リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年5月~その1

2007年05月31日 | 昔語り(2006~2013)
数字のない切手

5月1日。月末処理も全部済んで無事5月。請求書を出すのに散歩がてらモールまで切手を買いに行く。その程度の買い物なら歩いた方がずっと早い。地下鉄工事が全延長工事中になって、街はほぼ東西二つに分断された形だ。何しろ東西方向に通過できる交差点は数えるほどで、まるで壁があったときのベルリンみたいなもの。市民生活への影響は最小限にします、なんていったくせに、これでは最大限のしわよせ。だからオリンピックなんてヤダといったのに。

昔は国内の2倍だった海外向けの郵便料金がいつの間にか3倍になっている。6枚つづりのシートを買った。あまり使わないから今では料金不足の古い切手がたまる一方なのだ。国内向けにはP切手を30枚。料金の代わりに「P」と印刷してある切手で「Permanent」の意味だそうな。つまり、そのときの通常料金で売るから、値上げするたびに新しい切手を印刷しなくてもいいし、買った方も値上がり分を足さなくてもそのまま使えるというしくみらしい。便利といえば便利かもしれない。

もうだいぶ昔の話になるけど、郵便料金の値上げを決めたものの、なぜかごたごたして新料金も施行期日も決まらなかったことがあった。新しい通常切手の印刷が間に合わなくなるということで、急遽発行されたのが「A」の文字印刷した切手。さっそく新聞に「A」の代わりに「Eh?」と書き込んだ風刺漫画が載った。「Eh」というのは「ええ?」という意味もあるけど、カナダでは「ね、そうでしょ?」といった意味でよく語尾につける語で、カナダ英語の象徴みたいなものだ。(アメリカ人は「Huh」という。)

赤いかえでの葉っぱの上に「P」と白抜きした切手。2005年に値上げした時は、値上げ分の1セント切手を6千万枚も印刷しなければならなかったたそうで、1セントも50セントも印刷コストは変わらないはずだから、たぶん採算が取れない!と悲鳴を上げたのだろう。まあ、郵便公社にも消費者にもいいなら、いいじゃない。年末近くなったら100枚入りのロールでごそっと買っておこうかな。100枚でも1セントの値上げなら、たった1ドルの節約でしかないんだけど、そこはそれで・・・

雨の日雑感

5月2日。雨の日。お隣ではこの雨の中で屋根の葺き替え工事。古いアスファルトのこけら板を剥がしては、新しいのに張り替えて行く。我が家も今年で築後19年になるから、来年か再来年は屋根の葺き替えが必要になりそうだ。我が家は傾斜が急だし、八角形の塔があったりするから、かなりの費用がかかるらしい。稼いでおかなきゃ。

ゆうべ2年ぶりにカエルの声を聞いた。戻ってきてくれた!まだシングルだけど、また以前のように我が家の池に住み着いていついて、そのうちまた3町先まで聞こえるような盛大なデュエットが始まると良いなあ。

今日は小さな仕事をひとつだけ。デスクの上の片付けを始めるつもりだったのが、なぜか脱線してしまった。新築の時に造り付けにしてもらったデスクはコの字型で全長ほぼ4メートル。そこら中にカタログ類や雑誌やその他もろもろの郵便物が山と積んで、教科書は埋もれっぱなし。超ミニアトリエも絵を描く時間がないまま埋もれっぱなし。払い忘れた請求書が出てきたりしないと良いけれど。コンピュータ類の領域以外に辛うじて自分の肩幅程度のスペースが残っている。それにしても、現代は要らないモノがたまり過ぎる。困ったものだ。

ブログのテンプレートを新しいのに変えて見る。青空も良いけど、広々とした野外を眺めているっていいなあ。どこかへ行きたいような気持。そういえば、イギリス行きまであと6週間しかない。それまでに、一部センサーが故障したままの防犯アラームを取り替えてもらわなくちゃ。システムチェックとやらで、1日2回アラームが鳴る。モニタールームは故障を知っているから別に電話もしてこない。毎日だから、いいかげんにうんざりしてきた。

システムが古いので取替え用のセンサーがないというから、システムをそっくりアップグレードすることにした。何万円とかかるわけで、営業担当が飛んで来るだろうと思ったのが大間違い。人手不足なのか、何なのか、電話してもたらい回しで、まだ営業の人と話もできない。「大至急」マークをつけて送ったリクエストのメールもまだなしのつぶて。どうなってるんだろう。カレシはもうカリカリ。だけど、ちょっと待て。目的はシステムのアップグレード。ここのところは、「よ~し、そっちがそうなら」と、電話とメールでしつこく追いかけてやろう。

それにしても、カナダ最大のセキュリティ会社なのに、ちょっと商売っ気がなさ過ぎるような・・・?

主婦と妻はどう違うの?

5月3日。黒雲が広がっていたかと思うと青空に白い雲。秋空が女心なら、こんな春空は男心なのか・・・?

セキュリティ会社のウェブサイトにあったトールフリー番号に電話。ちょっと間のびのした南部訛り。ふ~ん、コールセンターはカナダ国内にはないらしい。それでも用件を伝えたら、ローカルオフィスに連絡します、と。好奇心で聞いてみたら、何とフロリダ州ジャクソンヴィルだって。「いくらリクエストしても連絡ないけれど」といったら、のんびりと「カナダってどうなってるのか、よくわかんないのよねぇ」だと。おやおや。明日は金曜日だ。週明けまでに進展がなかったらいっそ他へ鞍替えしちゃうか。

棚つり第2期工事完了。カウンターにずらりと並べてあったお酒を全部に棚に移動。棚2段があっというまにいっぱい。何だかすごい飲兵衛夫婦に見える。だって、1年の酒代がン十万円だもんなあ・・・

小町でまたまた専業主婦論議が白熱している。子なしの専業主婦はなぜ働かないのかというトピック。夫に働けと言われたと大むくれの専業主婦のトピックもあるし、今どきの20代、30代は働くのがいやになって結婚したがっているのかと思っていた。結婚移民だってそういうのが多い。移民手続き中はいつになったら働けるのかとうるさいのが、移民になったらとたんに専業主婦。ま、こういうのは「カナダ人ダンナが高給取りだから働かなくてもいいの」と暗に共働き日本人妻の「不運」を揶揄しているわけなんで、そういう書き込みを数えたら、バンクーバーの高収入カナダ男はみんな専業主婦の日本人妻にかしずかれている勘定になる。日本人の数からしてもありえないけど、それで本人が幸せな気分になるのなら、良かったね、と・・・。

それにしてもどうしてこう人のことが気になるんだろう。働く、働かないは夫婦の問題だろうに。カナダにだって専業主婦はいるけど、子育て中が多い。妻が高収入なら夫の方が専業主夫になって子育てすることだってある。だけど、子なしの専業主婦ってのは聞かないなあ。いたらやっぱり、毎日何してるの、退屈しないのって聞かれると思う。私もカナダに来て最初の2年間は専業主婦だった。あんな退屈な毎日は今考えてもゴメンだ。というわけで30年も兼業主婦をやって来た。今ではカレシもボランティアをしながらの「兼業主夫」だから、二人合わせてやっと「主婦一人分」になるかならないか・・・。

小町では、在宅翻訳業で、仕事をしていない時間は庭の手入れや趣味に精を出し、犬と過ごして、ピカピカの家で温かいご飯を作って夫の帰りを待っているという「半専業主婦」のレスポンスに、思わず、「へぇ、すごい」。現実の私はどう見たって仕事が7、主婦業は3くらいで、それさえサボりがちの「つっかけ主婦」というところ。「兼業主婦」とさえ大きな声でいえそうにないもの。「妻」も「女」もしっかり専業でやっているんだけど・・・

ま、人間は何であっても向き、不向きってものがあるんだし、仕事が好きな人もいる一方で、働きたくないっていう人もいることは確かだし、「人それぞれ」という結論しかないように思えるんだけど、あちこちで熱い議論が燃え上がるからおもしろい。

けっこう愉快な一日

5月4日。カレシが友だちとのランチに出かけた。いつもなら朝食の時間だから、もちろん朝食抜き。朝っぱらからビール、という図式。まあ、最後の仕事に転職した時からの仲良し三人組だったからもうかれそれ20年の付き合い。とっくにそれぞれ別の道に進んでいるけど、こういう付き合いは一生大切にしたいもの。

終わった仕事のスペルチェックをして納品。次は日本のゴールデンウィークが終わるまでお預けだ。これで私もゴールデンウィークエンドになりそう。第3期の棚吊りをやっつけてしまう。洗濯機と壁の間に挟まって、後ろのものを取るにも上半身だけひねってやっと。ねじを取り付けるのに、背中を反らせて前に力をかけるという芸当になってしまう。さすがに腰が痛くなった。でも、これで懸案のプロジェクトは完了。やれやれ。

ランチから帰ってきたカレシがセキュリティ会社との接触に成功。営業担当が電話するとのこと。さて?と思ったら、30分後にほんとうに電話がかかってきた。明日の午後に来るという。カレシが自分は留守だけど、妻に全権委任してあるといったら、「いや、うちも自分がボスだと思いたいけど女房が全権を握ってましてねぇ」と返してきたそうだ。あはは、おもしろそうな人だ。明日が楽しみ。

小町をのぞいたら「国際結婚で日本在住」というトピックがあって、見たらこれが何ともケッサクだ。外国人の夫と日本で暮らしている妻が、何かにつけて日本のこと、日本の習慣、日本人について文句が多く、日々聞かされてぐったりしているという愚痴なのだ。「うちもそうなの~」という書き込みが並んでいる。愚痴を聞くのにくたびれて離婚してしまったという人までいる。散々日本のことを愚痴っては「~では」と母国をよいしょとやるらしい。もっとも母国に帰ると今度は母国の愚痴になるらしい。

読みながらひとりで笑ってしまった。だって、カナダ人夫が「国際結婚でカナダ在住」と題して「日本人妻がカナダのこと、カナダの習慣、カナダ人に文句たらたらで、聞いていて疲れてきた」なんて書いているようなもので、つまりコインの両側。ローカル掲示板には「だからカナダは、カナダ人は~・」という愚痴がずらりで、最後に必ず「日本では、日本は」とつくし、しかも日本に帰ると今度は日本の愚痴になるところまでそっくり。

でも、普通に日本人と結婚して、義両親がどうの、小姑たちがどうのと愚痴っているのとあんまり変わらないと思う。とどのつまりは、人間はどこの誰でもやっぱり人間ってことで、何だか妙に安心・・・。

人生はアドリブで行こう

5月5日。ふと目が覚めたら11時過ぎ。カレシの英語教室がある日なのになんと目覚ましをかけ忘れていた。きのうカレシがランチに出かけたから、土曜日のつもりになっていたのかなあ。教室が始まるのは正午だから、カレシは超スピードで着替えをして、朝食を食べて、コーヒーを半分飲み残したままで駆け出して行った。どうやら間に合ったようだった。やれやれ。

セキュリティ会社の営業マンは、午後1時半というアポだったのにとうとう夕方になっても現れなかった。こうなるとほんとうに商売する気がないんだ~と思わざるを得ない。月曜日にもなしのつぶてのままなら、別の会社に鞍替えすることにした。毎日判で押したような午後2時と午前2時のシステムチェックの警報にいつまでも付き合っていられないもの。やれやれ。

教室から帰ってきたカレシはなんとなくへたれ模様。土曜日だからいつもなら食事にでかけるところだけど、「今日はうちで食べようよ」と言い出した。疲れているんだ、機嫌が悪いんじゃないんだ、何となくくたびれた気分なんだ、と。急にいわれても肉を解凍する暇がないから、冷凍のハンバーガーを焼いて、大きな玉ねぎを丸々1個薄切りにしてバターで炒めて、カイザーロールに挟んだ。冷凍からすぐに焼けるハンバーガーは我が家の非常食だけど、サーロインを挽いたパティが1個150グラムもあるから、このオニオンバーガーはかなり食べがいがある。

今日はカレシがトレッドミルを使う日。あまり乗り気ではなかったらしいけど、走ったら何だか元気が出たんだそうな。それでも、「ポーチでゆり椅子に座って、世の中を眺めるのもいいよなあ」なんて、年よりじみたことを言っている。あれ、そういう「老人」になりたくなくて英語教師を始めたんじゃなかったっけ?それに普通だったらまだ「定年退職」の年になってないじゃないの。来週は月曜と木曜と土曜に英語教室、木曜の夜は友だち夫婦とその娘夫婦と6人でジャズコンサート、金曜の夜にはクラシックのコンサートと、予定がぎっしりで、もっと大変なんだけど・・・

まあ、このところ、セキュリティシステムの問題やら、夏の英語教室の算段やら、来週からの代講の準備やら、他人との折衝が必要なことばかりいろいろあったから、精神的に疲れてしまったようだ。人は思い通りに動いてくれない。そこへもって機械も正常に作動しない。このあたりのシナリオはカレシは一番苦手とするところだ。どうも、他人との交わりが思うように行かずに「疲れた」とこぼしている今どきの日本人と似ていなくもないと思ってちょっとおかしくなかった。あんがい深層心理では日本人的なのかもしれない・・・

心の不思議

5月6日。小雨模様の日曜日。カレシとどこかへ旅行して、空を飛んで回って、それでどこかの日本の家のようなところで眠りについて、ふと目が覚めたら、カレシが「まだ9時だから早いよ」というのでひと眠り、というところで、「11時11分だぞ~」とカレシの声。あれ、さっき9時だっていったじゃないの。またひと眠りは夢だったの?

なぜか知らないけれど、私はよく夢の中で眠るらしい。眠りから覚めて見た夢の話をしていたら目が覚めた、というマトリョーシカ的な眠りをしていたりする。夢の中の夢の中で夢を見る三段睡眠術なんて可能かなあ。

数年前に近くのカレッジの初めて創作コースを取ったとき、書き始める前に、輪になって座った生徒が手を取り合って黙想した。先生のソフトな声に導かれて心の中の階段を下りて行くときに両側にいくつもドアが並んでいるのが見えたものだ。階段を降りて、開けたところが心のサンクチュアリ。心の眼を開いて、耳を澄ましていると、ほら、ストーリーが・・・。

私のサンクチュアリにはいつも海辺の風景があった。生まれ故郷の原風景なのだろう。そこに座って波を見ているといろいろなストーリーのイメージが浮かんでくるから不思議だ。今でも強烈に覚えているのは、「Visitor」をテーマにした黙想のときに私を訪れたぼうっとした球状星団のような光芒。それが、「迷子になったのかと心配したけど、ここなら見つけられると思っていた」といったのだった。女の子の声で、しかも英語だったけど、それより前に夢の中で会った父が日本語で言ったことと同じことを言ったのだ。

その夜書いたショートストーリーは「私」再生の原点になった。宇宙のどこかで、私が迷子になっていた私と出会って、許しあって、やがて一人の私になる、という話。そのときは名前がなかったけれど、ジョギングをしていてふと梢を見上げたときに光芒の女の子の名前が生まれた。その名前がやがて正式に私の名前になった。今考えると、うつ病から抜け出しつつあったあの時に何か不思議な力が働いていたように思える。『Dreamscape』というそのストーリーの中で、子供の私が「歌って」という。私が歌いだしたのはグノーのアヴェマリアだった・・・

スパムはおいしい?

5月7日。このブログ、原稿ページで新しいコメントの有無がわかるようになったから、「保留」を「公開」に戻したけど、ゴールデンウィークにすることも行くところもないヒマ人が多かったのか、異常な陽気で頭がおかしくなった「イカレポンチャー」が増えたのか、どうでもいいんだけど、またぞろ怪しげなコメントが付いている。これもスパムの一種なのだろう。誰かが釣られてクリックすればなんぼというヤツかな。ちょっとググッて見ると、あるある。ネットでお小遣い稼ぎ、在宅バイト感覚、楽しく楽に金儲け・・・おいおい、バブルポンチかい。

タイトルを見ると、どうせポルノサイトへのお誘いリンクが入っているだろうとは予測がつくけれど、それにしてもポストバブルジャパニーズはこぞってセックス狂になったかと呆れる。みんながやっているから自分もやってないとおかしいと思われる(と困る)からやる、という論理なのかもしれないけど、どう見ても、たがを外すときは一億総何とか式で式にぶっちゃけ外してしまうところはまさにバブルポンチ症候群。

「2チャンネル」とやらいうサイトは見たことはないけれど、ローカル掲示板も2チャンネル化したといわれるところを見るとだいたいの察しはつく。HPに日本語ページがあったときも、Hサイトの「未承諾」広告メールが殺到した。まあ、日本語ページを削除したら日本語のスパムはぱったり来なくなったけど、英語のスパムは相も変わらず毎日もぐら叩きのような様相。だけど、内容の違いがおもしろい。Hサイトへのお誘いは、前はたまにあったけれど今はなくなった。その代わりというか、格安のED治療薬、絶対に儲かる株、オンラインカジノがスパム広告のベストスリー。クリスマスやバレンタインの頃には贋作ブランド品の広告が殺到する。

あの手この手のスパムが後を絶たないのは、きっと釣られる人間がごまんといるからだろう。所詮、人間は儲かる話とセックスには弱いのだ。Googleで「アフィリエート、ネット」と入れたら、「儲け話」がずらりと並ぶ。ヒット数は2,640,000!ついでに「affiliate program」と入れてみたら、ヒット数は49,700,000 !まあ、自分のところに広告リンクを貼っているのがほとんどだろうけど、「ブログで儲ける」と入力してみたらヒット数が24,900。「無料ブログで儲ける方法」というのもある。他人のブログにコメントやトラックバックをつけて自分の「ビジネス」ブログに引き込もうという輩はこんなのを見て「オレもひと儲け」と思ったのだろう。

歌にもなった名言「There’s a sucker born every minutes(1分ごとにカモが生まれる)」はサーカス王のP.T. バーナムがいったことになっているけど、実は19世紀末のジョセフ・ベッシマーという天才的詐欺師がオリジナルだそうで、後に「but none of them die (だけど誰も死なない)」と続くのだそうだ。ベッシマーが二十一世紀のサイバー世界を見たら、「オレは100年早く生まれすぎた」と嘆くかもしれないなあ。

ゆるせない食べ物だって

5月8日。午前零時のランチタイム。キッチンに上がって行くと、カレシが「シー」。戻ってきて以来、夜遅くなるとカエル君のラブコールが始まるんだけど、耳を澄ましてみると、おっ、二重唱だ!呼吸ぴったりのリズムが良い。池の中におたまじゃくしが群れるのもそう遠くない・・・と、喜んでいたら、あれ、三重唱じゃないの?おいおい、知らないよ。それでも、我が家の裏庭は恋の季節で、人間様が寝静まった夜中は3ブロック先まで聞こえるくらいのにぎやかさ。

オンタリオ州のどこかの都市の郊外では、庭に作った池にカエルが住み着いて、近所の苦情で騒音防止条例違反のチケットを切られた人がいたそうだ。その点うちはラッキーなのかもしれない。お隣さんも裏の若夫婦も我が家の滝の水音が気に入って家を買ったのだそうだ。だから、カエルの声も気にしない。池の掃除をサボってカエルが来なかった去年は顔をあわせるたびに「カエルの声がしないねぇ」といわれた。やっぱり、水濁ればカエル住まず、か。

ゴールデンウィークエンドでダレたのか、どうも仕事に気合が入らない。そんなときは小町でおもしろそうなトピックを探す。今日の愉快トピは「この食べ物はゆるせない」というヤツ。かっこに「駄」とあるだけあって、おもしろい。軽く「ゆるせない、ありえない」という言葉を使う風潮にはちょっと違和感を感じずにはいられないけれど、読んでみればおかしくてひとり笑い。要するに自分の嫌いな食べ物を、「なんでこんなものがあるんだ」といっているわけだけど、ええっと思うような、聞いたこともないものが出てくる。まあ、本州ではあたりまえの食材でも北海道育ちの私には食べたことはおろか見たこともないものが多い。

食べものだけでなく、いろいろな意味で、北海道は本当に日本の異文化圏なんだと思うようになった。私は日本人であるよりも前に誇り高き道産子なのだ。インターネット時代で日本の「あたりまえ」の風物を見ることができるようになって、逆に伝統的な「日本」とのつながりの薄さを感じることが多くなった。そういえば、まだテレビがなかった小学校時代の社会科の教科書も私には異文化の世界に見えたように思う。カナダは風景も、またある意味で人情も、北海道と似ているから、居心地がいいのだろう。だから、津軽海峡以南の風景は「へぇ」で済んでしまうけれど、北海道の風景には心の奥からなつかしさがこみ上げてくる。やっぱり、それが私の原風景なのだ。

それにしても、私が「ゆるせない」食べ物って何だろう。この「ゆるせない」という感覚はどうも匂いや食感に対する反応であるらしい。味覚、触覚、嗅覚、視覚という本能的感覚に操られるのが食なのだから、それもそうだと思うけど、「この食材はこうして食べるべき」という思い込みから違うものに「ゆるせない」と反応しているようなところもある。「理解不能」と来るからおもしろい。私は鳥肌が立って絶対にダメというものはないけれど、思い出すのは子供の時に母が作った呉汁。一生で真に口に合わなかったのはあれくらいだろう。でも、苦手なものはけっこうある。特にようかんやこしあんの入った和菓子類。逆に私が好きなオートミール、ブラッドプディング、ライスプディングなどは小町では「ゆるせない」リストに挙げられてしまっている。う~ん、食い物の恨みは怖いっていうからなあ・・・

世の中、≠がおもしろいのに

5月9日。洋の東西を問わず思考がショートして結論に飛躍してしまうことは誰にもあると思う。人によってはそれがたまたまショートしてしまった結果であったり、あるいはどうやら思考経路そのものが短絡的配線になっているためであったりする。

前者は誰にでもあることで、深く考える余裕がなかったりすると、いわばパニック状態になって、論理的なプロセスを飛び越してA=Bという結論に飛びついてしまう。それでも、だいたいは落ち着きを取り戻せば、A≠B=な~んだ、という図式になって、本来の合理的な結論に達する。ある意味、その状態に戻るまでの時間にその人の精神的な成熟度を垣間見ることもできなくはない。「成熟度」という表現に語弊があるなら、「合理性」と言い換えても良い。

後者の場合はパニック状態にならなくてもA=Bになる。思考経路の配線が元からそうなっているらしい。早く言えば、すべてがA=Bとプログラミングされていて、A≠B=想定外、という図式だから、どう対処していいのかわからない、という状態になるのだろう。そのプログラミング言語がいわゆる社会通念であったり、文化やメディアによる刷り込みであったりする。三つ子の魂百までも、というけれど、刷り込まれるだけでは先が思いやられるというもの。というのも、A≠Bに遭遇したときに、Bを受け入れられずに排除してしまいやすいからだ。

小町に書き込まれる雑多な人間関係の悩みや愚痴を見ていると、どうも「A≠B」の状態に対処できないでいるのではないかと思えてくる。だけど、なのだ。「A=B」というのはきわめて自己中心的な思考でもある。AはBと決まっていていつもその通りであれば、「どうしたらいいか」ということを考えなくても済むのだから、これほど楽なことはない。でも、それは自己がまた発達していない五才児の思考ではないのかなとも思う。人間世界は「必ずしもA=Bではない」のが基本だから、「A≠B」のときに、はて、どうしたものか、と考えることによって人間は自分を取り巻く世界との関わり方を学んで来たのではないだろうか。

A(自分)≠B(他人)だから、引くだの、疎遠にするだの、絶縁するだのって、何だか砂場での関係みたいに見える。世の中、すべてにおいて「A=B」だったら、逆に不気味ではないのかなあ・・・

ジャズナイト

5月10日。今夜は毎年恒例のマギル大学同窓会主催の「ジャズナイト」。といってもマギル大学はモントリオールの大学だからカレシとはぜんぜん関係がないし、私はそもそも「大学卒」なんて肩書きからしてまだまだ先の話。よくつるんで遊ぶポーランド系の友達夫婦が揃ってマギル大学卒業生なので、私たちをゲストとして招待してくれるわけ。今年は彼らの娘夫婦もいっしょで、ほぼ百年前に建てられた「ハイクロフト」という大邸宅が会場。

バンクーバー草分け時代の大富豪の邸宅が、傷病兵の病院を経て、今は大卒エリート女性のクラブになっている。廊下に架かっている過去の理事の写真を見るとすごい顔ぶれ。MRSが付いているけど、名前を見るとどれも道路や学校や公共の建物に残っているものばかり。いわば古き良き時代の令夫人の集まりだったわけだけど、Noblesse obligeの伝統で慈善事業などにかなり忙しかったようだ。

今年はベース奏者ジョディ・プロズニク、夫君でピアノ奏者のティルデン・ウェブ、ドラムのジェシー・ケーヒルのトリオ。そろってマギル大学音楽科の卒業生だ。マギルには北米有数のジャズ学科があって、かなりの若手演奏者を輩出しているという。ジョディは去年も来ていたけど、ジャズの世界で女性のベース奏者はまだ珍しい方だろう。私とそう変わらない小柄な人だけど、すごいパワーの持ち主。大きなベースを愛人のように抱えて、まるでラヴメーキングのように官能的なプレイだ。休憩時間にジョディと話をする機会があったけど、ベースは持ってごらんといわれても私には片手では持ち上げられなかった。重さは20キロ近いそうだ。優雅なハープ奏者の力こぶの話をしたらジョディも大笑い。彼女の自作の曲がたくさん収録されたCDを買ってしまった。

私が切り欠きのあるシンバルを見て(すごいイケメンの)ドラマーに「誰がかじったの~」なんて冗談をしかけたのがきっかけで、カレシを交えてジェシー君とジャズ談義。まあ、演奏者との交流は数十人の小さな集まりだから可能なわけだけど、去年は女性ヴォーカリストと発声法の話に花が咲いたし、何たって楽しい。

クラブの役員らしいとっても上品なおばあちゃまが、「あなたもお入りになりません?」と声をかけてくれたので、「私、2020年位まで大学を卒業できそうにないんです」といったら、「それでも遅くはありませんから、どうぞ」。見回したところでは、出席者の中で大学卒でないのはたぶん私だけだろう。そんなことはどこ吹く風とばかりに誰とでも、どんな話題でも、臆面もなく「パーティ会話」に紛れ込んでしまうところが私の極楽とんぼたる所以で、考えたら相当な強心臓なのかもしれない。生まれた星が違ったら社交界の花になっていたかなあ?自分ではへっぽこコメディアンだなあと思うこともあるけど・・・

バロックの夕べ

5月11日。昨夜に続いて今夜はコンサート。ブリティシュコロンビア大学構内にあるコンサートホールでのバロック音楽シリーズのシーズン最終回。このチャン・センターは完成して今年でちょうど10年。明るいモダンな設計で、音響もすばらしい。チャン財団が今の日本円で10億円以上も寄付したので、その名がついた。欧米では成功して大金持ちになった人たちが作った財団がたくさんあって、慈善事業や文化事業に寄付をしている。バンクーバーには香港系の富豪が多いから、大学構内には中国名前がついた建物がかなりある。

今夜のプログラムはバッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲を一気に演奏しようというもの。前半は一番お馴染みの第3番で始まって、第2番、第1番。後半は低音の効いた第6番、ハープシコードのソロがある第5番と続いて、華々しく第4番で打ち上げ。ハープシコードとチェロ以外は立ったままの演奏で、全員がカラフルなシャツやブラウスだから華やかだ。リーダーはコンサートマスターのマーク・フュアー。この人はニューファウンドランド出身で、バイオリンのボディランゲージはまさにその地方に伝わるケルト系音楽のフィドル(バイオリン)弾きのそれ。思わず足でリズムを取りたくなってしまう。(やっぱり中央アジアで生まれたというケルト人のはぐれ遺伝子が私のどこかに隠れているのだ!)

曲ごとに楽器の構成が変わるので、スタッフが楽譜台を動かしている間、リーダーがマイクの前に立ってちょっとおしゃべり。バッハがブランデンブルグ侯爵に協奏曲を送ったときのカバーレターを読み上げると聴衆は大爆笑。なぜって、就職活動を目論んだバッハの魂胆がミエミエ、慇懃にゴマをすりすり、なのだ。

今では音楽の父、楽聖といわれる大バッハだけど、彼が生きた時代、音楽家は音楽師という職業だった。宮廷や教会に雇われて「音楽監督」をやっていたわけで、バッハは20人も子供がいる大家族だったから、芸術家でございなんて気取っているわけには行かなかっただろう。失業保険もなければ生活保護もなし。一家の柱たる大バッハは家族のためにいつも条件の良さそうなところへの転職を考えていたのだろう。

全6曲、2時間半の長いコンサート。気分が高揚したところで、それを仕事に向けなくちゃ。カルチャーに浸っている間に、仕事のINBOXが溢れ始めた。うへぇ、ここらでちょっとねじを巻かないことには・・・

いいお天気だというのに

5月13日。やれやれ、今日はきりきり舞い。分納第1弾の納期がこっちの真夜中。何とか30分の余裕でセーフだった。おつかれさま、と自分にポン!だけど、大きなファイルがあと2つ。その間に「小さいですから」とねじ込もうという話まであって、おまけにうまく全部終わる頃にはすぐに次が控えていそうな気配。だからというわけではないけど、「客先が安くしてくれといっているから何とか」と持ちかけられているモンスター級の仕事については頬かむりをしたまま。レギュラーのところじゃないんだし、膨大な仕事を安く引き受けてしまって、後でお得意さんの高い仕事をどんどん断るなんてことになっては商売にならないもの。

セキュリティ会社は1週間前にやっとシステムのアップグレードの契約をしたはいいけれど、作業の予定についてはなしのつぶて。あいも変わらず午前2時と午後2時にアラームがなる。なりっぱなしにしていたら、今日はケベックにある監視センターから電話がかかってきた。明日は真っ先に「おい、いつ来るんだ!」とはっぱをかけてやらなくちゃ。営業氏はちょっとばかり調子が良かったからなあ。

カレシの次弟から電話があって、末弟も来ることだし、次の週末にママの90歳の誕生祝をするという。ママのお祝いはもちろんいいんだけど、パパがいっしょに来ると思うと、「う~ん」という気分になって、足が重た~くなってしまう。まあ、あまり動き回れないというし、家族が全員集まれば相当な人数だから、離れたところにいるということもできるだろうけど。カレシは気を利かせたつもりか、「忙しかったら、残念だけど行けないっていえばいいんだよ。遠いんだし」といってくれる。まあ、みんなは過去の経緯を知っているから行けないというだけでわかってくれるだろうけど、カレシにとっては高齢の両親なんだし・・・。

今年はずっと忙しくてほとんど週7日営業体制。自分ではそう思わなくてもストレスがたまっているらしくて、どうも高揚した気分が続かない。何となく「うつ病」への階段をそろそろと下りて行くような気がするのが怖い。そんなときだからかもしれないけど、う~ん、やっぱり考えるだけで気が滅入るなあ。どうしよう・・・?

テクノストレスだ!

5月14日。う~ん、ちょっときついなあ・・・という仕事の話について、「残念ながら??客先によってキャンセルになりました」というメールが来た。私は「きついけど何とかできます」と返事したけど、肝心の編集者がいない。残念ながら」に疑問符が2つもついているところを見ると、どうやら客先の方からキャンセルしてくれて万歳!ということらしい。おかげで週末は空きそうな予感がするけど、予告分が確定してしまったから、週末まではねじり鉢巻の半徹夜モードになりそう。(ブログなんぞ書いていていいのかなあ。)

日本語のWord文書にはおもしろい特徴みたいなものがあることに気がついた。まず、必ずといえるほど1ページの行数と文字数が決まっている。フォーマットを見ると必ず「グリッドに何とか・・・」がチェックされている。(私のMs-Officeは英語版なので日本語のコマンドは判らない。)次に、タブの使い方を知らない。わざわざ数だけスペースを入れている。自動改行を知らない人も多いらしい。行のおしまいまで行ってはポン!とEnterーを押すらしい。20年前に比べたら、ワープロ機能は格段に進化したんだけど、どうも使い手の方はまだ20文字×20文字の原稿用紙の観念から抜け出していないらしい。半角カタカナなんか旧式のワープロといっしょに絶滅したかと思ったら、どっこいしぶとく生きている。

おもしろい現象はWordだけではない。表計算ソフトのはずのExcelを使って手紙を書く人がいるから閉口する。英語で上書き処理をするこっちはつい、Excelは文書作成ソフトじゃないんだってば!と叫ぶ。おまけに、フォーマットのしかたを知らないのか、行のおしまいに行き着いて、何と下のセルに「改行」してあったりする。英語文は日本語文の通りにちょん切れないんだけど・・・

PowerPointのプレゼンもおもしろい。まず、やたらとごちゃごちゃとしたスライドが多い。ポイントだけすっきりグラフィックに表現して、説明文なんかプレゼンの場で口頭でやればよさそうなものだと思うけど、人前でしゃべるのは苦手なのか、事細かに書いてあったりする。おまけに、やたらとたくさんの色を使って、しかも極彩色だったりするもので、日本人の色彩美の感覚はどうなったんだ?といいたくなる。こんなのに上書きするのは至難の業もいいところだけど、DTPは私の仕事じゃないから、テキストだけ送って、後はクライアントにおまかせなのがせめてもの慰め。

日本のオフィスにもPCが登場して以来もうだいぶ経つはずなんだけど、未だに原稿用紙の枠を思い描いて文章を書いているらしいのはおもしろい。おかげでヘンなテクノストレス症になってしまうのは私・・・

初夏だ!

5月15日。ちょっと肌寒いと思っているうちに、一足飛びに初夏の陽気に。午後2時の気温は23度。だけど、だけど、私は相も変わらず仕事場に缶詰のトホホの身。今日と、あしたと、しあさって・・・がんばったらこの週末は休めると考えればやる気も沸きそうなものだけど、とにかくがんばるっきゃないとなれば、やる気どころの話ではなくなる。やるっきゃないのだ。しょうがないから、「生活かかってるんだからね」と自分の背をドン!

夜のうちにセキュリティ会社の営業マン氏に「工事の日はいつか」とメールをしておいたら、朝8時に電話。留守電のメッセージは「金曜日午前8時半から9時半の間」。本当は午後にしてもらいたいけど、やっとのことでここまで来たんだから、目をつぶって早起きすることにしよう。ついでにオフィス用品の注文を出しておけば、同じ頃に配達されるだろうから、どうせなら一石二鳥と行こうか。それにしてもセンサー12の故障から明日で丸々4週間。4週間も毎日決まって午後2時8分と午前2時8分にピピピッとアラームがなって、そのたびに階段を走って上がってキャンセルして来た。二人とも切れずにいるのは、ひょっとしたら、年のせいで気が長くなったのかしら・・・?

夕方になって営業マン氏がひょっこり現れた。実は契約書の見積りが100ドル多すぎたので、訂正箇所にイニシャルが必要と。金曜日の工事を確認しておいたけど、う~ん、実際に現れるまではわからないなあ。だから、別件で早起きの理由を作っておこうというわけなんだけど・・・

カナダドルがまた上がって、アメリカドルが91セント。日本円は下がりっぱなしで、こっちはもうお手上げだ。日本の銀行に振り込まれる料金収入を移動しようにも、1ドル110円のレートではつい躊躇する。こっちで必要なお金だからいつまでもおいておくわけには行かないけれども、片方の目で増えて行く残高を見てはため息をつき、もう一方の目で為替ニュースを見てはため息をつく。結局のところは、バブル時代の日本で円が高かったのと同じで、好景気に沸くカナダの通貨が強くなっているんだからしょうがない。このままではアメリカドルと同じになりそうだという。そうなったら、ユーロみたいな共通通貨の採用も考えたらどうだろう。北米自由貿易協定NAFTAの頭文字を取って「ナフタ」なんて・・・テキサスとアルバータの協定かい。

ことお金に関しては良いときもあればつらいときもあるのが世の中。ここは黙って、背中をドン!


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