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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    熊谷からR140で秩父に向かいます。助手席には知らない道はない、ナビゲーターの夫 娘と三人の日帰りの旅。道の駅花園...のすこし手前でサンクスというコンビニに立ち寄りました。ふと、みると道路の向こうにちいさなお社......

    行ってみると入り口を守るように丈高い金木犀が2本馥郁と香り、季節はずれの青いつゆくさ、黄の日本たんぽぽ、蝶がとびかい、まるで別世界のようなのどかさ.....鳥居をくぐるとちいさなふるびた、品のある神社....ご祭神はタケミカズチのカミ、スクナヒコのカミ?  小鳥がさえずり 時間があるならしばらくとどまりたい、そこは田中神社でした。

    亡き父贔屓の店 別品屋でお蕎麦をいただきました。夫は...とろろのざる、娘はくるみタレのざる、わたしは天ざる.....ここのお蕎麦は野趣がありながら繊細です。おいしいお蕎麦やさんは水がおいしい、お茶もおいしいですね。それからふくろやさんで名物”すまんじゅう”を行列して買いました。秩父にくるときこの二店ははずせません。

    車は37号線に入ります。渓谷を左に見て橋をわたって....秩父事件蜂起の場所、椋神社のまえはきのう 秋祭りの神事”龍勢”があったためか、シートなどがまだ片付かずにありました。龍勢 とは手つくりロケット...といったらいいでしょうか。とても勇壮な祭りです。

    さて 以前書いたことがありますが、叔母は秩父事件の加藤織平の曾孫にあたります。織平は明治17年10月31日 椋神社での決起集会で副総理....でした。田代栄介は年長者であったので総理となりましたが、実質は織平らが仕切っていたとのことです。鎮圧のあと、織平は死刑判決を受け熊谷で処刑されました。叔母の曾祖母は大八車に夫の遺骸をのせ、上吉田まで引いて戻ったといいます。どんな心持で山道をひいてきたのでしょう。

    曾祖母は”わざわいがおこるから”といって、一切の書類を焼いてしまい、秩父事件に関わるものはなにひとつ 残ってはいないそうです。このおばあさんが出た家が中島家....この家は甲斐武田の流れを汲む家で(山ひとつ越えると甲府です)毎年”武田会”がひらかれるそうです。かつては駕籠や黒塗りの刀や由緒のありそうなものが多くあったとか....そのなかで黒塗りの仏像があったというのです。

    あまりに絢爛と輝き 目を射るので 漆を塗ってしまったそうです。.....もしや武田の埋蔵金!? 従兄弟たちも幼い時分、見た記憶があるとか.....ぜひ拝ませていただきたいと、叔母さんにつれていってくれるようお願いしました。友人がモノノベの神官の出かもしれない...という話はしましたが......もののふとは物部からきたといいます。父の家の系図というのが、織田家にさかのぼるというのですね。数代まえに関西からきたらしいのですが、M家をいろどるひとびとは華々しいエピソードが多い。

.......立派な屋敷があったのですが、祖父の政治道楽で零落の憂き目にあい、家を解体して所沢に売ってしまったそうです。その前夜 叔父はひどい家鳴りを聞いてなんともいえぬ心地がしたといいます。蒔絵の見事な太刀もあったそうです。 黒塗りの刀も多数あったのを 従弟達が河原の石で研いでめちゃくちゃにしてしまったそうです。その系図というのが、捜せばまだあるというので、それは次回のおたのしみになりました。もし織田家ゆかりならフィギュアスケートの信成くんとは縁戚になるのだろうか....

    中島家のおひめさまのはなし....も興味深いものがあり ものがたりのネタがそこらじゅうにある....おもしろいですね。わたしは上吉田の女たちが好きです。織平のひ孫の叔母、おさだ叔母 仁叔母.....上吉田のおみなにはやさしさだけでなく侠気....おとこ気.....があります。ひとが困っていると黙ってはいられない......その熱い血をひいている....それはわたしの誇りです。





    


秩父事件とは→コチラ

龍勢とは⇒コチラ



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