友愛の次は最小不幸社会・・・。
前回の記事は、中途半端な記事になったので、改めて書きます。
最小不幸社会とは、こういうことらしい。
>「権力」で取り除けるものはできるだけ取り除き、不幸を最小化すること、それが政治の目標
>政治権力は、人の生死をも左右する強制力を伴うものだけに、その行使は人々の「不幸」の原因を最小化することを目標とすべきであり、美意識のような個人的選好に属する「価値」の実現を目標とすべきでない
(民主党メールマガジン DP-MAIL 第116号 2003年10月9日)より抜粋
http://www.dpj.or.jp/sub_link/info_mailmag/bk_mailing/vol116.html
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端的に言えば、不幸を権力で取り除くのが目標らしい。
馬鹿馬鹿しいと感じるのは赤熊だけではないと思う。
まず、幸不幸を政治が決める・・・。
どうやって、誰がそんなものを決めるのか?
幸福とか不幸とか、そんなものは感覚的なものなので、どうやっても、誰かの恣意的な判断に任せるしかない。
誰かのさじ加減で、救われる社会ということなのか?
それを独裁というのでは?
独裁は論外としても、みんなを救おうというのはわからない理念ではない。
が、最大の問題である財源がない以上、選ばないといけないのだ。
さて問題です。
重度の心臓病を患い、治療するには1億円かかります。
その人間を助けるべきか?
当然、助けるべきだと考えるかもしれません。
では、治療費が1億円があれば10人が助かります。
その状況で、その1人を助けるべきか?
もちろんそれでも助けるべきでしょう。
でも、財源は無限ではありません。
さて、どちらを優先して助けるべきでしょう?
答えは敢えて出しませんが、こういうことは往々にしてあるのです。
増税して社会保障に廻して確保したとしても、それで商売ができなくなるかもしれません。
増税された方は不幸でしょう。
結局、この不幸最小社会なんてものは、
制度上の不備を正す程度の意味しかない。(それしかできない)
そんなこと、
いつのどの政権もやってただろう!!
ことさら主張すべきことか?
何を当たり前のことを言っているんだろう?
中学生の主張じゃないんだから・・・。
そもそも、システムの不備を正す目的で変更しても、システムが複雑化し、かえってあぶれる人間も出てきてしまっているのも事実である。
年金とか、医療保険とか、例を挙げるまでもなく、そうなってきている。
これらを最適化するのが先だろうと赤熊は思うのですが・・・。
まぁ、この内閣も期待するだけ無駄でしょうね。
そもそも、首相を変えたら国民に信を問えって言ってたのは誰なのでしょうかね?
新しく方策が代わってそれに対して、誰も国民はYesといってないと思います。