リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年11月~その2

2008年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
1万回の朝ごはん

11月16日。くたびれているのに、なんだか寝つけなくて、体のあちこちで皮膚がチクチクするようで、寝返りを打ってばかり。ベッドに入ってカレシに「1万回の朝食」の話をしていた。何千ガロンのオレンジジュース、何千ガロンのコーヒー、2万枚のトースト。小説か芝居のタイトルになりそうだねえ、と笑っているうちにカレシは高いびき。だけど、ワタシの頭の中では「Ten thousand breakfasts」で始まる詩がぐるぐる。「1万回の朝食・・・あなたとワタシ・・・焦げたトースト・・・こぼれたジュース・・・濃すぎたコーヒー・・・1万回の朝食・・・あなたがいて、わたしがいて・・・笑ったときも、泣いたときも・・・テーブルを挟んで、あなたとワタシ」。なんかそんな詩だった。いっしょうけんめいになって韻を合わせようとしていたような・・・。

おかげで目が覚めたら午後1時。ああ、まずいよ~。午後4時が期限の仕事が2つ。見直しが終わっていない!おまけにあっち方向とこっち方向。まぶたが重い。大きなあくびが出る。眠い、眠い、眠い・・・。この10日ほどは、仕事が団子みたいにかたまって、おまけに日英、英日とせわしなく方向転換だった。交流電流じゃなあるまいし、これじゃあ脳みその配線だってショートしてしまう。どよんとした空模様ではあるけど、思いっきりう~んと伸びをして、外の空気をいっぱい吸いたい。だけど、あと3つ、明日が納期。だけど、だけど。結局はカレシの提案に乗せられて、運動がてら歩いて野菜を買いに行くことにした。気温は10度。めんどうだから半そでのTシャツの上に毛糸のジャケットだけ。それでも、トマトともやしと大根を買っての帰りにはかなり汗ばんだ。ちょっと元気が出て、明日の仕事をひとつ片付けて、残るはあと2つ。その後は2日でできる仕事の納期が12月の初め。ここらで臨時休業、できるといいけどなあ。

カレシは仕事を減らしたらって言うけれど、自分だって減らしてもっと好きなことをしたいと思うけど、テレビのニュースで何か抗議行動をしている2人の子供がいるシングルマザーに「子供を作る前に考えなかったのかよ~」と毒づいているカレシを見ると、ああ、自分のためにも仕事はやめられない、と思ってしまうのだ。あのね、子供は女ひとりで作れるもんじゃないのよ。子供が生まれたときには幸せに結婚していたかもしれないでしょうが。そんなことを言って、ふと「いいかげんなこというんじゃねぇ~」とぶっかましてやりたくなった。まあ、カレシも何かストレスになっているのか、こんなところで本性がポロッと出てしまうんだよね。心ない物言いは概してその人のコンプレックスや不安が鏡に映ったもの、とどこかで読んだ。だからこそどんなことがあっても、誰よりもまず「自分」をしっかりと守って行くことが先決だってことを図らずも「再確認」させてくれてしまうのがカレシってわけか。

小町に「結婚生活を漢字一字で表すと何か」とか言う駄トピが上がっていた。結婚して年数の浅い若い人たちはもちろん「幸」、「楽」、「満」と、我が世の春爛漫なんだけど、これが10年、15年となってくると、「忍」、「耐」、「悩」。なんだか雲行きが怪しくなってくる。はて、ワタシの頭に浮かぶ漢字は?それは「謎」。人を好きになるってこと自体が、なりたくてもなれないし、嫌いになりたくてもなれないから、「謎」。焦げたトースト、こぼれたジュース、焼けすぎたベーコン、濃すぎたコーヒー、新聞や雑誌から顔を上げようとしないカレシ、涙でぼやけたカレシの顔・・・テーブルを挟んで二人だけの1万回の朝食。おいしく焼けたトーストも、絞りたてジュースも、ちょうどの焼け具合のベーコンも、グルメのコーヒーも、ワタシを見た目が笑っていた日も、それもこれもみんな二人だけの「ten thousand breakfasts」のうち。夫婦って、ほんとに謎だらけ。おまけにその謎は深まるばかり。そのうちに「奇」になってしまうのかなあ。1万回もいっしょに朝ごはんを食べても、答はまだまだ・・・

男女格差というけれど

11月17日。穏やかな月曜日。午前11時45分にセットしておいた目覚ましが鳴って、お目覚め。お気に入りのレミをちょっと嗜んだからかな、わりと良く眠れた気分。(ふむ、こういう状況って、ひょっとしたらまずいかも?)シーラとヴァルが来る日で、前日に電話がなかったんだけど、ま、1週おきの月曜日と決まっているから黙っていても来るだろうと目覚ましをセットしておいた。朝食の最中に掃除道具を持った二人がご到着。「パブに行ってて、帰るのが遅かったの」と。シーラは二階へ、ヴァルはベースメントへ、私たちは朝食の続き。一週おきの月曜日の風景。

不況、不況とマスコミが騒ぐほどに、郵便受けに入るカタログが増えるような感じ。土曜日にディナーに行った「West」は満席だったし、その前に行った高級キッチン用品のウィリアムズソノマもかなりの人が入っていたし、グルメスーパーのマインハートにも買い物客でにぎわっていたから、「不況ってどこの話だろうねえ」なんてのんきなことを言っていたけど、ほんとに1980年代初めの不況のときはクリスマス直前になってもデパートは閑散としていた。まあ、建設中のコンドミニアムが資金繰りに詰まって工事を中止したというような話はちらほらと聞くものの、小売業やサービス業はまだ人手不足らしく、モールを歩くと、ブランド店に「求む」の張り紙が目に付く。まだ地震の前兆みたいなもので、本揺れはこれからなのかもしれないけど、どこを見ても不況風が吹いている兆しはない。

キッチン用品のカタログに愉快なものがあった。EXという名前のナイフホルダー。「Ex」というのは「元」何とかというあのexで、デザインを見ればこの「元」が何を意味しているか一目瞭然。クリスマスにこんなプレゼントなんて、ブラックジョークだなあ。キッチンにおいて使うなんてのも、もろにモラっぽい。それより「失恋祝い」とか「離婚祝い」にあげるほうがびったりかも。日本でも通販で売っているらしいけど、赤、黒、白、ピンクなど6色あるそうな。だけど、こんなもの考えつく人って、な~んだかおっかないなあ・・・

世界経済フォーラムが発表した男女格差の調査報告で、日本は130ヵ国中の98位だったそうな。よく見ると、年ごとにずるずると下がっている。日本の下には開発途上国やイスラム国家がずらり。調査の対象国が拡大されたら、格差是正への取り組みが日本より高く評価される国が多かったということか。日本が健闘したのは「健康」と「教育」。健康では世界一の長寿国ということで堂々の第1位、教育では38位で、これで点を稼いでもやっと98位なのは、経済で102位、政治で107位と、下から数えた方が早いから。ほんとうの男女平等ではすごい後進国だってことになるけど、日本では格差の是正に向けて女性が努力しているのかというと、ふむ、どうなんだろうなあ。「してほしい」、「してくれない」の他力本願思考が多そうだし、はては容姿がどうのこうのとか、専業主婦対兼業主婦の角突き合いとか、女同士で足を引っ張っているようなところもあるから、こんなランキングは「カンケイな~い」なのかもしれないね。まあ、それで満足だというのなら、外野席の野次馬が何を騒いでも馬の耳に念仏だろうけど・・・

とんぼジムでフィットネス

11月18日。日差しがまぶしいいい天気。久しぶりに仕事のことを考えなくてもいい日。仕事はあるんだけど、納期はずっと先だから、この際しばらくは棚上げってことで・・・。二階の八角形の小部屋にあるよけいな家具を整理して、1週間前に配達されて玄関脇に置いたままだった腹筋と背筋のエクササイズベンチの組立作業にかかった。まず、箱から部品を出して、床に並べて欠品がないことを確認。頑丈なスチール製でとにかく重たい。でも、今度のは説明書がまともな英語でしかも簡潔明瞭、組立説明図もわかりやすい。おかげで作業は簡単だったけど、小1時間も重いフレームやドライバーと格闘していたら、それだけでかなりの運動。部屋いっぱいの陽だまりの中で汗だくになってしまった。

これで「ホームジム」の設備は、有酸素運動用のトレッドミルとバンジーコードを利用したウエイト運動のベンチに、腹筋と背筋のトレーナーが加わって3つ。フィットネスジムに行かなくたって手軽(足軽?)に全身のエクササイズができるわけで、言い訳なしの待ったなし。運動不足になったらバチがあたりそう。人間、還暦を過ぎたら容姿もへったくれもない。快適な老後はまず健康な体からってね。おいしいものをおいしく、楽しく食べられるのも健康であればこそ。ちょっとしたことで落ち込まずに、腕をまくって「さあ、来い」とチャレンジに立ち向かえるのも健康であればこそ。クライアントがSOSを送ってきたら、それっと出動できるのも健康であればこそ。人間が生きると言うことは自己の身体をよく整備して大切に「運転」することでもあると思う。

我が家の「ホームジム」の陣容はトレッドミル、ウエイトベンチ、腹筋/背筋トレーナー。トレッドミルはドイツのBREMSHEY製。使わないときはデッキを上げておけるので便利。走るスピード、時間、距離のどれかひとつをセットしたり、組み合わせてセットしたりできて、傾斜も変えられる。体重を入力すれば消費カロリーを表示してくれて、ついでに脈拍も測ってくれる。

ウエイトベンチはバーベルを持ち上げる代わりにバンジーコードを引っ張るしくみ。抵抗力の違う3本のコードを1本ずつ使ったり、組み合わせたりして、2.5キロから18キロまでの7通りの「ウエイト」を設定できる。筋骨隆々にはならないけど、胸筋を鍛えるから、意外とバストアップに効果的なのだ。

新登場の腹筋/背筋トレーナーは、足を押さえてくれるだけの簡単なもの。今までクローゼットのドアの下に足の先を突っ込んでやっていた腹筋運動が、ベンチを使えばこんな風に「本格的」っぽくなる。[写真]

ウエイトベンチもトレーナーも折りたたみ式だけど、たぶんセットしたままになりそう。部屋がいっぱいになってしまうけど、一度たたんだらそれっきりになりかねないから、その方がいい。そうじゃないと買った意味がないもん。まあ、仕事の合間にでも上がってきて、ちょこちょことがんばろうっと。

驕れるものは・・・

11月19日。けさは突然のものすごい轟音に叩き起こされてしまった。午前8時半。寝ついてからまだ5時間も経っていない。がば~っと跳ね起きたカレシ、窓の外を見てムカ~ッ。すごい勢いで着替えをして、すごい勢いで、アラームを解除しないで外へ出て行った。戻ってくる気配がないから、しょうがない。起き出して解除。外を見たら、また送電ケーブルを埋設したマンホールで何か工事をやっている。いったい、これでもう何回目になるのか。なんでこう小出しにちょこちょこやるんだよ~、と、人さまの仕事には理解があるつもりのワタシもさすがにムカッと来た。1時間足らずで終わったらしく、静かになったから寝なおし。目が覚めたらほぼ午後1時で、ふむ、今度は家の前で歩道の芝生を掘っている。やれやれ・・・

それにしてもこの1年半の間に何と掘ったり、埋めたり、ケーブルを敷いたりしたことか。どうも見たって行き当たりばったりの観がある。地下鉄駅の送電線だというけど、設計段階で電力がどれだけ必要かぐらいはわかっていただろうに。オリンピックという錦の御旗を振りかざして市民の生活をかき乱すのもいいかげんにしてほしいなあ。そういえば、最近オリンピック委員会はメトロバンクーバーのビジネスにオリンピック開催中は社員に「強制的に」休暇を取らせるように要請したんだそうな。つまり、通勤者は交通混雑を招いてオリンピック関係者の「円滑な移動」の邪魔になるってわけ。小学校も休校にしろと言い出すし、いやはや、この人たち、どこの世界に住んでいるだろう。驕っているとしか思えない。

驕っているといえば、アメリカでは、自動車ビッグスリーを公的に支援するかどうかの議会の公聴会に、CEOがそろって会社の専用ジェット機でワシントン入りして、「自家用機で物乞いに来た」と非難轟々。なのに、いかに自社の車が優れているかをぶち上げて、議長に「コマーシャルは後にしてくれ」と言われ、会社が潰れそうなのにCEOが何十億円もの報酬をもらっていることについて聞かれて、あっけらかんと「ワタシ的には不満はありません」とか答えたらしい。いやはや、もうこれ以上はない究極の「KY」だよなあ。おかげで民主党が出した「救済案」は否決されそうな雲行きとか。こんな連中が一国の経済の大黒柱のような企業を経営するんだもの、金融危機も起きれば不況も起きるはずだよなあ。やれやれ・・・

驕りといえば、かって「Charisma Man(カリスマ・マン)」という漫画があった。日本人の間でも知られているらしいけど、1998年から2002年にかけて日本で外国人向けに無料配布されていた英語新聞に連載されていたもので、本に収録したものは何千部も売れてコレクター本になっているそうな。カナダで女の子にぜんぜん相手にされないしょぼいヤツだった主人公が、英語教師として日本に来たとたんに何でもできて、「かわい~、セクスィ~」と日本人の女の子にめちゃモテの「カリスマ・マン」にヘンシ~ン、という話。(ただし、白人女性が現れると超能力は雲散霧消するらしい。)作者は「ガイジン」というだけで日本でチヤホヤされて「オレはすごい」とのぼせ上がる勘違い白人男を風刺するのが狙いだったらしいけど、同時にその白人男に群がる「ガイジン好きのJガール」の生態にもスポットライトが当たった形で、「カリスマガール」という言葉まで生まれたらしい。ローカル掲示板で相変わらず国際結婚の女は顔が微妙だとか、性格悪いとか囃し立てているのと重ねると、「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉が浮かぶけど、まあそういう「国際交流ブーム時代の1シーン」があったということだろうな。

ちなみに原作者はバンクーバーの人で、英語教師として日本へ行っている間に発案したものだそうな。その後バンクーバーに戻って、英語学校の経営者になっているらしい。驕れるものの末路はいかに?と、カリスマ・マンの続編を書いてくれるといいのに・・・ん、しょぼんマンじゃ売れないか。

雨のち晴れ、のち虹

11月20日。しっかりと寝酒をして、いつもより1時間以上も早くベッドに入ったのに、そんなに急に早寝なんかできるわけがない。うとうと、とろとろ、時間ばかりが経ってしまう。カレシも眠れないのか、やたらとバタン、バタンと寝返りを打つから、こっちは波浪にもまれる小船みたい。やたらとひじを突っ張ってはワタシの頭にこつん。どうも、「オレが眠れないのになんでお前は高いびきなんだよっ」と意図的にやっているふしがある。コノヤロ・・・。でも、ここはでんでん虫を決め込むのが一番の得策と、ひたすら目を閉じて眠りの精の訪れを待つ。ああ、早いうちに振動が伝わらないシーリーの新型ベッドに買い換えようかなあ。

午前7時半。予告通りに外で重機の音。まあでも、きのうの朝の機械とは違ってパワーシャベルだから、後退するときの「ピーピー」以外は思ったほど神経に障らない。ベッドルームの中でかけている「ホワイトノイズ」よりはうるさいけど、音質はあまり変わらないもので、二人ともいつの間にかまた眠ってしまった。カレシはシリコンの耳栓を二重に詰め込んで、馬耳東風の高いびき。(コノヤロ・・・。)まあ、4時間ほどだけど、かなり良く眠ったらしく、目が覚めたらまたも午後1時近く。工事の轟音でたたき起こされるからとむきになって早寝をするよりも、いつもの時間に寝て、目を覚まされたら「あ、やってるな」くらいの気分でまた目をつぶった方が眠れるものなのかもしれない。起きて窓の外を見たら、この春に「工事が終了した」からと本舗装したばかりの道路にL字型の溝を掘っている。んったく、むだなことばっかりやる連中だわい。

起きるのが遅かったから、騒音から避難するつもりで買い物に出かける予定が、朝食が済んだ頃には作業終了ということらしく、道路際に砂利の山とパワーシャベルを残して、みんなお帰り。だけど今日はせっかくの「カレシの日」だからと、「駐車禁止」にされたおかげでご近所さんの前に止めてあったトラックでお出かけ。まずはガソリンを入れる。ついこの間まではリットル1ドル50セントに達して大騒ぎだったのが、95セントと三分の一。クレジットカードでセルフで給油すると値引きに鳴って91.5セント。去年は「高い!」と騒いでいた値段に今は「安い!」と感激しているんだから、人間はいい加減なもんだ。

次に行ったLee Valley Toolsという、ちょっと高級なDIY工具店ではなぜかキャンプ用の石油ランプを二つ。使わずじまいの灯油がたっぷりあるから、庭の照明にするんだそうな。へえ。さて、次の目的地はHome Depot。途中、すぐ後ろでやたらとホーンを鳴らすヤツがいる。「うるせぇなあ」とサイドミラーを覗き込んだカレシ、「あ、いけねえ」とひと言。ガソリンを入れた後で、キャップを閉め忘れたらしい。後ろを走っていた車が気づいてホーンで知らせてくれていたわけ。トラックを止めて、キャップを閉めたところで、雨が本降りになった。あのままだったら、タンクに雨水が流れ込むところだったねえ。高いときだったら、サイフォンで盗み取られたかもね。あのさぁ、ツレアイく~ん、だいじょぉぶぅ・・・?

Home Depotでは砂と園芸土の大きな袋。こういう買い物にはやっぱりトラックが便利だ。家の近くまで来たら、ほぼ止んでいた雨が急に土砂降りになった。というよりは、「また雨雲の下に入った」ということだろうけど、土砂降りは長く続かない。家に着いた頃には雲の切れ目から西に夕日が差し始めていた。虹が出そうな条件が整っているから、大きいのが出るかな?今日はカレシの英語教室の日だから、家に着いて、着替えたらすぐに夕食のしたく。カレシが「今日はボクにつきあってくれてありがとう」だって。「あなたの日だもんね」と言ったけど、カレシにまじめに「ありがとう」と言われたら、やっぱりうれしさいっぱい。予期したとおり、キッチンの窓からきれいな虹が見えた。いいこと、あるかな・・・?

眠れなかった子

11月21日。雨の金曜日。二人ともほぼ正午まで眠って、起きて外を見たら、きのう我が家のそばの道路際に残していったパワーシャベルがなくなっている。朝のうちに取りに来たらしいけど、どうやら眠りを邪魔されずにすんで、やれやれ。連続2日の寝不足で、3日はしんどいもの。生活のリズムが狂ったおかげでずっと延期になっていたベーコンと目玉焼きの朝食。今日のコーヒーはおいしいね・・・と、ここまでは良かった。

突如、またまた外が騒々しくなった。いつものように飛び出すカレシ。残っていた砂利を引き取りに来たんだそうな。「これで全部終わったと言っていた」と。う~ん、前にも「これで全部終わりました」って言ったじゃないの。あてにならないよ~。それでもまあ、しばらくは元の生活にどっぷりと浸れそうかな。カレシの胃の調子も改善するかな。ちょっと目立っていたカレシの「天邪鬼」も下火になるかな。なんて思いつつ、コーヒーを飲みながらまたどっと届いたカタログを眺め、カレシはパンを焼く準備。世はこともなく・・・のはずが、ま~た轟音。カレシは作業の途中でまた外へダッシュ・・・。

今度はおととい掘った歩道の芝生を埋め戻すのに、ダンプが土を運んで来たんだそうな。なんだ、まだ終わってなかったのか。でも、土が多すぎるから少し持っていっていいと言ってくれたとか。「金を出して買って早まったかなあ」と言いながら、パン焼きの準備・・・「しまった、バターを入れ忘れた」と。ちゃんと分量を切ってあげたじゃないの。っとに、カッと来たら何をやっていても上の空になってしまうから困る。まあ、セットする前に気づいたからいいか。あのさぁ、ワタシもちょっとばかり疲れてきたような気がするんだけど・・・と言ったところでどうなるってもんじゃないしなあ。

カレシが赤ちゃんだった時、戦争中だったし、貧しかったこともあって、1軒の古い家を3つくらいに仕切ったところに住んでいたそうだけど、隣の住人が昼も夜もおかまいなしにピアノをガンガンと弾いていたという。どうやらそのピアノは薄い仕切り壁の反対側にあったらしく、おかげでカレシはぐっすり眠ることができなくて、昼も夜も目を覚ましては泣き叫んでいたそうな。子供を育てたことのないワタシにはよくわからないけど、普通の赤ちゃんは十何時間も眠るんだと思う。ある研究では、しっかりと眠らずに育つと、正常な認知機能と社会的発達が妨げられる可能性が指摘されたそうだし、攻撃的になったり、うつっぽかったり、キレやすい人間になるとも言われる。そうだろうな、寝る子は育つと言われるように、眠るのが仕事みたいな赤ん坊が眠らせてもらえないなんて、どんなに苦しくて、つらかったことだろう。でも、赤ちゃんは泣き叫ぶしかすべがない。もし、カレシに発達障害か人格障害があるとすれば、眠らせてもらえなかったという要因も大きいだろう。たぶんカウンセリングでもそこまで掘り下げることはできないだろうし、成長の過程でしてもらえなかったことをワタシが代わってしてあげればいいってものでもないから、こっちもけっこうつらいんだけど。

思い立ってリサイクルに行ってみたり、なんだかんだと落ち着かない午後を過ごしたカレシだけど、どうやら危機は乗り切ったようで、夕食後に明日の「内食」のデザートにと、久しぶりにクレムブリュレを作り始めた。キッチンで何か「料理」をやっていると精神的に落ち着いて、いい療法になるんだそうな。あしたは土曜日だから静かだと思うよ。これで工事がほんとに「全部終わり」だといいんだけど、そこんところは、ふむ、どうなんだろうなあ。外は嵐模様だけど、まあ、今夜こそはゆったりと眠ろうね。明日は極楽とんぼ亭でのディナー。楽しみにしててね。(ふむ、メニューはどうしようかなあ・・・思案、思案。)

新しい宝もの

11月22日。期待したとおりの静かな土曜日。自然に目が覚めて、自然に起きて、明るい日差しの中で自然に朝食。やっぱりのどかな日はいい。まずはきのう郵便受けに不在通知が入っていた小包を取りに郵便局へ。注文してあった本がロンドンから届いたらしい。郵便局は東へ2ブロック、左に曲がって南へ11ブロック。持って歩ける大きさのはずだから、わざわざ車を出すのはめんどうくさい。ラスベガスで買ってきて愛用しているメイシーズのエコバッグを肩に散歩としゃれ込んだ。このバッグ、ナチュラルコットンのカンバス製で、メイシーズの「星」を真ん中に赤ではなくて緑色であしらってある。かなり大きくて、縫製もしっかりしていて、これで4ドル(400円くらい)というはものすご~いお買い得。

郵便局といっても郵政公社との契約でやっている小さなワタシ設局で、ワタシ書箱と切手販売だけではやっていけないから、何かしら別の商売を兼業しているところが多い。バス通りに出たら、郵便局まではずっと下り坂。ということは帰り道はずっと上り坂。小包は軽いけど、我が家の2、3ブロック先まではかなりの傾斜のある道なので、背中に日差しを浴びて汗びっしょり。ここ何年かの住宅ブームで建て替えられた新しい家々を「ふむ、落ち着いたデザインで落ち着いた色の家が増えたなあ」と観察しながら、けっこういい運動になった。たまにはオフィスの穴倉を出て外の空気を吸うのもいいもんだなあ。

届いた本はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の原本である『アリスの地下の冒険』の復刻版。オックスフォードでいっしょに舟遊びをしながら7才のアリスに即興で聞かせた話を清書して、皮装丁の本にしてアリスにプレゼントしたと言う、世界に1冊しなかい本で、手書きで、作者自筆の挿絵が入っている。アリスが老年まで大切に持っていた小さな本は、やがてオークションで売られてアメリカに渡り、第二次大戦後に再び売りに出されたのを買った大金持ちが、「勇敢にヒトラーと戦ったイギリス人への感謝の気持」として、ふるさとのイギリスに帰したんだそうな。カンタベリー大司教が英国民を代表して受け取った本は大英図書館に収められていて、ウェブサイトでページをめくって読むことができる。ワタシがどうしても欲しくて買ったのはこの原本の復刻版で、3750冊の限定出版のうちの「540番」。同じ色の山羊皮で装丁してある。そ~っと開けてみたら、読みやすいきれいな字がびっしり・・・

新しい「所蔵品」にしばし有頂天になった後で、今度はカレシと食材の買い出し。酒屋に行ったら、すごい混みようで、レジにはカートいっぱいのビールやワインを買う人の列。おいおい、クリスマスにはまだ早いんじゃぁないの・・・と突っ込みかけて、そっか、あしたはカナダのプロフットボールの決勝戦で、今日はその前夜の「グレイカップパーティ」の夜。それにしても、不況はどこ吹く風なのか、不況だからこそ飲んで大騒ぎして憂さを吹っ飛ばそうと言うのか、どっちなのかなあ。カレシが空き瓶を返している間にサンセールワインを買って、次は青果屋とスーパー。買い物が終わった3時半頃にはすっかり太陽が傾いていた。なんか冷えそうな気配。あとひと月で冬至。4時には日が沈んで、起きたと思ったらもうすぐに夕方になるような日々が来るんだなあ・・・

素直にのろけていいよ

11月23日。二人してゆ~っくりお風呂に入って、ゆ~っくりとよく眠って、ワタシはいつもの極楽とんぼに戻って気分爽快。そういえば小さい仕事があったっけと思い出して、そういえば日本はまた三連休なんだ、急ぐことないやと思い直して、遊びモードにリセット。今のうちにのんびりしておかなくちゃ・・・というのはあんまりのんびりした暮らしに聞こえないか。

週末だから何かと騒がしい世の中もちょっと息継ぎの感。金曜日だかにアルバータとサスカチュワンの境あたりに隕石が落下したらしい。夜空を飛ぶ巨大な火の玉を目撃して、ビデオに撮影した人がいた。目撃するチャンスだって一生に一度あるかないかなのにラッキーな人。ビデオに写った巨大な火の玉は一瞬夜空を明るく照らして消えた。遠くで爆発音が聞こえたという人もいるそうな。あれはもう36年前になるかなあ。眠れなかったのか、夜中に窓から夜空をながめていたら、後ろから火の玉が飛んできて、隣の屋根の向こうに消える直前に「爆発」した。ほんの一瞬だけ空が真っ白といっていいくらいに明るくなった。音はまったく聞こえなくて、あまりにも神秘だったもので、「なにかの天啓かもしれない」と漠然と感じたように思う。まだ文通3年半のペンパルだったカレシのことが何となく気になりかけていた頃だったからかもしれないけど。(火の玉の流れ星なんてあまりいい天啓ではなかったのかな・・・。)

小町で「ご主人とお風呂に入りますか」と聞いている人がいる。うっかり友達に一緒に入ると失言?して恥ずかしかったとか。我が家ではいつも一緒に入るし、あっけらかんとそう言っちゃうけどなあ。どんな言い逃れ?をしたかと聞かれても、夫婦が一緒にお風呂に入るのに別に言い訳はいらないでしょうに。西洋風呂は元々「個浴」が基本ではあるけど、この数年はジェットバスとかソーカーというのがけっこう人気で、二人サイズは普通にある。てことは夫婦一緒のお風呂なんて別に珍しくないってことじゃない。我が家のバスタブはゆったり入るために深めになっているソーカーというタイプで、二人がぶっちがいに向き合うのにちょうどいい大きさ。夫婦としてどん底にあったときに、嫌がるカレシを説得して一緒に入るようになって、落ち着いて二階を改装したときに大きいソーカーを入れた。今では照明を落として、おしゃべりしながらちょっかいを出してみたり、背中をこすりあったり。じっくり向き合えるクオリティタイムなんだけど、友達に恥ずかしくて言えないことなのかなあ。まあ、のろけていると思われたらいやだとかあるのかもしれないけど、へたに謙遜を装ったのろけよりもストレートでいいと思うなあ。(トピックの主はあんがい「恥ずかしい」と言いながらのろけちゃっているのかもしれないけど・・・)

きのうの今日で夕食は簡単にということで、照り焼き風ステーキとアスパラガスのグリル、シャンテレルきのこのバター炒め。カレシが胃の調子がいまいちというので、大根おろしに梅酢を少し垂らして、オレンジピーマンのみじん切りを混ぜたのをステーキの横にちょこっと付け合せたら、肉の味によく合う。そういえば、どこかで和風のステーキと大根おろしの組合せを見たような記憶もないではない。たぶん頭の隅っこにひっかかっていたんだろう。せっかくきれいな盛り付けだったのに、写真を撮るのを忘れてしまったけど、カレシは「これは我が家のレシピブックに記録すべき逸品だ」と大ヒット。といっても、レシピに書くほどの手順はないんだけど、色のきれいなみじん切り野菜をいろいろ混ぜて、「大根おろしソース」のバリエーションはどうだろう。ものごとは何だってやってみないとわからないから・・・。

歴史はなぜ繰り返されるか

11月24日。ああ、もう11月も最後の週。仕事だなんだとバタバタしていなくても、時間は勝手にさっさと先へ進んで行くものらしい。きのう日本は連休だからとやらずじまいになった仕事があったけど、そういえば、その仕事は今日の午後が納期なんだ、と思い出して、とりあえずバタバタ。小さい仕事だから良かったけど、どうもこのところなんか「しだれ柳モード」のような気分。ふむ、別に体調が優れないわけじゃないから、精神的な疲れがたまっているのかなあ。だとしたら、ちょっと脳みそをデフラグしてやらなくちゃ・・・

いつもカレシが朝食のセッティングをしている間に身づくろいをする。冷たい水で顔を洗って、鏡に映る自分ににっこりして、「お、今日もいい顔してるねえ、きみ。かわいいよ~」と挨拶。(これは誰も見ていないところでやらないと・・・。)数年前に化粧を始めたものの、やっぱりめんどうで出かけるときだけ。年が年なんだからしわもシミもあってあたりまえだ~と、スッピンに戻って眉を描くだけなんだけど、その方がいい顔をしているように(自分自身には)見える。そうやって自己陶酔?しながら髪をとかしていてふっと気がついた。ありゃあ、髪がえらく薄くなっている!うんと若い頃にはポニーテールにしたら重くて頭痛がしたくらいに髪の量が多かったはずなのに、なんてこっちゃ。両手で頭を押さえたら、ほんっとに薄くなった感じがする。そういえば、洗髪のたびにブラシいっぱいに抜け毛がつくようになったなあ。ま、男と違って女はつるつるに禿ることはないだろうけど。それにしては、引退してからのカレシは禿の面積がかなり減ったように見えるなあ。ふむ、ちょっと心中おだやかじゃないような・・・

世の中は今日も、大企業や大銀行が破綻しそうだとか、デフレ時代が来るとか、にぎやかなことこの上なし。寄らば大樹の陰というけど、大樹ほど大風であっけなくぶっ倒れるような気がするのは、経営者も社員も安心しきって「平和ボケ」しがちだからかもしれないな。安心しきってしまうと「どうしよう」と考える必要も感じなくなるのかな。カナダの消費者マインドは急速冷却らしくて、1982年と1990年の不況の水準に落ち込んだという話。でも、1982年て、そのときに30才だった人はまだ56才で現役のバリバリじゃないの?てことは、26年前の深刻な不況の波をもろにかぶったはずだろうに、喉もと過ぎて熱さを忘れたってことかなあ。

いや、人間は記憶する動物だから、いろんな体験の記憶が蓄積されているはずだし、文字があるんだから、歴史の本を見れば過去に何が起こったかがわかるはず。もっともよく見たら、いかに「歴史は繰り返すもの」かってことがわかるけど、それは人間が体験から何も学ばなかったからなのかなあ。人間は学習する動物でもあるはずだから、学ばなかったということはないだろうに。いや、学んだはずだと思うけど、一番重要なこと、つまり、企業や他人がどんなバカな決断をしたかは分析しても、自分もどこかで判断を誤ったかもしれない、それはどこだったんだろうと分析してみることを学び損ねたんじゃないかという気がする。それで、個人が同じ過ちを繰り返して、それがまとまったときに歴史的な危機が起きるのではないかと。そんなことをカレシに言ったら、「自分を責めろということか」と反論してきた。

違う、違う。自分が悪かったんだとか、バカだったとか、ダメな人間だとか、そんな自分を否定するようなことをしろと言ってるんじゃないの。自分の見解と判断と、その根拠と、その結果取った処置を分析して、客観的にどこに問題があったのか調べるべきじゃないかってことを言いたいんだけど。自分の行動なら自分の記憶にあるわけで、それってそんなに難しいことなのかなあ。あんがい、すごく難しいんだろうね。だから、人間は他人の判断や行動を非難する。もちろん、他人だって間違った判断をしたんだろうから、それが一番手っ取り早いし、何よりも「自分」を見つめなくてもすむ。だけど、肝心の「自分自身の経験」から何も学ばないで終わるから、人間は累々と歴史を繰り返し続けてきたのかなあ。この地球上にある人間世界はそれぞれが体験を分析して、学習する能力を持った「個人」の集合体だと思うんだけど。

今日もこの世はやかましい

11月25日。けっこう爽やかに目が覚めて、朝食が終わったらもう午後もたけなわの時間。今日はカレシの英語教室の日だから、おでかけしている時間はない。何にもない「あしたは」ということにしたんだけど、この「あした」という日、「Tomorrow never comes」というくらいで、幻の日で終わることが多いからなあ。

二人ともそれぞれPCの前に座り込んで、平穏な・・・と思いきや、またぞろ家の前が騒がしい。どうやら電力会社が電線の架設をやっているらしい。それも先週掘ったり埋めたりしていた暗渠じゃなくて電柱。先月あたりに古くなった電柱を取り替えたのは知っているけど、電線も取り替えるなら、なんでまとめてやってしまえないのかなあ。効率悪いなあ(ってのは日本人的な反応かな)。まあ、作業は30分ほどで済んだらしいけど、精神の安穏?な領域をかき乱されたカレシは「終わったといったのに」といたくおかんむり。ははあ、ひょっとしたら「オレの仕事は終わったよ」って意味だったのかもねえ。

まあ、現場で穴掘りをする人に「工事」が終わったのかどうか聞いても、彼らは「何日にどこそこでこんな穴を掘れ」と指示されて、その通りにやっているんだろうから、正確な答を期待する方が無理ってもの。だけど、期待してしまうのが人間の性なんだろうなあ。で、期待通りに行かなくて「おまえらは@#$」と、不平不満をぶつけられるほうはいい迷惑だよね。「そんなのおエライさんに聞いてくれ」とやり返したくもなるだろうに、「(オレの仕事は)全部終わったよ」。あはは、技あり1本、座布団1枚。

小町では、「2、3分は遅刻かどうか」と喧々諤々。「遅刻」派は「うちの会社」では遅刻だから遅刻という意見が多いような。まあ、小町ではおなじみの光景なんだけど、自分の「常識」は世間(日本)の常識であるはずということらしい。その延長で、日本で(つまり自分にとって)あたりまえのことは世界のどこへ行ってもあたりまえのはずだと期待していれば、期待通りでないと「~人て@#$%」ということになる。それにしても、わずか90秒の遅れのために数多くの犠牲者を出したJRの事故を思い起こさせる。杓子定規の管理社会って、窮屈じゃないのかなあ。第一、1億人が毎日一斉に原子時計に合わせるんでもなければ、すべての時計がきっかり同じ時刻ってことはないと思うんだけど。うちの時計なんかみんな少しずつ時刻が違うけどね。あ、みんなときっちり合わせるのが正しいマナーになっていたりして・・・

おもしろいと思ったのは、ある長期海外在住者の「しみじみ日本はすばらしい国だ。アメリカ人は平気で10分20分遅刻する」という書き込み。長い間アメリカでアメリカ人に混じって日本の常識で働いてきた人なのかなあ。「井の中の蛙、大海を知らず」というけど、その井戸ごと大海を渡って来る人いるってことなんだろう。その井戸の中で蛙でいるうちはまだいいけど、井戸の底で山椒魚のようになってしまったら生き難い人生になりそうだなあ。ローカル掲示板なんか、ほんとにどっちを見て暮らしているんだろうと思うような人が多いけど、日本という居心地の良い井戸をそのままカナダに持ってきて、その底で心地よく暮らしたい人たちなのかもしれない。

たしかに、すべてが機械仕掛けのように、一糸乱れず、1秒とて狂わずに期待通りに展開してくれたら、苦労はないし、精神的に安穏かもしれない。だけど、極楽とんぼは疲れても自由に飛びたいな・・・

眠りの森が開けた!

11月27日。今日はガーデナーのジェラルドが野放図に伸びた生垣を剪定しに来る日。生垣といっても高さがゆうに4、5メートルもあるヒバの「林」。伸び放題にさせておいたから、下の方の枝が疎らになって生垣の用を成さなくなっている。これを2メートル半まで切り詰めて、強制的に下の枝を厚くしようというわけ。相棒と二人がかりでチェーンソーを使っての大仕事だ。だけど、11時半くらいになって目が覚めてみたら、もう半分ほど終わっていた。外の物音に敏感なカレシもぐっすり眠っていたそうだけど、考えてみると、ジェラルドが朝早く歩道の芝生を刈りに来ても目を覚まさないらしい。やっぱり、カレシにとっては「音」そのものではなく「音源」が苛立ちの原因なんだろうな。

朝食のテーブルについたら、キッチンが明るい。窓の上の方がまっ白に見える。曇っているけど、空が見えている。テーブルのそばの窓は滝の波紋が広がる池をモチーフにしたステンドグラス風の装飾になっていて、空が見えるのは池の向こう。この風景をデザインしたのは、それまで底流のように続いていたカレシのモラハラが加速的にひどくなった頃だった。カレシを宥めるための不要な改装で、張り出し窓の4面の窓を曇りガラスにするというのを、オーバーレイというステンドグラス風の窓にすることで妥協してもらった。その窓にワタシが描いたのは波紋が広がり、睡蓮が浮かぶ池。その向こうに素のガラスを通して空が広がって見える。きっと「閉じ込められる」という直感から来た発想だったのだろう。そうか、なんとなく心が重くなるように感じていたのは、伸びすぎた生垣の「眠りの森」に閉じ込められていたからかもしれないなあ。

ゆうべは思わず感涙を流すことがあって、書き始めたブログ原稿のとりとめのなさに涙が出て、とうとう書き終わらないままでベッドに入ってまた涙が出た。悲しいわけでも、つらいわけでもないのにどんどん涙が出て来た。だけど、池の向こうに広がるまっ白な空が見えたら、胸がふわっと軽くなったような気がした。思いっきり羽ばたいたらひらりと飛び立てそうな感じ。そうか、「閉じ込められる」という危機感は最近気づいていたカレシの「置き去り行動」と裏表の関係にあったのだろう。その置き去り行動が、幼い頃のカレシがママに足手まといだからと繰り返しデパートの人ごみの中に「置き去り」にされた記憶と深く結びついていることは想像に難くない。そのときに深く植え付けられた「見捨てられ不安」が、ワタシを閉じ込めようとする行動につながっているのだろう。心理的、物理的にわざと置き去りにすることで「見捨てるぞ」という脅しをかけて、自分が見捨てられないようにしているんだと思う。

いろいろなパーソナリティ障害のひとつに「境界性パーソナリティ障害」というのがある。アメリカの精神医学会のマニュアルDSM-IⅤにこの障害の診断基準が挙げられているんだけど、どんなに客観的に観察しようと努力しても、カレシの場合は80%くらいあてはまってしまう。「強いストレスで一過性の統合失調症のような症状がでることがある」というのは、大爆発してから修羅場に突っ込むまでの間のカレシの言動に完全にあてはまってしまう。ほんとうに「精神異常」としか思えないときがあったんだけど、もちろんワタシは精神科医ではないし、系統的に心理学を学んだわけでもないから、「もしかしたら、ボーダーラインなのかもしれない」と思うだけで、実際のところはわからない。

ワタシはカレシのいいところも悪いところもひっくるめて、「あばたもえくぼもみんな」好きだから、見捨てようという気持はこれっぽちもないんだけどなあ。ワタシがママの代わりになればカレシが子供時代に戻って自己を確立できるというものでもないしねえ。だって、ワタシはカレシを人ごみの中に置き去りにしたママじゃないんだもの。ワタシはワタシで、カレシはカレシで、二人の人間がいて「私たち」なんだと思うから、カレシが境界例なのかどうかわからなくても、「そうかもしれない」という前提で対応して行くのが最善策だろうなあ。人間て、ほんとにややこしい動物だねえ・・・

これだから政治は・・・

11月28日。雨の金曜日。きのうのうちに生垣の刈り込みを完了できてよかったね。二階の窓から見下ろすと、太い幹の切り口がずらっと並んで見える。枝は道路側の方をちょっと幹より高くしてある。これだと歩道から見上げると、きれいに刈り込まれた手入れの良い生垣に見える。そこがプロの腕なんだけどね。生垣の総全長はたぶん45メートルくらいありそうだけど、全部で何十本あるのかわからない。生垣は塀の外に植えてあるので、実際は市有地を占拠していることになる。でも、歩道に枝を広げて通行人のじゃまにならなければ目をつぶってくれる。まあ、市が邪魔だと判断すればこっちの承諾なしに撤去できるので、言ってみれば市に寄付しているようなもの。歩道の芝生刈りだって、寄付と同じだもんなあ。

何日か前に納品した原稿を「こんなふうに修正してくれ」との要望。えっ、元の原稿はそんなスタイルじゃなかったですけど。それでもアフターサービスということで、コチコチの文体に書き直してあげた。文書の用途を考えて訳文のスタイルを合わせるのも翻訳仕事のうちで、英語にも用途ごとにそれなりの文体と言うものがあるから、契約書や裁判資料ならちょっと弁護士気取りで、宣伝資料なら広告マンになったつもりで、お役所文学ならちょっぴり役人風を吹かせるつもりで・・・みたいにそれぞれに見合った文体で訳文を書く。昔、語学お留学帰りのお嬢様にビジネスレターを訳させたら、みごとに「wanna、gonna」体だったという笑うに笑えない話を聞いたけど、文章にもTPOのようなものがあるわけ。だけど、メモ風にやわらかく書かれた日本語を、法律解釈みたいなお堅い英語にしろといわれたのは初めてだなあ。

総選挙が終わってスタートしたばかりの少数政権。財務大臣が歳費節減のために「政党への公費補助制度」を廃止するとぶち上げたから、さあ大変。これは企業や労働組合からの献金を禁止する代わりに、各政党に総選挙での得票数に応じて補助金を支給する仕組みで、個人献金の集金力の弱い政党には命綱のようなもの。先の選挙ではこの補助金を担保に銀行から選挙資金を借りていたらしいから、野党各党は「宣戦布告だ」と法案否決を表明。だけど、野党3党が反対票を投じれば、少数政権の不信任ということで発足したばかりの政権は倒れるのに、野党の猛反対でそれが現実になることがわかりきっている措置を持ち出したのはどういう算段なんだろうなあ。

カナダでは、不信任された政府は首相が国家元首である女王に議会の解散を求めることになっているけど、実際は総督がいて女王様の代理をやる。(施政方針も首相が演説するのではなく、イギリスならエリザベス女王がやるように、総督が議会に出向いて、「我が政府はかくかくしかじかの政策を・・・」と読み上げる。)問題はわずか1ヵ月半前に総選挙をやって、最多議席の保守党が政権をとって、議会を召集したばかりだということ。アメリカ大統領選挙もあったりで、すっかり選挙疲れした国民はとてもまた選挙をやるだけのムードにない。そんなとき、総督には議会を解散せずに野党に政権を与える権限がある。そこで、選挙中は犬猿の仲だった野党3党が勇んで「連立政権構想」をぶち上げたわけだけど、最大野党の自由党はディオン党首が敗北の責任を取って辞任することになって、党首選の真っ最中。つまり、ここで連立政権を作ると、総理大臣が2ヶ月足らずで交代することになるから、ややこしい。

もしかしたら、与党はこういった展開のシナリオをいつくか練り上げた上で、確実に不信任される提案を持ち出したのかもしれない。カナダ経済は今のところはあまり深刻なムードにないけど、不況の悪化と失業増大はすぐそこまで来ているはず。連邦政府関係の労働協約の期限切れも目白押し。おまけに、均衡予算で景気刺激策を実施することは奇跡でも起きなければ無理だろうけど、野党自由党は「赤字予算は許せぬ」と与党に噛み付いてしまっている。それに、「好みじゃないけど条件がそこそこいいから結婚する」みたいな連立政権を作っても、国民が納得するような施策なんか無理ってもんだろう。ここはあいつらにやらせて、おれ達は高みの見物。機を見て・・・

ふむ、深謀遠慮ってやつで、なんか策略でもあるのかなあ。いやあ、これだから政治はおもしろい。Plot thickens。だんだんおもしろくなって来そうで、たまらないスリル。うひうひ・・・。

すなおにほめ合おうよ

11月29日。雨の中、イアンが酒屋でジョニーウォーカーのブルーラベルの試飲会があるというので、野菜を買いに行くついでに酒屋に寄ってみた。土曜日でもあるし、けっこうな人出。政府直営で一番大きい酒屋には試飲会やセミナーのためのコーナーがあって、今日は椅子が並んでいた。ブルーラベルはすごく高い。その化粧箱を積み上げて、ちょっと試飲させて販売促進を図ろうというんだから、メーカーも大変だな。一応説明もあるらしく、次のセッションの始まりを待っているらしい美人のそばでスコッチにはあまり関心なさそうな人たちが隅のテーブルにおいてあるオードブルをぱくついていた。

イアンは見つからなかったけど、野菜を買って帰ってきたら、今日のディナーにいっしょに行きたいとのメッセージが入っていたので、予約を変更して、インドネシア料理店で久しぶりに4人で食事。孫の話にひとしきり熱中して、今度は映画の話、料理の話と、私たちのテーブルはかなりにぎやか。胃袋も心も満腹になって、ああ、いいひとときだった。4人で食事をするときは、それぞれの注文はおかまいなしで、いつも夫婦単位で割り勘。レストランで勘定書を見ながらこっちは誰ので、こっちのは誰の、と仕分けをするのは、照明を落としているところが多いので4組の老眼には楽なことではない。カードを2枚おいて半分ずつ払った方がよっぽどスマートというわけだけど、まあ、もう30年近く親しく付き合ってきたからすんなりできることかもしれない。

午後のひとときは、ニュースのサイトを巡回して、ソーシャルブックマーキングサイトに3つリンクを投稿。東京大学の卒業生が「教科書で学んだことと現実が違っていた。だまされた!」と文科省幹部を殺すとにいちゃんねるに予告して逮捕されたというニュースにはひっくり返った。無職らしいから、東大を出ても就職できなかったのかなあ。現実が教科書で習った通りじゃなかったからって、大学を出たいい大人がいったい何をほざいてるやら。きっと、東大に入ることが人生のすべてで、缶詰状態で受験勉強だけに没頭して来たんだろうなあ。大学卒はただの「学歴」で、東大卒が「高学歴」ということになるらしいけど、その「高学歴」でこの程度の思考力って、いったいどんな勉強をしているんだろう。あ、教科書を鵜呑み丸呑みしたってことは、マニュアルを読んでいるつもりだったとか・・・。クレーマーか、キミ。

石川県で長い間人と悩みを共有することでコミュニケーションを学ぼうという活動を続けて来た女性が娘といっしょに「ほめ言葉のシャワー」という冊子を作ったら、口コミで1600冊も売れたそうな。活動で蓄積された「言ってほしいほめ言葉」が65収録してあるという。元々文化的にほめられることが下手な日本人だけど、現代は人をほめることまで苦手になってしまったような観がある。新聞の記事にはごく一部の、あたりまえそうだけどもらったらうれしい「ほめ言葉」が紹介されている。もっともっとたくさんの人に読まれて、ベストセラーになってほしいと思わずにはいられない小さな本。

人間というのは、誰だってほめられたらうれしくなるもんじゃないかと思うけど、日本には「謙遜」という、ほめられたらそれを否定しなければならない不思議な「文化」がある。どうしてすなおに「ありがとう」と言ってはいけないのかと今でも納得が行かない。だって、ほめられて「うれしい」というのはほめてくれた人への「感謝の気持」の表現じゃないのかなあ。ほめられて「自分はそんなんじゃない」と否定するのは、ほめてくれた人の気持を否定するようなものじゃないのかなあ。極論を言わせてもらえば、自分を否定することで相手を否定しているようにも思えるんだけど。それに、謙遜や卑下を強制され続けていれば逆に自己顕示欲が増長されて、ときには考えの足りない人間が事件を起こして自分を認めてもらおうとするのかもしれないよ。

謙遜は「日本人の美徳」なんだからといわれるけど、う~ん、ワタシにはやっぱり理解できないなあ。(だから、高慢ちきとか、外国かぶれとか言われるんだけど、ワタシは自分をほめてあげるし、かぶれといわれても、ワタシは日本の外からしか日本を見られないからなあ・・・。)やっぱり、ほめるべきことは、すなおにほめてあげて、ほめられたらすなおにうれしいって言ったらいいんじゃないかと思うけど・・・

極楽とんぼの大チョンボ

11月30日。日曜日は月曜日。だって、仕事の相手の日本が月曜日。ということは・・・と、時計を見たら11時57分。大変、大変、大変。ああ、今日は大変なのだ。日本で朝一期限の仕事がある。書かなければならない請求書が11件。それよりも、それよりも、見落としてやっていなかった仕事がある!あああ、し~らない。

きのうの夜、ファイルがひとつどこに保存したのか見当たらない。再送してくれない?というメッセージ。あらまあ、いつやった仕事だっけなあ、とあっちのフォルダ、こっちのフォルダと探してみたけど、あれ、訳したファイルがどこにもない。あるのは元原稿だけ・・・ってことは、あ~あ、やっちゃった。見落としてしまって、やってないのだ。やってないんだから、客先で探したってあるはずがない。ああ、し~らない。送信日付を見たら10月の半ば。そっか、秋口からちょろちょろと続いたプロジェクトなもので、あちらも最後の「締めくくり」のときまで翻訳が終わっていないことに気づかなかったらしい。それが、月曜日から最後の仕上げに入ることになって・・・それがわかったのは午前2時。し~らない、もう。

朝食もそこそこに大車輪の超特急で納期の仕事を片付け、一緒に送る請求書を作り、送り出してから、見逃したファイルにかぶりついて、全作業の完了は午後4時。日本では月曜日の朝が始まる時間・・・。焦っちゃったなあ、ほんと。アドレナリンがどぼどぼと出たもので、これでは3日くらい眠れないかもね。たまにはワタシも、いやワタシだからこそ、そういうチョンボもやるんだけど、幸い、小さい仕事だったから徹夜はしないですんだ。ああ、あぶない、あぶない。鉢巻を締めなおさなくちゃ。

来年から始まる裁判員制度で、候補者になった通知を一斉に発送したら、「来た~」という書き込みが一斉にブログに登場したんだって。匿名のものならまだいいけど、自分の名前や写真を載せたブログに「通知が来た」と書いた人もいるらしい。そんな情報公開がどんなふうに規制されているのかわからないけど、日本のブログの大半が個人の「電子日記」と言えるものだそうだし、初めてのことで制度に対する概念が確立されていないだろうから、まあ、「来た、来た」と興奮して書き込んだんだろうな。いろいろと個人的な見解も意見もあるだろうし、「来ちゃったのよ~」と友だちに触れて回りたい人もいるだろうし、ブログ大流行のご時世で、人間は「見て、見て」が好きなんだから当然だろうに、時代の後塵を拝してばかりのお役所にとっては「想定外」だったということかな。

何とか無事に月末を乗り切ってほっとしたところで、何かおもしろいニュースがないかと、JAPANDITをのぞいてみる。会員が集めてくる日本関連ニュースはアキバ系からお堅いニュースまで何でもありで、へえ、こんな情報が海外に流布されているのか驚くものもあるけど、どっちかというと政治経済、社会に関連するものが多いかもしれない。ワタシも読売や朝日、毎日の英語版から記事を集めては、ちょっとウィットを気取った紹介をつけて投稿して反応を見たりする。前回はリオで閉幕した「児童の性的搾取反対会議」の宣言に関する記事。同じ新聞社のでも、英語版は普通の記事だったけど、日本語記事は国際条約ではないので「法的な拘束力はない」と、まるで、児童ポルノの所持や閲覧を禁止しなくても、アニメや漫画の過激な描写を規制しなくても、「別におとがめはないから安心していいよ」と言っているような締めだったので「?」と思ってしまった。限りなく、「幼児的なかわいさ」を追求する日本では、児童ポルノも「見るだけがなんで悪いの」ということなんだろうけど、周囲の評価をすごく気にする文化なのに、ロリコン大国として世界から顰蹙を買っていることに気づかないのかなあ。

今日の投稿は、麻生さんがアキバじゃなく東京駅の本屋に行って、マンがじゃなく「国際政治と外交」に関する本を買ったという話。麻生さんがが漢字音痴だということはすでに世界に知れ渡っているから、「お買い上げの本、振り仮名がついていたんでしょうかねえ」とコメントをつけてしまった。日本だったら、国際政治と外交といったお堅いテーマの本でも、漢字の少ないマンガ版がちゃんとあるんじゃないかと思うんだけどね。麻生さん、もし新しく仕入れた国際政治の知識をひけらかすつもりなら、ちゃんと国語辞典を引きながら読んでね。へんてこな読み方をされたら、ワタシは通訳できませんから・・・


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