南斗屋のブログ

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年末を控え恒例のすす払い 文政11年12月中旬・色川三中「家事志」

2023年12月21日 | 色川三中
文政11年12月中旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年12月11日(1828年)晴
日の出前に下宿(しもじゅく)のえびす小兵衛の屋根から出火。燃え上がったが、屋根のかやを抜いてようやく消し止めた。
火事があったので、本日は日待ちとした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
近隣で火事があったので、「日待ち」をしたという記事。「日待ち」は、前夜から潔斎して寝ないで日の出を待って拝むことと説明されますが、ここでは終日家に籠もったという意味で使われているようです。

文政11年12月12日(1828年)
昨日は下宿(しもじゅく)だけでなく、玉造でも200棟焼失。佐野本益老の家や若松屋も焼失したという。また、大風で玉造の宿場も火が飛んだとのこと。見舞いに人を遣わした。佐野氏には金百疋、若松屋には茶碗五つ送る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日は土浦の下宿(しもじゅく)で火事がありましたが、玉造宿(茨城県かすみがうら市)でも火事になっていました。玉造宿は三中が営業でよく立ち寄る場所です。懇意にしていた(本年4月1日条)佐野氏宅も火事に。佐野氏には金百疋を見舞いに送っています。



文政11年12月13日(1828年)
日が変わったと同時に起き、すす取り。火事の見舞い等で人が出払ってしまったので、矢口嘉兵衛と加賀松二郎にすす取りの手伝いをお願いした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
12月13日は「煤払いの日」。三中は「すす取り」と書いています。昨年も夜遅くに掃除をしていました。今年は午前0時に起きてすす払い。従業員が出払ってしまっても、人を頼んで煤払いを実行する三中でした。


文政11年12月14日(1828年)
本日、色川三中先生休筆(16日まで)。
#色川三中 #家事志

文政11年12月15日(1828年)
本日も、色川三中先生休筆です(16日まで)。
#色川三中 #家事志

文政11年12月16日(1828年)
本日まで色川三中先生休筆です。
#色川三中 #家事志

文政11年12月17日(1828年)大霜
今年は大霜は降るが、雨が降らない。午前中に大町久七殿のところへ行き、左官利兵衛からの金銭借入れの仲介役を頼む。夜になって左官が家に来たので、酒肴を出しもてなす。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「雨が降らない」というので、三中の日記を確認しましたが、11月10日、以降は降っていないようです。一ヶ月以上も降っていないことになります。
もっとも、「今年は雨ばかり」とも10月に書いていたので、一年を通してはバランスが取れているのかもしれませんが。



文政11年12月18日(1828年)晴
おゆみ、食べ初め。
大町茂重殿へ、すやの事を頼む。高砂屋へも頼む。
#色川三中 #家事志
(コメント)
娘(有美;本年8月27日生)は、今日食べ初め。10月には笑い初めという記事がありました(10月20日条)。妻のことはあまり書かないのに、娘のことは可愛いくて仕方がないようです。


文政11年12月19日(1828年)曇
本日、色川三中先生休筆(20日まで)。
#色川三中 #家事志


文政11年12月20日(1828年)晴
本日まで色川三中先生休筆。
#色川三中 #家事志



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