1月15日(日曜日)。☁🌥☁🌧。ぐっすり眠れたせいで、何とか9時前に起床。今日は月曜日じゃなくて、まちがいなく日曜日。日曜日にやって来た床掃除をきのうのうちにやってしまったので、どうしても月曜日のような気がしてしまうな。まあ、何曜日でも関係ないからいいんだけど。カレシも夜までは手持ちぶさたで、10時にはウォーキング。このところけっこう気温が高かったせいか、クィーンズバークの家々の庭のあちこちにもうクロッカスの芽が出ているからびっくり。近場の山もクリスマス前に積もっていた雪がなくなってしまっているし、さっさと春になって、夏にはまた旱魃なんてことにならないといいけどなあ。
☆☆脚本の翻訳に熱中・・・☆☆
1月16日(月曜日)。☂☁。暗いなあ。目が覚めたら8時だったけど、まだ夜のままのような暗さで、もう少しで寝直してしまうところだった。そう言えば、北アメリカでは、第3月曜日の今日は「ブルーマンデイ」と言って、1年で1番憂鬱な日なんだそうな。けさのこの暗さを見たら、冬のさ中で昼間が短い上に、楽しく過ごしたクリスマスと新年のホリデイシーズンが終わって、また普通の日常に戻って、その落差が身に染みて来る頃だからという理由がもっとものように思えるけど、クリスマスシーズンの買い物(のし過ぎ)を反映したクレジットカードの請求がやって来るからだという説もある。猫も杓子もクレジットカートを何枚も持てて、ポイントだキャッシュバックだと「使わにゃ損」みたいに煽てられる今の時代、何かこっちの方が現実味がある感じだなあ。
きのうは、ランチの後で脚本の翻訳に取りかかって、午後いっぱい没頭。というよりは、最初の方の先生と生徒の初めての対話で、好きな作曲家としてコープランドとバルトークの話が出てきて、実際に聞いてみなければ、生徒が言っている音楽的な風景がわからないと思ったのが運の尽き。今どきはググればユーチューブに音楽演奏の動画が何本も出て来るから、まずはコープランドの『アパラチアの春』を検索。ピアノソロとオーケストラの演奏を1本ずつ選んで、ヘッドフォンで聞きながら、頭の中で台詞を繰り返しているうちに、風景を「聞く」という表現がじぃ~んと沁みて来て、それを言っている人物と少しだけながら心が通じた気分になれたのは大収穫。その勢いで次はバレエ『ロデオ』の中のダンス音楽を探して来て、じっくり鑑賞しているうちに晩ご飯のしたくの時間。
コープランドを脳内に取り込んだところで、晩ご飯の後はもっぱらバルトークの音楽のお勉強。場面の切り替えの合図として楽曲の一節が流れるんだけど、見直しを思い立って中断したところの後に来るのがバルトークの『ルーマニア民族舞曲』。クラシック音楽の長い歴史の中でも、ワタシにとっての定番はルネッサンスからバロック時代で、それにモーツァルトとかベートーベン(何と言っても『交響曲第7番』!)を足したあたりだったので、二十世紀初頭の国民楽派と呼ばれる動きが強まった時代の作品には特に強い関心を持っていなくて、ドヴォルザークやスメタナ、シベリウス、コープランドあたりくらいだったから、バルトークはまったくの馴染み薄。それが、聞いてみると、いいんだなあ。特に2番目に聞いた金子三勇士というピアニストの『ルーマニア民族舞曲』にはすっかり惚れ込んでしまった。いや、ピアニストのファンになってしまったと言った方かいいのかな。
四六時中クラシック音楽を聞きながら仕事をしていたのはもう20年以上も昔の話だけど、来る日も来る日もツーカーとは行かない2つの言語の間できりきり舞いをしていたワタシの脳みそを癒してくれたのが音楽だったんだと改めて実感して、不協和音とハーモニーの説明をしている先生の台詞に、なぁ~るほどっ。それにしても、どの動画でもピアニストがスタインウェイをいかにも軽やかに弾いているのが印象的だったな。ワタシが息抜きにピアノを習っていたときに先生の家で弾いていたヤマハは「さあ、好きなように弾いてちょうだい」と言わんばかりの取っつきやすさだったけど、生徒のリサイタルで弾く機会があったスタインウェイはキーが重くて、「こら、もっと気合を入れんかい」とけんか腰で挑発して来るような感じだった。タッチが軽いと言うのはプロが言うことなんだよな。あのリサイタルで弾いたのは、大好きだったフォーレの『シシリエンヌ』(組曲『ペレアスとメリザンド』の中の曲で低学年用に編曲)だった。あの時は40代後半になって始めて、元々ピアノを弾くような指じゃなかったから、10年やってもモノにならなかった(先生とは親友になった)けど、何だかまたピアノを弾いてみたいなあという気になって来ちゃったな。