リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

今どきの何とかはと言うけれど

2023年01月25日 | 日々の風の吹くまま
1月24日(火曜日)。☁🌧☁🌫。天気はしょぼいけど、寒波が襲来するのは週末ということで、当面はわりと普通の1月の天気らしい。きのう、夕方のラッシュ時に、下の6番ストリートで、見える限り坂の下まで尾灯の列で、それがほとんど動かない。去年の11月の終わりだったか、急な大雪で大渋滞したときにそっくりだけど、雪も雨もなくてただの曇り空。もしかしてと、双眼鏡で下流のアレックスフレーザー橋を見たら、橋の真ん中で警察の赤と青の非常灯が点滅中で、あ、事故か。でも、よほどの大事故なのか、夜になっても橋の上では非常灯がチカチカ・・・。

けさになって、橋からの飛び降り自殺を防ごうとしている警官たちのそばを、クラクションを鳴らしたりヤジを飛ばしたりしながら走り抜ける車が邪魔になったために、南方面の車線を通行止めにせざるを得なかったと、管轄のデルタ市警察が発表。通行止めにしても、バリアを回り込もうとして中央分離帯に衝突したおバカが何人もいたり、強行突破を図って止められて酔っ払い運転がばれたおバカがいたり、わざわざ現場まで歩いて来て写真やビデオを撮ろうする野次馬がいたりで、警察は自殺志願者を説得しながら、同時にそっちの処理もしなければならなかったために、説得に成功したときには通行止めは何と8時間。どうりで6番ストリートが渋滞したはず。それにしても、今どきの何とかはとは言いたかないけど、ほんとに今どきは常識が通じない人間が増えているような感じがする。まあ、いつもそのときが「今どき」なんであって、遠い昔になった戦後昭和のベビーブーム世代も、事あるごとに今どきの若い人はと、やられていたもんだけど・・・。

メールをチェックしていたら、Arts Clubから来月のディナーのお知らせ。Signature Dinnerと言って、ちょっといいレストランで各シーズンに3回くらいやるファンドレイジングのイベントで、数十人の規模なので、チケットが売り切れるになることが多い。今回はArts Clubが依頼して初演した『The Piano Teacher』で総督文学賞(戯曲)を受賞した劇作家のドロシー・ディトリッチがスペシャルゲストとして出席すると書いてあるじゃないの。日本語訳を始めたワタシとしては、ドロシーに翻訳に同意してくれたことへのお礼を言いたいし、チャンスがあれば作品についていろいろと話をしたいから、うわっ、エキサイティング。これは何としてでも出席しないわけには行かない、ということで、即行で席を2つ確保してぇ~とアリシアにメール。もう今からわくわくして来ちゃった。今年はワタシの人生がさく裂している感じがするとカレシに言ったら、「そりゃあ良かった」。うん、人生が木っ端みじんになるような悲劇的な爆発なんかじゃなくて、打ち上げた花火が盛大に炸裂しているような、世界がパァ~ッと開けたような、エキサイティングな感覚なの。新しい眼鏡のせいかもしれないけど・・・。

翻訳の方は、ちょうど第1幕の終わりまで来たところで、ここで初めに戻って読み直し、訳し直しをしようか、それとも流れが変わる第2幕に進んで、最後まで行ってから全体の見直しをしようか、とあれこれ思案投げ首。英語だと、印刷した文字からは登場人物の関係性の変化を掴みにくいところがあるけど、日本語には「言葉遣い」というものがあって、関係のレベルによって敬語、ていねい語、ため口というように、それぞれ使う単語が違うので、字面から人間関係がわかる。だから、初対面は敬語で簡単だけど、その後のどこで少しくだけたていねい語になって、どの場面から対等な関係として砕けた言葉遣いになるのか、深く考えながら訳さなければならないわけで、まさに、登場人物を役として演じてながら、それを自分で演出しているような気分で、ついでに日本語の勉強もしている感じ。ビジネスの文書や論文の翻訳とは似ても似つかない、まったく違う世界に踏み込んだようで頭がくらくらするけど、すごく刺激的でもある。ああ、言葉は音楽、音楽は言葉、されど、されど・・・。


マンションでの騒音問題に関するお達しが来た

2023年01月25日 | 日々の風の吹くまま
1月23日(月曜日)。☁🌧☁。パッとしない天気だけど、また月曜日。といっても、単にきのうの次の日ということには変わりはないし、朝ご飯を食べて、朝の「事務処理」を済ませて、ウォーキングをしての日課は同じだから、カレンダーを見てメリハリをつけないと、ついついだらけてしまいがち。そこがリタイア暮らしの落とし穴というところかな。

朝のメールに、「騒音問題に関して」というマンションの管理会社からのお達し。はて、12月の初めからつい先々週までずっと毎日、トントン、ガンガン、ガリガリと言う衝撃音が聞こえていて、玄関前には水漏れなどの応急処置をする業者のトラックが止まっていたので、先月の大雪と大雨の被害の修理だと思っていたんだけど、全部が全部そうじゃなかったのかな。私たちもおととしの改装で3ヵ月も工事をしていた(許可を取っていたから騒音の苦情は来なかった)し、共有部分の修理点検のトンカチはよくあることだし、業者が入る工事は慣習的に午後3時には終わるので、さほど気にしなかったんだけど、7時を過ぎても聞こえていたことがあったから、もしかしたら苦情が殺到したのかな。お達しには、集合住宅ではある程度の生活音は日常の一部であり、コンピューターやZOOMを使ってのビジネスはまったく問題ないが、同じ在宅ビジネスでも、電動の工作機械を使う工芸品や家具などの製作やドラムスなどの楽器の練習は認められない、規約に基づく罰金の対象になると、やけに具体的なところを見ると、実際にそういうのが見つかったのかもしれない(何年か前にもあったことだし)。

お達しの最後には、一般的な騒音問題への対策が列記されていて、例えば、室内では底の硬い靴をスリッパやソックスに履き替えるとか、家具を動かすときは引きずらずに持ち上げるようにするとか、玩具や工作、エクササイズマシンなどで床に衝撃を与えないようにする(カーペットを敷く)とか、会話やテレビ、ゲームなどの音量を上げ過ぎないようにするといった、ごくごく常識的なことばかり。取ってつけたみたいな感じだけど、でも、その常識がなかなか通じないんだよなあ。特に、若い世代は仮想空間で生きているようなもんだし、コロナで社会的な行動が制限されていたしで、自分の周りにいるのは生身の人間だという認識がなくなってしまったのかもしれないという気もする。おいおいと言いたくなるけど、人間が変われば社会も変わるわけで・・・。

朝のウォーキングは、カレシの英語レッスンのスケジュールによって10時だったり、11時だったり。これは「毎日やる」のが鍵で、同じことを考える人がけっこういると見えて、よく散歩中のカップルとすれ違って、おはよう。朝から庭仕事をしている人たちとも、おはよう。近くに保育園があるので、ときどき3歳か4歳くらいの子供たち10人くらいが、前と後ろの先生が間に渡したロープにつかまって「お散歩」しているのに出会って、すれ違うと、先生の挨拶につられて、ハーロー。知らない人と道路ですれ違って挨拶を交わすと、互いに自然にスマイルになって気持がいい。今はリスの婚活シーズンなので、黒いリス、灰色のリスが、いたるところでが尻尾をピンと水平に伸ばしてぴょんぴょん走り回っている。ときには3匹くらいが追っかけっこをしていて、どうやら先頭を行くメスをめぐって2匹のオスが競争しているらしい。うん、カナダ西部最古の「市」であるニューウェストミンスターでは、一歩外に出ると、まだこんな古き良き時代の趣があるってことだね。