南斗屋のブログ

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明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 東京−静岡編 3月24日-3月31日

2024年04月07日 | 伊勢参詣日記
明治18年塩谷常吉の伊勢参詣日記 東京−静岡編 3月24日-3月31日

塩谷常吉(当時22歳)の伊勢参詣日記。塩谷塩谷和子『明治十八年の旅は道連れ』掲載の「常吉道中日記」を現代語訳し、紹介していきます。
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三月二十四日 #明治18年伊勢参詣
東京を九時頃出立。泉岳寺、赤穂義士四十七人木像を見物する。十一時頃から大雪降る。
品川の大津屋宇衛門殿方で昼食。
川崎へ二里二十一丁、朝日屋武衛門殿方で泊。泊料二十銭。
(コメント)
・馬喰町で6泊し、東京見物をした一行。いよいよ東京を後にして、伊勢に向かって東海道を下って行きます。
・高輪の泉岳寺。「赤穂義士四十七人木像を見物」とあり、墓よりも木像の方が印象に残ったようです。現在は泉岳寺の講堂2階が義士木像館となっています。
・ここで大雪が降ってきました。3月下旬の東京での降雪は珍しいので(ここ40年では1988年と2020年)、旅にはアンラッキーでした。
・品川で昼を取ったあと、川崎まで歩いて、この日は川崎泊となっています。大雪の影響でしょうか。
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三月二十五日 #明治18年伊勢参詣
川崎から出立。汽車で横濱迄乗る。里程三里、賃金十五銭。十時頃から横濱市中を見物 。福井屋忠兵衛方で昼食。
二時頃横濱から蒸気船に乗り、横須賀に四時頃着。松阪屋藤蔵殿で泊。泊料二十五銭。
(コメント)
・昨日の大雪による遅れを取り戻す為か、川崎〜横浜まで汽車に乗っています。運賃(当時は「賃金」)は15銭。川崎での一泊が22銭ですから、宿泊料に比べると割高ですね。
汽車の時速は約30キロ、川崎〜横浜間は20分だったそうです。
・「横濱市中を見物」とだけありますが、横浜の外国人居留地を見たのでしょう。
・横浜から横須賀までは蒸気船で向かい、横須賀に宿泊しています。
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三月二十六日 #明治18年伊勢参詣
横須賀の機械場、軍艦等を見物。宏大である。松坂屋方で昼食。
小舟で金沢へ。金沢八景を眺める。風景佳し。
鎌倉に行き、官幣社鎌倉宮を参拝。往時大塔の宮という。八幡社を参拝。
半里行き、長谷村。三ツ橋與八殿方で泊。泊料二十二銭。
(コメント)
・横須賀には、1866年(慶応元年)、江戸幕府により横須賀造船所が開設され、1884年(明治17年)には横須賀鎮守府が設置されています。造船と海軍の拠点であり、当時は工場見学、軍艦見学ができたようです。常吉は、「宏大なること上げて数ふ能わず」と評しています。
かつては景勝地であった金沢ですが、現在ではその景勝は失われており、「金沢八景駅」という駅名にその名残りがあります。明治18年の時点ではまだ金沢八景の形式は保たれていたようです。
・一行は金沢から、鎌倉の官幣社鎌倉宮に行きます。鎌倉宮(かまくらぐう)は、鎌倉市二階堂にあり、護良親王(後醍醐天皇皇子)を祭神としています。1869年(明治2年)2月に造営された新しい神社です。
・八幡社(鶴岡八幡宮)を参拝しています。八幡宮は現代でも鎌倉観光の定番ですね。
・横須賀から金沢(横浜市金沢区)へ。横須賀からはグーグル地図上で約7キロですが、常吉たちは小舟で金沢へ渡ります。

海上自衛隊 横須賀造修補給所 艦船部 to 金沢八景駅

海上自衛隊 横須賀造修補給所 艦船部 to 金沢八景駅


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三月二十七日 #明治18年伊勢参詣
鎌倉を出立。大佛様、その高さ四丈八尺。
観音社、権五郎社を参拝。
小舟で江ノ島まで乗る。賃金二銭。江ノ島に十時頃着き、辦天社を参拝。恵比寿屋茂八殿方で昼食。
江ノ島から三里二十五丁で平塚駅。笹屋伊兵衛殿方へ泊。泊料二十銭。
(コメント)
・昨日は、長谷村(現鎌倉市長谷)に泊まりましたので、まずは鎌倉大仏を参拝します。
・「観音社」は長谷寺のこと。同寺の観音です。また、「権五郎社」は御霊神社(現鎌倉市坂ノ下)のことです。
・鎌倉から江ノ島までは小舟で渡っています。江ノ島に橋が初めて掛けられたのは、1891年(明治24年)です。明治18年には橋は存在していませんでした。
もっとも、干潮時には徒歩で渡ることができました。葛飾北斎の富嶽三十六景「相州江の島」にはその光景が描かれています。
・江ノ島では弁天社を参拝。
・本日は平塚(現平塚市)に泊まっています。
・本日の旅程は鎌倉市長谷〜平塚。
グーグル地図上では約20 kmですので、ノンビリした感じです。

長谷 to 平塚宿本陣旧跡

長谷 to 平塚宿本陣旧跡


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三月二十八日 #明治18年伊勢参詣
平塚から出立し、一里で大磯。そこから小田原(四里)。斎藤福松方で昼食。
小田原から箱根湯元へ(二里)。二時頃着、福住九蔵殿方へ泊まり、入浴。泊料二十三銭。
(コメント)
・江戸後期の浮世絵に描かれた箱根湯本
・本日の旅程は平塚〜箱根湯本。
グーグル地図上では約25 kmですが、これは明日の箱根越えに備えているからでしょう。

平塚宿本陣旧跡 to 湯本

平塚宿本陣旧跡 to 湯本




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三月二十九日 #明治18年伊勢参詣
箱根湯元を出立。天気悪し。箱根峠は険阻。湯元から箱根駅(四里)。土生(はふ)屋で昼食。
三嶋駅へ(三里)。三嶋神社を参拝。馬車に乗って沼津駅(一里半)、原駅(一里)、鈴川駅(二里)。馬車には五里ほど乗り、賃金十五銭。甲州屋喜衛門殿方で泊。泊料十六銭。
(コメント)
・箱根湯本を出発し、箱根越え。あいにく天候が悪く、険阻な峠道を行くのも難儀したことでしょう。
・昼食を食べた土生(はふ)屋は当時、はふやホテルを名乗っており、後に買収されて現在は箱根ホテルとなっています。
・箱根を越えてからは、三嶋(現三島市)までは徒歩で行き、その後は馬車に乗り換えています。沼津(現沼津市)、原(現沼津市)を通って、本日は鈴川(現富士市)泊。
・本日の旅程 箱根湯本〜鈴川。グーグル地図上では約48 km。うち約20キロは馬車でした。

湯本 to 鈴川の富士塚(鈴川淺間宮)

湯本 to 鈴川の富士塚(鈴川淺間宮)


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三月三十日 #明治18年伊勢参詣
鈴川今井村を出立。出立の際雨。倉沢(鈴川から四里)の富士屋七兵衛方で昼食。
午後二時頃興津(倉沢から二里)に着。
水口屋半十郎方に到着。
清見寺を参拝。その御座敷、今上帝(明治天皇)の行在所、御庭等全て奇麗。
水口屋の二階から、三保の松原を眺める。その風景佳し。水口屋にて名物の興津鯛を食べる。水口屋泊。泊料二十六銭。
(コメント)
・鈴川今井村(現富士市)を出発し、雨の中倉沢(現静岡市清水区)まで。
・倉沢で昼食後、興津(現静岡市清水区)へ。倉沢〜興津は二里しかなく、午後二時には興津に着いています。
・興津の清見寺(せいけんじ)。奈良時代の創建と伝えられています。常吉は「御庭等全て奇麗」と評していますが、庭園清見寺庭園は現在国の名勝に指定されています。
・本日の旅程 鈴川(現富士市)〜興津(現静岡市清水区)。グーグル地図上では約25 km。

鈴川の富士塚(鈴川淺間宮) to 興津清見寺町

鈴川の富士塚(鈴川淺間宮) to 興津清見寺町



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三月三十一日 #明治18年伊勢参詣
興津を出立。曇り、風荒れる。久能山(興津から三里)の東照宮、徳川家康公の墓を参拝。坂ノ下の豆腐屋直兵衛方で昼食。
静岡(久能山から四里)の浅間権現社を参拝。七社有り、その上には公園地。四方を見渡すことができ、風景佳し。
傳馬町の東萬屋清三郎方で泊。泊料二十三銭。
(コメント)
・興津を出立し、久能山(静岡市駿河区)へ。久能山東照宮と徳川家康公の墓を参拝しています。
・久能山から静岡市街へ。静岡浅間神社(静岡市葵区)を参拝しています。
・本日の旅程 興津(現静岡市清水区)〜傳馬町(静岡市葵区)。グーグル地図上では約26 km。

興津清見寺町 to 伝馬町

興津清見寺町 to 伝馬町


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