みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

ノーモアチェルノブイリ!/原発事故から20年目に想うこと

2006-04-26 21:45:21 | 地震・原発・災害
1986年4月26日、午前1時23分、
ウクライナ共和国(旧ソ連)のチェルノブイリ原発4号炉が爆発した。

1月に子どもを産んだばかりのわたしは、
どこにいても放射能汚染から逃れることはできないと、
涙をながしながらおっぱいを飲ませた。

チェルノブイリ原発事故は、
わたしにとって他人事ではなかった。

91年、ソ連崩壊とともに被災地の情報が入り始め、
わたしは「チェルノブイリ救援活動」にかかわった。

事故から10年。1996年4月26日。
わたしは現地ウクライナにいた。
  

鳥のさえずりとともに目覚めた朝。
コウノトリが家の屋根に巣を作り花が咲き乱れる
うつくしい大地が汚染されているとは、
とても信じられなかった。

原発現地ジトーミル州での救援活動を展開していたわたしたちは、
特別の許可を得て、チェルノブイリ原発を訪れた。

汚染圏内の消防署の時計は、
1986年4月26日、午前1時23分で止まったまま。
というより、
その瞬間(とき)から、すべての時間が止まったような
汚染地帯は、とても不気味だった。

30キロ圏内、10キロ圏内と、厳重な検問所があり、
下着以外の服を、収容所のような衛生センターで
ぶかぶかの防護服に着替えるよう指示された。
専用のバスに乗り換え、マスクを取らないようにと注意されたが、
こんなちゃちなマスクで放射線が防げるとは思えなかった。

   

4号炉は、分厚いコンクリートの石棺で覆われていた。
バスから降りて、原発から200m地点から石棺を見あげた。
放射線量は、やはり7~10マイクロシーベルトと高い。


強い風に舞い上がった砂埃がこちらに吹いてきたとき、
放射能測定器の針が一気に振り切れた。
身もすくむような恐怖で、すぐにバスに戻った。

 

原発をあとにして、約3キロ。
無人のまち「プリピャチ」を訪れた。
高層アパートが連なる原発で働いていた人たちの
家族が住んでいたプリピャチには、
幼稚園や学校やマーケット、遊園地まであった。



道路は除染されていたが、
草むらに生える苔は、原発正面前より汚染されていた。



無人の幼稚園のなかに入ると、
いましがたまで子どもたちが遊んでいたままに、
おもちゃが散乱していた。
あちこちに転がっている子ども用の防毒マスク。
着の身着のままで逃げたのだろうか、
ここにいた子どもたちは今どうしているのだろう、
と、胸がつまった。

  

10キロ圏内のゲートに出るとき、入るときと同じように、
服を着替え金属探知機のような放射能測定器をくぐり、
数値に変化があれば足止めされるという。
異常は無かったが、きっとわたしも被爆したのだろう。
石棺はボロボロ。安全ということはあり得ない。

なのに、
30キロ圏内の汚染地帯のナロジチ村には、
強制退去させられたはずの人たちが、戻ってきていた。
「チェルノブイリ=黒いニガヨモギ」の地で
生きることを選んだひとたち。



事故当時、消火活動や除染作業をした消防士さんたちが勤める
ジトーミル州の消防署長は、日本に招いたアントニュークさんだった。
いっしょに来日したオチュカノフさんとも会いたかったけれど、
体調不良で入院してて会えなかった。

わたしたちは、ジトーミル州消防署での、
「チェルノブイリ10周年記念式典」に招かれ、
3月まで「チェルノブイリ救援・中部」の代表をしていたわたしは、
消防士や家族、官僚の前で突然スピーチを頼まれた。

  

事故と同じ年に生まれた子を持つわたしにとって、
チェルノブイリは、遠い国のできごとではないこと、
チェルノブイリはだれの身に起きても不思議ではなかった、
わたしはウクライナの人たちを救おうと思ったけれど、
あの日、救われていたのはわたしだった、
わたしは無力だけど、
チェルノブイリに思いを寄せ続けること、
チェルノブイリをけっして忘れない、
と、そんなわたしの想いを話した。

そして、
友人のフォークシンガー、
南修治さんの作詞作曲の歌を、
通訳のセルゲイくんに訳してもらいながら、
ゆっくりとうたった。

ひとかけらのパンとぶどう酒を
ためさなければ受け入れられない

そんなかなしい日常を
うたがいだらけの毎日を

かぜよ かぜよ 伝えておくれ
わたしのともだちに

最後のできごとにしたいから

かぜよ かぜよ



写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大。
写真は10年前に撮ったものです。


最後まで、読んでくださってありがとう。

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27 コメント

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背筋をのばして (むく)
2006-04-27 09:43:48
おはようございます。

最初から背筋をのばして、読ませていただきました。なんとつらい現実です。でもその中で生きていかなければならない。

二度と起こしてはならない事故。

忘れてはならない事故。

いい歌ですね。「さいごのできごとにしたいから」ほんとうに。
後戻りさせないためには (さらさ)
2006-04-27 10:56:19
最近の報道で聞きますが、

チェルノブイリ後、欧州で進んだ脱原発が後戻りしそうとか・・・。

喉元過ぎれば、で忘れてしまえるほど、放射能は甘いものではないというのに。

さて、今の私たちに出来ることは何でしょうか?
どうして人は学ばないのか。 (るな)
2006-04-27 17:26:27
あの事故のあと、

友人が、日本で同じような事故が起これば、

狭い国土では、今住んでいる所も被爆され、

わたしたちは、ただ子どもを胸に抱いて泣くしかないと

言いました。

チェルノブイリのあたりは、豊かな土地だったと聞いています。

わたしも、この記事を背筋を伸ばして見せていただきました。





チェルノ・・・ (①)
2006-04-27 19:37:31
見に来ましたー。

チェルノブイリは今でも汚染されているんですね・・・

本当に悲惨な事故ですね。ソ連も公表しなかったし

最低な政府ですよ・・

こんな事故・・二度とないようにしたいです
Unknown (梅安)
2006-04-27 22:01:52
拝見させていただきました。

NHKの特集も最近よくやっていますね。「石棺」のこととか…



科学を少しばかり学んだが為にそう思うのかわかりませんが、我々はもう既にタブーを犯してしまっているのかも知れません。



人間は大地を離れて生きていくことは出来ない…人類はこうやって業を積み重ねていくだけなのでしょうか。であれば、このような事故は人類に対する大地からの報いということになるでしょう。



人類は「火」を手に入れた時から何も変わっていないということなのだと思います。元通りの大地を取り戻すまで償っていくしか無いのでしょう。



ウクライナを始め、世界中で再び原発が作られようとしています。ベラルーシでは「死の土」を含んだ土地で農業が再開されようとしています。そして「核」は相変わらず外交カードとして利用され続けています。



理想ばかりを想い巡らしたところで何もかわるわけではないですが、出来ることはもうこのような過ちを犯さぬよう祈ることだけです。
Unknown (じりじり)
2006-04-28 00:28:26
拝見させていただきました



日本でいくら悲惨さを訴えても

現実味というのは多くの人にはもうわかないのかもしれないですね.



唯一の戦争被爆国である我々の国民がもっと原子力というものに問題意識をもっていかなければならないと強く感じます



自分達が人間である以上この過ちからせめてもう過ちを繰り返さないことを学びたいですね

TBありがとうございました。 (チーウヨ。)
2006-04-28 07:26:09
チェルノブイリでの被害にもかかわらず、現在の地球はエネルギーの供給源として原子力に頼らねばならず、私が住んでいる国・フランスなどでは発電されたうちの90%近くのエネルギーは原子力に頼らなければならないといった実情ですし、世界に率先して原子力実験を行っているのもフランスです。

ウクライナがヨーロッパになろうとしていますが、原子力の問題に関してはどういう風に足並みを揃えていくつもりなのでしょうか?

美しい大地 (NIK)
2006-04-28 13:36:18
ウクライナ、訪ねたことはないのですが、

ニュースで観る彼の地は、本当に美しユーラシアの大地ですね。人類の過ちををこの目で確かめるために、私もいつか訪ねてみたいです。
TBありがとうございます (kokoronomori)
2006-04-28 13:49:01
はじめまして。

TBありがとうございました。

数々の写真を興味深く観ました。

日本の都市が、そして世界の都市が、チェルノブイリのようにならないことを祈るだけです。

原発が再評価され、環境にやさしい、と言われる不思議さがよくわかりません。人間はとんでもない過ちをを犯し続けているように思います。
Unknown (みどり)
2006-04-28 22:33:05
★むくさん

ありがとう。

取り返しがつかないことが、ほんとに起きてしまったのに・・・・。ひとはなぜチェルノブイリから学ばないんでしょうね。

チェルノブイリの影響は、ガンなどが大きく報道されていますが、それだけではなくて、免疫が落ちて、疲れやすくてすべての病気にかかりやすく、授業中に倒れたり鼻血をだしたりと、健康なこどもがいないんです。

わたしが出会ったウクライナの大人の関心事は、ただ、こどもが健康になることことだけ、でした。



★さらささん

>さて、今の私たちに出来ることは何でしょうか?

回り道でも、一人ひとりができることをしていくしかないのでしょうね。



★るなさん

反原発の運動にかかわって25年になります。



>友人が、日本で同じような事故が起これば、

狭い国土では、今住んでいる所も被爆され、

わたしたちは、ただ子どもを胸に抱いて泣くしかないと

言いました。



事故の後、仲間からどこにも逃げられないと泣きながら電話がかかってきました。



>チェルノブイリのあたりは、豊かな土地だったと聞いています。



肥沃な穀倉地帯です。それはいまも変わらなくて、だから、目に見えないところで汚染されてても、収穫したものを食べているんです。焼き立てパンや食べ物が、おいしい国でした。それがかなしいですね。

重い経験を言葉にするのに、10年かかりました。

数年前、呼吸器疾患をしたとき、このときに被爆したのではないか、と強く疑っていましたから、精密に検査を受けました。結果はいまだにグレーです。

10日ほど滞在しただけでもこうなのですから、そこにずっと暮しているひとの恐怖は、はかり知れないものがあります。

息をして食べて飲んで笑って、というかけがえのないあたりまえの日常が奪われていくことが、どんなに酷いことなのか。行って見てわかったことです。

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