意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

日本の病理 7  何かのせい病

2014年05月02日 | スタンス
美味しんぼの連載で、主人公が原発事故に取材に行ったら鼻血が出てきたと言う描写がして物議を醸しています。
住んでいる人にきちんと取材した結果と作者は言ってますが、現在のところ、放射能と鼻血の科学的・医学的な因果関係はありません。
放射線まみれの宇宙空間で長期生活をしている宇宙飛行士や上空何千メートルを航行しているパイロットに鼻血が止まらない・・・という話は一切聞かないので、おそらく今後も出ないでしょう。

ではなぜ、取材した人は鼻血が出たのかと言えば、原発事故とは関係なくたまたま出ただけでしょう。
鼻血が出た → 放射能のせいだ!!
という、短絡な話です。
ストレスといった関係性を表しにくい要因もありますが、おそらく原発事故がなくたって鼻血は出たのでしょうね。

そんな馬鹿・・・失礼、単細胞に取材してどうするんだ?ってありますが、もともとこの作者は『放射脳』と揶揄されるくらいの人ですのでさもありなんですが、因果関係がない物を因果関係があるかのように思うのは誰にでもあることです。

例えば、病気や怪我をした。
その時ちょうど厄年だったから、病気した、怪我をした・・・と言うのです。
当たり前ですが病気や怪我をするもので一切関係ないのです。
多くは自分の不注意か不摂生、老化による現象でしょう。
ただそれだけの話ですが、そういう風に『何かのせい』にして安心感を買っているってわけですね。

こんなものは厄年だけじゃなく、信仰や迷信、お呪いとか、占いとか、祟りとか、験担ぎとか、そういうオカルト的なもののことが多いのですが、じつのところ多数の意見や常識なんてものもなりえてますね。
いえ、科学でさえそうです。
いちいち何かにつけて科学的な検証なんてせずに『科学的に』を『真実』と判断して安心感を買っているのですから、同種の心理状態なんです。
そもそも科学って、再証明できること・・・なんて定義されてますけど、厳密に言えば、たとえば100回実験が成功したからと言って、101回目が同じ結果になるということは証明されていない(わからない)のです。
どうあがいても、それを証明することができませんから、まぁ、それが真実と『仮定しているだけ』ですね。
信用力の差が天と地ほどあるわけですけど、実のところオカルトと何ら変わりないわけですが、それをみんなで信じているだけだったりするわけですね。

とはいえ、このこと自体は非常に有用なことなのです。
一々、何かにつけて原因追及なんてしていては物事は進まないし、なにより人生疲れますから。
それに大抵の場合は信仰や迷信の場合、冗談とか雑談の種で心底信じていないし、科学なら大きな問題が出にくいからそれで良いのですが、それでも話題にする・なるということは多少なりとも『何かのせい』ということにしておいて精神の安定を図ろうとしている意図が読み取れるわけです。
原因がわからないことほど怖いことはありませんからね。
怖いというより、心理的な不安定な状態を嫌うのでしょうけれど・・・。

個人の中で収まるのでしたらどこまで行っても個人の問題にすぎないのでどうでもいいのですが、それで済まない場合は病気ですね。
護憲派がよくいう軍靴の足音とか、どこの幻聴だよ!!とか言いたいですが、彼らの中ではそういう風に(私たちにはわからない)関連付けをして安心してるんでしょう。
赤熊なんかは脅威に対して現実的に対処することで安心するのですが・・・政治の問題、風評といった大多数の人間が関わってくることでしたら、病気を通り越して害悪ですね。

てか、日本の病理などと表題に書いてるけど、これ自体は世界の、全人間の病気ですね。
人間はこれに付き合っていかなければいけないのか・・・。
何とも面倒臭い話です。

とはいえ、こういう根源的なモノから脱却すべきなのか、というとちょっと疑問視してる。
仮に脱却したとしてもその後に幸せが待っているかと言うと・・・・ちょっと考えづらいのである。
だって9条信じてる人たちって幸せそうじゃない?

はてさて、人類にとってはどちらがいいのでしょうね?


2014.05.05   補記訂正

世界的な流れだから(笑)

2013年05月01日 | スタンス
よく政治の議案の賛成意見に「世界的な流れだから」というものがある。
だいたい死刑廃止や同性婚、脱原発など左翼的な主張でされることが多いのですが、こんなクズみたいな理由を主張してほしくない。

世界がやっているから取り入れるんだ・・・こんな主体性のない意見をよくもまぁ、臆面もなく垂れ流せるものだと思います。
こういうことを言う奴らは世界中で『戦争をすべき・正しい』という意見がひしめいた時に、自分たちも『戦争をすべき』と主張するのでしょうか?
都合の良い時だけ擦り寄って、都合の悪い意見は知りませんじゃ、ただただ下劣なだけです。
いや、どんな時も『世界の意見は常に正しい』と一貫して主張するというのなら、それはそれで1つの意見として受け止められます。(ただし赤熊は一切、共感しませんけど)
が、そうじゃなければどういうつもりで主張してるのでしょうね。
こんな人間の意見など、一切聞かないべきでしょう。
それが正しい意見です。

そもそも民主主義において、ある事柄を決める・決断というものは自分たち意志で行うべきで外部の意見など関係ないのです。
その結果の責任は国民が全てとるんですから。
自分たちで決めて、自分たちで責任を取る・・・これこそが美しい(?)民主主義の在り方だと思います。

なので、世界の潮流など『1つの指標』程度に抑えておくべきですね。
だいたい、世界的流れ・・・であるのなら他の国がやってるわけで、どうやっても失敗というか、その制度の歪みや手が回らないところが出てくるわけです。
そういったところをよくよく観察し、参考にすべきですね。

ここ最近、赤熊は左翼をディスってばかりだな・・・。
本当に主張がクズイのですから仕方ありませんが、もう少しまともな左翼が出てきてもいい頃だと思う。

そもそもが間違っている移民政策

2013年03月24日 | スタンス
イギリスのロンドンで白人が少なくなってるようです。

【3/18 ロンドンから、白人の英国人が大量流出―10年間で60万人】http://fxya.blog129.fc2.com/?no=7803 政権ch

・・・どうやら移民が増えて元から住んでた白人たちが脱出してるみたいですね。
まぁ、ドイツのメンケル首相も『移民政策は間違い』って公言するくらいですし、他の欧州もだいたい似たような状況で失敗してますものね。
おおよそ、移民と元からいる者との間の文化的摩擦、宗教対立、失業率、治安の悪化・暴動、生活保護と言ったセーフティネットの負担増・・・などなどの軋轢を引き起こし、それらの問題より移民に来た国と受け入れた国との間で関係が悪化まで発展しているようです。
日本でも意味を入れようという話が度々、出されますが、同様に失敗するでしょうね。

では、なぜ移民政策は失敗するのか?
でもこれを考えてもさほど意味がないと思います。
個々の要因を考えても悪感情の問題ですから。

ですので、考えるべきはこっちです
なぜ移民を入れるのか?

もちろん労働力のためです。

国が豊かになると国民のほとんどに高い教育を施せるくらいの余裕が生まれます。
しかし高い教育を受けた人間がいわゆる3K(きつい、汚い、危険)と呼ばれる職場につくことを避けるわけです。
当然ですよね。
他に選択肢があるわけですから。
そのためにそういう職場は慢性的な人手不足になるのです。
なのでそういう職業がいないので移民にさせる・・・と言っているのである。

でもちょっと待って欲しい。
実はこのことが一番の問題点なのだと思います。

需要と供給・・・欲しいものがい多ければ値段が上がり、少なければ下がる。
資本主義において、これによりモノの値段が決まるわけです。
至極当然ですね。

で、なり手がいない・・・というのは『供給が少ない』ということです。
供給が少なければ買い手(需要)側はより多くのお金を支払わなければならないのです。

本来なら介護や看護職などで言われている3Kと呼ばれる職業・・・それが仕事なのですから内容は変えらるわけにもいかないので仕方がないのですが、

汚ければ汚いほど、
きつければきついほど、
危険であれば危険であるほど、

酬われるべきなのです。

この場合、金銭・・・給料でしか酬われないので最低でもそこを良くすべきなのです。
それが正当な方法なのです。

なのに、諸外国から人間を連れてきて供給を無理やり増やして労働力を安く抑える。
赤熊はここが一番の問題だと思いますね。
安直に移民を入れるより、その職業についた人間の待遇を良くすべきですね。(外国人かどうかなど問わずにです)

要するに、なり手がいないのではなく薄給でこき使える人間がいないだけですよね・・・。
現代の奴隷売買って感じがしますね。

2012.03.25  補記・訂正

赤熊の芸術論

2013年01月07日 | スタンス
1年とちょっと前にこんなニュースが。

らばQ  8600万円が台無しに…清掃員が汚れと思って掃除したら芸術作品だった
http://labaq.com/archives/51711471.html

消されたのはこの作品のようです。


・・・・・こんなものに8600万円の価値なんてないと思うのだが。
そんな気もしますが、見る人が見るとそれだけの価値があるんでしょうね。

そもそも現代アートってなんなのでしょうね?

現代アート・・・基本的には印象派から始まってるっぽい。
その前のアートといえば、


レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ(1503年)



レンブラントの夜警(1642年)

とかの古典だよね。
比較的理解しやすい・・・というか、何書いてんのかわかる。
もう少し新しく、印象派の前までとなるとロマン主義かな?


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『氷の海』(1824年)


ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』(1830年)


有名な絵ですね。
何を書いてるのかはっきりわかりますね。

この後、1800年代後半に印象派が出てきて、ここから大きく絵のタッチが変わります。
タッチと言うか、絵がぼやけてるようになります。


モネの『印象、日の出』(1873年)


セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』(1904年)

明らかに絵の方向性が変わりますね。
それでもまだ何を書いているのかわかりますけど。

なぜ、このように変わっていったかというと、この時代にどうやら写真ができたっポイ。
写真ができたのが1800年代の初め、一般普及しだしたのがだいたい1800年代の半ばあたりですね。
それまで絵は写真だったわけです。
だから写実性が重視されていたけど、その必要性がなくなったと。
「写真でいいじゃんwww」だったんでしょうね。

ちなみに1800年代の半ばあたりはちょうど万博で紹介されたジャポニズムが流行ります。
何で流行ったかと言うと、単に異国趣味と言うだけでなく日本の浮世絵などが写実性を無視した絵だったからだと思いますね。
陰影法を無視したり、遠近法の取り方とか、デフォルメ具合とか・・・そういう技法がなかったり概念が違っただけですけど、それなのに芸術として成立している。
そこがうけたんでしょうね。
まぁ、確かに写実性を否定され腐ってたところに、全く新しい概念の絵を見れば熱狂もするか・・・。
そのおかげで写実性を追及しない印象派などの作品が成立するわけです。

この後、ピカソの訳の解らん女の絵(キュビズム)とか、ダリの熔けた時計の絵(シュルレアリスム)とかの理解しがたいもの、または漫画チックにリトグラフなどへと進化していくのです。

ま、その辺は置いとくとして、現代アートの話に戻すと、その走りはマルセル・デュシャンの『泉』(1917年)らしい。



・・・ただの便器にサインしただけのものです。
あと有名なのはアンディ・ウォーホルのマリリン(1967年)かな?



・・・・・・どこがアートやねん!!
ただの便器と写真に変わった色つけただけじゃねぇか!!
まぁ、『これぞ現代アート』って気もしますが、理解の範疇を超えてます。
いえ、理解がどうのというより、良し悪しすらわからないというか・・・。
何がいいのかさっぱり・・・うーん・・・。

別の現代アートの絵を見ても、だいたい同じ感想ですね。

多分ですけど、写真により写実性が否定されたので、写実性以外のものが重要視された結果なのではないかと思います。
要は写実性・・・つまり現実的でない秘められた精神性というか別解釈が必要になってるんじゃないかな?

ほら、あれですよ。
『ボールを見て、宇宙を感じろ!!』とかそういうやつ。
茶道で宇宙を感じるうんぬんとかさ。
無理だろとか言いたくなる、そういうの。

要は『前から見たら丸だけど、実は横から見たら四角形だったんです』みたいな?
見た人の視点を変えさせるもの、常識を変えるものこそが芸術になったのではないかと思います。(逆に言うと、視点を変えさせるものならばすべて芸術になる?)

なるほど、一般人には理解できないわけですね。
そんな視点がないからそもそも理解されないわけで、理解されるのなら現代アートじゃないのです。

・・・・あれ?
本末転倒じゃね?

いやいやいやいや、それを理解させるために視点を変えさせるものがアートなわけですよね?

ならば、今の赤熊には理解できるはずだ。
よし、これを踏まえて一番上の現代アートをもう一度見るんだ。
そうすれば現代アートのなんたるかが解るはずだ!!







・・・・・・一般人の赤熊には無理でした。(完)


あ、この記事は全て赤熊の勝手な解釈であって、美術史的に違う可能性が高いです。はい。
赤熊、美術は専門じゃないのであしからず。
違うって言われたら『そうなんですね』とお答えます。

2012.01.12 補記訂正

やっぱり中選挙区にしたほうがいいかもね

2012年12月13日 | スタンス
毎度毎度思うのですが、小選挙区制って、やっぱり民意の反映されてないよね。

たとえば、今回の選挙で一番の激戦区は東京1区。
実に9人もの人間が立候補しています。
次点は京都4区の8人ですね。

かといえば、選挙区で2人しか候補者が出てない区もあります。
赤熊が確認できただけで7か所です。
いずれも自民と共産だけという、選択肢がないお寒い状況になってます・・・。

2人だけって、投票いかないでしょう・・・。
どっちが勝つかなんてわかりきってるし。
これで民意を正しく反映している・・・なんてよく言えるものだな・・・と思います。


かく言う赤熊のところも3人しかでてません。
8人とは言いませんけどせめて5人くらいは出てほしいですよね。
一票の格差が問題だ・・・などと言いますが、この選択肢のなさのほうがよほど深刻な問題だと思うのですが・・・。

まぁ、なので小選挙区は止めてもらいたいですね。
昔から言ってたんだけど、いい加減、中選挙区に戻してほしいです。

ただ、中選挙区制って、泡沫政党がいつまでも残るのは本位じゃないんだよね。

一番の問題は、例えば3人が受かるとして、そこに同じ政党の人間が複数立候補した場合、票を取り合って、どっちも落ちるということが起きるのがいけないよね。
複雑な手法を使えばなくせるのでしょうけど、簡単な選挙制度を目指そうと考えると、ちょっと難しいんですよね・・・・。

何はともあれ、この問題を解決して中選挙区に戻してほしいですね。

おまけ
なんか面白かったので、簡単に民主党政権の3年3ヶ月を振り返ったサイト。
・やる夫と振り返る民主党政権  哲学ニュース
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4355218.html


同性婚 反対 2

2012年03月03日 | スタンス
前にも書いてコメントをいただいて対話を重ねたのですが、文才がないのでコメントに対して上手く表現できませんでした。
なので、もう一度書き直したほうがいいかなと思って、改めて書きます。

結論から言いますと、赤熊は同性婚に反対です。
理由は『必要性がない』からです。

そもそも結婚(法律婚)という制度とは何か?
愛する2人が一緒になる制度・・・じゃないですよね?
法律婚の要件に『愛』なんて文字がないのですから。
求められるのは『両性の合意』だけです。
一緒にいたいだけなら同棲でも事実婚でもいいのです。
法律婚をする必要はありません。

では、なぜわざわざ国家がこんな本質的には意味もなく面倒臭い制度を作っているかと言えば、国民に子供を産み育てていく(させる)ための制度だからです。
これは関連するいくつかの法律を見ればわかりますね。
一番説明しやすいのは『近親婚の禁止』でしょうか?
愛する2人のための制度ならば、これを禁止する必要はない。
禁止しているのは、その2人の間の子供に異常が出やすいからですね。
さすがにそれはまずいということでしょう。

ま、要するに葬式が死者のためではなく『残されたもののためにある』のと同じようなもので、結婚は当人ではなくその2人の間の子供達のためにある制度であるってことで、それを陰に日向にサポートするために作られているわけです。
ですから、子供が生まれない同性カップルには認める必要・・・というよりそもそも法律婚という制度を作る必要がないわけです。

ちなみに結婚を『上記のためのもの』と断じるといくつか勘違いされるのですが、これはあくまで国家からみた結婚という制度の意義(考え)の話です。
当たり前ですが、これは個人から見た結婚に対する『考え』とは別の物です。
個人がどんな結婚観(愛のためであろうが、家のためであろうが)を持とうが、それはあくまでその人『個人の考え』であって、他の人にはまったくの無縁のものです。
それは国家も然り。
国家には国家の目的・・・・・その本質は国家(集団)の繁栄、それがひいては国民(個人)の繁栄(幸せ)に繋がることを目指すというものです。
法律婚の場合、その夫婦が子供への適切な教育などを通して、その子供が成長した時の社会への貢献といった投資のようなものが目的なのでしょうね。
・・・小難しく書いたけど個人と国家の『考え方が違う』から結婚という制度の考え方にもズレがあって、納得しにくいだけです。
まぁ、赤熊は国家の考えなんて無視して利用すればいいと思いますよ。

それともう一つ勘違いされますが、子供ができない、作る意思がない場合は『結婚してはいけないのか?』という問いをされます。
制度主旨に反するから『する必要がない』です。
ただし『する必要性がない』と言うだけで、止める理由も特にないので「勝手にすれば?」というところですね。
もしかしたら奇跡的に子供ができるかもしれませんし。
もちろん生殖能力の有無を結婚の要件にしてもいいのです(事実、結婚の要件に必要な国もあるし)が、わざわざ医師の診断書を付けて登録(結婚)させることにどれほどの価値があるかと言えば・・・・。
手間を考えれば調べるほどの価値はないでしょうし、それに養子を迎えるという方法だってあると思います。

このように必要ないのだから同性婚に賛成する必要がなく、もし、何らかの不都合があるのならそれは個別に対処すべきだし、それがどうしても無理だというなら認めるべきでしょうけど、現実問題そんなことはありません。
個別で対処できる問題しかありませんし、聞いたこともありませんね。

それでも『本人たちがしたい』というのだから認めるべきだ・・・という人がいると思いますが、はっきり言いますがこんな善意の押し付けは絶対に止めるべきです。
一番考えておかなければならないことは、もし同性婚という制度が不正、特に『犯罪に使われたらどうするか?』です。

今の婚姻制度も偽装結婚等の犯罪に使われているわけですから、当然、同性婚も犯罪に使われるでしょう。
想像に難くない話です。
っていうか、確実でしょう。

その場合、どうなるか?
迫害までいかないにしても、今より確実に白い目で見られるでしょう。
少なくとも「偽装じゃね?」と疑われでしょうね。
見られないように啓蒙すればいい・・・という意見もあるでしょうが、人間の心の中までは変えられないわけです。
現実になればそうなることは避けられないのです。

まぁ、それでも同性婚を望んだ本人たちは自業自得にしても、問題は同性婚を元々望んでいなかった同性カップルの人たちも巻き込んでしまうわけです。
その場合、誰が責任をとるのか?
誰一人としてとれないでしょう。

同性婚の件だけではなく全ての要件で同じことが言えますが、制度を変えるということは必ずデメリットが生まれるわけです。
完璧なものなどありません。
だからこそ、メリットを明確にして、善意ではなく必要性でこそ認めるべきなのです。
必ずイレギュラーというものが起きてしまい問題を起こすのですが、メリットを得ることを明確にして制度を変えるということは少なくともメリットを得ることだけは成功しているのですから、文句は出にくいのですが、善意だけで認めてしまった場合、誰も得していないのですから誰にとっても不利益なことにしかならないのです。。

『地獄への道は善意で舗装されている』という諺にもありますけど、それを地で行くのでしょうね。
善意が他者を傷つけたり、危険に追い込む事は良くあることですし、だからこそメリット・デメリットも説明できないものは認めるべきでないのは自明の理ですね。

同性カップルの方もこの手厳しい記事を読まれると思いますが、何の考えてもいない賛成者よりも赤熊のほうが優しいということはお分かりになられると思います。
強く言っておきますが、善意に騙されてはいけませんよ。
だって認められてしまえば誰のせいにもできないのですから。

2012.03.25 解りづらかったので補足・訂正
2012.06.14 同じく補足・訂正

物事の辻褄は合う?

2012年02月09日 | スタンス
世の中には辻褄というのがあっているものだと思います。

そういうのは現実の事例を出すより科学法則を思い浮かべたほうが理解しやすい。
質量保存の法則、エネルギー保存の法則、運動量保存の法則・・・。

これらは科学法則の基本ですが、要は『すべてのものは失われない』ということです。
失われているように見えて何らかの形でロスが発生しているだけで辻褄は合うということです。

世の中そういうものだよね・・・と思いつつ、ついついこの原則を忘れてしまう。

そう思ったのは、何かを比較するときに陥ることが多い。
例えば、国会議員の歳費の比較。
『日本の国会議員は諸外国よりも高い歳費をもらっている』
事実、数字だけを見ればその通りで、そのまま解釈すれば、歳費を削減する・・・という結論に達する。

でも、考えなければいけないのは前提として『辻褄が合っている』ということ。
つまり、『何故アメリカで歳費が少なくて済むか?』ということ。

これは奇妙だ。
アメリカの国会議員が日本の国会議員より少ないお金で活動できる可能性もないわけではないが、国家の規模・経済力・軍事力に相応したお金がかかるものです。
ということは、どこからか資金を得ているということです。
それは献金、特に個人献金でしょうね。

そういう仕組みがあって初めて減額できるわけです。
この場合、個人献金を推進する間接的な支援・・・税金の控除など。
誰が献金したかの補足できるシステム・・・国民番号等
そしてこの新システムがうまく機能するのか試した上で減額すべきことです。
最低でも3年・・・普通に5年~10年はかかるでしょうね。
こうしない限り、少なくとも政治家のモチベーションは下がるでしょうね。
儲からないのですから政治家のなり手・・・優秀な人物は就かなくなるでしょう。
(もっともアメリカ式になるとテレビ受けを狙う人が出てくるでてそれで問題が出るでしょうが)

どんなことでも本当はこういう辻褄があっていることを色々と考えた上で、物事を進めていかないといけないわけです。
でも、これって面倒臭いよね・・・。
いちいち調べるなり考えるなりして、それなりに時間がかかることですし
理解はしているのだけど、応用できてないのでしょうね。
でもやらないといけないことですよね。

反省しっぱなしだわ・・・・。
まぁ、赤熊だけでなく他の人もそうなのでしょうが少なくとも心がけることだけはしてた方がいいよね。
せっかく、科学法則を習ったんですから、応用しないともったいないです。

民主主義はどうやったら機能するか?

2012年01月07日 | スタンス
民主主義ってどうやったら機能するのだろう?

赤熊がここ最近考えていることです。
ちょうどいいので、今年のテーマにでもしようかな?と思ってますが、これが極めて難問です。
はっきり言って日本の政治は衆愚政治に陥っているんですよね・・・。
決して知的水準が低い国ではないにもかかわらずです。

それなのに、衆愚政治に陥るのはもはや民主主義の欠陥と言わざるをおえませんね。
これを解決するには・・・・・。

こういう時は理想を語りましょう。
そうすれば、解決の糸口が掴めるってものです。

・・・・たぶん。

赤熊の理想は、投票する者が明確に投票する理由を説明できれば良いと思ってます。

「テレビでよく見るから」は論外で当然ですが、「変えてくれそう」とか「なんとなく良さそう」といった曖昧な理由も不可です。
特定の法案に賛成・反対や、仮に「変えてくれそう」ならば、『どのように変えてほしいのか』『どう変わればいいのか?』を理論的に説明できなければならないと思います。

おおよそ、多くの人がここができていないのですよね。

ちゃんと考えたうえでの一票ならば、赤熊はどんな政党でも・・・たとえそれが、売国政党である民主党や社民党でも投票してもよいと思います。(といっても、きちんと説明できるのであればこのようなクズ政党には票を入れないでしょうし、自然と淘汰されていくでしょう)

要するに、国民全員に『きちんと考えてその投票行為に責任を持て』ということですけど、問題はこれをどうやってするのか?
困難極まりない。
だって、少し考えれば何も考えていないとモロバレのマニフェストを掲げた民主党にホイホイと票を入れるのですから。

やはり教育なのかとも思いますが・・・・。

口酸っぱく言い続けるしかないのかな?
でも、テレビに出るコメンテータと呼ばれる連中の劣悪さを見れば、それも期待できないし・・・。
はてさて。

どうやって、民主主義を衆愚に陥らないようにしないとならないか、今後の検討課題です。
ゆっくりとでも考えていきたいと思います。

日本の病理 6  平均崇拝病

2011年10月22日 | スタンス
日本人は『平均』というものが解っていないと思います。
もちろん、辞書的な「いくつかの数や量の中間的な値を求めること。また、その数値」といった意味は解っているのでしょうけど、何のために平均を出すのかという意図が解っていないのです。

例えば、学校のテストの平均点。
平均を何のために出すかと言えば、テストの難易度を見るためです。(または授業の出来不出来をみるためか?)
はっきり言えば、平均点が何点であっても自分の成績には一切関係ない。
テストにおいて一番大切なのはそのテストで解らなかったところを勉強しなすことです。
それ以外にない。

要するに平均を出すということに意味はあっても、平均そのものに意味がないのです。
ま、平均なんて自分以外の『誰でもない誰かの数字』でしかないですしね。

でも、日本人はそれが解っていないのですよね・・・.
議員の数、公務員の給料、たばこの値段とか、何かにつけて『平均が~』とか、『世界平均では~』というのです。

じゃあ、『全てのものを世界平均通りにすれば良いのか?』と言いたくなります。

制度には必ず、意味や主旨があり、それを踏まえてからメリット・デメリットを勘案しなければならないのです。
そこには平均などというものは微塵も入り込む余地はないのです。

結局のところ、平均を持ち出す人はそれを論じるだけの根拠を持ち合わせていないのです。
だからこそ、平均という、一件すると正当性があるっぽいだけの価値のないものを持ち出すわけですですけど、論理性を無視した議論になど何の意味があるのか・・・・。
全く価値がないどころか、誤った判断をしかねませんね。

平均を持ち出す前に、平均というものの意図を考えてほしいという話でした。

同性婚 反対

2011年06月29日 | スタンス
アメリカのニューヨーク州で同性婚が認められたそうです。
今まで、他の5州で認められてましたが、ニューヨークという最きな州での認可で大賑わいになっているそうです。

まぁ、それはさておいて、
世界的潮流だとか抜かして日本でも主張してきそうそうだな・・・と思い、赤熊の考え方を先に書いておこう。

同性婚、反対!!

理由は赤熊が保守だから・・・ではなく、単純に制度目的が理解できないからです。(※)
同性愛に関しては双方が納得しているのであれば、他人がとやかく言うことではないというスタンスですので、あしからず。

結婚という制度の目的は『子供を産み育てていくための制度』でしょう。
結婚という制度を、なぜ国家が認めているのかというと、それが国家として『利益になる』からです。
子供を産み、次世代を担う人間を育てる・・・それが国家の繁栄につながり、ひいては国民の利益につながるのです。
だからこそ、夫婦に便益を図り、結婚関係を破綻させる行為に関して罰則があるわけです。
同性カップルの場合、子供が生まれないのですから、そもそも結婚というものは必要ないのです。

だいたい国家が個々人の問題に口を出すべきではない・・・とも思います。
結婚というのは『個々人の問題そのもの』なのですから、国家がわざわざ乗り出して認める・認めないなど可笑しい話で、勝手に2人で結婚したと言って、周りから認めてもらえばいいだけでしょう。

そういったわけで、そういうわけで赤熊は反対しているのです。
将来的に同性間で子供ができるようになる技術が確立すれば賛成するかもしれませんが、それはその時になって考えればいいことだと思います。
もっとも、基本的には不自然なことですので・・・認めないかもね。
まぁ、それらも含めて将来の課題だと思います。


※ 赤熊は別に保守じゃないです。革新でもないですけど。


質疑応答を受けて、改めて書き直しました。
同性婚 反対2
http://blog.goo.ne.jp/matuba96/e/1f5d9749dbbffe1d7a6da9fa2fc6bb6b

人は生きたようにしか死ねない

2011年02月15日 | スタンス
無縁社会、孤独死といったことが問題となっている。
確かに、誰にもみとられずに何か月も放置され腐っていく・・・というのはおぞましいことである。
それを多くの人が恐怖し、問題になっているわけです。

でもね、人は生きたようにしか死ねない。

『生』と『死』は対立概念・反対概念のように扱われているが、赤熊は表裏一体であって、同じものだと思っている。
『どう死ぬかというのは、どう生きるか?』であって、誰にも看取られずに死ぬのはそういう環境を自ら作ったからです。
誰かと一緒に住んでいれば、孤独死など起きないのです。
人と関わって生きるのは非常に気を使う・面倒くさい事で、それが嫌だと思い、独りを選択したのですから自業自得でしょう。

信念とかいうほどのたいそうなものではないけど、赤熊は自業自得であるならば受け入れるべきだと思います。

「何でも良い」と答えられるのが嫌という人間が赤熊は嫌い

2011年01月28日 | スタンス
よく「何でも良い」と答える人が嫌だとかいう人がいるが、赤熊はそういう奴が嫌いである。
何でもよいと答えるときは本当に「何でもいい」のである。

例えば、質問の定番「何が食べたい?」であるが、
質問するほうは食べたいものや作れるものをあれやこれや考えて話を振るのでしょうが、聞かれる方はそんなこと一切考えていない。
急に聞かれても思いつかないのだ。
そのため「何でもいい」としか答えられないわけですけど、それに対して「答えになっていない」と憤慨するのである。

どないしろっちゅうねん!!

だいたい、食べたいものがあれば言うに決まっているだろ!!
『特にない』から『何でもいい』のである。

こいう質問をすること自体は否定しないが、満足な回答が得られないことも許容すべきだろう。
それで憤慨するのは単に聞く方の我儘です。

そもそも質問というのは曖昧に聞かれても答えようがない。
無限にある選択肢の中から、1つの結論を出すためには選ぶには根拠が必要なのです。
この場合、食べ物に優劣をつけないといけない。
でも、普通の人間は食べ物にランキングなどつけていないのですから、そもそも選ぶ根拠など持ち合わせていないのです。

なので前提条件をいくつかつけて回答範囲を狭めてから聞くべきだろう。
例えば「今日は寒いから、温まるものがいいよね? 何がいい?」と聞かれれば、あとは鍋くらいしか思いつかないので何鍋にするかの好みを言えばよくなる。
それくらい思いやりを持って質問してほしいのですよ。

っていうか、何でもいいと答えてくれた方が、楽だよね。
自分の好きなものを食べれるんだから!!
・・・四の五言わずに、自分の好きなものを食べればいいのです。
そっちが一番ストレスフリーです。

TPPに反対!!

2011年01月14日 | スタンス
赤熊はこれまで、一切TPPに関して触れてきませんでした。
これが良いのか悪いのか判別がつかなかったから触れなかったのですが、いつまでもそれではいけないと思い、結論を出しました。
(TPPとは環太平洋戦略的経済連携協定の略で、簡単に言うと『太平洋に面している国で貿易するときの関税を撤廃しよう!!』というものです)

TPP、反対!!

なぜかっていうと、政府が主導して、マスコミが肯定的で、国民が反対しない。
・・・・・国の在り様を変える根本的な制度にもかかわらず、どこも否定しないって、どういうこと?
胡散臭いこと、この上ない!!
これに比べれば些細な改革である郵政民営化だって賛否両論がありましたし、消費税にいたっては否しかありませんでした。
そう考えると、明らかにミスリードされてると感じますね。

まぁ、こんなのは印象論でしょうから、もっと別の理由を述べましょう。

まず、TPPの参加国・参加予定国の中で主要国はアメリカだけである。
そこに日本が加わる・・・となると所詮、日米間の関税撤廃でしかなく、それに何のうま味があるのか疑問だ。
農産物がアメリカ(またはその他)から大量輸入されるようになり安く手に入るだろうけど、それはデフレを呼ぶということだ。
現在デフレで困っていたんじゃなかったっけ?
だからと言って海外に進出した工場・・・例えば、トヨタのアメリカ工場が閉鎖され日本に戻すかといえば、ありえないだろう。
かえって 現地で作って現地で販売したほうが効率がいいのだから、市場が大きいアメリカのほうに移転してしまわないか?
デフレは『通貨が強くなる』ということですから、輸出を考えれば なおさら日本から企業が出ていくでしょうね。
要するに、メリットがないどころか、デメリットのほうが多く目につくのである。

ついでにいうと、日本の農業が競争力を持たない主因は、物価の高さ・・・人件費の差に起因しているのである。
たとえば、中国は日本の何十倍もの土地を持ち、平均給与は10分の1ほど。
同じ野菜を作るにしても何分の1かで作れるわけで、その状況で大量輸入されれば太刀打ちできるわけがない。
その状況下で国を開く?
ただの自殺行為だろう。

ここを是正する方法は通貨を安くする以外にないわけで、例えば、現在1ドル80円強といったところですけど、これが120円前後になっただけで、何もしなくても外国人は日本から3~4割安く買えるわけだ。
関税撤廃しなくても安くなるわけで、なら、こっちのほうを是正すべきじゃない?
そもそも、日米間の関税ってそこまで高くないでしょう?
これが日本の景気が良すぎて「円高になった」のなら、まだTPPを導入する理由もわかるけど、現在の円高は通貨安戦争のために円高になっているだけです。(というか、それを民主党政権が放置したからですが)
TPPより、よほど深刻な事態なのに、それを放置してTPPだなんて・・・愚かしいとしか言えないですね。


あと身土不二という考え方に反しますよね。
身土不二・・・・・人は自分が住む土地でとれたものを旬に食べるのが健康に良いという考え方で、ここから派生して「なるべく身近なものを食べようよ」ということです。
何が何でも地元でとれたものを食べるべきだとは言いませんけど、地元のものを食べたほうが新鮮で効率的です。
食べ物が物理的に作れない・作りにくいというのなら いざしらず、わざわざ余計なエネルギーを使って輸入するなど無駄でしょうに。
もったいない もったいない。
まぁ、この考えは感情論に近いから無視してもらっていいけど、少なくとも現地の人間が食べもしないものを大量に作り、それを大量輸入することを悍(おぞ)ましいと感じてほしい。
それだけでも十分悍ましいのですけど、目の前で作った食べ物を食べずに輸出して、自分たちが食べるものは輸入するなど、悍ましすぎますよ。

それから、これを推進しようといういう連中の言い分が気持ち悪いのである。

TPPを推進して農業改革をすべきだ!!

こう主張するのはリバタリアンが多い。
確かに農業改革は必要でしょう。
でも・・・である。

TPPは目的ではなく、あくまで考え方の一つ・・・手段なのである。
別にTPPに『参加しない』から農業改革をしなくて良いわけではない。
参加する・しないに関わらず、改革は必要なのです。
そして、その改革には参加しようがしまいが共通する改革も多いでしょう。

最低限、そういう共通部分の改革をした上でTPPを検討し、導入する方が良いと判断するのなら理解できるが、TPPのために農業改革しようなどというのは順番が逆だろう。
こういうのを本末転倒というのである。
手段と目的をはき違えて成功するわけがない。

もしTPPが導入されなければ、最低限必要とされる改革までも否定され、棚上げになる可能性も非常に高いのである。
リスクとリターンを勘案すれば、この本末転倒の考え方がいかにリスクが高いことくらいわかるだろう。
博打と同じ話なのである。
仮にここで成功したとしても、それに気を良くして次に同じように改革するだろう。
そしてそれが成功するとは限らない。
だいたい こういうものの末路は最後に素寒貧になるというのがお決まりパターンだ。
個人の責任で博打することは止めないが、大多数に影響のある国政で博打をするのは止めてください。

以上のように、TPPをするにしても前段階があるわけで、その部分の議論さえせずに一足飛びにTPPを語るなど意味不明でしかない。
そういうわけで、赤熊はTPPに反対なのです。

2010.1.20 追記
比較的、赤熊の意見に近い意見がありました。

たまねぎ通信さんの『TPPは日本に不利なルール (渡邉哲也氏編)』
http://tokiy.jugem.jp/?eid=762
同じく  『TPPの開国論は異常 (中野剛志氏編)』
http://tokiy.jugem.jp/?eid=763
ただ、赤熊はお金を刷ればいい・・・という意見には与しません。

赤熊の理想の政治形態

2010年10月31日 | スタンス
ちょっと時間がないので手抜き!!

今までの赤熊の提言でした政治形態を纏めてみました。

市町村の廃止
赤熊は市町村 議会の意義を感じません。
どちらかといえば、惰性で続いている気がします。
勿論、がんばっているところもあるんでしょうけど、国・都道府県・市町村の3層構造になっていては やはり効率が悪いです。
昔は交通インフラや情報速度などを考えれば、小さいほうが便利だったんでしょうけど、今は相当早くなって着てますしね・・・。
地元住民の単位として、意見集約のためにも市町村は残すにしても、小さな議会などは不要ですね。
都道府県に集約させるべきです。(北海道など議会が大きくなりすぎるのなら分割してもいいと思います)
これにより、政治コスト(議員の歳費・選挙費用)も大幅にカットできます。

衆参の選挙形態
参議院が衆議院のカーボンコピーと揶揄されてます。
現在は衆議院と参議院を同じ小選挙区なので、両方とも2大政党化します。
これならば、二院制にしている意味がありませんね。
一院制で十分です。
やはり役割を変える必要性がります。

衆議院は小選挙区単独で二大政党化させ、
参議院は中選挙区比例で多党化させる。

要するに、衆議院で大枠を決めて、参議院で細かいところを決めていくわけですね。

参議院を4年に短縮
参議院の解散なしの任期6年というのはさすがに長すぎですね。
衆参の選挙方式を変えるのなら、頻繁に選挙を行なって『思想の新陳代謝』をよくするべきでしょう。
とはいえ、毎年選挙をしていたら選挙費用が膨大にかかるでしょうから、任期を4年、半数2年改選すればいいです。
なお、オリンピックイヤーと同じ年に選挙をすれば、認知度も上がると思いますので、同じにしましょう。

地方選挙を参議院選と一緒に
2年に1回参議院選挙があるのなら、同日に都道府県の選挙をした方が安く上がるってだけです。

10年で国替え
国会議員の地元との癒着・・・てなモノが問題なわけです。
なので、癒着できないように10年以上で同じ選挙区で出れないようにすべきです。
癒着や世襲を完全に無くすのは無理ですが、ある程度、抑制できると思います。
ポピュリズムに走りやすくなるのが欠点ですけど。

究極!!
立憲天皇制にしよう!!!
英国のエリザベス女王のような内閣に助言をなさるお立場になって欲しいと思ってます。


・・・・・・・・といったところかな?
無理筋なものもありますが、よくなると思いますよ!!

右翼も左翼もナチスもリバタリアニズムも全て一緒

2010年10月19日 | スタンス
まず、謝ります。
昨日のエントリー訂正します
あまりにも中途半端でした。
なので、改めてはっきり書こうと思う。

なぜこんな中途半端になったかというと、ノーラン・チャートのせい。



この4つの領域の考えの中で、リバタリアニズムが一番まともではないかと共感したのです。
不覚です。
要するに、解りやすく見える図に思考停止してしまったのです。
それでも赤熊はリバタリアニズムではなかったので、せめてもの抵抗で、あのような曖昧模糊なエントリーになったのです。
赤熊はリアリスト。
この4つの領域の考えのどれにも組していないのです。

それを強く思い起こしたのは、下の記事を読んだから。
∩∪∫!┗□9  - n u s i l o g -
「高利で貸す」のは悪いのか

タイトルからわかる通り、リバタリアニズムの はしりみたいなもので、記事自体はさほど興味を引かない。
が、この文章の中であるフレーズが引っかかった。

>その視点は、「高利で貸すのが悪い」のではなく、高利貸の回収方法や、借り手への金融教育(と、いうよりこの場合は借金教育だ)の不徹底が悪いという目線を与えてくれるわけだ。

教育すればいい。
それはもちろん、その通りである。
こういうブログを書く人達は頭が良い、理解力が高いのでしょう。
だからこそ、彼らは とあることが理解できていないのです。

それは、
馬鹿は底なしなのだ!
馬鹿は底なしなのだ!!
馬鹿は底なしなのだ!!!

つい3度も書いてしまったが、これが事実なのである。
残念ながら、痛い目を見ても解らない人間というものがいるのだ。
「なんで、こんな簡単な問題ですらできないのか?」と頭を抱えることも多いのである。
そんな人間は教育ではどうしようもないのである。

でも、リバタリアン系の人は同じ人間だから教育さえすれば、機会さえ与えられれば、自分と同じレベルの考えに達すると考えているのです。
でもね、そんなことはありえないのだ。

当たり前だが彼らは別に知的能力が劣っているというわけではない。
騙されやすかったり、注意力が散漫だったりするだけだ。
そういう性質を持っているだけなのです。

だから、リバタリアニズム・・・自由を推奨するなら、自己責任の名において彼らを社会の底辺に追いやることになる。
・・・それでいいのだろうか?
だいたい、問題が起きたので教育により知的水準を上げて対応しようなんて、問題解決してないです。
あと、知っておかなければならないものって膨大だよね。
誰もついていけないんじゃ?
最終的には天才様だけが恩恵に与れない社会・・・別の意味での階級社会、硬直化した社会になるのではないかと思います。

まぁ、そこまでいかないにしても、膨大な教育を施さないといけないわけで、それが最終的に社会のコストと見合うのだろうか?
それに、どんな教育を施しても覚えきれない人間というのはいるもので、そういう人間が供給され続けていくわけです。
騙される人間は後を絶たないでしょうね。
あくどい人間が はびこるだけだと思いますね。

ちなみに、この人達を救おうと考えている人達が左翼、社会主義者。
彼らを救うため、規制をしようとする。
でも彼らも、馬鹿は底なしだということが理解できないため、馬鹿がでるたびにどんどん規制をして雁字搦めに固まっていくのである。

こうして考えると、リベラルもリバタリアニズムも発想の根底が同じで結果が同じになるのではないかと感じます。
カードの裏と表なのではないでしょうか?(4区分あるのだから正四面体というべき?)
だから赤熊はどれにも組しないのです。