(はじめに)
高安宗悦については、色川三中の日記『家事志』中に言及されていたことから、以前記事にしたことがあります(→「十三枚と高安宗悦」)。
今回、高安宗悦について詳しく記載されていたものを見かけましたので、ご紹介します(『香取郡誌』大正10年)。
(十三枚)
高安宗悦は、香取郡新島村扇島(現千葉県香取市扇島)の人。先祖は河内国高安郡で楠木氏に臣事したが、扇島に移ってきたという。その住むところを「十三枚」といい、「本世堂」と号し、代々接骨を行って著名となった。そのため、十三枚の地名は、高安医師を指すこととなった。
(十三代宗悦)
十三代高安宗悦の技は妙を極め、神技といわれた。患者も遠くから来て、門に並ぶ者が引きも切らなかった。扇島は便がよいとはいえないが、入院する患者の数は毎日50〜60人以上。家伝の薬である本世散は毎年数万包を製造するまでになった。
十三代宗悦は天保の飢饉に際し、私財をなげうって困窮した者を助けた。老中水野越前守(忠邦)は金200枚と銀銭を与えて、これを賞した。
また、水戸斉昭に招かれて治療に当たり、銀及び三人扶持を与えられた。斉昭の臣藤田東湖も馬から落ちて怪我をしたので、十三代宗悦に診てもらったことがある。
十三代宗悦は明治27年2月19日に没した。
(十四代宗悦)
十三代宗悦の子は、その名を凌節といった。宗悦の名を継ぎ十四代宗悦となった。医業の傍ら書画を嗜み、「松園」と号した。大正8年1月26日に没した。
(十五代宗悦)
十四代宗悦の子は、その名を宗春といった。宗悦の名を継ぎ、十五代宗悦となった。専門医学校を卒業し、明治38年陸軍三等軍医となり正八位に叙せられ、戦功により勲六等を賜った。十五代宗悦は祖業を継ぐばかりでなく、公益特に郷里の発展に尽くした。