南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

調査編④-明治7年鳥海秀七代言人の業務日誌5月29日-30日 

2022年07月14日 | 鳥海代言人業務日誌
調査編④-明治7年鳥海秀七代言人の業務日誌5月29日-30日 

鳥海秀七代言人の業務日誌シリーズは、下記参考文献をもとに、気になった一部の大意を記したものです。

1874年5月29日(明治7年)その1
晴。午前8時頃裁判所へ出頭。着御届を提出して控えていたが、呼び込みがない。午後3時ころ、「お聞きしたいのですが。」と言いながら、聴訟の近くに参ったところ、「鳥海秀七!」とお呼立があり、また、「羽原利三郎、吉崎久兵衛!」とお呼立があった。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月29日(明治7年)その2
聴訟に入ったが、御掛様はいらっしゃらない。「御掛様は先ほどまでいらっしゃったのだが、その方を呼び立てれば、相手方がおらず、相手方を呼び立てれば、その方がいなかったのだ。これ、甚だ不都合である。本日はもう遅いので、明朝原告・被告そろって出頭されたい。」と申し渡された。宿に下がる。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌


1874年5月30日(明治7年)その1
晴。午前8時頃代書人と共に、裁判所へ出頭、着頭帳に記入。午後3時ころ、原告・被告ともお呼び込みがあったので、聴訟に入る。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その2
御掛様が戸長の平野長平に、「戸籍帳は持参しておるか。」とお尋ねになる。
平野戸長が戸籍帳を差し出すと、御掛様はこれをご披見になられ、「太九郎の祖父太右衛門の代の戸籍帳及び当代の戸籍帳は持参されているが、父の保右衛門の代の戸籍帳を持参していないではないか。」と仰る。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その3
御掛様が「これでは印形と照らし合わせてみることができぬぞ。」と言われると、被告代言人両名と平野戸長は、「証文にあります印形は全く見覚えのないものでございます」と申立てた。
私は、「平野戸長は、私が村に行って調べたときには、名前調書を出してくれたのです。今になって保右衛門の戸籍帳を持参しないというのは、相手方の主張に不都合だからではないのですか。」とすぐさま反論した。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌  

1874年5月30日(明治7年)その4
御掛様は、私に向って問いただした。「先般平野戸長がそなたに名前調書を差し出したというが、どのように取り調べたのか」。
私は、「法号を見て俗名を取調べたうえで差し出しました。」と答えた。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌


1874年5月30日(明治7年)その5
御掛様が、被告代言人両名に対して「そなたらも証文にある印形は見覚えがないというのか」とお尋ねになると、両人は、「全く見覚えがござません。」という。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌


1874年5月30日(明治7年)その6
羽原代言人は、さらに「原告人が不実の取り計らいをしたのではありませんか。お上を偽っているのでございます。」と付け加えた。
私「原告がお上を偽ったというのですか。そのようなことを主張されるのであれば、その訳を伺いましょう。」
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その7
このやり取りを見かねた御掛様は「両人ともそのような勝手な主張は差し控えよ」ととめられた。そして、「印形の件は、原告人の方で民事の訴状は取り下げて、断獄(刑事係)に吟味願いを出すべきである。」と痛いことをいわれる。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その8
御掛様は被告代言人に、「被告清四郎を出頭させよ。いつ出頭させることができるか。」と仰る。吉崎代言人は、「6月10日までには」と回答した。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その9
御掛様は「本日から10日も先ではないか。あまり延期するのも問題である。できるだけ前倒ししていただきたい。」と仰られ、6月6日までの猶予とすること、延期願いを裁判所に提出せよとご指示された。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その10
また、御掛様は、「被告清四郎本人が出頭したからには聴訟課で取り調べた上で、断獄に回す。」と仰られ、来る6月7日に出頭するようにと告げた。
午後3時頃宿へ帰った。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

1874年5月30日(明治7年)その11
後で聞いた話だが、原告・被告とも聴訟から下がった後に、平野戸長だけ呼び込みがあり、御掛様から6月7日までに保右衛門の戸籍帳を持参するようにとの厚き御説諭がなされたということである。
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

(参考文献)
橋本誠一著「ある代言人の業務日誌-千葉県立中央図書館所蔵『市原郡村々民事々件諸用留』」(同著『明治初年の裁判』所収)






この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 色川三中「家事志」文政10年7... | トップ | 寛政12年7月上旬・伊能忠敬測... »
最新の画像もっと見る