まじくんママのぷち旅ぶろぐ

トミーズツアー旅の編集人がつづる「四季の京都」周辺とたまに帰る「ふるさと富山」のお出かけぶろぐです。

祇園祭「山鉾巡行」行ってきました(2)

2008年07月19日 | 京都の祭

先日、祇園祭の「山鉾巡行」へ行ってきました!まずは、先頭の長刀鉾から12番目の山伏山の様子をご報告しました。続いて・・・ご報告です。写真はクリックしたら大きくなります。

(13)月鉾(つきぼこ)鉾頭に新月(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれています。現在の月は、昭和56年に寄進された18金製のものだそうです。屋根裏に描かれている金地彩色草花図は、円山応挙の筆だそうです。円山応挙は、京都の亀岡市の農家の次男で、江戸中期の絵師です。・・・これは、鉾に上がらないと見えないのでしょうね。(^^;)

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(14)芦刈山(あしかりやま)貧しさのために離別した夫婦、妻は都に出て宮仕えをしますが、別れた夫が気がかりで探したところ、夫は落ちぶれて芦を刈っていたという歌謡「芦刈」に基づいています。ご神体やご神体の衣装は、天正17年(1589)の銘があり、山鉾最古だそうです。胴懸(横側)は、尾形光琳原画の「燕子花図(かきつばたず)」です。

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(15)綾傘鉾(あやがさぼこ)先に紹介した四条傘鉾と同じで、山鉾の非常に古い形態を残しています。大きな傘と棒振り囃子の行列で構成されています。6人の公家風装束をまとった稚児も巡行しています。ちょっと面白いお化けみたいなお面をかぶった囃子もいます。(@@)

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(16)蟷螂山(とうろうやま)中国の故事「蟷螂の斧を以って隆車のわだちを禦(ふせ)がんと欲す」にちなんだ山です。意味は、ある王が車で狩りに出かけた時、一匹のかまきりが両方の前足をあげて車に向かってきたという話です。「蟷螂の斧」とは、弱くて小さいものが、おのれの力量を考えずに強くて大きいものに立ち向かっていくようなこと、つまり無謀な行いのことをいいます。弱いものが強いものに立ち向かっていく姿は、勇気があってとても感動しますが、ただの無謀な行動にならないように・・・てことでしょうか?上にのった蟷螂が動くと会場から拍手が上がります。

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(17)菊水鉾(きくすいぼこ)町内にあった菊水井戸にちなんで名づけられ、鉾先には金色の透かし彫りの菊花をつけています。元治元年(1864)の兵火で焼失しましたが、昭和に入り再興され、年々装飾が充実し、昭和の鉾としての偉容を示しています。稚児人形は、菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿です。

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ここまで、17基・・・半分見たし、1:00も過ぎて、暑さと空腹でクラクラ(@@)してきました。もう、帰ろう!お昼食べようと思いつつも、向こうに3基見えたので、まとめて写真を撮りました。

(18)木賊山(とくさやま)謡曲「木賊」を題材にしています。わが子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしています。木賊とは、湿地に生える草で、スギナの茎みたいな草です。乾燥すると紙ヤスリのようになり、柘植のくしなどの研磨に使われます。

P1130527_2(19)伯牙山(はくがやま)中国の周の時代に、琴の名人伯牙が友人の死を知って琴の絃を断ったという故事をあらわしています。「琴破山(ことはやま)」とも呼ばれます。角には珍しい蝶型の金具がついています。

(20)郭巨山(かっきょやま)貧困の余り、母子を養うことができず思い余ってわが子を山に埋めようと黄金の釜を掘り当て母親孝行したという中国の故事をあらわしています。この山のみ、乳隠し(ちかくし)という胴懸を吊るす飾り板と日覆い障子の屋根が特徴です。

以上、おしまい!続きはまた来年!と思ったら、河原町通りまで来て、大きな鉾の方向転換「辻まわし」が見えました。あ、これも見なくちゃ・・・。(^^;)つづく