意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

貧乏人は麦を喰えってことでしょうね

2014年03月29日 | 社会
フォアグラ弁当への抗議した人へのインタビュー記事があった。

あのフォアグラ弁当抗議団体を直撃! 「動物はごはんじゃない」という言葉の真意とは
http://wotopi.jp/archives/2937(前篇)

「もっとたくさん、安く食べたい」人間は正しいのか? 動物権利団体に聞く、生き物を食べるということ
http://wotopi.jp/archives/2963(後編)

傾聴しなければならないところもあるけど・・・・。

残酷だからダメ、と言う意見は『残酷でも美味しく食べられればいいじゃんか?』と言う意見と交差することはないのだから、主張としてどうなのでしょう?
普通に殺して切って煮て焼いて食う・・・それだけでも残酷でしょう?
それも許せない・・・ならわかるけど、この記事の口ぶりならそれはOKなのでしょう。
結局、個人の主観の問題、線引きの問題でしかないわけで、自分の中の問題なのだから、自分の中だけで折り合いをつけるなり消化すればいい・・・としかならないわけで。

また、後半の動物の工場的な育て方を批判して、尊厳を守った食べ方としてのびのびと育てられているストレスフリーの家畜を食べるべきだ・・・・というのはねぇ。
・・・殺されることには変わりないのですが?
経済性的には難しいとしておきながらも、それでもそっちを選べって言われても。

でもこれ実現したとして、つまり、あれっすよね?

パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?
  
by マリー・アントワネット
 

間違えました。

貧乏人は麦を喰え!!

by 池田勇人


ってことですよね。
そんな自然派のお肉なんてお高くて手が出ませんから。
昔はお肉というだけで『ごちそう』であって、手に入らなかったからなんです。
まさに、貧乏人は麦を喰え、肉を食べるなんて贅沢だ!!・・・・そういってるわけですね。

うーん・・・受け入れられない主張ですね。
安いお肉をおなか一杯じゃなく、少量でも美味しいお肉を食べよう・・・って言ったほうがいいんじゃない?
そっちの方が健康的でファッショナブルでしょう?

この問題って、どこまで行っても軽薄なファッション感覚の問題のようです。

注:マリー・アントワネット、池田勇人氏は上記のようなことは言ってません。特に池田氏のものは新聞社の捏造です。

大負けした橋下氏の大阪府知事選

2014年03月25日 | 政治
そういえば大阪府知事選があったんだね。
全く話題にもならなかったので、完全に忘れてました。

結果は、

・総有権者数は約211万人。
・投票総数49万8873票(投票率23・59%、過去最低)
・橋下氏が37万7472票(得票率87.51%)で当選。
・無効票は6万7506票(13・53%、過去最高)で、うち白票は橋下氏に次ぐ4万5098票(9・04%)

投票率、低っ!!
無効票率、高っ!!

それはともかくとして、今回の選挙、橋下氏の『大敗北』であると思う。

まず、橋下氏のこの再選挙自体は適正な行為です。
行為自体は適正ですが都構想が議会で過半数を集めることができずに行き詰ったから・・・というのは残念ながら理由になってないでしょう。
勝っても議会運営が改善する見込みはないわけで無駄ともいえる。
それが低投票率に原因の一端でしょうね。
おそらく相手の候補者に大差をつけて勝つことで、自身の議論の正当性を見せつけるために行った戦略・・・なのですが、自民党側がそれに乗らないことでキレイに躱されたわけです。
躱された結果、政治空白と選挙費用6億円とも言われるお金が無駄になりましたとさ。
その対価は自身の支持率と言う形で支払うでしょうが・・・敗北でしょう。

それから野党側が対抗馬を立てないのはダメだ、とよく批判する人(特に橋下氏の支持者)がいますが、残念ながら対抗馬を立てないというのは橋下氏の再選挙と同じく適正な行為です。
立候補者を出す・出さないはその政党の自由です。
政党は必ず候補者を出さなければならない・・・という決まりはないため、その判断は政党側に一任されているわけです。
よって、この戦略が好き嫌いや支持・不支持は別として、適正である以上、非難される理由は一切ないのです。
もし、これを批判するというのなら選挙に出ない自由を認めないということになり、それを強弁するなら批判する人も選挙に出るべきです。
その人には『選挙にでない自由がない』のですから当然です。
自分は良くて他者は認められない・・・と言うのは単に自分勝手なだけです。
橋下支持者・・・もはや信者といったほうがいいのかもしれませんが、自分のことを棚に上げて批判してるんですよね。
困ります。

さて、橋下氏の有権者全体からの得票率(絶対得票率)を見ると17%ほどです。
ほぼ信任投票でしかなかった選挙ですから、ちゃんとした人間の支持が2割以下だってことです。
これが多いとみるか、少ないとみるか・・・・・。

やはり少ないとみるべきでしょう。
これで『信任を得た』と大手を振れてないのですから。
ここが痛いですね。
議会も動かせないでしょうし。
残りはその場その時のノリでしか票を入れる人間しかいない、という脆い支持でしかない・・・ということが明らかになったわけです。
こういうのって手口を見せないこと(ブラフ)が支持を呼ぶものですが・・・その手口を明かした以上、これから先の戦略の幅が狭くなりますね。
これも失点でしょう。

・・・・・うーん、どう考えても自民党の戦略勝ちやね。
自民党は対抗馬を立てないという奇策を立てたのですが、しらけ感を演出し、橋下氏の一人相撲をやらせ、『過去最低の投票率』をたたき出させ自滅させる・・・・。
老獪な戦術ですこと。

実際には、かなりリスキーな戦略なんですけどね。
これで高い投票率、いえ、並みよりちょっと下回る投票率でも良いですが、それが出せれば自民党側の反論の余地がなくなるのですから。
そうなってしまえば取り返しがつかないわけで・・・かなり危険な戦略です。
まぁ、橋下氏ならびに維新の会の失速が顕著でしたから、それほどリスクが高いというわけじゃないのですが、それでも橋下氏側にも起死回生の一手がなかったわけじゃないのです。

橋下氏が辞任したとき、テレビで宮崎哲也氏が言っておりました。
『自身への投票率の目標値を示して、それを大阪都構想の支持率にすればよい』と。(大意)

この戦略を取れれば、あるいは・・・・・。
その目標値に達っせるかどうかは不明ですが、それで無駄な選挙・・・というイメージを覆し、有益なものと認識させることができれば結果は変わってきたと思います。

ま、リスクが高い戦略になりますが・・・それしかないんですよね。
自分から攻めたのに、中途半端に守りに入ったために負けましたってところでしょう。
最後までリスクを取るべきでした。

選挙に勝って、勝負に負ける・・・・という、非常に珍しい稀有なケースだと思います。
ここは大阪都構想は頓挫してしまったものとみなして、他のことに精力を向けたほうが建設的でしょうね。



2014.03.26  補記訂正。

待機児童の嘘

2014年03月22日 | 社会
個人ベビーシッターに子供を預け、子供が不審死していた・・・と言う事件がありました。
赤熊は亡くなった子供の名前を見て、ああ、うん、そうだね・・・と思ったし、
公開された亡くなった子供の写真の髪を見てさらに、ああ、うん、そうだね・・・としか思わなかったけれど。

そのあたりのことは置いておくけど、それで、母親には責任はあるとかないとかの議論があっている。
個人シッターとは初めてあった人で、そんな人物に2泊3日も預ける契約をしてとかで、母親の迂闊さに非難が集まってるんだとか。
責任が無いとか言う人は、それでも『仕方なかったんや』と言ってますが、最低限度の防衛はしてもらわないと同情する気持ちにはなれません。

さてさて、この事件、幼稚園に空きがなく個人シッターに預けざるをおえないから起きた問題で、待機児童などに絡めて行政に地域の保育環境を何とかしろって言う人がおりますが、それは無理です。
無理と言うより、論点が最初からずれた議論をしてるので無駄なのです。

というのも待機児童問題というものがそもそも嘘なんです。

待機児童というものが存在しない・・・という意味じゃありません。
この問題は日本全国で起こってる問題・・・ではなくて、一部地域の、特に都市に限った問題なのです。
逆に園児が集まらずに閉園に追い込まれている事例など地方にいくらでもあります。

この問題はニュータウン問題に近いのです。
ニュータウン・・・要は新しく造成された区画は手ごろな価格で土地が買えるので、そこに家を建て引っ越してくるわけですけど、そういうひとは若い夫婦であることが多く、そういう人たちが同一区画にかたまるわけです。
そうすると、同一世代でありますから時間と共に高齢化していき、年寄りだけの街になり、消費は減り、商店などが撤退、そうなると買い物難民がでたり、地域の行事ができなくなったり、独居老人の孤独死 等々な問題がおきているわけです。

要するに一気に人が集まることにより需要と供給のバランスが崩れている現象ですね。

待機児童も同じで、もともと保育園等が少ない地域なのですから、そこに大量の人が押し掛ければ待機児童が生まれるのは当然なのです。
ないことが解っていて引っ越してきてるんですから、本来なら自己責任なんですよ。
ですから、本来ならば無いはずの問題なのです。

保育園を作れば良い・・・と軽々しく言う輩がいますが、これは難しい。
これほど『幼稚園が足りない』と言われているわけですが、裏を返せば、超ビジネスチャンスなのです。
なのに誰も幼稚園を作ろうしないのは、だれもが儲からないということを知っているからですよ。
若い夫婦が集まるので、当然それについてくるという形で一時的に子供が多いってだけで、その後、10年・20年経った時、幼稚園が必要かと問われれば・・・ねぇ?
容易に需要予測が立ちます。
少なくとも規制が厳しいからだけじゃないんですよ。(新規参入が不可ってほど厳しいわけではないのですから逆に狙い目でもあるわけです)

だからこの問題は解決しえないのです。

これを行政にやらせようというのは難しいでしょうね。
いえ、無理じゃないけど、相当のお金が必要で・・・・・そんなお金ないでしょう?
費用対効果も極めて悪いし。

というか、今の時代、ネットで調べれば幼稚園に空きがあるかどうかなんてすぐにわかる話で、幼稚園がある場所に住む場所が1つもないということはないでしょうし、仕事だって選ばなければあるのです。
ですから、親が幼稚園がある場所に引っ越せばすむ話です。
生活環境によって住居や職を変えなければならないなんて本来なら当たり前の話で、その場所に住み続けたいというのは持つべきものにだけ許された特権であり、誰にも彼にもできるわけじゃないのですよ。

人間が一カ所に集まらないように分散するように仕向けなければならないのは行政の怠慢だ、といわれれば否定はしませんが、引っ越したくないので、何とかしろというのも無茶な話なのです。

待機児童が問題ではなく、地方での職の問題だったり、交通状況の問題だったりといった1つの問題ではなく、要はパッケージングの問題なのですが・・・・そこに目を向けなければ解決しないのに、保育園の状況だけを語っても意味のない話ですね。

政治家評  18  河野 太郎

2014年03月19日 | 人物伝
自民党の衆議院議員ですね。
やっぱりこの人おかしんじゃない?と思った記事を見ました。
・・・短いし、全文引用したほうが間違いがなくていいかな?

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笑ってしまう燃料費増加の前提
http://blogos.com/article/82533/

経産省が、原発停止による火力発電の焚き増しに関する燃料費の増加の計算について、説明に来る。
説明を聞いているうちに、笑ってしまう。
燃料費増加の影響は3.6兆円というが、その計算の前提は2013年度に、福島第一原発の1号機から6号機が動いているという前提なのだ。
福島第一原発の1号機から6号機、福島第二原発、活断層問題の敦賀2号機などがすべて稼働するという前提だ。

試算の前提は、「原発はベースロード電源であり、仮に原発停止がなければ、需要の増減にかかわらず、震災前と同等規模の発電がおこなわれると考えられる。」

経産省は、この前提がおかしいと思っていないのか。
そんな前提の3.6兆円が独り歩きしているが、いや、独り歩きするように説明してきたというのが正しいのかもしれない。

―――――――――――――――――――――

何度読んでも意味が解らない。(笑)

多分、『動かせない原発の発電量を入れるのはおかしい』と主張しているんでしょうが、その考えがおかしい。

これは「原発が発電しないので火力発電で代替したときの燃料費」を算出してるわけで、現状、その分だけ電力が足りないわけです。
事実、火力発電で賄っています。
当然のことながら火力発電がタダで電気を産むわけもなく、稼働には燃料費等がかかるわけです。

平たく言えば、『現在の原発が止まっている状態の燃料費』から『過去の原発が稼働していた時代の燃料費』を引いたものですね。(様々な調整があるでしょうが)

なので、福島原発が使えるかどうかなどというのは一切関係なく、あくまで原発を止めた場合と比べて、それにかかる『費用』を算出しただけです。
その金額がおおよそ3.6兆円であると。

脱原発をするにも、原発を活用するにも、この3.6兆円を『現実的にどうやって補うか?』と言う具体的な議論をするために極めて重要で必要な算出基礎数字です。

それが理解できない、と。
話になりませんね。
河野氏の又聞きの赤熊でも理解できます。
直接レクチャーを受けて理解できないのは頭が相当に残念としか言いようがありませんね。
経産省の職員はさぞ困ったでしょう。
この程度のことが理解できないなんて。

おそらくこの人、脱原発派でしょうね。
この3.6兆円もの巨額費用を算出されれば、脱原発は現実的でなく原発再稼働で補うべきだ・・・という考えに誘導するためだと邪推しているのです。
たしかに、そう捉えられなくもないです。
ですが、現実的に毎年3.6兆円ものお金がかかるのですから、どうやって捻出するかを考えないとならないのは脱原発派の人間の切実な問題なのです。
逆に言えば、この3.6兆円を無理なく補う方法を提言できれば、脱原発も叶う・・・はずなんですけど。
それができないから、放射脳とかいわれて揶揄されてるのでしょうに。
はてさて。

この程度のことも理解できないで政治家やってるの?
慶応の経済学部を中退して、アメリカの大学に留学したみたいですが・・・え?何を学んでいたの?

赤熊、この人をそれほど信用してませんでしたが今回のこのブログではっきりと信用しません。
てか、これくらいのことも理解できないなら政治家を辞めるべきでしょうよ。
害にしかならないのなら、いらないです。

靖国参拝は人権問題にしたら?

2014年03月14日 | 政治
安倍総理の靖国参拝をしたことで、方々に影響出てるみたいですね。
主に中国韓国外交にですが・・・ま、大した問題ではないのでどうでもいいけど。

それでいろいろ言う人たちが出ていますけど・・・おもに日本の左翼連中ですね。

赤熊が理解できないのは彼らの狭量さです。
彼らはことあるごとに、人権とか、平等だとか、平和だとかを口にするのです。
別にそのこと自体は良いのですが、問題は『自分の都合の良い』人権や平等だとか平和などしか守ろうとしないところ。

例えば、この安倍総理の靖国参拝。
思想信条の自由というのは基本的な人権の1つなわけです。
なので人権が本当に大事ならば、安倍総理が何処に参拝しようと『人権上保障されている』と表明すべき・・・というか、そうとしか言えないわけです。
なのに、彼らは特定国の感情が~とか言うんです。

・・・人権と感情では人権のほうが劣っていると言うんでしょうかね?
それを言うってことは彼らの中ではそうなんでしょうけど、それじゃあ、感情を害したと言えば、人権を否定するんかいの?と赤熊は問いただしたくなります。
まっ、そんなこと訊いたら黙るのでしょうけど。
本来人権と言うものはそういったものから個人の権利を守るためにある概念です。
それを守らないというのは人権そのものを蔑ろにしているわけですが、そのくせ、自分の都合の良い人権は守れというのですから、その可笑しさったら半端ないですね。
本末転倒というのが良く似合う人たちです。

・・・・うん、靖国参拝問題は人権侵害だと訴えれば彼らは黙りそうです。
特にアメリカの左翼紙とかに利きそうですね。
アメリカって人権にうるさそうですし、もしかしたらイスラム・ユダヤ教にまで巻き込んで大騒動になりそう。
まぁ、そうなる前に収束するでしょうけど、相応の抑制効果が出そうです。
もっとも中国・韓国には効き目はなさそうでしょうが・・・。
人権思想ってあの2か国はないしね。

それはさておき、
人権とか、平等とか、平和とか、こういったものはものすごく強い力を持っているわけですが、その分、非常に扱いが難しい概念です。
一方の人権を守ろうとすると、他方の人権も守らなければ主張できないという諸刃の剣で、軽々しくは扱えないものなのです。
なのに、軽々しく口にするのが信じられないのですが、それで却って他者の人権や平等とか平和だとかを踏みにじっているのはもっと信じられないわけです。
まだ、人権などをそれほど重要視しない(?)保守派の方が人道的だったりするんですよね・・・。

何で世界ってあべこべになるんでしょうね。

そのせいで、人権とか平等とかを唱える奴らは胡散臭いように思われているわけです。
彼らが主張すればするほど、人権や平等と言う概念が穢れていき、そのため他の人が汚らしく感じ、話も聞かず、話が聞かれないので人権や平等と言う概念に固執してまた主張し、さらに穢れていく・・・。
デフレスパイラルここに極まりって感じですが、非常にまずい状態でもあるわけです。

このまずい状態をどうにかしようとすると・・・一度左翼と言う存在をすべて否定して、それからまた再構築しないといけないわけですが・・・・・非常に手間だよね?
再生は遥か遠く、ですね。
ていうか、こういう思想的な内省が起きるのは『大失敗した後』と決まっているので・・・・それって戦争か何か、大きな騒乱の後でしょうね。

左翼の罪ですね。
罪には罰を受けてしかるべきですから、今さら手の施しようない話ですね。
成り行きに任せましょう。


2014.03.15    補記・訂正

強制連行があったとする人こそ河野談話を破棄を求めるべきだ

2014年03月11日 | 政治
去年の産経新聞が、河野談話の正当性がないことをスッパ抜いたのですが、その後、見直しをするとかしないとか?

河野談話見直さず=検証作業は実施―菅官房長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140310-00000036-jij-pol


少なくとも検証はするみたいだけど・・・。
その後、破棄されるかな?
赤熊は手早くした方がいいと思いますが、現状の国際情勢・・・韓国への配慮というより、北朝鮮や中国の動きを考えると見直しがされるとは思えませんね。
ここで韓国と完全に決裂させるわけにもいかず、交渉のカードにしたほうがいいでしょうしね。
いつでも破棄するぞと脅しをかけれるわけです。

うーん・・・。
そのまま破棄させた方が赤熊は良いかな。
その後の面倒がない。
ま、そんな単純な話じゃないのでしょうけど。


ま、その辺りはともかくとして、わからないことがあります。
産経新聞が河野談話で慰安婦の強制連行があったとするのは元となった16人の慰安婦の証言ですが、この証言がきわめて曖昧でとても信用できない内容・・・・ハッキリ言って『嘘』と、すっぱ抜かれたわけです。
しかもこの16人を選んだのは韓国政府です。(つまりまともな証言者は1人もいないってことでしょうね)

嘘なんだから破棄、乃至、見直しは必定なのですが、これに反対する人たちがいるわけです。
いわゆる『左翼』と呼ばれる連中ですね。

赤熊はこの人たちこそ積極的に破棄を主張すべきだと思います。

なぜなら嘘を正しい・・・というのは真実の追求を放棄するということで、それは不誠実 極まりない態度だからです。
(そして、なぜかこういう人たちは誠実な態度で~とか言います)

また甚だしい人権侵害でもあります。
強制連行があったとする以上、この16人のうその証言を認めれば、その他の人の証言も信憑性を失ってしまうのです。
うそを認めることにより、その他の人の真実を踏みにじるなどというのは人権侵害以外のなにものでもないでしょう!!
(そして、こういう人たちが口を開けば人権が~と叫びます)

ですから、彼らこそ、河野談話を破棄し新たな談話を作るように訴えるべきなのです。

自分の主張が不利になるから行わない・・・というのなら、それは単なるエゴでしかなく、そんな奴らが信用されるわけもない。

人権を叫ぶ奴らが人権を踏みにじり、誠実を訴える奴が不誠実の塊。
こういう自分は良くて相手はダメ・・・という態度が日本の左翼の特徴で、そしてこれが彼らの衰退の理由の1つでしょうね。

そのことに気付いているのでしょうか?
気づいていたら、恥ずかしくってとっくに消滅してると思いますけど。

未だに繰り言のように妄言を吐きますが、風が変わったし、お金にもならないのにこの人たちはいつまでやるつもりなんでしょうね。
はてさて。

現実を見ないという低レベルな信仰

2014年03月06日 | 社会
集団的自衛権に反対する団体を作ったそうです。

戦争をさせない1000人委員会。の巻 ‐ 雨宮処凛
http://blogos.com/article/81684/

・・・・・・新手のお笑い集団?
いえいえ、昔からいましたね。

こういう人たちって、集団的自衛権だけじゃなく、憲法9条に関してもそうですけど、こういった物を失えば日本がすぐに戦争するんだ!!と思い込んでますが、戦争する理由がない限り戦争というものはしないんですけどね。
この人たちの中に『戦争をする理由がある』って自白しているように聞こえるのは気のせいでしょうかね?
好戦的な人たちですこと。

それはさておいて、
病気が嫌だといったところで病気になるし、火事が嫌だと言っても火事にあうんです。
それは避けられないことですけど、遭う確率を低くすることは、まぁ、可能なわけです。
ですが、完全に避ける方法はありません。

戦争も同じで、だからこそ、それらに備えなければならないわけです。
戦争をさせないために何をすべきか?ではなく、いつ戦争が起きても良いようにしなければならないのです。
『戦争の種』を確実に消す方法がない以上、何らかの手段を持って『対抗するしかない』という現実に屈するだけです。
病気があることを前提にしないと治せないし、火事があることを前提に防火対策をしないと徒に被害を増させるのと同じです。

そこを考えられないのならどんな主張をしても無駄。

というか、軍事を持って抑止をかけるほうが遥かに現実的で理屈になってますね。
単に嫌だという感情論で屁理屈を捏ねても現実は変わらないのです。

左翼の限界・・・ってところでしょうけど、世界を見渡すと軍事を軽視する左翼ってそうそうないよね?
むしろ左翼ほど積極的に軍事を握ろうとするんだけどね。

右派左派関係なく、軍事って現実なんだし現実を見ろ・・・と言っても日本の左翼の人らは受け入れないでしょうね。
そういう『現実を見ない』という低レベルの信仰を持っている・・・というだけです。
蹂躙されておいて『平和!!』と叫んでも時すでに遅しです。
それだけは事実ですね。

英語盲信者こそ売国奴

2014年03月04日 | 教育
英語教育に関して頭の悪い文章を見つけてしまった。


英語不要論者こそ「売国奴」だ    山田 順 :ジャーナリスト
http://toyokeizai.net/articles/-/14581(東洋経済オンライン)

・・・・・・駄文。

英語教材会社かどこかからかお金でも貰ってるの?
いや、貰っていたとしてもお粗末過ぎる文章ですけど。

まず、英語不要論の人というのは日本人全員に英語を『一切を学ぶな』と言ってるわけではない。
そんな主張はきいたことがない。
そんなことを言っている人がいるのなら明示してほしいのですが?
もちろん一般人でなくきちんとした学識者でお願いします。
てか、一般人でもそんな主張している人は聞いたことがないです。
できないのならただの妄言です。

彼らは学校教育において英語教育を全員に施すのは『費用対効果が悪い』と主張しているのである。
もっと言うのならば教える時間に限りがあるのだから、特定の人間にのみ選んで施そうと言う主張が多い。
実のところ『エリート教育論者』に一番近い。
それが良いかどうかはここでは置いておくが、他者の主張を捻じ曲げて記事を書いてもゴミである。

それで終わる話であるが、せっかくの駄文だし、いくつか抜き出して酷評しよう。


>「英語をやると日本語がおろそかになる」というのは本当なのだろうか? 私の経験から答えると、その心配は無用である。また、「英語より先に日本語」という考え方も、そんなことにこだわる意味はまったくない。むしろ、子供に本当に英語をしゃべらせ、将来、日本語と英語のバイリンガルとして日本人のアイデンティティをしっかり持った大人に育てたいなら、むしろできるだけ小さい頃から英語になじませたほうがいいと思う。
>こう言うと、「そんなはずはない。英語と日本語がどっちつかずになって、日本人にならなくなる」という反論が必ずある。実際、そういう不安から早期英語教育をためらう方もいる。しかし、ではそんな例があるのかというと、私の知る限りでは、ほとんどない。また、百歩譲ってそういう例があるとしても、それは言語の問題ではなく、別の問題(たとえば親の教育)であることのほうが大きいはずだ。

その『別の問題』が大問題なのだろう。
これを解決することが非常に難しいのです。
それをどうやって解決するかも書けないのなら黙るべきです。
もしくは相手の主張がわからずに語るからこのような非論理的な文章しか書けないのででしょうね。

また、英語不要論者の『相応の時間を使って多大な努力を施す必要があるのか?』に答えられてない無意味で無価値である。
相手の主張を避けて大丈夫だと強弁されても・・・・。
非常に程度の低い鼻で嗤われる程度の詭弁です。
気づかれないと思ってるのでしょうか?
読者をバカにしすぎです。

そもそも学校教育は国語と英語のみならず、数学・理科・社会に他にも保健体育や家庭科や技術、体育といった運動、音楽や美術といった芸術だって教えないとならないのである。
日本語と英語だけが教科じゃない。
多数あるのだ。
結局のところ、何かを取り入れれば何かを捨てなければならないという『トレードオフ』というものがわかっていない典型で、何でもは教えられないのだ。
そんな中で何を教えるべきか?・・・・・これこそが学校教育の問題の本質なのである。

本質がわかっていない馬鹿の見本ですね。

というか、家庭科や技術や保健の方が『生きていく』という観点に立てば英語より即効性があり遥かに有益だろうに・・・。
もっとこっちを教えろと叫んだ方がまだ説得力があります。


他にも中国語も教えるべきではないか?と話は及んでいる。

>英語不要論者は、中国語となれば、もっと反対するのだろう。彼らは自国至上主義者が多いので、英語でこれだけ反発するのだから、中国語となれば、その比ではないはずだ。

これも妄言。
彼らの主張は『そんな時間はない』なのです。
そのことを捻じ曲げても意味はない。
自己主張のために相手の主張を捻じ曲げるのは害を通り越して邪悪です。
程度の低い人間がよくやりますね。

それから娘さんに中国語教育もしているらしく、

>たとえば、「四面楚歌」を「スーミィェンチュグェァ」と読んでしまう。「“しめんそか”と読めないの?」と聞くと、「いや、先に中国語のほうが出てきちゃう」と娘。
>それで考えたのは、これは間違いとは言えない。むしろ、もともと中国の故事成語なのだから、絶対にこちらのほうが正しいということだった。

間違いです。
言語というのは意思の疎通を図るものであって、意思の疎通を図れない読み方は間違いだ。
いくら日本語の正当性は古文にあるからと言って現代の世で古文調で喋っても意味がないのです。
どこまで行ってもお遊びですよ、そんなの。
教育論を語っているのにこんな基本的なこともわかっていないことにビックリ!!

それに中国読みが先にでてきてしまっているというのは明らかにバイリンガル教育の弊害だろう。
これで『正しいからいいんだ』と言われても鼻白む。
こんな明らかな害を見ずに正当化するなんて、客観視や分析能力に問題があるとしか言えない。
そういえば、一番最初の引用に英語の早期教育に『問題はほとんどない』と言っている部分があるが、害が見えない人間からみて、ほとんどないということは『すごく問題がある』ということだろう。
この人の頭の問題が透けて見えますね。

この筆者は英語や中国語が堪能なのかもしれないが、それでこの程度の浅薄な主張・・・非論理的な思考に他者の意見が十全に理解できないのであれば、どんなに外国語が出来ようと無駄だろう。
先ず日本語をきちんと扱えるようになったほうが良い。
相手の『英語教育の前に日本語を』というのをご自身の主張で証明するってかなり高度なことをやってますね。
赤熊には無理です。

南無阿弥陀仏。

こういうものは良し悪し両方を見て総合的に判断をくださなければならないのであって、どちらか一方しか見ないのであれば、それは論理でもなんでもなくただの盲信でしかない。
こういう人って、英語教育と聞けば何でも素晴らしいと判断するんでしょうね。
ジャーナリズムでもなんでもない、ただの盲信者の主張です。
お粗末極まりない。

何妙法蓮華経。

筆者は最後はこう締めくくっている。

>英語不要論を唱える者こそ、子供たちの将来を考えず、この国を滅亡に導く「売国奴」だ

ならば赤熊はこう〆よう。

英語盲信者こそ、子供たちの将来を考えず、この国を破滅に導く『売国奴』だ

小中学校での英語教育は必要ない

2014年03月01日 | 教育
文部科学省が小中高校の英語教育の強化計画を打ち出したそうである。

>小学校で英語を教え始める時期を現行の小学5年から小学3年に早め、5年生からは正式な教科にする。中学の英語の授業は原則英語で行い、高校では生徒が英語で発表や討論をできるようにする。そんな内容だ。(読売新聞)

それでこんな記事を見つけた。

英語教育改革よりも日本語で主張をすることが先じゃないかね?  清谷信一
http://blogos.com/article/81360/

この筆者の意見に大よそ賛成です。
赤熊も率直に言って『どこの植民地ですか?』と言いたい。
まずは日本語・・・というのはその通りだと思います。

ただ、『日本語で自己主張をし、議論ができる能力を伸ばす教育』をすべきかどうかは疑問です。
というのも『そんな暇あるの?』という素朴な疑問があるからです。

新たな内容を追加する・・・というのは、言い換えれば『他の内容を減らす』ということに他ならず、今でさえ、あれもこれもと詰め込んでいる状況なのに、他のことをするのはなかなか難しいと思います。
何でも教えられるわけじゃないのですから取捨選択が必要なのです。
問題は『必要かどうか?』『重要かどうか?』の意見というのは経験や立場や状況によって大きく変わってくるもので、そんな中で話し合っても結論というものは出ません。
少量なら変えることはできるでしょうが、全面的な改定など夢のまた夢です。
基本的な事柄って決まってるしね。

であるならば、内容はそのままでも効率的な授業内容を構築すべきです。
これならば組み換えだけで済むのですから問題ありません。

それを考えれば、中学校ですら英語教育をするのは即座に否定される話なのです。

まず、早期教育をすれば早く英語を身に付ける・・・そうすればLとRの発音がきちんとできる・・・とかそういう幻想を持っている人がいますが、3歳児くらいではそうかもしれませんが、小学校に上がる年齢だともう手遅れでしょうね。
というか、LとRの発音ができること自体、それほど有効じゃないでしょう。
特に日本語というのは複雑な言語なのに、そんな時分に他のことをやってる暇はないんですよ。
ならば、スパッと諦めたほうがいい。
むしろ中途半端に施したところで他の教化を圧迫するだけですから逆に害悪にすらなってます。

また、日常生活において英語というものは必要ない。
たとえば、『昨日、あなたは英語が必要でしたか?』
そう聞けば、ほとんどの人間で答えはNOでしょう。
生涯で何度かあるかもしれない外国人に道を聞かれたときに必要かもしれませんが、そのために3年間(それ以上)を使うなんて馬鹿馬鹿しいを通り越して愚かですね。
少なくとも義務教育で教えることではない。
もっと有用なことはたくさんあります。

なので、義務教育である中学校で英語教育を施すのはそもそもが無駄であるし、効率という観点に立てば否定されることです。
義務教育ですべきではないし、少なくとも高等教育からすべきことです。
それに『1日1時間を6年間』するのと『1日2時間を3年間』するのではどちらが効率的か?といわれれば、おそらく後者の方が効率は良いでしょう。

まぁ、それほど変わらないという意見もあると思いますが、語学は『母国語の理解力と比例する』という研究結果もあるわけです。
感覚的にも日本語が理解できないのに、英語なら理解できる・・・なんてことは考えられないわけです。
であるならば、先に語学の基本的なことを先に教えておくべきです。
語学・・・日本語は生きていくうえで英語より何百、何千倍も重要で、ここが解らなければ仕事にならないですしね。

それで役に立つのは『古典』と『漢文』でしょう。
古典や漢文というのは昔の物語を読んで面白かったとか、ためになったとか、そういう教養的な使われ方をしてますが、その本質は、古典なら『日本語の変遷』であり、漢文なら日本語でありながら半外国語(中国語)であるという絶妙なもので、『日本語の構成』を学ぶためにあるです。
これらは変化を読み取り、日本語の理解を深めるのに非常に有効なのです。

・・・・・・今の古典・漢文教育にそれができているかどうかは置いときます。

まぁ、完全にできてませんが、この2つをきちんと押さえておければ、その後の英語教育に非常に有用なのです。(なので英作文のように古日本語作文や漢作文の授業が必要だと思います)
大正・明治時代の日本人が英語能力が高かったのはそのためだとも言われてます。
まぁ、特定の選ばれただけの人間しか学んでいなかった時代ですから、それをそのまま鵜呑みにするわけにはいきませんが、それでも理解の一助にはなってたはずです。

中学の英語の授業をすべて廃止して、高校の古文と漢文と組み替えるべきですね。
そのまま組み込んでも失敗するでしょうから配分や内容は考えないといけませんが、教師を確保するのも組み替えるだけなのでそれほど苦はありません。(これらも固めて教えることにより、より効率的に教えることができると思います)

加えて、英語教育で国際人うんぬんとかコミュニケーションを取らせるようにすべきとか言ってるのが嗤えるのですが、本当にコミュニケーションを取らせようとすれば、教えるべき内容は自分自身のバックボーン、つまり日本の事ですね。
文化や歴史、習慣、風俗・・・といったことですね。
例えば、参勤交代について英語で説明しろ・・・と言われてもすぐには難しいわけです。
他にもこんにゃくとか味噌とか醤油とか日本独特の食べ物などを英語で説明しろといわれても難しいですよね。

でもこういうことを説明できることこそがコミュニケーションの一歩なわけで、相手のことで知らないことは相手に聞けばいいんですよ。
それがコミュニケーションです。
ついでに言うと日本の事なら教わる方も取っ掛かり安いでしょうし、歴史なら歴史の授業の復習にもなるしね。

いいことづくめなんですけど、どうしてか外国文学や外国の話になってるんですよね・・・英語の授業。
非効率ですね。
英語が好きな人は英文学とか好きだもんね。
おそらくその関係で取り上げてるのでしょうけど、でもそんなのは教育として無駄。
外国のことも知らなければならないって主張する人もいますけど、そういう比較文化論的なことは日本語でやったほう早く深く正確に理解できますから英語ではなく国語の範疇なのです。

まずは、そういったことから見直したほうがいいと思います。
その上で、新しいことを加える削るを考えないといつまでたっても無駄な授業を繰り返すだけです。


2014.03.02  訂正・追記あり