意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

一体いくらの税金がかかってるのかを知っておくべき

2013年09月27日 | 政治
消費税の増税の有無が来週にも決まるそうです。
するするとマスコミが言ってますが、マスコミなんて信用してませんので現段階では判断がつきませんね。
しかしながら、そのような関係でテレビや新聞、ネットといったところで消費税が盛んに議論されてます。

ただ、赤熊、その議論を見聞きしているのですが、すっぽり抜けている点があると思います。
消費税に関わらず税金に関して考えないといけないこと、つまり『税金はいくら必要なのか?』ということです。

例えば、日本の国家予算は一般会計で約100兆円です。
特別会計は400兆円を超えてます!!
合わせれば500兆円・・・なんてことはなく、どういう計算で算出されてるのか知らないけど繰り越しや一般会計との重複部分などがあるのでおおよそ240兆円くらい必要、と言われてますね。
かなりのお金を使って国を維持してるわけですね。

まぁ、特別会計は置いといて、一般会計だけでも100兆円かかっており、これを日本の人口1億2000万人で割れば、一人当たり80万円強です。
つまり、国民1人当たり80万円の税金を納めないと国を維持できない、それだけの恩恵を我々は受けている、ということですね。

・・・・・・80万円も税金納めてる?

大抵の人はこんなに納めてませんね。
これを所得税だけで収めようとすると、年収600万円で77万円くらい(他の控除なし)ですから、それ以上を稼がないといけないわけです。
しかもこれ、生まれたばかりの赤ん坊から棺桶に片足を突っ込んでる年寄りまで全員での話です。
さすがに赤ん坊に払ってもらうわけはいきませんから、労働者で賄うことにすると日本の労働可能な人口は約6500万人ですから、一人当たり約2倍の150万円の税金を納める必要があると・・・。

所得税だけだと900万円以上稼がないと無理です。
しかもこれ、特別会計の大半である社会保障費は抜いてですよ。
それ入れたら・・・ええっと、概算で年額370万円くらい?
これだけの税金などを納めないといけない?
しかもこれ住民税抜けてるよね・・・・。

何そのムリゲー?
怖いんだけど。

実際には、法人税とか各種間接税とか色々あってそこまでおさめなくてもいいと思うけど、こういう風に考えると、ほとんどの人間は国家の恩恵のただ乗りをしているわけです。
耳に痛い話だけど、こういう話をきちんと知ったうえで、共通認識にしたうえで、税金の問題を語らないとどうしてもチグハグな議論になるんだよね・・・・。
これを知っているからこそ、税金を上げるなとか、無駄を省けだのが活きていくのだと思うのだけど、なぜか誰も語りませんね。
何故なんでしょうね?
チグハグな議論になりやすいのでそのあたりを気を付けてほしいと思います。

学力テストの校長名公開の問題について

2013年09月24日 | 教育
静岡県知事が教育委員会の反対にもかかわらず、学力テストの上位学校の校長名を公表した問題。

その言い分として、静岡県知事はこういうものを掲載されてます。
県民の皆様、特に先生方に(「全国学力・学習状況調査」に係る校長名公表)
http://www.pref.shizuoka.jp/governor/governor20130920.html

ちなみに公開反対の教育委員会の言い分は、
過当競争になるとかなんとか・・・。

・・・・・・。
学校名と校長名は違うのです。なぜなら、学校は変えられないけど校長は変えられるからです。(キリッ)

と言ってますが、どう考えても詭弁です。
平均点なんぞ、誰の成績でもないのですから何の意味もないでしょうに。
そういう理由だったら、校長先生が受け持つ学校の過去のデータを公開すべきじゃない?
その校長がいるから、指導が良くなったのか、それとも悪くなったのか・・・。
そこを見比べなければ意味ないでしょう。
仮にそのような意図だったとしても、公開する理由にならないと思う。
そんなもの内部資料でしょう。

そもそも、この手のテストの点数自体にさしたる意味はありません。
学力テストの目的というのは習熟度を見るために行うのでしょう。
ならば、クラス別でみるべきだし学校別で出されても意味ない。
いえ、それ以前に誰がどれほどできるか、できないかを把握して、できないところをどう教え直すか・・・でしょうに。
学校のテストって、本来そのためにするんだよ。

しかしそのことを忘れて、順位や点数に目がいってしまってそれ以上のことを考えないのですから、見誤らせる害毒ですね。
よく国際学力テスト、日本○位でした・・・とか言うのもあるけど何の意味があるんだと常々思います。

てか、点数だけでいいならテスト対策すればいいわけで、却って指導の良しあしが解らなくなるんじゃね?
学力テストの問題を毎年のように変えるわけにはいかないのですから内容はほぼ同じでしょうし。
何のためのテストなんでしょうね。

公開は頑張ってる先生を助けるためにするんだ・・・とか言ってますが、助けになってないどころか重しになってる気がする。
まぁ、教育委員会の言い分もおかしいけど、この人の言い分もまたおかしいわけでそこはドローってことでいいですが、割を喰らう現場の一人負けって所ですね。
本当にしょうもない事態です。

こうやって自分の首を絞めるのかも

2013年09月20日 | 社会
Yahoo知恵袋で、こんな質問がありました。

これはクレームを言っても良いレベルですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113330588

ごくかいつまんで言えば、
サプライズで彼にマフラーを編んでプレゼントしたいので、毛糸をネットで頼んだら、時間指定をしていたにもかかわらず2時間早く来た。
それで彼にばれそうになってモヤモヤするのでクレームつけたい―――といったところ。

・・・・・赤熊なんかは商品が無事に届いたのであれば、それでいいいじゃないか?と思ってしまう。
これが朝早くとか夜遅くといった常識外の時間に来たのならクレームつけたいが、時間が多少前後するくらい何の問題があるんだろう?
てか、早く来たらむしろラッキーでしょう。
事情があって時間指定してるんだ、というのなら配達員にだって事情があるだろうに・・・。
そんなものはお互い様だと思うのだけど。

ついでに言うと配達員って委託でしょう?
車やガソリン代などは手出しでしょうから、たぶん一件当たりの配達料って数十円くらいじゃないのかな?
そんなことを考えたら、多少のことは笑って快く受け取ればいいのに・・・と思う。

だから、ちいせぇなぁと思いながら、回答を読んでみたら、時間より早くきたらクレームをつけるべきだという意見が多数。
全部は見れなかったけど、7割くらいそうじゃないかな?

回答に多いのは、早く来られても手が離せずに困る、だからわざわざ時間指定してるのに・・・とあるけど、たかだか宅配便を受け取るのに何時間もかかるわけじゃないだろうに・・・。
せいぜい5分ほどだろう。
それでもどうしても手が離せないのなら出なきゃいいのである。
宅配じゃなくとも重要な用があるのならまた来るっしょ。
応対しないも当然の権利だぜ。

・・・・何のなのだろうね、これって。
そんなに余裕がないのだろうか?
電車の遅延証明とかも何やってるんだろうと思うよ、まじで。

多分、余裕とかじゃなく、それが当たり前だと思っているから腹が立つんでしょうね。
こうやってサービスが良くなっていくだろうと思う反面、過剰なものにとらわれてしまい、これが自分たちの首を締めるのだろうとも思う。
つまるところ、これってきちんとできない人間を排除していくことになるものね。

世の中って、なかなか上手くいかないものだけど、もう少し、でんと構えておけばいいと思うぜ。

レビューのつけ方 考

2013年09月17日 | 教育
先日あるCDのAmazonのカスタマーレビューとよばれる個人の購入者の感想が書かれているところを見ました。
参考になるもの、ならないもの、とまぁいろいろと書いてあるのですが、そこで気になったこと。

CDのレビューの最初に『ジャケットが悪い』と書かれているのである。
いかにジャケットが悪いのかを延々・・・とまではいかないけど、それでも相当数の分量を割いて書いてある。
一件だけなら気にならなかったけど、それが何件もあるのである。

これはなんなのだろう?

確かにそれほど良いジャケットじゃないと思うけど、だからといって長々と難癖つけるほど悪くもない。
話の取っ掛かりとして、または最後の方に一言二言添えてあるくらいならわかるけど、レビューで長々と難癖をつける意味は全くない。
そもそもジャケットなんてAmazonのページに載ってるわけだし、判ってて買ったんでしょう?
それなのになんで難癖なんてつけてるんだろう?

これってつまり、レビューの読み手のことを考えていないってことですよね。

基本的にはこういうレビューはわかる情報じゃなく、表面ではわからない、買わないとわからない情報こそ価値があるわけです。
商品の箱を開けてみての感想とか、家具なら部屋に置いてみての感想とか、食べ物なら味や匂いといった食感の感想とか・・・。
CDならば納められている音楽を聞いた感想ですね。
レビューの読み手はこういう情報こそ知りたいわけです。

それなのに見てわかるジャケットの話を長々と書くのは単なる独りよがりでしょう。
そんなレビューなんて読みたくないし、実際、後半にいろいろ書いてあったけどそれらは読まなかったし・・・。

相手の望む情報を伝える。
これこそがレビューのみならず、伝えること全般の神髄なのでしょうが、まぁ、難しいのでしょうね。
ですが、難しい物なのでしょうけどそこに意識を向けて書くべきでしょう。
せっかく書いたレビューを誰も読まないなんて物悲しいですものね。

現代は一億総評論家社会などと言われてますが、普通に文章を書くという機会もめっきり減っており、逆にこういう短くためになるレビューをするということが増えてます。
短くともきちんと伝える・・・今でも教えているのでしょうけど今以上に学校で教えるべき・・・そういう風に教育に変革が必要なのかもしれない、とAmazonレビューを読んで思ってしまいました。

いれずみ問題考

2013年09月13日 | 社会
なんだか、いれずみ問題が出てきている。

先住民族マオリ女性の入浴拒否 北海道・石狩管内の温泉、顔の入れ墨理由に
http://www.hoshusokuhou.com/archives/31997006.html

・・・・・・・・・・・・・。
まず、いれずみ禁止のところに連れて行くなよ・・・。
何考えているんだ? 主催者は?

でもまぁ、この問題いろいろと考えないといけないことがある。
いれずみの是非はともかくとして、問題点というか、そういったものを整理だけでもしておこうと思う。


1.そもそもなぜ刺青が禁止なのか?

これはヤクザがいれずみを入れていることが多いからです。
おおよそこれに起因しているようです。
要するにヤクザ追放の一環ですね。

問題はいれずみというのは、ヤクザが入れていることが多いだけで、一般人も入れているのです。
アートタトゥとか言うものになると特に。
逆に入れてないヤクザも多数存在するわけで・・・。

つまり、いれずみ = ヤクザ じゃないんですよね。

本来ならば、ヤクザを追放したいのならばヤクザを追放することが筋で、いれずみを追放してもそれほど意味がないことです。
本末転倒なんですよ。
まず、そこを考えるべきでしょう。


2.そもそも日本は刺青を禁止していない。

日本には日本の文化がある・・・つまり、いれずみは許容できない社会・国であるという人がおりますが、残念ながら日本は刺青を法律上、禁止していません。
つまり認めている・・・とは言い難いのかもしれませんがまぁ、禁止ではないわけです。
というか、文化というのなら日本も昔から刺青の文化あったしね。
今は廃れた・・・というか、明治に入り、禁止令が出たために薄れただけなのでしょうけど。

そのあたりはともかくとして、文化的である・ないで分けることは不可能だということです。

要するにいれずみを入れているから禁止するという合理的理由は本来ないということですね。
お店側に拒否されるいわれはない・・・で済めばこれで終わりなんですけど。


3.店が客を選べる自由

これが公共施設ならば、実際、禁止するいわれは本来はないのですが、問題は個人のお店。

お店は客を選ぶ権利があるのです。

売買というのは取引であって、双方がその取引を納得してるから成立するわけで、客側、店側からの一方的に成立しないのです。
誰に売るか売らないかはお店側の権利なのです。
これが日用品や食料とかなら生活に差し障りが出てくるから、その方面で禁止することはできないようにはできるのでしょうが、温泉への入浴となると・・・。

仮にこれを禁止するとなると、レディースデイとか、一見さんお断り・・・と言ったものも禁止しなければ、法律の整合性が狂うわけです。
難しい問題なのです。


今回はまぁ、走り書きみたいなものだけど、このあたりの色々混ざっている論点をきちんと踏まえないといけない問題なのでしょうね・・・。
すっごく面倒くさいですね。

東京オリンピックに決まった事への雑感

2013年09月10日 | 社会
2020年のオリンピックは東京に決まりました!!
オメデトウ!!!
赤熊はイスラム圏での初のオリンピックだし、トルコのイスタンブールに決まるんじゃないかな?と思ってましたが、東京に決まりましたね。
次あたりにはトルコで開催されてほしいですね。

それはさておき、いくつか雑感!!

・東京オリンピック・・・2回目の開催なんですが、単に呼称しただけではどちらを指しているかわからないよね?
次の東京オリンピックはどう呼び分けるんでしょう?
無難に、第2回東京オリンピックとかかな?
ぷよぷよっぽく、東京オリンピック通?
やっぱり、東京オリンピックver2.0?
このあたりの整備・・・しなくても特に問題ないか。


・オリンピックは7年後の7月の終わりから8月の初めあたりに開催されるんですが・・・・暑くね?
暑いはともかく湿度が・・・・。
出る人はともかく、観戦するほうもつらいと思うんですよ。
熱中症対策しないとダメだよな。
というか、馴れてる日本人はともかく外国からのお客様が倒れる可能性が高いので、しっかり対策しないといけないよね。
ついでに言うと、ちょうど梅雨明けの時期でしょうけど、少し遅れれば梅雨真っ盛りですよね・・・。
うーん・・・気候も良く安定する10月くらいにずらせないのでしょうかね?
前回のオリンピックは10月10日でしたものね。
それで体育の日なったわけだし。
・・・まぁ、行楽シーズンじゃないからそういう観光客と重ならなくていいと言えばいいのかもしれませんが。


・レスリングが競技として選ばれました。
中核競技じゃないとして外されていたんですけどね・・・。
これ自体は喜ばしいことですが、やっぱり中核競技から外すならヨットやカヌーといった水上競技関連ですよね。
開催都市の条件がネックになりますから。
沙漠で開催するのは難しいでしょうから。
やれるのならする、できないならしない・・・と明記したほうがいいと思う。
レスリングなんてそんなに場所取らないのに外すんだからおかしいよね。


マスコミのオリンピック報道はとる前と後じゃ、なんか違うよね・・・とかもあるけど、これはいつものことだから無視しよう。
こんな感じです。

非嫡出子の相続判決 最後まで踏み込めよ

2013年09月06日 | 社会制度・法律
最高裁が非嫡出子の相続を違憲と判断した。
ちょっとこれに言いたいことがある。

判決理由に「家族観の多様化」「個人の尊厳」「外国の情勢」とか曖昧でふわっふわっの頭の悪い理由つけんなよ!!
家族観の多様化って・・・それってどういう意味だ?
多様化してるからこそ秩序を保つために厳しくする・・・という意見も成り立つと言えば成り立つのである。
こんな曖昧模糊な言葉を使う腐った左翼のような理由を述べないでください。
・・・まぁ、司法って腐った左翼そのものなんでしょうけど。

そこは置いとくとして、赤熊は今回の判決について賛成じゃない。
・・・というより曖昧なまま放置される方が困るといったところだ。
最大の問題は『遺産の元となる財産の所有者は誰か?』ということだ。

死んだ夫(もしくは妻)のもの・・・と答えが返ってくるかもしれないが、問題は生活において財産は純粋にどちらかのものと区別がどうしてもつかないのである。

例えば冷蔵庫。
家にある冷蔵庫は誰のものか?と問われれば答えるのは以外と難しい。
強いて言うのなら『○○のもの』と言えるかもしれないが、大抵は家族の共有物としか答えられないのである。
夫婦に限らず共同生活をするということは、どうしても所有が曖昧な部分というのが出てきてしまうのだ。
冷蔵庫なら財産的な価値はそれほどないのだからどうでもいいが、これが家となるとどうか?
登記上、夫の持ち物になっていたとしても実態は夫婦共有のもの・・・ということだって往々にしてあるのだ。
というか、ほとんどそうではないだろうか?

遺産と一口に言っても、夫のもの、妻のもの、夫婦の共有のもの・・・と3つに別れる、いえ家族の全員の共有物なども入れればもっと多くの区分が存在するのです。
純粋に夫の財産ならば今回の判決通りの嫡出子、婚外子だけでなく、前妻や後妻との間の子供とでもみんなで均等に頭割りでいいでしょう。
でも、おそらく財産のほとんどになる共有財産はそんなわけ方をするわけにはいかないだろう。

いや、分けるだけなら簡単である。
現状の解釈でも配偶者に財産の半分を渡すことで『半々の共有だった』とみなしているのでしょう。
それでいいのかもしれないが、やはり個々のケースによって違うし、純粋な夫の財産じゃない、つまり妻の財産でもあるにも関わらず、妻とは関係のない婚外子(または関係のない前妻の子供)などにも財産が渡るのである。
それは夫婦のどちらともの本意ではないだろう。

そして、これこそがほとんどの人が承服しかねるところだ。

だいたい財産をなぜ共有してるかと言えば、一緒に生活するためです。
そういう理由があるからこそ手持ちの財産を供出しあっているわけです。
ということは本来ならば2人の目的に沿って処理することこそが適切です。
共有財産はその夫婦に関係のない他の子供たちに相続できない権利を作るべきです。

それが多様な家族観への対応だと思うけどね・・・。

こういったところまで考えたうえでの今回の判決ならいいが、こういう共有財産をどうするかまで踏み込んでいない点を考えればおそらく考慮していないのであろう。
きちんと踏み込んでから違憲判決を出さなきゃ、余計混乱するだけだろうよ!!
これで法の番人を気取られてもね・・・・。
不審しか沸きませんわ。

踏み込むのなら最後まで踏み込むべきだし、そこまでしたくないのなら今回の一件は例外的な判決で終らさせておくべきだろう。
こういう中途半端で無責任な態度を取られるのは一番困りますね。
・・・司法は一度解体するべきですね。

まぁ、赤熊は遺産というものは財産を築いた人間の権利であり、どう残すかを定めるのが義務だと思います。そしてその責任を持つべきだと考えています。
その責任を果たすためにも、遺留分とか相続税とか相続に関するすべて廃止すべきって考えなんですけどね。
それが個人の尊厳を守る・・・ひいては多様な価値観ってことだと思うけど。
司法は一体どんな個人の尊厳を守りたいんでしょうね?
自分の尊厳だけを守りたいという声が聞こえてきそうです。

危機意識を持って繰り返さないことこそ大切

2013年09月02日 | 社会
愛知で女子中学生が殺されるいたましい事件があった。
いたましい、とは書いたものの、正直この事案は同情が一切できない。

夜の11時ごろに1人で出歩く・・・その時点で『襲ってください』と言っているようなものだろう。
極めて危険な行為であり、それで被害に遭ってもさもありなんという感想しかわかない。
だいたい、何か月か前に女性が深夜に出歩き、少年に殺されたという事件があったでしょうに・・・。
最低限の自衛をして、そのうえで被害あった・・・というのなら同情の余地もあるけど、これはそれすらしてないのだから同情の余地もない。

日本は治安が良い国ではあるが『治安が良い』というのは、被害に遭わないという意味ではなく被害に遭う可能性が低いというだけだ。
失敗をしても良いが命にかかわるは失敗してはいけない・・・とはよくいったものですね。

すぐそこだから大丈夫・・・と思って軽く考えたのだろうけど、それは極めて危険で結果はこの通りである。
きちんとした危機意識を持っていれば、おそらく防げた事案なのにね。
それが惜しいと言えば惜しいですが、こういうのって、平和ボケの一種なんでしょうかね。

それにしても、今のところ犯人の目星もたっておらず、マスメディアで頻繁に取り上げられる事件ですが夜中に1人で出歩く方が悪い、という人はいませんね。
被害者に慮っていえないのでしょうけど、これを報道する意味は『危機意識を持ってもらう』ことこそだと思うのですけど・・・。

これではいたずらに同じような被害を繰り返すだけですね。
これで報道する意味はあるのでしょうか?