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町役人は大忙し 文政12年4月中旬・色川三中「家事志」

2024年04月22日 | 色川三中
文政12年4月中旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

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文政12年4月11日(1829年)曇
昼過ぎ、名主(入江氏)宅にて寄合。町役人も出席。先日の高持百姓からの願書(入樋修繕の件)について協議。話しまとまらず。元名主の入江のご隠居も出席して協議したが決まらず。審議は継続となった。この日、腫物まだ治らず立膝で出席した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
足に腫物ができて痛み、体調を崩していた三中ですが(4月5日条)、未だ完調ではありません。本日の町役寄合は、入樋修繕の件の協議であり、町にとっても重大案件で、三中も昨年から高持百姓の立場で主張を展開していたため、痛みを押して寄合に参加しています。
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文政12年4月12日(1829年)晴
昼過ぎ、名主(入江全兵衛殿)と内々に話しをした。先日、公儀より、春米を高値で売らないこと、各種商品についてもこれまで同様の値で売ることとの御触れありとのこと。公儀の役人がそのときに各種商品を買いに来たので、大損害を被った者もあるとか。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨年秋から物価高騰が問題となっております
(文政11年11月4日条)。幕府は消費者価格について物価統制を命令。しかし、事業者としては原材料高騰で価格転嫁できなければ、損が膨らむだけです。

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文政12年4月13日(1829年)晴
昼過ぎ、入江(名主)宅で話し。「入樋修繕の件で願書を出した2人に対して、貴君から話しをしてほしい、町役人の意向も、高持百姓の意向も立てるようにしてほしい」との話しあり。
#色川三中 #家事志
(コメント)
入樋修繕の件では、三中は高持百姓の利益を守るために動いていました。しかし、今年から町役人となり町政を担う立場にもあるため、間に挟まれて苦しいところです。今日の名主の話しはもっともですが、実現は困難です。


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文政12年4月14日(1829年)雨
朝、入江氏(名主)に、高持百姓の願書の件で話したいので、私宅までお出で願いたいとの書面を送った。入江氏は昼前に来たので、願書を提出した者も交えて話す。
その後、昼過ぎに栗山八兵衛殿(町役人)が来られ、この件につき話す。引き続き夕方まで酒を飲む。
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日も入樋修繕の件。三中が取ったのは、高持百姓代表(=願書提出人)と名主や町役人と直接話す機会を設けることでした。双方の見解は隔たっています。何とか解決の糸口が見つかると良いのですが…。

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文政12年4月15日(1829年)曇り
「導水琑言」(医学書)を写し終わった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
導水瑣言』(どうすいさげん)は、和田東郭が水腫(浮腫を伴う病症)の理論や方薬の鑑別について口述した内容を門下生が筆記したもの。三中は忙しい合間をぬって医学の勉強をしています。


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文政12年4月16日(1829年)晴
西門の新助市郎平方一件が終了したので、願下書等をお持ちした。また、十一屋与四郎に返答書を出させるようにとのことを仰せつかった。
帰宅後、十一屋与四郎には、返答書を提出するよう伝えた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
訴訟の関係で町奉行宅にでも出向いたようです。十一屋さんの件でも分かるように、奉行が直接当事者に指示するのではなく、町役人を介しています。奉行としては省力化になりますし、当事者にとっても身近な町役人の方が何かと話しやすいでしょう。


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文政12年4月17日(1829年)晴
入江(名主)から会って話したいとの連絡あり。入江宅に行くと、「明朝早く牢内で敲刑があり、執行人が五人来るので、町役人として差添えをしてほしい」と言われる。その後、酒肴出されて雑談。
#色川三中 #家事志
(コメント)
名主からの連絡があり、行ってみると、明日敲の刑の執行があるから、町役人として立ち会って(差添え)ほしいとのこと。町役人の仕事は多岐にわたりますが、刑の執行の立会いもその一つです。

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文政12年4月18日(1829年)
夜明け前に起床し、入江氏宅に行く。明方に執行人が来たので、一緒に牢へ行く。土浦藩の役人もお出でになり、大嶋村の利兵衛を百敲とし、その後、執行人が利兵衛をモッコに乗せ、荒川界まで乗せていき、釈放した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
名主から昨日指示のあった「敲刑の執行の立会い」。早起きをし、名主宅で執行人と合流。執行場所の牢内まで一緒に行き、執行を見届けています。敲刑の後は、町外れまで連れていかれ(刑の執行直後は自立歩行不可なのでしょう)、釈放されています。
⇒要した費用の覚が4月26日条に記載されています(本ブログ末尾付1)
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文政12年4月19日(1829年)曇
入江素行及び木原氏と三人で東城寺駒ヶ滝まで赴く。ゆっくりと歩いて昼前に瀑布に辿り着く。 石上でわりこ酒を飲む。その興は極まりなし。入江素行が立岩上で横笛吹き、自作の漢詩を吟じた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日は町役人や薬種商の仕事から離れて、風流を解する友と滝まで赴き、石上で酒宴。友の一人は横笛を吹き、漢詩を吟じており、三中も「その興は極まりなし」と評しています。「木原氏」は、木原行蔵という土浦藩の武士。三中は町人ですが、木原氏とは様々な交流があり、本の貸し借り等もしています(文政10年9月8日条)。

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文政12年4月20日(1829年)曇
とんだや市郎平が藩役人から呼び出しを受け、同人の組合の弥吾右衛門も出頭。東崎分は、相手も十人、組合も十人出頭。私と八郎兵衛(東崎の町役人)が差添え。
#色川三中 #家事志
(コメント)
土浦は中城町と東崎町があり(三中は前者の町役人)、この二町がからむ訴訟のようです。当事者以外に、組合(五人組)、町役人が立会うのが決まりです。

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付1
4月18日の執行に要した費用(執行者の昼食代)(この控え自体は4月26日条に掲載されたいます)

一 300文
上記の件は、先だって(4月18日)大嶋村の利兵衛を追放刑に処した際、執行者が荒川境界まで赴いたため、五人分の昼食代として受け取ったものですが、執行者に確かに渡しました。
丑年4月26日
宮古条助殿
入江全兵衛



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