南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

色川三中「家事志」文政10年4月下旬

2022年05月02日 | 色川三中
色川三中「家事志」文政10年4月下旬

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第一巻をもとに、気になった一部の大意を記したものです。

【日記】
1827年4月21日(文政10年)
昨夜の大雨で、朝五つ時、関(堰)が切れてしまった。人足を一人だすようにとの触れがあったので、下男一人をすぐに遣わした。
#色川三中
#家事志
(コメント)
3月下旬は渇水でしたが、4月は一転大雨。川の増水で堰が切れる被害が出ています。

1827年4月22日(文政10年)
体調不良で引きこもっていたら、谷田部(現・つくば市)から仲人の細田栄吉らがやってきて家に泊まることとなった。熊野屋と丸木屋は祝儀を持ってきてくれた。嫁の清がこわめしを作って、近所の親戚に配った。中村屋はすぐさまきて、客人に酒を勧め始めた。仲人らは、家に泊まった。
#色川三中
#家事志
(コメント)
新婚の三中を祝いに仲人らが色川家を訪れています。谷田部はお嫁さんの清さんの実家があるところ。体調不良だったのに、三中も応対せざるをえません。

1827年4月23日(文政10年)
・終日ただならぬ不快さ。
・下男の忠七が今朝出奔。出奔の際、同僚の単物を持出し、質に入れたという。
#色川三中
#家事志
(コメント)
三中、やはり体調崩してしまいました。もともと体調が悪い中、仲人の接待をしていたから悪化するのではと心配していましたが…。そこに、忠七出奔の知らせ。他人の者を質入れしてしまっており、立つ鳥跡を濁しまくりです。

1827年4月24日(文政10年)
・病気はやや良くなった。今月9日から悪い状態だった。
・小田村の飯塚権兵衛殿への債務の件は、今月15両、5月上旬までに5両、残金20両を8年間分割で支払うことに決まる。隣り主人(横田権右衛門)、間原平右衛門のおかげ。両名には飯塚殿への一札に加判人となってもらった。
#色川三中
#家事志
(コメント)
三中の体調はようやく回復。まだ20代後半と若いのですが、体調を崩して伏せっていることもしばしばあり心配です。体調を崩す一因として、亡き父が残した多額の負債の処理に伴うストレスもあるのかもしれません。今日も一件示談が成立しましたが、まだまだ債務整理は続きます。

1827年4月25日(文政10年)
・細井玄庵(風流仲間)が来て、たっての頼みということで一晩泊めた。
・隣りのおもと殿(隣主人横田権右衛門の妻)が疱瘡(天然痘)に罹患したので、菓子を整えて見舞いに行った。
#色川三中
#家事志
(コメント)
疱瘡(天然痘)が流行してます(3月27.28日の日記参照)。隣り主人の配偶者まで天然痘に罹ってしまいました。見舞いの品としてお菓子を送っています。

1827年4月26日(文政10年)
・昨夜泊まった細井玄庵(風流仲間)は、今朝帰った。
・七つ時、入江殿(名主)から、「上総屋から訴訟が起こり、掛合をしなければならないから、組合の者一名と来てください」との連絡があった。
#色川三中
#家事志
(コメント)
この時代、訴訟が起こると、町の名主のところに訴状が送達されたようです。名主は、交渉の仲介者として動きます。「掛合」というのは、交渉というほどの意味でしょうか。


1827年4月27日(文政10年)
疱瘡(天然痘)にかかったおもと殿のために、隣家でお棚上げ(天然痘を治す儀式)を行うというので、店の者を一人手伝いに行かせた。八つ時には、母と私も見舞いに行った。
#色川三中
#家事志
(コメント)
疱瘡(天然痘)に対処する儀式として、江戸時代には「棚上げ」というものが行われていました。どうも疱瘡を神としてとらえていたようです。ウイキペディアでも「疱瘡神」の項目があります。

1827年4月28日(文政10年)
夜に入ってから、新宅とのトラブルについて、間原、隣家主人らと協議。酒肴を出し、四つ過ぎまで話す。
#色川三中
#家事志
(コメント)
隣家主人(横田権右衛門)と間原平右衛門は、4月24日の示談の際にも保証人になってもらっており、運命共同体のような仲。困りごとの相談も、仲間内の呑み会も兼ねた酒宴は四ツ過ぎ(午後10時)まで続いたのでした。

1827年4月29日(文政10年)
上総屋の件は本日まとめる予定であると組合に朝連絡した。しかし、残金につき双方の勘違いがあり、書付の書き方も難しく、むなしく四つ過ぎとなり、示談は明日に延期。
#色川三中
#家事志
(コメント)
上総屋から訴訟が起こり、名主から示談を勧められていた三中です(4月26日条)。交渉は進んでいるようですが、詰めの作業を四ツ過ぎ(午後10時)まで行いましたが、まとまらず。示談は明日に持ち越しです。

1827年4月30日(文政10年)
上総屋の件は本日示談となった。これまで計10両を支払っていたので、残金は28両3分であり、これを無利足10年賦で支払う。支払いは、毎年7月13日と極月(12月)20日である。
#色川三中
#家事志
(コメント)
上総屋の件、示談が成立しました。10年かけて無利息(三中は一貫して「利足」と書いています)で回収というのは、債権者である上総屋さんもだいぶ折れてくれたといえましょう。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寛政12年閏4月・伊能忠敬測量日記・蝦夷地測量編 | トップ | 鳥海秀七代言人の業務日誌5月... »
最新の画像もっと見る