南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

長女が生まれた後のお祝い続く 文政11年9月下旬・色川三中「家事志」

2023年10月02日 | 色川三中
#コメント済 #色川三中
文政11年9月下旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年9月21日(1828年)雨
夕方、妻の母が土浦に来る(栄吉殿同道)。「中村屋さんに本来なら寄らなければならないところですが、今回は略しました」とのことなので、当方から利助・与兵衛両人に中村屋へ挨拶に行かせた。が、主人は留守。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川三中の義母、土浦来。里帰り出産ではなく嫁ぎ先での出産ですから、孫に会うには娘の婚家に赴くことになります。中村屋さんは双方共通の知り合い(又は親戚)なのでしょう。三中側が気を遣って挨拶に行かせてますが、主人が留守で空振り。
中村屋


文政11年9月22日(1828年)
船で川口の中惣(中村惣左衛門)宅に行く。大町の清八の婿や彦兵衛も来た。中惣宅に泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
中惣とは、中村惣左衛門のこと。中惣さんのところに昨年お子さんがうまれたときは、初生衣を仕立てて贈っているので、近しい関係なのでしょう(文政10年5月9日条)。気心の知れた仲間も集い楽しい会になったようです。


文政11年9月23日(1828年)
昨夜は中惣宅に泊まった。昼前に家に戻る。妻の実家からは小袖二重、宅三郎殿からは金百疋、栄吉殿からも金百疋をいただく。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨晩は中惣さんのお宅に泊まった三中でしたが、妻の母が会いに来たので、気を遣ったのかな。


文政11年9月24日(1828年)晴
中城(現土浦市中央)分の年貢が210俵に決まった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中は本百姓ですので、年貢を収める義務があります。何俵年貢として出すのかは、重要な関心事。今の我々が税金にどのくらい取られるのかと同じ感覚でしょうか。

文政11年9月25日(1828年)
小白の惣兵衛殿が土浦に来た。初産衣料として桟留一端をいただく。
#色川三中 #家事志
(コメント)
小白村の惣兵衛さんは、三中の奥さんが谷田部の実家に戻るときに、付添いをしてくれた人(文政11年4月9日条)。小白村は谷田部村の近く。現在のつくば市小白硲(こじらはざま)か。谷田部に近いことから、奥様の実家と懇意の方のようです。



土浦城 大手門跡 to つくば市立谷田部小学校

土浦城 大手門跡 to つくば市立谷田部小学校




文政11年9月26日(1828年)
(編集より)本日、日記の記載はありません。
#色川三中 #家事志

文政11年9月27日(1828年)
(編集より)本日、日記の記載はありません。明日には再開。
#色川三中 #家事志

文政11年9月28日(1828年)晴
叔父の利兵衛殿とともに、板橋不動尊へ参詣。
#色川三中 #家事志
(コメント)
板橋不動尊は、三中が深く帰依している寺です。現在のつくばみらい市板橋2370番地。大同年間(806~809年)の創建とされ、本尊不動明王は国の重要文化財。「板橋不動尊」「板橋のお不動さん」として古くから関東一円に親しまれ信仰されていたといいます。
28日は不動明王の縁日。三中は半年前も28日の縁日に板橋不動尊を訪れています。楽しみなんでしょうね。


茨城県の板橋村 - 南斗屋のブログ

(はじめに)土浦の薬種商色川三中の日記を読んでいます。日記中に「板橋」という地名が時々でてくるので(末尾参照)、茨城県にも板橋があるのか&...

goo blog




文政11年9月29日(1828年)
江戸に滞留中の色川庄右衛門殿宛に手紙を書く。明日、土浦から江戸に行く者がいるというので、その者に持っていってもらうこととした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川庄右衛門は、百姓代を務めている村役人(文政11年6月1日条参照)。村役人が江戸に滞留中ということは、村の誰かが訴訟をしており、その差添人として江戸に出張っているのかもしれません(その辺の事情は日記には記載なし)。
今の郵便は、江戸時代の飛脚と思い込みがちですが、今日の日記の記事にあるように知人に持っていってもらうことも多かったのでしょう。この方が費用もかかりません。




文政11年9月は小の月のため9月30日はありません。
#色川三中 #家事志 はお休みです。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高安宗悦 | トップ | 五郎兵衛日記に出てくる「坂佐井」は逆井宿場... »
最新の画像もっと見る