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鳥海秀七代言人の業務日誌5月1日、2日

2022年05月06日 | 鳥海代言人業務日誌
鳥海秀七代言人の業務日誌シリーズは、下記参考文献をもとに、気になった一部の大意を記したものです。

【業務日誌】1874年(明治7年)
5月1日「休廳」
5月2日
「午前8時頃裁判所へ出頭。着御届、提出。午後4時頃まで控えておりましたところ、脇屋様御掛りの分は、一同明日に罷り出よと裁判所から言われました。どうも、ご担当の御掛様がご病気で出勤していないようです。」
#鳥海秀七
#代言人業務日誌

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《コメント》
(1日が休庁の理由)
5月1日は裁判所の休庁日(休み)でした。この当時、曜日に関係なく、官公庁では1・6休暇(毎月1の日と6の日を休む)であり、4勤1休体制でした。官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施されたのは1876(明治9)年ですので、明治7年は、まだ1・6休暇でした。

(鳥海秀七の性格?)
 業務日誌の書き出し日に裁判所が休みなら、そのことは書かなくても良いように思われますが、それでもきっちり記録に残しているのは、鳥海秀七代言人の性格からでしょうか。 

(代言人業務初日は空振り)
5月2日から鳥海代言人は仕事を開始します。しかし、2日の日は裁判所に午前8時から午後4時まで待機しただけ。「また明日に出頭せよ」といわれて、この日の仕事は終わってしまいました。

(着御届)
裁判所に出頭すると、「着御届」というものを提出しています。午前8時に出頭して、午後4時まで待っていたということは、裁判所にはおそらく出頭日だけ指定されるという仕組みであり、出頭届を届出て、当事者が揃ったところから審理を始めるという仕組みだったのではないかと思われます。着届けは江戸時代の裁判にもありました。

(着到御届)
鳥海代言人は一貫して、「着御届」という言葉で業務日誌を書いているのですが、「着到御届」という用語もあったようです。
 福井治安裁判所に提出された文書の中に、「着到御届」という用語法のものがあります。
福井県文書館所蔵・松田三左衛門家文書
資料群番号A0169
資料番号02798

(現在の訴訟実務にも着御届の名残が)
 現在の民事訴訟実務には、着御届なるものはありませんが、出頭すると「出頭カード」というものに、出頭者の名前を書く扱いになっていますから、これは着御届の名残りなのかもしれません。
 現代の民事訴訟では、同じ時刻(例えば午前10時)の期日に複数の事件を入れ、当事者が出頭した順に審理を行うという方法で進めていきます。そのために出頭カードが利用されているのです。

(参考文献)
橋本誠一著「ある代言人の業務日誌-千葉県立中央図書館所蔵『市原郡村々民事々件諸用留』」(同著『明治初年の裁判』所収)



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