所在地ー函館市船見町18番18号(じつぎょうじ)
この寺町通りに面した寺院群は、各寺協力して敷地堺の土塀を綺麗に統一(左写真の右)して美観に努めている。
通りから海が見えなければ、まるで京都の町中にいるような気になる。
明暦元(1655)年の開基。
元禄3(1690)年、松前の日蓮宗・法華寺の末寺となったが、いつからこの名称になったのは明らかでない。(明治17年、山梨県身延山久遠寺の末寺に編入)
正徳4(1714)年、現弥生小学校敷地に移り、明治12(1879)年の大火後の明治14年この地に移った。
その後も火災に遭遇し、現在の建物は明治43(1910)年に完成した。
安政5(1844)年のペリー来航時には、艦隊写真班の宿舎に、また、安政5(1858)年にはロシア領事館にも使われた。
明治2(1869)年の箱館戦争終結後、市中に放置されたままになっていた旧幕府軍戦死者の遺体を、住職と侠客・柳川熊吉が計らいここに葬った。
このあとの明治8年、第66号でご紹介した「碧血碑」へと改葬した。
激動の維新期を余す事無く見つめた寺院である。
ミカエル
函館はやはり、幕末ゆかりの地がたくさんあるのですね。
う~ん、いいなあ・・・。
函館に以前訪れた際は幕末には興味が無かったので。
悔やまれます。
ミカエルさんにはいつも色々と教えていただき、ありがとうございます。
少し早いですが。
来年もよろしくお願いします
コメントが重なってしまって申し訳ありませんが、ご報告までに
ブックマークへの表示、有難うございます。
これからも、地の利を生かし幕末のこぼれ話しなどを
チラッと書き添えていきますので応援して下さい。
「幕末」という期間限定の歴史、たくさんの武士が目覚め、若き志士となってそれぞれの夢に全力でぶつかっていった真の姿が何よりも好きです。
希望溢れる良いお年を迎えて下さい。 ミカエル