所在地=函館市五稜郭公園内
先月、公開中の箱館奉行所兵糧庫を見学した。
毎年、夏休み期間に合わせ庫内の換気も兼ねながらの行事で、今年も9月26日まで無料公開している。
外観の復元工事は平成13,14年に行われ、事業費は約2千万円だった。
(写真をクリックすると拡大できます。)
箱館山の麓にあった「箱館奉行所」が、ここ五稜郭に移ったのは元治元(1864)年。
付属する建物22棟(25棟説もあり)の一部で、ここで働く役人らの食糧庫として使われた。
大きさは昔流にいえば60坪(5間×12間、畳120枚分)、現代流では198㎡となる。
屋根は置屋根形式なので、二重という珍しい構造になっている。
明治元年に徳川幕府が崩壊後、明治政府の出先機関・箱館裁判所、箱館府へと移り変わっていった。
この時期、津軽から米3,000俵を買い一部をここに備蓄していた。
ところが、榎本軍が五稜郭に無血入城、備蓄米は榎本軍へ。
コメだけにマンマと頂戴したそうな。
明治4年、郭内の建物は、札幌に建設する開拓使本庁舎の材木調達の目的で取り壊されたが、何故かここだけは残されたという幸運な運命を辿る。
明治6年、五稜郭は陸軍省所管となり練兵場として使用された。
大正6年8月からは、箱館戦争の史料を展示した「懐旧館」として一般公開されたが、老朽化とともに閉鎖された。
子供の頃、ここの外壁は板張りでそれもあちこちが剥がれ荒れ放題。
窓もつけられ、文化財の持つ意味が理解されていなかったようである。
ここに珍しい物が展示されている。
写真右の「木製の水道管」で、正式には「上水道木樋(もくひ)」。
五稜郭内にあった箱館奉行所には、北部を流れる亀田川から取水し、この木樋を通して配水されていた。
材質はヒノキ、45センチ角で内部には銅板が張られていた。
この木樋に刺激されたわけではないと思うが、函館は日本で横浜に次いで近代水道様式をいち早く採り入れ、衛生面の向上に努めたのである。
ミカエル
お互いに台風の被害がなくてよかったですね!
気になるのが「蜂の巣の位置」、彼らの予測は正しかったのかと考えています。
函館は古建築が多く、町中建築博物館。
維持管理の気苦労、経済的負担にギブアップし、文化財返上の動きも出てきていますよ。
とこで、「家族に乾杯!」は2日後。
またまた楽しい家族が登場、楽しみが大きく膨らみますね。
ミカエル
文化財として保存していくことは、お金もかかるし大変なことですね。
私も古い建物を見るのが好きで、あちこち出かけますが、保存状態が良い建物を見ると、頭のさがる思いがします。