みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

『がんと闘った科学者の記録』戸塚洋二・著、立花隆・編/今夜もなす尽くし

2009-06-24 17:05:28 | ほん/新聞/ニュース
6月7日の毎日新聞の「今週の本棚』に紹介されていた、
『がんと闘った科学者の記録』を買ってきて読んだ。

この本は、昨年亡くなった物理学者・戸塚洋二さんが亡くなる直前までつづっていた、
ブログを元に編集されたもので、後半は、立花隆さんとの対談
「ガン宣言『余命19ヶ月の記録』」で構成されている。
  

『がんと闘った科学者の記録』戸塚 洋二 立花 隆・編
■内容紹介■
ニュートリノ観測によりノーベル賞が確実視されていた物理学者・故戸塚洋二氏が科学者ならではの冷徹な視線で綴っていた最期の日々
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昨年7月、がんで逝去した戸塚洋二さんはノーベル賞が確実視されていた物理学者でした。一昨年8月から親戚や知人に向けて開設されたブログ上に綴られた、科学者ならではの冷徹な視線による自らの病状の観察と死を前にした率直な心境を再構成しました。長年にわたり氏を取材してきた立花隆さんによる解説が加わります。(IS)
 

本の元になっているブログを探したら、そのまま残っていた。

 The Fourth Three-Months(戸塚洋二さんのブログ)

前半のブログにつづられた文章と、お花の画像が心に染みとおる。
岐阜県の奥飛騨・神岡周辺の風景や、山の木々や花たちがうつくしい。

最後は、壮絶な闘病の記録とともに、庭に咲く花たちがアップされている。
著者はこの花たちをどんな思いで、写しとったのだろう。

体調が下り坂のなか、庭に咲く花のいちばんきれいな姿を撮っておきたい思って、
ブログをはじめた、わたしの思いと重なるような気がする。


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今週の本棚:中村桂子・評 『がんと闘った科学者の記録』
=戸塚洋二・著、立花隆・編(文藝春秋・1750円)
 
毎日新聞 2009年6月7日

 ◇己の死を見つめた柔軟な知性と人間性 
 著者は、東京大学特別栄誉教授。残念なことに、惜しまれながら二〇〇八年七月一〇日、がんのため六六歳で逝去された。逝去後、闘病の間に記されたブログを読んだ編者が、闘病記を超えたみごとな随想であることに打たれ、まとめたのが本書である。実はブログの中の若者向けに書かれた「科学入門」の部分は、すでに独立して刊行されており、この欄で紹介した。重ねての紹介といえなくもないので少し考えたが、編者に「読んでいて、ああ、この人は骨の髄まで科学者だったのだといたるところで感じさせられる」と言わせる(評者もまったく同じ感想を持った)中で、花を語り、死を語る筆づかいに惹(ひ)かれ、取りあげることとした。
 著者の専門は実験物理学であり、最近ではよく知られるようになったカミオカンデ、スーパーカミオカンデと呼ばれる大型装置を使ってニュートリノを検出した。太陽からのニュートリノは、私たちの体表一平方センチあたり毎秒六六〇億個という数で体を貫通していることが知られていながら、電気的に中性、質量もほとんどゼロなので検出の方法がなかった。その検出装置を構想・開発したのが小柴昌俊(二〇〇二年ノーベル物理学賞受賞)、その弟子の著者が、ニュートリノに質量があることを示し、質量なしとして作られてきた物理学の基本を変える大きな業績をあげたのである。当然ノーベル賞に値すると評価されてきたが、逝去された今、それにはこだわらず、科学者戸塚洋二の魅力をしっかり受け止める方が真の評価になる。本書を読んでそう感じた。
 岐阜県神岡での研究に全精力を注ぎ込み、そのために下血など体の不調を感じながらも医師を訪れずがんの発見が遅れてしまうほどだったのだが、その合間に奥飛騨の自然に触れ、とくに植物の名前を覚え、観察していた記録が印象的だ。チドリノキはロマンティックな名が気に入り、普通の葉の形をしているのにカエデ科であることに驚く。生きものの多様性への驚きであり疑問である。この知的柔軟さに優れた科学者の姿を見る。
 中心課題であるがんの記録もまた科学なのである。腫瘍(しゅよう)の大きさと抗がん剤の効果をグラフにするなど自身の病を客観的に見つめる。そして、新聞に掲載された、各種がんの五年生存率の記事から、この種のデータが症例数が少なく、系統誤差が出されていないなど不充分であることの指摘をしている。そしてデータを増やして治療実績を平準化して欲しいと書き、完治しなくともよい、今の状態でよいから長生きをと望むのだと患者の願いを述べている。そして、患者のブログを集めてデータベース化することで単なる統計とは異なる知的集積を作ることを提唱している。重要なことである。
 「みんながみんな違うんです。エンジンの悪くなった歯車をひとつ取りだして新しいのを付け替えるのとはわけが違います。」カエデの多様性に驚いた科学者は、改めて生きものの一つ一つの違いを実感し、強く述べている。
 死に向き合わねばならぬ。この最も厳しい現実の記述にも常に科学者が顔を見せる。科学は知性と人間性の混合で本物になることを教えられる。「千の風になって」を「生者が想像し、生者に送っている詩」であり、「実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな」と書く。そんな中で出会って衝撃を受けたと紹介されるマザー・テレサの話は評者にも衝撃だった。彼女自身の言葉として「私は何のために働いているのでしょう。もし神が実在しないのなら、霊魂もない。もし霊魂がないのなら、キリストよ。あなた様も本当はいなかったのでは」が紹介され、彼女は「神がそばにいない」という疑念を持ち続けていたというのである。「聖者とまでたたえられた人物の精神にこのような葛藤(かっとう)があったとは、無神論者の私にとっても大変意外でした」と書き、これを読んでちょっと安心したとある。宗教に関しては、新聞で出会った佐々木閑(しずか)氏の「日々是(これ)修行」に関心を持ち、仏教に現代科学と同じ原理を見出(みいだ)し、「どうです。理屈っぽいですね」とはずんだ風に書いている。今、科学者が考えるべきテーマの一つだと思う。
 本書は「最初の三ケ月」の章に始まり、三ケ月ずつに区切られ、残念なことに第四章の途中で終っている。各章に庭に咲く花の写真と観察があり、最後まで続く。花たちの役割を思う。亡くなる一ケ月前に、時間の使い方を効率的にと考え、「科学入門」「環境・災害」に時間を割きたいとある。科学者はオプティミストであるべしという著者は、最後まで次の世代を考えている。
 一方、「自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく」と気づくと慄然(りつぜん)とするとある。だから死は怖いと。胸苦しくなるが、著者がマザー・テレサの心の葛藤に感じたのと同じ思いを持ちながら、大きなものを残して下さったと感謝したい。
(毎日新聞 2009年6月7日 東京朝刊)



話しは変わりますが、
昨夜も、焼きナス、賀茂なすの田楽、マーボナス
と、ナス尽くしでした。

  
「これが同じナス?」と思うくらい、それぞれに味わい深くておいしいのです。


つれあいが、関係者にもらったお花は、枯れた葉を取り除いて切り戻し、
咲き始めたクチナシ、ヒペリカム、アリウム、シロタエギクなどを足しました。
クチナシの甘い香りが広がります。


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