意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

民主党は岡田氏を辞任させるべきでしょう

2015年04月30日 | 政治
安倍総理の米国議会での演説がありました。

安倍首相米議会演説 全文(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html

・・・・リップサービスがすぎると思うが、別にケンカをしに行ったわけじゃないのでこんなものでしょう。
特段変なことをおっしゃられてるわけじゃなく、綺麗にまとまっていたと言えると思います。

ただ一点、安全保障法制に関して『必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現する』と約束されてますけど、現在、法案提出さえしてない状況なわけです。
民主主義の重要性を説いた口で、先じて公約してしまうのはちょっと・・・・。
もっとも安全保障に関するものを悠長に話し合うというのは害でしかないわけですから、感情的に引っかかる程度ものですけどね。


それに対しての民主党の岡田氏のコメントがねぇ・・・。

【コメント】安倍総理の米国議会での演説について
http://blogos.com/article/111224/

だめだこりゃ・・・。
あ、読まなくていいです、たいしたこと書かれてませんから。

前述の通り、一番重要なのは安保の関連法案がまだでてないことです。
なので、民主党としての見せ場は「どれだけ譲歩を引き出せるか?」に関わってくるのですが・・・終始一貫して批判だけ。

本来はこの演説に対して美点や一致点をあげ、そこから自民党との違いや批判をしつつ、ここに落としどころがあるというのをやんわり伝えるのが正しいコメントのありかたなんです。
こうも全面対決姿勢を出したら「話し合う気はありません」と言ってるようなもので、現状、与党が過半数を持ってるのですから強行採決をするだけで事足りるわけです。

一体、何がしたいんでしょう?
強行採決をさせるところを見せたい?
左翼勢力の衰退でもう誰も騒がないでしょうし、安保系は仕方ないと国民に理解されるのがオチですよ。
理解されなかったとしても、少なくとも民主党が支持されることはないでしょう。

民主党は岡田氏を党首に据えてますけど、さっさと首を切った方が良いですよ、マジで。
ここ最近のチョンボはこれだけじゃないしね。
まぁ、代わる人はだれかと聞かれれば黙ることしかできませんけど。

世襲を言い変えると

2015年04月23日 | 政治
世襲の話の記事を読んで思ったこと。

世襲が世界の潮流になってきた
http://blogos.com/article/110721/(ブロゴス)

・・・内容は読まなくていいです。
たいしたことは書かれてません。
アメリカの大統領選の有力候補者の民主党のヒラリー・クリントン氏と共和党のジェブ・ブッシュ氏をさして世襲が世界の潮流と言ってるのですけど、ブッシュ家はともかくヒラリー氏は夫が大統領ってだけで世襲ではない。
比べるならケネディ家だろう。
そういう事実誤認がある記事ですので読まなくてもいいです。
というか、世襲憎しで書いた適当記事ですね。


それはさておいて、世襲政治はダメだとか言われますが、赤熊はそうは思いません。
議席が約束されたものじゃなく、親が議員だった人が立候補すると言うだけで議員になれるかどうかは国民が投票で選ぶわけです。
よく、地盤(後援会)看板(知名度)カバン(資金)の引継ぎがあるからダメだとか言われますが、引き継いで何が悪い?
せっかくあるものを利用しないなんて、もったいないですから。

とかなんとか、つらつら思ってたんですけど、世襲というものの見方を少し変えればこれって『すごい』ことだよね?
引き継がせるというけど、言い換えれば子供や孫、その下の人間の人生を奉げさせているってことですから。
教育なんて易しい言葉で誤魔化してますけど、子供の人格を矯正させ、誘導し目指させ、素養をつけさせ、訓練させ、伸ばし・・・・・・そうやって奉げさせてるわけです。

まぁ、そんなケースばかりじゃないのでしょうけど、ハッキリ言って政治の世界において、どんなに志が高く、どんなに優秀であったとしても、一代で自らの理想を適えるというのはどだい無理な話で、となれば数世代かけてやるしかないわけです。
たたき上げとかを否定する気はないですけど、これから政界に入る、一世代目の人たちは子供や孫に人生を奉げさせる覚悟は持ってるのでしょうかね?
少なくとも世襲の人たちは奉げさせた人たちなわけです。
これを志のためって言われたら、究極的な奉仕ですよね。

こりゃあ、ポッと出の奴らが敵うわけない。

もちろん、そんなことない、世襲議員は楽するために引き継いだだけだ・・・というのもいいと思うけど、議員ってそんな甘い仕事じゃないし、少しはものの見方を変えてみてはどうかと思ったしだいでした。

議論なんて何もしていない

2015年04月16日 | 社会
先日、お昼の番組で夫婦別姓問題を取り上げていた。
お昼の番組だし、それほど深く掘り下げないだろうと思ってたけど、芸能人が訳もわからず印象論だけを語って終始していたのを見て、失望と言うべきか・・・まぁ、この程度だよねと思いました。
適切な人間をきちんと配置しなければ社会問題を語るのは辞めた方が良いなと感じました。

たとえば、番組内では夫婦別姓のメリットに、結婚しても仕事の業績の連続性が失われない、名前の書き換え(名義変更)をしなくて済む・・・としてましたが、これらはメリットではない。
『デメリットが無くなる』だけである。
これをメリットだと無邪気に信じてるのですから馬鹿馬鹿しい。

通常なら、こう考えるべきです。
デメリットがあるとするならば、夫婦同姓を選ぼうと夫婦別姓を選ぼうと不利益を受けてはならない。
なぜ、そんな姑息な抜け道を作らなければならないのか?
なにやら別の思惑が働いてるとしか考えられません。
そんな胡散臭いことに関わりたくもない。
少なくともメリット・デメリットの区別さえつかない人間の意見に賛成したいとは思いませんね。

そもそもこの問題の根幹は姓 = 苗字とは何か?でしょう。

苗字を個人をあらわすものとするのならば別姓が正しいし、
または血筋をあらわすものとするのならば別姓が正しいわけです。
逆に家族をあらわすものとするのならば同姓が正しくなるわけです。

これらのどれを取るかによって変わってくると思いますが、赤熊はどう考えるかと言えば、現在の法的な主旨や家制度の否定と言ったものを考えると、苗字とはその夫婦という共同体を表すものだと思います。(どちらかのものではなく2人のもの)
ですので、夫婦は同姓であるべきです。
共同体の名前であるのに複数の呼称があるのは変ですから。

ちなみに歴史的な経緯というのは赤熊は重視しません。
変えなければいけないときは変えるべきだし、それ以上に、苗字の歴史って面倒臭いんですよね。
氏を「うじ」と読むときと「し」と読むときでは意味が違いますし、姓も「せい」と読むときと「かばね」と読むときでは意味が違うし、苗字にしても地名だったり、職業・役職名だったり、屋号と言ったお店の名前だったり、渾名だったり、それらの合成だったり、極端な話「権助さんちの太郎君」というときの権助だって苗字なわけです。
加えて、公的に認められた姓が本物だとかそうじゃない私称も苗字だとかそうじゃないとか、面倒臭さは匙を投げるレベルです。
そんなの絶対纏まるはずないから、無視した方が良いです。

これが正しいかどうかは置いといて、こういう議論を経ないで法律を改正しよう、というのは可笑しいというか、それ以前に議論の俎上にも達していません。
何年たっても変わらない・・・と賛成派はこぼしてますが、そりゃ変わるわけないわな!!
議論なんて何もしていないのですから。


2015.04.17  訂正・補記あり

上西氏の除名より維新の党のガバナンスのなさが問題

2015年04月09日 | 政治
維新の党の上西百合子議員が除名処分にされた問題。

事の経緯を簡単に書けば、上西氏が病気による国会欠席をしたのだが、その前日に飲み屋をはしごして、その次の日に旅行していた疑惑が持たれているわけです。
要するに『ずる休みしたのでは?』と疑われ除名処分となったわけです。

問題は本人が否定しているということである。
ということは、あくまで疑惑であって真偽不明である。
あるのは状況証拠だけとなるが、医師の診断書も提出されている以上、それを信じざるをおえないわけです。

これを『いや、上西氏の行動は明らかにおかしい』と言うのならそれはそれで結構である。
ならば、党として最終報告書を出し、上西氏がズル休みをしていたと断定、それを持って処断すべきことである。
それまでは氏を守る必要性もないけど、少なくとも無言を貫くべきでしょう。

にもかかわらず、最高顧問である橋下大阪市長がいち早く辞職を迫ったのである。
・・・お前が選んで議員にした奴だろうに、そのお前が後ろから撃ってどうするんだ?
守る立場だろうに。

少なくとも上西氏の釈明の記者会見で隣に座って、本人は否定してるのに辞職を迫るなんてパワハラでしょう?(冗)
それを差し置いても品位の欠片もない姿でしたけど、その後の彼女の処分理由が品位を著しく汚す行為だそうです。

・・・橋下氏の方がよっぽど品位を汚してますが、いつ除名されるんでしょうね?(笑)

きちんと手順を踏んで適正に処分をする・・・それがガバナンス(統治)の基本です。
今後の統一地方選挙のために早急に幕引きを図ったのでしょうけど、理知ではなく利益のため・・・いえそれすらありませんね、単に気に入らないという感情論を振りかざしているだけなのですから。
もし、この政党が政権を取った場合、極めて危険なことです。
規模は違いますけど、同じことを民主党がやったのですから危険性がよくわかるというものです。

加えて言うならば、仲間を公正に扱えないと言うのは不満が溜りやすく、不満が溜れば、その分、問題行動も続発するでしょうね。
今回と違いマスコミのでっち上げの場合もあるでしょう。
その時、『話も聞かずにすぐに切られる』という認識を持たれていては人心が離れるだけですね。
人心が寄り添わない組織なぞ非常に脆い物で、そうやってみんなの党も崩壊したんですから。

そういう人たちが集まってできた政党なのに反省ができてない政党って、長くないだろうと思いますし、何かの拍子に政権を取ったら酷い目に合うわけです。
結局は維新の党は『選挙互助会』なんでしょうね。
そんな政党に税金を使ってるのだと思うと気持ち悪いということをまざまざと見せつけられた事案でした。


2015.04.10  補記・訂正あり

選挙って偏りを出すためにしてるんじゃない?

2015年04月02日 | 政治
フランスの県議会議員の選挙で男女ペア選挙がおこなわれたらしい。

簡単に言ってしまえば、男女ペアでないと選挙に出られない・・・つまりどのような結果になっても男女同数が議員になるのが利点らしい。
ちなみに男女ペアであればよくて、所属する政党や会派など一致しなくてもいいそうだ。(まぁ、同じ政党から出るでしょうけど)

単純に思ったのは・・・一体いつ性比が同じになることが政治や社会が良くなると証明されたんでしょう?
クオーター制もそうだけど、そんなこと証明なんてされてないっしょ。
なのに、それを好ましいことのように報道されているのである。

つまるところ選挙の意味がわかってないのではないかと思うのです。
選挙と言うのはより良い人間を選ぶことです。
有権者がより良いと思うのであれば、男女どちらであろうと構わないし、仮に女性政治家が多数を占めようと、それは選ばれたから結果だからそれで正しいわけです。

もう1つ、選挙って偏りを出すためにやってんじゃないかな?と思うのです。
たとえば、小選挙区というのは死票が多く生まれ国民の意思を反映してるとはどうしても言えないわけで、国民の意思を平等に反映させるには大選挙区制が正しいわけです。
しかし、それでは偏りが生まれにくく、ダイナミクスさと言うべきか、政治において最重要である『決断』ができなくなるでしょう。
そのため採用されてるわけです。

間接的ながらの選挙の効能ですよね。
もし、これらを否定するというのなら選挙そのものを否定して、国民の中から持ち回りでやっていけばいいのである。

これがマイノリティであると言うのなら一考の余地があるのかもしれないけど、そもそも女性ってマイノリティじゃないどころか男性より多いです。
投票母数が多いのに少ないというのは・・・女性が女性に投票していないからで、それはつまり女性が女性を望まないと言う悲しい現実があるわけですよね。
入れない理由まではわかりませんけど、つまるところ、適切ではないと思うから女性が女性に入れてないわけです。
もっと言うのならば、女性たちは政治家を性別では選らんでいないからこそ現状の偏りができているわけで、それはそれで判断としては正しいわけです。

ただ有権者数として女性が多いのにもかかわらず少ないのは参政権を得たのが遅かったから・・・という指摘があった場合、これを否定することは難しいです。
実績がある人間とない人間では評価に雲泥の差がありますから、それに後追いで並ぶのは難しいですから。

でも、だからと言って公平の原則を曲げてまでクオーター制とか男女ペア選挙を導入すべきかといえば・・・それもどうしても肯定しきれませんね。
それらを導入する前に、参画しやすい環境づくりを十全にしたうえでやるべきだと思うわけです。
例えば、現職と新人では現職の方が断然有利なのですから、多選を繰り返しにくい仕組みを作る・・・とか直接的に女性にどうこうではなく、間接的に入りやすくさせるべきだと思うわけです。
というか、本来そうあるべきで、直接、力を行使するのは最終手段であって、なるべく避けるべきことなのですから。

結局のところ、そういうことをせず原則を曲げてまで強制的に解決しよういうのは自分に都合が良いからであって、女性の支持を得やすいと判断してるから男女を同数にしなければならないとかいってるだけで、心底そう思ってはいないのだろうなと感じます。
どこまでいってもキレイゴト主義者です。

良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らう。
民主主義って常に試されているのでしょうね。


2015.4.3  大幅改定。論旨は変えてません。