福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

東日本大震災からまる7年 復興はかなり進んだと言えるのか

2018年03月11日 12時45分55秒 | 時事問題 社会問題
 東日本大震災からまる7年、各地で鎮魂・追悼他の関連行事が行われている。
 人的被害の最近の統計は以下の如く。
 心が痛む数値である。このように数値化されると個々人の個性、人生は失われて行く。かけがえのない一人ひとりの人生、記述された個人録は可能であれば何処かに集約すればいい、と思う。

 東日本大震災・原発事故関連の人的被害状況をまとめれば以下の如く。
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■東日本大震災の人的被害(2018年3月1日警察庁の統計)
 直接死者数は15.893 人
福島県 1614人 岩手県 4674人  宮城県 9540人 

 行方不明者数2.539 人
福島県 196人 岩手県 464人   宮城県 1223人 

 死者数+行方不明者数18.432人

■東日本大震災と原発事故による震災関連死(2017年9月30日現在)
  福島県 2.202人 岩手県 464人   宮城県 926人 
全国  3.647人

■東日本大震災と原発事故による避難者数(2018年2月13日現在) 
福島県 15.471人 岩手県 8.539人  宮城県 9.133人 
全国  73.304人
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 東日本大震災から3カ月後に制定された基本法の第2条「基本理念」には「単なる災害復旧にとどまらない」、「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿をめざして」と記載された。
 だから、復興は過疎地の自然災害からの再生の先進例になると期待された。
 私など、よくぞ短期間にこの様な壮大なヴィジョンを打ち立てられたものだ、と感激した記憶がある。しかしながら、あれから7年経ってまだ復興復興と言っている。多くの人がまだ故郷に戻れない現実がある。実際にはうまく言っている様には見えない。

 それは、復興ビジョンがあまりにも壮大で、霞ヶ関が作った砂上の、机上の楼閣だった。住民の身の丈の暮らしの実感から大きくかけ離れていた。今から考えるとそうだったのかも知れない。
 人々はそろそろ復興という言葉に飽いてきたのではないか。
 高齢化・過疎化が進む地域の復興は10年近くもの時間を費やしてなすべきものだろうか。こんなに遅々としていては復興が仕上がったときには誰も戻って来ないのではないか。

 最初の壮大な計画はおりおり見直して、時代と地域にあった内容に変えるべきだったのではなかろうか。

コメント
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