みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

全国の「東京都化」危機感~上野千鶴子さん/『む・しの音通信60号』発行。

2007-05-10 09:50:30 | 選挙関連

『む・しの音通信』60号、昨夜印刷を終えた。
16ページだてで、《統一自治体選挙特集》。

4月の選挙で当選した9人の無党派・市民派女性議員が、
「私の市民型選挙」のテーマで原稿を寄せてくれた。
ページ数が多いので編集には苦労したけれど、
通しで読むと、一人ひとりの選挙の様子が伝わってくる。



おんなたちの「市民型選挙」は百人百様だけど、
それぞれに基本をおさえてネットワークを広げ、
有権者にメッセージを伝えるために工夫を凝らしている。

「ジバン・カンバン・カバン」と圧倒的な組織力を持つ既存の勢力を相手に、
選挙前には政治活動で、人から人へネットワークをつなげ、
本番の選挙運動では、メッセージを確実に届けることにより、
圧倒的な支持と得票を得て、当選している人も多い。

選挙は正攻法。手法さえ学べば誰にでもできる。
有権者の受信能力を信じて、思いのたけを届けた選挙には、
当選してもしなくても、清々しい思いとネットワークが残る。
そして、
それこそが、「市民型選挙」の財産である。

「わたしたちにはなにもない。
だけど、人のつながりという財産がある。・・・」
(『市民派議員になるための本』より)

  

といろいろ思いながら、通信の編集を終えてホッとしてるところに、
上野さんから都知事選に関する信濃毎日新聞の記事が届き、
きゅうきょ福井の情報公開の記事と差し替えた。
福井の情報公開訴訟については、次号に詳細を報告する予定。
 
以下は、通信に転載させてもらった、上野さんのエッセイです。
わたしの名前も最後のほうに出てきて、うれしい。

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 「月曜評論」信濃毎日新聞 2007.4.30
全国の「東京都化」危機感
                           上野千鶴子

                
 東京に無党派の風は吹かなかった。長野の変を起こし、滋賀県に涼風を招き、宮崎にそのまんま東風を吹かせた風は、今回の都知事選挙にはついに不発に終わった。浅野史郎というもと宮城県の改革派知事経験者を候補に得て、「無敵」の現職、石原慎太郎への対抗軸をつくろうとする試みは、挫折した。
 都知事選についてはすでに多くのコメンテーターたちが分析や解説を書いている。当の浅野氏本人の「敗将の弁」もインタビュー記事になっており、そのなかで氏が語る「ああすればよかったという後悔の総和」 が敗北の原因であることは、だれしも感じていることだろう。それ以前に、夏の参院選に向けた「首都決戦」を、民主党が本気で闘う気があったのか、「教育再生」と「憲法改正」という名のタカ派路線を、ソフトな外見の背後で着々とすすめている安倍内閣に対決して、政治の風向きを変える絶好のチャンスをみすみす失ったのではないか、と批判の矛先を向けたくもなる。
 今回の都知事選の結果は、有権者の多くが、都政を変える必要を感じなかった、ということを示すが、その背後で忘れられている論点がある。東京都が率先してすすめている教育の場への干渉と人権侵害が、安倍政権の進む方向と一致し、それを先取りしていることだ。今回の都知事選の結果が、全国各地の「東京都化」へと道を開けることにつながらなければよいが、と危機感はつのる。有権者は、その政治的選択の危険性をじゅうぶん自覚しているとは言えないのではないか。
 石原慎太郎という政治家を外国の研究者に紹介するのに、「日本のルペン」というといちばんよく通じる。格差社会の進行のなかで、平然と排外主義と外国人差別を口にし、保守派のあいだや、皮肉なことに社会的弱者のなかにまで支持者を拡大しているフランスの大統領選候補である。石原氏は、悪名高い「ババア」発言だけでなく、首都の治安を問題にするのに「第三国人」発言をして物議をかもし、オリンピックの東京招致を批判した姜尚中東大教授を「怪しげな外国人」呼ばわりした。ことあるごとに嫌中・嫌韓をあらわにして東アジア外交に水を差し、保守派の喝采を浴びてきた人物である。この知事のもとで、都教委は公立学校での式典での君が代・日の丸を強制し、それに服さない教員を次々に停職などの懲戒処分にしてきた。すでに昨年、東京地裁で処分は不当という判決が出ているにもかかわらず、今年の3月にも35人の処分者を出し、2003年の通達から合計してのべ381人の処分者を教職員のあいだに出している。これが「恐怖政治」でなくてなんだろうか? 石原三選は、この「恐怖政治」があと四年続くことを意味する。これが「都民の選択」だったのだろうか。
 今回の選挙で顕著だったのは、1300万規模の都市で、勝手連選挙が起きたことだ。これまで選挙に関わったことのない市民が、初めて「自分のために」走り回った。ある勝手連経験者の感想によると、 「我々が都政を変えるという意志を持ち、我々の意志に従ってくれる人に知事になってもらうという立場」に立つ人々が自発的に動いた。岐阜県で地方議員を経験した寺町みどりさんによると「候補者は落選してもふつうの人には戻れません」(『市民派議員になるための本』学陽書房、2002年)。その言い方を借りると、勝手連を経験した市民も「ふつうの市民」には戻れない。選挙は負けても遺産を残す。都政ウォッチは強まるだろう。田中旋風を経験した長野県民にも「ふつうの県民」には戻ってもらいたくないものだ。
(うえの・ちづこ 東大大学院人文社会系研究科教授)
(信濃毎日新聞 2007.4.30)
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お昼ころには、できあがった通信を発送するために、
スタッフが取りに来てくれる。



ついでに、ここから見える外の景色。
玄関横には、「はやく植えてほしいよ」と苗たちが待っている。




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