意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

テレビの生放送の意味

2013年11月27日 | 報道・メディア
テレビを見てると生放送であることがある。
朝の報道番組と昼のワイドショー、夜のニュースが主ですけど。
あとはスポーツ番組かな?

でも良く考えると、これらを生放送でする意味ってあんまりないよね・・・。
生放送だったとしても番組的には予定調和なわけで、シャンシャンで終わる。
それなら生放送にこだわる必要もない気がする。
まぁ、有名司会者が堂々とセクハラをするといったハプニングがおきるが、そうそう起きないものである。(これはダメなハプニングだけど)
さすがに結果が解らないスポーツは生放送の方がいいでしょうけど、他のジャンルの番組なら録画でも困らない。
困らないどころか、たぶん生放送の方が色々とお金がかかるわけでしょうから、特にメリットないんじゃ?
ニュースの場合、即時性も勘案すべきでしょうけど、ネットに負けてるわけで。(だからテレビニュースはそんなに見ない)
どちらかというとキチンとまとめられたものの方がありがたいです。

唯一あるとしたら緊張感が違う・・・のかな?
失敗できない、失敗しても編集でどうにかするでは気が違うでしょうし。
でもそれぐらいだよね・・・。
見てる側からするとそんなに違わないし。(面白くもないのに笑い声を入れたりする編集は勘弁だけど)

だから生放送の意味ってあんまりないよね。
手法として要らないんじゃね?とか思ってたけど、NHKの朝の連ドラ・・・の次の番組である『あさイチ』をみたときにきづいた。
生放送なのでスタジオで前の番組を見ており、オープニングトークとして連ドラの感想を司会が喋っているのである。
前からやってたのは知ってたけど、改めてみてやっぱりこのトークは面白いのである。
今やってるって感じがして。
瑞々しいというかなんというか、終わった途端の感想なので共感できるのである。
もし、このトークが見て1時間後なら何も思わないと思う。

やっぱり生放送はこういう共感性が重要なんだと思う。
たとえば、ラジオでも生放送してるけど送られた便りを読むというライブ感がある。
そこに強みがあると思う。(ただし、若干ずれてる気がする)

まぁ、テレビの場合、映像があるから演出として難しいと思うけど。(お便りを読み上げるだけなら録画でもいいしね)
そういう生放送ならでは!が無いようでは生放送しなくてもいいと思いますね。
なんで生放送なんてめんどくさいことしてるのでしょうね。

それにしても、NHKってコマーシャルの区切りがないのでこういうのは強みですよね。
民放、もう少し頑張れよ・・・。
このままじゃ潰れるんじゃね?

掛け算の順番

2013年11月20日 | 教育
ブロゴスの記事に掛け算の順番にこだわらないのはオカルトだ・・・という記事があった。

かけ算の順序にこだわる教師と出版社の皆様へ
http://blogos.com/article/73955/

算数なら正しいんじゃない?

内容を簡潔に言うと、
1冊100円のノートを五冊買った時の式として、
100×5も5×100も一緒なんだから、式をどう書こうといいんじゃね?
ってことなんですけど。

確かに掛け算には交換法則があるんだからどっちを先に書こうと同じなんですけど、問題はそこを問われているわけじゃない。
何でその数字になるのかだ。
それが分からないと教える意味ないよね?
式の意味が理解できないと応用が利かないわけで、たとえば割り算の時は式を入れ替えたらダメなのもわかってないと間違えるわけで・・・・・。
計算結果が一緒なら良いというのも暴論だと思います。
なんで間違えたかわからないというのは避けるべきでしょう。
掛け算だけだったら不条理だけど、全体を見渡せば合理的な教え方だと思います。


そもそも、同じになるからそれでいいやっていう考えは学問じゃないしね。
経験則(か、それに近いもの)です。
教える場合はきちんと教えるほうがいいのではないのでしょうか?


ところで、掛け算というのは単位を理解してするものです。(計算は全てだけど)

上の式の場合たとえば
100(円)×5(冊)=500(円)・・・これは間違いです。

正確には、
100(円/冊)×5(冊)=500(円)なんだよね。

より正確には、というか見やすくする場合、
5(冊)×100(円/冊)=500(円) と書くべきなんだよね。

実はここが一番大切な概念なんだよね。
教えるときこれがすっぱり抜け落ちるから変になるわけで・・・。

ただ、この単位計算は小学生には難しいです。
教えるのは難しくないけど、割り算も教えないとわからない概念なわけで・・・。

やっぱり順番をきちんと教えるのに意味がある(というか配慮?)と思います。

秩序を乱すものを敵という

2013年11月15日 | 社会
ブロゴスに変な記事があった。

現行制度は憲法違反? 未婚のシングルマザーにも「寡婦控除」を認めるべきか
http://blogos.com/article/73443/

もとは弁護士ドットコムの記事みたいですね。
大よその内容をいえばタイトルの通りですが、結論が変だし、論法も変。

この記事で最初に気になるのは、

>耳慣れない言葉ですが、『寡婦』とは、法律婚を経たうえで、死別・離婚によりシングルとなった女性を指します。

・・・・しょっぱなから間違えるってどういうつもりなんだろう?
寡婦とは『夫が死亡し再婚していない女性』を指す言葉です。
やもめ、後家、未亡人と同じ意味です。
単に離婚した女性を寡婦とは言わない。
耳慣れない、と断っておいて間違える?
ありえないだろう。

まぁ、おそらく制度上、離婚した女性も寡婦控除を受けることができるのでしょう。
だから、こういう間違えを犯すのでしょうね。
ただ同じ語彙で一般用語と専門用語の意味が変わる言葉は多々ありますが、そういう時に一番に気を付けなければならないことです。
それができないだけで、この記事を書いた筆者は信用にならないと結論づけれるものです。
もの知らずだと自白してるようなものなんですから。
もの知らずがが書いた記事に何の価値があるんでしょうね。

それぐらい酷いミスなのである。

それはともかく、記事の内容ですけど、残念ながら酷い。
寡婦控除を結婚してないシングルマザーにも適応させないのは不公平だと叫んでいるわけだが、そもそも寡婦じゃない、離婚しただけの女性にこういった控除は必要なのだろうか?
シングルマザーの厳しい懐事情は分かるが、未婚のシングルマザーだろうが、離婚のシングルマザーだろうが、結婚している母親だろうが、子供がいるならその父親から養育費を貰うべきだろう。
それが順当というものです。
夫が死亡し、それができないからこそ寡婦制度なるものを作ったわけでしょう。
この制度の成立過程が解らないが、おそらく『一般的な意味』での寡婦だけの控除制度だったものが、時代と共に離婚した女性にも認められた・・・ということでこんな変な名前の制度になっているのでしょう。
それを拡大して適用させるというのは、おかしいと考えるべきだ。

そもそも公平性を論じるなら、この寡婦控除制度を廃止し、子供の有無などの理由だけで親が一律に控除を得られるようにした方がよっぽど公平だろうに・・・。
公平というものが解っていない典型ですね。

てか、離婚しただけで受けられるのなら『寡婦』控除じゃねぇだろ!!ってそこにツッコミ入れろよ!!
寡婦じゃない人間に寡婦って失礼だろう!!
なにより『もと夫』は死んでいないのだから2重に、極めて失礼だ。
名称を変える様にしろよ!!

だいたい、こういう風に意味を拡大させて適応させていくとさらなる問題を引き起こすものである。
モラルハザード。
つまり結婚しない、または離婚(偽装離婚等)したほうが得、となってはいけないのである。
偽装離婚が正しい社会であってはいけないし、子供の父親が公的に不明である社会というのも避けるべきだ。
こういうことを許容するというのはモラルハザードを引き起こし、社会秩序を無駄に乱すのである。
それは結果的に不平等をもたらします。
社会秩序を考慮しない、この手の単なる平等論だけの下らない主張は止めるべきですね。

この手の表面だけの浅薄な平等論を主張をする人は左翼に多いが、彼らが嫌われるのはこういう社会秩序の守る仕組みを自由とか公平とかいう巧言令色な言葉で蔑ろにする点だろう。(赤熊には自由主義や平等主義ではなく、無政府主義・無秩序主義にしか見えません)

でもそういう態度は一般人に受け入れられることはないでしょう。
社会秩序を乱すものを人は『敵』というのですから。

特定秘密保護法案の疑問点

2013年11月12日 | 政治
現在、特定秘密保護法案が国会で審議中です。
簡単に言えば、軍事、外交、スパイ、テロなどの高い機密のある情報を漏らしたら処罰するよ!!っていう法案です。

・・・まぁ、通るでしょうね。
この手の法案がない国がどうかしているので、ようやくできるのかという感じです。

ただ、一つ気になるのは、審議されている現行案では内閣の承認でいくらでも機密期間を延ばせること。
30年でも50年でも100年でもいいから、公開時期を限るようにしておいてほしいものです。
じゃないと後の検証ができないしね。

そこは置いとくとして、ちょっと疑問がある。

特定機密に指定されたもので、明らかに国を毀損するものがあるとするならば、この責任はいったい誰が取るのか?ということである。
これは特に外交に関するものがあり得ると思う。

こういったものを機密にしてしまえば、後々、公開され検証したときに、その時の政府が責任をおえる話ではない。
しょせん過去の話なのである。
早くても30年後になるわけで、関係者の多くは引退したり亡くなったりしてるでしょうから、その時に改めて処罰するわけにもいかないでしょう。
そんなものとして諦めるか、だからと言って、機密が全て公開されるようでは困るし・・・。
まぁ、諸外国では同様の法律があるので上手く処理しているのでしょうけど、日本はこのあたりをどうするつもりなんでしょうね。

民主主義国家として、国民が隠さなければならないような毀損事案をださない人間を選ぶ必要があり、これから先『選んだ国民が悪い』と言えるほど国民は成熟できるでしょうかね?
まぁ、何十年前の話だから・・・とそういう結論になるかもしれませんが、尾を引く話にならなければいいと思います。
はてさて。

東京油田プロジェクト?

2013年11月06日 | 社会
てんぷら油などの廃油を再利用しようという動きがある。

TOKYO油田2017 OFFICAL SITE
http://tokyoyuden.jp/

要は、今は飲食店などの大量に油を使うところから油を回収して軽油の代わりに再利用しているそうなのだが、それを家庭から出る廃油にも拡大しようというお話です。

ふーん。
エコになるのなら悪い話ではないと思います。
でも、気になるところがただ一つ。

それって効率的なの?

使用済みのてんぷら油を回収して精製しなければならなわけですが、それをどうやって集めるのか?
今後増やしたい(回収ステーションが都内200カ所くらいある)とのことなのだが、そこに持っていくというのもそこから回収するというのにもコストがかかる話です。
確かに家庭から廃油がたくさん出ると思いますが、飲食店と違い、一家庭当たりの使用量はそう多いわけじゃない。
大量に出る飲食店から集める・・・というのも効率にやや疑問があるのですが、それに輪をかけて集めにくい家庭からとなるとエネルギー回収できているのか極めて疑問ですね。

・・・・およそ効率という観点から考えれば難しい気がしますね。

廃油は素直に新聞紙などに吸わせてゴミと一緒に捨てたほうが効率的ではないかと思いますね。
プラスチック類を分別するようになって、焼却場ではごみを焼くときに火力が足りずに燃料を足さなければならない、とも聞きますし。

結局、エコって全体を考えないと余計にリソースを消費するだけの単なるエゴになるんだよね。
まぁ、技術論的なことも考えないといけないから一概に効率が悪いだけでダメとはいえないけど、善意とかに頼らずに商売(ビジネス)になっている限りエコは成立することも事実なんだよね。
このあたりのさじ加減が難しい・・・。

ともあれ、
このエコ事業は『難のあるエコ活動である』と赤熊は疑問だけを呈しておきます。

山本太郎の問題

2013年11月01日 | 政治
参議院議員の山本太郎が園遊会で天皇陛下に手紙を直接、渡したのだとか・・・。

不敬とかなんとかじゃなく、ただただ破廉恥としか言いようがない。
それに聞けば、国会議員が天皇に手紙を出す場合の法律もあるのだとか。
だったらそれに従えばいいのに・・・・。
今回の件を本人は『天皇の政治利用じゃない』と強弁してるが、明らかに政治利用だし、そうじゃないというのならばパフォーマンスにしかならないのだが?
少なくとも園遊会ですべきことじゃないだろう。

そもそも天皇に直訴して何をしたかったんでしょう?
日本は議会制民主主義である。
主権を持つ国民が国会議員を選び、そこで話し合い決めるのである。
それをせずに直訴?
国会議員という立場の人間が議会を否定するなんて議員を辞めるべきだ。

さらに言うなら天皇というのは象徴であり政治に関わらないのである。
そんな立場の方に直訴しても徒にご負担をかけるだけでしょうに・・・。

二重三重、それ以上に日本という国を冒涜した行為である。


・・・・・ゴメン。
もっといろいろ書きたいことがあるけど、これ以上、書きたくないですね。
話題にするだけでけがわらしさがふつふつとわいてくる。
不快感しか残らない日本歴史に残る汚点である事件だ。
議員辞職決議案が出ると思うが、その前に辞めるべきだろう。