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明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 東京編 3月18日-23日

2024年03月24日 | 伊勢参詣日記
明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 東京編 3月18日-23日

塩谷常吉(当時22歳)の伊勢参詣日記。塩谷塩谷和子『明治十八年の旅は道連れ』掲載の「常吉道中日記」を現代語訳し、紹介していきます。
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三月十八日 #明治18年伊勢参詣
午前九時頃、人形町千歲座に芝居見物に行く。(福島の)県庁よりも広く、宏大。 午後十時頃終わり宿へ戻る。見物料一人前六十一銭(昼飯付)。
(コメント)
・本日は歌舞伎見物。午前9時に始まり、午後10時まで。昔の歌舞伎は一日中やっていたとは言われますが、実際に終日見ている観客がいるとは、やはり驚きです。芝居の入場料は昼食込みのセット料金となっています。
・「人形町千歲座」は今の明治座。
1873年(明治6年)、喜昇座として開場したのに始まり、久松座、千歳座と改称を経て明治26年に明治座となっています。明治18年には人形町、現在の久松警察署の前あたりにありました(現在の浜町に移ったのは昭和3年)。
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三月十九日 #明治18年伊勢参詣
午前八時頃出発、役場等を見物。九段坂で四方を眺め、招魂社(靖国神社)を参拝。
上野下神崎で昼食。上野の公園地は桜樹で充ちており、風景佳し。眼下には不忍池 。動物館、博物館を見物。宏大である。午後七時頃宿へ戻る。
(コメント)
・本日午前はまず役場を見物し、九段坂へ。招魂社(靖国神社)を参拝しています。
・午後は上野。上野公園の桜、不忍池、動物園、博物館を見物しており、現代とかわりがないようです(もちろん見ている景色はだいぶ違うはずですが)。

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三月二十日 #明治18年伊勢参詣
洲崎の弁天社、深川成田山八幡社、亀戸天神社を参拝する。亀戸天神社の近くの梅屋敷にも行く。
鮒林茶屋で昼食。向島の水天宮社を参拝する。隅田川ノ土手に桜木が充ちており、風景佳し。浅草観世音、回向院社を参拝する。午後四時頃宿へ戻る。
(コメント)
・今日は東京東部の寺社を回っています。
・「洲崎の弁天社」元禄13(1700)年に建立された神社。洲崎は、現在の東京都江東区東陽一丁目。洲崎は元禄年間に埋め立てられた土地であり、弁天社は海岸に面した土手の先端に位置にあった。周辺は初日の出や潮干狩り、月見の名所として賑わったといいますから、元禄が生み出したウォーターフロントといえるでしょう。

・「深川成田山八幡社」は富岡八幡宮のこと。
・亀戸天神社は現代でもそのままの名称で存在しています。
・「梅屋敷」は江戸時代から続く梅の名所でした。常吉が訪ねたときは江戸時代そのままに梅が咲きほこっていたのでしょうが、明治43年の洪水によって廃園となり、現在は「梅屋敷跡」としてかつての名が伝えられています。
・「向島の水天宮社」と常吉日記にはありますが、「水神宮」「水神社」が正しく、正式名称は「隅田川神社」です。
・その後、浅草観世音、回向院も回っています。
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三月二十一日 #明治18年伊勢参詣
築地の海辺を見物。その後、東西本願寺、芝神明神社、増上寺、徳川公の奥の院を参拝する。愛宕山へ行き、参拝。四方を見渡すと東京中が眼下に見え風景佳し。
徴兵練を見る。雨が少々降って来たので、(人力)車に乗る。ステーション鉄道を見る。電信を見る。針金53本あり。異人館を見る。午後四時頃宿に戻る。
(コメント)
・本日はまず「築地の海辺」に。かつて築地は海辺でした(江戸切絵図参照)。
・その後は、築地本願寺→芝大神宮(「芝神明社」)→増上寺→徳川将軍家墓所(「徳川公の奥の院」)→愛宕神社(「愛宕山」)を参拝しています。
・愛宕山からの景色を、井上安治が「東京名所 ー 愛宕山」として描いています。明治10年代ですから、常吉が見た景色も同様と思われます。
・社寺参拝の後は各種施設の見学。鉄道、鉄道駅、電信施設を見ています。
・「異人館」を見たのは、築地でしょう。当時ここには外国人居留地がありました。居留地は、明治元(1868)年にでき、外国公館のほか、教会や学校がありました(居留地は明治32年まで存在)。
・築地の外国人居留地は、明治十年代の後半、日比谷に鹿鳴館時代が開幕するまで、銀座と共に「文明開化」の同義語であったとの指摘もあります(川崎晴朗『築地外国人居留地』)。
・常吉が「徴兵練を見た」のは日比谷の陸軍練兵場。場所は現在の日比谷公園及び霞ヶ関の官庁街。
・練兵場から、当時の新橋駅(日記では「ステーション鉄道」)はさほど遠くないのですが、雨が降ってきたため人力車で移動しています。
・また電信局を見学しています。
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三月二十二日 #明治18年伊勢参詣
八時頃出発。支那、英国公使館を見物す。神田明神社を参拝する。勧工場を見物する。午後五時頃(人力)車で宿に戻る。
(コメント)
・「公使館」とは、「公使を長とする在外公館」という意味です。今は、中国もイギリスも大使を派遣していますので、「大使館」ですが、この時代はまだ「公使館」の時代だったようです。
・イギリス公使館は、当時千代田区一番町(現在のイギリス大使館と同じ場所)にありました(⇒末尾付1)。常吉が「支那公使館」と呼んでいるのは、駐日清国公使館のことで、永田町二丁目にあったそうです。
・神田明神を参拝したあと、「勧工場」を見物しています。工場ではありません。商品を陳列し、客が自由に手にとって品定めするもので、百貨店(デパート)の前身といわれています。上野公園で開催された明治10年の出品物の売れ残り展示即売するために開設され、最盛期には東京に20箇所以上あったといわれています(塩谷和子『明治十八年の旅は道連れ』)。

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三月二十三日 #明治18年伊勢参詣
午前八時頃出発。(人力)車で王子稲荷社に行き、参拝する。その後、糸取機械を見物する。一日の取上げは250斤位との由。織機械を見物する。一分間に250尺位取上る由。(人力)車で午後四時頃宿に戻る。東京には六日滞在。七夜の泊りであった。
(コメント)
王子稲荷神社は、東京都北区岸町にある神社。徳川将軍家代々の祈願所と定められ、現在の社殿は十一代将軍徳川家斉から寄進されたもの。
・その後、鹿島紡績所を見学します。同紡績所は、明治初年に設置された民間最初の紡績工場。設置者は鹿島万平。設置場所は滝野川の幕府の反射炉の跡地でした。
・糸取機械の一日の取上げは250斤(約150キログラム)、織機械は一分間に250尺(約45メートル)取上げということを、常吉は日記に記録しています。
・本日が東京宿泊の最後です。東京見物編は本日をもって終わります。明日からは、東海道を伊勢へ向かって下る旅が始まります。
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付1 英国公使館について
1878年(明治11年)に日本を訪れたイザベラ・バードは次のように書いています。

「英国公使館はよい場所にある。外務省をはじめとする政府の諸省や大臣たちの官邸に近い。これらの建物は大半が英国の郊外の大邸宅風の煉瓦造りである。公使館は入口に英国王室の紋章の付いたアーチ門があり、敷地の中には、公使官邸や公使館事務局、公使館付きの書記官二名の官舎そして護衛兵の宿舎がある。」 (新訳日本奥地紀行 東洋文庫 840 イザベラ・バード/[著]、金坂清則訳)


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