福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

生老病死2018(3) 自死は責められるべきか(2) 西部邁氏(1)

2018年03月30日 16時29分10秒 | コラム、エッセイ
 「死に方は生き方の総仕上げ」と記し、普段から自ら命を絶つ「自裁死」に言及してきた評論家西部邁氏が、本年1月21日の朝、多摩川で入水死を遂げた。享年78歳。
 
 氏は北海道生まれ、東大在学中60年安保で指導的役割を果たした、と言う。経済字を専攻し東大教授になったが、大学と「けんか」して辞め、保守を代表する評論家として、数多くの著書を刊行、自ら立ち上げた論壇誌やテレビで言論活動を展開した。

 私は不勉強にして氏のことを訃報に接するまで知らなかった。いや、お名前だけはどこかで聞いていたかも知れない。全然ノーマークであった。
 それ以降、氏に興味を持っていろいろ調べている。興味を持ったのは氏の思想に対してではなく「自裁死」とまで言いかえた自死についてである。調べるといっても2008年以降全録音を録っているラジオ深夜便には一度も登場していないから、声や人となりを知ることは出来ない。いま出来ることは著作から氏が辿った死の捉え方と、最終的実行に至った道を類推するしかない。

  西部邁氏は高邁な理論を解く方である。記述は難しい。私は今の所、氏の思想にはあまり興味がない。死を意識してからの入水死を遂げるまで20年以上だったと言うが、その過程を類推するために以下の4冊を入手した。

■「世論の逆がおおむね正しい」 産經新聞出版、2012年。
■「生と死、その非凡なる平凡」 新潮社、2015年
■「保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱」 講談社現代新書2017年12月。
■「保守の遺言―JAP.COM衰滅の状況」 平凡社新書 2018年3月。

 私は、自分より高齢の方々の死については病死であろうと、自死だろうと、事故死だろうといずれ逝くべき場所に行っただけ、良かったよかった、と思う。それ以上の感慨は持たない。原則としてお悔みもしない。○○歳以上の方の死に関心をもたない、と年齢で区切ってもいいのであるが、線引きの理由が見つからない。自分の歳を基準に考えるのが一番。何しろそれ以上の拠り所が無いからである。

 さらに、私は永く齢を重ねた高齢者は、可能であれば、自分の人生の終わりを自分で決め、自分で実行するべきだ、との考えを持っている。

 この点では私は氏の考え方に賛成である。私は氏に親しみを感じている。
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