ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第90号 幕府軍・最後の宴地 咬菜園跡

2007年02月02日 | 旧跡、史跡

所在地=函館市船見町3番8号(こうさいえん)

              
                   (この写真を拡大する)

安政4(1857)年、名主で慈善家として知られた堺屋新三郎が、箱館奉行から
約3,770㎡の土地の払い下げを受け、庵とともに各地の名花、名木を集め、美しい
庭園を造った。
これは住民にも解放され、箱館一の名園として親しまれた。
咬菜とは粗食のこと。五稜郭の設計・監督にあたった武田斐三郎が名付けた。

明治2(1869)年3月4日、蝦夷地を占拠していた旧幕府脱走軍(榎本軍)に追討令が下り、新政府軍艦隊は品川から出航した。
これを聞きつけた榎本は、3月14日、幹部6人とともに、この咬菜園に集まり、今宵が最後の宴とし飲み、かつ詩を吟じた。

この中に箱館奉行並で俳人の中島三郎助(元は浦賀・与力でぺりー来航時には応接係を務めた)もいて
「ほととぎす われも血を吐く思い哉」
「われもまた 死土で呼ばれん 白牡丹」の句をこの時詠んでいる。

今、庭園前の道路から五稜郭方向を眺めると真っ白いタワーがあって、目印となるが、当時は野原の中に大きな五稜の姿が見えたに違いない。
翌朝、馬を走らせ帰営する幹部の姿が浮かぶ。
旗艦・開陽丸をも失い、津軽海峡を制海できなくなった榎本軍、悲痛な覚悟があったかも知れない。
現在は個人の住宅地になっているので、見学時にはマナーを忘れないようにしたいもの。
                    

                         ミカエル

 

 

 

 

 


 

 



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3 コメント

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拡大! (comet)
2007-02-04 21:47:26
こんばんは!
写真が大きくなるといいですね^^
旧幕府軍の最後の様子は初めて知りましたが、記事のおもしろさが倍増します。
おかげさま (ミカエル)
2007-02-05 09:02:30
comet 様
そのせつは、本当に有難うございました。
写真拡大技法を使うことによって、ブログがグレードアップしました。
これからもご教示、宜しくお願いします。
         ミカエル
Unknown (アップル)
2014-08-24 17:42:57
ミカエル様 初めまして

咬菜園の文章を引用させていただきました。
今も
>名花、名木を集め、美しい庭園が・・・
残っているといいのにな~と思いました。

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