般的な格差拡大、生理用品が買えないために生理の時には学校を休む児童の話、左派・右派のスキームが当てはまらない離脱派と残留派の対立などなど、ニュース報道だけでは見えてこない英国社会の複雑でブロークンな内情がかなり軽やかな口調・文体で暴露されている。

この著者の好ましい点は、やはりローアングル、「地べた」の視点で、かつ安っぽい独善的な倫理道徳のご高説が混じらないところです。

コロナ・ロックダウンの時に著者は低所得労働者の多い自宅ではなく、補修のためにある伝手から高級住宅街にある家に仮住まいしており、そこで繰り広げられる優雅な日常を目の当たりにして、「富裕層は底辺の生活が目に入ってない」がその生活環境から当然の帰結であることに気付いたというところが興味深いです。このように気付けるところ、そしてその気付きをエッセイに書けるところに、彼女のイデオロギーに固まっていない柔軟性と観察眼の鋭さと客観性が表れているように思います。


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書評:ブレイディみかこ著、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)

2022年02月20日 | 書評ーその他

ブレイディみかこ氏の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとプルー』という本はアイルランド人の夫と息子さん一人と共にイギリスのブライトンの(元)公営住宅地に住む著者が、人種も貧富の差もごちゃまぜの近所の元底辺中学校に通い始めた息子と共に日常的に出会うイギリス社会の歪み、底辺の苦悩と逞しさについて考えていく様子をこのエッセイにまとめたものです。

この本も様々な賞を受賞しているので、すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、日常的な差別を考えて対処していく上でとても示唆に富んだエッセイです。

私が本書に好感を持ったポイントは、差別とそれに基づく時にフィジカルな攻撃を扱ってはいても、差別する側を特別な悪人のように非難するといった正義を振りかざして「差別者」を人として貶める攻撃的な(あるいは報復的な)姿勢がないところです。(「それは差別(用語)だ!」とやたらめったらに突っかかる倫理警察みたいな態度は、それはそれで差別的だと思うので、不愉快なものです。)

さらに、ブレイディみかこ氏のエッセイは息子さんの豊かな感性と母子の対等な対話がすばらしいです。大人は「子どもには分からない」と決めつけてしまいがちですが、これも日常的な差別の1つですが、これを読むと子どもは子どもでたくさん考え、感じ、手探りをしながらも逞しく生きていることがよく分かります。

私自身は差別の本質は人を個として捉えずにカテゴリーとして捉え、そのカテゴリーに含まれる属性がそのカテゴリーに入れられた全ての人に備わっているという誤った決めつけにあると思っています。その原因は怠惰な思考と言えるでしょう。
要するにいちいち考えるのが面倒くさいんですね。だから大雑把にグループ分けしてポンとレッテルを貼って分かった気になるということだと思います。

確かにそのように分類してレッテルを貼るのは合理的なこともありますが、こと人間に関してはカテゴリーやタイプでは判断できない様々な個性や経歴や事情がありますので、大変でも簡単にレッテルを貼らずに目の前の「個人」を意識することが大切だと思います。
あからさまにバカにしたり侮蔑したりするのでなくても、個人を無視して自分の価値観で「こうだろう」と決めつけてしまうことはその人に対して失礼な行為ですよね。

Die Empathie エンパシー(共感)。それは可哀想などと同情する感情ではなく、自分とは違う立場や考えを持っている人の身になって考える能力です。「人の身になって考える」が独りよがりな親切の押し売りにならないようにするには、先入観や決めつけを持たず、相手の語ることによく耳を傾ける、話を聞く能力が必要です。
それが今の社会に不足しているものではないでしょうか。
政治的な議論を観察していると特に、誰も人の話を聞いておらず、クリシェのやり取り、ポジショントークしかしていない印象を強く受けます。

自由はしんどい。多様性はしんどい。
けれども、多くの人がエンパシーを持って考える努力をすれば、きっと今より生きやすい未来があると思います。

そんなふうに考えさせられる一冊でした。


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書評:今野敏著、『奏者水滸伝 全7巻合本版』(講談社)

2022年02月19日 | 書評ー小説:作者カ行

『奏者水滸伝 全7巻合本版』は『阿羅漢集結』『小さな逃亡者』『古丹、山へ行く』『白の暗殺教団』『四人、海を渡る』『追跡者の標的』『北の最終決戦』の7作品をひとまとめにした電子書籍です。さすがに一日一晩で読破することは無理ですが、4日間で読み終えました。

第1巻である『阿羅漢集結』は聖者と呼ばれた偉大なジャズマンがニューヨークで予言を残して死ぬところから始まり、「何かが動く」予感をさらに盛り上げるように木喰を名乗る謎の旅の僧侶が「羅漢」と思われるジャズ奏者を北海道・京都・沖縄で3人見つけ出して東京に集結させ、そこにふらふらと惹かれるようにもう1人東京出身の伝説化していたアルトサックス奏者が登場し、4人集結してジャズバンドを結成するところまでの物語です。

北海道の野生児ピアニスト古丹神人、沖縄の天才的武闘家にしてドラマーの比嘉隆晶、京都の茶道の時期家元にしてベーシストの遠田宗春、音大で音楽理論を教えるアルトサックス奏者・猿沢秀彦の四人はそれぞれ超人的な能力を持ち、それゆえに余人には理解されない孤独な悩みを抱えています。

だからこそ、そうした彼らの特殊能力を見抜き、あまつさえ仲間がいることを示唆する老僧の誘いに乗ったわけですね。

こうして集まったジャズマンの4人はジャズ界に一大旋風を巻き起こすわけなのですが、2巻以降は誘拐事件・殺人事件・テロなど様々な事件に巻き込まれ、そのたびにそれぞれの超能力を活かして事件解決に至ります。
事件に巻き込まれてしまうのも「羅漢」の磁場のようなもののせいらしいですが、「人にあって人にあらず、仏にあって仏にあらず。故に多く悩み、その悩む姿で人に教えをもたらす」とか「羅漢は仏法(宇宙意志のようなもの)を聞く」という禅問答のような説明以上の追及は作中ではありませんし、本人たちも別に信じているわけでもないので、神秘性やファンタジーの色は薄く、むしろ刑事を主人公にしていないだけで、かなり警察小説っぽい色合いが濃いです。
1980・90年代の作品なので時代を感じさせる部分もありますが、それはそれで味わい深いです。

なんとなく腑に落ちない点は、第1巻で4人の終結に多少なりとも一役買っていた音楽ジャーナリスト天野がその後まったく登場しないことでしょうか。7巻一気読みするとその点が奇妙に感じます。

ただ、読み始めると先が気になって止められなくなるエンタメ性の高い筆致は変わらないので、ストーリーコンセプトの細かな変更の痕跡には目をつぶれるかと思います。



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安積班シリーズ
 
隠蔽捜査シリーズ

警視庁強行犯係・樋口顕シリーズ

ST 警視庁科学特捜班シリーズ


横浜みなとみらい署 暴対係シリーズ

鬼龍光一シリーズ

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十三幕』(富士見L文庫)

2022年02月17日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

久々に日本語のラノベを読んで、ようやく頭に休暇を与えられた気がします。
しかし、この『紅霞後宮物語 第十三幕』は第十二幕の発売から1年以上経過しているので、話がどこで終わっていたのか思い出すのに一苦労しました。

主人公・関小玉が皇后から陰謀により後宮の最下層・冷宮に落とされ、恩赦で位の低い妃として後宮に復帰したところまでが前回の話で、今回は陰謀の張本人の遺児である帝姫の養育に勤しむ小玉の日常が描かれています。

療養中だった紅霞宮の女官たちも小玉と一緒に冷宮に入れられていた清喜や綵も戻ってきて、帝姫とその乳母たちの子どもたち3人の赤ちゃんで大賑わいしている中、皇帝・文林と皇太子・鴻との穏やかな家族の時間が持てて。。。とかなり地味な展開です。文林と小玉は相変わらずかみ合ってない夫婦ですが、それなりに深い情で結ばれている関係です。だから文林のまさかの恥ずかしい悩みも小玉は鷹揚に受け止められるのですね。
でも、キャラに夢を抱いていた人にはわりと幻滅するエピソードかもしれません。

そんな中で小玉の強い後ろ盾であり、皇帝に次ぐ力を持っていた王太妃が病死し、帝国内の勢力図がまた変わりそうな気配が忍び寄っている感じです。

本編は次巻が最終巻となるそうです。
さて、どこに話が着地するのか楽しみです。


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書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語』第零~七幕(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第八幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第九幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十一幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十二幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第零幕 三、二人の過誤』

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第零幕 四、星降る夜に見た未来』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第零幕 五、未来への階梯 』(富士見L文庫)


書評:Manja Präkels著、Als ich mit Hitler Schnapskirschen aß(私がヒトラーとシュナップス用チェリーを食べた時)

2022年02月16日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

マンヤ・プレーケルスの「Als ich mit Hitler Schnapskirschen aß(私がヒトラーとシュナップス用チェリーを食べた時)」は2017年に Verbrecher Verlagから出版され、2018年度 Jugendliteraturpreis青少年文学賞や Anna-Seghers-Preis アンナ・セーガース賞、Kranichsteiner Jugendliteraturpreis クラーニヒシュタイナー青少年文学賞受賞作品です。

物語はドイツ民主主義共和国だった1980年代にブランデンブルク州のHavelstadt ハーヴェルシュタットで子ども時代を過ごした Mimi Schulz ミミ・シュルツによって語られます。

「民主主義共和国」とは名ばかりの一党独裁国家だった東ドイツ。ブランデンブルクの田舎町で育った少女の視点で描かれる社会の移り変わりに関するリアリティは、貴重な歴史ドキュメンタリーと言える一方で、寄る辺もなく翻弄されて絶望感の漂う一人の女性の私小説でもあります。

タイトルにある「ヒトラー」とはもちろんかの有名なアドルフ・ヒトラーのことではなく、東西ドイツ統一後にネオナチのリーダーとしてミミの幼馴染であるオリバーが名乗るようになった(あるいは呼ばれるようになった)通称です。
ミミとオリバーが幼い頃にハーヴェル川で一緒に釣りをしたその思い出が美しければ美しいほど、後の分かたれてしまった二人の人生の道のりが物悲しく感じられます。

読んで楽しくなるようなストーリーではありませんが、東独、壁の崩壊、「die Wende」と呼ばれる通りに何もかも「ひっくり返った」その具体的な様子、ネオナチと呼ばれるストリートキッズ・ストリートファイターの台頭などミミを通して追体験できます。

プレーケルスのドイツ語の表現は独特で味わい深いです。酒・セックス・ドラッグにかかわる表現は時に赤裸々で、ブランデンブルク方言と若者言葉・スラングが入り混じって本物らしさを醸し出しています。
その分外国人には読みにくいという難点もあるのですが、ネットで調べても分からないような表現はないので、調べる手間を惜しまなければ十分に理解でき、味わえます。

未邦訳作品ですが、Amazon Japanで購入できます。


書評:Ferdinand von Schirach著、『Strafe(刑罰)』(Random House ebook)

2022年02月02日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行
フェルディナント・フォン・シーラッハの「Strafe(刑罰)」は邦訳もされているのですでにご存じの方も多いでしょう。

Inhalt 目次
  • Die Schöffin 参審員
  • Die falsche Seite 反対側
  • Ein hellblauer Tag 快晴のある日
  • Lydia リュディア
  • Nachbarn 隣人
  • Der kleine Mann 小男
  • Der Taucher ダイバー
  • Stinkefisch 臭い魚
  • Das Seehaus 湖畔邸
  • Subotnik スボートニク(無償奉仕活動)
  • Tennis テニス
  • Der Freund 友人

全編を貫くモチーフは「孤独」と言えます。
著者が刑事弁護人(Strafverteidiger)であるため、どの話も何らかの形で刑事犯罪が関わっているのですが、特に適切に罰せられないまま埋もれてしまう犯罪が本書ではメインになっています。
しかし、それぞれのケースも切り口もバリエーションに富んでいて飽きが来ません。

「参審員」では、カタリーナという女性の空虚な人生が淡々と語られた後に彼女が参審員として選ばれ、否応なくある暴力犯罪の法廷審議に関わってしまうのですが、その犯罪の被害者であり、証人である女性に自分自身を見てしまい参審員を失格になってしまうエピソードです。参審員制度自体への批判とも取れるオチで、なんともやるせない後味の悪い読後感です。

「反対側」ではある弁護士の成功と凋落が語られ、アル中の末に犯罪者になってしまうのかと思いきや、そうではなく、殺人事件の被疑者女性の国選弁護人となります。女性は犯行を否認しているものの揃えられた証拠は全て彼女の犯行を裏付けるようにみえます。
ある日彼を訪れた男がその裁判資料を見て「反対側だ」と謎の言葉を残していきます。
このエピソードは Indizien 間接的な状況証拠によって、本来行わなければならない別方向の捜査を怠り、下手すると冤罪を生み出す危険を孕んでいる事件捜査の難しさを示唆しています。

「快晴のある日」では、子殺しの罪で起訴され、刑罰を受けた母親が無事に刑期を終えて出所してくるところまで話がどこに行くのか見えないのですが、彼女が帰宅してから夫とのやり取りで実は子殺しの実行犯は夫の方だったのに、前科のない彼女が犯人として裁かれた方が刑が軽くなるということで彼の罪をかぶったという事情が明らかになります。その後に続く夫婦のやり取りが何とも殺伐としていて、オチはむしろ少し胸のすく思いがするのですが、そもそもなぜ母親が夫の罪の刑罰を受けることが可能になったのか、家庭内犯罪に対する司法の不備を考えさせるエピソードです。

「リュディア」は妻に逃げられた孤独な男性がセックスドールに並々ならぬ愛情を抱くようになる話です。「彼女」を隣人が壊したので、その復讐にその隣人に重傷を負わせて刑罰を受けることになりますが、裁判中に発せられた彼の人形に対する愛情についての評価が彼を満足させるという少し不思議な感じのするエピソードです。

「隣人」では妻を亡くしたやもめ男が主人公で、隣の家に引っ越してきた若い夫婦の妻と親しくなり、彼女に対して恋情を抱いてしまう話ですが、結果的に完全犯罪(?)が成立してしまい、「え、それでいいの?」という腑に落ちない驚きが残ります。

「小男」はタイトルの通り背の低い男の話です。女性にまともに相手にされないというコンプレックスを抱きつつも仕事ではそれなりに成功している男がある夜近所の食堂で男たちが大量のコカインらしきものが入ったスポーツバッグを彼のマンションに隠しに行くところを目撃し、実際に隠し場所を見つけて中を確認してから、何を思ったかそれを横領・転売することにします。
彼が何を考えて行動したかは詳しくは描写されていないのですが、何か大きなことをして注目を浴びたかったのに、刑法の意外な穴というか手続き上の間違いで結局「小さい」ことで終わってしまうというオチが皮肉で、短編として非常に完成されていると思いました。

「ダイバー」は妻の出産に立ち会ってから精神が少しずつ病んでいき、まともなセックスができなくなった男の末路が描かれています。妻の立場としてはやるせない話ですね。

「臭い魚」では少年犯罪がテーマになっています。警察の啓蒙と少年たちの無反応。このちぐはぐさがなんとも苦い味わいになっています。実際に起こったこととは違った調書が残ってしまっても、誰も文句を言わないので放置されたままになるというのも何とも皮肉です。

「湖畔邸」は祖父との思い出深い湖畔邸で静かに老後を過ごしたい男が、村の経済活性化のために後からできた湖畔の別荘群とそこに来る観光客たちに苛立ちを覚え、ついに「キレて」しまう話です。
何を「証拠」として認められるのか。盗聴器が仕掛けられた中での独り言は「自白」なのか。こうした法律上の難しい問いがテーマとなっています。

「スボートニク(無償奉仕活動)」はトルコ移民の父に厳しく教育された娘が父親の支配に反発して家を出て法学を学び弁護士になって最初にかかわる大きな刑事裁判の話です。東欧女性を騙して自由を奪い、ドイツで強制的に売春をさせたかどで起訴された男を国選弁護人として弁護することになった彼女は、想像以上の現実の厳しさ・理不尽さを味わうことになります。
クライアントの無罪を勝ち取ることが倫理にも社会正義にも反してしまうことがある。

「テニス」はカメラマンとして忙しくて家を空けることが多い妻が夫の浮気に気づくところから始まります。よその女が残していったらしい真珠のネックレス。彼女はそのネックレスを階段の上に見えるように置いて、また取材旅行に出かけますが、それが実に皮肉な結果を招くことになります。
刑事事件とはかかわりがないのですが、罪に対する罰は下されていると取れる唯一のエピソードです。

「友人」はどうやら著者がなぜストーリーを書くようになったのか、そのきっかけとなった友人の話のようです。
しかし、仕事を変えたからと言って人生が楽になるわけではなく、疎外感や孤独その他諸々は変わらずにあるという独白で終わっています。

以上、ネタバレにならない程度に概要と感想を書いてみました。
決して楽しくなるような物語たちではありません。
ふと立ち止まって深く考えるきっかけとなるような短編集です。

ドイツ語原文はシーラッハ・スタイルと言っていいのか分かりませんが、淡々としており、簡潔な文体なので、読みやすいです。
短編なので、ドイツ語小説を読みなれていない方でも挑戦しやすいのではないでしょうか。


邦訳はこちら


書評: 古賀 史健著、『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』(ダイヤモンド社)

2022年02月01日 | 書評ーその他

「この一冊だけでいい。」100年後にも残る、「文章本の決定版」を作りました。(担当編集者:柿内芳文)
という煽りはいささか大げさかなと思いますが、『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』は文章、特に読者を楽しませる「コンテンツ」を作る際の基本姿勢について、取材から執筆、そして推敲に至るまでのプロセスを通して語ります。
取材・推敲・執筆の3部構成、全9章。序論のライターの定義の部分を入れれば全10章になる本書はなかなかの大作です。

目次
──取 材(第1部)──

第1章 すべては「読む」からはじまる
・一冊の本を読むように「世界」を読む
・なぜ、あなたの文章はつまらないのか
・情報をキャッチせず「ジャッジ」せよ
……等

第2章 なにを訊き、どう聴くのか
・なぜ取材はむずかしいのか
・取材を「面接」にしてはいけない
・質問力を鍛える「つなぎことば」
……等

第3章 調べること、考えること
・取材には3つの段階がある
・わかりにくい文章が生まれる理由
・その人固有の文体をつかむ
……等

──執 筆(第2部)──

第4章 文章の基本構造
・書くのではなく、翻訳する
・ことばにとっての遠近法
・わかりにくい日本語と起承転結
……等

第5章 構成をどう考えるか
・構成力を鍛える絵本思考
・桃太郎を10枚の絵で説明する
・バスの行き先を提示せよ
……等

第6章 原稿のスタイルを知る
・本の構成1 いかにして「体験」を設計するか
・インタビュー原稿1 情報よりも「人」を描く
・対談原稿1 対談とインタビューの違いとは
……等

第7章 原稿をつくる
・リズム2 「ふたつのB」を意識せよ
・レトリック1 想像力に補助線を引く
・ストーリー4 起承転結は「承」で決まる
……等

──推 敲(第3部)──

第8章 推敲という名の取材
・推敲とは「自分への取材」である
・音読、異読、ペン読の3ステップを
・最強の読者を降臨させる

第9章 原稿を「書き上げる」ために
・プロフェッショナルの条件
・フィードバックもまた取材である
・原稿はどこで書き上がるのか
……等

「執筆」の技術・テクニックについて書いたハウツー本は多いですが、その前後の取材と推敲について書いた本はほとんどないのではないでしょうか。
具体的なハウツー・テクニックをこの「教科書」に期待した人は失望せざるを得ない。本書は書く人の姿勢とコンテンツ作りの原理原則が本題だからだ。
書く内容の設計図ができて、十分に取材や調査ができてから初めて書き出すという方法は、松岡圭祐氏の小説の書き方に通ずるものがあります。彼もキャラクターとロケーションを設定したあとは物語を頭の中でだけ紡いでいき、物語が完成したら一気に書き下ろすということを『小説家になって億を稼ごう』で語っていた。

目から鱗が落ちると同時に耳が痛いと感じたのは、古賀史健氏の説く推敲の際の姿勢です。自分の書いた文章から距離を置くためにフォーマットを変えたり、書体を変えたり工夫し、初めてその内容を読む厳しい読者になったつもりで読む必要があると力説されるだけでも耳が痛いのに、推敲に「せっかく書いたのにもったいない」といった気持ちを持ち込んではいけないとか、構成上余分なところはバッサリ切れとか、最悪の場合はゼロから書き直せとか。なんともまあ厳格な心構えですね。
そうやって厳しく推敲し、「もっと面白く、もっとよくできるはず」と自分の限界を超えさせ、より完成度の高いものを書き上げることこそが読者に対する敬意だという説に彼のライターとしての矜持が感じられます。

私は自分の「甘い読者」でしかなかったと反省しました。
ごまかしや雑さは結局のところ読者を侮っているのだという言が胸に突き刺さる。
書評は自分の備忘録として相変わらずつらつら書いてますが、毎週配信しているメルマガや自分のオンラインサロンでの投稿記事を書くときはもっと真摯な姿勢で臨もうと決意しました。