リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年1月~その1

2011年01月11日 | 昔語り(2006~2013)
1年のすべてが元旦に決まる?

1月1日。元旦。2011年。晴れ。気温は氷点下。起床は正午。日本的には「正月早々から朝寝とは」ということになりそうだけど、ワタシたちには「今年も普通に始まったね」というところかな。あんがい、幸先が良いと思うけど。バンクーバーの元旦の行事は寒中水泳Polar Bear Swim。1920年に始まった伝統行事で今年は第91回目。午後2時30分にスタート。だけど、超暖冬の去年と違って、かなり冷たそう。もっとも、超寒波の最中だった2009年は水の中にいるほうが温かいくらいだったそうだから、「すべては相対的」。

我が家の元旦は、オレンジジュースにシャンペンの「ミモザ」をお屠蘇代わりにして乾杯するだけで、お雑煮もないし、おせちもない。ずっと昔に1度か2度はお雑煮を作ったことがあったけど、まあ、カレシはおもちが苦手だし、ワタシも特に好きというわけじゃないので元旦だから食べたいという気にはならない。だいたい年越しは大みそかがメインで、みんなパーティでどんちゃん騒ぎをして行く年を送り、来る年を迎えるから、元旦は静かに二日酔いの養生をする日になる人が多い。

考えてみると、祝日は1日。のNew Year’s Dayだけで、「正月」とか「新春」、「迎春」という観念はない。そういえば子供の頃に、寒さの厳しい冬のまっ最中なのになんで「春」なんだろうと不思議でしょうがなかったけど、中国では旧暦の正月を「春節」というし、旧正月の頃には日本の大部分でも梅が咲いたりするだろうから、あれは旧暦の正月感覚をそっくり新暦に移行したということなんだろうな。アジアのほかの地域ではどうか知らないけど、日本人はとにかく区切りをつけては「改まる」のが好きだと思う。(「改める」のはまた別の話だけど・・・。)たぶん四季の変化が定期的ではっきりしていて、うまく「ものさし」の役目をしているからだろうな。それと、日本人は「初」が大好きなんだと思う。だから正月には「初○○」と「○○初め」が満載。

まあ、「お初」は「手垢がついていない」ということで、過剰に清潔好きな人が多いらしいのに通じるところがあるんだろうとも思う。日本のお正月はまた、新年を「祝う」と言いながらも何となく窮屈なところもある。正月早々に何か失敗したり、悪いことがあると、それが1年をコントロールすることになってしまう(からやってはいけない)と言われるから、そそっかしい子だったワタシはお正月が終わって「日常」が戻ってくるまでの三が日をなんとなく戦々恐々とした気分で過ごした記憶がある。正月早々から「あれはダメ、これもダメ」もないもんだと思ったのは大人になってからのことだけど、何かしたら怖いことになるからするなという脅しをかけられるのはあまり楽しいもんじゃない。あんがい、いつも他人が何をする/しない、非常識、マナー違反とうるさい人たちは、お母さんの言うことを聞かずに元旦早々から誰かのことを非常識だ何だとお正月に愚痴ってしまったからそうなっちゃうのかもしれないな。

そういうことで、元旦からトレッドミルをさぼって今年1年はさぼりっぱなしなんてことになっては良くないから、そろそろ着替えをして運動するか。ま、「1年の計は元旦にあり」だし・・・。

極楽とんぼ亭:打ち上げは元旦の祝い膳

明るく晴れ上がった午後、恒例の寒中水泳に2,300人の人たちが参加したとか。気温はプラス2度、水温6度。うぅ、ブルッ。

2011年のBC州のファーストベイビーは午前12時1分に産声を上げた男の子。予定より10日。早くて両親もびっくりしたとか。

濃い夕焼けがみごとな夕方、汗を流した後で、元旦の祝い膳。

元旦のメニュー:
 おせちもどき5種
 生ちらし寿司
 鯛の潮汁

マティニで始まって、少し時間がかかっている間に残りのシャンペンを明け、食事のお供はオレゴン産の日本酒をすてきな江戸切子のグラスで・・・。

[写真] なんちゃっておせちは紅白のかまぼこ、ロコあわび、子持シシャモ、紅白のスズキの蒸し団子、枝豆。スズキの蒸し団子は小分けにするときに切り落とした尻尾のほうをまとめておいたのを玉ねぎと卵白と一緒にフードプロセッサにかけて、半分に食紅で色をつけて、マフィン型に入れて蒸したもの。シシャモは子持ちだから子孫繁栄のつもり。まあ、ワタシたちには今ごろ子孫繁栄もないんだけど。枝豆は豆は豆ということで黒豆の代用。

生ちらしはサケ、タコ、キハダマグロ、ホタテ、エビ、ハマチ、イクラ、イカ。奇数じゃなくて8種類だけど、末広がりってことでいいかな。大きなものは半解凍まで行かないうちに必要なだけ切り分けて解凍。

潮汁はもう1匹を解凍して、頭2つを出汁に使い、切り身と刻みねぎを浮かせた。昔母が作ってくれたのには遠く及ばないけど、塩を控えたのであっさりしておいしかった。

これで飲んで食べてのホリデイシーズンはフィナーレ。少し余裕があるということで、クレムブリュレの残り2個をデザートにして、ついでに生姜のリキュールで打ち上げ。ここまで来て、ちょっと食べ過ぎたかな。(お寿司はご飯が多目になるのでいつも食べ過ぎた感じがするんだけど。)それよりも、マティニにシャンペンに日本酒にリキュールというのは、いくら1杯ずつでも、ちょっと飲みすぎじゃないのかな。でもまあ、これがフィナーレだから。あしたからはいつもの簡単な魚料理の毎日になるんだから。だから・・・。

新年だからちょっと考えてみる

1月2日。日曜日。今日もいい天気。ベッドルームのある二階は八角塔のカーテンを閉めていない窓からいっぱいに日が差し込むので、正午に起きてサーモスタットの表示を見たら25度になっていた。どうりで暑くて目が覚めるはずで、夢うつつにサーモスタットが故障したのかと思ったけど、これじゃあ外がいくら冷え込んでいても、暖房のスイッチは入らない。正午、日陰のポーチの気温はプラス3度。

この冬も地球のお天気模様は極端だな。クリスマス前にはヨーロッパで大雪、大みそか前には北米東岸で大雪、正月前後には西日本で大雪。南半球ではオーストラリアのクイーンズランドで大規模な洪水(ここは2年前にシドニーに行った頃にも州の大半が水に浸かっていた。)人がど~っと移動する時期に重なっているのはどうしてなんだろうな。やっとのことで目的地にたどり着いたと思ったら、もうすぐにとんぼ帰りしなければならないという人も多いだろうな。あんがい、鉄道や車、飛行機といった便利な移動手段が豊富になかった頃は、大雪でもたいした不便はなかったのかもしれないな。極端に過激化する気象は気候変動の特徴なんだそうだけど・・・。

小学生の頃に正月早々に3日。くらい大規模な停電が続いたことがあった。大雪で送電塔が将棋倒しになって、釧路では全市が停電して、水道も止まった。でも、あの頃は石炭ストーブだったので、暖房には困らなかったし、ちょっとした調理もできた。煙突の途中に大きな湯沸しがついていたので、新雪を融かせば湯たんぽに使う熱いお湯にも困らなかった。窓際に陣取って、雪明りで本を読んだような記憶もある。まさに「蛍の光、窓の雪」状態だったけど、子供心にはけっこう楽しい経験だったように思う。ずっと後になって、送電塔が倒れるのは電線についた雪が自重で落ちるときだとわかったという研究結果があった。風があると雪が送電線を巻くようについて太くなり、どんどん重くなるから、鉄塔は足を踏ん張ってそれに耐える。その重みが急にストンとなくなったときに、踏ん張っていた反動で倒れてしまうという話だった。北海道では送電線に着雪を防ぐリングを装着するようになったと聞いていたけど、山陰ではそうしていなかったのかな。

予想に反して今のところは穏やかな冬。やっぱり「のどかな新春」だから、往った年を振り返って、生まれたばかりの新年の行く末を考えてみる。振り返ってみれば2010年はけっこういろんなことがあった。カレシのパパが90歳で他界したのは4月。家族がそろってよく釣りに行った海域に遺灰を流したのは7月。ママが二度目の大腿骨骨折で入院したのが8月。その後の回復が思わしくなくて、生きる意欲をなくしたような時期があったけど、再度の転倒事故で骨盤にひびが入ってまた入院。でも、退院してから思い直したようで無事に年を越した。この5月には94歳。

その間、カレシは感染症やら何やらで、専門医の検査に回されて「もしかして?」とパニック状態。大病をせずに人生を過ごしてきた人間、特に男が「もしかして死ぬ?」みたいなことになると、とにかく周囲の人間、特に女にとっては扱いにくいことこの上ない。あんた、男でしょ!と活を入れたくもなるけど、「ママぁ~」状態になってしまった男にはそれは通用しないから大変。さんざんにパニクって、たぶん慢性化しつつある感染症だろうということになって、少しは大人の対応と自己管理を身につけたように思うけど、なんだか年を取るにつれて亡きパパに似て来たような気もするな。まあ、男は父親を克服することを要求されるようなところがあって、アル中や女遊びやギャンブルで身を滅ぼした男の息子が成人して同じ轍を踏んでしまうことが多いのは、自分には親父になかった自制心がある、自分は親父とは違うのだということを証明したいという心理が働くんじゃないかと思う。まあ、そういう心理自体が自己肯定感のなさの表れじゃないかとも思うけど、男というのは女が思っている以上に生きにくい存在なのかも。そうだとしたら、それは男が作り上げた制度なんだから、女に八つ当たりしないで欲しいけどね。

ワタシはおかげで、というか相変わらずしっちゃかめっちゃかの1年。会議でのプレゼンデビューはほとんどアドリブでナチュラルだったから自分でも呆れたな。元々ちょっとおっちょこちょいで、だけど、ちょっぴり冷めた目で人を見ているところがあって、誕生日の星占いの通りに「形而上学的な疑問」をああだこうだと考えあぐねていて、だけど「最も辛抱強い」おうし座に生まれたおかげで還暦を過ぎてなおまだ人生をギブアップせずにいるし、戊(つちのえ)の子年に生まれたおかげで未だにけっこうがむしゃらに芽を出したがっている。血液型は(医学的には)間違いなくA型なのに、どっかのサイトの性格診断なるものをまじめにやってみたら「B型の性格」という結果が出て来てしまったけど、それもぎっちょのつむじ曲がりの極楽とんぼだからこそ、かな。

2011年。ワタシ63歳。カレシ68歳。カレシの性向を考えたら、少なくとも夫婦としてはある意味で「安全圏」に入ったというところかな。あと2年すれば経済的にもそろって一応の「安全圏」に入って、後はじいさまとばあさまののどかな暮らし。ま、今年も一歩一歩確実に、そして穏やかに年を取ろうじゃないの。結局、人間というのは、年を取ってみなければ良いことを良いこととして味わうことはできないものなのかもしれない。若いうちはそこまで見通すことができないようにできているらしいから、人生はややこしい・・・。

無料だったインフルエンザのワクチン

1月3日。月曜日。今日もいい天気だけど、起きてテレビをつけたら、天気予報で「大雪注意報」が出ていたからびっくり。きのうまで(テレビ局も使っている)天気予報サイトには雪の「ゆ」の字もなかったのに。バンクーバーで雪が降り始めるのはあしたの午後で、積雪量は5センチから10センチ(大雪なんていえるもんじゃないけど)。ところによっては夜には雨に変わり、あさって水曜日の午後には地域全体で雨になる見込み。は、だったら、あした起きてみて雪が降り始めていたら、歩道に融雪塩をまいてやればいいか。どうせ水曜日の(雪かき期限の)午前10時には気温が上がってぐしょぐしょになっているだろうから、もったいないような気もするけどな。

午後には予定通りにモールまでインフルエンザのワクチン接種にでかけた。薬局で資格のある薬剤師にワクチン接種をしてもらえるようになったのは、ごく最近のことじゃないかな。おととしの新型インフルの対策から始まったのかもしれない。大きなスーパーにはたいてい薬局があって、薬剤師がいるから、足りない医者の手を煩わせずに済むのはいいことだと思う。セイフウェイの薬局のカウンターで「フルーショットを2人分」と注文したら、薬剤師の女性がまず州民かどうかを聞いて、次に年令を聞いてきた。カレシは「適格」ということで質問はそこで終わりで、ワタシの方にだけ、職業は、子供との関わりは、慢性疾患は、と次々に質問。薬剤師さん曰く、「有料のワクチンの在庫がなくなって、州の無料ワクチンしか残っていない」と。ははあ、それでカレシは「65歳以上」をクリアして無料で受けられるのに、ワタシにはクリアできる条件がないというわけ。でも、前にホームドクターが「慢性呼吸器疾患」があるからと無料で注射してくれた、といったら、「あ、それなら適格ね。ああ、よかった」。まあ、たしかに30年くらい咳をしているんだけど・・・。

というわけで、2人とも無料でワクチン接種が受けられることになった。有料といってもせいぜい1本20ドルだというし、元からそのつもりだったから有料でいいんだけど、条件付きの無料ワクチンしかないということで、薬剤師さんは夫婦の片方だけというわけにもいくまいと気を利かせてくれたらしい。質問表にずらりと並んだ健康状態や卵や保存料のアレルギーの有無、破傷風などのワクチン接種の有無など確認項目にチェックして、薬剤師さんが重点項目を口頭で質問して再確認して、注射の用意。カレシが「65歳以上で肺炎ワクチンの接種を受けたか」に「ノー」と答えていたので、「ついでにしますか」。何でも、肺炎ワクチンも州のワクチン接種制度の下で65歳以上は無料なんだそうな。ちょっと考えたカレシ、「今日はインフルエンザだけにしておく」と。ま、いつでも受けられるそうだから、いつでもいいんだけど、ワタシは風邪を引くと気管支炎を起こしやすいので、65歳になったらすぐにしてもらおうっと。

右利きのカレシは左腕、左利きのワタシは右腕に注射をしてもらって、無料なのにエアマイルのポイント(スペシャルで通常の10倍)を付けてもらって、「異常がないのを確認するまで15分は店内にいること」という指示で、別に買うものもないけど店内をぶらぶら。結局は手ぶらで帰って来た。(まあ、クレジットカードの残高から、12月の酒屋とスーパー、食品店の請求を拾い出して合計してみて、びっくり仰天したばかりだったし・・・。)

日本も「仕事始め」。懸案のまま年を越した仕事でもない限り、今週いっぱいはまだ「休み」モードでいられるかな。日本には仕事納めぎりぎりに発注しておいて、正月明けまでに!なんてクライアントがけっこういる。よく金曜日午後に発注して、月曜日の朝までにやれと言ってくる発注元に多い。こっちだって週末なのに何なんだと思うけど、(自分が)休みになる前に発注しておいて、(自分の)休み明けにでき上がった原稿で仕事を続ければ(自分の)仕事を効率的にこなしていると思うんだろうな。受注する方は立場が下なんだから(週末だろうが何だろうが)文句を言わずにありがたく思って働けということかもしれないけど、金曜日の午後になると翻訳会社のコーディネータさんたちは大変で、ときには午後7時発の「大至急」メールが飛び込んできたりする。ま、それが日本流の「働き方」なのかもしれないけど・・・。

フリーランスの在宅自営業22年目に入る今年のワタシの仕事前線は「緩やか」でいいってことにしたいけど、はたしてどんなことになるのか・・・。

ベビーブーマーはグレイパワー

1月4日。火曜日。正午起床。気温プラス1度。空模様はいかにも雪が降りそうな色合いの曇り空だけど、まだ降っていない。ほんとに降るのかな。天気予報では、バンクーバーには2センチくらい降ると言っているけど、今どきのブーツの底の厚さよりも少ないのに、それでも「注意報」・・・?

日本ではきのうが仕事始めだからと高をくくっていたら、さっそく仕事が入って来て、やれやれ、こっちも2011年の仕事始め。外資だからかなあ。日本にいたときの最後の仕事は外資だったけど、1月4日。にはわりと早くオフィスを閉めて(ススキノに繰り出したりして)いたような気がする。日本の会社でも、OLたちは振袖を着て行ったりして、新年の挨拶を交わすくらいで仕事らしい仕事はしていなかったような。時代が変わって、この頃は4日。からきちっと仕事にかかるようになったのかもしれないな。年末年始は休みすぎで、国の経済が滞ってしまいかねないもの。

今日の郵便に今年の土地と家の「評価」が入っていた。州政府の機関が前年の夏に鑑定評価して翌年1月に一斉に通知しているもので、バンクーバーは平均12%アップ、川向こうのリッチモンドは中国本土からの移民やアジア系に人気で17%も上がったそうな。ダウンタウンまでの地下鉄が開通したことも要因らしい。我が家の評価額も10%アップで、東京で戸建が2件は買えそうな数字。こんな小さな家にこんな価値があるなんて冗談じゃないよと思ってしまう。市税はこの評価額に対する千分率で査定されて来るから、評価額が上がっただけでも「増税」になるのに、今年は(浪費しすぎて)大赤字の財政を埋めるためにその千分率まで上がることになっている。んっとに、ペーパーの上で資産が増えたってちっともうれしくなんかないけど・・・。

午後3時、白いものがちらり、ほらり。気温はプラス2度。なんだかすぐに雪にはなりそうにない温度なんだけどなあ・・・。

このところメディアにやたらと「高齢化」に関する記事やニュースが登場する。というのも、今年は北米のベビーブーム世代の第一陣が65歳の「定年」を迎える年だからで、年金や医療、介護といった問題が現実になり始める「元年」にあたる。なにしろベビーブームは20年近くも続いたから、人口に占める割合は半端じゃない。人口3300万のカナダでは3人に1人がブーマーというくらいで、良きにつけ悪しきにつけ、「数」の影響力で社会制度や政治、経済の隅々まで変化をもたらして来た。バンクーバーは住宅の価格が高くなりすぎて若い人たちには手が届かないから、郊外に比べて高齢化の進行は早いだろう。自転車レーンだの何だのと若い世代にばかり目を向けたいいかっこしいの市政も、やがて自転車に乗るどころか車の運転もできなくなって「歩行者」になる高齢者に反乱を起こされるかもしれないよ。ベビーブーマーのグレーパワーはそれくらいすごい。

裏返せば、日本のベビーブームはわずか3年しか続かなかったから、政治や社会制度を変えるほどの影響力を持てなかったのかもしれないな。ワタシが小学校に入った頃は1学級に60人近くもいて、「すし詰め教室」と言われた。たしかにあの頃はまだ「戦後」で国が貧しくて学校を増設できなかったのかもしれないけど、行政の方に「3年我慢すれば落ち着く」という、いうなれば「やり過ごせばいい」という考えがあったのは間違いないと思う。すし詰め教室で勉強し、受験戦争の先駆けになり、高度経済成長時代で就職難こそ免れたけど、女性は適齢期の男性の数が少なくて結婚難。なのに、25歳までに結婚しなければクリスマスケーキの半額セールと脅かされ、結婚してもダンナは企業戦士として残業戦線に取られて実質的に母子家庭。そのダンナは身をすり減らして国の発展にまい進してきたのに、団塊の世代と言われて窓際に追いやられたり、リストラされたり。60歳の定年になってみたら、国の年金はまだ5年先。なのに、バブル世代に甘やかした子供が未だに脛をかじっていたり、でなければ現役世代に自分たちの税金で遊んでいると僻まれたりして、なんだか損な世代だなあという気もする。

今日のUSA Todayには、「速く歩く人ほど寿命が延びる」という研究報告が載っていた。65歳以上の人4万人近くを対象にした9つの研究の結果を総合的に分析して、秒速1メートル以上で歩く高齢者は寿命よりも長く生きる確率が高くなるという結論が出たという。特に70代では予想される残り寿命がぐんと延びるらしい。ただし、速く歩けばいいというものではなく、最適な歩行速度は身体が自然に決めるので、歩く速度が健康状態を測るものさしになり得るという話だった。なるほど。そろって60代のワタシもカレシも歩くことにかけてはかなり速い。カレシはワタシよりずっと背が高いんだけど、手をつないで2人とも普通に歩いているつもりでいても歩調が合うからおもしろい。(カレシは脊椎にマイナーな先天的奇形があるせいで、意外と短足。)トレッドミルを時速8キロ(秒速2メートルくらい)に設定しても、ジョギングというよりは「競歩」のような感じだから、ワタシは女性として不相応に早歩きなのかもしれないな。長生き、できるかな?

午後5時。なあんだ、しょぼしょぼと雨が降っている。夜間の最低気温は0度で、まだ「雪」の予報が出ているけど、あしたの朝には雪交じりの雨(あるいは雨交じりの雪)、午後には気温5度で押しも押されもしない「バンクーバーの雨」。今回も塩をまかなくても良さそうだな。では、ぼちぼちと2011年の営業を再開しようか。まずは、オフィスと頭にかかったくもの巣を払って・・・。

あぶく銭はやっぱりしゃぼん玉

1月5日。水曜日。今日はめずらしく正午前に起床。窓の外を見たら、雪は降ったのか、降らなかったのか。よく見たら、日陰の屋根や庭の落ち葉の間に白いものがうっすら。どうにか一応は降ったらしい。今日は12日。ぶりのごみ収集の日で、容器を回収しに出て行ったカレシが、「氷雨だよ、これ」と。ふむ、まだ危ないのかなと思いつつ、テレビの天気予報を見たら、あしたは50ミリくらいも雨が降るんだそうな。雪が降るぞ~と騒いだと思えば、大雨が来るぞ~と騒いで、せわしないったらない。厳冬になるのか、暖冬になるのか、どっちかに決めてくれないかなあ、もう。

カレシを再開した英語教室に送り出して、今年の初仕事にかかる。ま、法律改正の話だから、たいしておもしろいわけじゃないけど、去年は一世一代の大プロジェクトでかなりくたびれたから、今年はあまりすごい仕事はしたくないような気もする。なんていっていると、ぼこぼこと仕事が舞い込んで来る。おいおい、こっちはまだ「おとそ気分」が抜けきってないんだけど。なんでも、日本ではもうさっそく三連休が来るので、「今のうちに発注しとかなきゃ!」ということらしい。やれやれ。でも、そのおかげで、あと何百ドルかでフリーランスの自営業を旗揚げして以来の累積収入が150万ドルに到達する。目がくらみそうで頬っぺたをつねってみたくなる好況の年もあったし、これで終わりかと真っ青になるようなどん底の年もあったけど、あのままオフィス勤めを続けていたら逆立ちしたって夢のまた夢の数字。動機は何であれカレシが背中をど突いてくれたおかげなんで、一時は妬まれて僻まれてのエライ思いもしたけど、まあ、終わり良ければすべて良しということかな。

お金の話では、カナダの高額賞金の宝くじでオンタリオ州の電話会社に勤める19人が最高額5千万ドルを当てて話題になったのはいいけど、後から自分もグループの仲間だという人たちが何人も名乗り出てきて、賞金の支払いが保留になっている。お金を出し合って宝くじを買うのはけっこうどこでも普通にやっていることだから珍しくはないけど、大当たりしたとたんに「参加者」が増えるというのはそうしょっちゅうあることじゃないだろうな。数年前には、バンクーバーの郊外にファストフードの店でオーナーを含めた13人くらいがロトで大当たりしたら、4人の同僚が自分たちも加わっていたと言い出して裁判沙汰になった。最終的には裁判所が後出しの4人にもかなりの分け前(たぶん6けたの額)を認めたそうだけど、そのうちのひとりはそれをあっという間に使い果たして、今また最低賃金で働いているという話だった。まあ、一説に宝くじで大当たりした人は平均3年で賞金を使い果たすとも言われているから、まさにあぶく銭を絵に描いたような話。アメリカではもっともっと大きな目が眩みそうな賞金を当てた人がいるけど、まだ名乗り出てきていないらしい。(ワタシだったら弁護士と会計士を雇ってからにするけどなあ。)

アイスホッケーは、ジュニア世界選手権はカナダがロシアに負けたけど、プロではバンクーバーカナックスが7連勝。破竹の勢いで勝ちまくって、現在リーグ全体の首位というから信じられないような話。だけど、今年はまぐれじゃなくて強い。ふむ、スタンレー杯決勝に出られるか、あるいはスタンレー杯を獲得できるか、賭けてみる?いや、あぶく銭を狙うよりは、まじめに仕事をしたほうが確実に勝てると思うけど・・・。

百万ドルの普通の家を買うのは誰?

1月6日。木曜日。ゆうべはのんきに寝酒なんかやっていて、就寝が午前5時だったので、起床は正午過ぎ。だけど、今日は(仕事の期限以外は)別にこれといって差し迫った予定がないから、しばらくぐずぐずして、おなかが空いてきた頃にゆっくりと起き出した。外は相変わらず湿っぽい。

朝食が終わったら、まずは腕まくりをして今年の仕事第1号を片付けにかかる。夜にはついでにねじ込まれた仕事があって、日本ではもう金曜日だから「鬼門」の日。正月早々からバタバタするなよ~と言いたいところだけど、なんと月曜日は祝日なんだそうな。ええ?年の暮れだ、正月だと1週間近くも休んだばかりだってのに、もう連休なのぉ?それでワタシのデスクにバタバタと仕事が積みあがってしまったのぉ?そんなの不公平じゃないのぉ?といったところで、何ごとも「即」がお家流じゃあ馬耳東風なのはわかっているけど、日本は祝日その他の休みが多いなあ。だから、残業、残業、また残業の毎日になってしまうのかと思ってしまうけど。

のっけからかなりドライな法律関係の仕事をやっつけて、トレッドミルの前にちょっと新聞サイトをのぞいたら、バンクーバーでは去年二階建て戸建住宅の平均価格が100万ドルに達したという記事があって仰天した。カナダの12の主要都市で、バンクーバーが100万ドルで断トツのトップ。2番目に高いトロントはバンクーバーよりずっと大きいカナダ最大の都市だけど、平均価格は60万ドルにあと一歩の数字。全国平均はバンクーバーのほぼ3分の1。まるで狂乱価格のような感じだけど、今年はまだ上昇を続けるって、いったいどうなってんだろう。平均的な世帯所得だと、いくら金利が低いと言っても、いくらベースメントを貸室にしてローンの足しにしても、とっても手が届きそうにない。どこからそんな需要が出てくるのか不思議だな。やっぱり中国や他のアジア地域から裕福な移民が増えているのかな。それでも、ちょっと怖くなる数字だな。

もちろん将来暴落しないという保証はどこにもないんだけどね。ワタシたちが今の土地を買った1982年の夏、高インフレの後の超高金利で経済が失速して大不況になり、住宅価格は急激に冷えていたときだった。買値は数ヵ月前に売りに出たときの売値の60%くらいで、ローンの手続きをしている間にさらに買値から10%も下がって、銀行の担当者に「高すぎる」と文句を言われた。まあ、高すぎるといわれたところで10万ドル以下だったし、ほぼ半分の頭金を払ったから、金利が17.5%でもローンを組めたんだけど、100万ドルじゃあどんなに金利が低くても手も足も出そうにないな。もっとも、この先ベビーブーマー世代が高齢化して戸建を手放すようになったら、供給過剰になって値下がりこともあり得ると思うけど・・・。

まあ、たとえ100万ドルで売れたとしても、劇的にダウンサイズするか、賃貸のコンドミニアムに住むか、バンクーバーを離れるかしない限りは、どこかに別の100万ドルの家を買わなければならないわけで、どんなにマイホームの価値が上がっても、そこに住み続けている間は高級住宅地に住み替えた気分になるわけじゃないし、自慢してみたくても向こう三軒両隣がみんな同じように高くなっているわけだし、結局は売る気がなければどうでもいいじゃないのと思うな。ただし、年に何回も買い手がいるから売らないかと言って来る不動産屋に今まで100万ドルでなら売ってやってもいいと返事をしていたのを、値上げしなくちゃならないなあ・・・。

さて、夕食後はささっと今日2つ目の仕事をやっつけたから、ささっとクリスマスツリーを解体して、家の中を「平常化」することにしようっと。

今年は裏庭の大改修工事?

1月7日。金曜日。目が覚めたときはいい天気。後でだいぶ曇ってきたけど、ゆうべはかなりの雨だったから、ちょっと水気を払うのにいいかな。週末からまた寒くなって、来週の半ばにはまた「雪」の予報だしね。

今日はまずきのう片付けたクリスマスツリーと飾りを納戸にしまう。これがけっこう汗をかく作業。後はエンドテーブルを元の位置に戻し、ダイニングテーブルも拡張板を外して丸テーブルに戻して、これでリビングルームも「平常」の配置に戻った。なんとなくだだっ広い感じがするのは、ぐらぐらしていたダイニングチェア2脚を廃棄処分にするつもりでポーチに放り出したせいかもしれないな。元々湿気の高い東南アジアで作られて輸入された家具なので、北米の乾燥した室内で材料の気が乾燥して、椅子はひとたまりもなくぐらぐら。買ったときは決して安いものではなかったんだけど、その後に買い換えたテーブルは北米産のカシの木で郊外の家具屋が作ったもので、10年以上たった今でも拡張板がぴたっとはまるから、木製家具は材料の産地や組立て地も考えないといけないという教訓だろうな。

今日はトレッドミルも含めて2人とも一日中「休養日」。まあ、休養が必要なのは(やたらとゾウアザラシみたいなあくびをしている)カレシの方だと思うけど、ワタシもぐうたらするのはやぶさかではないから、諸手を上げて賛成。仕事の予定さえ狂わなければ、いつでも休みを取っていいのが自営業のいいところかな。へたをすると週末も何も区別がなくなるのが玉に瑕だけど、たぶんそれも自己管理の腕前次第。もっとも、ワタシはその点ではあまり管理が行き届いているようには思えないけど。ふむ、よっしゃ~とつい気軽に引き受けて慌てる能天気さの改善を今年度の「営業方針」にしてみようかなあ・・・(と、カレシに言ったら、「実行の見込みゼロ!」と笑い飛ばされちゃったけども)。

カレシはサラダの本をキッチンのテーブルに積み上げて、レシピを読みながら、来年はあれも植えよう、これも育てようと、けっこう盛大な構想を練って?いる。問題は裏庭のスペースだな。なにしろ15年前に「他人の生活音をシャットアウトしたい」ということで、かなりの工費で庭の真ん中に大きな池を掘り、滝を作ったんだけど、コンクリートにひびが入り始めて、循環させている水のロスが激しい。おまけに自動給水栓のバルブが壊れて、水が溢れても止まらないし、毎年繁殖のために来ていたカエルもとっくの昔に来なくなった。大がかりな修理をするか、いっそのこと撤去してしまうか。どっちにしても相当な工費がかかるだろうけど、試しにちょこっと池の撤去を提案してみたら、カレシは思いのほか簡単に「うん、そうしたら庭いっぱいにいろんな野菜を植えられるよなあ」。

おお、いい手ごたえ。そう、裏庭の高山植物は前庭に移動して、日当たりのいい裏庭は全面的に菜園にして、何だったらガレージの壁をぶち抜いてがっちりした温室を併設してもいいな。池のポンプに使っている電源を暖房用に回せばいいし、ガレージの屋根にソーラーパネルをつけてもいいし・・・おいおい、だんだん話が大きくなって来たみたい。ついでににわとりを飼って新鮮な卵って、じょうだんじゃない。そりゃあ市の条例でニワトリを飼えるようになったけど、ゴルフ場のコヨーテやらアライグマやらスカンクやらがチキンを食べに集まってきてしまうじゃないの。(日本がまだ食糧不足で飢えていた頃、父が幼ないワタシのために卵を確保しようと庭の小屋でニワトリを飼っていたけど、いつも野良犬の被害に悩まされていた。)ま、ニワトリは抜きで、裏庭の全面改修工事を考える頃合だと思うな。なにせ、カクテルを飲みながら夕涼みを楽しむためのデッキだって、もう5年も待っているのにまだ出現してないもんねえ・・・。

カレシは、梨の木を植えたいね、りんごの木を植えたいね、トウモロコシを植えたいね、かぼちゃやきゅうりもたくさん植えたいね、と今からあれこれ皮算用して、「キミは今年もうんと仕事をしなければならなくなるかもしれないよ」。いいの、いいの。おいしい野菜をたくさん作ってくれたら、ワタシは腕によりをかけておいしい料理をたくさん作って食べるから・・・。

和食オンチはアジア食が得意

1月8日。土曜日。いい天気。寒くなる前兆かな。ゆうべは2人でゆっくりとお風呂に入って、じっくりと芯まで温まって、おまけに寝酒でさらに温めて寝たので、そろって良く眠った。こういうのを「爆睡」というんだろうけど、いつもより早めに寝たのに、目が覚めたらとっくに正午すぎ。年を取ってからよく眠れるというのはいいことからしいから、何時であろうがよく眠れて、それが規則的だったらそれで良しとしとこう。

あんまり天気がいいもので、週末で込んでいるだろうことは承知の上で、少々エンジンがかかりにくくなって来たエコーをドライブに連れ出した。去年の5月に帰ってきて干上がっていたバッテリを充電してもらってからは、かなりまじめに意図的に遠出して来たので一度も上げていない。ま、またぞろ寒波と雪の予報が出ているから今のうちに行こうというわけ。もっとも、天気がいいから「ドライブ」に出かけるという人はあまりいないようだし、日本のようにプロフィールにドライブが「趣味」と書く人もいない。やっぱり生活の上での車の位置づけが違うせいかな。だから、いくら出かけないと車のバッテリが上がってしまうと言っても、カレシはそれだけでは重い腰を上げようとしないけど、手ごろな距離のコキットラムに韓国系移民が集中した結果、大きなHマートができたおかげで、「野菜や魚の買出し」というわりと差し迫った風の理由ができたのは車にとってラッキーだったかな。

帰り道で閑散とした園芸センターに寄って、春の農作業の準備に必要なバミュライトや砂を買って、土曜の午後のドライブは終わり。人間も運動をしなきゃということで、トレッドミルで走ってから、夕食のしたく。カレシがサラダドレッシングを作るのに手間をかけているから、ワタシも大き目のなべにきんぴらごぼうをどっさり。メインはトースターオーブンで炙ったアジの開きとポン酢を入れた大根おろし。冷凍してあった山菜御飯を解凍してめんつゆと山菜を足して炊き直したのを添えて、なんちゃらお惣菜風カフェごはん。ちなみに、「カフェごはん」て、なんちゃらテイストが自慢らしい人たちが騒ぐからどんなにおしゃれな高級食なのかと思って調べてみたら、ひと皿にてんこ盛りの機内食に毛の生えたようなゴハンのことらしい。なんだ、それだったらワタシが毎日30年以上も作って来た「ごはん」と変わりないじゃないの。ま、残りもののご飯とアジの開きときんぴらごぼうでも、一枚のお皿にかっこよく盛って出せば、ちょっとおしゃれな感じがしないでもないかな。盛り付けや食卓への出し方(プレゼンテーション)も食欲増進の要素なんだし。

アジはおいしいからアジ(味)と呼ばれるんだそうだけど、ほんとになかなかいい味で、カレシも「うま~い」。でも、日本にいたときに食べていたという記憶はあまりない。腕を骨折した母の「リモコン」で一度だけアジを処理したことがあるので、それが「一度だけ食べた」という記憶になっているのかもしれない。まあ、アジは熱帯から温帯にかけての海で獲れる魚だそうだから、北海道の東の海は冷たすぎてあまり獲れなかったのかもしれない。それに、ホッケの開きがよく食卓に上っていたから、たぶんあの頃の道東ではアジよりホッケが主流だったんだろうと思う。このホッケもすごくおいしい魚で、アジは何となくホッケに似た味がした。英語の名前を見ると、アジは「horse mackerel」でホッケは「Atka mackerel」と、どっちも「サバ」なんだけど、アジは「スズキ目アジ科」、ホッケは「カサゴ目アイナメ科」でまったく違うからおもしろい。

魚を主食にするようになって、けっこう「なんちゃって日本食」を作るようになった。中国や韓国からの移民がどっと増えたおかげで、T&TやHマートのようなアジア系の大型スーパーができて、日本の食材が手に入りやすくなったせいもあるだろうと思う。カナダに来たばかりの頃は戦前に日本人町があったところに日系人の小さな店があったけど、北海道文化しか知らないワタシにはよくわからない食材が多かった。バブルが膨らむ頃からは日本からの移民も増えはしたけどごく少数だったし、そのほとんどがカナダ人と結婚した女性だったそうだから、日系スーパーを立ち上げられるような規模の新日系コミュニティを作るには遠く及ばなかった。日本食品店もできたけど、折からの猛烈な円高で「ふりかけ」さえ目玉が飛び出るほど高かったし、あまり有用なものがなかった。もっとも、東京に行ってスーパーをのぞいて見るとやっぱりよくわからない食品がたくさんあるから、浦島花子の「和食オンチ」はしょうがないのかな。きっと「なんちゃって日本食」どころじゃなくて、もう「アジア食」と呼んだ方がいいのかもしれないな。

さて、もやしをどっさり買ってきたから、今夜のランチは久しぶりにフォーにしよう。

みんながおひとり様の国

1月9日。日曜日。正午近くなって目が覚めてみたら、カレシがいない。またかと思って、起き出して聞いたら、10時前に起きてしまったんだそうな。「テレビの前で眠りすぎたから」と。きのうはホッケーの中継を見ていたのに、ほとんど覚えていないというから、1時間以上は眠った勘定。おかげで就寝時間を遅らせても、まだ早々と目が覚めてしまう、と。

ワタシは夕食後にテレビの前でうたた寝なんかしないけどなあ。もっとも、テレビを見ないから「テレビの前」でうたた寝しないだけで、たまにオフィスのソファで寝てしまうことはあるけど、それで普通の睡眠が乱れることはあまりないけど。これって一種の加齢現象なのかなあ。つまりはカレシも相当に「じじい」になりつつあるってことなのかな。ま、それはそれでいいんだけど、膝に乗せる猫でも飼おうか。とはいっても、カレシは責任が生じるのが嫌だから生きものを飼いたくない主義なんだそうで、たぶんその延長で子供は持ちたくなかったんだろうし、結婚というコミットメントだって、しないで済むものならしたくなかったのかも・・・。

朝日新聞が始めた『孤族の国』と言う特別連載、紙面に掲載された2、3日。後にはウェブにも全文が掲載される。まず「男たち」にスポットを当てた第1部が終わったばかりだけど、家族どころか社会からも孤立してしまった日本の男たちの姿が痛々しい。国籍こそ「日本」ではなくなっても、「日本人」という民族に生まれたからには一生つながりがなくなるはずのない日本という国なんだけど、読んでいると「こんな国、知らないなあ」とでも言うのか、どこか遠くの知らない国の話のような感じもして来る。加齢や老後の人生といったテーマは、どこの国であったも決して他人事ではない。それなのに、団塊の世代の男たちの孤独で悲しい姿が、世界に喧伝されて来た日本の「家族社会」のイメージとはほど遠いのはどういうことなんだろう。少なくとも民主主義を掲げる「先進国」に連なる経済大国で国民が餓死するというのは異常ではないんだろうか。これだけの人たちがひっそりと死んで朽ち果てるという状況を異常だと思わないんだろうか。何かがおかしいと思わないんだろうか。

高度経済成長と欧米化が「個」の時代の原点だといいたそうな、個人の時代、ライフスタイルや価値観の多様化の時代になって、今そのつけを払うときが来たとでもいいたそうな口ぶりだけど、ほんとうかな。その前の日本では家族、親族、コミュニティが助け合って、孤独死や餓死を防いでいたんだろうか。実際のところ、そのあたりはどうだったんだろうな。個人主義が「孤族」につながるのだったら、本来「個人」を社会の基本とする欧米では常に何万、何十万という高齢者が何ヵ月も隣人にさえ知られることなく孤独死しているはずだと思う。「個人」は必ずしも「孤人」ではないはずなのに、元々個人を尊重する観念がない社会風土に異質な「個人主義」を取り入れる一方で、個人を基本とする社会を構築するような教育や行政を怠って来たのがそもそもの問題だったんじゃないのかな。明治の「脱亜入欧」と「和魂洋才」の文明開化方針で、西洋の文化や技術から都合の良いところだけを取り入れて来た結果なのかとも思う。

去年のお子様プロジェクトをやっていた間も、個性を育てるという方針と、マニュアル的な教育のギャップを実感していた。「考えてみなさい」と言っている割には、手順通りにやって想定通りの結果を出すことを求める、まさに建て前と本音。結果的に、「人の痛みがわかる人間」を育てるはずが、「自分の痛みをわかってくれる人」を期待する人間になってしまうのかもしれない。そうなったらただの自己チュー症なんだろうけど、皮肉なことに、そういう人間ほどその中心であるはずの「自己」がないらしい。頼るべき「自己」がないから他力本願なんだと思う。

生涯未婚率が高まるにつれて、中高年になって「婚活」に励む独り身の男たちが増えているそうだけど、彼らが求めているのは「そばにいてくれる人」。中には外国に出かけて、大金を投じて「妻」を求める男たちも多く、婚活ビジネスの誘いに乗せられて、老後の資金を使い果たしてしまう人もずいぶんいるらしい。だけど、欲しいのは「老いる自分の世話をして、看取ってくれる相手」というのはちょっとばかり身勝手じゃないかなあ。自分が誰かに看取られて死ねればそれでいいと言っているようなもので、それじゃあ、残される妻の暮らしを保障できる遺産を残せるくらいの財産でも持っていない限り、今どきは無理だろうと思うけど。よもや外国から来た妻を金で買った介護要員と思っているんじゃないだろうな。相手の女性をひとりの人間(個人)として尊重しないような自己チュー男は、金目当ての女と悪徳婚活ビジネスに身包みはがされるのがオチだと思うけど。

昔から日本では「家族的な雰囲気」とか「家族的な経営」とか、なんかほんわかとした家族的な社会文化が強調されて来たはずだけど、実は何となく「的」なイメージだっただけで、ほんとうはつながりと言えるほどのものはなかったんだろうか。そんなことないよねえ。だけど、連載を読む限りでは、今の日本はなんか異常に「孤人」の国だよねえ・・・。

B型性格のA型人間の形而上的駄考

1月10日。月曜日。いい天気で、家の中はぽかぽかしているけど、外はかなり冷えているらしい。あしたの夜には雪が降り始めるそうで、予想積雪量は15センチから30センチ。おや、今度は本気らしく、大張り切りの「大雪注意報」が出ている。だけど、「バンクーバーで積雪量を正確に予想するのは至難の業」なんて言いながら、天気予報では「午後8時ごろから降り始める」とけっこう正確な開始時間を予想できるというのは、なんかヘンじゃないのかなあ。ちょっとばかりお芝居の紙ふぶきの「雪」を連想してしまうけど、ほんとにあしたの午後8時くらいに雪が降り始めるのかな。

せっかくの「大雪」で歩道に融雪塩をまいてみるチャンスだと思ったのに、なあんだ、翌日の水曜日の午後にはもう雨なんだって。これでは、午前10時までにと焦って雪かき労働をする人はいないだろうな。どうせすぐに消える運命なんだから、水曜日の朝に頭から布団をかぶってやり過ごせばいいのにな。そうすれば、木曜日には最高気温が7度にもなって、雨。金曜日にも雨。土曜日にも、日曜日にも・・・。だから半日くらいの不便を我慢できないことはないだろうと思うんだけど、何ごとも役所や社会がやってくれると期待するやってちゃん傾向は世界的な潮流なのかもしれないな。まあ、液体として降って来てくれる限りは大歓迎だけど。足の水かきの手入れをしておくかな。

血液型による性格判断の話が出たところで、「血液型 性格 日本」と英語で入れてちょこっとググってみたら、あるある。イギリスのBBCからアメリカのニューヨークタイムズ、CNNまで、日本の「血液型ブーム」を説明(しようと)している記事があった。たいがいは「え、なんで~?」という反応だけど、無理もない。北米には自分の血液型を知らない人の方が多いから、出会った人を判断するのに相手の血液型を聞いても意味がない。カレシだって60代の終わり近くなってもまだ自分の血液型を知らないし、特に関心もない。日本人は靴ひもを結べるようになる前に90%の人がに自分の血液型を知っているとイギリスの大手新聞の記事に載っていた。婚活でも必須情報らしいし、だからFacebookも日本向けだけに特に血液型の項目を作ったんだろうな。

だけど、基本的に4種類の血液型で何億といる人の性格を判断するという思考が不思議だな。「判断できる」と言う人がいるわけで、その人は「この血液型はこういう人間だ」という本を書いて大もうけをしたんだよね。ベストセラーになったと言うことは飛びついた人がそれくらいたくさんいたということだけど、「へえ」という程度の興味だけの人もいたとしても、他人(あるいは自分)を判断するものさしを求めていた人たちも数え切れないほどいたということだろうな。まず相手の血液型を聞いて、「血液型不一致でお付き合いできません」とでも言うんだろうか。実際に付き合ってみたら意気投合するような人かもしれないのに、血液型の本が合わないと言ってるから「合わない」と判断して初めから付き合わないのかな。もったいないという気がするけど・・・。

いや、きっと付き合いはするんだろうな。付き合ってみて、本の説明と違っている(つまり、想定した通りにいかない)から、小町の井戸端で思い通りに行かない人間関係を嘆いたり、憤ったりして、「どうしたらいい?どう対応したらいい?」と見ず知らずの人たちに聞いているんだろうな。不思議な人たちだなあ、ほんと。人間関係にその通りにすれば必ずうまく行くマニュアルなんてあるわけがないと思うんだけど。でも、マニュアルが欲しいんだろうな。何かあっても百発百中のトラブルシューティングのページがついていて安心できるマニュアルが。つまりは、自分の判断を信用していない、自分と言う人間を信頼できないからなのかな。自分を信頼できなければ他人を信頼するのは難しいし、信頼できる「自分」がいなければ人間はすごく孤独だろうと思う。

その「孤独」はそれまで近くにいた人がいなくなったときに感じる「さびしさ」とはまったく違うものだと思うけど、それは何もない見知らぬ空間にいる「孤独」、いうなれば「虚」に通じる「孤」のようなものなんだろうか。だけど、ある社会で「個」の単位が集団であるとしたら、その集団を構成する人間はいったい何なんだろう。マシンの部品ということになるのかな。部品は設計された通りに動けばいい。どれか1個でも(勝手に頭で考えて)想定外の行動をしたら、マシンの運転に支障が出る(つまり、和が乱れる)から迷惑。規格外れや欠陥のある部品はいらないから捨てる。だから、みんな捨てられないようにマニュアルに忠実に動いて、マシンはカッチカッチと軽快に作動する。はて、つまるところはそれぞれに「個(自己)」を育てて来なかった故に「集団の中の孤独」があるということなのかな。う~ん、わかってきたような、やっぱりわからないような・・・。