12月31日(土曜日)。☁🌥☁。大みそか。元旦が日曜日なので、大晦日、元旦、振替え休日とまたまた連休になるせいか、静かなもの。それでも、いつもの時間に起きて、朝ご飯を食べる頃には、日本はもう「来年」になっているので、何となく奇妙な年の差を感じてしまうから不思議。つまり、時差17時間てことは、太平洋のこっち側の西の端の私たちは、太平洋のあっち側の人たちより「17時間若い」ってことになるんじゃないかなあと思うんだけどな。ま、日本の皆さん、ハッピーニューイヤー(新年おめでとう)!こっち側の私たちはハッピーニューイヤー(良いお年を)!
それにしても、なかなか改まるような気分にならなくて、2022年の最後の日である今日と2023年の始まりの日である明日で、どこが違うんだろうと思ってしまうけど、やっぱりあるところでありきたりとは違う日があって、何らかの脳内断捨離をする「区切り」があった方がいいのかな。けさはウォーキングに出るついでにゴミ出しをして、ベッドのシーツ類を全部はがして洗濯機を回して、鶏ももを茹でて、きのう6時間かけて作った鶏がらの骨ブロスを足して得意のチキンスープを作ってランチ。シーツ類を乾燥機に入れて、ちょっと仕事をしようとデスクに座ったけど、大晦日の晩ご飯のすき焼(風)に入れる豆腐がないっとスーパーにひとっ走りして、休み明けの火曜日まで持ちそうにない牛乳とパンを買って、ついでにきゅうり、レタス、トマト、にんじんも買い込んで、ああ、トートバッグで来て良かったぁ。(バッグの容量が大きいと急に「要るもの」が増えるのはなぜか・・・。)
買い物から帰って来たら、忘れる前に新年を祝うプロセッコを冷蔵庫に入れて、シャワーをして、第2ラウンドの洗濯を始めて、乾き上がったシーツ類でベッドメーキング。そんなこんなで、やっといざ仕事をばと校正するファイルを開いて、日本だったら仕事納めをするところだろうなあと思いつつながめているうちに、もう晩ご飯のしたくの時間。あぁ~あ。でも、現役の頃の大晦日なんていつもこんなもんだったような気がする。仕事納めの日にドカンと大きな仕事を送って来て、納期は「1月4日午前9時」なんてことがよくあったな。おいおい、三が日が終わった4日は仕事始めだってのはわかっているけど、実際に朝の9時から仕事なんかするわきゃないだろ、どうして5日の朝じゃダメなの?とボヤキながら大車輪で仕事をして、大晦日の家事をして、夜中にカレシと2人でシャンペンで新年に乾杯したら、バタン、グー。元旦も大車輪で仕事をして、大車輪でおせち風とも何ともつかないご馳走を作ってハッピーニューイヤー。その後は正月もへったくれもなく、仕事、仕事。その間にクリスマスツリーを解体して片付けて、いつもの家事を普通にやってと、要するにフリーランスのおひとり様稼業で、暮れも正月も盆も何もなかったんだよねえ。
それが、一夜明けたらリタイア5年目に入るわけで、4月には75歳になり(うはぁ)、5月にはカナダ人生も丸48年になって、半世紀目前の49年目に入るわけだけど、感慨らしいものはわいて来ないなあ。感慨って何かについてしみじみ、しんみりすることだと思うけど、そもそも、いったい何にしみじみ、しんみりしたらいいのかな。クリスマスと誕生日に妹が作って送ってくれるカードはいつも「ねずみ」がモチーフになっていて、まさにねずみ年の生まれで、自称「劇場ねずみ」で、いつも好奇心の赴くままあっちこっちとちょこまかして、空の雲を眺めて能天気にストーリーを思い描いているワタシそのもの。こうして特に気に入っているのを並べてみたら、なぁるほど、しみじみ、しんみりと感慨にふける境地に到達するまでまだまだ遠いのは一目瞭然もいいところ。とっくに2023年になっている世界に追い付くのにあと1時間。よし、仕事は「来年」(「明日」と言うよりは余裕綽々という感じ)に回してしまおうっと。西暦2022年様、いろいろとお世話になりました。