意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

安定している政治。

2013年01月31日 | 政治
安倍首相の所信表明演説がありました。
聞いていて安心できる内容です。
特に経済に言及する内容は良かったと思います。
兎角は申し上げませんが、聞いていて政治が安定していることを実感しますね・・・。

いやいや、本来はこのようになければならんのです。
民主党が酷すぎたのです。

そうこう思っていると、来年度の予算案が出たようです。

2013年の予算総額92兆6115億円。
うち、税収43兆0960億円  国債発行額42兆8510億円。

・・・おおおおおお、国債の発行額が下回ってる!!
この4年、国債発行額が税収を大きかってのですよね・・・。

(去年2012年の予算総額90兆3339億円。
うち、税収42兆3460億円  国債発行額44兆2440億円。
(ただし、復興予算3兆7754億円と基礎年金国庫負担財源2兆5882億円を一般会計に計上していない、入れれば96兆円超えて、過去最大規模)

民主党は無駄をなくすとか言ってたのにね!!
アベノミクスとか巨額公共投資とか言われているけど、実際は、民主党のデタラメ予算に比べたらそれ下回るって・・・。

いかに民主党がデタラメだったかがわかるのですけど・・・マスコミはこういったネタはしませんね。
未だに民主党を持ち上げて、逆に自民党をディスる理由はなんなのでしょうね?
やっぱり金を握らされてるとしか思えないのですが・・・。

公正公平の基準

2013年01月28日 | 社会
同性婚反対という記事を書いたら、いくつも同性婚の賛成者の方がコメントをくださるわけです。
赤熊が反対する理由は『必要性がない』からです。
それ以外にないですね。
ですから、賛成者にまず必要性を言っていただけると助かるのですが、特に提示されないんですよね・・・。
ですので、今一つ、反論要旨が解らないのです。
しかしながら気づいたことがあります。

どうも、賛成者は『公平や公正』を理由にしているようなのです。
要するに異性カップルと同性カップルでは与えられている恩恵に差がある・・・なので、それを是正しなければならない・・・というのが基幹の論調みたいなのです。

・・・どう思います?
これらの差を埋めるべきだと思いますか?
赤熊はないと思います。
赤熊はこのような公平性や公正性はあまり重要視してないんですよね。

なぜか?
赤熊は公平性というものは全員に与えるべきだと考えているからです。
つまり国民一人一人と比べてどうか?と思ってるからです。
この問題の場合、カップル・・・ではなく『単身者』に基準を置くべきだと思います。

仮に同性カップルに異性カップルと同じだけの権限があったとしてもですよ、これは単身者にとっては『不公平』なことです。
それは許されるのか?
公平公正を理由に持ってくると、許されない・・・と言う結論になるわけです。
では、単身者にも恩恵を与える?
それは、婚姻制度の無力化・・・破壊に過ぎませんね。

ですので単身者に比べて、同性カップルがどの程度、不利益か?を考えるべきなんです。
・・・法律上は全くないでしょう。

異性カップルに恩恵が与えられているものは、所詮、+αなのです。
そしてなぜ+αが与えられるのか?と言えば、赤熊は『子供を育てさせるため』にあると思います。
これが正しいかどうかを論じることはありませんが、もし、そういったり理由がなければそもそも婚姻制度など廃止したほうがいいのです。
そっちの方が『公平』ですからね。

制度と言うもので理由をもって恩恵を与えられているのであって、理由がない以上恩恵は与えられないのです。
公平や公正を理由に持ってきたければ、なぜそれが公平となるのか?を明確にしなければ議論にはならないと思いますね。

そもそも、単身者との不公平は放置して、自分たちの利益だけを求める・・・これが悪いとはいいませんが、赤熊は非常に浅ましいと感じます。

自殺したほうも詰るべきだろう

2013年01月22日 | 社会
なんか、大阪の高校のバスケ部の主将が自殺した問題で、何かいろいろあってるみたいですね。
赤熊は特に興味ないので無視してましたが、橋下大阪市長がでしゃばりとかあって、とんでもない方向に進化・・・じゃなかった迷走してるっポイ。

なんか、入試を止めるとか止めないとか?
今さら止めれるわけないだろうにね・・・。

そう思って、パラパラと報道を見てると、件の学校は、普通科とスポーツ科があるみたいですが、スポーツ科を廃止して普通科だけにするようです。
ただし、スポーツ科の定員分やクラス分け、試験内容そのまま。
要は『看板を掛けかえただけ』ってことですわ。(決めたのは教育委員会)

はぁ~・・・。
いまどき『君子豹変す、小人は面を革む』って言葉を地で行くのを見れるとは思わなかったよ。(君子(立派な人)が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人(教養や道徳心に欠ける人間)はただ外面を改めるだけであるって意味)

それを大阪市長は『素晴らしい』と言っているそうですわ。
・・・本当に素晴らしいね☆

まぁ、所詮、でしゃばって目立ちたがっているだけの人だからこうなるのは当然か・・・。

あと気になるのは、どうやら問題のバスケ部の顧問の人は処分が決まっていないそうだ。
それなら新入生よりも、今いる在校生はどうするんだ?
在校生を抱えるのに問題がない学校というのなら、こんな処置は必要ないし、何らかの処置が必要と言うのなら、そもそも在校生を転校させるべきだと思うけどね。
やってることが矛盾してるのよね・・・。

でしゃばりが口を挿むと引っ掻き回されるだけで、より問題がややこしくなるものですね。
こういうのは推移を見守るのが一番いいのですけどね。

まぁ、どうでもいいけど。

そんな中で、気になるブログ記事を見つけた。

Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~   なぜ彼らは正常な判断力を失ったのか?
http://meinesache.seesaa.net/article/313055547.html

簡単に言えば、キャプテンを辞めることと、自分の命では価値が全然違うだろう、と。
そして、命の方が大切だろうと。

赤熊はこの意見に賛成ですね。
命を懸けなければならないこともあるかもしれませんが、この2つなら自分の命の方が大切です。
追い詰められているから正常な判断ができない・・・と言う意見もあると思いますが、それでも『辞めていい』という選択肢があることを知らしめることが大切です。
そうしなければ、このブログ主が懸念している通り、自殺はなくならないと思います。

だから敢えて言います。
この自殺者を愚かだと詰るべきでしょう。
命の重さすら理解できない馬鹿は死んで当然だと言うべきでしょう。

そうしなければ自殺がなくならない。
そして今やるべきことは自殺の数を減らすことだと思いますね。

でも、こんなこと言う人はいないよね。
少なくともマスメディアでは見ないな・・・。
結局、自分は悪くない、あいつが悪い・・・といって終わらせたいんだろうな。
そっちの方が楽だもの。

自殺を問題にするのなら、自殺が減るような報道や発言をしてほしいものです。

祝!!1ドル90円

2013年01月19日 | 経済
昨日18日に1ドルが90円になりました。
実に2年7ヵ月ぶりです。

日本の経済の復調には円安が必要なので、喜ばしいですね。
ただ、喜んでばかりではいけないと思います。

赤熊的には90円になるには反落などを繰り返してもう1ヵ月くらいかかると思ってましたが・・・。
中期的には次の抵抗線は95円前後ですので、それを目指して行くことになるでしょうが、この調子なら1月と経ずに95円を超えそうですね。
そうなると少し早すぎるペースです。

・・・・・まだ自民党は何もしてないのにね。
民主党が無能すぎたせいで、この超円高を招いていたわけですが、その反動なんですけどね。

ちなみに甘利経済再生相が円安について発言をして、円高になったといわれる件ですが、実際は関係ありません。
たまたま、そうなるときに偶然に発言が重なっただけです。
要人発言のみが、為替に与える影響なんてほぼありません。
取引量が多すぎるため、影響しようがないんですよね・・・。

そんなことはさておいて、この動き・・・2ヶ月ちょっとで10円近く・・・10%ほどの円安はやはり急激すぎると思う。
今のところは円高過ぎたから問題なかった・・・どころか良かったけど、今後、これが続くと方々に影響が出ると思います。
原料系の輸入とか、特に原油ですよね。
ガソリンはそれほどのものじゃないでしょうけど、問題は電気ですね。
今、原発停まってるし。
燃料費は結構大きいと思います。
ですので、もう少しマイルドに・・・とも思うけど、止められないよね。
対策取っていればいいですけど・・・難しいですよね。
電気代が日本経済の足を引っ張らなければいいですけど。

そういえば、為替介入したお金、どうなるんでしょうね。
将来の円安が進みすぎたときに為替介入する資金なのかな?
それとも、ある程度のところで日本円にもどして、利益分は他のものに使うのか・・・・。
結構なお金が使われていますので、意外な埋蔵金になると思います。
どうするんでしょうね?
ちょっと気になります。

問題はマスメディアの馴れ合い

2013年01月16日 | 報道・メディア
産経新聞の阿比留さんのブログにこういうのがあった。

国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
 マスゴミ批判の大波に説得も反論もできない件について
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2977048/

言いたいこともわかるし、概ねその通りだと思います。
全てのことを報道できるわけでも、そもそも高い専門性があるわけでもないので、完璧には報道できないでしょう。

そこは解りますが、でも自分たちこそが正しいという面で喋ってるから虫唾が走るんですよね。
・・・そういう顔をするのは識者とか、コメンテータとか、司会なんですけど。

それにマスメディアの問題は、報道しない自由じゃないと思います。

マスメディア同士の馴れ合いでしょう。

いや、これも報道しない自由の一種か。
例えば、フジテレビへの抗議デモがありましたが、これをフジテレビが報道しないこと、フジテレビにとって不都合なのですから、それを報道しないことは理解できます。
しかし、他局が報道しない。(少しはあったかもしれないですけどほぼネット上でしか見ませんでしたね)
極めて深刻な問題だっと思うのですけどね。
テレビのヤラセとか、局員が犯罪を犯したのとかもあまり報道されないしね。
他の業種の人が問題を起こしたら、死ぬまで追い詰めるクセによ!!

よく記者クラブだとか、横並びだとか、クロスオーナーシップ制だとか問題になりますが、一番の問題はここだと思います。

権力というのは監視して暴走の抑止や浄化を図るものです。(赤熊が地方分権に判定してる理由の1つなんですよね)
本来であれば、他の業種・・・ネットが菅氏をすべきなんでしょうが、ネットと言うのは組織だったものではなく、緩いつながりしかないわけですからどうしても弱いのです。
ですので、互いに互いを監視してもらう必要があるわけですけど・・・ここが馴れ合ってんだからしょうがない。
てか、腐ってるようにしか見えないわけですよね。

批判されて当然・・・ではなく、先んじて批判をし合ってもらいたいです。
それが健全なマスメディアであり、ひいては信用につながるのではないかな?と思います。

積んでいる維新の会

2013年01月13日 | 政治
政治報道は7月にある参議院選挙に焦点があてられていますね。
無視していい話ではないんですけど報道的には少々フライング気味じゃないかな?と思います。
とはいえ、政治家たちには重要なことであるし、これからのことですから少し考えてみたいと思います。

政権与党である自民党は政策を着々と実行していくだけですから特に気になりませんね。
民主党は潰れるだけでしょう。
というわけで一番動きが気になるのは実は維新の会です。
ただし、良い意味で気になっているわけじゃないです。

赤熊が見る限り、もう積んでない?

色々と考えたのですけど、今後のこの政党の一番の問題は、与党・野党どちらかにつくか?です。
与党である自民党につくか、野党である民主党につくか・・・。
この2つしかないのですが、今後どうするんでしょう?

野党につく・・・と言っても合併するとかいう意味ではなく、選挙協力や与党の出した法案に反対をしあうってことですが、終わった政党である民主党と強調してもねぇ・・・。
一番の失点は衆議院選で民主党より議席数を取れなかった点ですね。
これが民主党を上回ってさえいれば、民主党を協力させることができたわけですが・・・。
2番手と3番手じゃ立場が大きく違うんですよね。

じゃあ、与党につく?
そのためには公明党よりも協力的な態度を取らないといけないわけです。
あれほど自民党を批判しておいて、『はい、ノーサイド』ってわけにはいかないでしょう。
次点の失点はあの共同党首の目立ちたがりの性格だよねぇ・・・。
ここが連携を難しくしてるし、後先のことを考えると沈黙は金なのにねぇ。
だから自民党のいいようにしかなれないわけで・・・。

かといって、このままどっちつかずの宙ぶらりんでは何もできないので一番まずいわけで・・・。
第3勢力だから・・・と言う言い訳はバカには利きますが、少し政治に関心がある層にはそっぽ向かれますね。
そしてバカもそっぽ向かれた層の動きを読んでだんだんと離れるでしょうしね。

うん、完全につんでるね。
もう終わりやわ。

そんなことを話してもしゃあないので、今後のことを考えてみますね。
積んでても参議院選挙を戦わないといけないわけですし。

赤熊的には自民党に協力したほうが得だと思いますね。
理想論を言えば野党と協力しあうのが筋ですが、現実的に野党・・・民主党と組もうにも、衰退勢力とは危なすぎて組めません。
少なくとも次の選挙で盛り返してるところ見ないうちは無理ですね。(盛り返すシュチュエーションは想像つきませんが)

とはいえ、自民党に協力するなら自民党とは敵対できないわけです。
与党と敵対しない野党の存在価値というのは疑問視されますけど、そうなると次の参議院選は公明党の選挙区だけに候補者をぶつけなきゃならない。
・・・創価学会の選挙区で勝つのって難しいわな。
でも勝てなきゃ消えるだけですし。

完全に積んでるね。

もうちょっと建設的な意見を・・・と思ったけど、赤熊には無理やわ。
せめてあの共同代表さんが、もう少し先を見て行動していたなら挽回の芽もあったでしょうが・・・。

芸術家が政治に口出すと・・・・

2013年01月10日 | 社会
前回、赤熊、現代アートの考察をしたんですけど、実は書きたかったことはこれじゃないんです。

本当に書きたかったのは、
なぜ、芸術家、歌手や役者、広く言えば芸能人が社会問題に口を出してトンチンカンなことを言うのか?です。

あえて名前はあげつらいませんけど、こういう人は本当に多い。
まぁ、「頭が悪いから」とか、「勘違いしてるww」とかで切って捨ててもいいけど、そこはやはり考察しておく必要があると思うわけですよ。
なんでこういう風に晩節を穢すというか、ひとかどの人物が残念になるのか疑問を解決したわけですたい。

そういうわけで、色々考察・・・その前振りとして、訳の解らん現代アートを考察だったわけです。

で、赤熊が出した結論は、
「前から見たら丸だけど、横から見たら四角形です」
と言うことだと思う。

前から見る・・・というのは、要するに現実的に、まっすぐ、ありのまま見るってことです。
現代アートなんてただ意味不明の物体、そのものなんですよ。
それを横から見るってことは、トドのつまり現実的に見ないってことです。
意識を変えるというとかっこよく聞こえるかもしれませんけど、斜に構えると言うか、夢見ているだけですね。

つまり芸術家は非現実的に、現実を無視してものごとを見る人間たちであるってことです。
まぁだから喋れば喋るだけ中身のない非現実的な妄想の痛い発言になっていくわけです。

でも、政治は現実です。
真正面から見るだけのリアリズムの世界です。
だから理解できないのだろうなあ・・・と思うわけです。
特に、歌手とか演技者とか、なまじメッセージ性が強い芸術性の人たちは痛々しくなっていくわけです。

ですから、これからもこういう痛い人たち出てくるんでしょうね。
それはしょうがないことと諦めて、生暖かく見守っていきましょう!!

赤熊の芸術論

2013年01月07日 | スタンス
1年とちょっと前にこんなニュースが。

らばQ  8600万円が台無しに…清掃員が汚れと思って掃除したら芸術作品だった
http://labaq.com/archives/51711471.html

消されたのはこの作品のようです。


・・・・・こんなものに8600万円の価値なんてないと思うのだが。
そんな気もしますが、見る人が見るとそれだけの価値があるんでしょうね。

そもそも現代アートってなんなのでしょうね?

現代アート・・・基本的には印象派から始まってるっぽい。
その前のアートといえば、


レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ(1503年)



レンブラントの夜警(1642年)

とかの古典だよね。
比較的理解しやすい・・・というか、何書いてんのかわかる。
もう少し新しく、印象派の前までとなるとロマン主義かな?


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『氷の海』(1824年)


ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』(1830年)


有名な絵ですね。
何を書いてるのかはっきりわかりますね。

この後、1800年代後半に印象派が出てきて、ここから大きく絵のタッチが変わります。
タッチと言うか、絵がぼやけてるようになります。


モネの『印象、日の出』(1873年)


セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』(1904年)

明らかに絵の方向性が変わりますね。
それでもまだ何を書いているのかわかりますけど。

なぜ、このように変わっていったかというと、この時代にどうやら写真ができたっポイ。
写真ができたのが1800年代の初め、一般普及しだしたのがだいたい1800年代の半ばあたりですね。
それまで絵は写真だったわけです。
だから写実性が重視されていたけど、その必要性がなくなったと。
「写真でいいじゃんwww」だったんでしょうね。

ちなみに1800年代の半ばあたりはちょうど万博で紹介されたジャポニズムが流行ります。
何で流行ったかと言うと、単に異国趣味と言うだけでなく日本の浮世絵などが写実性を無視した絵だったからだと思いますね。
陰影法を無視したり、遠近法の取り方とか、デフォルメ具合とか・・・そういう技法がなかったり概念が違っただけですけど、それなのに芸術として成立している。
そこがうけたんでしょうね。
まぁ、確かに写実性を否定され腐ってたところに、全く新しい概念の絵を見れば熱狂もするか・・・。
そのおかげで写実性を追及しない印象派などの作品が成立するわけです。

この後、ピカソの訳の解らん女の絵(キュビズム)とか、ダリの熔けた時計の絵(シュルレアリスム)とかの理解しがたいもの、または漫画チックにリトグラフなどへと進化していくのです。

ま、その辺は置いとくとして、現代アートの話に戻すと、その走りはマルセル・デュシャンの『泉』(1917年)らしい。



・・・ただの便器にサインしただけのものです。
あと有名なのはアンディ・ウォーホルのマリリン(1967年)かな?



・・・・・・どこがアートやねん!!
ただの便器と写真に変わった色つけただけじゃねぇか!!
まぁ、『これぞ現代アート』って気もしますが、理解の範疇を超えてます。
いえ、理解がどうのというより、良し悪しすらわからないというか・・・。
何がいいのかさっぱり・・・うーん・・・。

別の現代アートの絵を見ても、だいたい同じ感想ですね。

多分ですけど、写真により写実性が否定されたので、写実性以外のものが重要視された結果なのではないかと思います。
要は写実性・・・つまり現実的でない秘められた精神性というか別解釈が必要になってるんじゃないかな?

ほら、あれですよ。
『ボールを見て、宇宙を感じろ!!』とかそういうやつ。
茶道で宇宙を感じるうんぬんとかさ。
無理だろとか言いたくなる、そういうの。

要は『前から見たら丸だけど、実は横から見たら四角形だったんです』みたいな?
見た人の視点を変えさせるもの、常識を変えるものこそが芸術になったのではないかと思います。(逆に言うと、視点を変えさせるものならばすべて芸術になる?)

なるほど、一般人には理解できないわけですね。
そんな視点がないからそもそも理解されないわけで、理解されるのなら現代アートじゃないのです。

・・・・あれ?
本末転倒じゃね?

いやいやいやいや、それを理解させるために視点を変えさせるものがアートなわけですよね?

ならば、今の赤熊には理解できるはずだ。
よし、これを踏まえて一番上の現代アートをもう一度見るんだ。
そうすれば現代アートのなんたるかが解るはずだ!!







・・・・・・一般人の赤熊には無理でした。(完)


あ、この記事は全て赤熊の勝手な解釈であって、美術史的に違う可能性が高いです。はい。
赤熊、美術は専門じゃないのであしからず。
違うって言われたら『そうなんですね』とお答えます。

2012.01.12 補記訂正

民主党は野党が似合う?

2013年01月04日 | 政治
去年、政権交代を果たしました。
今年は良い年になりそうです。
少なくとも経済は好転するのではないかとみています。

それはさておいて、野党になった民主党に、その与党としての能力のなさから、このように評されるときがある。

『民主党は野党がお似合い』

まぁ、批判しかしない民主党へのメッセージとしてはさもありなんという感じですが、これは間違ってます。

野党とは、与党に対するカウンターパートであるのも確かですけど、本質的には野党とは将来与党につくかもしれない政党なのです。
与党として能力がないというのであれば、野党としても能力がないのです。

要するに『いらない』ってことです。

いらないのに『野党がお似合い』と言うのは甚だしく不適切な表現です。
そういう慈悲(?)なのか知りませんが、即座に解党を迫るべきですね。

そういえば、確かな野党・・・とか自ら言っている政党もありました。(笑)
その政党も振るわないし、他の泡沫政党も振るわない・・・て言うかもう時代遅れの思想ですよね。
一体いつまで、こいつら残るのでしょうね・・・。