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はだしのゲンは「決着した事実」をリアルに描いている

2014-03-15 23:21:33 | 平和・9条

昨日の文教委員会で論戦があった「はだしのゲン」をめぐる論戦ビデオレターです。

ビデオを見るには画像の再生ボタン(赤色)もしくは下記のアドレスをクリックして下さい。

http://youtu.be/qE7aovpl-ZM

南京大虐殺とは
 1937年7月、中国・北京郊外で起きた盧肩橋(ろこうさよう)事件を機に、日本車は中国各地で全面戦争を展開o8月には上海での大規模な戦闘に発展(第2次上海「事変」)しました。日本車は退却する中国軍を追撃。 12月13日、首都南京を陥落させました。

南京への追撃戦の過程や陥落後の掃討戦で、捕虜にした中国兵や市民を組織的に殺害。食糧の後方支援を欠いたため、住民から略奪し、民家への放火、女性に対する強かん事件も多数発生しました。期間は37年12月から翌年3月にまで及びました。

虐殺の模様は南京にいた外国人記者らによって世界に発信され、国際的な大問題に。米国のスティール記者は虐殺の様子をハンターたちの「ウサギ狩り」に例え、「そこでは人間が餌食なのだ」と発信しました。(「シカゴ・デイリー・ニューズ」38年2月4日、『アメリカ関係資料編』) 一方、日本では厳重な報道管制がしかれたため、国民に事実が知らされませんでした。

どのくらいの中国人が殺された

A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判 (東京裁判)の判決(48年)は犠牲者数を20万人以上、BC級戦犯裁判の一つ、南京軍事法廷(47年)は30万人以上としています。一方、日本の研究者らは残された資料をもとに、十数万から20万人と推計しています。

 日本の軍部は終戦前後、連合軍の追及を恐れ、公文書類を徹底的に焼却しました。また、南京が占領下に置かれてから終戦までの7年半、中国政府は調査ができませんでした。これらの理由で、正確な犠牲者数を解明することは不可能となっています。ところが否定する人たちは、数が不確定なことを、虐殺の事実そのものがなかったかのようにすり替えているのです。

政府や当時の軍司令官は認めているの?

外務省は「日本車の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」(同省ホームページ「歴史問題Q&A」)と認めています。支那派遺事総司令官・岡村寧次大将は「派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜(ふりょ)の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略時に於て約4、5万に上る大殺戮(さつりく)、市民に対す
る掠奪(りゃくだつ)、強姦(ごうかん)多数ありしことは事実なるか娼し」(『岡村寧次大将陣中感想録J』とつづっています。

旧陸軍将校の親睦団体・偕行(かいこう)社の機関紙『偕行』に掲載された「証言による『南京戦史』」も、「この大量の不法処理には弁解の言葉はない」と虐殺を認め、「旧日本車の緑につながる者として、中国人民に深く詫(わ)びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」と謝罪しています。

歴史学的にも確定した事実 

南京大虐殺は歴史学的にも確定した事実です。それを否定したがるのは、南京事件が日本の中国侵略戦争を象徴する出来事だからです。

都留文科大学名誉教授(中国近現代史)の笠原十九司さんは、安倍政権は閣僚の過半が、日本車の侵略と加害の歴史を否定する人たちです。13年4月10日の衆院予算委員会で、南京大虐殺は[なかった]と発言した西川京子氏を現内閣の文部科学副大臣に起用しています。

 また安倍首相は、第1次安倍内閣時代に自ら中国側に提起した「日中歴史共同研究」(06年開始)の報告書(10年公表)で、南京事件の事実を日中双方が認めたにもかかわらず、尊重していません。 憲法を変えて、日本を「海外で戦争できる国」にしたい安倍政権が、歴史の真実に目を閉ざせば閉ざすほど、日本は国際社会から孤立していくだけです。

当時の南京攻略戦に参加した兵士から三十編を超える陣中日誌には赤裸々にはだしのげんが漫画で表現している事実が記載されています。