goo blog サービス終了のお知らせ 

リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年4月~その2

2012年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
長いトンネルを抜けてみたら

4月19日。きのうは水曜日だった。(どうもこの月曜日から始まるカレンダーには慣れなくて、そのうちに納期を勘違いしないかとちょっぴり心配。)きのうの起床は午後1時。なんとものんきなもんだったけど、ひと区切りになる仕事が雑誌の記事だったので、同時翻訳的にぶっ飛ばせば5時間くらいで行けると踏んで、いつもの「ま、いっか」精神丸出しで一日が始まった。

午後いっぱい、雨が降ったり、止んだり。なんか今年も去年に続いて肌寒い春だなあという感じがするな。カレシは手術してから丸5日で、抗生物質は今日でおしまい。縫合した糸が見えなくなって来たというから、溶けて吸収されつつあるらしい。自然に溶ける外科用の糸って、昔「刑事コロンボ」で心臓手術で溶ける糸を使って殺そうとしたエピソードがあったな。ワタシが子宮全摘手術をしたときは、糸じゃなくてステープル針(ホッチキスでパチンとやるあれ)で12ヵ所くらい止めてあって、4日目に看護師さんがオフィスにあるようなリムーバーで抜いてくれたっけ。皮下脂肪の厚いところを糸で縛って縫合すると醜い痕が残るからだろうと思うけど、おかげで細い線の両側に小さい点々がやっと見えるくらいに、きれいに治った。(ちなみに、横に切るのでビキニの水着を着ても傷痕が見えないということで、「ビキニ・カット」と呼んでいたからおかしかった。)膝の内視鏡手術のときは、お皿の周辺に3つの穴を開けっぱなしで、圧力包帯を巻いておしまい。ほんと、手術の縫合のしかたにもいろんな方法があるもんだ。

仕事の方は、その前にやっていた決算報告に比べたら何十倍もおもしろかったもので、4時間くらいで済んでしまった。あと半ページくらいになって終わりが見えて来たところで、夕食の支度にキッチンに上がったら、外は青空。カウンターの窓から見たら、いつの間にか桜はすっかり散ってしまっていた。

[写真] 流しとレンジの間のワタシの作業スペースの窓。毎日料理をしながら、この窓から外を見ていたはずなのに、桜の季節が終わってしまったなんて、全然気づかなかった。穴ぐらに篭っているうちに外界ではどんどん季節が移り変わってしまうみたい。長いトンネルを抜けると、桜の季節は終わりだった、なんて。仕事、しすぎだなあ、やっぱり。・・・。

[写真] カレシの手術とワタシの篭城仕事のおかげで買出しに行けなかったもので、冷蔵庫の野菜ケースはほんっとに空っぽ。何とか見つけたのが「レインボー」にんじんの紫と黄色のやつ。ということで、急ぎのディナーはオレンジラフィーにミックスライスとごく軽く蒸したにんじん。紫のは中がきれいな黄色で、味はすごくマイルド。このレインボーにんじんは色が薄いほどにんじんの味が濃くなるから不思議・・・。

たまたま成り行きでそうなった在宅で翻訳の仕事

4月20日。金曜日。目覚ましがなる2分前の午前11時53分に目が覚めた。カレシは今日から週一で午後の英語教室を再開。前にやっていた午後のクラスの生徒さんがどうしてもと生徒集めをして、その中のひとりが自宅でやっている塾のような教室を使わせてくれることになって、それならばと腰を上げた。いつまで続くかどうかはわからないけど、テーマは生徒さんたちが決めるので準備は不要。楽ちん、楽ちん、と勇んでおでかけ。

ワタシは所得税申告の手続きが全部終わったことだしと、今日は休みを決め込んでのんびりと小町横町の井戸端バトルを岡目八目。ときどき出て来る翻訳関係のアドバイスを求めるトピックがなぜか次々と3つも上がっている。翻訳ビジネスにどっぷり浸かっているワタシとしては500文字のアドバイスがどれだけ役に立つかわからないから書き込みはしないけど、他の人たちがどんなアドバイスをするのか興味津々だし、ついでに業界の見えない部分を見ることができたりする。タイトルから察するに、「在宅で翻訳の仕事をしたい」という人、「医学・薬学翻訳コースに入学したけど」という人、「医療事務よりも医療翻訳の方がやりがいがありそうだけど」という人。翻訳をやりたい人は引きも切らずというところは今も昔もあまり変わっていないな。

在宅で翻訳の仕事をしたい人・・・いったい日本中にどれだけいることやら。質問の主は40代の主婦で現在海外在住、英日翻訳の仕事をしたいけど、海外にいて日本から仕事をもらえるのか、具体的にどうやって翻訳の仕事を始めたら良いのか。う~ん、こういう質問が一番答えにくいな。この業界は年令、性別不問だから問題なし。主婦・・・だから「在宅」なんだろうけど、働きたいのか、小遣いが欲しいのかによって微妙かな。本気で働きたいのなら話は別だけど、小遣い稼ぎのつもりで「そんなに稼げなくてもいいの」なんて超格安料金に甘んじられたら、生計を立てている人が困ることになる。がんばっているシングルマザーも多いんだから。海外在住・・・これはもう何の意味もないかな。海外にいて日本から仕事をもらえるか・・・もちろん。現にワタシの仕事は90%以上が日本から来る。ネットがなかった昔は仕事のほとんどが地元の需要だったけど、今は原則的に世界のどこにいても世界のどこからでも仕事をもらえる。メールでもらって、メールで返す。いい時代になったもんだなあと思う。

具体的にどうやって翻訳の仕事を始めたらよいのか・・・う~ん、これは難しい質問だなあ。会議などでたくさんの仲間に会って来たけど、翻訳者になった動機も経緯も実に千差万別。結婚と似たようなところもなきにしもあらずで、ワタシのような古だぬき世代には「たまたま」とか「成り行きで」というのがかなりいる。ワタシは勤めた先々で翻訳をやらされて来たもので、「まあ、転職のオプションとしてそのうち考えてみてもいいかなあ」と思ってカレッジの通訳コースを取ったのが、気がついたら勤めを辞めて「在宅で翻訳の仕事」に首までどっぷりと浸かっていて、いつのまにか23年目。おまけに他人には翻訳業はビジネスなんだと説教しておきながら、自分はろくに顧客開拓の営業もやらないで、翻訳者の協会に加入して名簿に名前を載せて、後は「果報は寝て待て」みたいな何とも他力本願なビジネスをやっているから何をかいわんや。

まあ、「海外」に住んでいて英語が「できる」という以外には、学歴も専門もなくてこんなにも長くやって来られたのは、幸運な「たまたま」が重なってくれたからだと思うしかない。だから、具体的にどうやって翻訳業を始めたらいいのかと聞かれても答に詰まるんだけど、これじゃあ、ただの古だぬきになるばかりで、ちっとも後進の役には立たないよね。アドバイスしてあげられることが何にもなくて、ごめんね・・・。

日本は近いようでも、やっぱり遠い

4月21日。土曜日。カレシがもぞもぞと寝返りばかり打つので、ぐっすり眠れなくて、起床は午後1時。カレシは寝つけなかったんだというけど、きのうは久々に英語教室をやったりしたもので、くたびれて長い昼寝をしてしまったせいだと思うけどなあ。

今日も「あと1日だけ!」のぐうたら。仕事で首までずっぽり埋まっていたのがすぽっと抜けてしまうと、今度はなかなか穴に戻れなくなる。もっとも今年はもう平均的な年の半年分の仕事をしてしまったから、ついもういいかなという気分になるのかもしれないけど。でも、のんきにぐうたらを楽しんでいたら、あ、カレンダーに赤い印。今日の夜中が期限の仕事があったんだ。小さい仕事だからと思っているうちに忘れていた。やれやれ、あぶない、あぶない。納期厳守は命だからね。まあ、別に泡を食わなくても良かったんだけど、そこは気分だけでもという感じで泡を食って、バンバンと1時間で仕上げ。さっさと送ってしまって、ぐうたらモード再開・・・。

何だかかんだ言いながら、やっとのことで「一応」確定したバケーションの日程を見ながら、ホテルや飛行機の予約を確認をしていて、よく見たら北海道へ行く飛行機の予約ができていない。次々に仕事が入ってくるもので、「いつになったら手が空くんだよっ!」とむくれるカレシをなだめながら全日空の何便と決めたのを、カレシがオンラインで予約したはずなんだけどなあ。印刷したものを良く見たら「20日までに支払がないと自動的にキャンセル」と書いてある。そういえば「すぐに払わない仕組みになっているらしい」と言っていたけど、何でなの?初めての仕組みにどうやら支払の方を忘れてしまったらしい。当然フライトの予約はキャンセル。やれやれ。カレシ曰く、「日本国内の電話番号じゃないと受け付けなかったから、外国のクレジットカードだとダメかもしれない」。外国から直接の予約はダメってことなのかな。まあ、元々日本でやってもらって日本にある円で払おうと思っていたからいいけど。

ということで、さっそく妹にお願い。(お願いばっかりしているなあ、いつも。妹よ、ごめん!)選んでいた座席の番号が何だかヘンなんだけど、そのまま知らせたら、「それだと前後になるよ」との返事。何でなの?並んだ席を取ってくれたからいいけど、どうも古くて解像度の悪いモニターでアルファベットのHとKがぼやけて見えて、どっちもHと読んだらしい。あのさあ、新しいモニターを買った方が良くない?まあ、あっちこっちをキャンセルしたり、変更したりでややこしいのはわかってるけど、「日本に行ってから満室、満席では困る、全部手配して確認して行かないんだったら、オレは行かない!」とぶっち切れたのはどこの誰だったかなあ・・・。

それにしても、日本へ行くとなるとなぜかもめるねえ、ワタシたち。アメリカへ行くときは全然もめないし、ヨーロッパに行ったときも一度だってもめなかったのに。何でなの?あのさあ、かってはアナタがひとりで行ってウハウハと楽しく暮らすつもりだった「夢の国」でしょ?あんがい日本語ができないカレシには自分で想定通りにすんなりとやれないことが多いからなのかなあ。まっ、カレシも来年は70歳だし、ワタシも年金をもらい出したら仕事を減らして行くつもりだし、2人して日本へ行くのもこれが最後になるかもしれないから、いいけど・・・。

北海道への飛行機の便が確保されたので、釧路で待っている友だちに電話して知らせなきゃ。小学校1年生から6年間同じクラスだった大の仲良し。この前会ってからもう20年近い。メールもネットもやっていないから、連絡は昔ながらの手紙。それはそれでまた味わいがあっていいんだけど、泊まって行けというから、泊めてもらうことにした。コミュニティ活動に勤しんでいる彼女のこと、どうやら社会人になってからも釧路に留まった同級生たちに声をかけてくれているらしい。「食事会するからね」と。50年ぶりに会う人ばかりで、まるで同窓会だなあ。なつかしさと、覚えていてくれたという感動で胸がじ~んとなってくる。よ~し、電話しようっと。

昭和30年代、さ霧閉ざせる蝦夷の地に・・・

4月22日。日曜日。いい天気。今日は正午前に起きたので、早々と朝食を済ませて、早々とオフィスに「出勤」。早く始めれば、午後5時の期限まで余裕しゃくしゃくで、後は休み。いつもこういうペースならいいんだけどな。

ゆうべ(というか午前2時過ぎだったけど)、友だちに電話した。お互いにああ~っと声をあげて、それから10分くらい2人とも興奮してきゃあきゃあとおしゃべり。「あのさ、食事会には○○クンも来るって言ってるよ」。あ、よくけんかしたあいつだ。なつかしいなあ。「それと○○クンも。いいおじさんになっちゃったけどいいかいって。かわいいよねえ」。うんうん。「○○子ちゃんは孫がいるんだよ~」。うはあ。そうだろうなあ、だって、みんな揃って今年64歳だもの。そうやってひとときおしゃべりして電話を切ったら、カレシが「小学生が騒いでいるかと思ったよ」と呆れた顔。だって、小学校時代の友だちなんだからあたりまえ。父の転勤で釧路を離れてから50年。ちょっとばかりタイムスリップした気分だったな。

でも、いいニュースばかりではなかった。「○ちゃんは認知症になっちゃって、調子のいい日もあるんだけど・・・」。ええ、あの○ちゃんが。高校に入って間もなく中退して結婚したものの、学校教師だったダンナのDVにあって、やっとの思いで離婚して、娘を抱えて死にもの狂いで働いて、地元の会社の取締役にまでなった○ちゃん。思春期の一人娘が一時荒れたときは母子心中を考えるほど思い詰めたという○ちゃん。ほんとに大変な苦労ばかりだった人生の最後に待っていたのが認知症なんて、不公平すぎると思わないの?え、神さま?

電話した友だちも、離婚してからずっとひとり暮らし。子供はいない。釧路で短い期間を過ごした石川啄木の足跡にマーカーを建てて回るんだと、市役所に掛け合ったり、寄付を募ったりの旗振りに忙しい。子供の頃からバイタリティが溢れる子だったな。カレシが50年も経ってもみんな覚えていることに感心するけど、まだ「戦後」だったあの頃(昭和30年代)は今とは比べものにならない「絆」があったと思う。復興中の日本は発展途上国並みで、みんな押しなべて貧しかった。今の人が見たら「仮設住宅」と思いそうな二軒長屋の社宅の天井裏をねずみが走り回っていたし、ワタシが幼い頃は父が娘に卵を食べさせようとニワトリを飼っていた。秋になると沢庵漬けを作るために馬車いっぱい運ばれて来た大根を隣近所が家族総出で洗って干したし、どの家にも子供が何人もいて、テレビ放送が来るまでは、上は中高生から下は幼稚園児までよく外で群れ遊んでいたし、近所のお母さんたちはみんなの「おばさん」みたいなところがあった。何だか一種のコミューンみたいだけど、あの昭和30年代がワタシの原風景なのだ。

50年といえば、織田信長の時代にはそれが人の寿命だったわけだけど、1世紀の半分。それを「半世紀」といえば、すご~く長い年月に感じる。はて、みんなどんな50年を歩いて来たんだろうな。小学校は(中学校も)とうに廃校になってしまったけど、「さ霧閉ざせる蝦夷の地の・・・」で始まる校歌は今でも覚えていて歌える。あんがい感極まって歌い出してしまうかも・・・。

人間が好きといえる幸せ

4月23日。月曜日。今日は特に仕事をしなくてもいい日。なのに、そういう日に限ってごみの収集日だったりして、早くに目が覚めるなあ、もう。でも、今日もいい天気で、気温も平年並み。ワタシの誕生日の予報はあまり良くないけど、初夏のような気候だったトロントに急に雪が降ったのに比べたらごく普通。雨はバンクーバーの名物だし・・・。

朝食後、カレシのリクエストで大好きなラタトゥイユをスロークッカーに仕込む。病み上がり期?を卒業したらしいカレシは少しずつ庭の仕事を始めて、今日は雑草刈り。池を撤去したときに掘り起こされた土はかなりの粘土質で、コンクリートの下になっている間に痩せてしまったらしいので、これから堆肥を混ぜたり、ライグラスを植えたり、1シーズンをかけて土壌改良をやらないと野菜作りはできそうにないと、カレシはぶつぶつ。ま、いつでも「来年」というものがあるんだから。(去年優勝を逃して今年こそと期待されたカナックスは第1ラウンドであっけなく敗退してしまって、こっちも「また来年があるさ」。もっとも、こっちはその「来年」がさっぱり来ないんだけど・・・。)

ゲートのチャイムが鳴ったので出てみたら、知らない人が「ご主人と前にお話したんですけど」と、ガレージセールのちらしをくれた。故国のトリニダードに帰ることになったんだそうで、少し前に家の外にいたカレシと庭中にある植物を売る話をしたことがあったらしい。「帰ったらビーチがすぐそこの丘に家を建てるのよ~」とうれしそう。うはあ、海辺の家だって。いいなあ。トリニダードはカリブ海の国だ。ますます、いいなあ。うらやましいっ!電気屋のロウルもそうだけど、カリブ海の人たちはほんとに楽しい人たちが多いなあ。それも意識してふるまっている「陽気さ」じゃなくて、根っからの陽気さから来るポジティブなオーラかな。知らない人なんだけど、こっちまで楽しくなってしまった。

散歩に行く途中だという彼女と「じゃあね」と別れて、家の中に戻ってふと思い出した。先週、再開した英語教室で「バンクーバーのどこが一番好きか」というディスカッションをしたんだそうな。ちなみに、この教室の生徒さんは台湾系の奥さんたちで、移民して来て10年くらい。ほとんどが夫婦や個人で何らかの仕事をしていて、それなりに生活は安定しているし、英語も中級かそれ以上。で、持ち寄ったテーマのひとつが先の質問だったわけだけど、カレシが「答は何だったと思う?」と矛先を向けて来たので「人」でしょと答えたら、カレシが「どうして知ってるの?」とびっくり顔。どうしてって、ワタシも聞かれたらまずそう答えると思うからそう言ったまでなんだけど、と言ったら、「そうか。まあ、バンクーバーは昔から寛容なところがあったけど・・・」と。

うん、そうだと思う。最近たまたま別々のところで「他文化に寛容で住みやすいイメージがある」とか「人がやさしい」とかいうコメントを見て考えていたことだと思う。バンクーバーは(北海道もそうかもしれないけど)草分け時代は東からいろんな背景事情を持つ人たちが流れて来た「線路の果て」の吹き溜まりみたいなところだったから、「異なるもの」に対して寛容になれる素地があったと思う。もちろん、中国人移民に人頭税をかけて流入を阻止しようとしたこともあったし、こまがた丸に乗って来たシーク教徒を上陸させずに送り返したこともあったし、戦争中に日系人を強制収容所に送り込んで、戦後はカナダ各地に離散させたこともあった。いずれも一部の狂信的な人種差別主義者の煽りが時の政府を動かして起きたことで、近代の政府が過去の過ちを認めて正式に謝罪や補償をしたし、カナダ社会も歴史の汚点ともいうべき事件を風化させない努力をしている。

戦後になって異言語、異文化、異宗教と、あらゆる「異なるもの」が流入して来てからは、努めて異なるものと共存しようとする「tolerance(寛容)」が根付いたと思う。でも、その根源になっているのは、草分け時代に培われた、異なるものを自分たちの基準に合わないと言うだけでむやみに拒絶したりしない「open-mindedness(寛容)」なんだろうと思うな。だけど、そうやって新しい隣人たちに心を開いて接しても、相手が心を開こうとしなかったり、(遠い外国の)自分たちの常識や規範を鎧のようにまとったままでいたら、バンクーバーっ子だってそうそう寛容にはなれないな。これは決して一方通行ではない人間関係の基本だと思うから、人間が作るコミュニティにはどんなところでも多かれ少なかれそういう寛容と非寛容のせめぎ合いがあるだろうと思う。

つまり、バンクーバーの好きなところを「人」と答えた人たちは、寛容に寛容をもって応えることができた人たちなんだろうな。それなりの苦労はあっても、この人たちはこの国で前向きに暮らせているということか。小町の国際結婚トピックで「こちらでは日々外国の悪習を目のあたりにして、外国人として戦いのような日々を・・・」という、まるで敵地に乗り込んだような書き込みがあって思わず噴き出したけど、こういう(たとえそれが「愛する人」の国であっても)移り住んだ国の習慣を「悪習」と言って否定してしまえる人は、異なるものに心を閉ざしているのか、それとも元から非寛容なのか、それとも単に思うように行かない生活の不満を募らせているだけなのか。(それで、「悪習」に染まった同胞を許せないのかも。)まあ、周囲の寛容さに気がついていない場合もあるだろうし、人それぞれの感じ方があるのはわかってはいるけど、寛容に非寛容をもって応えても、ネガティブなオーラを撒き散らすのが関の山で、そのうちに暮らして行くのが辛くなってしまいそうに思える。ま、お好きなようにどうぞ、と言うしかないんだろうけど・・・。

いわしのつみれを作ってみた

4月24日。火曜日。天気は下り坂。起床午後12時40分。やっと仕事のペースが緩んだというのに、なぜか夢の中でせっせと仕事、仕事。フリーランス根性もここまで来たというのか、それとも単に混乱はなはだしい言語中枢をデフラグしているのか(だけど、仕事をだしにしてデフラグってのはなしにしてほしいなあ・・・)。

ペースが緩んだと言っても、まだ手持ちの仕事が2つか3つ(ん、どっちだ?)あるんだけど、仕事前線は急に静かになった感じ。ええ?と思ったら、日本ではそろそろゴールデンウィークが始まるんだった。つまり、あと3日静かでいてくれたら、そのまま来週1週間はずぅ~っと静かってことか。うん、いいね<!

仕事がペースダウンすると、食事にちょっと手をかけてみようかという気になる。きのうはラタトゥイユにいわしのフライ。大きなイワシが6尾入っていたのをぜんぶ解凍してしまったはいいけど、食べきれない。そこで、うろ覚えに聞いたことがある「いわしのつみれ」(つみれ?つみいれ?)というものを作ってみようと思い立った。ところが、聞いたことはあるけど、実は見たことがないし、食べたことがあるかどうかもわからない。そこでいつものようにググったら、「白ごはんdotコム」というサイトに懇切丁寧な説明。ぐうたらしてフードプロセッサでガガ~っと練って、できあがったのがちっちゃなひと口「つみれ」(カレシには「いわしダンプリング」と言っておいた)。味見をしたら、うん、いける。

つれみができたから、今日のディナーはなんちゃら日本風という流れになる。つみれ汁にスティールヘッドの照り焼き(くるくると剝いただけの大根を添えて)に発芽玄米のごはん。それとやっぱり何かもう1品いるかなあ、と考えていて、はたと思いついたのがごぼうのきんぴら。ごぼうがあるし、韓国にんじんがあるし、しらたきもあるから、これでワタシの好みのきんぴらができる。思い立ったが何とかで、ついでに甘さを抑えたしらたき入りきんぴらごぼうも作っちゃった。

おかげで、なんとか「なんちゃら和風」の体裁がついたから、今日のディナーはトレイに並べて「極楽とんぼ航空」の機内食。これで日本酒があったらよけいにいいんだけど、それでも、乱気流もなく、快適なフライトを・・・。[写真]

つみれ、おいしかった。カレシも「おお、うまい!」うん、魚料理は何といってもやっぱりアジアのレシピが一番相性が良くておいしくできるね。

誕生日はお遊び料理で

4月25日。バースデイディナーは金曜日にHawksworthへ行くことにしたので、1日中雨模様の今日は(誕生日の主賓の)極楽とんぼ亭シェフが勝手気ままに思いつき料理で遊ぶ日ということにした。

今日のメニュー: アミューズブーシュ(トマトゼリーとトマトエッセンス)
         焼きフォアグラとチェリーブランディのリダクション
         ビーフのフィレと玉ねぎガーリックジャム、舞茸のソテー
         鶏もも肉のアスパラガスロール、野菜添え

まずはマティニで乾杯して・・・。

[写真] トマトエッセンスはトマトから抽出した透明な液体で、エッセンスの名の通り、トマトの香りが味の中に濃縮される。抽出方法はいろいろあるらしいけど、ここはトマトの缶詰を開けるたびに汁を捨てずにコップに取り、ひと晩冷蔵庫においては、分離した上の透明な液体(エッセンス)をガラス瓶に集めて冷凍してあった。大きな缶詰4個分から集まった液体をコーヒー用の紙フィルターで最後まで残ったトマトの実を漉して、ほんのり黄色みがかった透明な液体が大さじ2杯分。これだけの量にかなり手間がかかったけど、完熟トマト本来の味がなんともいえない。トマトのパサタにブランディとビーフのブイヨンを少しずつ混ぜて、寒天パウダーを加えて固めたゼリーに、クリーム用のピッチャーに入れた冷たいエッセンスを添えて、誕生日の晩餐の始まり・・・。

[写真] こういう特別なときのためにと、冷凍効率の良い貯蔵フリーザーの奥深くに霜焼けしないように大事にしまい込んであったフォアグラからスライス2枚。これにごく少量なのであっという間に煮詰まるチェリーブランディのリダクションソースを添える。玉ねぎのスライスをさっと焼いてから、フォアグラを焼いた。ソースがチェリーだから別にフルーツ風味がなくてもいいかと、薄くスライスしてトーストしたローズマリー風味のフォカッチャを添えた。

[写真] ビーフのフィレがあったので、ちょうどいいから今日は久しぶりにステーキ。といっても、ほんのひと口サイズに胡椒をたっぷりまぶしておいて、後はソースの算段。フォアグラにチェリーソースを合わせたので、どうしようかと冷蔵庫をのぞいて見つけたのが、ローストした玉ねぎとにんにくの「ジャム」。残りが少量だったので、温めて緩めたものを添えたら、これが意外においしかった。

[写真] 鶏もも肉のロールは骨をとって、開いて、アスパラガスの茎の部分を2本ずつ巻き込んだものに冷蔵庫にあったタマリンドソースを適当に塗って、ホイルに包んでオーブン焼き。付け合せはスイートポテト、オレンジピーマン、アスパラガス(しっぽ)のミルポワ風。ステーキに付け合せた舞茸をソテーしたフライパンをそのまま使い、ったので、同時に隅っこでズッキーニも焼いて、なかなかいい味。彩りは金柑。

ディナーの後で、カレシからプレゼント。郵便で届いたままの包みに入っていたDVDは大好きなコリン・ファースが主演した映画『The Importance of Being Earnest』。(舞台劇は『真面目が肝心』だけど、映画版の邦題は『アーネスト式プロポーズ』になっていた。)おなかがいっぱいでランチは不要になりそうだから、寝酒とおつまみをやりながらゆっくり見ようね。ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー!

自分に誕生日インタビューしてみた

4月25日。水曜日。正午ちょっと前に起きたら、暗い。予報通りの雨。今日はワタシの64歳の誕生日。極楽とんぼのワタシはこの年になってもまだ誕生日が大好き。ビートルズの楽しいラブソング、「When I`m sixty-four」を口ずさんでいるうちにやって来たその日。ちょっと自分にインタビューしてみた・・・。

Q: 今日で満64歳だね。どんな感じ?

えっ、ほんと?という感じ。へその緒で自分の首を絞めて、大変な難産で仮死状態で生まれて、それでも脳に(少なくとも目に見える)障害が残らずに生きられたのは神さまのおかげ。人生って、チャンスはいつも五分五分ということなのかな。

Q: 年を取ることは気にならない?

年を重ねるのは生きている証拠で、すばらしいと思う。だいたい、年は「取る」、「食う」という自動詞的な現象だから、どういう風に年を取るかは自分しだいじゃないのかな。でも、有名人が亡くなったニュースがあると、享年が80代なら「あ、そうか」、70代なら「まだそんな年じゃないのに」、60代だったら「早すぎるなあ」と感じる。つまり、ワタシの中では80代になって「老人」、90代になったら「高齢」というイメージがあるから、64歳はまだ人生の半ばみたいで、たぶんこれからもっと楽しくなるような気がする。でも、のんきすぎかな、これ。

Q: 来年からいよいよ年金をもらえるけど、仕事、続ける?

それが一番の悩み。仕事以外にやりたいことはたくさんあるんだけど、仕事にはまた趣味とは違った刺激があって、急にやめたら禁断症状が起きるかもしれない。それに心の奥深くに「経済的に自立しなければ」という強迫観念みたいなものが常にあったような気もする。日本の両親が他界してしまって、自分は子供を持つことを諦めた時点で「いつかはひとりきりになる」という自覚ができて、目の前に「離婚」がちらついていた時に一気に濃縮されたのかもしれない。実際にワタシの経済力の方が上で、離婚しても生活には困らない状況だったから、逆に離婚に至らなかったんだろうと思う。だから、年金をもらい始めたら、趣味を優先しながら仕事を少しずつ減らして行くことになるだろうと思うね。

Q: カナダ暮らし、もうずいぶん長いけど・・・

あと2週間ほどで満37年。1975年5月12日。月曜日だった。スーツケースを3つ持ってひとりで「海を渡って」来たんだけど、カレシのほうの問題を片付けなければその先へ進めなかったから、実際にこの国での地位が固まったのは1年とちょっと経ってから。それまではやっぱり精神的にきついときもあったけど、あの頃は日本から来る嫁なんて片手で数えるくらいしかいなかったし、移民局の担当者もめんどうな状況を理解してくれて、親身になってサポートしてくれた。今はとてもそうは行かないだろうから、いい時代に来たんだと思うな。

Q: 自分のいいところは何だと思う?

たくさんあると思うんだけど・・・。

Q: 自分の欠点は何だと思う?

たくさんありすぎて・・・。

Q: 日本のことをどう思っている?

遠きにありて思うべき・・・というよりはもう外国。わからないことが多くなりすぎたもの。

Q: じゃあ、自分のことを何人だと思っているの?

日系カナダ人。10年くらい前に幽霊戸籍を抹消するために行った日本国領事館で、20年以上も前に無効になった戸籍の名前がワタシの唯一の名前で、カナダが法的に認める英語の名前は「別名」に過ぎないと、まるでワタシが「偽名」を使っているようなことを言われたときに、初めてはっきり実感したと思う。ワタシは「日本生まれ」のカナダ人なんだと。ま、カナダは「○○生まれ」のカナダ人だらけの「咲いた、咲いた、チューリップの花が」の歌みたいな国だから。

Q: これから先、老後に不安はない?

まったくないと言えば嘘になるけど、この国はワタシを見捨てないと思うから、大丈夫だと思う。義理の家族は、カレシにとっては問題が多かったかもしれないけど、(たぶんにカレシが作った)先入観を乗り越えてワタシを受け入れてくれたし、ワタシも肩肘を張らずに自然体で接して来て、「義家族」という違和感を持ったことは一度もなかったな。ワタシたち夫婦が危機に陥ったときはみんながワタシの後ろ盾になってカレシを慌てさせたけど、第一、離婚した「嫁」を新しい伴侶ごと受け入れる家族なんて世間にそうあるもんじゃないと思う。2人の義妹たちとはもう「義」を意識しない仲良し3人姉妹だし、甥や姪たちも小さいときから「アンティー(おばちゃん)」と呼んで懐いてくれていたし、まあ、たとえ年を取ってひとり暮らしになったとしても、見守ってくれる家族がいるという精神的な安心感は心強いよね。

Q: どっちかというと良い人生だったと思う?

思う。人生のできごとをサイコロになぞらえるとしたら、いい目が出たときの方がずっと多かったかな。人間、ある種の「運」を持って生まれて来るのかどうかわからないけど、まっ、これからも自然体で行けば、なるようになるだろうと思うね、うん。

東西の多彩な食材を東西の多彩な味で食べる

4月28日。土曜日。目が覚めたら午後12時50分。4月最後の週末。日本がゴールデンウィークに入って、仕事戦線は静かなり・・・といいたいところだけど、案の定、ばたばたとメールが来て、あれもこれもと置きみやげ。おまけにニューヨークからもスケジュールのお伺い。んっとにもう・・・。

きのうはワタシの誕生祝いとカレシの快復祝いを兼ねて、久しぶりにHawksworthでディナー。季節の「お試し」メニューが魚介類中心で最後に鴨だったので、あっさり意見が一致して、久しぶりにコースメニュー。(どこでもコースメニューはテーブル全員が注文する決まりになっている。)料理を待つ間にカクテルでリラックス。カレシが注文したLiquid Sword(液体の刀)というおもしろい名前の創作カクテルはテキーラがベースで、何だろうなあというエキゾチックな味。メニューはイカ、マグロ(アンチョビの天ぷら添え!)、ホタテ、スティールヘッドと続いて鴨。デザートはバニラプディングと練乳のアイスクリーム。アイスクリームの上にはきれいなオレンジ色のにんじんのキャラメルクロカンが載っていた。練乳とにんじん・・・おもしろい思いつき。

ワタシたちは普段から夕食の時間が早いから、レストランでも早番の午後6時に予約を取るんだけど、7時過ぎにはもうほぼ満員御礼になったから、バンクーバーのナンバーワンシェフの店だけある。バンクーバーの「グルメ」はフランス料理をベースに、アジアの食材や調味料を取り入れて発展して来た「ウェストコースト料理」。フランス人は種類の限られた食材を多彩なソースで食べ、日本人は多彩な食材を単純なソイソース(醤油)で食べるといった人がいたとかいないとか。その延長線で行くと、この20年ほどの間に、バンクーバーっ子は洋の東西の多彩な食材をこれまた洋の東西の多彩な調味料やソースで、しかも素材の味を生かして食べるようになったと言えるかな。最近は地元のセレブシェフたちが一緒になって「地産地消」を推進しているけど、それも西に太平洋があり、東に肥沃な農業地帯があるという「地の利」があればこそで、それがミシュランも知らない「ウェストコースト料理」の真髄だと思う。ワタシにはこの地球上にバンクーバー以上の「おいしいものいいとこ取り」の天国はないと思うな。

帰ってからレストランのサイトでカクテルの材料を調べてみたら「スダチ」と唐辛子。カレシはさっそくどこでスダチ果汁を買えるかとリサーチ。カリフォルニアから通販で買えることはわかったけど、「東京で買った方が安いよな」と。う~ん、いつでもどこでも売っているもんじゃなさそうだし、東京は広いしねえ。そういいながら今度はワタシがリサーチ。最初に2泊するホテルから駅ひとつのところに徳島県の産物を売っているところがあって、「スダチ果汁」もあると書いてある。店があるビルには他にもおもしろそうな店があるよと言ったら、「これだと帰りの予定を変えなきゃダメだな」。広島行きをやめたら、東京で何日もやることがないと、400ドル払って最初の5日をばっさり切ったカレシ。今度はどうやら尻尾の方を2、3日延長か。早く決めないと、近くなるほど変更料金が上がるから、今度はいったい何百ドルかかることやら。ま、いいけど、スダチ、ちっとも安くないじゃん・・・。 

さて、今日はバンクーバー交響楽団のMusically Speakingシリーズ最後のコンサート。来シーズンからは別のシリーズに鞍替えするから、ワタシたちにはほんとに最後の最後。女王様の即位60周年を記念して、前半はウォルトンの戴冠式のマーチとアイアランドのピアノコンチェルト。後半の部の出し物はギルバート&サリバンの1幕もののオペレッタ『Trial by Jury』。うん、これはおもしろそう。置きみやげ仕事に埋もれる前に、ちょっとばかり息抜きして来ようっと。

食べていけなくても職業として成り立つのか

4月30日。月曜日。2人揃ってはっと目が覚めたのが午後1時。ごみ収集日なのに、いつものようにトラックの音で目が覚めなかった。年を取ってくると、この時期にはどうしても生理的なシステム全体が何となくもや~っとするように感じるんだけど、春眠暁を覚えずと言った孟浩然センセもあんがいそういう年だったのかもしれないな。でもまてよ、次の行で「夜来風雨の声」って言っているから、単に春の嵐のせいで寝つきが悪くて、朝方に寝入ったから目覚めが遅かっただけなのかも・・・。

きのう、やっと日本滞在を3日延ばすことで「合意」が成立して、カレシに帰りのフライトとホテルの予約を変更してもらった。料金に変わりはなかったけど、また変更手数料が1人100ドルずつ。これで日程は確定だよね?と念を押したら、「ウェブでチェックインするときに空席があったらビジネスクラスにアップグレードしようかなあ」とカレシ。こらっ。あんまり何度も変更したら、そのうちへたをするとビジネスクラス並の料金でエコノミーってことになっちゃうって。まあ、いくらかかるかによってはそれも悪くないなあとは思うけど・・・。

ま、すったもんだのあげくだけど、とにかく日本旅行の日程が確定したので、ワタシは大車輪でまず今日が納期の仕事を済ませ、今日が期限の売上税の四半期申告を済ませ、日本の協会の会費の支払を済ませ、レンタル携帯の予約を入れて、ずっと目の前にあったポストイットをべりっと剥がしてポイ。やれやれ、これでもうちょっと仕事に気合を入れられそう。カレシは何年か前に英語留学に来たことがあるワタシのいとこの息子(英語だとfirst cousin once removedと長ったらしい関係になるけど、日本語では従甥とか従兄弟ちがいとかいうそうな)とメールで食事をする日を相談。後はぼちぼちと東京で人と会ったり、ショッピングしたりする日程を詰めるだけになったけど、こっちは昼の部と夜の部の二交代になるかも・・・。

会費を払ったついでに協会のイベントカレンダーを見ていたら、5月に東京である月例セミナーのタイトルが『翻訳でメシは食えるか』。曰く、「景気低迷の長期化やグローバル化、低価格化で翻訳だけで家計を支えるのが難しくなり、専門性の高い分野の人でさえ生活が厳しくなりつつあるような今の時代、そもそも翻訳でメシは食えるのか」。東京にいたらぜひとも行きたいところだけど、残念。専門性の高い人も苦労していると言うけど、専門化するか、しないかは古くて新しい問題だけど、専門化できないから「何でも屋」のワタシから見ると、専門性が「高すぎる」のが足かせになっている場合もあるんじゃないかと思う。専門分野の業種が不況のどん底になったら否応なしに仕事は減るだろうし、そういうときに他の分野の仕事を拾うというのもあんがい難しいことなのかもしれない。まあ、潰しが利かないというか・・・。

でも、どうなんだろうなあ。今どきは初めから翻訳者になることを目指して大学院などで勉強して来る若い人たちが増えているけど、メディアが描く「フリーランス」のイメージ先行で翻訳者になりたいという人たちも相変わらず星の数ほどいるようだし、自動翻訳サービスも台頭して来ているし、これからの時代、ほんとに翻訳1本で食べて行けるんだろうか。これはワタシの偏見ではあるけど、大学院で修士号を取って来る人たちは理論武装はたしかかもしれないけど、悲しいかな実務経験や知識が乏しいことが多い。翻訳をやりたいと言って、翻訳学校で実入りの良さそうな分野を「勉強」して来る人たちはそもそも頭の中の「翻訳をやっている知的な私」のイメージが強すぎて、プロ意識に欠けることが多い。翻訳コスト削減の担い手となる自動翻訳はまだとても「翻訳」ができる段階に至っていない。じゃあ、「翻訳業」はこれからどういう方向に進むのか。

ワタシはこの先3、4年くらい自分の食い扶持を稼げたらいい年令だから、特に深く考えることはないけど、これから入ってくる人たちにとっては敷居の高さは変わらないか、あるいは低くなることはあっても、職業として「メシを食う」のは難しくなるという予感がしないでもないな。(それ自体では食べて行けない職業というものあるのかもしれないけど。)まあ、深く考えずに足を突っ込んでそのまま深く考えずにやって来たワタシは、いろんな世間のいろんな「常識」に対して統計などでいうoutlier(外れ値)。よく考えると、たしかに仕事は(北海道語で言うと)はっちゃきこいてやって来たけど、そのために「血のにじむような努力」をしたという記憶がないから、ほんっとにどこまで逆説的にできているんだろうな。やっぱり幸運の星というものがあるのかなあ。


2012年4月~その1

2012年04月16日 | 昔語り(2006~2013)
エイプリルフールの笑いのツボは

4月1日。日曜日。久しぶりにまぶしい春の空模様。桜は満開。はらり、はらりと散り始めている木もある。今日から4月。ニュースサイトを見たら、「ウェストジェット航空がキッズフリー便を始めます。お子様はおもちゃとおやつを豊富に揃えた貨物室の特別保育室で保育士がお世話をします。大人は静かなキャビンでリラックス・・・」。それを聞いたカレシ、即座に「おお、そりゃあいいねえ」。あのぉ、今日はApril Fool’s Day(エイプリルフール)なんだけど。

でも、飛行機の中で小さい子供が嫌われるのは世界共通なんだろうな。それを一番良く知っているのは航空会社。だからこういう秀逸?なエイプリルフールのジョークを飛ばせるわけだけど、もっともらしい広報ビデオを作ったというから手が込んでいる。もちろん、最後はちゃんと「Happy April Fool’s Day!」とやって締めくくっているけど、今頃はぜひキッズフリー便を予約したいという早とちりの人たちが電話に飛びついているだろうな。エイプリルフール!なあんだ、あはは。担ぐ方も担がれる方も、長い冬を抜け出した春の一日を笑って過ごせたら勿怪の幸い。でも、日本の企業がこれをやったらどういう反応になるのか。「人をばかにするにもほどがある!」と抗議の電話が殺到するかもしれないな。元々ユーモアの感覚が違っているわけで、何がおもしろくて笑えるか(笑っていいことか)という意識も違っていてあたりまえだろうと思う。

何をおもしろいと感じるかは人それぞれなんだけど、最近はそれを「笑いのツボ」の違いと表現して、それが一致するかしないかが人間関係の成否を決める主要素のひとつになっているらしい。(と、小町横町で教えられたけど、小町は新しい日本語を覚えるほぼ唯一の手段になっているような感じがする。)「笑いのツボ」というのは指圧の「ツボ」のような「感じどころ」と想像したけど、英語では俗に言う「funny bone」のことか。肘をぶつけたときにビリッと来る部分のことで、英語人はあの感覚をfunnyと言うんだけど、ただし、この「funny」と言う語には「こっけいな」という意味の他に「変だ」とか「いんちきくさい」とか「頭がおかしい」といった(笑えない)意味もあるからおもしろい。それにしても、「笑いのツボ」が合わないために交友関係さえぎくしゃくしかねないというのは、ひょっとしたらそれも(たぶん)メディアに植えつけられた「かくあらねばならない」という強迫観念(こだわり)なのか、あるいは「自分と同じ人」の追求なのか・・・。

あちこちをのぞいて見ると、「笑いのツボが合わないから付き合えない」とか、「笑いのツボが合わないとキツイ/しんどい」といった表現がぞろぞろ出てくる。結婚してから「笑いのツボが合わない」と後出しで文句を言うのは国際結婚トピックでよく見ることだけど、どうやら恋愛ではこの「笑いのツボの不一致」が致命傷になることが多いらしい。結婚難だというのに、それでなくてもいくつもありそうな「譲れない条件」に新しい項目を作って婚活のハードルを高くしていいのかいなとおせっかいながら思うけどね。実際のところ、この「笑いのツボが合う」って具体的には何なんだろうな。お笑い番組の好みが同じことなのか。飲み会やサークルのように楽しく盛り上がれることなのか。同じことをおもしろいと感じることなのか。それともコミュニケーションのスタイルのことなのか。

ワタシとカレシは同じようなジョークに反応するし、2人してお笑いコンビみたいなことをやっては笑い転げるから、「笑いのツボ」が合っているのかな。だけど、性格は元から違うし、コメディ番組や映画や本の好みは全然違うし、まだときたま出てくるカレシのモラハラ的ジョークには笑えないし、愉快とか楽しいと感じるものにもかなりの違いがある。夫婦とて一心同体じゃないんだから勘どころが違ってあたりまえで、笑いよりも金銭感覚の「ツボ」の一致度の方がよっぽど高い。つまり、ワタシとカレシは笑いの「ツボ」という集中点でよりも、もっと全身的な「humor」(ユーモア)が合っているんだろうな。「ユーモア」は人の笑いを誘うことに集中しているけど、「humor」は元々「湿り気」、中世医学では「体液」、そのバランスが気分を支配すると考えられたことから、転じて人の「気質」や「気性」のこと。それが合うということは、何となく「相性」がいいってことになるのかな。要するに、俗に言う「割れ鍋に綴じ蓋」ってこと・・・?

穴倉からちょっと頭を出して

4月4日。水曜日。少し気温は低めだけど、桜は見渡す限りの満開。いい天気。少し早起きして、朝食もそこそこに運動がてら徒歩でヘアカットに出かける。何しろ仕事、仕事できれいにしているヒマも何もあったもんじゃないから、髪は方の下まで伸びて外側にカールし始めている。(ワタシには髪がカールしやすい遺伝子もあるみたい。)てっぺんに逆毛を立てたら『ヘアスプレー』のちょっと太っちょの女の子みたいになりそうな感じだな。前髪などは牧羊犬そっくりだし・・・。

アンナとジュゼッペが新年早々に新しいテナントを入れるためにモールの外側にあった店を立ち退かされて、2ブロック先の大きなサロンに椅子を2つ借りる形で移転した。新しいテナント言うのがサンフランシスコに行くたびに立ち寄っていたCrate & Barrelというワタシたちお気に入りのおしゃれキッチン用品店。こんな近くに進出してくれるのはうれしいけど、そのために20年夫婦で切り盛りしてきたサロンが立ち退きというのはちょっと胸がキュン。でも、すぐに営業できるところが見つかって、しかも近いからお馴染みさんを無くさずに済むのはせめてもの幸いだったな。まずワインレッドのカラーを入れ直して、白髪を染めて、それから伸び過ぎた毛をばっさり。なんだか頭が軽くなったような感じがする。

すっきりしたところで、明日の午後が納期の仕事に戻って、またひたすらキーを叩く。今週は納期が迫っているのに、月曜日はダウンタウンの会計事務所まで確定申告の書類を届けに行って、ついでWhole Foodsで買い物。「獲れたてのオヒョウが入荷!」と張り紙がしてあったので、さっそく魚の売り場に行ったら、氷の上にでっかいのがどんと置いてある。先週はIGAでも塊を買ったけど、カウンターにも大きな半身。また誘惑に負けてこのぐらいと手で大きさを示して切り分けてもらったら、ずっしり1キロ。うは、3食か、4食分はありそう。ついでに同じように氷の上に載せてあったえらそうな顔をした鯛の大きいのを1尾包んでもらった。この週末は復活祭だから、ちょっとご馳走を作りたいし・・・。

火曜日は最後に未完で残っていた裏のポーチの手すりを取り付ける工事。なかなか頑丈そうなまっ白な手すり。いいねえ、すてきだねえと何度も裏口のドアを開けて見てしまったけど、カレシもペンキ塗りのメインテナンスが不要になるから助かるよね。去年の秋に始めた庭の改修工事もこれで後始末を残してやっと「竣工」。秋にやるつもりだった屋根の葺き替えは、南側の天窓を潰すだけのはずが、北側に窓を開閉できるドーマーを作ろうかと言う話になって、またぞろプロジェクトが大きくなって来た。屋根をぶち抜くとなれば、雨が降り出す秋は無理だから、来年の春から先。あ~あ、年金をもらっても引退なんかしてられないなあ、この調子じゃ。

期限が迫っているのにとぶつぶつ言いながらやっている仕事は商品のカタログみたいなもので、消費者向けじゃないのにキャッチコピーは華々しく感嘆符がいっぱい。だけど、日本語の感性のコピーだから、そのまま英語にしたって通じない。もっとも、これは商品を海外で売ろうという話ではなさそうなのであまり頭をひねらなくてもいいからラクといえばラク。それにしても、なんだかんだとこんなに家中にシュッシュと化学薬品を振りまいていたら健康にいいわきゃないと思うんだけどな。アレルギーとか、アトピーとか、発達障害とか・・・。セシウムの粒子が1個あって大騒ぎするけど、こういう化学薬品は日常的に使い慣れてしまって怖いとは感じないのかな。長い間に遺伝子のあちこちに小さな、小さな損傷が起きて、それが将来生まれて来る子供に蓄積されるという危険性はないのかな。まあ、最近の日本人はことさら神経質で無味無臭無色無害を追求しているようなところもあるから、売る方も熱が入ってるのかもしれないけど、人間には安全だといわれてもワタシはつい考えてしまうな。

ま、あと少し。がんばろうっと・・・。

芝居に行く日のお急ぎディナー

4月5日。木曜日。いい天気。今日は午後5時に納品しなければならない仕事があるから、ちょっと眠いけどがんばって正午前に起きて、午後1時にはまじめに勤務中・・・。

今日は久々に、というよりは今シーズンで初めての芝居で、オスカー・ワイルドの『The Importance of Being Earnest』(邦題は『まじめが肝心』というらしい)。この仕事の納期に合わせて席を取ってあったから、何としても外せない。こういうときは不思議とやる気度が急上昇するから、ワタシってけっこう現金なヤツだと思うけど、でも人間は適度に息抜きをしないと精神も魂も鈍ってしまうから。

というわけで、ワードで作業してスペルチェックと見直しを済ませた訳を指定どおりにエクセルのセルにコピーして、圧縮ファイルにして、午後4時58分に送信。やれやれ、どうにか間に合った。7時過ぎには家を出なければならないから、夕食のしたくは超特急。月曜日に作ったラタトゥイユの残りを温めることにして、メインは白身の魚の切れっぱしを集めたフィッシュケーキ。いうなれば、魚コロッケ・・・。
[写真]

じゃがいもを茹でて、バーで使うマドラーで潰しておいて、次に魚をさっと茹でて、ほぐしながらじゃがいもに混ぜ、玉ねぎ、ガーリック、ねぎなどを刻んで適当に混ぜて、パン粉少々でつなぎ。スパイスはそのとき次第でイタリアンにしたり、アジア風にしたり、タイ風にしたり。何しろじゃがいもと白身の魚の寄せ集めだから、何風にでも作れるのがいいし、魚の種類の組み合わせによっても味が微妙に違うのがおもしろい。

今日はパルメザンチーズと温室にしぶとく残っているイタリアンパセリとイタリアンスパイスでイタリア風魚コロッケ。濡らした手で形をまとめたものにパン粉を押し付けるようにつけて、フライパンでこんがりと焼くだけで、簡単しごく。温めておいたラタトゥイユを添えて、お急ぎディナー。だけど、これだけでは後で猛烈におなかが空きそう・・・。

メールをチェックして、送ったファイルを「受け取った」という確認メールが来ているのを確認して(これは夜のお出かけのときは肝心)、超特急でパウダーをはたき、アイシャドウを入れて、眉毛を描いて、着替え。気温はひと桁でちょっと肌寒いけど、チュニック風のTシャツ一枚でめんどうだからジャケットはなしで、いざ、おでかけ・・・。

ビクトリア朝時代の婚活も厳しかったらしい

4月6日。金曜日。グッドフライディ。復活祭の週末の初日。起床は正午ちょっと前で、今日も春爛漫の天気。新しいポーチの階段のふもとにあるひょろりとした桜にも庭に下ろしてから初めて2つ花がついた。

なぜか目に入れてあったコンタクトレンズが壊れた夢を見た。ここんところ、どういうわけかどこかに「滞在中」らしい場面が夢に出てくる。ゆうべも、ホテルだかアパートだかわからないけど(知らない人ばかり)何人もが一緒にいて、その中でコンタクトレンズを外したら大きな切り欠きがある。急いで目の中を探したら三角の破片があったからピンセットでつまんで取り出したけど、壊れたレンズは1部を切り取ったパイチャートみたいだったな。こんな時間に困ったな(真夜中らしい)。仕事がどっさりあるってのに・・・(近くを見る左のレンズだった)。で、なぜかガラス張りのビルのようなところにいて、ドアの向こうで談笑している人たちが見えた。レンズのケースを振ったら女性がドアを開けてくれたので、「こんな時間だけどコンタクトレンズが壊れて」と言ったら、「大丈夫です」。それで、蛍光ペンだらけの紙を見せられて「注文しましたからね」。ああ、良かった~と言ったところで目が覚めた。まったく意味不明の、すっごくヘンな夢・・・。

きのうの芝居はパンチが効いていておもしろかった。ビクトリア朝時代のイギリス。仲良しの有閑紳士アルジャノンとアーネスト。アーネストはアルジャノンのいとこのグウェンドリンに首ったけだけど、当の彼女は「結婚相手はアーネスト言う名前でなければダメ」というこだわり屋もので困っている。実は「アーネスト」はロンドンで遊ぶときの名前。本当の名前は「ジャック」で、アーネストは遊び人の弟ということになっている。「どうしてもアーネストでないとダメ?たとえば、ジャックという名前だったらボクを愛せないの?」 グウェンドリンの返事は「ジャックですって?と~んでもない。アナタがアーネストでうれしいわ」とプロポーズOK。でも、彼女の怖いママが、収入はおいくら?お住まいはどちら?ご両親は?と「面接」をやって、優しい紳士に拾われた捨て子だったとわかったとたんに「条件が良くないから、娘との結婚は認められない!」と却下。(あはは、ビクトリア朝の「婚活」も厳しかったってことか・・・?)

一方、ジャックが後見人なっているセシリーという女の子が気になったアルジャノンは「アーネストおじさん」になりすましてお屋敷に遊びに行ったはいいけど、セシリーも「私の結婚相手は絶対にアーネスト」。夢見る夢子ちゃんのセシリーは日記の中で「アーネスト」と婚約して、3ヵ月前に婚約破棄していた。「ボクたち、婚約破棄したの?」と驚くアーネストことアルジャノンにセシリーは「プロポーズ、お受けしますわ」。そこへジャックが帰ってきて、すったもんだのどたばた騒ぎ。最後にはジャックが乳母が散歩に連れ出したきり行方不明になったアルジャノンの兄とわかり、しかも名前は「アーネスト」だったとわかり、グウェンドリンの手を取って「やっとわかったよ、the importance of being・・・」と、ここで客席から「アーネスト!」とせりふを横取りする声。役者が客に向かって「待ちなよ」と言い、観客がどっと爆笑してカーテン。演出だったのか、たまたまだったのかわからないけど、涙がぽろぽろ出るほど笑ってしまった。

だけど、切り欠きコンタクト(パックマンの形でもあった)の夢と「なりすましコメディ」とは関係ないよね。おなかを抱えて笑って気分がすっきりしたんだし。まあ、今日は復活祭の晩餐の前々夜のプチご馳走を食べて、次の仕事にかかる準備でもするか・・・。

[写真] 復活祭の日曜日には久しぶりにコース料理をやってみることにしているから、今夜はごく簡単に、アヒまぐろたたき風三通り(しょうが醤油、梅干しペースト、ゆず胡椒ペースト)におまけのライムと一味唐辛子に漬けたジャンボえび。野菜はピーマンとアスパラガスで、みんなまとめてグリル。日曜日の食材を集めるのにフリーザーの中をかき回して、ついでに少しは整理になったし、まじめに仕事にかかろう。何たって「まじめ(being earnest)が肝心」だもんね、うん・・・。

駅前留学ならぬ駅前海外旅行

4月7日。土曜日。いい天気。今日はカレシがリッチモンドのアントニオの家までヘアカットに行くので、途中で降ろしてもらってT&Tスーパーまで行ってみることにした。アントニオはアンナとジュゼッペのサロンに週に3日だけ椅子を借りて仕事をしていたけど、立ち退きで自宅営業に切り替えたのだった。何でも、不動産投資がうまく行って管理の方が忙しくなったもので、本業はなじみの客だけを相手にやっていたのが、(カレシも含めて)ほとんどみんな自宅までついて来て、そのまま週3日だけ営業しているらしい。うん、ビジネスは一にも二にも人間関係なのだ。

T&Tスーパーマーケットは台湾系の女性が台湾の大手スーパーなどの投資を得て始めた店で、2、3年前に東部の大手スーパーのチェーンにびっくりするような金額で買収されたけど、そのままアジア人向けスーパーとしてカナダ各地で営業している。そのT&Tが地下鉄のバンクーバーの最南端のマリンドライブ駅横の総合開発(これから建てる予定のマンション415戸がたったの4時間で完売した)でできる大型モールに出店すると聞いたもので、まあ、今日は下見。ゆうべ、ググって下見の下見をしたところ、バンクーバーに近いキャンビー・ロードにひとつ、地下鉄(というか川向こうのリッチモンド側は地盤の関係で高架)の終点のモールにもうひとつ。

そこで大きいから便利が良さそうなモールの外で降ろしてもらって、終わったら電話してね、バイバイ。ところが、モールに入って案内マップを見たけど、大きな店はベイとシアーズだけで、T&Tは影も形もない。細長いモールを端から端まで歩いたけど、ない。変だなあ。外へ出て道路標識のブロック番号を見たら、なんか違うような・・・。勘違いしちゃったのかなあ。まあ、ないものはないんだからしょうがいない。目の前にあるブリグハウス駅から2つ先のアバディーン駅まで電車にのって行ってみたら、なんだ、ヤオハンセンターのとなりじゃないの。なつかしいなあ。かってやっとまともな「日本食品スーパー」ができたと喜んだヤオハン。大御所がこけてしまって、モールの名前は残ったけど、スーパーの名前は(なぜか)「大阪超級市場」。後でわかったけど、実はこれが「もうひとつ」のT&Tスーパーマーケットだった。何を勘違いしたか知らないけど、まっ、いいか・・・。

入ってみたら、わっ、すごい。何がすごいって、人間のエネルギーがすごい。通路ごとに試食のテーブルができていて、う~ん、何だろ、これ。説明してくれているみたいだけど、ワタシ、中国語はダメ~。高校時代に漢文が大の得意だったから、何とか読めることは読めるけど、それだけのこと。(こういうところは店員が英語を話せるとは限らない・・・。)商品のラベルは中国語(繁体字のものと簡体字のもの)、ハングル、ベトナム語。日本語のものもあって、「北海道」と書いてあると思ったら、アメリカの「クェーカー」の朝食用シリアル。はあ、なんで北海道?(中国人は北海道に憧れていると聞いたけど・・・。)英仏語で名前と原料とか成分とか栄養データを書いたステッカーがあるけど、これ、なあに?どうやって食べるん?頭の上では中国語のアナウンス。昔、NOVAの「駅前留学」がキャッチコピーとしては良くできている思ったけど、ここはまさに「駅前海外旅行」というところで、自国にいながらにして留学、自国にいながらにして海外旅行。どこかに空間を超える魔法のマシンがあったりして・・・。

バスケットを引っ張りながら、ふむふむ、へえ、はあ、とあれやこれやを見て歩いたら、大きなドリアンの実がごろんとがあったり、掘ったままみたいな筍の山があったり、ぶっとい豚の足を積んであったり、鳥の足があったり、きゃっ、「豚の舌」なんてものがある。鴨の「舌」は食べたことがあるけど、豚の舌かあ・・・。ハトもあるし、ウサギもあるし、ヤギのぶつ切り骨付き肉まであった。魚売り場にも(英語の)名前を聞いたことのない魚がある、ある。エキゾチックなものは見るだけにして、バス、ホッケ(ロシア産)と子持ちシシャモ(カナダ産)とウニと、まっ、勝手を知っているものだけにしておく。後は竹に包んだ台湾式チマキ、「日式」ミニごまだんご。野菜売り場は、しめじにまいたけ、ひらたけ、しいたけ。大根とごぼうとコリアンダー。ヘアカットが終わって合流したカレシも、「やっすぃ~」と野菜の類を買いまくり。下見のつもりがけっこう大きな買い物になってしまった。それでも、レシートを見てびっくり。やっす~い!

それにしても、中国人のエネルギーはすごいなあ。通路で人が止まって、塞がっていてもぐいぐいと押しのけて行く。何人も固まっていればぐいぐいかき分けて行く。カートやバスケットがぶつかってもちょっと「にこっ」。これが世界にチャイナタウンを作って、差別や偏見をものともせずに繁栄して来た中国人のバイタリティなんだろうな。みんな「我が道」を行っていて、それでいて混み合う時はお互い様と認識しているような感じがあって、なぜか冷たいネガティブなオーラはほとんど感じられないから、ワタシも気後れせず、気兼ねせずで、隙間があれば狙いをつけて負けずにずんずん。もしも、日本人がこのバイタリティ、このエネルギーの何分の一かを持っていたら、バブルが潰れても「失われた10(20年)」にはならなかったかもしれないのに・・・と、ふと思ったけど、民族の生命力とでもいうものも、良きにつけ悪しきにつけ「民族それぞれ」なんだろうな。

一尾の鯛を全部食べた復活祭

4月8日。日曜日。まだ何とかいい天気。復活祭の日曜日。今年は暦のめぐり合わせで、キリスト教の復活祭とユダヤ教の過越しの祭りの始まりが重なって、どちらも金曜日に始まっている。そういえば、4月8日は、日本の仏教ではお釈迦様の誕生日の花祭りじゃなかったかなあ。こうして大きな宗教行事が重なるのはやっぱり「春」という、新しい命が芽吹いて来る季節と深い関係があるんだろうな。

日曜日だし、復活祭だし、仕事をひとつ納品したし、前からある仕事は期限がだんだん迫って来るけど、これはあしたから気合を入れて没頭すればいいか・・・ということで、久しぶりに極楽とんぼ亭を開店して、シェフの思いつきぶっつけ本番「なんちゃらコース」。目玉は頭の先から尻尾の先まで40センチはある鯛1尾。これをどうさばくか・・・。

今日のメニュー: アミューズブーシュ1(とこぶしのポン酢風味)
         アミューズブーシュ2(ジャイアントシュリンプと
            チリマヨディップ)
         鯛、オヒョウ、まぐろのカルパッチョ
         ロブスターとほうれん草のバターソテー
         鯛のポエレ、野菜添え
         鯛がゆ、若竹煮
         (デザート:いちごのチョコレートディップ)

まず、鯛のうろこを取って、三枚おろし。30ドルはたいて買ったスケーラーが役に立って、うろこがほとんど飛び散らずにきれいになった。頭を落とすのに長い間使う機会がなかった嫁入り道具の小さい出刃包丁の出番。最後にどきどきするような細身で長い魚さばき包丁で三枚におろす。ちょっと透き通ったきれいな身だな。頭と骨はすぐに鍋に入れて出汁を取りにかかる。

[写真] ゆうべからスロークッカーで殻ごと煮ておいたとこぶし(あわびもとこぶしも英語ではabaloneだけど、大きさといい、身の平たさといい、殻の穴の数といい、絶対にとこぶしだと思う)をスライスしてポン酢を垂らしてねぎをちょこっと散らしただけの先付け。じっくりと煮たからいい味。カレシが「もっとあるといいのに」。う~ん、それじゃアミューズブーシュにならないよ。

[写真] アミューズブーシュのその2はジャイアントシュリンプ。「シュリンプ」といえばチビのことを指すけど、これは「ジャイアントなおチビ」。たしかに普通にシュリンプとして売っている剝きエビの倍くらいの大きさだけど。茹でて殻を剝いたのを即食用可。オリーブ油のマヨネーズにアジアのガーリックチリソースを混ぜたディップ。コリアンダーの葉を添えて、ちょっとアジア風に・・・。

[写真] セヴィチェにしようと思ったけど、漬け込むのがめんどうで(というよりは、鯛を下ろすまで作れないことに気がついたもので)、思いつきでカルパッチョ。鯛の前の部分を削ぎ切りにして、オヒョウとキハダマグロは薄切り。さばき包丁が刺身包丁の代わりになる。レモンとライムを振りかけて冷蔵庫に入れておいて、テーブルに出すときにマイヤーレモンを混ぜたオリーブ油をたらたら、ケッパーをぱらぱら。刺身とはちょっと違った味わいで、この次にマグロやサーモンのタルタルを作るときはケッパーを入れてみようか。

[写真] 冷凍で売っているロブスターテール。これはかなり小ぶりなので殻から外して縦に2つに割ってバター焼き。ロブスターを横に寄せて、ほうれん草を入れてソテー。同じコストならロブスターよりはカニの方が断然いいワタシたちだけど、凝らずにシンプルにやればロブスターだっておいしい。

[写真] 鯛の真ん中の部分を切り身にしてさっと焼いて、オーブントースターでローストしていた赤いビーツの上に乗せた。アスパラガスはさっと蒸し、きゅうり(日本系)はピーラーでリボンのように薄く引いて、マイヤーレモンの残りを絞って「きゅうりもみ風」にさっと混ぜたもの。マイヤーレモンは酸味が強くないから、砂糖を使わなくても普通の酢の物よりずっとマイルドになる。(ワタシは隠し味でも何でも料理に砂糖をほとんど使わない。)

[写真] 最後の仕上げはワインを日本酒に切り替えて、鯛がゆと若竹煮。鯛ご飯を考えたけど、このあたりに来る頃にはだいぶおなかがきつくなっているだろうと、半がゆみたいな炊き加減にした。出汁は鯛をおろしてすぐに作ったもの。お粥風だから(コーヒー用のフィルタを使って漉した)出汁を全量使ってしまった。鯛は出汁を取る途中で骨から外した身と下ろした身の尻尾の方を少々の醤油とお酒で味付けしておいて、炊き上がりに混ぜ込んだ。なかなかあっさりして美味。皮付きの茹で筍はべりべりと皮を剝いて、穂先の部分は飾りのつもりで、食べ始めた頃から通しでじっくり煮てみた。飾りだと言っているのに、カレシがどこまで食べられるかと、穂先まで皮を剝いてはかじり、剝いてはかじりしたもので、円錐形の皮がテーブルの上にごろごろ。まあ、皮付きの筍なんて初めてだもんね。

[写真] やっとデザートにたどり着いて、イチゴのチョコレートフォンデュ。3つくらい食べるのがやっとだった。久しぶりのコース料理で有頂天のシェフはちょっと張り切りすぎ。それでも、鯛1尾を頭から全部使って、2人で全部食べてしまって、残ったのは出汁の抜けた骨だけ・・・。ま、これで今日は夜中のランチは不要だな。

ハッピーイースター!チョコレートのイースターバニーの耳をかじったのはワタシ・・・。[写真]

なつかしきかな、お父さんの味

4月9日。月曜日。午後の気温15度。復活祭の「四連休」の最終日だけど、法定祝日ではないので、公務員や労働組合があるところは休みだけど、普通の仕事日の人たちも多い。ワタシも公務員時代は四連休だったけど、会計事務所時代は三連休。まあ、3月、4月は政府予算の発表があるし、所得税の確定申告の期限もあるから、会計事務所はみんな残業、残業で、連休どころの話じゃなかったんだけど。

週末にちょっと息抜きしたので、今日から腕まくりをして手持ちの最後の仕事にかかる。これも大きいなあ、なぜか。比較的緩い納期だからとのんきに他の仕事をはめ込んでいたら、納期まであと8日。でも、環境関係のけっこうやり慣れたテーマだから、ガシガシやったら6日で終わるかなあ。早く終われば「予約」の仕事が入って来る前に休みを創出できるわけだけど、まっ、始めてみてのお楽しみということにする。(上は社長から下はお茶くみまで会社の「業務」をぜ~んぶひとりでやって、さらに休みの日まで自分で作らなければならないのが、フリーランス自営業の宿命というか・・・。)

イランの核開発問題で欧米との間に緊張が高まっているときに、日本の元首相がよせと言うのを振り切ってイランまで出かけて行って、アマディネジャッドと何を話したんだか知らないけど、イラン政府の(イランに都合のいいことを言ってくれたという)発表を「捏造だ、遺憾だ」と言っているらしい。この人、首相だったときも基地問題でアメリカの大統領に「Trust me」なんて啖呵を切っておきながら結局何も進展しないうちに「国民が聞く耳を持たない」とか何とか言って首相の椅子を放り出したなあ。底抜けにお人よしなのか、根っからのお坊ちゃま思考なのか、欧米にいじめられるイランの頭を友愛精神でなでてあげに行ったつもりかもしれないけど、グローバルなスケールのKYな政治家としては世界でも断トツだろうな。さすが「宇宙人」といわれるだけのことはある。次はシリアに行ってくるなんて言い出さないといいけどね。

仕事の前に、ちょっと小町横町の散歩。相変わらずの他人がどうたらこうたら。いっそのこと「どいつもこいつも存在自体がウザい、消えて欲しい」と正直に言っちゃえばすっきりするんじゃないのかと思うけど、それでは決して人様に迷惑をかけず、常に人様への気遣いを第一とし、厳正なマナーを身に付けた礼儀正しい「私」のイメージに反するから口が裂けても言えないだろうな。実際には「他人に迷惑をかけられず、常に気遣いをしてもらい、丁重に扱われる私」を求めているのかもしれないけど、小町で多用される「違和感」と言う自分自身の中に湧いて来る感情に対処できないということなのかなあ。トピックのタイトルだけをながめていたら、とっくに終わったはずの「左利き是非論」のトピックが蒸し返されていて、ここでも違和感、違和感、違和感。「箸使いが、字がきれいなら」と条件付きで許容する人たちもいるけど、今どき、きれいに箸を使い、字を書ける「右利き」の日本人がどれだけいるんだかね。ま、世界のどこでも、社会全体が不況や世情不安などで落ち込んでいるときに、人種や宗教、文化、その他異なるものへの嫌悪感や差別、偏見が顕著になる傾向があるようで、日本とて例外ではないということだけど。

そういう日陰の多い小町横町にもたまにはぱあっと明るい日が差すことがある。『おやじの味、ありますか』と言うトピックは、「父親が作ってくれた思い出の味」を通して子供時代に見た「おとうさん」の思いがけない一面の話がつづられていて、どれもこれも世間一般の「おふくろの味」はひと味もふた味も違う。思わず投稿しそうになったけど、ワタシにもなつかしい「おやじの味」はいくつかあるなあ。食紅で色をつけたあんこ入りのお好み焼きとか、ストーブの上でじゅっと焼いてくれた魚の骨せんべいとか。その中でも一番の「お父さんの味」は法事か慶事で母と妹が泊りがけで出かけて留守のときに作ってくれたお弁当。ワタシは中学1年生だった。あの頃はアルミの弁当箱にご飯とおかずが定番だったけど、一計を案じた父が作ってくれたのはなんと「コロッケバーガー」。(まだマクドナルドもハンバーガーも知らなかった時代の話。)

丸いパンを横に2つに切って、中をほじくり出したくぼみに刻みキャベツを詰めて、とんかつソースをつけたお惣菜のコロッケをはさんだものだったけど、父はそれをハンカチに包んで持たせてくれた。教室でハンカチを解いたときに注目されて、かっこいい「ランチ」を持たせてくれた父をすご~く誇らしく感じて、おいしさ百倍だったなあ。やっぱり、ワタシって「お父さん子」だったんだろうね。いわくつきの男に恋をした無鉄砲な娘を海の彼方へ送り出してくれた「お父さん」。そのいわくつきの男が敬愛した「お父さん」。弱音を吐きかけたワタシに「いつまでも親がいると思うな」と叱咤してくれた「お父さん」。その父が逝ってから今年はちょうど20年。1月の命日はとっくに過ぎたけど、ねえ、カレシ、札幌へ行ったら「お墓参り」する・・・?

極楽とんぼも時には愚痴をこぼしたくなる

4月12日。木曜日、だと思う。カレンダーも頭の中もぎっちぎっち。下手をすると心の中までぎっちぎちになりそうで、ちょっとしんどいなあ。

先月からカレシの日帰り手術が4月13日に予定されていたんだけど、今日最終確認の電話が来て、明日一番の手術などので午前6時に「出頭」しなさいとのお達し。おやおや、寝ている暇がないよねえ、それでは。一応、どっちみち真夜中以降は食べ物は禁止だからということで、カレシは早めにひと眠りして、午前5時に起きてでかけることになった。大学病院だから、すぐそばにある駐車場に念のため1日分の駐車料金を払って車を置いておき、終わった頃を見計らってワタシはタクシーで病院へ行って、カレシが放免になったら家までタクシーサービスという算段。

病院は違うけれども、ワタシの膝の手術のときを参考にすれば、「チェックイン」してから何かと準備に時間がかかって、筋肉弛緩剤でリラックスさせてもらって、実際に手術が始まるのはおそらく午前8時頃かな。1時間以内で済むそうだから、術後の観察室でしばらく休み、その後控え室のベッドでしばらく休んで、まあ、全部で6時間くらいの予定か。それはいいとして、カレシは退屈するのがいやだからiPodを持って行くとか、ネットブックを持って行くとか、んっとにうるさいったらない。いったい何しに行くの、アナタ?退屈なんかしているヒマなんかないって。ろくに睡眠を取らないで行くんだから、昼寝をするチャンスだと思うけどなあ。

ワタシの仕事の方は、あ~あ、まだあと30ページもある。(そのすぐ後にもう次の仕事が待っているし・・・。)ひたすらキーを叩いても、叩いても、何だか遅々として進んでいないような気がして、くたびれるなあ。日本での会議の参加登録もしなければならないし、ホテルや乗り物の予約だの何だのといろいろとやることが並んでいるし、戻って来た所得税申告の後処理もあるし(ワタシはどんと還付されるけど、カレシは追加納税。それでも相殺して20万円くらい戻る勘定か。)のおまけに今月末は売上税の申告期限なのを忘れていた。ほんとに、この2、3日は常に頭の中で時刻表をチェックして、更新して、想定外のことが起きれば時間をやりくりして、時刻表を改
訂して・・・。人間て、こういう、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるような時ってあるんだよね、誰にでも。さすがの極楽とんぼにもそういう時が来たってことか・・・。

だけど、やっぱりしんどいなあ。久々にほんっとに「疲れた~」という気分。まあ、あと1週間くらい歯を食いしばっていれば抜けられるかもしれないけど、それでは歯が磨り減ってしまいそう。指はどんどん短くなる気分だし、ああ、くたびれたなあ。も~し~らないよ~。

手術の日が13日の金曜日だったら?

4月13日。金曜日。早寝したカレシは午前5時に起床。ワタシはカレシを病院に送り出して、午前5時半就寝。もう少し早く寝るつもりだったけど、おひとり様でぼぉ~っと寝酒をしていたら、いつの間にかカレシが起きる時間。ふむ、ひとり酒というのは飲み過ぎになりがちだからいけない。あと2日分くらい残っていたはずのレミを空にしちゃったから、以後気をつけなきゃ。

午前9時に目覚まし。眠い。胃が重い。朝食は食べる気がしないから、ジュースだけ。タクシーを呼び、道路に出て待っていたら、携帯に病院から「あと20分くらいで帰れますよ」と、電話。タイミングがいいなあ。道路工事が多いもので大学まで25分かかった。病院の玄関先で下りて、受付で日帰り手術の患者を迎えに来たと言ったら、「まっすぐ行って左側の最初のドアです」。ほんとだ、「Day Surgery」(日帰り手術)と書いてある。ドアを押して中に入ったら、にこやかな受付の人がこっちが何も言わないうちに「○○さんですか?」は~い。ドアを開けてくれて、床に描いた足跡を辿って行って、空っぽのベッドが並んだ大きな部屋。「ああ、いたいた。あちらですよ」と指された方を見たら、服を着て後は帰るだけのカレシがベッドのようなリクライナーでのんびりと本を読んでいた。(ふむ、iPodは持って行かなかったんだな。)

これまた陽気な看護師さんから、薬の処方箋と自宅養生の注意事項のリストを2枚ずつ渡されて、無事に放免となった。患者に自分でケアさせることでマイナーな手術は全身麻酔でやっても入院は不要。ワタシの子宮全摘手術のときも、手術後5日で退院させてくれた。(あのときは手術してから3週間後に丸一日通訳をしにでかけたっけ。若かったんだなあ。)駐車場から車を出して、ワタシが運転、カレシがナビゲータ。大学構内の道路はすごくわかりにくい。「左に曲がって・・・いや、右の方が早いかな」。すでに左折車線に入っていたのに、後ろから車が来ていないのをいいことに2車線をえいっと越えて右折車線に。「そこは曲がるか、まっすぐ行くか、どっちが効率的かなあ・・・」。こらぁ、早くどっちかに決めてよぉ。結局曲がって、制限時速80キロの道路に出た。あっ、この先はワタシにも道順がわかっているから、ナビゲータは昼寝していいよっ。

途中でモールに寄って、カレシを車で待たせたまま処方箋の薬を買って、ティッシュの6箱パックや看護師さんに使うように言われた抗生物質の軟膏などを買って、家に着いたのは午前11時30分。さっそくの朝食はいつもの時間。ワタシの方は仕事があるってのにあくびの何連発。とにかく眠い。でも、眠いのは半徹夜に近かったワタシだけで、カレシは良く眠った気分で麻酔から醒めたというから、うらやましい話だなあ。ワタシは全身麻酔から醒めると必ずひどい嘔吐にやられる。膝の日帰り手術のときも何時間も吐き続けて看護師さんたちを慌てさせたっけ。カレシは「ちょっとグロッギーだな」といってのろのろ歩いているけど、あまり痛みはないらしい。麻酔後の注意事項を読んでいたら、24時間は車の運転はダメとか、ひとりで外出してはダメというのにまじって「重大な決定をしないこと」、「法的な書類に署名しないこと」というのがあったからおもしろい。もやがかかった頭で契約書などにサインしちゃいかんよってことか。

優先順の低いマイナーな手術は緊急手術の患者が出るとキャンセルされる。そうすると、順番待ちのリストが長くなって、将棋倒しにドタキャンになることも多い。ワタシの膝のときは2度も予定日の前の日にキャンセルの知らせが来て、春の予定が夏になり、夏の予定が秋になった。でも、カレシの手術がドタキャンされずに一発で進んだのは、ひょっとしたら今日が「13日の金曜日」だということと関係があるのかな。執刀するフェンスター先生はユダヤ系だから関係ないんだろうし、カレシも「そんなのぜんぜん気にならないよ」。ワタシも気にならないけど、ちょっと大きな手術だったら不安になる人もいるだろうな。縁起が悪いと別の日をリクエストする人もいるかもしれない。(日本でもきっと仏滅に手術なんて言われたらためらう人がいると思うな。)あんがい、カレシにとって今日の「13日の金曜日」はラッキーな日だったのかも。

それにしても、まだなんとなく瞼が重いし、寝不足のせいかやたらとおなかが空くし・・・。

ぶんぶんと、かほどうるさきものはなし

4月14日。土曜日。いい天気。よく眠っていたのに、頭の上を飛ぶ飛行機の爆音で目が覚めた。そっか、今日はシーク教の始祖であるグル・ナナクの生誕を祝うバイサキのパレードがある日。シーク教徒のインド系人口が郊外のサレーに移ってしまって、我が家から近いメインストリートの「パンジャブマーケット」は寂れる一方なもので、パレードのために道路が交通止めになってもひと昔前のような混雑はなくなって、困るのは「祝バイサキ」のバナーを引いて上空をぐるぐる何時間も低空で飛ぶ小型飛行機だけかな。

まあ、ひと昔前には4機が金魚のうんこみたいにつながって何時間も飛び回ったことがあったけど、今日はどうやら1機だけのもよう。我が家のすぐ上を通るときはブォォォ~ンとうるさいけど、ベースメントのオフィスに篭っている限りはそれほど気にならない。それでも、パレードが終わって、交通止めも解除になってみんな帰ってしまった午後5時近くまで飛び回っていた。もちろん途中で降りて給油したんだろうけど、午後いっぱい数時間もブォォン、ブォォンとやられると、年に一度のお祭りだからと思っていても、やっぱりちょっとは迷惑!という気分にもなるな。ま、撃ち落すわけにも行かないから、カレシはヘッドフォンをかけてがっちりと自衛、ワタシはがむしゃらにガンガンとキーを叩いて仕事に神経を集中。おかげでけっこう進んだような。でも、後どれくらいあるやら。行けども、行けどもという感じで、期限に間に合うのかなあ。はあ・・・。

カレシは、ゆうべは寝返りを打ったはずみに2度くらい痛みで目が覚めたそうだけど、回復ぶりは超が付きそうなくらいに順調で、処方された痛み止めは完全に不要。縫合した糸は溶けて吸収されるタイプだそうだけど、出血もほとんどないらしい。年の割に治りが早そうなのは健康だという証拠だよね。1週間ほどは重いものを持ち上げたり、激しい運動をしてはいけないと言いつかって来たもので、「どのくらい重いのが重過ぎだと思う?」とか、「これはちょっと重そうだからやめとこう」なんてど~しょ~もない冗談をかましてくる。ま、内心ちょっぴり心配していた「赤ちゃん返り現象」も起きなくて、不安症のカレシには手術までかなりのストレスだったろうに今回はしっかり大人の対応をしてくれたカレシに感謝、謝謝、多謝。おかげでワタシの仕事も難なく遅れを取り戻せて、この分ならきついけどまず大丈夫そうだな、月曜の納期。来週末は休みになるといいなあ、うん・・・。


2012年3月~その2

2012年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
我は海の子、海の塩

3月16日。金曜日。朝(といっても正午をちょっとだけ過ぎたけど)起きてみたら、抜けるようなみごとな青空。朝食のテーブルで今日は庭仕事日和だねえと言っていたら、コーヒーを飲み終わる頃には曇り空。ふむ、乙女心と秋の空、男心と春の空と言うからねえ(言わないかな)。カレシが自分のコンピュータを立ち上げて、経理ソフトを起動して、2011年度の会計処理の準備ができたところで、外は降っているのかいないのかはっきりしないけど、ぽちぽちの雨模様・・・。

捻出した休みの3日目。日付と勘定科目と金額などをまとめておいた表を見ながら、1月分から入力。かれこれ15年も使って来たソフトだから入力は楽々。2012年度から新しいソフトで引き継ぐカレシがときどき見に来て、肩越しにあれこれと質問。会計士ってほんっとに簿記を知らないんだねえ。というわけで、我が社の?の「新人」経理係に売上税の徴収と経費に払った税の控除のしくみと四半期ごとの申告の方法を説明して納得させるのに10分かかった。(統合前の州売上税には経費にかかった分を控除させてくれなかったから、ま、実務を知らなくてもしょうがないか。)とにかく、月ごとに貸借対照表と損益計算書と仕訳帳を印刷して、夕食のしたくの時間になる頃には3月まで終わって、外はまた見事な青空・・・。

今日の夕食はストライプバスの分厚い切り身。ついている皮を見たらほんとにストライプの名の通りの縞模様。かなり大きな魚なんだろうな。どう料理しようかと考えていたら、テレビでは明日の聖パトリックの祝日の話。ジャガイモ飢饉を逃れてアイルランド人が大挙して移民して来た北米ではみんなが「1日アイリッシュ」になる大イベントデー。よし、少しだけ残っているアイリッシュウィスキーとリークでソースを作るか。ならば、魚の方はスコッチを振りかけておいてローストにしよう。魚には海草入りの海塩をガリガリと挽いてまぶし、ソースの方は樫の木で燻製した海塩を使う。なぜか海塩が人気であちこちでいろんな塩を売っているから、物好きなワタシも普通の海塩の他に、おもしろそうなのを買って来てある。↓

[写真] 左から、ヒマラヤの岩塩、昆布入り南極の塩、海苔とハーブ入りの塩、樫の燻製塩。重ねてあるのは、上がハワイの塩、下がオーストラリアのマレーリバーの塩。写真には写っていないけど、普通に使う(地中海の)塩はマグサイズの容器に入れてレンジの側においてある。一番のお気に入りは燻製した塩。他の塩はそれぞれ塩辛さが微妙に違うんだけど、指でつまむほどしか使わないから料理の味に違いが出るわけじゃない。でも、このいかにも煙たそうな黒っぽい燻製塩はほのかに「スモーキー」な香りが残る。蓋を取って匂いをかぐと、子供の頃に浜で燃やした焚き火の、あの焼け焦げた木がくすぶる匂いがして来て、鼻の奥が一瞬なつかしさでいっぱいになる。ワタシは(泳げないけど)海の子なんだもの。海辺の焚き火には普通の焚き火の煙たさとは違う独特の匂いがあって、カレシも即座に「ビーチでの焚き火の煙の匂い」と言ったくらい。樫の木の代わりにいろんな木を使って燻製したらどんな香りになるのか、いつか試してみたいな。

リークソースは、薄くスライスしたリークをバターで炒めて、ウィスキーを入れて、ミルクかクリームで仕上げるだけのもので、あっさりした白身の魚に良く合う。今日はレストランでやるように、お皿にソースを広げて、その上に最後に上火で表面にちょっと焼き目を付けた魚を載せてみた。思ったよりもさっぱりした味で、大きな魚のはずだけど繊細な身のほぐれ方は何となくそぼろ的な感じ。なかなか美味だった。めったに見かけない魚だけど、また食べたいね。

さて、夕食後はまた経理データの入力。午後9時半に12月を終了。そのまま減価償却費を計上して、2011年度の決算。売上は少なくても経費はあまり変わらないから、確定申告でワタシの「所得」になる最終的な数字は、荒稼ぎしていた10~15年前の個人所得税の総額よりもずっと低い。まあ、年度の始めに新しいコンピュータやプリンタを買ったから、経費増に対して減収幅が大きかったということか。ここから基礎控除を引いて、年金の掛け金(自営業は雇用主と雇用者の両方の分を払う)を引いて、さらに税額控除を引いたら、課税所得はさらに少なくなって、私的年金の潰した分を足してもまだ去年より低くて、年金暮らしのカレシととんとん。税金、どのくらい戻ってくるかなあ・・・。

さて、3日で去年1年分の会計処理が済んで、決算報告まで作ってしまって、やっと肩の荷が下りた気分。海の塩ならぬ「地の塩」ひと粒のワタシもがんばった。ぐっすりと眠って、また明日から仕事に取り組むぞ~。

けっこう壮大だったデルフ家の物語

3月18日。日曜日。起床正午かっきり。(目覚ましのせいだけど。)いい天気なのに肌寒い。今日の夕方が期限の仕事はきのうのうちにがんばってと片付けて送っておいたので、夜までは「代休」のつもり。朝食が済んで、寝る前にスロークッカーにセットしておいたカレーの出来具合ををチェックしてから、久しぶりにママに会いにお出かけ。ハイウェイはあまり混んでいなかったので、バッテリの充電を兼ねてトラックを飛ばして、メープルリッジのホームまで1時間とちょっと。

電話で話したカレシが「ますます元気でボケてない」と言うだけあって、部屋の中を歩きまわる分には杖さえも不要で、前に会ったときよりもちょっとだけ太ったような印象。テーブルの上にはやりかけのクロスワードパズルの本が置いてあった。カレシのジョークにも即座に呼応するから、頭もまだまだシャープ。(ママは高校を1学年飛び級して卒業した秀才だったけど、当時はまだ女子の大学進学が稀だったから、もったいない話。)最近は膝が痛むそうだけど、「まあ、この年になったらこんなものよ」。今年の5月で満95歳になる。ママ自身が「この分なら100歳まで行けそうだわ」と言うんだから、もし5年後のそのときに「チャールズ国王」の時代になっていなければ、100歳の誕生日にエリザベス女王陛下から直筆署名入りのお祝いカードをもらえる確率はほぼ100%だな。息子たちがボケて申請を忘れるなんてことがないようにしないとね。(ワタシが100歳まで生きたら、「ウィリアム国王」からもらえるんだなあ。遠い先の話だけど・・・。)

エリザベス女王の話からイギリスの話になって、「こういう写真が出てきたのよ」と箱からいかにも古そうな茶色っぽい写真を2枚出して来て見せてくれた。品の良さそうな初老の夫婦はママの母方の祖父母、つまりカレシの「ひいおじいさんとひいおばあさん」。どうやら1850~60年頃にケンブリッジのスタジオで撮ったものらしい。何かの記念だったのだろう。カナダで生まれ育った孫娘のママとは一度も会うことがなかった。もう1枚はカレシがときどき話題にする「レナードおじさん」(ほんとは「大叔父さん」)。8人兄弟姉妹の末っ子で、兄弟中ただ1人だけケンブリッジ大学に学び、軍人になって第1次大戦で戦い、その後エジプト、中東、インドを経て、退役したときは少佐だったという。写真もきりりとした軍服姿。カレシが子供の頃に一度だけ(たぶん船に乗って)訪ねて来たことがあったそうで、そのときのおみやげだったという中東のどこかのバザールで買ったアラビア模様の彫金のお盆は今は我が家の唯一の「アンティーク」になっている。

ママの母方の家族「デルフ家」の歴史はなかなかドラマがあって、聞いているだけでおもしろい。苗字のルーツはウェールズに近いチェシャーだそうで、中世まで遡るらしい。ママのママが生まれたデルフ家は産業革命で台頭した中産階級の一員で、ケンブリッジの商業を営んでいた。写真の曽祖父母には娘が4人、息子が4人いて、ママのママは次女と三女の双生児だった。みんな当時の中産階級の子供が受ける教育を受けて、長女と次男はオーストラリア、次女(カレシのおばあちゃん)はフランス、三女はカナダ、四女は南アフリカ、三男は比較的若くして他界したけど、四男(レナード叔父さん)は軍隊経由でニュージーランドと、世界に散って行ってイギリスに残ったのは長男だけだったらしい(でも、その後どうなったかは誰も知らない)。フランスで貴族のお嬢様の教育係をやっていたおばあちゃんは双子の妹のいるカナダへ来て、スコットランドのアバディーンから移住してきたおじいちゃんと出会って結婚。仕事を求めて少しずつ西へ移動するうちに、サスカチュワンでママが生まれ、やがて今のチリワックの農場に落ち着いた。

オーストラリアに渡った長女はアデレードで裕福な人と結婚してやがてメルボルンに落ち着いたけど、一家の「black sheep」(厄介者)だったらしい次男はメルボルンで家庭を持ったけど、あるときふらりとタスマニアへ出かけてそれっきり行方不明になったとか。(羊を盗んで吊るされたという伝説になっている。)南アフリカに行った四女はそこでいっぱしの舞台女優として成功したらしい。末っ子のレナードおじさんは、軍服を脱いでニュージーランドに落ち着いてマオリ族に関わる行政官になり、最後は教育者になり、北の端のワンガレイに近いところで余生を送った。50代で結婚した奥さんのバーチネル・デルフは水彩画家だったそうで、ママの結婚祝いにプレゼントされたという3枚の風景画はワタシがママから譲り受けて大事にしている。ニュージーランドの国立美術館のアーカイブに名前が載っていたから、名の通った画家だったんだろうな。

こうしてデルフ家はビクトリア朝の大英帝国の版図の拡大に従って世界に散って行ったんだけど、ママの世代のいとこたちはもうほとんど生きていないだろうし、カレシの世代のまたいとこたちはいるはずだけど、みんなどうしているやら。でも、世界のあちこちに「遠い、遠い親戚」がいるというのはちょっとロマンチックかも。そうそう、ママが「こんなのもあるのよ」と見せてくれたのがカレシとパパの写真で、4、5歳だった金髪坊やのカレシのまあなんとかわいいこと!歩きながらえびのように屈んで聞いているパパに一生懸命に何か話しているところを、昔ダウンタウンで商売をしていたという街頭写真屋が撮ったものだそうな。今度、ママから古い写真を借りてきて、まとめてスキャンしておこうと言う話になったけど、ケンブリッジのデルフ家の末裔であるカレシの「歴史」もワタシの「歴史」と一緒に残しておきたいよね、受け継ぐ子供はいないけど。

現実空間とサイバー空間の落差は何を語る

3月20日。火曜日。春分の日。今日から「公式に」春が始まる(時計は一足先にとっくに「夏」だけど)。でも、天気がいいとやっぱり春らしい感じ。向かいの桜もやっとのことでこっちにチラ、あっちにホラと開花。冗談に「ウィンターペグ」というくらいに寒くて、まだ氷点下のはずのウィニペグで初夏のような天気が続いているというのに。この冬のカナダは全国的に過去65年で最も平均気温が高く、積雪が少なかったそうな。ふ~ん。

今日は正午1分前に起床。寝るのが遅かったから(あるいは暁を覚えない季節なもので)ちょっぴり眠い。BBCを見ながら寝酒をやっていたら、イギリス国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)に女王夫妻が到着する様子が映ったので、そのまま見てしまった。昔IRAが議事堂に爆弾を仕掛けたときに壊れた窓の後にエリザベス女王即位60周年を記念して新しいステンドグラスを入れたので、その除幕式が始まるところだった。トランペットが華々しく響く中を、おそろしく長いウェストミンスターホールの一番奥の高いところに置かれた2つの椅子までゆっくり歩いて着席。まず貴族院議長が歓迎とお祝いのスピーチ、次いで下院議長がお祝いのスピーチ。女王の紋章をデザインした大きなステンドグラス窓が披露されて、女王様がちょこっとユーモアも潜り込ませてお礼のスピーチ。最後にGod Save the Queenが厳かに演奏されておしまい。こういうときはやっぱり君主制だと華があっていいなあと思う。

BBCといえば、つい先日、BBCラジオ4のサイトに日本人ジャーナリストが、何度も東北へ取材に行って大変な困難の中でも秩序を守り、助け合う東北の人たちに「日本人としての誇り」を感じたと同時に、よくわかっていると思っていた国に「不穏な傾向」があるのに気がついたという趣旨のエッセイを書いていた。「日本は非常に礼儀正しい社会である。ただし、面と向かった時にはの話で、サイバー空間では言葉の暴力が匿名で行き交っている」と。農作業を続ける福島の農家は人殺し呼ばわりされ、学者は政府の飼い犬呼ばわりされ、有名無名の誰であっても一度ネット上に名前が出たら最後、堰を切ったような個人攻撃にさらされる。「学者が放射能のレベルが下がったと言えば、医者が今のところ放射能による健康被害はないと言えば、たちどころに原発推進派のレッテルを貼られる」と、取材したある教授は言ったとか。

このジャーナリストはネットで個人攻撃のターゲットにされた自分の経験にも触れている。自分の記事についてたちどころに匿名の議論が始まった。ただし、記事の内容を議論するよりも、筆者の容姿についての(おそらくは中傷誹謗の類の)論議だった。数千に上ったコメントの一部を読んで心が悲しみでいっぱいになったと。ジャーナリストなら記事の内容についての攻撃には堂々と立ち向かえるだろうけど、記事とは無関係の容姿や人格を攻撃されたら普通の人と同じように傷つくと思う。面と向かっての礼儀正しさが「建前」だとしたら、サイバー空間での言葉の暴力は匿名だから出せる「本音」なのかもしれない。取材した科学者のひとりは「匿名のブログはどこにでもあるが、日本人に特有なのは面と向かって議論をするのを好まないことで、それでオンラインでは一層攻撃的になる」と言った。編集部が目を通している掲示板でさえ攻撃的な書き込みは多い。Anything goes(何でもあり)の掲示板やSNSやブログを跋扈する言葉の暴力の激しさは想像に難くない。

でも、そういう人たちが、いろいろな理由で人に面と向かって何も言うことができない欲求不満を「匿名」の空間で見えない人たちを攻撃することで発散しているんだとしたら、それだけたくさん心の底にどろどろと怒りや嫉妬や不安を鬱積させている人たちがいるということだろうな。自発的なことであるべき気遣いや思いやりが他人に期待し、要求するものになってしまった感じだし、人と人の「絆」さえもはやり言葉になると人を縛るような語感を持ち始めたし、現実空間に出れば非常識、KY、残念な人、イタイ人と言動や容姿にチェックを入れられるらしいし、もうみんな疑心暗鬼になって、口どころか心も開けなくなっているのかもしれない。それで他人とどう関わっていいのかわからなくなっているのかもしれないな。

心に重い鎧を着せて歩かなければならない世の中って、結局みんなにとって生き難くそうな感じがするなあ。人間世界というのはほんとに難しい・・・。

とにかく忙しいときは特急グルメ風ディナー

3月23日。金曜日。きのうは歯医者に行くカレシと一緒にちょっとだけ早く起きてガンガン仕事をしたせいで、今日は午後1時まで寝てしまった。まだ3月だというのに26度とか27度とか、バンクーバーの夏よりも暑い東部を羨んでいたら、突如として春らしい天気。向かいの桜も一気に二分咲きくらい。鳥の声も何となく華やいでいるように聞こえるのは恋の季節だからかな。

そうやってみんな一斉に春めいているというのに、ワタシはまだ仕事、仕事のまた仕事。統計用語とか頭がくらくらするようなギリシャ文字のアルファベットスープがぞろぞろ。世間のお金はどこ吹く風で勝手な方にてんでに右往左往しているから、こんなことを研究してもなあと思うけど、経済学って意外とおもしろい。とどのつまりは、お金に対する価値観の研究みたいなものかなあ、としろうとなりに思うけどね。まあ、日曜日の午前7時が最終期限だけど、あといったい何ページあるのやら・・・。

こんな風に忙しさがだんだんに切羽詰って来ると例のストレス性腹ぺこ症候群が起きて、おいしいものが食べたい。そうかといって、外へ食べに行くヒマも手をかけてご馳走を作っているヒマもないから、とりあえず徹底手抜きの思いつきグルメで、ご馳走を食べた気分になって急場をしのぐ。何だかここのところずっとそういうメニューでしのいでいるような・・・。

[写真] 野菜の在庫があまりないので、冷蔵庫の隅にあったゴールデンビーツをスライスして、オリーブ油を塗ってトースターオーブンでロースト。その間に、ホタテに昆布入りの塩を挽いてまぶし、殻を取ったジャンボえびにタマリンドのソースを塗っておいて、冷凍の枝豆をスチーマーにセット。

ビーツがやわらかくなる頃を見計らって、枝豆を蒸し始め、小さいフライパンのひとつにはバターを溶かし、もうひとつはサラダ油。枝豆があと3、4分というところで、ホタテを焦げかけて来たバターで、エビをサラダ油で焼いて、小さいガラス瓶に取ってあった残りもものラズベリーのピューレを電子レンジで10秒温めるという突貫作業。

お皿にビーツを置いてジャンボサイズのホタテを載せ、上にちょっと焦げたバターをたらして、小さいスポイトで周りにラズベリーピューレをぽとり、ぽとり。後はえびを並べて、枝豆を添えたら、見栄えだけは何とかなっていそうな超特急何ちゃってグルメ風料理のできあがり。

ああ、この仕事が片付いたら、日曜日には気合を入れてご馳走を作りたいなあ・・・。

一気に春爛漫の日曜日

3月25日。日曜日。起床午後12時半。すご~くいい天気。春、一気に爛漫。つい何日か前はほんとにちらりほらり程度だった桜がうわ~っと咲き出した感じで、外はピンク色が爆発。ちょっとしょぼついている目にはまぶしいな。きのうは最終日だから崖っぷちの気分でひたすら仕事をして、完了したのが午前3時。見直しをして、修正をして、手を入れて、フォーマットを整えて、午前4時に無事に「納品」。編集者は時間帯が3時間先だから、午前7時。日曜日、ごくろうさまです。

ワタシはとりあえず休み。夕方には日本で月曜日の朝が明けるからどうなるかわからないけど、とにかく今日はひねもすダラリン三昧を決め込む。カレシに何を食べたい?と聞いたら、即座に「スシ!」と返ってきた。よっしゃ。「ボクの下着、なくなりそうだけど」。よっしゃ、洗濯もしようっと。なんだか休みらしくない休みになりそうな雲行きだけど、まっ、共働きの主婦の週末なんてどこでもこんなもんかな。もっともカレシはもうご隠居さんだから、「共働き」というレッテルもはがれてしまっているけど。とにかく、洗濯機を回し始めて、反対側にあるフリーザーの底からカレシご所望のスシのネタを出す。定番のサーモンやイクラのほかに、キハダマグロとイエローテールの塊、赤いトビコに沖で獲れたボタンエビ。ただし、カレシは生のエビがダメなので別にぺったんこの寿司用エビ。う~ん、握るのはめんどうだからちらしにしちゃおう・・・。

もう37年も使っている電気釜で白いご飯を炊いて寿司飯を作る。(年に数回以上使ったことがないからこんなに長持ちしたのかもしれないな。)この電気釜、嫁入り道具として持って来たものだけど、サンヨーなのだ。昭和のもうそれこそ大昔に「サンヨー夫人」というモダンな言葉が家庭の電化時代を象徴していたけど、あの「サンヨー」のブランド名はとうとう消滅してしまったらしい。そういえば「ナショナル」のブランドもないんだよね。パナソニックの電気釜と言われてもなあ、と思ったところでふと気づいた。そもそも「電気釜」もすでに死語になっているんじゃないかと。ま、ひたすらご飯を炊くだけの「古式豊かな」サンヨー電気釜で久しぶりにご飯を炊いた。カリフォルニア米だから、水加減を「やわらかめ」のラインよりやや多めにするとけっこうまともなご飯に炊き上がる。さて、ちらし寿司は普段から「ご飯」をあまり食べない2人にはちと重い。そこで、スープ皿を持ち出して来て、くぼみのところに寿司飯を広げて、ネタをお皿の縁にかかるように並べてみた。真ん中に大根のかつらむきを載せて、イクラでちょこっと彩り。カレシが大好きなアサリのスープを添えて・・・。[写真]

今夜のサラダはカレシがどこからかレシピを見つけてきて作ってくれた「大根とピーマンとわかめのサラダ」。お供はワインの代わりに東北(青森?)の酒造会社がアメリカはオレゴン州で作っている日本酒モモカワの「パール」(真珠)というにごり酒。ちょっとしたご馳走になって、おなかがいっぱい。まあ、ご飯は半合ずつだけど、乗っかっているネタがわりとカロリーが高めの魚ばかりだから、今日は真夜中のランチはいらないかな・・・。

夕食後は、カレシが(カメラが付いている)ネットブックを使ってトロントのデイヴィッドとスカイプで見える?聞こえる?さほどの問題もなく「交信」に成功。ジュディが「ハーイ」と言うので、ワタシもカレシの後ろから「ハーイ」。ジュディが「私、おばあちゃんになるのよぉ~」とうれしさいっぱいの報告。モントリオールに住む長女のスーザンが秋に出産予定だとか。今年34歳になるし、パートナーのモンティとはもう10年以上事実婚で、どうやら潮時ということになったらしい。ジュディがおばあちゃんになるということは、デイヴィッドも「おじいちゃん」かあ。う~ん、お年寄りってことだよね。ワタシたちにも甥孫か姪孫がひとり増えるわけだけど、この場合はgreat uncle(大おじさん)とgreat aunt(大おばさん)で、長ったらしいから家族の中では端折って「おじちゃん」と「おばちゃん」。うん、次の次の世代が生まれても、ワタシたちは年を取らなくていいってことで、なんだかすごく得した気分・・・。

仕事戦前、異常なしと静かなりでは大違い

3月26日。月曜日。昨日ほど華々しく春めいていないけど、気温はまあまあ。降りたいんだか晴れたいんだか、決めかねているような空模様。道路向いの桜はもう八分咲きというところかな。先週はほんとに春が来るのかどうかもわからない感じだったのに。(ちなみに、26度などとバンクーバーの夏でさえ珍しいようなバカ陽気だったトロントは最低気温がマイナスに戻ったらしい(あったりまえだ)。

今日はまず何よりも先に買い出し。野菜が乏しくなって来たし、午後のうちなら魚のカウンターが開いているということでIGAに決めた。ついでにローゼンタール傘下のトーマスの包丁をただでもらえるシールがカード2枚分いっぱいになったので、目を付けていたナイフの包丁類合計5本と引き換えることにした。ユティリティナイフを2本、最近Santoku knife(三徳包丁)として出回っている、わりと日本風な感じがするディンプルの付いた包丁を2本(カレシ用)、ひとまわり小型のディンプル付きサントクナイフ(ワタシ用)を1本。これで当分包丁の類の不足はないな。ワタシのユティリティナイフは大小3本で30ドルという安物中の安物で、いくら研いでもすぐに鈍らになって、今ではペーパータオルさえまともに切れない代物。カレシはけっこう包丁の切れ味を気にするけど、ワタシは切れな過ぎでもわりとおかまいなし(というか、ほんとうのところは切れ過ぎる包丁が怖い・・・。)

というのも、ワタシは野菜などは亡き母が嫁入り道具に持たせてくれた札幌の老舗「宮文」の刻印が入っている刃の薄い万能包丁を今でも使っていて、37年の間毎日使っていてほとんど研いだことがないのに、数年前に野菜を切っているときに人差し指の爪を爪床もろとも3分の1くらいすぱっと切り落としてしまったくらいの切れ味で、日本の刃物の技術はすごい!と思う逸品。いや、あのときはびっくりしたな。あっと思った瞬間にキッチン中がスプラッタ映画のシーンみたいになって、カレシは顔面蒼白。翌日駆け込んだドクターには「派手にやったなあ」と感心される始末で、爪がきちんと再生するのに6ヵ月くらいかかった。あれに懲りて日本の包丁を持つときはことさら慎重になったけど、紙さえ切れない鈍ら包丁も危ないことは危ないだろうな。静養包丁は刃が薄くないから何となく「大丈夫」という気分になるけど。

魚や野菜をどんと仕入れて帰って来てから、昨日半分だけやった小さい仕事を片付けて、今日は店じまい。6月の日本旅行の日程のうちでカレシの手に負えない部分のリサーチ。東京から札幌へ飛んで、釧路から空路東京に戻るというのは簡単だけど、問題はその間。札幌からどうやってオホーツク沿岸の紋別まで行ったらいいのか、紋別からどうやって釧路に出たらいいのか、年月が経ちすぎて、道産子のワタシにも皆目わからない。それでもバケーションの情報をググって回るのは楽しいもので、偶然にANAが東京⇔紋別便を再開したという情報を発見して、ヤッホーッ!さらにググりまくって、暫定的に札幌から特急で釧路、釧路から快速で網走、網走駅から紋別までタクシー、そして紋別から空路東京へ、という予定になった。網走からタクシーというのはちょっとコスト高ではあるけど、途中で(景色の)これはという見どころに止まってもらえるかもしれないから、バスよりは効率的か。次に紋別の宿をググってみたら、旅館しかないかと思っていたのに立派なホテルが少なくとも2つある。快適な旅になりそうだな。鉄道は外国人用のジャパンレールパスを使うとして、あとは飛行機とホテルの予約をどうするかだな。あと2ヵ月しかないから、急がないと・・・。

残る仕事はあと1件だけど、推定所要時間の倍のゆる~い納期なので、少なくとも今週は無視。このまま静かだったらいいなあ。久しぶりに芝居を見に行こうね。2週間後の復活祭のディナーのメニューも考えなくちゃね。会計事務所から所得税の確定申告書類のチェックリストが来たから、書類を整えて来週には持って行かないとね。カナダの確定申告は4月30日の真夜中が期限。去年は仕事がかなり「不況」だったから久しぶりに還付がありそう。でも、この3ヵ月のペースで今年いっぱい仕事に没頭していたら、来年の今頃は今度はがっぽり追加徴収されて、おまけに予定納税もがっぽりで、年金をもらい始めてもスローダウンなんかしていられないかもしれないな。それは、やだなあ。ま、収入が安定しなくて資金計画を立てにくいのも自営業の宿命のひとつなんだけど。

ま、今週は「仕事前線異常なし」でありますように。待てよ、「異常なし」というのは仕事がある状態じゃないのかな。だけど、原題は『All Quiet on the Western Front(西部戦線静かなり)』。だから、「静かなり」といのは仕事がない状態。誰だか知らないけど、ヘンな訳し方をするから話がややこしくなるじゃないの。まあ、どっちでもとにかく、魔の3月よ、荒れることなく去ってくれ・・・。

生垣の床屋さんは金髪美人

3月27日。火曜日。起床は何と午前8時過ぎ。塀のすぐ外に植えてある生垣を刈り込みを頼んであったのが、昨日電話があって「朝の8時過ぎに行きます」。だけど、あわてて早寝をしたって眠れっこないということで、ベッドに入ったのはほんの少しだけ早い午前3時半。せっかくよく寝てたんだけどなあ・・・。

我が家の「生垣」は、日本では米杉、カナダ杉、あるいはカナダ檜という名前で材木として売られているヒノキ科の木で、池を作ったときに新調した塀の外側に矮性の若木を150本くらい植えたのだった。でも、矮性といってももとは材木にする大木だから、放っておくとどんどん伸びる。元気なのはいいんだけど、実は我が家の土地の境界の外(つまり市有地)に植わっているもので、あまり伸びすぎて歩道の方へ広がると市役所が乗り出してきて厄介なことになる。植えた当時、塀の高さが市条例の上限を超えていると「密告」したご近所さんがいて市役所が飛んでくる騒動があって、たぶん同じご近所さんが密告したんだろうな(夫婦共もうこの世にはいないけど)。塀のときは手直しをさせられたけど、生垣は歩道の舗装部分にはみ出させないという約束でお見逃しとなった。(我が家の生垣でも、法的には市の所有物ということになるらしい。)

実際には高すぎる塀とか市有地に生垣とかなんてのは市内のいたるところにあるんだけど、市はご近所さんからの「報告」がない限りは何もしない。でも、通報があればそれっと動く。革新派が市政を握っているときは特に動きが早いという話もある。ご近所さん同士を監視させるなんて、アジアのどっかの一応共産主義国みたいで気色が悪いよね。そういえば、生垣のことで飛んで来たのは中国系の人で、ものすごい広東語訛りで「そんな生垣を植えたら通る人がお宅の庭を見られなくなるでしょ」と何とも意味不明なことを言うから、「外から見えないように木を植えてんでしょうがっ」とやり返したら、上司のどうのこうの、なんたらかんたら。あのときはその上司と直接話をして「歩行者の邪魔にならないように管理する」という条件で決着がついたけど、ずかずかと庭に入ってきたあの御仁は見逃してやるから「見返りを」と手を出していたのかもしれないと未だに思うことがある。

そういう経緯があるし、伸びすぎると菜園の日当たりが悪くなることもあって、カレシもわりと手入れをして来たけど、何しろ元気がよすぎて電動のトリマーでは間に合わない。何年か前には芝生を刈りに来る人に高さを1メートルくらい切り下げてもらったけど、そろそろもとの木阿弥ということで、何年か春に庭木の肥料やりに来てもらっている会社に頼むことにして、その日が今日。さすがに専門の会社だけあって、装備のものものしさにびっくり。大きなバケット車の後ろに樹木シュレッダをつけて、森林学を修めたごつい若者と20代半ばくらいのかわいい金髪女性の2人組。女性はほんとにかわいくて、話をするとますますかわいい人なんだけど、作業衣にヘルメット姿の半袖Tシャツから出ている二の腕は、男でも腕相撲をためらいそう。バケットに乗って長いトリマーを操作しているのがその彼女↓。もしもワタシに息子がいたら、こんな人にお嫁さんになってもらいたい・・・。[写真]

4時間ほどで総延長50メートルほどある生垣はすっきりと同じ高さに刈り込まれて、庭の中に飛び散った枝や残骸をきれいに集めてシュレッダにかけて、作業は完了。正午少し前。いつもならそろそろ目を覚ます時間だけど、瞼がぽてっと重くて、ああ、眠いなあ。今日は仕事をしなくてもいい日だし、ちょっと昼寝でもしようかなあ・・・。

ジャパンれーるぱすはやめにした

3月28日。水曜日。ゲートのチャイムが鳴っているのをうとうとしながら聞いていたように思うけど、目が覚めたのは午前11時40分。チャイムの主は「不在通知」を残して行った。カレシが注文してあった電動のミニ耕運機だな。チャイムで目が覚めたときにヘンな夢を見ていたような気がする。どこかのホテルみたいなところで、スーツケースにやたらとヘンテコなものを詰めようとして入らないのを焦っていて、最後には誰かが(こういうときはなぜかカレシじゃないんだなあ・・・)間に合わないと急かすもので(チャイムが鳴ったから?)で、持てるものだけを掴んで走り出したところで目が覚めたような気がする。いったい何を意味するんだろうね、この夢・・・。

湿っぽい1日だけど、シーラとヴァルが掃除に来てくれて家の中はすっきり、さっぱり。ゆうべは何かすごい広告の仕事が来て、ここんところ袖にしていたところだから、よっしゃと引き受けたんだけど、カレンダーを横目で睨みつつ、「3月いっぱい」は何が何でも休み。6月の旅の日程のうちでカレシから引き継いだ部分のリサーチ。まず釧路と紋別でのホテルを決める。インターネットの時代になって、部屋の写真を見て広さやベッドの大きさがわかるから便利。それにしても、たいていが未だに「シングル」と「ツイン」。北米はシングルもダブルも関係なくキングサイズのベッドをでんとおいてあるところが多いし、東京でも大きいところはそうだけど、地方ならツインばかり。ツインでもダブルベッド2つならいいけど、新婚さんが行きそうなところでも「ダブル」はめったにない。はて、日本のご夫婦はツインがお好きなのか・・・?

予約はまだだけど、ホテルを決めたところで今度は鉄道の時刻表調べ。北海道はいつの間にななくなっている路線が多いような。それくらい過疎化が進んでいるのかな。本数があまりないから選ぶのはラク。次は新幹線。あらら、ジャパンレールパスでは乗れない「のぞみ」ばっかりで、「ひかり」だと新大阪か岡山で乗り換えないと広島まで行けない。そこでふと思って、料金を調べて、北海道での分も集計してみたら、今のレートで換算するとレールパスより1人あたり1万円くらい高くなるだけで、ノンストップの「のぞみ」を自由に選べるし、オンラインで予約しておいてもらうこともできるよね。(レールパスだと緑の窓口に出向かないと指定席も取れないとか、制約が多い。まあ、割引の乗り放題だからしょうがないんだけど。)どうする、カレシ?「自由席めがけて猛ダッシュなんて、日本人相手じゃ絶対勝てないから嫌だよ」と。じゃ、それで決まりね。

昔はジャパンレールパスを目いっぱい以上に活用したっけな。今は日本国籍でも外国の永住権や外国籍の配偶者を持っていれば買えるらしいけど、あの頃は外国籍でないと買えなかった。JRとしては外国人がせいぜい東京から新幹線で京都や大阪まで観光に行く程度と想定して値段を設定したらしいから、何日かずつ滞在する拠点を決めて、その間の移動は座席指定特急、各拠点から周辺の観光スポットへは日帰りという日程を組むとか、使い方しだいでは鉄道運賃をパスを使わない場合の半額以下にすることもできた。今は、未だにわざわざ緑の窓口に行かなければならないし、「のぞみ」には乗せてくれないし、東京都内ではいちいち駅員にパスを見せて改札を通らなければならないし、検札のたびにパスポートを見せろと言うし、せいぜい1割か2割安くなっても割に合わないくらい不便になったという感じがするな。

かってイギリスのブリットレールパスを使ってウェールズ南部を旅行したことがあった。1ヵ月の有効期間内に7日使えるパスだったけど、乗った日のスタンプを押して使用日数を記録する仕組みだったのに、車掌は手にも取らずにちらっと見てうなずくだけで誰もスタンプを押してくれない。一度はスタンプを押さなくていいのかと聞いてみたけど、あっさり「そんなもん、持ってないよ」という返事。おかげで、レールパスはイギリスをとうとう離れるまでまっさらなままだった。あの調子だったら、有効期限まで7日といわずに10日でも30日でも乗り放題できただろうな。いかにもイギリス的と言うところだったのかも知れないけど、ヨーロッパ大陸のレールパスはどんな感じなのかなあ。

それでも、鉄道の旅には昔から変わらないわくわくする「旅情」みたいなものがあっていい。

老齢は67歳からはじまることになった

3月29日。木曜日。今日も湿っぽい。夜通しかなりの風が吹いて、この前の嵐で裏口のポーチから吹き落とされたソーホースがまた落下。家を新築したときに大工さんが廃材で即席に作った簡単なもので、横木は鋸で切られてぎざぎざぼろぼろだけど、こんなに長いこと荒っぽい扱いに耐え抜いて来たのはさすがプロの腕というところか。

きのう寝ている間に配達に来たカレシのミニ耕運機を引き取りに郵便局へ。ついでに2軒先の保険代理店に立ち寄って旅行保険について相談。健康関連の質問は2人とも全部「ノー」だから話は簡単。カレシのは107ドルとちょっと、ワタシのは77ドル。カレシがその違いの元は年令か性別かと聞いたら「その両方でしょうね」。年を取っている方が旅先で病気や怪我をしやすいからだろうとは想像がつくけど、ワタシたちは5歳しか違わない。つまり、「男」は保険会社にとっても(何かにつけて)大きなリスクだということなんだろうな。なんかナットク・・・。

今日は連邦政府の予算発表の日。いつから始まったのか知らないけど、カナダでは連邦政府も各州の政府も予算発表の日には財務大臣が靴を新調する慣習がある。(ただし、そうしない大臣もいる。)ハーパー政権発足当時から6年間ずっと財務大臣をやっている現職のフレアティはサブプライム金融危機のときに履き古した靴に新しい底を付け直して来たし、進歩保守党時代のクロスビー財務相は先住民のスエードのブーツ「マクラク」を履いて来た。少数政権時代に閣僚だったストックウェル・デイなどはアルバータ州の大蔵大臣のときにインラインスケートとヘルメットの出で立ちで現れたし、BC州でもキャンベル政権時代に(元テレビジャーナリストで今は大学学長の「美しすぎる」財務大臣)キャロル・テイラーが派手なグッチのハイヒールを新調して野党に叩かれたりした。

1990年代にわりと長期政権だった進歩保守党のマルルーニー政権は、毎年何だかんだと増税を続けたもので、不人気になったマルルーニーが辞任した後の総選挙でも多数政権から一気にたった2議席の「その他」政党に転落してしまった。(現政権の保守党はその残党を西部から台頭して来た改革党が「吸収合併」したもの)。英語に「boot out」という言葉があって、「(ブーツを履いた足で)尻を蹴っ飛ばして追い出す」という意味の、まさにその通りになったわけだけど、財務大臣の新調の靴とはあまり関係ないかな。でも、なかなか意味深な感じもするけど。

政府にとっては予算発表は毎年最大のイベント。今回の予算の大目玉は「年金」。最近、日本の基礎年金に当る老齢年金(OAS)の受給年令を引き上げようと言い出したかと思ったら、もう予算案に入れてしまったから素早いな。もっとも、2023年度から6年かけて段階的に65歳から67歳に引き上げるというものだけど、巨大票田のベビーブーマー世代をやり過ごして、影響があるのは現在54歳以下の人たち。ま、世の中を見たら、どこでもみんな、いつまでも若いままでいたくてあれこれと努力しているらしいから、65歳はまだまだ若いというお墨付きをもらったような感じになって、いいんじゃないかなあ。

予算のもうひとつの目玉は「ペニー」と呼ばれる1セント硬貨の廃止。この秋に作るのをやめて、いずれは5セント以下は四捨五入するとか、レジなどでの対応が整ったら流通を止めるということらしい。何しろ銅貨だから、1個作るのに1.5セントもかかるし、つり銭でもらった人はどこかにしまい込んで使わないしで、不経済極まりないというのが廃止の理由。そうだなあ、我が家にも1セント玉が詰まったポリ袋があっちこっちにある。いずれ救世軍に持って行って寄付するつもりではいたけど、つい忘れるからたまる一方。財務大臣がまとめて慈善団体への寄付を呼びかけたから、そのうちに特別のコインドライブが全国で展開されるということになるかもしれないな。回収方法としてはなかなかの妙案だと思う。

ペニーがなくなったら、文字通りの「penniless」(無一文)の人も「penny pincher」(どケチ)もいなくなるのかな。「penny-wise, pound foolish」(安物買いの銭失い)もなくなるのかな。だけど、「Find a penny, pick it up, and all day long you’ll have good luck」(ペニーを見つけて拾ったら1日中グッドラック」という言伝えも意味をなさなくなってしまうなあ。だって、落ちているペニーを拾おうにもそのペニーがなくなってしまうわけで、もう1日のささやかな幸運は拾えなくなるってことか・・・。

勝ち組、負け組、引き分け組

3月30日。金曜日。今日も湿っぽいなあ。のんびりと正午寸前に起床。忙しがっている間にじわじわと増えていた体重が少し減って来た。仕事でカリカリしているときはどうしても寝酒とつまみの量が増える。連日仕事の雪崩に埋もれていると、寝る前のちょっとした時間がカレシとの唯一のクオリティタイムになることが多いから、話をしながらついお酒を注ぎ足したり、チーズやソーセージを追加したりしてしまう。ストレスになっているときはやたらとおなかが空くし、リラックスするのに時間がかかるから、いきおいカロリー過剰になって、そのまま寝たらもろに脂肪になる・・・。

本当に仕事がないときと違って、4月の中旬すぎまできっちり入っているのに敢えて「仕事をしない」状態にしているもので、気分がざわざわしてちょっと落ち着かない。ワーカホリックは燃え尽きたのに懲りてとっくに卒業したはずなんだけどなあ。いつも明日をも知れない身のフリーランス稼業の宿命なのかな、こういうの。まっ、明日はまた明日で明日の風が吹くんだろうな。まったく風が吹かなくなったら、べた凪の海に浮かぶ帆船のごとく、水面下を流れる潮流に運命を任せるしかないよなあ。人生って、いつ止むとも知れない大嵐の吹き荒れる暗い海で荒波にもまれたらそれこそ命がけだけど、波風のない海を幽霊船みたいに彷徨うのも想像するだけで気が遠くなりそう。まっ、今日の極楽とんぼ号、無風快晴で、船長はデッキでのんびりお昼寝・・・。

小町横町に出向いたら、「国際結婚する女性は負け組か」。おやおや、見知らぬ港に迷い込んで困っているのかと思いきや日本での話。それにしても、国際結婚はワタシが小町を読み始めてからかれこれ10年になるけど、ほぼ定期的に似たりよったりの相談内容で上がって来るから不思議。書き込みの内容やトーンも変わっていないからおもしろい。相談の内容に関係なく「女性の容姿」に視線が集まるところも変わっていないな。「残念な方が多い」なんてタテマエ丁寧語で言ってるけど、日本女性と欧米人(そんな民族はないけど)のカップルに出くわしたら女性の方を「ガン見」してるってことで、そんなにガイジンを連れている日本女性の美醜が気になるってことは、「容姿が残念」を翻訳すると「(かわいいあたくしはガイジンに相手にされなかったのに)いったいあんなブスのどこがいいのよっ、キーッ!」ということになるのかな。それが酸っぱいぶどう的に発展して「どうせ日本人に相手にされなかったかわいそうな人」という流れになって、「国際結婚するのは負け組(日本人と結婚したあたくしは勝ち組)」となったのかもしれないな。

おもしろいのは、「国際結婚女性は容姿が残念」と言われると、必ず「いや、あたくしは日本人にだってモテたましたのよっ」と反論する人が出てくること。どこの誰であれ、愛する人と結婚して幸せなんだったら、結婚前に誰にどれだけもてようが今は昔の話でどうでもいいことじゃないのかと思うんだけど、それをあえてあたくしは違うのよっ!と反駁するのは、心の奥で自分の「愛」に自信がないままで結婚を決断したということなのかな。たしかに、配偶者の国に住んでいるのに、配偶者に対する不平不満を「どうして○○人は~」という括りで語り、周囲に対する不満や嫌悪感を「外国人は~」で語る人たちもけっこういるけど、そこには生涯の伴侶として選んだはずの1人の生きた人間の存在は感じられないことが多い。まあ、いわゆる婚活トピックから見る限りでは日本人同士でも相手の収入のような条件にこだわる人が多いようだから、相手が1人の人間として見えていないかもしれないという点では国内結婚も国際結婚も同じじゃないかという気がするけどな。

ワタシが若かった時代は縁談を待って見合い結婚するのがフツーだったから、男にもてる、もてないは(幸いなことに)論外だったけど、もし今どきの日本にタイムスリップしたら、どうしているんだろう。容姿も性格もすべてにおいて「かわいい」基準から遠いワタシのことだから、「モテ度0」のままで、婚活とやらでは日本人に見向きもされず、好みのオンナノコを選り取り見取りのカリスママン(カレシ)にも見向きもされず、賞味期限へまっしぐら。だけど奇跡的にワタシという人間を好きになれる人に出会って、それが日本人じゃなかったら今度は「あの容姿でどうして」と首を傾げられ・・・だろうな。まあ、それでもそこは元々JIS規格不合格の帆船「極楽とんぼ号」のこと、大波小波をものともせずに大海原を我がもの顔で航海していると思うな。(そういえば、高校のときの進路指導で商船大学に行って大型船の船長になりたいと言って、先生に「女の子はダメだよ」と一蹴されたっけ。比喩的には「船長」になったと言えなくもないかな・・・。)

どうしても人を勝ち組と負け組に分けないと気がすまない人が多いみたいだから、つらつらと考えてみたけど、自分の気持を良く知って自信を持ち、誰が何を言おうが気にせずに自然体で向き合って、自分は幸せな人間だと思える人が、人生での「勝ち組」ってことになるだろうと思う。でも、自分が死ぬときじゃないとほんとにそうかどうかはわからないだろうな。だから、「今」を生きている若い人たちには遠すぎて見えない未来が不安で、待っていられないから今すぐに勝ち組、負け組を「仕分け!」ということなのかも。あのさ、「引き分け組」ってのはダメなの・・・?

匿名掲示板はネット時代の闘技場なのか

3月31日。土曜日。雨模様。今日で3月も終わり。早いなあ。年を取るほどに時間の足が早くなる。時間の方がどんどん先に進んだら、年を取るのが追いつかなくなって加齢そのものが減速する・・・てなことは、やっぱりありえないよねえ。まっ、四の五の言わずに、今日は月末処理と、明日から始めるつもりの仕事の算段でもしようっと・・・あ、日本はまだ(もう?)日曜日だ。

小町横町の散歩に出かけて、「醤油はソースか」というにぎやかな論争(今どき日本語では「バトル」というらしい)に遭遇。西洋人が寿司を「醤油の中にざんぶりこと入れ、まるで泳がせるような感じで」食べるのは、そもそも醤油をソイ「ソース」と訳したの原因であり、醤油はソースではなく調理料なのだから、「ソース」の訳語をやめて「調味料」に変えるわけにはいかないのか、というのがトピック文。へえ、西洋人が日本人から見たらとんでもない寿司(日本食)の食べ方をするのは「翻訳」が悪いからってことか。聞き捨てにならない議論だと思って読んでみたけど、トピックの主が自己流のソースの「定義」にこだわるもので、書き込む人たちとのコミュニケーションが全然かみ合わないから、何が論点なのかさっぱりわからない。でも、テーマとしてはおもしろいな。醤油はソースか調味料かって、鍋の中であれ、皿の上であれ、食材や料理の味を調えるための液体はみんなソースだと思うけどなあ。

それにしても、この横丁はこだわりの強い人が多いなあと思う。それも、いわゆる「プロのこだわり」とはまったく違う、いわゆる「縁起かつぎ」とも違う、かといって「強迫性障害」とも違うんだけど「○○はかくあらねばならない」という思い込みに縛られている感じで、それでいて必ずしも「誰がなんと言おうともこれが一番好き/合う」という確信があるわけでもなさそうで、とにかく(少なくとも)ワタシにはなんだか異常に近い感覚のようにも思える。「こだわり」が望ましいものとして美化されて、商業化された結果、「こだわり」を持つことがすなわち自分の存在感の証と刷り込まれているのではないかという感じがする一方で、こだわることによって苦手なもの、未知のものに対応する必要を避けようとする回避の心理もなきにしも非ずのように感じる。まあ、いわゆる「大人の人見知り」の一種かもしれないけど、心の自由を束縛されて、逆に自分が窮屈になっているようなところもあるんじゃないのかな。

ワタシがこれまでに出会った人たちの中で飛びぬけてこの小町型(といったら苦情が来るかな)の「こだわり」が強かったのはカレシの亡きパパかな。自分の知っていることが「唯一絶対の真実」で、理解できないことは「嘘っぱち」。そのくせテレビや雑誌で見聞きしたことは実にすなおに「事実」として信じ込み、(他人の意見なのに)異論や反論を自分の意見の否定のように受け取る人だった。しかも、すべてがきっちり完璧でないと癇癪を起こすか、いつまでもグチグチ言う人だったから、不器用に生まれついたカレシにとっては大変な不運だったと言える。考えてみると、大人になってから人を個人的に苦手だとか嫌いだとか思ったことはないワタシだけど、正直なところ、義父は唯一「できることなら付き合いたくない人」だったかもしれない。

それはともかく、不特定多数の人たちが匿名で書き込むところだから、こだわり屋だけじゃなく、投稿文から透けて見える性格も(概して欝っぽいという印象だけど)いろいろあって、それが集合して国民性ならぬ一種の「住民性」を形成しているように思うけど、匿名掲示板でも一種の「コミュニティ」であれば、現実社会のコミュニティと同じように独特の「文化」が生まれても不思議ではないな。ただ、常套句になっている「自分の周りでは」という範囲限定のものさしを当てると、こういう「できたら遭遇したくない」ような人たちは幸いにもワタシの「周り」(地理的な距離を無視したワタシの交流範囲)には見当たらない。つまり、匿名掲示板はいうなればローマ帝国時代に剣闘士がバトルを繰り広げた「闘技場」のネット版ということか。小町横町の女性たちはネット時代の女剣闘士なんだ。だから見ているとおもしろい。なるほど、そういうことか・・・。


2012年3月~その1

2012年03月16日 | 昔語り(2006~2013)
在宅稼業だって激務のときは激務

3月4日。日曜日。ぐっすり眠れる夜と、うとうとしているうちに終わってしまう夜とがあって、ゆうべはうとうとの方。身体はリラックスしているのに、脳みそがいつまでもわいわいがやがやと騒いでいる感じで、眠っている気がしない。まったく眠っていないわけではないらしくて、たぶん睡眠相の浅いところを出たり入ったりしているんだろうな。

気がついたら閏日も過ぎて、いつの間にか3月になっている。この1週間というもの、起きて朝食を済ませたら、さあ仕事。夕食を済ませたら、さあ仕事。真夜中のランチを済ませたら、さあ仕事。世の中いたるところで持ち上がるすったもんだもどこ吹く風、小町横町を吹き抜けるからっ風もなんのその、ひたすらキーを叩いていたなあ。なんか物の怪に憑かれたような顔をしていたかも。やっとのことで期限まであと丸3日、残すは約1万語ほどのところまでたどりついた。ワタシが食べるときと寝るとき以外は「透明人間」を決め込んでいたもので、ちょっぴりかまってちゃんモードになっていたカレシもやっと「ただならぬ状況」を察したらしくて、この1週間はかなり協力的だったな。下着がないというから、洗濯をしたら、いつもは自分のものしかたたまないのに、今回は全部たたんでしまってくれたし、野菜がなくなってワタシがいるもののリストを渡したらひとりで買い物に行ってきてくれたし、エライ。カレシや、あと3日の辛抱だからねっ。(といっても、もうその後がだんだんと詰まって来ているんだけど、3月は魔の予算消化期だからねえ・・・。)

まるで1990年代に戻ったみたいな状況なんだけど、あの頃のワタシは40代で、今のワタシは60代半ば。今のワタシは(今のところは)仕事優先、遊び優先、家事は二の次、三の次だけど、あの頃のワタシは仕事と家事の完全ダブルシフト。毎朝6時半に起きて、カレシのお弁当を作り、朝食を食べて、仕事に送り出したら、さあ仕事。誰もいない家の中でひとり、ひたすら仕事。『コロンボ』や『レミントン・スティール』の再々々々放送を見ながらひとりでランチを食べてまた仕事。カレシが帰ってきたら夕食を作って食べて、また仕事。カレシが先に寝てからもまだ仕事をしていたことが多かったな。(カレシに怒鳴られて丑三つ時にアイロンかけをしていたことも多かったけど。)あの頃のワタシ、いったい1日何時間労働をやっていたんだろうな。

たしかに激務だったんだろうけど、まだ若かったせいなのか、あの頃はカレシが「透明人間」で、ワタシの人生には仕事以外に何もなかったからなのか、特に辛いとか、しんどいとか、ストレスだとか感じたことはなかったから不思議。でも、精神的には感じていなくても、身体はちゃんとわかっているから、ストレス食いしてストレス太り。今回だって、多少は寄る年波は感じても、周りをうろうろするカレシがときどきうるさくなる以外はさほとストレスは感じないけど、やっぱりストレス太り気味。まあ、朝な夕なに満員の通勤電車やバスに揺られなくてもいいし、嫌いな上司や同僚と毎日顔を合わせなくてもいいし、めんどうな飲み会とやらもないから、ストレス感が低いのかもしれないな。でも、フリーランスの翻訳業は1日中自分の家の中でコンピュータの前に座りっぱなしだから、楽ちんそうに見えるかもしれないけど、この世に楽をしていてお金が入る商売なんかあるわきゃない。仕事がどさどさと入ってくれば「激務」になるし、仕事が干上がったら「閑職」になって、へたをすると倒産・・・。

それにしても、Oh, so nineties(ああ、なんとも90年代)。ほんとに久しぶりに前世紀にタイムスリップしたような1週間だった。5万語まで行きそうだけど、考えたら昔は英文タイプのスピードを5文字=1語で計算して、1分何ワードとして測っていて、ワタシの最高は毎分110ワードだった。(事務職の求人では「60ワード」が最低ラインだった。)とすると、5万語は25万文字で、スペースも入れたら30万文字くらい。つまり、17日間で30万回もキーを叩いた勘定になる。1日当たりにして17600回で、10本の指がそれぞれ1760回。うはあ、どうりで指が短くなって来たように見えるはずだなあ(元々短めではあるけど・・・)。

ま、期限まであと3日のホームストレッチ。よ~し、胸突き八丁の心臓破りの丘を駆け抜けるか。

終わった、終わった~

3月7日。水曜日。ちょっと寒いけど、いい天気。ひょっとしたら氷点下になるかもと言う予報だったけど、それほどではなかったもよう。晴れた日が続くとどうしても夜は冷え込むのはしょうがない。まあ、まだ3月だもの。とはいっても、この週末にはもう「夏時間」への切り替え。まだ春分の日にもならないってのに、もう夏の気分もないだろうに。でも、たった4ヵ月の標準時のときは日本の朝の9時がこっちでは(前日の)午後4時だったんだけど、夏時間になるとそれが午後5時になるので、仕事上は納期までに1時間の余裕ができるのはうれしい。それでもやっぱり、めんどくさ~。

巨大なだれかタイタニック級の氷山みたいだった大仕事、やっと、やっと、やっと、おしまい!!あとは見直しをして、校正と編集をする人に送るばかり。ああ、しんど~。まあ、ちょっぴり化け学の勉強にはなったけど、化合物の名前は「なんたら酸1,2,3なんとかんとか1,1,1なんちゃら」みたいなおそろしく長ったらしいものでも1語の勘定で、お値段は不定冠詞の「a」と同じだから、気抜けするなあ。それでも、ひとまとめで5万語も行くっちゃうような大仕事はめったにないから、終わってみればかなりの爽快感。うんと伸びをして、大きく息をついて、次に並んでいる仕事3つと、事務処理に家事の処理。A woman’s work is never done(女性の仕事には終わりがない)とはよく言ったもんだ。あ~あ・・・。

今日来たMaclean’sの表紙はお婿さんをお姫さま抱っこしている花嫁さん。カナダでは(アメリカもイギリスもだけど)共働き夫婦の3組に1組が女高男低と言う話。身長の差じゃなくて、ばっちり収入の話。今や大学を卒業する学生の半分以上が女性で、医学部も法学部も、はては工学部でも女子学生が半分以上をしめているところが多いと言うから、男の子たちはいったいどこで何をしているんだか。フェミニズムに押された一時的な現象ではなくて、「ごく普通の世帯」になりつつあるそうだけど、経済のサービス化が進む一方で男の牙城だった製造業や一次産業は雇用が減っているから、大黒柱が2本あれば不況になってレイオフの波が押し寄せてもなんとかソフトランディングができる世帯が増え、その延長線上で夫より稼ぎの多い奥さんが増えたということだろうな。

だけど、今はそういう大きな社会変化の過渡期にあって、妻の家事負担はまだまだ大きいし、好きな仕事と夫のプライドとのバランスの問題もあるし、周囲の目に見えない反発もあるし、マミーブロガーと呼ばれる「家にいてクッキーやカップケーキを焼いているのが理想の妻」みたいな専業主婦たちのお気楽しごくなブログやつぶやきにもイライラする。まあ、家事は女の仕事という観念はまだ男たちの間に根強く残っているのは確かだけど、それでもうまく折り合いをつける夫婦もいれば、軋轢が高じて離婚する夫婦もいる。ちなみに、収入が同じ夫婦に比べると、経済的に妻に依存している夫は浮気や不倫に走る確率が5倍も高いという調査結果もあるとか。浮気の確率が一番低かったのは妻の収入が夫より25%低い場合だったそうな。一昔前と違って、高収入の妻は離婚に至っても経済的にちっとも困らない。逆に困るのは離婚される夫の方かもしれないな。まあ、ワタシとカレシには稼ぎのアンバランスは「いつか来た道」なんだけど、それがあたりまえの世の中になりつつあるということか。先駆者みたいなもんだね、ワタシたち。

さて、仕上げをして、とっときの1982年ビンテージのアルマニャックを開けて、お祝いの寝酒と行こうか・・・。

フリーランス稼業のプロフェッショナリズムとは

3月8日。木曜日。今日もいい天気。とにかく巨大な仕事がひとつ終わった安心感なのか、ゴミ収集の日だというのに、まったく目を覚まされないでひたすら熟睡して、起床は午後12時30分。たっぷり8時間の睡眠で、ああ、すっきりした。だけど、トイレに行くのと食事のためにキッチンに上がるとき以外は、コンピュータの前に釘付け状態だったもので、体重計に乗ったら、あちゃ、またちょっと増えている。これで自己規制の上限を4ポンド(1.8キロ)オーバー。「やばい」ってのはこういうときに使うのかなあ。俗に寝る子は育つというけど、座業はあんまり育ってほしくないところが育つ。もっとも、育ちがいいときは懐もあったまるわけだけど・・・。

火曜日にマイクが裏口のポーチを張り替えてくれて、今日は硬いビニールの保護膜を張る人が来た。なんとなく砂浜を思わせるパターンだけど、接着剤が硬化するまで24時間は使用禁止ということで今日はドアを開けて見るだけ。あとは、ポーチと階段に手すりを取り付けたら、年越しでのんびり続いていた「裏庭改修工事」は打ち上げ。外の仕事はお天気まかせだから、雨の多いバンクーバーの冬は作業がなかなか進まなくてあたりまえ。それでも、裏庭全体が見違えるようにすっきりして、なんだか広くなったように見える。カレシに張り切って農作業をしてもらわなくちゃ。さて、次のプロジェクトは秋の屋根の葺き替えだけど、それまでがっちり稼がなくちゃ。

それでも今日はちょっとペースを落としていいかな・・・なんて考えていたら、またぞろ緊急メールが飛び込んでくるから、もう。発注した翻訳者にやめられたんだと。わからない言葉の訳語を聞いてきたので自分で調べろと言ったら、前に仕事したところは一緒に考えてくれた、今回は責任範囲について打ち合わせをしなかったのがまずかった、この分野は専門じゃないからやめた、ということらしい。フリーランスの翻訳者は仕事を引き受けてから納品するまで100%責任を負うものだと思っていたけどな。あそこがこうだったからこっちも同じだろうと思い込んで、「そう思っていた」と言っちゃうところもすごいと言っちゃすごいけど、訳語がわからなければググッたり、その分野が得意な同業仲間に聞いたりすればいいものを、発注元に「訳語がわからないから教えて」と聞いてしまうところはもっとすごいかも。(ちょこっとググったら3分で見つかったけど。)それで、びっくりした社長サンが直々にSOSメールを飛ばして、ワタシにお鉢を回して寄こす、と。それにしても、院卒でこれじゃあ、近頃の若い人は~とつい言ってみたくなっちゃうかも・・・。

結局、お気に入りのお得意さんだし、スケジュールの隙間にうまく納まる量だったので引き受けたけど、時代の流れなのか、そういう世の中なのかよくわからないけど、プロフェッショナリズムの観念も変わってきているのかなあと思ってしまった。元々このフリーランス翻訳というビジネス、商売として旗揚げする「敷居」がとにかく「超」がつくくらいに低い。だから、永遠に「門前の小僧大学在学中」みたいなワタシでもけっこう深く考えずに入ることができたわけで、間違っても「翻訳作品」を売る芸術家ではないから、やれると思う人なら誰でも元でなしで看板を出せる商売。でも、どんなものでもそうだけど、敷居の低い商売は脱落する敷居も同じく低い。何しろ翻訳と言う「サービス」を売るビジネスだから、大学卒だろうが、院卒だろうが、留学帰りだろうが、TOEICのスコアが満点だろうが、客に金を払う価値があると思ってもらえなければ次はない。

まさに自己責任100%の適者生存の世界とでもいうか、それでもやりたい人が引きも切らずらしいのは、家にいて育児や家事の合間にやれてお金を稼げるとか、外国語を扱うから国際化的で何となく知的な「お仕事」だと思っているか、あるいは(氾濫する女性雑誌とかに)そう思わされているからなのかもしれない。そういう人たちが匿名掲示板で「翻訳学校へ行くのと語学留学とどっちがいい?」とか、「○○分野と××分野のどっちのコースを取ったらいい?」と端から教えてちゃんだったり、「子供がいるので/主婦なので/なんちゃらなので、そんなに稼げなくてもおこづかい程度で十分」なんて(本人は奥ゆかしく遠慮しているつもりなのかもしれないとしても)仕事意識がゼロだったり、で、自分のことを臆面もなく「翻訳家」と称したり・・・。まあ、この世界にもいろんな人がいるから、いろんな人が参入してくるのも当然だけど、古だぬきクラスになるとひと癖もふた癖もあるのがかなりいるような・・・。

ワタシが開業して間もなかった23年前に「徹夜デビュー」となった仕事もそういう「同業」の尻拭いだったなあ。3日ほどの量の仕事を引き受けて、期日前日の午後に「子供が遊びたがるのでできません」と投げ出した「ママさん翻訳家」がいて、慌てた社長が(メールがない時代だったもので)ワタシの家まで車を飛ばして来て、「納品を1日だけ延ばしてもらえたから、何とか」。結局、食べる以外は30時間ぶっ通しでキーを叩いて、「仕事となったら徹夜も覚悟」のフリーランス的プロフェッショナリズムの洗礼を受けたのだった(と、はるかに遠い目・・・)。

一年後の東北・・・鎮魂

3月9日。金曜日。予報通りの本格的な雨。いつものように起きて、朝食を済ませて、また仕事。じわじわと予定が押し詰まってくるから、ペースを落としているわけにはいかない。今手持ちの仕事だけをやっても、今月末には去年1年分の作業量を達成してしまう・・・といっても、このペースだともろに1990年代に戻ってしまうので、喜んでいいのかどうかわからない。このビジネスを22年やってきて、一番低調だったのは日本の父が他界し、ワタシも入院手術と何かと仕事をしていないことが多かった年で、2番面は北米の不況。あのときは仕事量を半分ほどに減らしたばかりだったので、それほどの不況とは気がつかずにのんきにカレッジの夜の創作コースを取っていた。で、3番目に低調な年だったのが去年で、間違いなく震災と原発事故と節電のせいだと思うけど、震災や津波そのものよりもたぶん原発事故と節電の影響の方が大きかっただろうと思う。

その大震災から1年が経とうとしている。雑誌やテレビのニュースも「1年後の日本」を伝えている。TIMEにはニッポンの未来を占うような興味深い記事があったし、BBCは東北の現地から「今」を伝えていて、特派員が「復興の兆しかも」と言って指したのが何にもなくなったところに並ぶ清涼飲料水の「自動販売機」。人間不要のキカイの列がなんか新鮮な衝撃だった。でも、高く積み上がったままの瓦礫の山と、建物も何もなくなった廃墟のような町の風景。仮設住宅で孤独死して行く老人たち。それが1年後の「東北」の姿じゃないのか。東北の人たちは辛抱強い?もしかしてその辛抱強さに甘えてない?外国人がストイックで秩序を守る日本人はエライほめていると聞いて、「我々日本人ってすごいんだ」と安心しちゃっていない?

あれだけの災害に遭っても右往左往するだけの政治、補償金をもらったからとすべてをなくした人の生活保護を打ち切るような行政。それでも暴動のひとつも起こさず、何十万人という規模のデモで怒りを表すこともせず、政府がもっとしっかりしてくれなければとため息をついているうちに1年。今でもボランティアとして現地に行く人は多いはずなのに、その人たちは東北の現状を生で見聞しているはずなのに、その多くが国政に最も近いところへ帰って行くんだろうに、なぜ声を上げないんだろう。自分のやることをやったからそれでおしまい?絆だかなんだか政府やマスコミにほろっとさせる言葉を刷り込まれて、ちゃらちゃらしたコンサートだのライトアップだのとにぎやかなイベントをやって、がんばれ東北、がんばれ福島のかけ声。日本だなあ。日本人は一致団結して大災害から立ち上がるだろうと感動して、急ぎ日本に帰化したドナルド・キーンでさえさすがに「がっかりした」と・・・。

原発事故の直後に外国が日本からの輸入を規制したときは「差別だ」と憤懣やるかたなかった日本人が同胞の福島や東北に同じことをしているのに気がつかない。放射能が怖くて日本から逃げ出した外国人たちをまるで無知で恩知らずの卑怯者のように非難したのに、十分に遠く離れていても放射能が怖いからと外国に逃げる方法を探り、難民申請した人たち。ひと粒でも放射能が着いている「汚染物」は寄こすなという人たち。世界中の誰だって放射能は怖い。だから原発事故の直後には北米西岸は北から南までよう素のサプリがあっという間に売り切れた。怖いものだとわかっているからカナダも「自国民を安心させるために」日本からの輸入食品の検査をやった。日本だって狂牛病が怖い!というからアメリカの牛肉輸入を禁止したし、新型インフルが怖い!というから北米から来る人たちを成田で病原菌扱いしたり、「自国民を安心させるために」同じようなことをやっているのにね。

でも、日本人は違うんだろうね、きっと。それは日本人流の「リスク管理」の基本が「ゼロリスク以外は認めない」ということらしいせいなのかな。リスクは怖いもので、不安を呼び起こすからあってはならない、「ゼロ」でなければ安心できない。ゼロリスクで安心させたら、不測の事態を想定することはリスクがゼロじゃないことの証拠になってしまうから、対策を講じると「やっぱり危ないじゃないか!」と糾弾されそうだからやらない。結局はリスクは無限大。でも、そういう「安心感」が求められているんだったら、しょうがないな。今になって政府に、東電にだまされた、もう信用できないと言っても、都合の悪いことや醜いものは見せないのが美徳だ思っている日本人が民主的に選んだ政府なんだし、官庁だって東電だって(オリンパスだって)同じ日本人が動かしている組織のはず。日本なんだよね。良いとか悪いとかはまったく関係なく、ただただ「日本」なんだと思ったな。

あの「1年後の東北」の姿を見てふと思ったな。東京から大阪まで太平洋岸の大都市圏を残して(大阪はいやだというだろうけど)、残る日本は分離独立したらいいんじゃないかと。東京は「東京」こそが日本だと思い込んでいるかもしれないけど、「東京は日本じゃないよ」という印象を持ち帰る外国人はけっこう多い。本当の昔ながらの「美しい日本」は地方にある。その「地方」が分離独立して東京に電気が行かなくなると困るだろうから、東電が管轄地域の外に作った原発はそっくり東電に返して東京圏にお持ち帰りいただく、と。東京圏にはカナダと同じくらいの数の人間がいるんだから、独り立ちしてやって行けるでしょ。ファッションとかサブカルとか、外貨稼ぎに輸出できるものはいくらでもあるでしょ。

・・・なあんてね。冗談を言っている場合じゃないけど、冗談のひとつも考えないと、1年後の東北の現状に涙が止まらなくなる。心が痛い。悲しい。つらい。そしてなぜかすっごく悔しい・・・。

英語いろいろ、日本語いろいろ、みんないろいろ

3月11日。日曜日。雨の予報だったのに目が覚めたら外が明るい。起床は午後1時20分。午前2時に時計の針を1時間進めて標準時から夏時間に移行。切り替え時刻にコンピュータ画面の隅っこの時刻表示を横目で見ていると、「1:59AM」がいきなり「3:00AM」になるもので、何となくワタシの人生の1時間を返せ~という気分にもなる。まあ、11月の第1日曜日にちゃんと戻って来るんだけどね。それでも、時計を1時間進めたからといって1時間早く寝つけるわけがない。標準時モードのままでベッドに入って、普通に寝て、普通に起きたら(きのうまでは午後12時20分だった)夏時間の午後1時20分。やれやれ、1日が半分終わってる・・・。

今日が期限の仕事が残っているもので、せかせかと朝食を済ませて、突貫工事で仕上げ。たまの英日なんだけど、この英語ってのがすごい。英語のようだけど何となく英語にはなってないような、だけどやっぱり英語。発信地はヨーロッパの英語に一番近いといわれる言語を話す国だから、あんがい機械翻訳英語なのかな。EUの機関から来る英語の文書にはこういうのが多い。ひょっとしたら、こういうのばかりワタシに回して寄こしているのかもしれないけど。猛ダッシュで午後3時40分完了。そこではたと気がついた、日本の「午前9時」も1時間進んで「午後5時」。なんだ、余裕たっぷりじゃないの。だけど、だけど、夏時間でも標準時もいいけど、毎年2回こうやってあたふたするのは大変なんだから、どっちかに統一してくれないかなあ。

まあ、すごい英語だと言っても、単語を「読む」のではなくて、通訳のように「言葉を聞く」感覚でやると意味が通じて来るから、後はそれを「翻訳」するだけでいい。英日翻訳をやるときに一番くたびれるのは英語の質の問題じゃなくて、実は日本語の入力。英語環境のワタシのキーボードではローマ字しか打てないから、「か」と打つのに「k」のキーと「a」のキーというぐあいに、「あいうえお」と「ん」以外の五十音はぜ~んぶ1文字あたりキーストローク2回ずつで、漢字変換で正しい漢字を選択するのにスペースバーをばんばん。おまけに学習能力があるはずの変換システムが気まぐれに第1候補を入れ替えてくれるから頭にくる。その上、英語のキーボードはタイプライター時代からの英語をタイプしやすいキー配列になっているせいか、日本語入力で頻繁に使うキーが打ちにくいところにあるからくたびれる。頻繁に使うキーが、英語はキーボードの左手側、ローマ字日本語は右手側に偏在しているところはおもしろいけど。

さて、次は日英モードに戻って、裁判書類。最後の「。」に行き着くまでに延々と500文字も続いている文もあって、いつもながら弁護士が書く文章ってどうして声に出して読んだらひと息で読み切れないようなのが多いのかなあと思うけど、読み解いてみると思考が一直線でちゃんと筋道が立っているからすごい。さすがその道のプロということかな。ディケンズの時代のイギリスでは、弁護士報酬の単位が作った書類の「ページ数」だったそうで、文章をああちゃらこうちゃらと引き延ばしてページ数を増やせば増やすほどもうかる仕組みになっていたらしい。そういえば、イギリスの弁護士が書いた文書の日本語訳を英訳したときに見つけた元文書の英語は200語、300語のセンテンスをコンマだけで区切っていてびっくり。北米の弁護士ならセミコロンを使うところで、ひと口に英語圏と言ってもお国柄の違いが一目瞭然でおもしろかった。ワタシのアメリカ英語訳はもちろんセミコロン、セミコロン、コロン、コロン・・・。

ボケたら日本語も英語もないんじゃないの?

3月13日。火曜日。目を覚まして、カレシを肘で突いて起こして、2人して「おお、静かだ~」。きのうの朝(正午)は前夜からのすごい大風のせいでなんかよく眠れなくて、2人とも寝ぼけ眼だった。なにしろ、場所によっては30メートル以上の風が吹き荒れたらしく、バンクーバー島とメトロバンクーバーのあちこちで大木がばたばたと倒れ(雨の多い土地で針葉樹は根が浅い)、何十万戸も停電し、フェリーも欠航。バンクーバーの郊外では雪が降ったところもあるそうな。我が家の裏庭では、まだ手すりがついていない裏口のポーチに柵代わりに置いてあった古いソーホース(木挽き台?)がベースメントへの階段に落ちていたのと、ゴミの容器が倒れていただけで済んだけど、春の嵐と言うにはなんだかすごすぎの感じ。

起きてみたら「台風一過」のようないい天気。テレビのニュースではまだ停電が復旧していないところがかなりあると言っていた。幸い我が家ではワタシたちが寝る直前に1分くらい停電しただけだったけど、仕事に詰まっているときに丸1日以上も停電が続いたらお手上げだな。まあ、停電したら瞬時に切り替わるUPSバッテリをつないであるけど、SOHO用だからせいぜい20分から30分しかもたない。作業中のファイルを保存して、システムを落とせるだけの余裕しかないけど、それでもいきなり停電して、保存していなかった「努力」が一瞬で水の泡になるよりはいい。しんと静まり返った中で消えた画面を見ているときの、あのいや~な気分と来たら、もう・・・。

とにかく、今日が期限の仕事をバリバリッと片付ける。訴訟関係では「○○法何条の何項はなんたらかんたらと規定していることろ・・・」なんてのがやたらとたくさん出てくるから、まず元の法律の英語版を探す。英語圏の国の法律や国際条約や協定だったらたいていすぐに見つかって、そっくり引用できるんだけど、日本の法律となると、一応の公式訳がある「法なび」を検索してもまだ英訳版がないことが多い。まあ、「法なび」というものがあるだけでも、ひと昔と比べたら楽になったもんだし、同業者の努力の成果だからありがたいと思うけどね。(何にでも金魚の糞みたいにやたらと「etc.」がついて、オープンエンドになっているのには違和感があるけど、日本のお役所文学は「等」なしでは成立しないらしいから、しょうがない。企業文学では「化」という魔法の薬で何でも簡単に化かしちゃうしね。日本語がそういう造りなんだから、これもしょうがない。)

と、ぶつくさいいながらも、無事に完了して期限通りに納品。これで3日間は休み。またどかっとなだれを寄こしそうなところに予定を「偽って」捻出した休み。本当はきのうからのはずだったけど、上得意さんが相手では無碍にノーとは言えないし、本当は来週の月曜日までのつもりだったけど、このお得意さんが打診して来た仕事が来れば週末2日が仕事日になるから、確実に休めるのは3日、もしかしたら5日。所得税の確定申告のための事務処理が山ほどあって、その他にも6月の日本旅行の準備もいろいろ(飛行機とか大都市のホテルとか、英語対応のところは「出張担当秘書室」のカレシが全部やってくれたので多いに助かっているけど)。来週は自分が引き受けた分と他人さまが放り出した分が1セットになった仕事。あ~あ、魔の3月だ・・・。

久しぶりにのんびりと小町横町を散策していたら、『外国語を話すのは歳と共に面倒になりますか?』というトピックがあったのでのぞいてみた。これから英語圏の国に留学するという人で、その国での就職を考えているとか。人は年とともに外国語を話すのがめんどうになると言われたとか。「国際結婚などで」海外生活している人にどうなのかと聞いているところを見ると、ゆくゆくはその国でも結婚も想定していて、外国で年を取ったときのことが不安になったのかな。どういう答を期待しているのかな。「んなこたぁないさ」という返事が並んだら安心するのかな。みんなが「外国語はめんどうになるし、ボケたら忘れるよ」と言ったら、早々と海外生活を切り上げて日本に帰るのかな。みんなが「いや、日本語の方がめんどうになる」と言ったらどうするんだろう。

なかなか奥の深そうな質問だけど、出て来た答はそれぞれの見聞、伝聞、風評etc.にもとづいて「めんどうになる」、「日本語がめんどうになる」、「人による」の三通り。まあ、人それぞれに海外生活の環境が違うだろうから、正解があるとしたら「何とも言えない」ということか。日本に住んでいれば年を取らなくたって外国語を話すのがめんどうになりそうだから、「海外生活」でも日本(語)に近い環境で生活を続けて来た人は年を取るほどに外国語がしんどくなるだろうし、逆に日本(語)から離れて(現地化して)生活して来た人は日本語が錆びついて来るだろうと思うな。日本を離れている間に「今」の日本語が変わるという要素もあるから、日本語環境から遠いほど「今」の日本人と噛みあわなくなって、それを「日本語を話すのがしんどい」と感じる人もいるかもしれない。

ワタシは、カナダに来てから家では英語のみ、職場では日本語が中心で、ずっと使い分けに問題はなかったし、どっちかをめんどうだと感じることもなかったのが、あるときから心理的な原因で(だと思う)頭の中にある日本語が声に出なくなってしまった。翻訳を生業としていることもあって読み書きには何の抵抗感もないんだけど、親しい人たち以外とはまだ日本語で話したくないという心理的なハードルが残っているから、年とともにめんどうになったのかどうかはわからない。昔は日本のドラマを見ながらカレシと英語で話していても違和感がなかったし、英語環境なら英語があたりまえ、日本語環境なら日本語があたりまえに使えたし、現実に通訳になって、付け焼刃の訓練だけで同時通訳もこなせた。もしもあのときの人生がそのまま続いていたら、今頃は外国語を話すのがめんどうだと感じるようになっていたのかな。はて、英語と日本語、どっちが「外国語」なんだろう・・・。

おもしろいと思ったのは、外国で年を取って認知症になって日本語しか話せなくなってしまった日本女性の悲話?を「聞いた」とか、老人ホームでそういう人を「見た」とかいう書き込み。外国でそうなったら惨めだよ(だから国際結婚なんてやめときな)と警告しているつもりなのかどうかは知る由もないけど、認知症になったら自分がどこにいて何語をしゃべっているのかわからなくなるだろうと思うんだけどなあ。もしもワタシがそうなったら、それはそれで老人ホームでちゃんと介護されていれば、ハッピーなボケおばあちゃんになって、今はすっかり忘れている童謡を(思い出したことさえ知らずに)大きな声で歌っているかもしれない(みんな耳が遠くなっているだろうから、うるさいと言われないだろうし)。老人のボケは赤ちゃん返りみたいなものだとすれば、赤ちゃん語は人類唯一の共通語なんだし、なんか楽しいじゃないの、それも。

ホワイトデーがダメならブラックデーがあるさ

3月14日。水曜日。なんかやたらと寒いなあ。午後になってもたったの3度。きのうから郊外の高台では雪が降っているという話。そういえば、道路沿いにどこまでも続く桜並木も二階から見ると何となくつぼみが膨らんでいるようには見えるのに開花はまだ。道路向かいの大きな桜の木を双眼鏡で観察してみたけど、まだみたいだなあ。去年の今頃は咲き始めていたのに。そういえば、クロッカスもまだあまり見かけないし、前庭のチューリップも芽を出す気配がない。おい、急げよ、春。

とにかく「捻出」した休み。今日はまずデスクの上に積みあがったカタログ類やらDMやら何やらを整理して、「elbow room」、つまり肘を突っ張れる余裕を作る。カタログ類なんてのはちょっと油断すると山になってしまうから、資源の無駄もいいところ。とりあえず、住所氏名のところに「隠蔽スタンプ」をぺたぺた押して、リサイクル紙の箱にぽいぽい。次に情報の保護上裁断が必要なものを(これまたひと山)シュレッダにかける。ワタシのは100枚までまとめてぐちゃぐちゃと噛み砕いてくれるので、容器がいっぱいになったらゴミ袋に移すだけでいいから効率的。それにしても、コンピュータ時代の幕開けには「ペーパーレス時代が来る」と言われたもんだけど、逆に紙が増えているんじゃないかという気がする。本屋はどんどん潰れるのに、紙の類は家の中にどんどん溢れるのは、どういうことなんだろう・・・。

やっと整理が付いたところで、去年の帳簿の整理。実は、丸々1年間、まったく帳簿を付けていない。どういうことなんだろう。いつもは少なくとも四半期ごとにやっていたのに、去年は忙しい年でもなかったのに、なぁんにもやってない。ま、伝票の数はそんなにないから、まずは減価償却費の計算から始める。次に伝票や請求書を月ごとにビニールフォルダに仕分け。これで後はカレシにお下がりしたコンピュータに残しておいてもらっている会計ソフトにちょいちょいと入力すれば、何かとあった2011年も「〆」となって、今年度分からは「新しく入った経理担当者」(カレシ)におまかせ、となる。いやあ、品質管理課があって、秘書課があって、今度は経理課までできて、なんかちょっとばかり「社長」になった気分。ま、顕微鏡でも見えないような微生物的企業ではあるけど、経営者たるもの、たがを緩めちゃいかんぜよ。

だけど、めんどうなことがほぼ片付いたもので、今日は後は休み。あてもなくぶらぶらと小町横町の散歩。そっか、日本は今日15日はホワイトデーなる奇妙な日。ワタシが日本にいた頃にはそんな日はなかったけど、バレンタインデーのお返しの日だそうで、期待?に添ったお返しがなかったと嘆く女性がいっぱい。どうやらホワイトデーはチョコレートとお返しのプレゼントを天秤にかけて自分の「愛され度」を測る日らしい。ついでに義理チョコをばら撒いておけば、何かと実入りのいい日になりそうな感じだな。それで、バレンタインでーには外回りのアポをぎっしり入れて会社には顔を出さないという営業マンも出てくるわけか。なるほど。安物の義理チョコじゃあ、奥さんに相応のプレゼントを買っておいてと頼むわけには行かないだろうし、なんかアタックっぽい高級チョコなんかもらってしまったら、なおさら。日本の男って、つらいよねえ、寅さん。

日本では「贈答」というくらいで、贈り物とお返しは不可分のワンセットになっているから、もらったものは値踏みして、相応の相場のお返しをあげないと非常識人間扱いされてしまうことが多々あるらしい(少なくとも小町を見る限りでは)。それで、ホワイトデーの愛情チェックにも三倍返しとかいうぶっ飛びそうな「相場」ができたんだろうな。たとえば、チョコが500円なら、ホワイトデーのプレゼントは1500円。10人に配ればしめて15000円。で、本命には5千円のチョコをあげて、単純に三倍だと15000円のところ、2万円くらいのものをくれたら「愛してくれてる」、でなかったら「なんだ、その程度の愛情か」。もしも本命第二候補が2千円のチョコに対して1万円のプレゼントをしたら、どうなるんだろう。三倍(15000円)の彼を取るか、五倍(1万円)の彼を取るか・・・。

なんでも、韓国にはチョコをもらえなかった人たちのためのブラックデーと言う日が4月にあって、その日にあぶれた者同士が集まって、そこから愛が芽生えることもあるという話だけど、恋愛も捨てる神あれば拾う神あり・・・。

敵を分裂させて得するのは誰だ

3月15日。木曜日。ゴミ収集車の轟音でしっかり3度目が覚めて、起床は正午過ぎ。いい天気だなあ。夜はちょっと冷えるかもしれないけど、昼間は10度を超えるから文句なし。でも、平年並みなら「春よ、来い」と言っているはずのトロントで17度、明日は20度という予報を聞くとちょっとおかしいじゃないのと思うけど。ひょっとして、東北の大地震で地球の回転軸の揺らぎが狂ったりして、大気の流れも微妙に変わったなんてことはないのかな。

カレシが外で庭仕事をしている間に、「なんとしても休み」の2日目は仕分けした伝票を日付順に一覧表にまとめる作業。入力するときに一枚ずつレシートや請求書や銀行の明細を見なくてもいいし、アメリカドル建てのものは世界の為替レートを10年遡って調べられるカナダ中央銀行のサイトで予めそれぞれの当日レートでカナダドルに変換しておけるから効率的(だろうと思う)。こういうものぐさ経理を「Shoebox accounting」(靴箱式会計法)と言う。つまり、きちんと帳簿を付けずに帳票の類をみんな靴を買ったときに入っていた箱に放り込んで置くやり方。カレシが売上税の監査官だった頃、訪問先の零細企業で社長に帳簿を見せてくれと言ったら、デスクの下からいくつも靴の箱を出して来たので唖然としたことあるとか。今はそういう名前の経理ソフトがあるし、経理代行サービス会社もある。靴の箱に伝票が入っているうちはいいけど、shoestring(靴ひも)はふところ具合が厳しいということで、厳しいかも。まあ、一覧表が出来上がったところで、今日の事務処理はおしまい。

小町に編集部が立てた大震災から1年経っての思いを書き込むというトピックがあって、書き込みの数は別の「がれき論争」トピックとは比べものにならないけど、特に被災して家を失い、家族や親しい人を失い、仕事を失い、さらには原発事故という未曾有の人災の影に隠れて未だに生活の再建もままならないでいる(それでも運よくネットにアクセスできる)東北の人たちの書き込みは読んでいて胸が痛くなる人間の強さを見た、人間の裏表を見た、人間の本性を見た、言葉の薄っぺらさを知った。マスコミの報道や風評やネットでの煽りに右往左往する人たち。嘘をつきすぎて誰にも信じてもらえなくなった政界、官界、財界。流行語になった「絆」という言葉にも嫌悪感を持っている人たちもいる。そして、中身のないイベント感覚の特別番組・・・。1年経ったんだし、やっぱり電気がないのは困るしと言って、気がついたらなし崩しに原発が動き始めていたということになりそうな、ざわざわした予感もして来る。暴動や略奪に走らないかもしれないけど、東北の人たちの胸の奥深くにはやりどころのない怒りがふつふつとくすぶっているのではないかという感じがした。

いや、東北の人たちだけではないかもしれない。大災害が起きるずっと前から、誰もそうとは気づかないままに正体のわからない不気味な怒りが日本のいたるところに沈殿して来ていたのかもしれない。そして、どこか誰の目にも見えないところで、その怒りの矛先をよそへ向けて、巧妙にガス抜きを図っている「黒幕」がいるんじゃないだろうか。「Divide and conquer」という言葉があって、誰が「分割統治」なんて訳したのか知らないけど、本来は敵を分裂させて争わせおいてその間に征服して支配を握ることで、大昔から世界中で使われて来た最強の戦略。日本にはそれを巧みに利用して影から無為無策の政治を支えている「黒幕」がいるんじゃないのか。人間を学歴や職種や雇い主の大きさで分け、女性を専業主婦と兼業主婦に分け、子供のあるなしで分け、はては年令で分け、容姿の美醜で分け、何でもかんでも二項対立の構図を作って勝ち組と負け組に分けては妬み、嫉み、僻みを煽って戦わせて漁夫の利を得ている「黒幕」がいるとしたら、どんな人間なんだろう。そもそも形のある人間なのかどうかもわからないけどね。

その昔、キルケニーの猫はけんかをして、引っかき合い、噛み付き合い、喰らい合っているうちに、とうとうどっちも尻尾を残すだけになりましたとさ・・・。


2012年2月~その2

2012年02月29日 | 昔語り(2006~2013)
何度やってもいいね、バレンタイン

2月17日。金曜日。起床は午後12時40分。雨模様。念のために鎮痛薬のタイレノルを1錠だけのんで寝たのが功を奏したのか、咳で傷めた首からの頭痛で目を覚まされずにぐっすり眠れた。普段から市販薬はほとんど使わないせいか、いざというときには用量の半分でもパシッと効くような感じがする。ふつうの鎮痛薬でも常用していると耐性ができてしまうということなのかな。日本で若い頃に何度も手首にできた火ぶくれのような痛い発疹が鎮痛薬による薬疹だとわかったときに、皮膚科の先生が言ったっけ。「たとえどんなに良い薬であっても、人間の身体にとっては異物であることに変わりがないんだよ」と。

今日は雨でポーチのデッキ板の取替えができないので工事は休み。きのうはトレリスの取り付けが終わって、裏庭は完全にカレシのもの。午後には電気屋のロウルが来て、ベースメントのドアの外に照明を付けてくれた。家を設計したときにどうしてそこだけ照明を付けなかったのか、今になっては思い出せないけど、真向かいのガレージの壁に照明をつけたら、カレシが庭に上がる階段のステップが見えなくて足を踏み外しそうになったと言うもので、まあ、「高齢化世帯」の安全対策といったところ。マイクが「変わっているけど電気工としてはピカイチ」と評するロウルはジャマイカの出身で、おしゃべりしていると実に楽しい。配電盤の「池」と書いてあったスイッチを切っておいたと言ったら、「ええ、電線はどうしちゃったの~?」と来る。まだ地面のどこかに埋まったままだと言ったら、「あ~あ、知らないよ~、知らないよ~」と言いながら、電源を落とさずにいとも楽々と配線を外してくれた。(うっかりスイッチを入れたら、地面に漏電して、カレシが感電してしまうとか・・・?)

ここのところ仕事の波に乗った感じで、ブログを書いていないことも忘れてどんどん進んだもので、とうとう納期よりも3日早く仕上がってしまった。そこで、今日は遅ればせのバレンタインデーのディナー。久しぶりにPastisに決めた。しばらく行っていなかったけど、店のデータベースに名前があるので、オーナーのジョンさんが「お久しぶりです」。(お客は覚えていてくれたか!という気分になってチップを弾んじゃったりして。)ワタシは前菜にスィートブレッド(羊の胸腺)、メインは鴨の胸肉、コンフィ添え。ソースに何と中華料理の五香を使っていて、それが何とも不思議な味わいになってすごくおいしかった。カレシは前菜がきのこのキッシュ、メインはヒラメのノルマンディー風。ムール貝とアサリが一緒にお皿に乗っていておいしそう。料理が肉と魚に別れたので、ワインは赤と白と別々にグラスで注文。デザートはカレシはプロフィテロールで、ワタシはこの店の特製のプチマドレーヌ。甘みを抑えたチョコレート味とレモン味のひと口マドレーヌは焼きたてのほっかほかで、口に入れるとふっかふか。ああ、天国ぅ~という気分になってしまう。

バレンタインが終わったばかりでレストランは空いているかなと思ったら、どうしてどうして。あっという間にほぼ満員。ほとんどが年配層の客なのがおもしろい。ワタシたちのようにバレンタインデーのラッシュをやり過ごした人たちなのかもしれない。久しぶりの外食でワタシもカレシもすっごく楽しかった。あんがい久しぶりだからかな。世紀が変わった頃から7、8年くらいは週末ごとに食べ歩いていたけど、どんなに高級なレストランでもカリスマシェフのグルメ料理でも、毎週となるとやっぱり飽きが来るものらしい。カレシのコレステロール問題で魚食に切り替えた頃にはほとんど惰性のようになっていたから、ぱったり外食をやめてもちっとも気にならなかった。まあ、「久しぶりに」とか「たまには」とかいうのはそれだけでプラスアルファの要素になるってことか。Less is moreと言われるけど、ひっくり返せばmore is lessと言うことだろうな。

おなかいっぱいでほのぼのした気分になった帰りは、Whole Foodsに寄って好物のシリアルに、魚を何種類か(今日の掘り出し物はストライプバス!)、切らしていた柚子と酢橘のポン酢、ランチ用に冷凍のチキンもどき(大豆タンパク)のオレンジ煮とサケ、マグロ、マヒマヒの3種類の魚バーガー、寝酒のつまみ用にはニシンの燻製を調達。その足でさらに酒屋に寄って、忙しがっている間にみんな切れてしまった酒棚の補充(レミ、アルマニャック2種、ジン、ベルモット、そしてワインの補充。ハウスワインにしていたニュージーランドのStarboroughのソヴィニョンブランはカレシが2010年ものが前の年より甘いと言うので、ニュージーランドの別のワイナリーのものを数本と新入荷らしいStarboroughの2011年ものを数本。ワイン造りはデリケートだから、年毎に天候条件などで味に微妙な違いが出る。だからワイン通はヴィンテージがどうのこうのと熱くなるんだけど、カレシも違いがわかるようになったのかなあ。ふ~ん・・・。

今日はいい日だったね。遅ればせの(というか二度目の、というか何度やってもいい)ハッピー・バレンタイン!

放射能難民を申請した日本人の却下第1号だって

2月18日。土曜日。かなりの雨。薬なしでも頭痛で目が覚めることなくぐっすり8時間。仕事もほんのちょっとだけ一段落したので、今日は休養日。(次に納期まで20日足らずで原稿用紙換算250枚の仕事が控えているから、1日だけの休みってことなんだけど。)

朝食が終わる頃には雨が止んで、日が差してきたから、キッチンのテーブルでコーヒーを飲みながら、仕事にかまけてごぶさたして読みかけの本を開く。今読んでいるのはレイ・ブラッドベリの『華氏451度』。なんとも背中がぞくぞくと寒くなって来る本だな。だって、焚書による言論統制がテーマかと思っていたのが、読み進んでみると「恣意的な愚民政策」の話で、書かれた頃にはSFだったかもしれないけど、描かれている近未来の「情報が映像化、感覚化されて思考停止した社会」がどうしても「今」と重なってしまう。特に主人公モンタグの行動を怪しんで様子を見に来たビーティ隊長の説諭?はまさに恣意的な愚民化の過程を説いたもので、読むほどに「今」を予言しているようでぞっとした。おかげで、怖いもの見たさもあるのか、あっという間に半分ほど読み進んでしまった。

おとといだったかケニー移民大臣が難民受け入れの制度を抜本改革して、「安全」と思われる国から来た人の申請はさくさくと審査して、さくさくと片付ける(送り返す)と発表して、あちこちの利害のある方面からブーイングが起こった。ワタシとしては、そういう(一応であっても)民主主義が機能している国から来た「難民」はおそらく身勝手な理由でカナダに住む権利を得ようとしていると考えるから、日々身を粉にして稼いで決して安くない税金を払っているカナダ国民としておもしろくない。どこの国の人だって自分の国でそういうことが起きていれば同じような感情を持つだろうと思うけどな。

ところが、今日のトロントの新聞「Toronto Sun」紙に、日本人女性の難民申請が却下されたという記事が出ていて、目が点々。2年前のバンクーバーオリンピックのときに観光ビザで来た日本人が2人だか3人だか難民の申請して、その報告を受けた大臣が「アホか!」と言った(とか言わなかった)という新聞記事を思い出した。何でも、今回の女性は福島原発の放射能の影響が怖いし、日本政府は信じられないという理由で、「自分の身が危険に曝されている」と難民申請をしたらしい。アホか~と思ったら、この女性は正式な判定が下った「最初」のケースで、あと何十人だかの日本人の「原発難民」が受け入れ可否の判定を待っているというから、ますます目が点点々。なんでぇ・・・?

そうまでしてカナダに住みたい理由は何なの?デフレとはいえ未だに世界第3位の経済大国なんでしょ、ニッポンは?日本人同士の「絆」を大事にする人間にやさしい国なんでしょ、ニッポンは?海外をチラ見した日本人が「ああ日本人で良かった(○○人じゃなくて~)」と声高に自慢できるすごい国なんでしょ、ニッポンは?放射能が怖いからって、それでも1億何千万人が折り合いを付けながら暮らしているんでしょ、ニッポンでは?もしもうまい具合に難民として認定されて永住できることになっても、どうせカナダはあ~だこ~だと愚痴るんでしょ?国も人もバカでしょうがないけどいてやっているんでしょ、カナダには?まあ、この人たちは何でもいいけど何とかしてカナダに長居できる方法を探していて、「なあんだ、難民ビザってのがあるじゃん!」とダメ元の気分で申請しただけなのかもしれないけど・・・。

カナダにはいろんな国から「難民」が何千、何万と来る。その人たちが判定を待つ間、そして判定を不服として抗告して、さらに上告して最終的に決定が出るのを待つ数年の生活費や医療費のめんどうを見るのはカナダ人が払った税金なのだ。いつまでもお人よしの国だと利用されているのを「世界から尊敬されている」と自己満足している場合じゃないと思うけどな。そんなんだから、国民がこぞって「安全」と自慢する経済大国からまで「迫害から逃れて来た」んだから入れろと要求して来る人たちが出るんじゃないの?

つらつらと思うに、移民大臣が抜本改革を打ち出したのはたぶんあのオリンピックのときの日本人難民の出現がきっかけだったのかもしれないな。放射能からの「難民」が続々と申請して来たもので、ケニー大臣はやっと難民政策のお人よしさかげんを何とかしなければと気がついたんだろうな。不要不急の自称「難民」を食わせるために使う税金をそれを納める自国民の福祉のために使うときじゃないかと思うよ。日本人だってきっとそう考えるだろうと思うけどね。ま、あと何人判定待ちなのか知らないけど、日本国政府が「棄民政策」を打ち出したのでない限り、早々にお帰り願って、未曾有の大災害に遭った愛する母国の復興に尽くしていただく方が日本にとってもいいことだと思うんだけど、そういうとまたああだこうだとうるさそう。ほんとにもう、世の中には不思議な人たちがいるもんだと思うしかないか・・・。

縁は異なものスルメの味わい

2月19日。日曜日。晴れたり曇ったり。気温はちょっと低めの5度。ゆっくりと寝て、正午を過ぎたところで起きて、1日の始まり。まず朝食後に本を開く。ますますページの後ろに「今」が見えて来るような錯覚が起きる。10ページほど読み進んで、今日はこれまで。

園芸センターに行くカレシにHマートの近くで下ろしてもらって、ひとりで買い物。日曜の午後だからすっごく混んでいたけど、すぐ退屈してそわそわし始めるカレシがいないから、棚の商品をじっくりと見て歩く。ラベルがハングルだけのものが多いけど、調理法を英語で簡単に説明する札が下がっているものもある。へえ、韓国の人たちはこんなふうに食べるんだ~。聞こえるのはほとんど韓国語なもので、ちょっぴり観光客の気分になって楽しい。(食いしん坊のワタシは世界のどこに行ってもマーケットやスーパーを「観光」するのが大好き・・・。)あちこちのテーブルで試食品を調理していたり、大きなストーブのような機械で焼き芋を作っていたり。焼き芋の売り場はすごい人だかり。へえ、韓国の人たちも焼き芋が好きなんだね。漬物を甕から売っていたテーブルにあったのは化粧箱に入って売っている九州の明太子の倍くらいある大きな明太子。コリアンスタイルと書いてある。高いけど日本のよりはずっと安いのでパックに5本入れてもらったら、おばさんが計量して値段のラベルを貼った後で「エクストラ!」と言いながら大きいのをもう1本入れてくれた。うわっ、すごいおまけ!カムサハムニダ!

新しい菜園を作るボーンミールや肥料を買いに行ったカレシの収穫はコルシカミントの苗。池を撤去してガレージとパティオの間に唯一残った「岩」が不規則な形だったので、通路の敷石との間に点々と隙間ができている。とりあえずマイクに砂利を詰めてもらったけど、そこに縁取りとして植えるつもりらしい。うん、いいよねえ、雨上がりに歩くと足下からミントの香り・・・。うん、仕事が早めに一区切りついたおかげで、何かと2人で楽しんだ週末だったね。カレシ曰く、「キミも引退すれば2人でいろんなことやれるよ。だから、早く引退しなよ」。う~ん・・・。

先週はバレンタインデーのある週ということで、ローカルテレビのニュース番組がいろんなトピックを取り上げていて、その最後が「バンクーバーは出会い砂漠」(日本流に言えば「恋愛氷河期」というところか)という話。元気な独身女性だちが男が消極的過ぎていい出会いがない!と嘆いているという話で、え、バンクーバーの男たちも草食化してるの?と思ったら、けっこういい男が「だってアプローチして振られたら嫌だ」と言うのを聞いて、なるほどっ。でも、ダウンタウンに行けば「ニッポン女子求む」という男は草食、肉食、雑食取り混ぜてまだまだたくさんいるようだし、明らかに(日本だったら絶対に婚活の対象にならないような)欠陥ありの男でも恋に落ちる(恋愛体質?の)ニッポン女子も絶える気配がないようだから、必ずしも「出会い砂漠」というわけではなさそう。まあ、娯楽系のIT/デジタル産業があるせいでオタクっぽい男が多いのかもしれないし、女性が賢くなって男を見る目が厳しくなったのかもしれないし、つまりは、需給関係のミスマッチというところか。少なくとも縁が「異なもの」であることは確か。

だけど、草食化やオタク化を抜きにしても、「デート難民」問題の根底にはデジタル育ちの若い人世代がイメージ先行型で、何でも完全保証書付き、できれば取扱いマニュアル付き、組立て不要で故障なしの「完成品」を求める傾向を強めているということじゃないかと思う。テレビでよく流れているe-HarmonyやMatchドットコムという、いわゆる恋活/婚活サイトのコマーシャルは、どれも売りは(最新のIT技術を駆使して選別した)「パーフェクト・マッチ」。画面には「完璧に合う」相手を見つけてもらって、ラブラブで幸せ絶頂のカップルがいかにも楽しそうに笑っている映像が流れる。ひょっとして、欠陥(ミスマッチ)があったら、一切不問で全額返金とか無償修理とか、新品お取替えとかいう保証書をつけてくれるのかなあ。

いつも思うんだけど、人間は死ぬまで完成し得ない、いわば「生涯仕掛品」なんであって、デザインも構成部品の形も数も千差万別なのに組立て説明書も完成図も(完成予想図さえも)一切ないし、おまけに完全保証なんてついて来ないし、(トラブルシューティングの章がある)取扱いマニュアルもついて来ない。このあたりは親として子供を育てた人なら良く知っているだろうと思うけど、まさに手探りでの関わり合い。成人した男女となればその縁も関わり合いもきっと先史時代から解き明かされていない人類最大の「謎」で、こればかりは終わり良ければすべて良しとするしかない。ひとつだけ確かなのは、人間の関わりに関する限りでは、結婚にしても友情にしても、(すぐに使える)組立て不要の完成品は金の草鞋を履いて世界の果てまで探しに行っても見つかりっこないということか。

そういえば、シリーズの最初に恋愛アナリストとかいうおばさんが「ニュースがあります。男性はあなたの気持ちを読めません」と言うので、そんなのニュースでも何でもないよ、誰だって昔から知ってることだよねえ、とカレシに振ってみたら、カレシは苦笑。あんがい女性って世の東西を問わず察してちゃんなのかなあ。でも、男には女心なんかわからないし、女にも男心はわからないんだから、ここは痛み分け。そこが縁は異なもの味なものという所以で、まあ、「味」の方は腐っていたり、カビが生えていたり、口に合わなかったりするものはペッと吐き出してしまうだろうし、たとえ口に合っても、その「味わい」は10年、20年、30年と噛んでみないとわからないかもしれない。あら、何だかスルメの話みたい・・・。

人間の権利について来る義務って何だろう

2月20日。月曜日。曇りのちちょっと雨もよう。いつの間にか風邪も首から来る頭痛も消えてしまって、連夜かなりの熟睡。よく眠れるのは何よりも気分がいいな。カレシは天気が好転してマイクが残りの作業ができるようになる日のために、裏のポーチの周りに野放図に広がっているウィンタージャスミンの刈り込み。ベースメントからの階段に沿ってトレリスを立てて植えたら、とにかく旺盛に茂って、上のポーチの周りにもびっしりと緑の壁。名前に「ウィンター」とついている通り、いつも1月から黄色い花を咲かせる。日本では黄梅とか言うらしいけど、梅の花にはあんまり似ていないような。本州の暖かいところで梅が咲き出す季節に咲くからなのかな。

寝る前にニューヨークに仕上がったファイルを送っておいたワタシは、今日からまた仕切り直して次の仕事とがっぷり。いや、これはでかいぞな。ちょっとピッチを上げてがんばらなくちゃね。今日の月曜日はアメリカが同じ月にあるリンカーンとワシントンの誕生日にちなんだ祝日で三連休。東のオンタリオ州でもなぜか「ファミリーデイ」という祝日。そういえば、元旦から次の復活祭(早くて3月下旬)まで三連休の「飢饉」が続くと言うので、2月に祝日を設けるべきという議論はだいぶ前からあったな。ファミリーデイというのはその頃から候補に上がっていたもので、オンタリオ州では4年前に施行したそうな。へえと思っていたら、BC州でも来年から2月の第3月曜日が「ファミリーデイ」の法定祝日になるという記事。へえ、ハッピーマンデーか。これでもまだ日本より祝祭日は少ないけど、ま、ご隠居と自営業の我が家は連休も週末もぜ~んぜん関係ない。

首都オタワでは、テイヴズ公安大臣がインターネットの児童ポルノ摘発の目的で警察に「のぞき見」の権限を与える法案を出したもので、連邦議会は騒然。猛反発する中道より左の野党は「プライバシー侵害」の旗を振るのは当然だけど、それを大臣が「反対するやつは児童ポルノを支持しているのも同然だ」とやり返したものでますます騒然。そこで誰かが大臣の離婚裁判記録をツイッターに流し始め、オタワの新聞社が「おとり」のリンクを送って投稿者のIPアドレスが議会お膝元の下院内にあって過去にWikipediaに左派政党を持ち上げる記事も投稿していたことを突き止め、さらにはハッカー集団まで乗り出してきてテイヴズ大臣のプライバシーを洗いざらいぶちまけると脅迫するやらで、「プライバシーの保護」を訴える抗議のつもりだったんだろうに、逆に「インターネット上にはプライバシーなぞ元から存在しない」という現実を見せつける何とも皮肉な展開になって来た。正々堂々の議論をせずにネットの匿名性を利用して相手を攻撃して黙らせようとするのが今どき流「権利」運動の手法なのかもしれないけど、それは怖いな。

他人にあれこれ個人的なことを探られたくないのは誰だって同じ。だからそこに「プライバシー」という壁を作って、知られたくないことを公にされない権利を認められているんだけど、権利というのはある意味で「特権」でもあると思う。プライバシーだって「その壁の後ろで他人を害するようなことをしない」という信頼に基づいて与えられる特権ではないのかな。だから、ワタシとしては、プライバシーを盾にしてこそこそと他人を害することをするのは信頼を裏切る卑怯な行為だと思う。犯罪を犯せば一定期間「自由」という権利を取り上げられる。国によっては犯罪によっては自由どころか「生きる権利」を取り上げられることもある。でも、悪用して他人を害しないと言う信頼に基づいて与えられた権利のその「信頼」に背いたんだから当然の報いだと思うけどな。よく権利には義務が伴うと言われるけど、「他人の権利を尊重する」義務という形で説明されることが多い。でも、ワタシは何であれまず権利を与えてくれた人間社会の信頼を裏切らないことが自分の権利に付帯する最大の義務だと思うんだけどな。まあ、裏切るようなことをするやつほどことさらに(自分の)権利を尊重しろとうるさいみたいで、人間って何なんだろうと考えてしまうけど。

何となくだけど、「人類」という地球上の生物種はすでにピークを過ぎて、徐々に衰退しつつあるという予感がしなうでもないな。あの、人間さま、だいじょーぶ?西暦3000年まで行けそう?

持続ストレス性腹ぺこ症候群だ

2月22日。水曜日。ふと目が覚めて時計を見たら「12:23」。起きて仕事をしなきゃ!といい気持ちで眠っているカレシを肘で突いて起こしたら、がばっと頭を持ち上げたカレシが時計を見て「なんで?まだ10時じゃないか」。よく見たら、ほんと、時計は「10:25」。ひょっとしたら、あまりガシガシと仕事をやりすぎて、また視力が下がったのかな。ま、なあんだということで寝なおして、起きたのは正真正銘の「12:13」。予報に反していい天気。寒気が下りて来て、週末には雪が降るかもって、冗談でしょ?

きのうは常連のところから引き合いがあって、断ってばかりでは何だからと引き受けてしまった。ほんとは立錐の余地もないところにぎゅっと押し込んだわけで、後でしわ寄せが来そうな予感がするけど、常連のお客さんはそこを曲げても大事にしないとね。だけど、今年が明ける前から仕事ラッシュだったせいか、ストレス性腹ぺこ症候群で、あまり動かないのにやたらとおなかが空く。まさにサポルスキー先生の講義の通り、気づかないうちにストレスが溜まっていて、原始時代に組まれた生存プログラムが起動して、すわ飢饉!と勘違いした脳が「大変だ、とにかく食べられるだけ食べてエネルギーを蓄えろ」と叫んでいるような感じがするな。徹夜で仕事をしたときなどはてきめんで、普通に食べても30分もすると腹ぺこ感が襲って来て、脳が「ストレス警報解除」を発令するまで2、3日は「おなか空いた~」の連発だもの。

だけど、「口がさびしい」という感覚ではない(というかこの感覚はワタシにはわからない)ので、元々しない間食をするまでには至っていない。それでも体重はやや右肩上がりで、1990年代後半のストレス太りにじわっと近づきつつあるような感じもする。やぁ~だ、どうする?あの頃は洪水のような仕事の忙しさだけじゃなくて、更年期とかカレシとのこととか、何やかやがどっと重なった「複合ストレス」で、今になって当時の写真を見ると思わず「げぇ~ッ」となるくらい太った。たぶん、難しい思春期真っ盛りの高校時代以来の太りようだったと思うな。それがカレシとの大嵐に遭遇したら、ほとんど普通に食べていたのに半年で7、8キロもやせた。サポルスキー先生によれば、あれは飢饉とは別の「戦うか逃げるか」という瞬発的なエネルギーを要求するストレスに対応するために、よけいな荷物を捨てて身軽になろうとした結果ということになる。

つまり、今は持続的なストレスにエネルギーを蓄えることで対応している状況ということか。ストレスが去って空腹感がなくなれば、体重も徐々に減って、まじめに運動をすることでBMI22くらいの普通レベルに戻るよね(とのんきに構える極楽とんぼ・・・)。もっとも、花も恥らう婚活女子なら、「デブ」と言われたら猛省して(誰のか知らないけど)基準に合わせる努力をすべきなんだろうけど、この年(あと2ヵ月で64!)になったら、ぽっちゃりを放置するのもダイエットで矯正するのも本人の勝手で、健康でさえあればいいと思う。だって、他人にスタイルがいいとかモデル体型だとか言ってもらうためにやせようとしてもよけいストレスになるだけで、身体よりも心の健康に悪いんじゃないかと思うな。(ま、ワタシとしてはダイエットなんかめんどうくさくて、やろうと思ったところでやれっこないと思っているから、負け惜しみを言っているのかもしれないけど。)

それでも、「最盛期」の水準までまだまだ余裕があるなんて言ってはいられないかな。午前4時の寝酒とおつまみ、やめてみる?やめらないよねえ。やめたら仕事の後の緊張をほぐす楽しみがなくなってしまって、それじゃあよけいにストレスかも。納期まであと2週間。原始の脳が命じるままに食べて、飲んで、エネルギーをため込むことにするか。あ~あ・・・。

また次々と家電が壊れ始めた

2月23日。木曜日。今日も予報外れのいい天気。起床は午後1時。ゆうべは地元産のイワシの燻製をつまみながら、お気に入りのシングルモルトのスコッチを傾けて、ゆったりした気分で就寝。ごみの収集日なのに、トラックの轟音でもまったく目が覚めなかったくらいの熟睡。疲れてきたのかなあ、やっぱり・・・。

朝食後に『華氏451度』を読み終えて、しばし黙考。小説としてはかなり荒削りで、人物の肉付けが足りないような気がするけど、テーマは意味深長だな。小学校時代によく読後感想文というのを書かされたけど、最終的にはもっと本を読みたい、本を読んで頭がクラクラするまでいろんなことを考えたいというのが今回の「感想文」。いつもいつも参考資料のような、要するに実用書みたいなものばかり読んでいたような気がして、ほんとに久しぶりに書物と「つながった」という実感があったから、それだけでも大きな収穫だと思う。老後の娯楽のためにと稼ぎを注ぎ込んでせっせと買い集めて来た本。リビングの壁3つにある本棚にいったい何十冊、何百冊あるやら。その本を開くのに老後まで待つ理由なんかあるはずがない。ということで、勢いに乗ってこれにしようか、あれにしようかと迷って、次はポール・オースターの『ニューヨーク三部作』。

カレシは庭仕事、ワタシは仕事。コンピュータの前に座ったら、立ち上げる前の真っ黒な画面に映ったワタシの顔・・・あ~あ、しっかり二重あごになっちゃってる。元々首が太短くてあごも奥行きがあまりないワタシ、激やせしても首を傾げると二重あごになるんだけど、少しでもぽっちゃりになると、ああ、ほんとの二重あご。何とかしなくちゃダメかなあ、これ。必要以上に食べているということは火を見るより明らかだけど、「持続性ストレス警報発令中」の脳みそは聞く耳持たずで、困ったもんだな。まあ、風邪のときのように仕事に没頭したら「腹ぺこ」メッセージをやり過ごせるかもしれないけど、後でどっと「腹ぺこ」になって元の木阿弥になる予感。

そんなときに先日のコーヒーメーカーに続いて、今度は電子レンジが急死。前の夜はちゃんと動いていたのに、次の日にはうんともすんとも言わないなんて、そんなあ・・・。何かひとつが壊れると2つ目が壊れて、2度あることが3度になるのはどうして?何年か前にも、家電やエレクトロニクスが2、3ヵ月の間に次々と壊れたことがあった。カレシは「みんな同じ組合なんだよ」と冗談を言っていたけど、5つも6つも壊れるとやっぱりちょっとばかり気味が悪かった。もっとも、この電子レンジはかなり長いこと使っているから、あんがい寿命だったのかもしれない。しばらく新しいのを買いに行く時間がなさそうだけど、普段からあまり使わないし、いざとなったらベースメントにある500ワットので間に合わせられて、あまり不便がなさそうなのが勿怪の幸いか。だけど、どうしてこういうときに限ってこういうことになるのかなあ。もしかして何かの陰謀・・・?

そういえば、先だって日本のどこかの新聞に「買ったけど期待ほどではなかった家電」の調査結果なるものがあって、トップは「食器洗い乾燥機」、次いで「衣類乾燥機」、そして「ホームベーカリー」の順だった。ワタシの三種の神器は「食洗機」、「全自動洗濯機・乾燥機」、そして「貯蔵用フリーザー」だから、ほとんど逆だな。日本の家庭では食事のたびに茶碗や小鉢の類をいくつも使うから、それを洗ってくれる機械は主婦の省力化の花形だろうと思ったけど、機械の洗い方に満足できなくて、結局手で洗い直すという人がけっこういるらしい。要するに自分でやった方が早くてきれいだということか。日本の主婦は潔癖症が多いみたいだし、期待通りに洗ってくれないのでは使えないやつになってもしょうがないな。ワタシの食洗機もたまに洗い残しのかすがついていたりするけど、ずぼらなワタシは濡らしておいてまた食洗機に入れてしまう。(おたくに食事に呼ばれたくないわ、と言われるか・・・?)

ホームベーカリーというのはパン焼き器のことらしいけど、我が家ではもう20年くらい朝食用のパンを焼いている。現在の機械はたしか7代目。最初はワタシが使っていたのに、いつのまにか自家製好きのカレシが自分の「持ち場」にしてしまった。朝食のパンを焼いている。まあ、日本はご飯を食べる文化だから期待することもかなり違うだろうと思うけど、ホームベーカリーに関しては、カナダでも買ったはいいけどキッチンのカウンターの隅っこで埃をかぶっているというケースが多いんじゃないかと思うな。貯蔵用のフリーザーは日本ではあまり使われていないから出て来なかったんだろうな。こっちでは共働きがあたりまえだし、ショッピングセンターのスーパーまで車で買出しに行かなければならないところなもので、まずどこの家にもある。我が家のは中でも一番小さい200リットルだけど、離婚する前のジムとマリルーの家には倍くらいの大きさのが2つもあった。

さてさて、二度あることは三度あるというから、次は何だろうな。テレビかな。カレシの野菜用冷蔵庫かな。それとも洗濯機かな。知らないよ。ちょっと戦々恐々・・・?

1億の絆があるはずなのになぜ孤独死?

2月25日。土曜日。きのうの朝の雪まじりの雨に続いて、今度は強風注意報発令中。高台では予報通りの「雪」だったけど、たぶんバンクーバーで一番気候温暖な我が家のあたりでは、カレシによると「大きいのが3枚か4枚」。もう来週は弥生3月なんだから。弥生って草木が芽を出して茂るという意味じゃなかった?

中小企業の年金を運用していた会社が2千億円も無くしていたという嘘みたいな本当の話。運用に失敗して損が出て、それを客に知られないうちに取り戻そうあがいているうちに2千億円が消えたということかな。日本の新聞サイトではほんの数行の電報文みたいな記事しかなかったけど、『ウォールストリートジャーナル』紙にかなり詳しい記事があった。ま、オリンパス事件以来、日本のビジネスの隠蔽体質が注目されているから。何でもリーマンショックの後の2009年頃に「利益が安定しすぎていておかしい」と警告を発したアナリストがいたそうだけど、「有名な」ところじゃなかったから、お金を預けていた企業は信じなかったんだろうな。それとも、株価も景気も不安定な状況で「安定した」利益を得ていることに安心したのかな。年金の掛け金を払っていた人たちはどうなるんだろう。中小企業で働く人たちが額に汗して稼いで、老後のために積み立てたお金なのに。

世界第3位の豊かな国でひっそりと餓死する人がいる。各国の新聞も「kodokushi」という日本語の表現をそのまま使って報道していた。かって「karoshi」という日本語がメディアをにぎわしたけど、日本語をそのままローマ字で表記するのはその国にそういう現象を表現する言葉がないから。東京圏のようなカナダの全人口に匹敵するくらいの人たちがひしめき合っているところで、電気やガスを止められたことや病気や飢えを誰にも知られずに死ぬ人がいて、それを何ヵ月も誰も気づかずにいる。部屋で死なれては迷惑だからと孤老に部屋を貸したがらない風潮さえあるという。福祉担当の役人は「プライバシーの壁に阻まれた」、薄々でも問題に気づいていた人たちも「プライバシーに立ち入るのは・・・」。ひょっとして他人のプライバシーを自分が見たくないものを見ないですませるための遮断幕にしているんじゃないかと勘ぐってしまう。

母親と幼い子供が死んだ事件では、障害児を持った母親が福祉の助けを求めなかったのは日本に「恥の文化」があるからだと言った評論家?がいた。恥じることを美徳とするのが日本文化だということはわかっているけど、それは自分に対して恥ることじゃないのかな。母親が障害児を持った自分を恥じていたということなのか、障害を持った子供のことを恥じていたのか。漢字を見るとわかるけど「恥」は「心の耳」、つまり自分の「良心の耳」だと思うんだけど、日本の美徳とされる「恥の文化」は世間が見たくないものを見せるなかれということのようで、だから助けを求める(つまり見たくないものを見せる)人には「恥を忍ぶ」という屈辱(罰)を与えるのかもしれないな。あんまり人に優しいようには思えないけど。

母親が自分自身を恥じるのは勝手だけど、障害を持って生まれてしまった子供のことを恥ずかしいと思うのは、子供の人格を否定することではないかと思う。出かけるのに着るものがない言うのと変わらないように思う。ほんとうに着るものがないんじゃなくて、自分が恥ずかしくない(つまり他人の目に映える)ものがないということが多い。最近の小町にもファッション感覚ゼロの友人と一緒にいるところを知り合いに見られたら恥ずかしい、どうしたら友人を変えられるかという相談があったけど、これも友人は着る物と同じで自分が他人の目に映えるための小道具でしなくて、だから自分が世間に対して恥ずかしいと、見事に友人の人格を否定している。理解しがたい心理だけど、小町横町にはそういう住人がひしめきあっているから、やはり文化の影響かな。いつの時代か誰かが元々美徳であった文化を都合がいいように定義しなおしたのかもしれない。見たくないものを見ないで済む、つまり問題を隠蔽すれば対応の努力をせずに済むんだから、こんなに楽なことはない。

他人が窓にカーテンをしていないために家の中が見えてストレスになるという感覚も、ワタシには理解できないけど、小町横町には多数派なのかと思うくらいたくさんいるらしい。人間、意識していないものは見えないんだから、見えるということはつまり見ているということじゃないのかな。見てストレスになるんだったら見なければいいのにと思うけどね。そりゃ素っ裸でいるのが見えて不快だというのならまだわかるけど、自宅で日常生活を営んでいる人たちに向かって、見えるのがストレスになるから見えないようにしろというのは、俗に言う逆切れってやつじゃないのかな。「私がストレスを感じなくて済むようにカーテンの陰に隠れて暮らせ」、つまり「私」の視界から消えろと言っているようなものだと思う。きっと自分の視界のどこまでが自分のスペースなのか、つまり、どこまでが自分でどこからが他人なのかがわかっていない人なんだろうな。

自分と他人の区別を心理学ではバウンダリー(境界線)と言うけど、自分の境界線が見えないということは「自分」が果てしなく漠然と続いているような感じなのかな。そういう状態では漠然とした不安感が起こってもおかしくはないかもしれないな。常に漠然と不安を感じているところへ他人が視野に入ってくると、その他人はその人自身のスペースにいるだけなのに、視野の持ち主はその他人を別のスペースにいる人格として認識できないから自分のスペースを侵犯されたように感じてストレスになってしまうのかもしれないな。漠然とした不安を呼び起こすものは「見せるな」、「隠せ」、心の耳に不快に響くものは「聞かせるな」、「黙れ」という「恥の文化」を作り上げたのは、いつの世だったのか知らないけど、あんがいそういう人たちだったのかも。

それじゃあ人と人の間の空気は薄くなるだろうし、絆も切れてしまうだろうな。中小企業で懸命に働いて、老後のために払い込んできた年金を知らない間にごっそりなくされた人たちに飢えて孤独死するような運命が待っていないことを祈るばかり・・・。


2012年2月~その1

2012年02月16日 | 昔語り(2006~2013)
おかげさまで創業満22周年

2月1日。水曜日。ドンッ、ドンッという地響きのような音で目が覚めた。まだ午前10時前。へえ、マイクがパティオや通路の地ならしをしているのかなあと思いつつ、うとうと。時おりガーッとコンプレッサの音がして目が覚めて、静かになったと思ってうとうとしたら、またドシン、ドシン。窓がピリピリ、棚のものがカタカタ。とうとう11時過ぎに起きてしまった。外は絶好の工事日和・・・。

キッチンへ下りて行って、びっくり仰天。裏口のポーチの遮蔽壁がない。手すりもない。ドアを開けてそっとのぞいて見たら、階段までなくなっている。もちろん、ポーチの階段の改修はプロジェクトに入っていたんだけど、何で今?マイクが連れてきた2人息子のひとりが初めてなので、まず「これ、スコット」と紹介。最初に来たのは物静かなキャメロン君、次に来たのは農業の勉強をしていると言うアンドルー君。で、今日はアンドルー君とスコット君か。親父の指揮で黙々とシャベルを振るって土方仕事をするけっこうイケメンの息子が(少なくとも)3人。いやあ、チーム・フィリップスは金メダルものだねえ。

目を細めていたら、「ちょっとアイデアがあるんだけどね」とマイク。階段の方向を90度変えて、家の壁沿いにパティオに着地するようにしたら、そこから唯一残した池の石壁に沿ってガレージまで続く道のデザインがすっきりする。あはは、ポーチの階段、元は壁沿いに付いていたのを、池と滝を作ったときにガレージへのアクセスが不便になったもので、90度方向転換したのだった。つまり、また元の配置に戻るってこと。今日のカレシはちゃんと話を聞いて、ちゃんと質問をして、玄関から裏庭に回って実際に歩いてみて、「その方が合理的だと思う。じゃ、そうしよう」と賛同。ほ~ら、冷静に考えて合理的に話をすれば、普通の人は「何だ、こいつは」なんて思わないし、互いに聞く耳を持って話をすれば、たいていのことはうまく行くものなのよね。嫌なやつだと思われたくないという思考が先に立ってヘンな防衛線を張ってしまうと、自分が思っていることは言葉にしないで相手に推察させようとしがち。でも、相手は読心術者ではないから気持は通わない。けっこういるみたいだけどね、そういうおんぶに抱っこ式でコミュニケーションしようとして、わかってくれない、理解力がない、気遣いできないと相手の方を非難する人。ま、一種の責任転嫁なんだろうけど・・・。

早くも2012年は最初の月が過ぎ去って、2月1日の今日はワタシのフリーランス在宅ビジネスの創業記念日で、満22年。今日から23年目が始まる。早いもんだなあ。「家にいてできる仕事だから」と言うカレシに背中を押されるようにして旗揚げしたんだけど、1990年2月1日のあの日、出勤するカレシを送り出して静かな家の中で、ひとり設備投資第1号のマックの前に座ったワタシ、う~ん、どんなことを考えていたんだろうな。寒い日だったような気がするな。独り立ちはしてみたものの、いったいいつまで潰れずに続くのか、どれだけ長く続けられるのか、どれだけ仕事が入ってくるのか、急に仕事が来なくなったらどうするのか・・・そんなことまでは想像もできなかったような気がするけど、今となっては覚えていない。いったい、続けられなくなったとき、ありは続かなかったとき、どうするつもりだったのか。ふ~ん、リスク管理もへったくれもあったもんじゃないな、んっとに・・・。

それでも延々と22年もやって来られたのは、自分を「翻訳家」じゃなくて、翻訳と言うサービスを売る「ビジネスウーマン」だと自負していたからかもしれないな。フリーランスの在宅稼業というのは、カレシが期待したように家事の合間にちょこちょこっとやれるもんじゃない。キャリアとして生計は立てるなら、仕事の手が空いたときに家事や育児をするくらいでないと長くは続かない。両立できないと愚痴るよりも前にお客の方がいなくなってしまうのが現実で、主婦の小遣い稼ぎのアルバイト気分でやっていたら、どんなに才能があっても長くは続かないと思う。まあ、ワタシの場合は、英語が口達者だったのと、どんな仕事が来ても怖いもの知らずの強心臓でがっぷり四つに組んだのと、早くに「納期」は絶対だということを肝に銘じたことがプラスに働いたのだと思う。

カレシとのことや、倒産する前に自主清算するつもりでいながらその3日前まで何食わぬ顔で仕事を送って来て1万4千ドルの不良債権を残して逃げた客のことや、まあ、何かといろいろとあったけど、常に安定しない売上の22年間の累計は155万ドル。あのまま秘書稼業を続けていたらたぶん5、60万ドルがせいぜいだったと思うから、大学卒の「学歴」なしで飛び込んだワタシとしては、たいしたもんじゃないの、とほめてもいいかもしれないな。でも、ワタシにとっては稼ぎの多寡よりも、人との関わり方を学べたことが何にも代え難い報酬だと思う。まぶしいくらいな学歴や肩書き、職歴のクライアントや同僚がわんさといる中を犬かき泳ぎで溺れずにここまで来られたのは、そういう人たちとの出会いがあったおかげなんだけど、それも突き詰めて考えると、動機が何であれワタシの背中をごり押ししたカレシの「けがの功名」ってことになるかなあ。

ま、人生ってほんとにフォレスト・ガンプのチョコレートの箱のようなもんだな。箱の蓋のイラストはきれいでおいしそうだけど、開けてみないと実際にどんなものかわからないし、食べてみないとどんな味がするのかわからない。ワタシのはいろんな味がして、それぞれにおいしかったと言えるだろうと思う。やっぱり運が良いんだろうな。さて、もののついでということもあるから、いっそのこと切りのいい満25周年まで突っ走ってみる・・・?

同じ餅でも鏡餅とあんころ餅では大違い

2月2日。木曜日。工事の音で目が覚めることを想定して少し早めに寝たのに、工事よりも早い午前8時に道路清掃車の轟音で目が覚めてしまった。お化け掃除機に四輪を付けたようなものだから、まず音がすごい。それをのろのろ運転で走らせるから、轟音がいつまで経っても遠ざからない。これまで1年に2度、3度来るか来ないかだったのに、今年に入ってからたぶんこれで4度目か5度目。我が家の外の道路に週一で掃除機をかけている勘定になるけど、なんで?(今日は午後にも一往復して行った。ほんとに、なんで?)この調子だと、道路に落としたせんべいを拾ってそのまま食べられるくらいにきれいになるかも。ひょっとしたら、道路にゴミひとつ落ちていても気になってイライラするような人が市の衛生部に採用されたとか・・・?

やっと静かになって少しまともに眠れて、11時に起床。いつのまにか道路わきに砂利が配達されていて、アンドルーとスコットがシャベルで手押し車に移しては裏庭に運んで、通路に敷いていた。敷き固めた砂の上に雑草を通さないためのシートを敷き、その上に砂利を敷き詰めて行く。カレシが何年も自分でやる、やると言っていた作業だけど、見ていたらひとりで午後のひとときを使ってちゃっちゃとできるようなものじゃない。そのカレシ曰く、「自分でやらなくてよかったなあ」。午後にマイクがパティオに敷くコンクリートのスラブを持って登場。ここも砂の上に雑草除けシートを広げて、30センチ四方のダークグレイのスラブを、水準器を使いながらきっちりと敷き詰める作業。後でスラブの間に細かな砂を掃き込んで固定するんだそうな。カレシがパティオを作ってくれると約束したのはもう数年も前だったけど、実現しなかったわけがわかるような気がする。スラブをおけばいいってものじゃないのだ。ま、やっぱり餅は餅屋ということ・・・。

さて、今年度からカレシが経理を担当してくれることになって、ワタシが買ったままインストールせずにいた経理のソフトを自分のコンピュータに入れて、ワタシ会社の経理課ができた。毎月でもさしたる出入りのない微細ビジネスだけど、それでも会計処理はけっこうめんどうくさい。めんどうくさいから、ついつい帳簿付けをさぼっては売上税申告のときに数字がない!と慌てることになる。12月31日終了の2011事業年度はまったく帳簿をつけていないから自分でも呆れ果てるけど、そういうめんどうなことを月末に売上税の四半期申告の期限が迫ってカリカリしていたワタシを見かねた?カレシがやってくれるというので、これ幸いの渡りに船と俗に言う「靴の箱」に放り込んでおいたレシートやら請求書やらをハイッ・・・と思ったら、勘定科目表を設定するのに、何がどこへ入って、どこから出るのかといちいち聞いてくる。請求は売上と売掛金、入金したら銀行と売掛金、クレジットカードでオフィス用品を買ったら経費と買掛金、請求が来て払ったら銀行と買掛金・・・。

だけど、だけど、なんで?昔ベニスの商人が考案したというこの複式記帳法って世界の常識じゃなかったっけ?で、借方と貸方の帳尻が合うと貸借対照表というのが出てきて、ついでに損益計算書というのが出て、ビジネスが困るくらい儲かっているのか、赤インクの中に沈没しかけているのかがわかる、と。あのさ、アナタって、経済学と会計学の学位と会計士の資格を持っているんじゃなかったっけ・・・?カレシ、にっこりして曰く、「会計(accounting)と簿記(bookkeeping)は畑が違うんだ。ボクは会計士(accountant)であって簿記係(bookkeeper)じゃないから、帳簿のつけ方なんて大学で習ったけど覚えてないよ」。ふ~ん、餅は餅屋だと思ったけど、同じ餅でも鏡餅とあんころ餅の違いがあるってことか。

そうか、会計士だからって金勘定ができるってわけじゃないのか。つまり、簿記係は会社(自分)のお金の出入りを知っているけど、会計士は人さまのお金の使い方にああだこうだと意見をするのが仕事だから、必ずしも自分のお金の出入りを管理できているわけではないということか。それで、カレシも我が家の経理をワタシに丸投げしたわけか。なるほど。でも、たまには監査のひとつもやらないと、明朗会計かどうか(あんころ餅にちゃんとあんこが入っているかどうか)わからないと思うけど、いいの・・・?

英語の勉強が重要なのはわかっちゃいるけど・・・

2月3日。金曜日。今日はやかましい道路清掃車も来なかったし、マイクと息子たちも資材調達の寄り道で午前11時過ぎまで来なかったので、きのうの寝不足を少し取り戻した感じがする。起きたところでマイクたちが登場して、20分ほどで建材屋のトラックがれんがサイズの敷石と階段を作る木材をクレーンで歩道に下ろして行った。今日もいい天気の工事日和。

今日はまずちょっと小さめの英日の仕事をひとつ片付けてから、月曜日にねじ込まれた(と言うよりは、例によってワタシがつい食指を動かしてねじ込んでしまったんだけど)に取りかかる。これもなぜか裁判関係の書類だけど、内容はもっと人間味があっていい。月曜日からはまた先週までやっていた大きな仕事の(もっと大きい)第2弾と格闘しなければならないから、ぐずぐずしていたらまたぎりぎりになってしまいかねないもの。やれやれ。ストレッチのために立ったときに窓から裏庭をのぞいたら、息子たちが土方仕事をしているそばで、マイクがポーチの階段を作っていた。電動の鋸で2本の桁にジグザグと切り目を入れて、ポーチに取り付け、踏み板を取り付けるだけの簡単なものだけど、踏み板の奥行きを古いのより深くしてくれたので安全性もアップ。材料にヒノキの親戚のレッドシーダー(米杉)の心材に近いところを使ったので、ほんのり赤みがあって、ヒノキのようないい香りが漂ってくる。ピカピカの階段、歩くのがもったいないような・・・。

英日の仕事は小さい割には難しい単語がぞろぞろ出てくるから、最近愛用しているオンラインの辞書のやっかいになる。日本語を検索しているときは出て来ないので気がつかなかったけど、英語の単語を入れると、横の広告が並んでいるところにその単語の「学習レベルの目安」というのが出て来て、これがなかなかおもしろい。「レベル」を表す数字があって、その下に「学校」、「大学入試」、「英検」、「TOEICスコア」の各レベルが出て来る。試しにたまたま目に付いた「remainder」という単語を入力したら、「レベル」は7、「学校」は大学以上の水準、「大学入試」は最難関大対策レベル、「英検」は準1級以上合格に覚えておきたい単語、「TOEICスコア」は730以上取得に覚えておきたい単語、と出てきた。へえ、おもしろいと思って、もうひとつ原稿にあった「resumption」という単語を入れてみたら、レベル11で「英検1級以上合格に覚えておきたい単語」だって。え、英検て「1級」より上があったっけ?

まあ、じきに飽きて仕事に戻ったけど、誰がレベルを決めたんだろうな。お試しに入力した単語はどっちもちょっとかしこまってはいるけど、ニュースなんか聞いているとけっこう普通に使われているから、さっぱりピンと来ない・・・と思っていて、ふと気がついた。これ、日本で「ある試験のある級に合格するための目安」ということじゃないの。つまりは「お受験英語」の一種かな。ということは、英検は2級の試験を受けるんだから、TOEICは600点を目指しているから、どっちの単語も覚えていなくてもいいという理屈にならないのかな。要するに、「どこまでやればいいんだ?」という、まあ、力の出し惜しみのための目安のようなものか。そうなったら、せっかく勉強するエネルギーがもったいないような・・・。

そういえば、先週だったか日本の新聞に、文科省の教育政策の研究機関が中学3年生に英語学習について調査をした結果が出ていた。それによると、「どちらかというと」を含めて85%が「英語の学習が大切」と答えたそうで、「英語を学習すれば好きな仕事につくことに役立つと思うか」という質問には「どちらかというと」を含めると70%が肯定的で、2003年にやった前回の調査よりも23ポイントも増えていたとか。ほお、いいことじゃないの・・・と思ったら、英語が好きと答えたのは22%、どちらかと言えば好きと答えたのは30%。さらに、「将来、英語の勉強を生かした仕事をしたい」と答えたのはたったの11%で、逆に実に43%が「生かした仕事をしたくない」と答えたそうな。読売英語版では、「グローバル時代で英語学習の重要性はよくわかっているけど、英語の勉強をしたくないのか、するのがめんどうくさいのでしょう」と研究者がコメントしていた。なるほど、「わかっちゃいるけどめんどくさい」ということか。

でも、海外の大学への留学は激減しているそうだけど、町かどの語学学校にはまだまだ英語留学の日本人がけっこう来ているらしい。英語を話せたら、もっといい仕事につけるかもしれないと思って来る人が多いんじゃないのかなあ。特に近頃は求人の条件にTOEICのスコアが何点以上というのも増えているという話だし、「英語を使う仕事なんかしたくない」なんて言ってていいのかな。東京の大きな本屋には英検やTOEICの受験対策の本がずら~っと並んでいて、立ち読みしている人たちもずら~っと並んでいたけど、あれは中学校のときに「めんどくさ~い」といってまじめに英語の勉強をしなかったツケが回って来た人たちなのかな。「やれない、やらない、やりたくない」は後で高くつくということだと思うから、学校でちゃんとやっておいても、少なくとも損にはならないと思うんだけどなあ。

人間、どんなときでも息抜きはしないと

2月5日。日曜日。今日もいい天気で、(夜は冷えるけど)気温は右肩上がり。何だか厳寒のヨーロッパや日本に申し訳ないような。ワタシはよく眠れたけど、カレシは鼻水が出て、咳が出て、よく眠れなかったとぼやくこと、ぼやくこと。(でも、鼻水にイライラしてもむずからない努力はしているような感じだから、ありがと・・・。)ひょっとしたら風邪かなあ。インフルエンザの予防注射はしたんだし、特に蔓延しているというニュースもないから、風邪だとしてもただの鼻かぜだろうと思うけど。

それにしてもヨーロッパに居座っている大雪と寒波は桁外れに異常だな。東欧ではホームレスの人たちの凍死が多い。寒波の日本ではホームレスの人たちはどうしているんだろうな。河川敷や公園に青いテントが点々と見えたし、新宿の高層ビルに囲まれた公園の中を夜通ったら、昼間にはひとつもなかった青いテントがたくさんあってびっくりした。あの人たちはどうやって皇居のお堀に氷が張るような厳しい寒さをしのいでいるんだろうな。キリスト教社会で教会がよくやるように、たくさんあるお寺や神社が広々とした本堂や本殿を開放して、ホームレスの人たちが寝られるところを提供するということはないのかなあ。もしかしたら、ホームレスだと凍死しているのが見つかってもニュースにはならないのかな。だから、迷惑というレベルの問題ではあっても、社会問題とは思われないのかもしれない。Out of sight, out of mindということで・・・。

バンクーバーにもホームレスの人たちがたくさんいて、寒くなると市や福祉団体がやっている臨時シェルターや教会に収容する。特に寒波が来たときは、警察官や福祉団体の人たちがホームレス人口の多い区域を回ってシェルターに行くよう勧めて歩くんだけど、頑として拒否する人も多いらしい。理由はいろいろだけど、強制収容するわけには行かないので、そうできるような市条例を(左翼会派の市議会が)作ろうとしたら、「反貧困活動家」たちが、拒否する人を強制的にシェルターに連行するのは「拉致だ、人権侵害だ」と抗議したもので、条例案は結局そのままになってしまったらしい。いくら凍死させないための人道的処置であっても、成人である本人の意思に反して強制的にシェルターに引きずって行くのは、その人の自己決定権の侵害、人権蹂躙だというのはたしかに正論だけど、もしもそうやって拒否したホームレスの人が凍死したら、人権云々を掲げて反対した連中が、今度は警察や市や市民が見殺しにしたと、義憤やるかたなしとばかりにテレビカメラに向かって社会を糾弾する。いったい何をどうしろといいたいんだろうな、この手の「活動家」って。

さて、きのうは今日午後4時が期限の仕事があったのに、久しぶりのコンサートに行ってしまった。どうしようかと迷ったけど、月曜日からまた1ヵ月は雪崩の中に閉じ込められるから、ここで息抜きしておかなきゃと思って、仕事を放り出しておでかけ。テーマはロシア音楽。前半の3曲目はアレンスキーによるチャイコフスキーのテーマの変奏曲だったけど、ちょっと趣向を変えてバイオリンとビオラの奏者を全員立たせて演奏。普通は椅子に座っているから、弓の動きがきれいに揃って見えるけど、全身が自由になったら演奏スタイルの個性が出て来て、見ているだけでもおもしろい。直立不動のままの人、体が左右に揺れる人、前後に揺れる人、渦巻き型に揺れる人がいて、弓の方向もばらばら。でも、元々うっとりするような曲の表現上の「ひだ」が豊かになったように感じられて、ますますうっとりして聞き入ってしまった。

後半は『ピーターと狼』。近々ある子供コンサートで、大きなホールいっぱいの「教育ママにいやいや連れて来られた」子供たちの前で演奏するんだそうで、マエストロはナレーションを担当。「そのリハーサルのつもりです」とやって笑わせて、まずは登場人物と楽器の説明。副指揮者がオーケストラを指揮する中、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、ピーターは弦楽器、猫はクラリネット、おじいさんはバスーンで、「こわ~い狼」はフレンチホルン等々。マエストロがなかなかの役者なもので、みんないつの間にか絵本を読み聞かせてもらっていた頃の子供に戻ったような気分。これだったら、クラシックコンサートなんかや~だよ~とふくれっつらで座っている子供たちが相手でもぜったいに大丈夫だよ、マエストロ。

久しぶりのコンサートを満喫して、すっかり楽しくなって帰ってきたら午後11時ちょっと前。ずいぶんと気持が高揚したと見えて、ランチの後で放り出した仕事にかかったら、猛烈な勢いで、しかも楽々と進んだから自分でもびっくり。今日の納期には余裕で仕上がってしまった。『ピーターと狼』のロンドン初演は第二次大戦中のドイツ軍による空爆が続いていたときだったそうだけど、大人は戦争をしていても子供たちには楽しい時間を与えなければということだったらしい。うん、どんな非常事態が起こっていても、どんなに多忙であっても、人間は息抜きが必要なんであって、たとえ束の間であっても「楽しいなあ」とか「気持がいいなあ」と感じることでがんじがらめになっている心が自由になったら、難局を乗り越えられるだけの余裕ができるということかな。

なぜか急に風邪引きが2人

2月6日。月曜日。ゆうべは風邪気味のカレシとゆ~っくりとお風呂で温まって寝たもので、目が覚めたらなんともう午後1時。揃って9時間も眠った勘定で、カレシは一度だけ咳で目が覚めたけど、おととし東京から持ち帰った浅田飴が効いてすぐに眠りに戻ったとか。それでも、「キミがひどく咳き込んでいるときの辛さがよくわかったよ」とのことで、なんで今頃になってという感じもしないではないけど、人の痛みがわかるというのは人間の器に余裕があるということだと思うから、カレシも心にちょっぴり余裕ができたのかなあ。だったらいいね、少し生きやすくなるから。

だけど、今日もいい天気で、ポーチの温度計は12度なのに外は静か。マイクはまだ来ていないのか、それとも予定が変わったのか。裏庭の改修工事はあと2、3日で95%くらい終わりそうな感じだけど、週の後半はまた天気が崩れるとの予報だから微妙だな。と思っていたら、マイクから「風邪を引いた」とのメール。ありゃ。「子供が学校から持って来るんだよ」。あら、キャメロン、アンドルー、スコットの他に、まだ学校に行っている子供もいるの?へえ、マイクは子福者なんだ。ま、それはともかく今日は仕事は休み。お大事にメールを送っておいた。カレシと同時に風邪って、ひょっとして共通の感染源かなと思ったけど、ウイルスをやり取りするほど近くで過ごしたわけじゃないから、まあ、ふつうに風邪が流行っているってことか。

朝食が終わったらもう午後2時。ぐずぐずしていると夕食のしたくの時間になってしまう。今日から2週間の予定の仕事にかかる前に、電気料金、電話料金、ワタシの経費用のクレジットカードの支払。隔月で請求される電気料金は11月半ばから2ヵ月の1日あたりの消費量が87kWhで、去年の同じ期間の103kWhよりぐんと少ないのに、請求額は去年より多い。「向こう何年間で合計十何パーセントの値上げ」ということで、いつの間にかじわじわと上がって行く仕組みになっている。ま、うちは夜型の生活だし、暖房を含めてすべて電気で、おまけに冬は温室の暖房があるから高いんだけど。でも、使用量データが自動的に送信されるという「スマートメーター」を付けて行ったんだから、夜間料金とか深夜料金といった使用時間帯に合わせた料金体系にできるだろうと思うんだけど、そうなったら夜行性生活の我が家の電気料金はぐんと安くなるのになあ。ま、使ったものは払うっきゃないのはわかっているけど・・・。

支払のついでにちょこっとネットショッピングして(七分袖のTシャツばかり9枚)、裁判関係の仕事にかかる。今度のはスキャンした文書なので文字数はカウントできないけど、クライアントの推定では原稿用紙換算で100枚。とすると2万語くらいかなあ。でも、何しろページが真っ黒に見えるくらい漢字だらけの文書だし(英語の単語数が増える)、例によって「もっと直訳」の注文どおりにやったら3万語くらい行ってしまいそうだなあ。3万語を2週間でやるのはかなりきつい。でも、1枚目をやったところで、どうやらその先何十ページは元々英語の文書だったものを日本語に訳したものらしいとわかった。つまり、英語の原本がどこかにあるということだけど、ま、ことがことなので発注元は相手方に「原文をください」なんて言えるわけがないし、日本語が読めないから翻訳させるわけで、元が英語だということも知らないんだろうな。まあ、いわゆる「逆翻訳」というのは翻訳者にはけっこうおもしろくて、直訳に近いほど原文が訳文から透けて見えるから、用語さえ押さえれば意外に楽だったりする。英語の原文とワタシの英訳を比べてみることができないのがちょっと残念であるけど。

今夜のランチは、鼻づまりがして、声がおかしなカレシのためにスロークッカーで作る「何ちゃらサムゲタン風」チキンスープ。ママのチキンスープというのはユダヤ系の「コンフォートフード」(一種の「おふくろの味」かな)だそうだけど、これは高麗人参を入れてアジア風。だけど、たまたま冷蔵庫の引き出しにあった玄米の「モチ」を切って、トースターオーブンで少し膨らませてから入れてみたら・・・あちゃ、モチは跡形もなくなって、とろとろのスープになってしまった。あらあら。まあ、体が温まりそうでいいんだけども・・・。

わが子を殺して被害者を装える親

2月7日。火曜日。今日もいい天気。早寝したのに、外が静かなものでつい正午まで寝てしまった。マイクは今日も休み。明日あたりからまた何日か雨の予報なのを気にしていたけど、風邪が1日で完治するわけがないからしょうがない。カレシは鼻づまりが治ったけど、今度はドナルド・ダックが風邪を引いたようなかすれ声。声、出なくなるのかな。ここはあまりしゃべらないで喉の養生をした方がいいんじゃないのかな。(あんがい静かで仕事がはかどるかも・・・と、イジワルなことを考えるワタシ。)

朝食後のコーヒーを飲みながら開いた今週のMaclean’sには、オンタリオ州でのアフガン人移民家族の「名誉の殺人裁判」の特集記事。アフガニスタン、ドバイ、カナダと移動して来た一家の背景に始まって、事件に至るまでの数ヵ月は公表された事件の記録や裁判での何十人もの証人の証言から、刻々と日を追う形に組み、事件後の捜査の詳細や尋問での受け答え、検視医の報告などを、雑誌の半分くらいを割いて詳しく総括している。少女たちが何度もいろいろな機関に助けを求めたのに、制度の欠陥や判断の誤りが重なって、自由の国カナダは「自己決定権」を含めてその自由を享受しようとした彼女たちを救うことができなかった。裁判で検察側の証人として出廷した親族たちは今、一族やアフガン人社会から村八分に会っていて、身の危険さえ感じるという。ワタシは、父親と長男の揺るぎのない「歪んだ名誉観」に、読んでいるうちに恐怖で体が震えて止まらなかった。

裁判長が「冷血な殺人者」と評した父親は、沈んでいた車から娘たちの遺体が発見されたときに、テレビカメラに向かって愛児を失って悲しみにくれる親を演じて見せた。容疑がかけられた後もくるくると変わる嘘の数々。最後までその嘘が通じると思っていたふしがあると言うくだりで、あるジャーナリストが「真実は明かさずに相手が期待していることを言う文化なんです」と言っていたのを思い出した。(そのときは漠然とあの地域も「空気を読む」文化なんだなあと思っただけだったけど。)常に風景が変化する砂漠から生まれる文化なのかもしれない。そういう風景の中には「絶対的な真実」なんて存在し得ないのかもしれない。真実が存在しないから、根本的に「他人の目に映る自分」でしか自分の人間としての価値を測ることができないのかもしれない。よくわからないけど、わからないでもないような気もする。それも何だか怖い・・・。

今度の事件で、これから異文化に盲目的に寛容であることを善しとする、いわゆる「多重文化主義」に疑問を持つ人たちが増えるかもしれない。カナダ人であるということの意味を改めて問う人たちもいるだろう。この国には、どこから見たって普通のカナダ人で、カナダ人であることに誇りを持ちながら、民族のアイデンティティや誇りもしっかり持ち続けている人たちはたくさんいる。おりしもバンクーバーでは移民異文化や宗教に根ざした家庭内暴力の芽を最悪の事態に至る前に摘み取ってしまうにはどうしたらよいかという会議が開かれていて、ここでは「名誉の殺人」を「報復の殺人」と呼んでいた。まさに。男の専制支配に反旗を翻した、つまり男の(内弁慶的)プライドを傷つけた女への「報復」以外の何ものでもないと思う。たまたまそういう器の小さい人間たちが「不変」というもののないところで多数を占めたことで、そういう民族の価値観ができ上がったのかもしれない。だけどなあ、文化だの宗教だのと偉そうなことをいうけど、世界中どこにでもいるモラハラ、DV人間と変わらないじゃないの。人間としての器、ちっこいよ、ほんとに。

それにしても、どうしても、どうしても、どうしても理解できないのは、実の子供を自分の手で殺した親が、子供の行方がわからなくなった、一刻も早く無事で帰って来て欲しいとメディアの前で涙を流して見せられる心理。どうしてそんなことができるのか。日本でも前に何度もあったし、つい最近もあった。カナダでもあった。アメリカでもあった。ヨーロッパでもあるだろう。世界のどこでも同じことが起きる。いったい誰を、何を欺こうとしているんだろうな、あの人たち・・・。

幸せを2倍にするためにひたすらがんばる

2月8日。水曜日。正午に起きたら、予報通りの雨。カレシの声はだいぶ平常に戻ったけど、今度はワタシの鼻がむずむずする。し~らない。でもまあ、座業だから、風邪のひとつやふたつくらい何とかなるでしょ。だけど、一日ほとんど座りっぱなしでキーを叩いていたもので、背中が痛くなって来た。少しストレッチしなきゃ、と思い切り腕を伸ばしたら、ああ、二の腕も痛い・・・。

この2日ほど新しい方のPCとネットブックを新しいプリンタに接続しようとあれこれやっていたカレシ、どうやら成功したようで、「テクニシャンに出張してもらわないで済んだ」と鼻高々の顔。デスクの配置換えをした後に設定しようとしたときにどうしてもうまく行かなくて、癇癪を起こしたあげくにドライバをアンインストールしてしまっていたのを、思い直して(仕事に没頭しているワタシの後ろで)ごそごそ。難航したらしいけど、HPのサイトで調べたりしてやっと成功。これで4台のコンピュータ全部がひとつのプリンタを共用できるようになって、めでたし、めでたし。

と、思ったら、今度はスライドやネガをデジタル化するキカイをいじり始めた。何年か前のクリスマスにプレゼントしたものだけど、「そのうちに・・・」と使わずにいた。10年以上もボランティアでやってきた英語教室を「諸般の事情」で無期休講にしたところなので、手持ちぶさたになったのかな。我が家の旅行の写真はなぜかほとんどがスライドで、デジカメになるまでの20年分くらいあるんだけど、プロジェクタを処分してしまってからはいくつもの段ボール箱に入ったままになっていた。それをデジタル化しようというわけだけど、古いものは劣化が進んでいて、Photoshopで修正しなればならないとか。

スライドからプリントした写真のアルバムが見つかったと言って見せてくれたのが20年近く前の旅行の写真。「キミはちっとも変わってないねえ」。(おせじぃ~。)「ボクなんか、腹が出ちゃって」。う~ん、今のアナタの方が渋くていい男だと思うけどなあ(おせじぃ・・・なんかじゃないよ)。でも、なつかしいなあ。一緒の旅行の思い出が記憶からすっぽりと抜け落ちてしまったのはもう10年以上も前になる。自分ひとりのことはよく覚えているのに、2人一緒にどこへ行って何を見たのかは思い出せなくて、カレシが話題にしても覚えていないとしか答えられないのが辛かった。最近は断片的ばイメージを思い出すこともあるようになったけど、こうやって古い写真やスライドを見たら、2人の「楽しい思い出」が一気に蘇るかもしれないなあ。

仕事戦線は、ニューヨークから「今の仕事の後の予定はどうか」というメールが来て、ぎょぎょっ。このプロジェクト、仕事がわんさかわんさか入って来ているんだそうな。3月の半ばまで仕事、仕事で「生活する」時間もないと返事をしたら、「3月半ばまでダメだなんてすごく悲しいよ」と来た。どうやらこのコーディネータ氏、その頃を狙って仕事を送り込むつもりでいるらしい。カレシ曰く、「気に入られたんだよ。覚悟した方がいいぞ~」。まあ、仕事があってこそのフリーランス自営業なんだけど、この調子だと写真を見て思い出にひたる暇も、ブログでのんきにぼやいている暇もないかもしれないなあ。

カレシ曰く、「キミが好きでやっていて、やりがいを感じているんだったら、ボクは応援するよ」。でもなあ、こういうクランチタイムになると、ほんとに好きでやっているのかどうかわからなくなることもある。ま、一番確かなのは、お金は好きだってことくらいかな。そう、お金では幸せは買えないけど、今の幸せを2倍にしてくれるってね。引退してからの2人一緒の幸せを2倍にするつもりで、ここはとにかく、ひたすらがんばる!

風邪の特効薬は仕事とホットラム

2月12日。日曜日。相変わらずぐずぐずした天気。でも、起きてみたら、きのうよりは少し調子が良いような。見事にカレシからもらってしまった風邪。カレシは声が出なくなりかけたけど、かなり急速に回復中。ワタシも同じように軽く済むかもしれないと思っていたら、咳が出てきて胸がぜいぜい。とうとう軽い気管支炎の様相になってきた。やれやれ。それでも、どよんと重い頭やしきりとざわざわする背中から注意を逸らすつもりでひたすら仕事に没頭していたら、いつの間にか予定より先に進んでしまったから、我ながら呆れる。おかげで、今日1日は予定外の休養日。木曜日は1日わきめもふらずに仕事をしていたら、夕食後のコーヒーがマグに半分しかなくて、コーヒーメーカーが頓死したことが判明。なんでこんなときに!と思うけど、こんなときに限って何かが起きることになっているらしい。翌日の朝食のコーヒーはエスプレッソを入れて、ミルクを泡立ててカプチーノ・・・と思ったら、あら、泡立て用のポットでいくらやっても泡が立ってくれない。どうも乳脂肪1%のミルクでは泡が立たないことになっているらしい。おかげで朝のコーヒーは予定外のラテに。仕事が思ったより進んでいると言うことで、何となく園芸センター行きを予定していた金曜日の午後は、まず新しいコーヒーメーカーの調達ということになった。同じデパートだからということで、ついでに使い切った炭酸水メーカーのカートリッジも取り替えてもらう。さらに同じデパートだからついでのついでに切らしているワタシの化粧品も買おう。

その前に郵便局の私書箱からたまった郵便を引き取ったら、デパートの封筒。差出人が「社長」の名前になっていたのでピンと来てその場で開けたら、やっぱり。20ドルの割引カードが入っていた。(買い物をする前にチェックしてよかったねえ。)その足でデパートの地下に下りて行って、並んでいるコーヒーメーカーを見る。つや消しステンレスのクイジナートがやっぱりいいけど、12カップは大き過ぎ。フィルターは昔のドリップ用のよう三角のではなくてバスケット型じゃなければダメ。たくさん並んで入るけど実はさして選択肢がないのに、行ったり来たりしてああだこうだ。結局、コーヒーミルも磨り減って来たからということで、10カップのバスケット型フィルター使用、保温ポット使用で、コーヒーミルが付いているのを買った。豆と水をセットしておけば、自動的に豆を挽いて、コーヒーを入れてくれるから、挽き立てのコーヒーもこれ以上の挽き立てはない。

炭酸のカートリッジ2本を新しいのに交換して、クリニークのカウンターに行ったら、ボーナスタイムだって。いつものナイトクリームを2個買ったら、顔なじみになったリビーが伝票を2枚持って来て、「別々にお勘定したからボーナスパックは2つね」と思わせぶりなひそひそ声。お、うれしいね。いつもバッグやワタシが使わないアイシャドウや口紅はシーラとヴァルにあげるので、2つあると助かるの。(で、シーラは孫娘に、ヴァルは息子のガールフレンドにあげるらしい。)レシートと一緒に渡されたのが今度は25ドルの割引券。月末まで有効だから、何を買おうかなあ。

買い物の途中で園芸センターには行かないことにしたんだけど、結局金曜日のラッシュの中を隣町の園芸センターまでトラックを走らせ、重さが50キロくらいありそうなピートモスの巨大パックと、パーライトとバミキュライトの一番大きい袋。カレシは池を埋め立てた後の新しい菜園の準備を始めたくてうずうずしているらしい。金曜日の夕食は出かける前にスロークッカーにセットしておいたビーフカレー。日本のカレーはやっぱり日本のご飯で食べなきゃとストウブのポットでご飯を炊いて、2人して汗をかきながらたらふく食べた。(日本のカレーは盛大に食べなきゃおいしくないもの。)1人分にもならないくらい残ったカレーは夜のランチのカレーそうめんに化けた。

このあたりまではまだ元気いっぱいで、風邪のひとつやふたつなんてと粋がっていたんだけど、きのうの土曜日がたぶんピークだったのかな。頭はどよ~ん、耳の下はしくしく、体中がざわざわ、胸はぜいぜい、はれぼったい目はしょぼしょぼ。時々深呼吸しないと苦しくて、深呼吸すると盛大に咳が出る。でも、仕事はがんばったかいがあって、予定の2日くらい先まで進行。さすがにぐったりした気分になって、カレシが作ってくれたホットラムを飲んで、熱いお風呂で身体を温めて、バタンキューと寝てしまった。カレシのホットラムはラム酒とレモン、蜂蜜、シナモンを熱いお湯で割ったもの。ラムの代わりにブランディでもいいし、シナモンの代わりにナツメグやクローブを入れることもある。風邪を引いたときに熱々を飲んで寝ると、そこらへんの風邪薬よりも効き目がある。うん、今夜はホットブランディにしてもらって、風邪ウィルスにダメ押しするか・・・。

ちょっとリッチな気分のおうちバレンタイン

2月14日。火曜日。早くに猛烈な頭痛で目が覚めた。どうやら風邪の頭痛ではなくて、頚椎の古傷を傷めたときの頭痛。もう30年近くも前にベッドの中でくしゃみだったか咳をしたはずみに第二頚椎がずれて、元に位置に戻してもらうまで気が狂いそうな頭痛と吐き気に悩まされた。あれは何年後かの卵巣膿腫が破れたときの急性腹症の痛みなど足下にも及ばないくらいの過酷な痛みだったな。たぶん夜中に咳き込んだときにまたちょっとギクッとやったんだろうけど、頭痛は仕事の邪魔なので、買い置きのタイレノルのチューブを見たら、あら、有効期限2012年1月。中には10錠そっくり残っている。念のために買い置きして使わないでいるうちに期限切れ・・・薬いらずはいいことなのかもしれないけど。ま、ホットパックで温めてみるか。

今日はマイクが早めに来て通路に敷石を並べる作業の残りを急いでいた。「僕も息子もデートがあるから早く上がろうと思ってね」と。早々、今日はバレンタインデーだもんね。午後4時にはプロジェクトが95%くらい終わった感じ。あとはトレリスをつけて、階段に手すりをつけて、電気屋のロウルが来て小さな電気工事をしたら「竣工」。でも、おかげで何年も約束手形のままだったワタシのパティオができた。[写真]

裏口から階段を下りてすぐで、ちょうど小さいテーブルといすが置ける大きさ。頭上には照明があるから夜でも使える。階段下の桜の木はまだひょろひょろだけど、大きくなればキッチンの窓のグリーンカーテンになる。ま、いよいよこの夏は冷たいマティニのグラスを傾けながらの夕涼みができるかな。滝の水音を聞きながらのつもりだったのが肝心の滝がなくなってしまったけど、新しい菜園にイチゴを植えたら、もぎ立てをつまみながらデザートワイン・・・なんてね。[写真]

その菜園、今はまだ掘り起こした土の山だけど、「耕作面積」は一挙に3倍以上。左下の「岩」の反対側にある野放図な高山植物ガーデンを前庭にうつせば、菜園の面積はさらに広がる。トウモロコシだって植えられそう。塀に立てかけてあるトレリスを温室とガレージの前につけたら庭の工事は終わり。トレリスはパティオから見ると温室やガレージの目隠しになるし、菜園の端で日当たりがいいからきゅうりや豆類の栽培に使えて一石二鳥。カレシの胸算用は膨らむ一方で、ウォール街の「投機話」に似ていなくもないけど、ま、我が家は、カレシ、育てる人、ワタシ、料理する人・・・。

で、今日はバレンタイン。レストランはどこもバレンタイン・スペシャルで予約が1ヵ月以上前に埋まっているのが普通だし、予約をして行ったとしても流れ作業的な雰囲気でちっともロマンチックな気分になれない。ということで、バレンタインのおでかけはこの日じゃなければダメという恋人たちに席を譲って、レストランが「平常」に戻る週末に遅ればせでゆっくりやることにした。その代わり、冷蔵庫とフリーザーをかき回して寄せ集めた材料で思いつくまま「極楽とんぼ航空」の機内食ディナー。四角い揚げに鶏もものひき肉を詰めて蒸し、いっしょに蒸した豆腐にはイクラとめんたいこ。エビとイカのチリソース炒め。たけのこ、しいたけ、なるとの煮もの、ねぎとアサリの吸い物にうなぎの蒲焼ご飯。コース料理と違って、一斉にしあげるタイミングが難しいな。[写真]

仕事の追い込みに戻る前のひととき、今夜はテレビをつけないで、カレシがCDに焼いた懐かしい50年代のロックを聴きながら、ファーストクラスの空の旅を想像してちょっとリッチな気分。食後はスーパーで買って来たチョコレートの箱を開けて、ハッピー・バレンタイン!


2012年1月~その2

2012年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
ねずみは仲間を見捨てないそうだけど

1月16日。月曜日。起床は午後1時近く。午前3時過ぎにはベッドに入ったんだけど、週末の汗かき作業で疲れていたらしく、2人ともぐ~っすりと眠ったみたい。雪がちらついたのか、歩道は何となく白くなっていたけど、日が差して来て解けてしまった。ニュースを見ると、郊外ではかなりの雪が降って、交通事故続出だったとか。同じバンクーバー圏でのこの違い、嘘みたいだけど。

まあ、今週いっぱいは「寒波」が続くとの予報で、ニュースは「雪が降るぞ!」と大騒ぎ。降雪注意報が出ているから、どれだけ降るのかと思ったら、予報サイトによって1センチから20センチまで開きがある。つまりは、降ってみなければわからないということか。というよりは、海と高い山があって地形が複雑なバンクーバー圏は「微気候」の集まりという天気予報士泣かせの気候地帯なもので、予報サイトがどこを見ているかによって1センチで済むところ(海側)と20センチも降るところ(内陸側)があるということなんだけど、じゃあ我が家は海側だから1センチくらいかと高を括っていると、どかっと降ったりするから油断がならない。

テレビもラジオも雪、雪と騒いでいるのを聞いて、カレシは「昔は雪が降ってもこんな騒ぎはしなかったのになあ」と呆れ顔。過去の記録によると、カレシが小学生だった頃は一種の「寒冷期」で、マイナス10度とか15度に冷え込んだり、大雪が降ったりしていたらしい。でもまあ、あの頃はまだ人口も少なかったし、誰もが車を持っている時代じゃなかったし、何よりも半世紀前はまだ誰もが「不便がないのがあたりまえ」を期待する社会になっていなかったから、市民もそれほど大変だと思わなかったのかもしれないな。今は便利になりすぎてしまったんだと思う。あまりにも便利さがあたりまえになったおかげで、ちょっとした不便さえも自力で対処することができなくなってしまっているとしたら、(少なくとも先進国の)人間は自立、自助の能力どころか生存本能まで萎縮しつつあるのかもしれないなな。そうなったら人類という種の存続すら危うくなるように思うけど、まあ、誰かが法律や技術で何とかしてくれることになっているんだろうな。

先週(13日の金曜日!)に座礁して横倒しになったイタリアのクルーズ船。写真を見るとすぐ近くに島の防波堤や岬が突き出しているのがわかる。そのあたりは水深が20メートルくらいしかないらしい。たとえ船長が主張しているらしい「暗礁は海図に載っていなかった」ことが事実だとしても、海図には水深が書いてあるはずだし、10万トン以上ある大きな船の喫水深度がどのくらいか知っていただろうに、なんであんな図体のでかい船をそんな浅いところに近づけたのかと思う。ひょっとして島が海底から煙突みたいにまっすぐ突っ立ってると思った・・・まさかねえ。

その船長は、乗客や乗員を傾く船に置き去りにして自分はさっさと島に避難したという話だけど、船が沈むときに一番先にねずみが逃げ出すという伝説がある。でも、実はねずみはそんな自己チュー動物ではないことが研究者の実験でわかったというニュースがあった。仲間を閉じ込めると、何よりも真っ先に閉じ込められている仲間を助け出そうとするんだそうな。そばに餌を置いてみても、見向きもせずに仲間を救出しようとしたそうで、(子年の生まれだからというわけじゃないけど)とかく嫌われがちなねずみの仲間を思うチュー義にワタシは感動さえ覚えたけど、すたこら逃げ出したクルーズ船の船長はそのねずみ以下の人間ということになるな。ハドソン川に不時着して、沈んで行く飛行機の中を2度も往復して乗客が全員退去したのを確認してから最後に自分も救助された、あのサレンバーガー機長とは大違いも大違いだな。

難破船の船長は「ずっと船に留まっていた」と主張しているらしいけど、沿岸警備隊が島にいるのを見つけて船に戻るように説得したけど、従わなかったと言う話もある。バカなことをやらかして、慌てて嘘でその場を切り抜けようとしたのなら、自己保身の能力は人一倍あったということで、やっぱりねずみ以下。ねずみの爪の垢でも煎じて飲めっての、まったく・・・。

雪、こっちは降ってないんですけど

1月18日。水曜日。目が覚めて耳を澄ましてみたけど、何か静かなような、どこかで車が走っているような。ただし、寝室の中はまあまあ明るいから雪空ではなさそうと、しばしうとうとして午前11時45分の目覚ましで起床。ポーチの気温はマイナス4度。薄っすらと雪が降った形跡があるけど、雪雲はまたまた我が家のあたりをかすめて行ったらしい。

キッチンのテレビをつけるちょうど昼のニュースで、郊外の端っこの方では信じられないくらいのどか雪だったらしい。バンクーバー圏(正確にはBC州本土の南端、つまり地図で見ると下端にあるから「Lower Mainland(ローワーメインランド)」)は西に海、北に山脈、南にアメリカとの国境があるもので、おおむねフレーザー川に沿って、フレーザーバレーの奥へ、奥へと東に向かって伸びた形になっている。ちなみに、メトロバンクーバーというのは(郡のような)行政地区の名前でローワーメインランドの西半分。その境界のすぐ東で川の南側がアボッツフォード、北側がミッションで、バンクーバー市内から40キロくらい。アボッツフォードの東隣はカレシの母方の祖父母の農場があったチリワックで、そこを過ぎるとホープまではあまり人が住んでいない。

つまり、バンクーバー圏に降雪注意報が出ていたきのう、我が家のあたりは1日天気が良くて、今日の朝方5ミリほど積もっただけなのに、40キロしか離れていないアボッツフォードでは雪が降り続いて、20センチ、30センチと積もったというから、信じられない話。テレビの画面で流れる映像はまるで別世界という感じがする。バンクーバーの北約500キロ、州の中ほどの内陸にあるプリンスジョージでは「最高」気温がマイナス35度だそうで、体感温度はマイナス42、3度。戸外の温度計が下限のマイナス50度を指している写真があったりして、まさに別世界。(ワタシが経験した最低気温はマイナス36度だったけど、そこまで冷え込んだらもう「寒っ」じゃなくて「痛っ」という感じかな。)

まあ、この寒波(と雪)もあと明日1日がまんすれば、金曜日には気温が上がり始めて、午後には雨に変わって、来週いっぱい(たぶん)延々と降り続けるという予報。これなら、明日少しぐらい積もってもすぐに消えるから、雪かきの必要はなさそうで安心。バンクーバー市には夜間に雪が積もった場合は各戸が午前10時までに前の歩道の雪かきをしなければならないという条例があって、角地の我が家は雪かきする距離が40メートル以上もあるし、何よりも午前10時なんてまだ寝ている時間だから困る。やらなければ250ドルの罰金だそうだけど、出勤ぎりぎりに起きてみたら雪!なんて場合はどうしたらいいんだろう。雪かきしていたら遅刻するだろうに。ドカ雪で交通マヒという場合ならまだいいかもしれないけど、たった2、3センチ積もっただけでもやらなければならないのかなあ。5センチくらいだったらたいていの人は難儀することもないだろうに。もしも翌日には雨に変わるという予報が出ている場合はどうなんだろうな。すぐに消えてしまうものを大汗かいて、心臓発作の危険を冒してまでやることはないと思うんだけど、やらないと罰金なのかなあ。一度、お役所に聞いてみたいもんだな。

今日はカレシが専門医のところへ行くことになっていて、予約が午後4時という遅い時間。それで、一緒に出かけてどこかで食事をしようかという話になっていたら、ワタシは仕事、仕事の状態になってしまった。今日なんか午後10時が納期のものがあるんだけど、ま、ほぼできているので、息抜き?をかねて予定通り付き合って、帰りにWhole Foodsで「お惣菜」を買って来ることにした。地下駐車場に車を止めて、病院までマイナス6度の中を徒歩15分。ワタシの顔には寒冷蕁麻疹が出て来て、かゆい、かゆい。カレシが診療室に入っている間、住宅改装の雑誌をめくって、宝くじが大当たりしたらこんな家を建てたいなあとパイプドリームをふかすこと1時間。ドクターに呼ばれて、奥さんの承諾も必要なものなのかどうか知らないけど、「外科的処置」の簡単な説明を聞いて、「そのときはだんなさんの運転手をしてね」と言われて、はいっ。どうやら日帰り手術で済むようで、それも早くて1ヵ月かそれよりも先の話。(でも、1ヵ月後はまだ仕事のなだれの中なんだけど・・・。)

ちょっと遅い夕食はボルシチとバジリコのペストのラザーニャと根菜サラダと、ついでに買ってしまったチョコレートクリームがたっぷりのカノリ。いつもの夕食よりずっとボリュームがあったもので、この分ではランチは省略かな。じゃあ、仕事だ、仕事っ!あ、その前に「残念ながら」のお断りメールを2本書いて送らないと。もう、どうなってるんだろう、今年の仕事戦線・・・。

会話は自分に興味のある話題でなければだめ?

1月19日。木曜日。ゆうべはちょっと遅くまで仕事を続けて、寝たのは午前5時。だけど、今日はゴミ収集の日なのもで、リサイクルトラックがドッシャンガッシャンと通る音で目が覚めたのが午前8時過ぎ。ごみ収集トラックの往路は午前9時過ぎで、復路は9時50分。まあ、普通に回収作業ができているようだから、けさも雪は降っていないということか。正午過ぎまで寝なおして、起きてみたら今日もいい天気。国境の南のシアトルがかなりひどい目にあったそうだし、アボッツフォードでは玄関の屋根に届きそうな吹き溜まりができた家もあるというのに・・・。

明日の朝には気温が急上昇して、その過程で「氷晶雨」というのが降るらしい。北海道で何度か経験があるけど、凍った雨が降ると道路はスケートリンクになるし、電線にべっとりと着くと電柱が倒れたりするからやっかい。まあ、我が家のあたりは一番先に本格的な雨になっていつもの景観に戻るだろうからいいんだけど、どっさり積もった郊外は濡れた雪が凍り付いて、そうなったら除雪もできなくなって大変だなあ。それでも、気温が上がればだんだんに解けるけど、その過程でも排水溝が塞がったままだと溶けた水の行き場がなくて、今度は浸水騒ぎが起きたりする。週間天気予報は来週の木曜日まで雨降りマークをのんきにコピペ・・・。

今日は朝食後から気合いを入れて仕事。パッケージにして送られてきた原稿は大小のファイルが19個。ファイル名が全部まるで暗号みたいな何桁もある数字だから、ややこしいったらない。しょうがないから自分なりに表を作ってコントロールているけど、それでも数字がみんな似ているからややこしさはあまり変わらないかな。それにしてもいつも思うのは、日本のサラリーマンは押しなべて文書の作り方が下手だということ。Wordの表の使い方になるともっと下手。おまけに、直接表を設定すれば楽だろうに、なぜかわざわざきっちりとサイズを合わせたテキストボックスを置いて、その中に表を入れてみたり・・・。

あのねえ、ボックスの中にきっちり納まっている日本語を英語に置き換えると、ボックスからはみ出してしまうんだけど。で、ボックスからはみ出した分はどこかへ消えてしまうんだけど。で、ボックスの下の方がページからはみ出しても、表のように次のページに続いてくれないんだけど。ま、わかんないだろうな。日本語の文字がきちっと収まるようにボックスのサイズを決めて、ていねいにフォーマットしたんだろうし、まあ、何年も経ってから訴訟沙汰の資料になって翻訳されるとは想像してなかったんだし。言語やら文化やら思考経路やらがみんな違うからしかたがないんだけど、忙しいときに貴重な翻訳作業の時間をフォーマットの整備に取られるのが問題。ほんとにくたびれるったら・・・。

小町に日本の英会話教育についてのトピックが上がっていて、この手の英会話トピックはだいたいが話せる、話せない、なぜ話せないという方向に行くんだけど、たしかに英語をしゃべることにこだわる割にはしゃべれないと嘆いている人が多いような感じがする。日本人は外国語の習得が苦手だという人もいるけど、ワタシにはそうは思えないな。問題の根っこはコミュニケーションに対する考え方にあるんじゃないかと思う。このトピックではそれを「会話力の欠如」という表現で答えてくれた人がいた。ずばり、「自分の考えや意見を言えない、共通の話題が乏しい、政治経済や文学の知識が少ない、質問力が足りない」と。

でも、日本は教育水準が高い国のはずだから、知識が少ないというのはおかしいと思う。そこで思い出したのが、去年だったかgooの「つまらない会話の中身は」と言うタイトルのアンケートで、ランキングの上位に入っていたのが、自慢話、知らない人の話、愚痴、趣味の話、政治や経済の話、見ていない番組の話、仕事の話、親戚・家族の話・・・つまり、相手のことや自分が知らないこと、興味がわかないことには関心がない。関心のないことを聞いたってつまらないから、そういう話をされるのは耐えがたい苦痛でしかない。それではということで、そういうつまらない話題は全部取り払ったら、いったいどんな話をすればいいんだろう。沈黙には日本語も英語も関係ない。会話力の以前に何かもっと根本的なものが欠如しているような気がするんだけど、いいのかなあ・・・。

ま、ランチを食べて、また仕事、しようっと。まだまだたっくさんあるなあ・・・。

人間として、生き物として大事なもの

1月20日。金曜日。起床は午後12時40分。外は小雨模様。芝生や土の上にはまだ白いものが残っていたけど、車道も歩道もとっくに雪が消えていた。玄関ポーチの温度計は午後1時でプラス1度。

きのうは寝る前に大仕事の一部を分納したついでに、パワーポイントのファイルはどうしたらいい?と質問しておいた。相手はニューヨークだから時差は3時間。ワタシが起きて、朝食を済ませて、どっこらしょとオフィスに「出勤」する頃には、向こうはもうそろそろ退社時間。でも、ちゃんと返事が来ていて、「ベストを尽くしてください」。はあい、ベストを尽くしま~す。訴訟関係の仕事では、原則的に紙に書かれている文字はぜんぶ翻訳しなければならない。どこに「動かぬ証拠」が隠れているかわからないからなんだけど、それを判断するのは弁護士の仕事で、翻訳者はつべこべ言わずにぜ~んぶ翻訳するのが仕事。ま、1語でなんぼの商売だから文句は言わないけど、民事訴訟で金余り大企業が当事者だったりすると、弁護士も豪気になって、「ええ、めんどうだ、ぜ~んぶ訳させてしまえ~」ということになる。

その前に今日は郵便局に行って、デパートの請求書が来ているはずの私書箱を空にして、ミルクとランチの食材を少々買って来ないと、ということで小雨の中をモールまで。郵便を引き取って、ついでに新年早々にモールから(高級テナントを入れるために)立ち退きさせられたサロンがどうなったのか気になって外へ出てみたら、おお、もう移転先の張り紙。それもわずか2ブロック先と来ている。よかったあ。20年も同じ場所で夫婦でがんばって来て、そんな急に立ち退けはないよね。モールの外側に向いたこの一角は中華レストランも含めて5、6店舗がそっくり立ち退き。後に入るのは、サンフランシスコに行くたびに買い物に行っていたCrate & Barrelという、アメリカのおしゃれなキッチン用品店だから、ちょっぴり複雑な気持でもある。でも、それがビジネスというもので、すぐにしかも近くに移転先が見つかったのは常連客にとっても幸運だったな。

わずか1時間足らずのおでかけで、帰って来る頃には本格的な雨になって、午後3時には気温がプラス3度。訴訟仕事はひと休みにして、別の仕事の2点セットのねじ込みにかかる。ひとつは英日翻訳だけど、この英語がまたすごい。(たまにワタシのところに来る英日翻訳の原稿がそういうヘンな英語ばっかりなのはどうしてかなあ。)なぜヘンなのかというと、筆者が英語人でないヨーロッパ人だから。今度のはドイツの大手企業の名前があるから、その研究所のドイツ人研究者が英語で書いた論文ということかな。それとも、EUではかなり機械翻訳が普及しているという話だから、ドイツ語で書かれたものを機械翻訳したとか・・・。

自分の考えを相手に伝えたい、相手の考えを知りたいと思っても、ドイツ語と英語のようなまたいとこ同士みたいな言語の間でさえこんな調子なんだから、英語と日本語の間にはもっと深い溝があるのはあたりまえか。でも、同じ国で同じ言葉を使っている同士で、自分が知らないから、わからないから、関心がないから、(つまらない話は)聞きたくないというのは、何だかある種の引きこもり症とでも言えそうな感じがするな。自分が知っていることや興味がある話題しか話せないということなのかもしれないけど、そのあたりは「英語」はできるけど「英会話」ができないというのと似ていなくもないな。まあ、好奇心が向く範囲が広ければ話し相手には困らないかも知れないけど、実際に話し相手に困らない人って、自分の知らないことや興味のないことでも聞き耳を立てるタイプだと思うから、「つまらない会話」でも楽しめてしまうんじゃないかと思うけど。

きのうからつらつらと考えてみたけど、会話力とかコミュニケーション力がどうこうという以前に、やっぱり人間として、あるいは極端に言えば生き物として、何か大事なものが失われてしまったのではないかという気がしてならない。だけど、何なんだろうなあ・・・。

110番は教えてちゃんホットラインじゃないでしょ

1月21日。土曜日。起きてみたらまあまあの天気で、雨は降っていない。窓の外は完全にいつもの見慣れた景色で、ゴルフ場には人影が見える。まだぐしょぐしょだろうに熱心な人もいるもんだなあ。でも、降雪注意報が解除になってホッとしたと思ったら、今度は強風注意報発令中だって・・・。

朝食後、超特急でヘンテコ英語の日本語訳をやっつけて、さっさと納品。日本は日曜日だけど、校正する人もフリーランスだから、たぶん日曜もへったくれもなく仕事、仕事だろうな。次は英訳に戻って、まあ何ともすばらしい講演の原稿。実際にしゃべったときには、「え~」とか「その~」とか、リズムを取るための合いの手が入っていたんだろうけど、こうして文書に起こすとけっこう格調が上がるもので、それなりの訳文にしないといかんなあと思ってしまう。ま、この人はかなり話し上手なんじゃないかなという印象だけど。そういえば、昔、合いの手に「あいうえお」を全部使っていた政治家がいたんじゃなかったかなあ。

ま、とりあえず頭の切り替えということで、しばしの息抜き。何日か前(あるいはきのう)だったか、「110番」にかかってくる緊急性のない電話が増えているという記事があった。救急車の番号にも「雨が降っているから迎えに来て~」とか言うようなメイワク電話がたくさんかかって来るそうだけど、アメリカでは「亭主が夕食を食べない」と警察に通報?したおばちゃんもいたらしいから、このあたりは世界のどこにいても事情は同じなんだろうな。カナダでは警察も救急車も消防車もみんな同じ911で、かけると「警察っ?救急車っ?消防車っ?」とつっけんどんに聞かれるもので、ちょっとそういうおバカな電話はやりにくいだろうと思うけど、それでもかなりあるらしい。いったい何を考えているんだか・・・。

でも、110番に電話して「今日は何曜日ですか」って、やっぱりアホだなあ。いい年の大人が何でと思うけど、日本にはさもありなんと思わせる手がかりがたくさんある。ざっと検索して出て来ただけでも、「若者消費者110番」、「通販110番」、「震災に関連する悪徳商法110番」、「介護110番」、「科学なぜなぜ110番」、「生活保護110番」、「おくすり110番」等々と、まあ呆れるほど多彩な「○○110番」がある。要するに「ホットライン」のつもりなんだろうけど、「110番」はマニュアル思考の人間の頭には「教えてちゃんホットライン」として登録されているのかもしれないな。だから、「あ、これなんだっけ?」で、すぐ110番。「あ、困ったなあ」で、すぐ110番。何だかそういう構図が浮かんで来てしまったけど、つまりは自分で考えるのをやめてしまったということなのかな。だとすれば、まさに110番ものの緊急問題だと思うけどなあ。

こういう「教えてちゃん」の頭には「○○(のとき)はこうある(する)」(べき)というマニュアルしかないのかもしれないな。とどのつまりは「自分で考えない、考えられない、考えたくない」人が増えているということか。いわゆる「ゆとり教育」は子供たちに自分で考える余裕を与えて、独創性の発達を促すのが狙いだったんじゃないかと思うけど、その前の「他人の痛みがわかる子を育てる」教育もそうだけど、文科省の思惑が裏目、裏目に出ているような印象は否めない。どうしてなのか。まあ、根本的には「自我の欠如」だろうと思う。共感力とか思いやりといった人間関係に関わるものは「まず自己ありき」なんで、「自己」とつくものは悪いことだと刷り込まれてしまうと、自分の人格を確立するどころか否定することになって、へたをすると他人の人格まで否定すべきものになってしまうかもしれない。「自分」を認識できない人には他人が別個の人格だということが理解できないだろうし、自己を信頼できなかったり、大切にできなかったり、嫌いだったりする人には、他人を思いやることまでは考えが及ばないだろうし、ましては人を愛するなんて無理だろうな。いっとき自分探しが流行っていたらしいけど、「幸せの青い鳥」と同じで、「自分」というのは常に自分の中にしか存在しないものだと思う。

まあ、仕事の資料として送られて来た小学校の文科省検定教科書をめくったときに、まっさきに「ああ、こりゃあかんわ」と思ったけど、小町横町にも、ごくごくたまにのぞくだけになったローカルの日本人の掲示板にも、そういう教育の予期しなかった「成果物」が吹きだまっている感じがするから、時すでに遅しだったのかな。日本にも海外にも「自分探し110番」というのはまだなさそうだしね。まあ、ワタシには日本国の日本人教育をとやかく言う筋ではないのはわかっているけど、そこは太平洋をふらふらと風まかせの極楽とんぼのたわごとってことで・・・。

しょうがないから不倫男でも大統領にする?

1月22日。日曜日。予報どおりの雨。一時はかなりの風が吹いていた。ここのところ毎日けっこう根を詰めて仕事をしているせいか、ぐっすり8時間寝ているのに、目が覚めてからも眠くて、眠くて・・・。

朝食が終わってすぐからせっせとキーを叩き続けて、午後10時半にもうひとつ完了。明日からまた訴訟関係の資料の山との格闘だなあ。だいたい8日かかりそうな仕事をぎりぎり7日。まるでアコーデオンプリーツのごとしで、考えただけでもくたびれて来る。

それでも、エネルギーを養うために、午後4時過ぎにはトレッドミルでひと走り。この3日ほど、なぜか静電気がひどくて、モーターが突然止まってしまう現象が頻発していた。もう7年くらい2人して使っているものだから、ベルトが傷んで来ているのはわかるんだけど、動いているのに合わせて走っているときに突然止まると転びそうになって危険きわまりない。でも、静電気がこんなにひどいのはつい最近のことだけど・・・と考えていて、目が覚めたときにはたと思い当たったのが、デッキの下に敷いたプラスチックのフロアマット。カレシがオフィスの反対側に「支店」を置いていたときに椅子の下に敷いていたもので、「統合」で不要になったのをトレッドミルのデッキが下りるところに敷いたのだった。調子がおかしくなったのはそのあたりからだった。そこで、マットを外してから走ってみたら、あら、何ごともなく15分走れた。やっぱり静電気の元凶はフロアマットだった!まあ、至急で新しいのを買いに行くことはとっくに決めたんだけど、ワタシが半日くらい時間を取れるまではお預けか・・・。

今年の11月にあるアメリカ大統領選の共和党の予備選挙で、ロムニーが勝つと思われていたサウスカロライナ州がギングリッチの方に行ってしまった。ロムニーのカリスマ不足だという評もあるけど、ドが付くほど保守的な土地柄で、直前に元妻に「愛人も加えてオープンな結婚にしたいと言われた」とすっぱ抜かれたギングリッチが大逆転で勝てたのは、ロムニーがモルモン教徒だからだろうと思うな。モルモン教はキリスト教から派生した宗派なんだけど、アメリカ人の間には「ロムニーはキリスト教徒ではない」と思う人がかなりいるんだそうな。だから、高校時代の恋人と結婚して5人の息子がいて、浮気の「う」の字もないけど「異教徒」のロムニーよりも、不倫という保守的なキリスト教徒にとっては許されざるべきことを堂々とやろうとしたけど、キリスト教徒のギングリッチの方がまだましということだったんじゃないのかな。けっこう偽善的だな。まあ、組織化された宗教なんてどれもそんなようなもんだと思うけど。(だから、ワタシは一応はキリスト教だけど、階層的な教会組織が大嫌いということもあって、自分で勝手に信仰しているわけ。)

でも、ギングリッチが大統領候補になったら、オバマさんはほっとするかな。再選確実になりそうだもんね。ギングリッチはオバマ大統領が蹴ったカナダはアルバータのオイルサンド産地からアメリカはテキサスの製油所まで延々とパイプラインを敷設する計画を認可するつもりでいるらしい。だけど、それもどうやら経済効果も雇用創生も関係なくて、ハーパー首相がアメリカがだめなら中国に石油を売ると言ったもので、カナダと中国がラブラブになるのは許せぬということじゃないかと思うけどな。要するに、政治はそっちのけか。これも、どこでも同じような現象なんだろうけど、人類、大丈夫かね・・・。

さて、急いで見直しをして、出前一丁あがりぃ~と送ってしまおう。

いつの世でも嫌われ者にされる人がいる

1月23日。月曜日。晴れ!ずっと雨、雨、雨のはずだったのになあ。起床は午後12時半。ここんところ2人ともよく眠っている。ワタシの方で仕事がぎゅうぎゅうに詰まったせいで、四六時中ひとつ屋根の下にいるのに2人が別々のバブルの中にいるような感じだから、食事時と寝しなはクオリティタイム。特に就寝前のひとときは、寝酒とおつまみで(たいてはカレシのだけど)とりとめのないおしゃべりをしてリラックスする、安眠のためにも大事な時間。それで就寝が少し遅くなって、それにつれて起床も遅くなっているというのが現状なんだけど。

ニューヨークからフィードバックがあって、「もう少し原文に忠実に」とのこと。ワタシとしてはいつも「英語らしく、ナチュラルに」を心がけてきたのを、訴訟の資料なんだからとかなり逐語訳に傾いたつもりだったけど、まだ意訳っぽいところがあるということか。なるほどなあ。ま、これも利用者のニーズに合わせて仕事をするということだから、きちんとフィードバックしてくれるこの会社、うん、気に入った。実際のところ、逐語訳の方が深く考えなくてもいいので割と楽ちんだから、仕事のピッチを上げられそうでいいか。サイモン&ガーファンクルの歌が聞こえてくるような。(バカにされても、罵声を浴びせられても)Just trying to keep customers satisfied(お客を満足させようとしてるだけさ)・・・。

あれはかなり含みのある歌だけど、いるよなあ、どこへ行っても、何をしても、何を言っても嫌われてしまう人。誰が見ても明らかに他人に害を及ぼす悪人なんだったらともかく、客観的に見たら悪い人間ではないのに、嫌われたり、いじめられたりする人(whipping boy)がどの社会にもいる。そういう人を攻撃する方は必ずと言っていいほど攻撃される方が「悪い」と言う。性格がどうのこうの、言動がどうのこうの、過去の行いがどうのこうの、親兄弟がどうのこうの・・・。要するに「多数の規範」から外れているということかな。単に「嫌い」というのなら人間の性で済ませられるけど、「自分はああいう(悪い)ことをしない/言わないから性格がいい」と自己評価の道具に使う人もいるから、「嫌われ者」にはとんだ迷惑。同じことは大から小まですべての「人間集団」についても起きることで、歴史を見渡すと、いつの時代にも「嫌われ者」人気ランキング1位がいる(ある)から、人間てのはおもしろい生き物だと思う。

懐かしい歌の歌詞を思い出していたら思考があらぬ方向に行ってしまったけど、小町に子供が検査で発達障害ではないと言われたのに幼稚園から(集団生活に問題があると)しつこく検査を要求されて困っているという相談があって、最近どうも自分の配偶者、家族、義家族、友人、同僚について「発達障害」を疑うトピックが増えて来たなあと思っていたところだったので、ちょっと重なったんだろうな。ワタシは生まれついてこの方日本の「多数の規範」(常識?)にうまく適合できたことがないので、日本で暮らしていたら「発達障害だ」と思われているかもしれないな。たしかに、発達障害には無数の原因があるそうだし、「ここから先が正常」という明確な基準点がない無限の「スペクトラム」だから、ワタシにもひとつやふたつ該当するところがあってもぜんぜんおかしくないし、たぶんあるんじゃないかと自分でも思うけど、まあ、カナダ版の「多数の規範」にはかなりうまく適合できているようだから、「問題なし」として良さそう。

その発達障害だけど、アメリカの精神医学会がその診断基準ハンドブック(DSM)の改訂で、自閉症の診断基準の範囲を狭めるというニュースがあった。DSMはカナダでも使われているから、カナダの教育界や社会福祉団体などが診断基準を満たさなくなって療育の支援を受けられなくなる子供が出ると騒いでいる。だけど、診断基準には性格が原因で表れそうな行動項目もあって、濃から淡に移り変わるスペクトラム。その果てしなく淡くなる方を詰めようということらしいから、うがった見方をすれば、教育界や社会福祉団体にとっては「障害」を診断される子供の数が増えればそれだけ予算や補助金の増加や教員の増員(つまり、教員組合にとっては雇用創出)を要求できるわけで、それがなくなるということでもある。単にわがままな子や親が扱いにくいと思っている子にまで「発達障害」のレッテルを貼るのはどうかと思うけど、教師も一介の生活者だから、そういう発想がないとは限らない。(小町の相談でもあまりにもしつこく検査を要求するので、補助金目当てではないかという疑いを持っているという母親がいた。)

それにしても、大人の社会で(往々にして自分の思い込みでしかない)多数の規範にピシッとはまらない人を発達障害じゃないかと疑うような風潮が出てきているしたら、怖いな。ひょっとしたら、それも今どきメディアの煽りの産物なのかもしれないけど、そうだったらよけいに怖い・・・。

夫の口から知らない女の名前がでるときは

1月25日。水曜日。朝方に大雨の音で目が覚めて、あまりよく眠れなかった。仕事、進まないと言うよりは、逐語訳に近づけるほど口数が多くなって、それだけ訳上がりのファイルがどんどん大きくなって、すべてキーを打って入力するわけだから最終的にそれだけ時間がかかってしまう。まあ、1語で何ぼの商売だから、口数が多ければ多いほど、請求金額が増えるという利点もあるんだけど、ワタシの翻訳ってクライアントには経済的だったんだなあなんて思ったりする。言葉の自然さ重視だったんだけど、それもだんだん変わっていくのかもしれないな。それにしても、ちょっと時間が詰まりすぎて来たなあ。最後の期限は月曜の朝だってのに、あ~あ、大丈夫なのかなあ・・・。

こっちは目を三角にしてキーを叩いているのに、カレシはまた何となく「かまってちゃん」モード。おいおい、水平線に黒い入道雲なの?知らないよ。夕食をしながらこの夏に予定している北海道旅行の話をしていて、カレシがワタシの旧友の名前を間違えた。他の友だちの名前と混同したのならともかく、ぜんぜんつながりのない名前だから、ワタシは一瞬、は?となってしまった。カレシは「何かふいっと出てきたんだよ」なんていってるけど、なんでワタシの仲良しの「ユリコ」ちゃんが「チカコ」ちゃんになっちゃうの?ワタシたち、チカコという名前の人とはおつき合いはないけど。カレシの英語教室にだって中国人やベトナム人だらけで若い日本女性はいないよねえ。かってのカレシの仮想的ハーレム(アニマルクラッカーの箱)にだってそんな名前のオンナノコはいなかったよねえ。

あのときは、マユミとかユカリとかカヨコとかユキエとかヨシミとかユミとか(つづりにYの入った名前が多かったな、なぜか)いろいろいたけど、「チカコ」はいなかったよねえ。(ま、国際婚活していた人が10年以上もずるずる付き合うとは思えないけど。)ふむ、どうしたもんだろうな、これ。「ねえ、チカコさんて、だあれ?」と聞いてみようか。名前からして、あんまり今どきの若い人って印象ではないよねえ。まあ、今どきの若い人がいくら「欧米人」だといっても来年70になるおじいちゃんに興味を持つとは思えないし、こっちにはキャバクラなんてものもないし。あのさ、ワタシ、今は猫の手も犬の手もとにかく何本あっても足りないくらい生計を立てるのに一生懸命なんだから、アナタ、退屈だとかさびしいとか言い訳できるんだったら、チカコちゃんとこに遊びに行ってもいいよ。もしも、チカコちゃんが「年の差なんてぇ、どうでもいいのぉ。アナタと一緒ならアタシはハッピーなのぉ」と言ってくれたら、結び切りの熨斗をつけて進呈しちゃってもいいかなあ。その後の2人はどうなるのか・・・妄想しただけで鳥肌が立つような爽快感かもね。

それはそうと、ワタシ(たち)が知らない日本女性の名前がほろっと口から出て来たってのは、どういうこと?ねえねえ、チカコさんて、いったいどこの誰なの?

名誉の殺人にはこれっぽちも名誉なんかない

1月30日。月曜日。正午過ぎに起床。ずっと何日も根を詰めて仕事をして疲れ切っていたはずなのに、よく眠れなかった。ベッドに入ってから、カナダにいて普通のカナダ人になりたかったばかりに命を絶たれた少女たちのことが頭を離れなくて、涙が止まらなくなって、ほとんど眠れなかった。自分の中のどこかにある怒りを呼び起こすような、何だかフラッシュバックのようなものが起こっているような気もして、とにかく納期に間に合わせるために「雑念」はできるだけ頭の中のどこか隅っこに積んでおいたのが、その仕事がおわったとたんに積みあがった感情の重みに耐えられなくなっ、て崩れ落ちてきたような感じだったのかもしれない。

きのうの日曜日、オンタリオ州キングストンで3ヵ月以上続いていた第一級殺人事件の裁判で、陪審員の評決が出た。被告3人全員が4件の殺人それぞれについて有罪、自動的に終身刑、最低25年服役しないと仮釈放の審査対象にならない。ずっとテレビや新聞で報道されていたし、検察側、弁護側の最終弁論を聞いていたので、ずっと気になっていた。南アジアや中東の家父長社会で起こるものだと思われていた「名誉の殺人」という名のおぞましい風習が移民の流れに従って世界に広がりつつあり、男女同権と機会均等の浸透に成功しつつあるカナダにも持ち込まれて、実行されていたことを白日の下に暴露した、あまりにもショッキングな事件だった。

事件が起きたのは3年ほど前。キングストン近くのリドー運河に沈んでいた乗用車から4人の女性の遺体が発見された。アフガン系の十代の3人姉妹とその「伯母」で、死因は全員溺死。でも、発見場所は車が誤って落ちるようなところではなかったこと、車のイグニションキーはオフになっていたこと、現場には別の車のヘッドライトの破片があったこと、さらには全員がシートベルトをしていなかったのに完全に開いていた運転席側の窓から脱出できなかったことから、殺人事件の疑いで捜査が始まり、やがて容疑者として逮捕されたのは少女たちの実の両親と兄だった。(4人目の女性は少女たちの父親の第一夫人で、カナダでは重婚が認められないので一家の「使用人」の名目で住んでいた。)食い違う話を怪しんだ警察が車にしかけた盗聴器には、娘たちを「売女」と罵り、「男は名誉を守ることが何よりも大事なんだ」と息子に言い聞かせる父親の声が録音されていたことから、裁判が始まって一気に「名誉の殺人」が注目されることになった。

長女ザイナブ、19歳、次女サハル、17歳、三女ギーティ、13歳。彼女たちがなぜ殺されなければならなかったのか。それは、カナダの普通のティーンになりたかったから。友だちや級友たちのように、流行の服装をして、きれいにメイクをしてショッピングモールに繰り出したり、ボーイフレンドとデートしたかったから。「普通のティーンになりたい」。それは、カナダに移住しても頑なに母国の家父長的価値観をまるでアフガニスタンを一歩も出なかったかのように守ろうとしたモハメド・シャフィアにとっては自分の名誉を冒涜する、許すことのできない「犯罪」だった。そういう父親に歪んだ「名誉観」を刷り込まれた長男も3人の妹たちの抹殺におそらく疑問を持つことなく加担したんだろうな。自分の実の娘を3人も殺した母親は、警察での尋問でも、裁判での証言台でも、ずっと長男を庇い続けていたという。

カナダに移民して来て、カナダ人と一緒に人種やジェンダーに制約されない教育を受けて、カナダでの未来に大きな夢を描き、やがては好きなった人と家庭を築いて次世代のカナダ人を育てる・・・そのどこが許せないというのか。ここはカナダであって、アフガニスタンではないのに。故国の価値観に従わないのは許せないから殺す・・・それは、永住者を希望し、それを叶えてくれた国の個人の自由と個人の尊重という価値観に唾を吐きかけるような、後足で砂をかけるような行為ではないのか。これから生きていく環境に溶け込もうとしただけで実の両親と兄に殺された少女たちが不憫で泣いているうちに、この10年以上ワタシの心の奥でもやもやしていたものがやりばのない怒りという形で姿を表したのかもしれない。

ワタシは命こそ奪われなかったけど、何年外国に住んでいても日本の文化や価値観を保って日本人らしさを固守するのが日本人の誇りだという不特定多数の日本人に「ワタシ」という人格もアイデンティティも否定されて、自分が実存するのかどうかさえわからなくなった時期があった。そのときはカナダですでに25年も暮らしていたのに、その人たちにとっては日本人として生まれた以上は、(外国に行っても)「その国の普通の人」になろうとするのは、外国の文化や価値観に身売りをするような恥ずべきことで、罰を受けて然るべきことだったんだろうな。たとえ命は奪わなくても、自死にまで追い込まなくても、言葉という名の石をもってその人の「魂」を破壊する行為は、その人を殺すのと同じことではないかと思う。だったら、「名誉の殺人」とどれだけの違いがあるのか。でもまあ、何かにつけて「○○はかくあらねばならない」(そうでないものは受けつけられない)という思考に凝り固まってしまった人たちには、そんなことを言ってもむだだろうな。

殺された少女たちは学校や児童福祉機関に何度となく相談したり、助けを求めたりしたという。それなのに教師たちも福祉士たちもなぜ彼女たちを助けることができなかったんだろうか。それは「移民の母国の文化習慣を尊重する」という政策が行過ぎてしまったからだろうと思う。カナダは移民が築いて来た国だから、異文化や異なる価値観の尊重には誰も異論はない。では、昔の奴隷のように強制連行されて来たんじゃあるまいし、何らかの利益を期待して自由意志で移住して来た人たちに受け入れ側の文化や価値観を(同化とまでは行かなくても)少なくとも尊重するように求めることがどうして非難されなければならないのか。問題の元は移民して来る人にカナダの文化や価値観の尊重を求めることを異文化を蔑ろにする差別行為だと攻撃する人たちだろうと思う。それも、実は異文化を「尊重してあげている心の広いぼく/あたくし」に陶酔しているだけだったりする人たちは始末が悪い。

即日3人に終身刑の判決を言い渡したオンタリオ州高等裁判所のマレンジャー判事は「殺人の動機となったのは名誉に対する文明社会では絶対に存在し得ない不健全きわまりない観念であった」と。その名誉というのが、女性を支配し、コントロールする権利を持つということであるならなおさらのこと。そんなちっぽけな「名誉」を守るために妻や娘を殺せるような人にはカナダに来て欲しくない。(自分であれ、他人であれ)郷に入っても郷に従うのは○○人としての名誉にかかわることだと考えるような人にも来て欲しくない。何につけても自分たちの母国に比べてカナダは劣っているとダメ出しばかりする人はすばらしい母国にお帰りいただきたい。ワタシの国の文化や習慣や価値観を尊重する気のない人には来ていただかなくてもいいですから・・・。

夫婦げんかをして思い出した初恋の人

1月31日。火曜日。正午過ぎに起きたら、雨模様。ワタシはまあまあ普通に眠ったけど、カレシは夜中にこむら返りで目が覚めて、ふくらはぎがまだ痛いと、起きぬけから何だかご機嫌ななめ。裏庭で人の気配がすると思ったら、マイクの息子が雨の中をひとりでガレージからの通路になるところを掘っていた。それを見たカレシが「なんであんなに深く掘り起こすんだ。枯葉まで掘り起こして、これじゃあ今年は菜園を作れない!」と怒り出したもので、アナタが施主なんだから出て行って話をしたら?と言ってみたけど行動する気配なし。ひとりでプリプリしているから、どうして欲しいのか説明しないとわからないでしょうがと言ったら、「オレは共感して欲しいだけなんだ」と切れた。

これにはワタシもカッチ~ンと来て、グチグチとネガティブなプレッシャをかけられるのはもうたくさん、やってられなぁい!ぶっちぎれたもので、朝っぱらけっこう盛大な夫婦げんか。まあ、落ち着いたところで朝食をしながら、「プレッシャなんかかけていないよ」というカレシに言ったもんだ。あのね、自分で考えればやれることをやらずにグチグチ、ワタシにはどうにもならないことで何が気に食わない、何がダメとをグチグチ。アナタのことなんかどぉ~でもいいんだったら何をグチグチ言っていても無視できるだろうけど、そうじゃないからこそ無視できなくて、年がら年中そうやってグチグチグチグチやられているうちに、何もできないもどかしさがプレッシャになってのしかかって来るの。そんなときに「オレはそんなつもりじゃない。そういう性格なんだから、勝手にプレッシャに感じるおまえが悪い」と言われると一気に崩れてしまうの。(それがモラハラの手口のひとつで、たしかに本人がほんとにそのつもりでない場合もあるだろうけど、誰よりも一番の支えになってくれるはずの人を傷つけて、人格を破壊するという結果は変わらない。)

でも、ワタシもよっぽど頭に来ていたと見えて、言っちゃったな。アナタにチャンスがあったときに行きたいところへ行かせるべきだったかも、と。アナタのスペック通りに、従順にかいがいしく、かゆくないところにまで手が届くような世話を焼いてくれる人が見つかるチャンスがあったときにね。カレシ曰く、「キミの世話の焼き方に全然不満なんかないよ、ボク」と。あ、そうですか、はあ・・・。まあ、人間ってのは生き方や人との関わり方は変えられても、自分の本質はなかなか変えられないものだと思う。カレシの気持が「ニッポン女子」のイメージに大きく動いたのは紛れもない事実だから、ひとりひとりについては記憶も定かでないだろうけど、その「イメージ」は忘れていないだろうな。ま、例の「チカコ」ちゃんはそのイメージにふと名前がついたということで、たぶん実在する人ではないだろうと思うけどね。

まあ、誰だって一度心を動かした相手を忘れることはないと思うけどね。このワタシだって、未だに「初恋」の人の顔と名前をよく覚えているもの。まさに思春期の入り口だった中学1年生のとき、おてんばなワタシが同級生のササキ・ミツオくんに恋をした。道路の向こうとこっちで気になる人をちらちらと見ながら下校する途中の交差点で、ミツオくんは右に曲がり、ワタシはまっすぐ。道路を渡り切ったところで、そおぉっと背中を逸らせてミツオくんが歩いて行った方を見たら、きゃあ、何とミツオくんがこっちの方を振り返っていた!心臓はどきどき、顔は火が出てかっか。たぶん無我夢中で走って、バス通りを越えて、家までの上り坂を一気に駆け上がったんだろうと思うけど、そのあたりはまったく記憶にない。バタバタと玄関に駆け込んで、息を切らしてしばらく座り込んでいたらしいけども。(ワタシにもそういうかわいいときがあったということか・・・。)

翌年2年生になってクラス替えで隣のクラスになったミツオくんは、休み時間になると廊下に立っていて、顔が合うたびに2人ともあわてて教室に飛び込む毎日。夏に父の転勤で転校してから、1度だけ、写真と一緒に「○○さんが転校してからは廊下に出て遊ばなくなりました」という、何とも胸がじ~んとする手紙が来た。(その時の写真は今でもワタシのアルバムにある。)思い起こせば、目が合うたびにどきどき、かっかするばかりで、2人だけで話をしたことなんかなかったな。ワタシの13歳の初恋は純情だったのだ。ミツオくん、高校を卒業して市役所に就職したという噂を聞いたけど、今頃どうしているのかなあ。好々爺になって孫の相手をしていたりして・・・。

その後はカレシに出会うまで何事もなく過ぎて、結婚してから一度だけ、ランチを買う行列の中でふと目が合った人がいて、違う場所でも何度か見かけているうちに互いの顔を見覚えてスマイルを交わすようになったことがあったなあ。東欧系かな。いかにも紳士然とした物腰の人で、たった一度だけだったけど、朝オフィスに向かう下り坂を歩いていたら、後ろから良く通る低音で「グッドモーニング」と言って、びっくりして挨拶を返せないでいたワタシを追い越して行った。声を聞いたのはそのときだけで、言葉を交わしたことはなかったし、名前も勤め先も何をしている人かも知らないまま、ワタシがオフィス勤めをやめるまで、行列の中に互いを見つけてスマイルをかわすだけの、淡い慕情とさえ言いがたいような気になり方だったけど、わっ、ひょっとしたら、あれはワタシのウワキ心だったのかなあ・・・?


2012年1月~その1

2012年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
元旦の祝い膳はなんちゃってオセチ

1月1日。元旦。起床は午後12時45分。薄日が差しているまあまあのお正月日和。遅い始まりだけど、八穀米のおかゆを作りながら、まずはオレンジジュースにシャンペンの「ミモザ」で新しい年の始まりに乾杯。自家製の塩鮭とめんたいこを焼いて、カレシには大根の漬物を小鉢に入れてあげて、いつもとは違う「朝ごはん」が終わったらもう2時。いいのかなあ、こんなんで・・・。

夜の食材を用意しておいて、ぼちぼちと仕事を進める。PR仕事の方は行けども行けども気が乗らないので、科学分野のファイルも開いておいて、行ったり来たりすることでとりあえず「仕事」へのモチベーションを保つ。でも、来年(2013年)の春に年金受給年令になったら科学分野だけに絞ろう・・・と、なんとなく「新年の決意」。ま、一年の計は元旦にありというから、今年がフルタイムで働く最後の年だということにすれば、ホームストレッチに入った気分で、猛然ダッシュで走り抜けられると思うけど。

元旦の夕食は「なんちゃってオセチ」。もっとも、オセチの形さえ成していないし、和食と言えるかどうかもわからないんだけど、ファーストクラスの機内食トレイに今年もぶっ飛びと舞い上がりで行こうという気概?をこめて(まさか)の祝い膳。[写真] タイの酒蒸しとししとう、じゃこの佃煮。ロコあわびと大根、茶碗蒸し、ポケ、潮汁風おすまし、バンブー米。

ロコあわびは寝る前から大根と一緒にスロークッカーでゆっくりと煮ておいた。実のところは、貝よりは味がしみ込んだ大根の方がおいしくて好きなんだけど。

茶碗蒸しは卵1個で2人前。具はしいたけと枝豆、なると(紅白の渦だからちょうどいい)。きのうからずっと醤油(=塩分)の摂取が多かったので、今日はすべてかなりの薄味にした。

ハワイ料理のポケはキハダマグロを使って、ごま油、醤油、赤唐辛子、ねぎ、マカダミアナッツ、白の炒りごまで和えたもの。写真の色はちょっと暗いけど、かなり赤い。赤唐辛子を2本も入れたので、いつもよりもピリッとした味。

潮汁風おすましは、3枚おろしにしたタイの頭と骨でとった出汁を漉して、醤油と海塩でごく薄く味をつけ、別に温めておいた絹ごし豆腐、ロコあわび、ねぎを入れたお椀に注いた。ごはんはほのかに青竹の香りがするバンブー米。

メインのタイの酒蒸しは少量の塩を振ったものにお酒をかけて蒸しただけのものだけど、あっさりしすぎているかなと思って急遽ししとうを焼いて付け合せ。御節料理の中で「豊年豊作」を象徴するという小魚(ごまめというのかな)の代わりに、ちりめんじゃこの韓国風佃煮をひとつまみ添えてみた。

日本の外で御節の「お」の字も知らない人と結婚したもので、40年近いカナダ暮らしで元旦にお雑煮を食べたのは2回くらい。母が作ったお雑煮を思い出しながら見よう見まねで作ったものだったし、御節は作り方がわからないどころか元旦にはどうしてもという郷愁のような気持にならなかった。実を言うと、子供の頃に北海道の最果てで食べた御節で大好きだったのはごぼうの煮しめくらい。きんとんと里芋は嫌いだったし、紅白のかまぼこや昆布巻きがあったと思うけど、後はどんなものが入っていたのか記憶に残っていない。お正月の懐かしい「おふくろの味」がごぼうだけなんて、なんとも親不孝な娘だなあ、ワタシ・・・。

曜日のずれたカレンダーと老後への雑念と

1月2日。月曜日。起床午後12時50分。これがほんとの寝正月というところかな。相変わらずのどんよりた空からときおりしょぼしょぼと降る湿っぽい天気だけど、ポーチの温度計の気温は摂氏9度。球根が芽を出して来たりして・・・。

さて、今日からはまじめに気合を入れて仕事、と思ってカレンダーを見たら、あれ、何かヘンだ。きのうの1月1日が右端にある。今年の元旦は日曜日だったはずだけど、ひょっとして去年のを印刷してしまった欠陥品か・・・実は、よ~くよく見たら、このカレンダー(ドイツのテノイエス社発行)、何と週の列が月曜日から始まっているじゃないの。去年もその前の年もテノイエス発行のヴェットリアーノの絵のものだったけど、曜日はちゃんと日曜日から始まっていたのに、どうして今年のは月曜から始まっているんだろうなあ。ひょっとしてドイツではそういうことになったのかと思って見たけど、カレシのはフランス、キッチンのはアメリカの出版社のもので、どっちも見慣れた日曜日から始まっていて、わからずじまい。時差のおかげで日本から指定される日時といつも1日ずれる(早い)納期を書き込むカレンダーだから、納品が1日遅れるなんてことがないようにしないとね。ま、日付だけを見ていれば確実だと思うけど、ややこしいったらないなあ・・・。

ややこしいようだけど、考えてみたらカレンダーはその年1年だけのものだし、新年の決意を実行すれば、「日本時間何日何時」という納期を頭の中で自分の生活時間に換算しながら仕事に精を出すのも今年1年だけのことだし、ということでやっぱりいつもの「ま、いっか」主義で肩をすくめるのが極楽とんぼの極楽とんぼたるところか。新年2日目にしてなんとなく気持が固まって来てしまった感じがするのは、あんがい、「65歳定年」を1年後に控えた年だということで、神さまがこういう内容の仕事はもういいやという気持になるような仕事が入るように計らってくれたのかもしれない。フルタイムで働くことをやめたら、カレンダーの1週間の始まりが日曜日も月曜日もどうでもよくなって、朝食後のコーヒーを飲みながら「今日は何曜日だっけ?」なんて言うようになるんだろうけど、穏やかな人生の余韻を楽しむというか、あるいは「定年」を勤労生活からの卒業として、後はのどかに草を食む毎日を重ねて行くというか、それなりに幸せそうなシーンにある種の憧憬を感じるな。

実際のところは、憧憬を感じて目をうるうるさせている場合じゃなくて、現実になろうとしている自分自身の「老後」をどのように設計するか、そこを目先の仕事以上にじっくりと腰を据えて考えなければならないのが今年。小町には今年の夏に定年退職(日本だから60歳か)になる男性が「定年退職後の生活」について先人?の意見を聞いているトピックがあって、週/月/年に何回という単位でいろいろなことをやっている自分の生活を退職後の「過ごし方」の計画例としてあげた人がいたけど、きっとこの人は根っからのサラリーマンだったんだろうな。まあ、定年退職して何もすることがないよりは「日程表」があった方がいいのかもしれないけど、子供の「夏休みの生活時間表」じゃあるまいし、10年も20年も続けられるのかなあ。

かといって、毎日起きて「さあて、今日は何をしようかな~」という生活にも一抹の不安のようなものを感じるのは確かで、このあたりはワタシも日本人らしさを残しているということかもしれない。さりとて、日ごろから現在以上の「主婦業務」はやらないと宣言しているとおり、(カレシとの共同作業ならともかく)月曜日は洗濯、火曜日はトイレの掃除などという日常は極力避けたいから、念のために毎日の「今日は何を」の中に「仕事」という選択肢を残しておきたいとも思う。たまたま会社勤めの身分でないからそれが可能なわけで、自分のアイデンティティを揺さぶられて、10年経っても消せないわだかまりを植えつけられる出来事がなかったら、今頃は天職だと思ったほど好きだったこの仕事を65歳になったからと言ってやめるなんてとんでもないと思ったかもしれないな。

ワタシの人生って、なんだか曜日の並びがずれたカレンダーのような感じがしないでもないな。

仕事納めなしで気分だけ仕事始め

1月3日。火曜日。今日も起床は午後12時半過ぎ。外はかなり本降りの雨で、ベッドルームの中は暗い。日曜日だった元旦の振替休日が終わって、今日から新しい「平常」。もっとも、寝正月の癖がそのまま平常になってしまうというのはちょっと困るような気もするけどな。

カレシの要望で今夜のメニューに載ったラタトゥイユをスロークッカーに仕込んで、英語教室の午後の部がまだ休講中で夜の部の教材の準備に勤しむカレシを置いて、雨の中を銀行まで歩いて出かけた。カレシは「車で行けば?」というけど、バンクーバーのドライバーは雨が降るとなぜか猛烈に危ない運転をするので怖い(雪の日はもっと怖いけど)。濡れても困らないトートバッグを肩に傘を差してテクテク。それにしてもよく降るなあと思ったら、今日は大雨注意報が出ていたんだった。道路を渡るたびに交差点で排水溝に流れずにたまっている水がけっこう深くて、モールの道路向こうの銀行に着いた頃にはつま先がじわっと濡れた感じ。やだ、もう。

それでも銀行はかなり人がいた。クリスマスからのホリディ明けでお手元不如意の人が多いのかもしれないな。珍しく銀行の中にあるATMの前に並んで、今月必要な現金を引き出して、今度はモールへ。外側を回ってスーパーで在庫が少なくなって来た白身の魚をどんと調達。ついでにカレシがなくなったと言っていたきゅうりも買って、重くなったトートバッグを肩にまたテクテク。家に着いた頃にはジーンズの裾はびしょびしょで、つま先が靴の中で泳いでいた(は大げさだけど絞れるくらい)。でもまあ、トロントは最高気温がマイナス12度とか言っているから、寒くないだけましってことかな。

夕食は買って来たばかりのオヒョウといい具合に出来上がったラタトゥイユとアスパラガス。テレビのニュースで、不動産の公式評価通知が今週中に届く予定だと言っていた。バンクーバー市内の戸建ては10%から25%の上がっ、逆にウィスラーでは10%も下がったそうだけど、こっちはアメリカの不景気でリゾートに別荘を買う人が減ったせいかもしれないな。それにしても、バンクーバーの標準サイズの土地に建っている標準的な戸建ての平均評価額がとうとう100万ドルの大台に乗ってしまったというからすごい。感覚的に1億円ってところか。リーマンショックのときにほんの一時期だけ値下がりしたけど、後はかなり急な右肩上がり。誰が買っているんだろうな。我が家は土地が標準より少し小さいのでいつも平均よりやや低めだけど、今度は地下鉄開通に合わせた大規模なキャンビーコリダー再開発計画のおかげで沿線の不動産価格が高騰しているそうだから、ある程度おこぼれ的な影響があるかもしれないな。まあ、通知が来て見てのお楽しみだけど、バンクーバー市に戸建てを持っているとみんなそれだけでペーパー百万長者。固定資産税が増えるだけなのに、やだ、もう。

英語教室に行くカレシを送り出したら、腕まくりして仕事。めったに来ないところから「もう仕事を始めてますか~?」なんてメール。これもちょっとばかりかさ張る仕事だなあ。今月はもうぎっちぎちなんだけど、まあ、久しぶりだからぶち込んでしまおうか。それよりもまず、仕事納めの日に仕事始め早々の納期指定で置き逃げされた仕事を片付けてしまう。何しろ今どきのビジネスのホットなキーワードをキラキラとちりばめてあるけど中身がない。直訳すればますますわからなくなるし、コンセプトが日本的過ぎるのかポイントがイマイチわからないから意訳のしようもない、鼻をつまみたくなるような文書。固有文化の色が濃い美辞麗句を別の固有文化の読者が読んでわかるように翻訳するのはほんとに難しい。それに、どっちみち最終的には発注元で日本語的直訳英語に「訂正」されてネットに発信される公算が大だから、脳みそをかき回してがんばるのも無駄なような気もするし、やだ、もう・・・。

こいつは春から縁起が・・・どうなの?

1月4日。水曜日。いい気持ちで寝ていたら、アラームの音。がばっとはね起きて、アラームを解除。午前11時50分。いつも正午過ぎに来るシーラとヴァルがもう到着して、「起こしちゃった?ゴメンねえ。でも、ハッピーニューイヤー!」と、あんまり申し訳なさそうではない明るい顔。う~ん、正午に目覚ましをセットしておいたのになあ。

とにかく、シーラが二階、ヴァルがベースメントで掃除をしている間に、ワタシたちは中間の一階で朝食。それからメールをチェックして、字あまりのような仕事が来ていないこと、鼻つまみ仕事を送ってあったことを確認して、廃用の電子機器を。「The Hackery」というおもしろい名前のリサイクルショップに持って行くカレシに付き合って、途中にあるGourmet Warehouseに行くことにした。ここはスパイスなどの食品もあるけど、何よりもワタシの狙いは料理道具や小皿の類。店のオーナーはテレビでモーレツな早口で料理の仕方をまくしたてたり、地元の雑誌にレシピを書いているマクシェリーさんというおばちゃんで、じっくりと見て回ると優れものがいろいろと見つかるから楽しい。今日の目当ては魚の鱗落とし。これが1本あれば、Whole Foodsで時間のかかる鱗落としをしてもらわなくてもいい。

カレシが姿を現したのはまだ店内の3分の1も見ていない頃で、「店のすぐ外にトラックを止めたけど、午後3時から駐停車禁止だから、あと20分だ」と言うので、それは無理。カレシは別のところへ止めると言って出て行った。その間、別の店で品切れでクリスマスに間に合わなかった「ワイン試飲セット」を見つけてばんざ~い。細長いお皿にミニのワインカラフが3本。ワインだけでなく、いろいろな三通りに使えそう。戻って来たカレシに見つけたと報告しようとしたら、あら、すんごいふくれっつら。どうしたのかと思ったら、店の後ろにスペースがあって、バックで入ったらガスのメーターを保護するために立っていた柱にガン!とぶつかって、後ろのバンパーがバンッとへこんでしまったとか。「見えなかったんだよ~」とむくれているカレシ。まあまあ、トラックは後ろの視界が良くないから、事故のひとつやふたつくらい起きるわな。バンパーだけなら修理も簡単でしょ・・・と、ちっとも怒らないワタシ。

昔なら「おまえが他に止めろといったのが悪い」とぶっちぎれるところだけど、非難抜きで冷静に修理の話に持って行かれると、どうもその切れが鈍るらしい。ワイン試飲セットを見せられてご機嫌が直ったらしいカレシ、ビターや珍しいジャムの類を探して回って、見つけてきたのが柚子のマーマレード。掘り出しもんだなあ、それ。結局、2人でバスケットいっぱいの買い物。店を出たらまん前で駐車していた車が違反チケットを切られていた。途中でトヨタのディーラーの向かいにある修理屋で予約を取ろうということになって、ラッシュの中を目指す工場まで行ったら、駐車スペースは満杯で、路上駐車の場所も見つからない。繁盛しているってことかな。何ブロックか先にやっと駐車できるところが見つかって、カレシだけ修理工場へ。だいぶたって戻って来たカレシ、「何ブロックも歩かなくても、すぐ前にあったのに」とひとり笑い。

何でも、目指した工場では受付で待っていても誰も応対しに来なかったので、諦めてトラックに戻る途中で向かい側に小さい修理工場があるのに気づき、立ち寄って事情を説明したら「持って来て」。印象が良かったというのでさっそく行ってみたら、つなぎのおじさんが「バンパーを取り替えないとね」。パーツの手配をしている間、いかにもイタリア人といった感じの愉快なオーナーがオフィスの床が何となく傾いているこの修理工場を始めたのは50年前だそうで、移民して来た子供の頃の古きよきバンクーバーの回顧談を生粋のバンクーバーっ子のカレシと延々。聞いているとなかなか楽しくて、かなり待っていたことに気づかなかったくらい。最終的に、OEMのバンパーが見つかって、明朝配達。修理費用は推定1500ドル。うわ~、1500ドル(15万円くらいの感覚)かあ。やれやれ、駐車違反の罰金の方がずっと、ずっと安いよねえ・・・。

家に帰ってきて、急ぎ食事の支度を始めたら、またまたふくれっつらのカレシが「持って行くのを忘れたリサイクル品がベースメントにたっくさんある」。どうやら、床に置いてあったものに気を取られて、ワークベンチの上に積んであったものはまったく目に入らなかったらしい。(これだけの量なのに目に入らないというのもすごいというか何というか。)「運びながら何だか少ないなあとは思ったんだけどさ」とカレシ。あっ、そう・・・。

保険がきいて修理費が実質5分の1

1月5日。木曜日。夢の中で、カレシやデイヴィッドがいて、食べ物がたくさんあって、何だかんだと言っているうちに目覚ましが鳴って目が覚めた。午前11時30分。トラックを修理工場に持って行くことになっているんだけど、起きたとたんからカレシは保険のことを調べなければとか何とか・・・。

きのうはトラックをぶつけて「壊した」ことで気が動転してしまい、おまけに修理に1500ドルもかかると聞いてますます動転して、自動車保険のことは頭に浮かばなかったとか。ふ~ん。黙っていたけど、早く修理の予約を取ることにこだわって視野狭窄になっていたのはたしかだよねえ。ワタシがトヨタのディーラーに衝突事故専用の番号があるからまずそこに相談してみたらと言っても即刻却下だったし、保険でカバーされないのかと聞いても「手続きがめんどうだし・・・」とか何とか聞く耳持たずだったよねえ。その結果、高すぎるんじゃないか、ぼったくられるんじゃないかと疑心暗鬼になってひと晩悶々としていたなんて・・・。

自動車保険の証書を見ると物損事故は自損でも他損でも自己負担控除が300ドルでカバーされている。なんだ、要するに保険で修理すれば300ドルで済むってことじゃないの。出費15万円と3万円では気分的にずいぶん違うのはたしかで、カレシは気を取り直してトラックを修理屋に持って行った。預けて歩いて帰るなら付き合おうかと言ったけど、保険の相談をするだけだし、きのう忘れて行ったリサイクル品を置いてくるから「どっちでもいい」。しばらくして、保険代理店と相談してから決めるように言われたと帰ってきたので、たまたま今月31日が更新期限なのでついでに払ってしまおうと、さっそく保険代理店へ直行。

BC州の自動車保険は州営(ICBC)の強制保険で、基本保険料はかなり高い。移動中の物損事故の修理費や人身事故の賠償金、最低限度しかかけていない人にぶつけられたときの修理費や賠償の不足分の補填などを増やせば保険料はどんどん上がる。(だから、月賦で自動引き落としする制度もある。)でも、移動中の事故の保険請求がなければ毎年少しずつ「格付け」が上がって保険料が最高43%まで減額され、請求があると金額によって格付けが下がって減額率が減り、また1年ずつ事故を起こさなければ減額率が上がる仕組みになっている。人身事故など重大な事故を起こせば格付けがマイナスになって保険料は基本額よりぐんと高くなるので、ぶつけてばかりいたら年間の保険料は数千ドルにもなることがある。

50年を超える運転歴で事故の保険請求をしたことがないカレシはずっと最高率を維持して来たので、トラックの保険料は1300ドル弱。それが保険請求でマイナスの影響があるかもしれないということなんだけど、結果は最高格付けから1段階下がるけど減額率には影響はなし。ならばと請求手続きを教えてもらって、帰って来て電話で5分で終了(オンラインでもできる)。カレシが請求したことがないから知らなかっただけで、いつのまにか様変わりしていたらしい。昔だったらICBCの請求センターが破損状況を実際に見て損害額を査定し、衝突事故の場合は当事者の責任を按分して保険金の支払額を決めていたけど、手続きに手間隙がかかる上に実際の修理費が保険金より大きかったりしてえらく不評だった。今は請求番号をもらって認定工場へ行けば自己負担分を払うだけで、残額は工場が直接ICBCに請求する仕組み。出向いて行って順番待ちして車の損害を査定してもらって・・・という手間がなくなったのはサービス向上かな。

今度は工場にトラックを置いて来るということで、カレシに付き合って行って、帰り道はおしゃべりしながら手をつないで歩け、歩けの「運動」。家までは30分もかからないけど、そういう時間もなかなか乙なもの。風はまだちょっと強いけど、天気は穏やかで、いつのまにか増えた新築の家の評定をしながらしばしの2人だけの時間。他人の評価がくるくると変わるのはボーダーライン人間の特徴らしいけど、一時は不安症や疑心暗鬼に陥ったカレシは自分で考えて実行することで、特に人との関わり合い方について何か学ぶところがあったらしい。この世に「夫教育」なるものがあるとすれば、ワタシの一度だけアドバイスや提案をして後は突き放す「教育方法」も間違いではないということかな。(そもそも夫は妻が教育する対象じゃないと思うんだけど。)

「相手を変えることはできない」。これは対人関係の悩みごと相談サイトの定番になっているアドバイスであり、ワタシが複数のカウンセラーにくどいjほど植えつけられた思考。自分が心地良くて楽なように相手を変えようとしても、角を矯めて牛を殺すの譬えどおりになるだけだろうけど、自分の視点や相手との対処法を変えてみることで思いがけない人間像や新しい人間関係が見えて来て、交流しやすくなるということかな。まあ、それぞれに個性を持った個人なんだから、それがあたりまえなんだろうけど、「自分で対処しなければならない」体験を通して、来年は70歳になるこの年でも対人スキル(不合理な人間不信の思考に囚われないこと)や問題解決スキル(今何が問題点で、まずは何をするべきか)を学んだと言えるカレシ、見直しちゃったなあ。

バブリーな豊かさはめでたくもなし

1月6日。金曜日。2人ともぐ~っすり寝て、起床は午後12時40分。きのうは10度も会ったけど、今日は雨で平年並みの5度。天気予報は月曜日まで雨、雨、雨。まあ、予報マークの雨粒に雪印が混じっていないだけいいか。

カレシのトラックの修理が終わって、雨が降る中を歩いて行くのもなんだからと工場までタクシーサービス。盛大にへこんだバンパーの取替えが済んで、カレシはご機嫌。実は前にもちょこっとぶつけて小さいへこみができていたのを1回の修理で、しかも保険でまとめて直せたということで、まあ、めでたし、めでたし。カレシは何かとくたびれたので、この先はゆっくりすると宣言。いいなあ。ワタシは年末に鼻つまみ仕事をねじ込んだおかげで、仕事前線が大荒れの予報。来週の金曜日までに400字の原稿用紙をびっちり埋めたら90枚以上になる量をこなして、その次の金曜日までにさらに40枚・・・。

大丈夫かいなと思案していたら、何度も声をかけてもらっているのにタイミングが合わないでいたアメリカの会社から大型プロジェクトのお声がかかった。訴訟の資料だけど、ワタシには長いキャリアの中で一度遭遇するかしないかというくらいの、何としてもやらせてもらいたい案件。迷わず、やりたいっ!と返事をしたら、とりあぜず月曜日までに原稿用紙16枚分はどうだ、と。 うは、そんなにたくさん入るわっきゃないよ。だけど、だけど、この仕事はどうしてもやりたい。徹夜してでもやりたい・・・。

やる気が猛烈に逸って、徹夜を覚悟でOKの返事。ねじり鉢巻が何本いるかなあ、なんて武者震いしていたら、同じ関連で優先案件が入って来たので、「とりあえず」はとりあえずキャンセル。(ほっ。)送られて来た優先案件というのが、これまた原稿用紙に詰めたら75枚相当はあって、期限は30日。でもまあ、これなら徹夜しなくても何とかなりそうなスケジュールで、ちょっと安堵。まあ、通年でのフル稼動は今年が最後と決めたんだし、そんなときに舞い込んだワタシにとっては「どうしてもやりたい」仕事だし、がんばろうっと。それにしても、こんな調子で今年1年を突っ走ったら、もしかしたら婚活女性が求める「高収入」の範疇に入れてもらえるかもしれないけど、ワタシにはすでに「専業隠居」の婿さんがいるし、スケールダウンする再来年に税金で跳ね返って来るから、めでたがってはいられないな。まあ、これでも昔ほどは「激務」でやっていないからそんなことにはならないだろうけど、税金のこととなると何となく胃のあたりがじわ~っと痛くなって来そう・・・。

不動産の査定通知がやっと今日の郵便で届いて、我が家は去年より18%アップ。平均の上昇率よりやや高いけど、数字だけ増えてもそんなにめでたいのかどうかはわからない。土地の評価だけを見ると、買ってから30年で10倍を超えたけど、絶対に確実なのは固定資産税が上がるってことくらいで、その分だけ市のサービスが良くなるってわけでもないから、さっぱりめでたくないな。日本のバブルの時代に東京に戸建ての家を持っている実家があった普通の人たちはどんな気持でうなぎ上りの地価を見ていたんだろう。裕福になったという感じはあったのかなあ。だって、田舎に引っ越すのでない限り、庶民にとってはマイホームがバカ値で売れてもバカ値で新しいマイホームを買うしかないから、所詮は数字だけの裕福さ。これではばら色の夢の描きようがない。やっぱり、まじめに働いて、こつこつと日銭を稼ぐのが一番確実な暮らし方か・・・。

ということで、グチグチ書いている暇があったら、まじめに仕事、仕事・・・。

超過密スケジュール、どうして?

1月7日。土曜日。相変わらず雨。きのうは寝酒もせずに早めに寝て、たっぷり、ぐっすり眠って、起床は正午。朝食後にぼちぼちとクリスマスツリーの取り外しを始める。クリスマスの12日間が終わる公現祭(きのう)の前の日に片付ける習慣になってはいるんだけど、仕事の予定しだいでは手が空かない年もあって、今年はまさにその年。まあ、飾りを少しずつ外してしまって行けば、週末中に何とか終わるかなあ・・・。

土曜日だというのに、ニューヨークからまた仕事の話。びっちり縦書きのなんたらかんたらややこしい判例のようなもので、縦書きだから当然数字まで漢字。まあ、旧漢字じゃないからまだいいけど、なぜか苦手なんだなあ、漢字の数字を読むの。だけど、これも原稿用紙に詰め込んだら80枚は行ってしまいそうな量。これ、全部はできないよ。がんばっても1週間はかかるよ。ワタシのスケジュール、もう立錐の余地がないんだから、これじゃあ1月は31日ぶっ通しで仕事ということになってしまうじゃないの。いったい、新年早々からどうなってんだろう・・・。

とりあえず、この日からこの日までの間にこれくらいならねじ込めるという返事を送っておいたから、あとはコーディネーターの裁量しだい。翻訳会社のプロジェクトマネジャー、コーディネーターというのは大変な仕事だなあとつくづく思う。クライアントは無理難題を吹っかけて来るし、原稿は遅れるのに納期だけはいつもせっかちだし、下請けの翻訳者はラッシュのときに限っていつもの人がいなかったり、翻訳者とチェッカーの相性が良くなかったりで、間に入ってほんっとにしんどいだろうな。もうかれこれ10年近くお世話になっているコーディネーターさんも、メールの送信時間を見たら午後7時過ぎということがざらだし、週末もメールをチェックすることが多いらしい。そういうところを考えると、自分の家にいて、引き受けた仕事をきちんとこなして期限までに納品できれば、後はどうにでも自由がきく在宅フリーランスは楽な方なんだろうな。

でもまあ、切羽詰るとデスクの周りの整理も適度の息抜きになるということで、来週中に支払期限になる請求書はひとつにまとめ、不動産の査定通知はファイリングキャビネットのフォルダに。クリスマスカードの封筒は別のところにひとまとめ。返事を書きたい手紙は請求書の隣に。新年に入って届いた小学校1年生からの友だちは、もうひとりの同級生の活躍を伝える新聞記事の切り抜きを送ってくれ、長い手紙には3年前に夫を亡くして悲嘆のどん底にあった娘さんが再婚したと書いて来た。相思相愛の人と結婚して幸せだったのにわずか2年で突然の別れ。激務の末の突然死だったらしい。27歳の若さで未亡人になった娘を母親としてどう慰めていいのかと途方にくれる友だちにワタシも一緒に泣いてしまった。その娘さんが悲しみから立ち上がって、新しい伴侶に出会って再出発できたという喜びと安堵が伝わって来て、何だかワタシもほっとした気持で涙がほろっと出て来た。長い返事を書きたいから、彼女の手紙は手近なところにおいておこう。

肘を突っ張れるelbow roomができたところで、今日の仕事は自然科学。科学方面の仕事は、参考資料をググりまくり、百科事典をめくり、科学用語の辞書をひっくり返しながらの作業だけど、ワタシにとってもいろんな新発見があって、難しくはあるけどとにかく楽しい。人間、いくつになっても好奇心は常に磨いておくもんだなあと思う。さて、この仕事の残りは原稿用紙にして後60枚くらい。ひとつ、腕まくりにねじり鉢巻で、木曜日の納期に向かってぶっ飛ばすか・・・。

超過密スケジュール、もう知らないから

1月8日。日曜日。起床午後12時半。起きてまもなく電話が鳴って、カレシが発信番号表示を見てニューヨークからだというので出たら、きのう大きな仕事をねじ込もうとしていたところ。日曜日だというのにコーディネーターが出社している!へえ、アメリカ人までが残業に休日出勤?世界中がどうかしちゃっているんじゃないのかな。大丈夫か、2012年・・・。

まだ顔も洗っていなくて、寝ぼけたまんまの頭だったし、向こうも何だか切羽詰っているような感じだったもので、既訳部分を外した残りだったらどうだろうというのについ何とかなると返事をしてしまった。さらにそれをわずかな隙間にぎゅっと詰め込まれて、5日あれば何とか・・・と言ってみたけど4日でということになってしまった。量が減ったとは言え原稿用紙単位で量ったら60枚はあるんだけど。へたすると2012年の徹夜第1号になりかねないんだけど。夜討ちはまだいいけど、朝駆けはなしにしてほしいなあ。ボケッとしていて墓穴を掘っちゃうじゃないの、んったく。

在日外国人がやっているとあるニュースブログのサイト(ここは日本のテレビニュースの動画クリップが多い)をちょこっとのぞいてみたら、「あちゃ~」と顔に手を当てている日本の総理大臣の写真。世界のメディアは未だに日本の「野田ヨシヒコ」総理大臣の名前をちゃんと覚えていないという話で、欧米の有力新聞までが「ヨシコ・ノダ」と書いているそうな。あちゃ~だな、ほんと。少しばかり斜陽とはいえまだまだ世界有数の経済大国である日本の総理大臣の知名度がそんなものでしかないのか、それともあまりにもくるくる総理大臣が変わるものでジャーナリストたちもきちんと覚える気がないのか。もっとも、日本の毎日新聞の英語版で日本人のコラムニストの記事の英訳でも「ヨシコ・ノダ」になっていたそうだから、日本に住んでいるであろう翻訳者も編集者も間違いに気づかないほど影が薄いということなのか・・・。

さて、今日から「おうちジム」の営業を再開。まずは腹筋運動をして、それからトレッドミルに乗って15分で1マイル(1.6キロ)のスローペース。それでも汗がわっと吹き出す。まあ、ホリディの間は目いっぱい食べて飲んで(仕事をして)、フィットネスの方は休みにしてしまっていたけど、そろそろおなかのぷよぷよ加減が気になって来たから、おうちジムに復帰して緩んだ筋肉を締め直しさないと、2人とも目も当てられなくなるものね。ひょっとしたら早々と徹夜第1号ということになるかもしれないワタシは、しっかりエネルギーを蓄えて、ついでに血の巡りも良くしておかないと仕事の効率が上がらない。効率が上がらないと、しなくてもいい徹夜をする羽目になって、ますますその後の効率が下がる。負のスパイラルというやつかな、これ・・・。

トレッドミルをとことこ走りながらつらつらと考えていたら、ビートルズのポール・マッカートニーが書いた歌がふと頭を過ぎった。「Will you still need me, will you still feed me, when I’m, sixty-four?(64になっても、まだ必要としてくれる?まだご飯を作って食べさせてくれる?)」という、なかなかかわいいラブソングだけど、これをクライアントに宛てたら、何となく「64歳になってもまだ必要としてくれる?まだ仕事をくれて食べさせてくれる?」とラブコールを送っているようにも聞こえる気がするなあ。42歳でこの稼業に足を踏み入れたときはそんなことは考えてもみなかった。もっとも、ワタシにはもうすぐその「64歳」になるという実感が(というか認識が)まだぜ~んぜん
ないんだけど・・・。

徹夜をしなくても良くなった!

1月9日。月曜日。相変わらずぐずぐずの天気。正午起床。あまりよく眠れなかった。早寝をしたと言っても、ちょうど区切りのいいところまで仕事をして、ささっとシステムを落として、オフィスを閉めたから、すぐさまベッドに飛び込んでそのままぐぅ~というわけには行かない。脳みその回線はまだ火花を散らしているわけだし、5日分はある仕事をどうやって4日間に詰め込もうかと考えているとリラックスできなくて寝つきが悪い。でも、ここのところお酒の量を控えているから、我が愛しのレミに頼るわけにも行かないし・・・。

それでも今日はぶっ飛ばさなければと意気込んでオフィスへ。早々と発注書が来ていた。送信時刻は午前7時。日曜日出勤していて、翌月曜日もこんなに早くから出勤かあ。ニューヨークの人にはそんなのはあたりまえなのか、それともこの会社がそういうところなのか、そのあたりは知る由もないけど、コーディネーター同士で下請けの奪い合いをやることもあるのかな。(別の会社でそういうこともあるという話を聞いたことはあるけど、真偽のほどはわからない。)とにかく、既訳部分を外して期限は来週の火曜日。それまでの仕事量を合計してみて、今日からのカレンダーの日付を数えてみたら、あ~あ、やっぱりどうしてもどこかで徹夜が入りそう。ま、後悔は先に立たずなんだけど・・・。

最初に期限が来るファイルを開いて、目を三角に吊り上げてぶっ飛ばしていたら、コーディネーターさんから緊急メール。クライアントから案件のキャンセルが入った、と。まずは、はあぁぁぁ?で、ふぅぅ~。それから、イェ~イ!うっはっはあ!これで徹夜をしなくてもすむぅ!助かったぁ!よくあることではあるけど、発注元に振り回されるコーディネーターさんは大変だな。ワタシの方は、生業の仕事がキャンセルになって欣喜雀躍というのも何だけど、今回は大いにうれしい。何しろ徹夜しなくて良くなったし、金曜日まではまだ押せ押せだけど、それをさらに押せ押せにしなくてもいいし、運が良ければ、週末から先、次の仕事を始めなければならないぎりぎりまで休めるかもしれないし。まあ、日本ではまだ新年が始まったばかりだし、さっそくの三連休が終わったばかりだから、運が良ければ・・・。

何だか急に元気が出て、トレッドミルはルンルンの気分。背筋を伸ばして走っていると一番先にスリムになるのがウエストの上の胃の辺りからわき腹にかけてのぷよぷよ。もっとも、運動をさぼっていると真っ先に緩むのもここで、スカートがきつ目になって来るからすぐにわかる。一方で、おなかの皮下脂肪の方は一度増えたらなかなか減ってくれないから、こっちは腹筋体操で対処することになるけど、立っているときに背筋を伸ばして、意識的に腹筋をぐっと締めていると少しは効果があるような気もする。背筋をすっと伸ばしていると胸郭が広がって呼吸量も増えるし、背が伸びたようでちょっと若々しく見えそうだし、もしかしたらちょっぴり上品に見えるかもしれないし、一石何鳥なんだか知らないけど、いいこと尽くめ。何よりも健康にいいし・・・。

運動の後はシャワーでさっぱりして、さて、夕食。きゅうりうおのパックを解凍してあったので、冷蔵庫にあった残り物のトマトのパサタ、ちょっとくたびれたししとう、コリアンダー、しいたけで、即席に「きゅうりうおのタイ風トマト煮」。刻んだコリアンダーを混ぜたメコンの花米を添えてみたら、意外と良くできていた。後は、コーヒーもジュースも野菜類もトイレットペーパーも底を尽きそうだから、盛大に買出しに行って来ないと。うん、縦書きのお役所文学のやりにくそうな仕事、キャンセルされてラッキー!

寄る年波というのはやっぱり手ごわい

1月14日。土曜日。午前11時ちょっと前に目が覚めたら、外は明るいようす。耳を澄ましても、シャベルが歩道を引っかくような音がしないので、雪は積もっていないと判断してまたうとうと。正午を過ぎて起きてみたら、案の定、車道も歩道も雪はすっかり消えていた。ほっ。

きのうは、北極の寒気が降りてきたということで降雪注意報が出て、ニュースは「大変だ、大変だ」と、まるでチキンリトルの「お空が落っこちて来るぅ!」に似ていなくもない大騒ぎ。(2008年から9年にかけてのドカ雪がまだトラウマになっているらしい。)夜になって降り始めた雨が夜半になって雪に変わって、地面が白くなり始めたけど、午前3時頃には気温が上がって来たのか、ぼたん雪なんてもんじゃない。直径が2、3センチもありそうなでっかい雪ひらが窓にベタッ。そのうちにボテッ、ボテッと地面に落ちる音が聞えるんじゃないかと思ったくらい。

いやあ、それにしてもこの4日間というもの、我ながらよくがんばったと思う。昼ごろ起きて朝食を済ませたら、すぐ仕事。夕方になったら夕食の支度をして食べて、また仕事。真夜中のランチを食べて、また仕事。ちょこっと寝酒をしてリラックスして、就寝午前4時。まあ、まっじめに1日8時間勤務で仕事をしたような気がする。おかげで大きな仕事を納期に間に合わせることができて、次の中くらいの仕事も1日半はかかる量をきのう1日ぶっ飛ばして納期に間に合って完了。ああ、くたびれた。もっとも、その間に「徹夜してでもやりたい」と手を上げた大きな訴訟資料の仕事がどんどん増えて、とうとう2月の後半までいっぱいになってしまったから、ひと休みは今日と明日だけで、月曜日からはまたねじり鉢巻を締め直さないとね。

でも、何だかすご~く久しぶりに仕事に没頭したという感じがした。フリーランスとして旗揚げしたのが1990年の2月1日。振り返ると、のっけからアメリカでの大きな訴訟の資料を英訳する仕事があって、いきなり月月火水木金金の営業体制。そのままY2Kの到来と共に燃え尽きるまで、家事も100%負担しながらがむしゃらに仕事をした10年。着て行くシャツがない!とカレシに怒鳴られて、夜中過ぎに半泣きでアイロンかけをしたこともあったな。どんなに遅くまで仕事をしても、朝は6時半に起きてカレシのお弁当を作っていた。日本から買って来たお弁当箱に、日本の奥さんが作るようなお弁当を作って詰めていたっけ。その間カレシはベースメントに下りて行って体操をしていた。だから、その体操の時間を日本のオンナノコたちとの歯の浮くようなチャットに費やすようになったときはすごいショックだったのかもしれないな。

あの10年間、ワタシはいったい何を考えていたんだろうな。会社勤めと違って、フリーランスは仕事をすればするほどお金が入って来る。(もちろん、仕事がなければお金は入って来ない。)ワタシの毎月の財務諸表を見ては、「この調子だと、ボクは早く引退できるなあ」と言うカレシのにこにこ顔を見るのがすごくうれしかった。ひょっとしたら、ワタシの心のどこかに「アジアから来た嫁」という引け目のようなものがあったのかな。それとも、何となく遠い存在のように感じていたカレシの歓心を買おうとしていたのかな。(あのニコニコ顔の裏で嫉妬や嫌悪感が育っていたなんて想像もしなかったな。)それとも、カレシと一緒に暮らし始めたばかりの頃に「ボクに何かあっても自分で生活して行けるでしょ?」と言われたもので、経済的に自立しなければと人一倍の気張りがあったのかな。何を考えていたのか、今では自分でもよくわからない。

いずれにしても、あの頃はこんなしっちゃかめっちゃかな働き方をおかしいとも、辛いとも思わなかった。今になって考えると、やっぱりおかしいな。でも、あの頃はおかしいことをおかしいと思わない精神状態に陥っていたんだろうな。まあ、ワタシってあんがい負けず嫌いで、窮すればライオンにだって噛み付くところがあるんだけど、そこがモラハラの陰湿なところで、どんなに強気の人間でもだんだんに自分の意志に反して相手の言動に合わせて考えるようになってしまうということなんだろうな。そんな中で、人生最大の嵐の最中でも仕事にしがみついていられたのは、元々生存意欲が強かったということなのか。

それでも、今はあの頃ではなくなったんだと実感しながらのガリ勉ならぬガリ勤ではあったけど、やっぱり時間の流れにだけは勝てないなあ。家事なんか食べることに関する以外はろくすっぽやらないのに、4日間の猛ダッシュは少々きつかった。うん、徹夜をしなくても良かったのは、もうそんな年じゃないんだからという、神さまの思し召しだったんだな、きっと・・・。

大汗をかいたつかの間の休み

1月15日。日曜日。ゆうべは盛大にあられが降ったり、雪がちらついていたりしたけど、起きてみたらまたいい天気。予報では次の週末までは冷え込んで、雪/雨/雪交じりの雨が降るんだとか・・・。

休みと決めたこの週末、土曜日のきのうはカレシの「オフィス」の模様替えの手伝い。ワタシの後ろにある本箱を長方形の部屋の長辺の反対側に移して、今まで仮にそこにおいていた新しい方のコンピュータをデスクごと本棚のあとに持って来るという、一見して簡単そうなプロジェクトだけど、本棚はIKEAの天井まで届く大きなもので、空っぽだからと言ってひとりで動かせるしろものではない。それをワタシが仕事に没頭していた4日の間にカレシが自分でやると言い出したのを、人が必死で仕事をしているすぐ後ろでどたばたと家具の移動をやられるのはメイワク以外の何ものでもないので、手伝うからという条件で延期してもらったのだった。

案の定、頑丈にできている本箱は相当の重量があるから、2人がかりでも、滑るようにカーペットの床に段ボール紙をしいて、そろりそろりと動かすのがやっと。何とか一時的に置く場所まで動かしたら、今度はコンピュータデスクを移動。これはキャスターがついているから楽々。そのあとに所定に位置までそろそろと本棚を動かして、こっちはまず完了。コンピュータデスクの方は八角塔の壁なので直角になっていないから、どうも収まりが悪い。結局、ワタシのオフィスから壁沿いにひとつなぎになっているデスクの2人のスペースの境界の角に置いてあったプリンタの向きを90度変えて、操作パネルはワタシの側からアクセスするように変更。その角にコンピュータデスクを付けて、ぽつんと立っていたワタシの(同じIKEAの)本箱を2人でえんやこらと押してコンピュータデスクと並べて、どうやら収まりがついた。(ずいぶん広くなって見える。)

次は、カレシのデスクの下に取り付けてあったキーボードトレイを外して、ワタシが15年使ったハーマンミラー製のキーボード/ラップトップ用スタンドに切り替える作業。自動車修理工のようにデスクの下にもぐり、ねじ回しで何本もねじを外して・・・最後のねじを外したところで、重たい金属のトレイが突然落下して、ワタシの口にガツン!幸い上唇のすぐ上にごく浅い切り傷ができただけで歯が折れなかったのは、ほぼ座った体勢だったので、唇そのものが前歯の上を滑ってクッションになったんだろうな。トレイを運び出したカレシが、「こんな重いものが当たって歯が折れなかったのは奇跡だ」と感心していたけど、うん、まったくワタシって運のいい人だよね。

きのうの真夜中のランチはカレシが作った「ガスパッチョ・ドレッシング」を利用した「スパゲティのガスパッチョソース」。水曜日にカレシが「忙しそうだからボクが夕食を作る」と言って、本をひっくり返して見つけたレシピと写真を見ながらディナーサラダ↓を作ってくれた。

[写真] ニース風サラダとガスパッチョドレッシング」と言うんだそうで、お皿の手前のオレンジ色のソースがそのドレッシング。レシピの通りに作ったらボウルにいっぱいできてしまった。(野菜の方はレシピの分量では少なすぎたので、発芽玄米を炊いてトーストした松の実とマカダミアナッツ、バター炒めしたシャンテレルきのことマッシュルームを混ぜ込んで補足。)そのドレッシングがまたやたらとおいしかったもので、残りを翌日にルイジアナの唐辛子ソースをちょっと加えて温めたものをオヒョウのソースに使い、ゆうべは赤ピーマン、にんにく、玉ねぎを炒めて唐辛子ソースを加えたものと合わせ、赤ワインで緩めてパスタソースにしてみたら、どれもなかなかいける味。すっかり気を良くしたカレシは「ソース・シェフ」を目指すと宣言。まあ、ドレッシングもソースのうちだから、作りすぎてしまったら、いろいろと利用法を考えてみるからね~。

休みの2日目はまたも大工仕事。ワタシが奥の小部屋に置いていた開き戸式の小さい収納ボックスを、カレシが自分のデスクの上の幅が同じ壁に取り付けたいと言っていた。我が家では実際に棚の類を取り付けるのはワタシなんだけど、今日はきのうの勢いのついで。ワークショップから使い残しの棚受けや道具の類を持って来て、さあ、どの高さがいい?カレシが想像のボックスに手を伸ばして「取っ手がこのあたり」というところに鉛筆で印を付け、カレシがコンピュータをいじっているそばで、まずは一方の端の棚受けを取り付け、もう一方の端の棚受けは、長い物さしを渡して水準器で水平線を決めてから、取り付け。その上にボックスを載せて固定し、中から上の方を後ろの壁に固定して、作業完了。ねじを締めるのに力が要る以外は簡単な作業なんだけどなあ・・・。

でも、このボックスはワタシが札幌で勤めていた20代の初めの頃に給料を注ぎ込んで三越から買って来たユニット本棚の一部で、本棚一式は嫁入り道具代わりに遥々カナダまで持って来て、引越しするたびに解体と組立てを繰り返しながら37年も使って来たものだから、言うなれば我が家の「重要文化財」といったところかなあ。同じ年数を連れ添って来たカレシと同じで、捨てられないよね、今さら・・・。


2011年12月~その3

2011年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
紅鮭に思いつきのクリームソース

12月21日。水曜日。正午前に起床。いい天気。今日は今年最後の掃除の日で、午後1時を過ぎた頃にシーラとヴァルが掃除道具と一緒に赤と白のワインを下げてやって来た。掃除が済んだ後で、毎年恒例になった「忘年会」をやろうというわけ。

3時過ぎに大皿にスモークサーモンやサーモンキャビア、エビのパテ、鴨の燻製を盛り付けて、野菜チップとクラッカーを入れたバスケットを添え、カレシがワインをグラスに注いで4人で乾杯。いつもはワタシが仕事をしていたり、2人が次の客のところへ向かわなければならなかったりして、ゆっくりおしゃべりをする時間がないけど、毎年最後の日は我が家を最後にして、きれいになったキッチンのテーブルでぺちゃくちゃ。カレシがワイングラスを割ってしまうアクシデントがあったけど、ワインが2本とも空になり、ワンちゃんのレクシーがおなかを空かせてご飯の催促を始めたあたりでお開き。2人に今年の感謝のボーナスを入れたクリスマスカードを渡して、楽しいホリデイをとハグしあって忘年会が終わった。

午後いっぱい食べて飲んだので、今日は午後9時過ぎの遅い夕食・・・。

[写真] 紅鮭のグリル、リークと枝豆のクリームソース

思いつきで、小口切りにしたリークとかけらが残っていたスイートポテトの細かいさいころをバターで炒めて、電子レンジで解凍した枝豆を添え、スコッチと乳脂肪分10%の軽いクリームを加えたソースを作ってみた。紅鮭は、ガーリックをローストした後の汁とオリーブ油をとっておいたので、それを塗って塩と胡椒でシンプルにグリル。ソースの上に紅鮭を載せ、周りに残ったサーモンキャビアを散らしてみたら、けっこう見栄えがする。付け合せは蒸したブロッコリーニ。

この分では、今夜はランチは抜きだな・・・。

食道楽クリスマスの準備完了!

12月22日。木曜日。正午ちょっと前に起床。今日もいい天気。でも、天気予報では今夜から高気圧が崩れて、これから1週間は雨、雨、雨。ふむ、サンタクロースのそりに幌をつけたほうがいいんじゃないかな。プレゼントがびしょ濡れになってしまうよ~。

今日はカレシがヘアカットに行く日なので、便乗してモールへ。すっきりしたカレシを落ち合って、IGAへクリスマス前最後の野菜類の買出しという予定。カレシにお金を渡して(なんで自分のお金を持って歩かないんだ~)、郵便局へ行って私書箱を空にして、まずはベイの地下へ直行。先週買ったVilleroy&Bochのお皿を2枚ずつ買い足して、ついでに先週はいいなあと見ていただけの細長いお皿と3個の小さなボウルのセット(セットではないらしいけど)を2組買った。ボウルなしでもけっこうかっこよく使えそうでいい。それからこれまた先週思くてかさ張るし~と思ってやめたお盆セットを2つ。小さいのはおまけということにして、お目当ての大きい方は「機内食風」ディナーにぴったりのサイズ。(カレシは「小さいのはエコノミークラスで、大きい方はファーストクラスだな」と・・・。)トートバッグがずっしり重くなったところで、モールの外に止めた車に運んでトランクに置いて、買い物の第2ラウンド。(駐車場は空きを探す車がぐるぐる回っていて大混雑・・・。)気に入ったミニのスロークッカーがもう1つあれば便利かなと思って、大枚13ドル(約千円)のをもうひとつ買った。

何だか角ばったトートバッグを肩に、目に付きやすい場所に移動したゴディバの店に入ったら、チョコトリュフの半分を差し出されたので、試食。サンタクロース模様のフォいるに包んだダークチョコを買うか、買うまいかと思案していたらカレシから「終わった」と電話があって、結局は買わずじまい。ヘアカットをしてすっきりとかっこよくなったカレシがコアントロがいるというので、道路を渡って酒屋へ。午後3時を過ぎたばかりでもうラッシュ。ここでいつものドタキャンムードになって「IGAは道路が空く夜になってから行こう」と言い出した。ほんっとに今夜行くよね?「行くったら行くって」。金曜日の明日はもっと混むんだからね。「わかってるよ」。それならそれでいいかと納得しかけたところで、「トマトがないからKin’sでトマトだけ買って行こう」。もぉ~っ!

トマトだけ買うんだったら必要な野菜果物をみんな買って、ついでにセーフウェイで買い物リストにあるものを買えば、夜になって出直さなくてもクリスマス明けまで買い物をしなくても済んで効率的だと思うけど・・・と諄々と諭して、とにかく買い物をすることで合意してしゃんしゃん。どうしてこうも生活の手順をややこしくするんだろうなあ。合理的に考えたら超が付くほど簡単なのに、そのときの気分に翻弄されてわざわざ非効率化するなんて、いったい何を考えているやら。まあ、そういうのもカレシの個性なんだろうけど、自分で非効率にしておいて結果について文句を言うのはなしにしてほしいなあ。

それでも、Kin’sもセーフウェイもさほど混んでいなかったので、何とか向こう1週間の冬ごもりの食糧を備蓄し終わったからバンザ~イ。ラッシュの車の流れを離れて駐車場に入って来る車がひっきりなし。そういえば、買い物袋を提げて駐車場を歩いていたら、追い越せるのにそうしないでのろのろとついて来る車があったな。「お、買い物が終わって帰るんだな」と、駐車スペースが空くのを見越して後をつけているんだろうな。まさにIt’s a zoo(すんげぇ混雑)。何で混雑が動物園につながるのかは知らないけど、この分では夜になってもIGAの駐車場は混むかもしれない。今日中に済ませておいてよかったな。

冬ごもりといえば今日が冬至。北米ではこの日が公式に冬の始まり。だけど、実際は明日から少しずつ日が長くなって、じわじわと春が忍び寄ってくる。クリスマスであれ、ハヌカであれ、夜が長い高緯度地方ではしだいに明るさを増し始める光に「再生」を託して祝うのが今の季節なんだと思うな。北緯49度にあるバンクーバーの日の出は午前8時5分、日の入りは午後4時17分で、「昼」は約8時間。もっと緯度の高いところではもっと短いし、正午前後に起きるワタシたちにとっては昼はたったの4時間。ほんと、何か派手に騒いでぱぁ~っと気晴らしができる行事でもないと、春が来ないうちに欝っぽくなってしまいそうだもんなあ。

というわけで、手始めにこれからルイジアナ風コーンブレッドを焼いて、気が向けばバゲットも焼いて、週明けまでひたすら飲み食い三昧で行くぞ~。

クリスマスカラーで気分を盛り上げる

12月22日。今日は買い物で午後いっぱい立ちっぱなしで膝が痛くなって来た。でも、これでクリスマスとボクシングディの4連休が終わるまでは、のんびりと冬ごもり・・・。

買い物が終わるとやっぱり気分がぐ~んと盛り上がってくる。これからイブとクリスマスのメニューを考えないとね。前景気をつけるつもりで、クリスマスカラーである赤と緑のディナーにした。

[写真] アヒまぐろのたたき風とぼたんえびの蒸し煮

まぐろは山椒を振っておき、夏にドックで漁船から買って冷凍してあった地物のぼたんえびは頭と殻を取って柚子とポン酢で下味。赤ピーマンはグリル、青梗菜は2つに割って蒸し、3分ほど経ったところで下味のついたえびを入れた小鉢をスチーマーの中央においてさらに5分ほど。まぐろはグリルで中まで焼かずになんちゃら「たたき」風。

どたん場のどんでん返しの予定変更ばかりだったカレシもさすがにカレンダーまで変えることはできないから、後は目が覚めたら起き、気の向くまま食べて、飲んで、眠くなったら寝るばかりの究極的ぐうたら生活。だってホリディなんだもん・・・。

穏やかに訪れる2人だけのクリスマス

12月23日。金曜日。ゆっくりと寝て、正午を過ぎてのんびりと起きた。ここのところ、寝る前と起き抜けの体重の差が少し大きくなっている。寝ている間の基礎代謝率が上がっているということで、オフィスの大掃除をしたり、午後いっぱいモールを歩き回ったりしていたから、それなりに運動効果が出て来たということかな。座っていてばかりで身体を動かさないと、体重差はてきめんに小さくなるから、人間の身体は正直だな。ま、年明けまでにカレシにトレッドミルの周りの「ゴミ」を片付けてもらって、食べて飲んで寝ての冬ごもりの脂肪を落とさないと・・・。

クリスマス前最後の平時の今日は、どこへ行っても最後の最後のどたん場ショッピングの人たちで混雑する日。必要のない外出はしないのが一番無難だから、きのうのうちにカレシのお尻を叩いて買い物を済ませておいたわけだけど、カレシはそんなことはどこ吹く風で、起きた早々に「くたびれたから、今日からもう何もしないぞ~」と。うん、それもいいね。ワタシもきのうのうちにコーンブレッドを焼いて、グラヴラックスを仕込んでおいたので、今日の仕事はバゲットを焼いて、あとはご馳走の食材の在庫チェックをするくらいのもんだから。

グラヴラックスは言うなれば「しめ鯖」の北欧版のような感じで、しめ鯖は酢を使うけど、こっちはサケを使って北欧のいも焼酎ともいうべきアクアヴィットで作る。サケはサケでも、太平洋のサケは紅ザケでも銀ザケでも身のとろみや甘みが足りなくてあまりおいしくできない。北欧のサケは大西洋のサケなんだから、元々魚としての種がちがう太平洋のサケではうまく行かなくて当然だろうな。そこで、最近出回っている養殖ものの大西洋サケの大きな切り身を2つ買って来て、塩と砂糖でちょっともんで刻んだディルをまぶし、アクアヴィットをかけ回して、間にディルの穂を挟んで、身と身を合わせて容器に入れ、平たい缶詰のような重石になるものを載せて蓋をカチッ。グラヴラックスはとろっとして食感で、スモークなしのスモークサーモンのような味わいがあって、我が家のご馳走行事の定番になりつつある。

今日のディナーはフリーザーの中で場所を取っているヒラメ(あるいはカレイ)。夏にドックで漁船から買ったものが2匹残っていた。大きさの割には、頭と尻尾を取り、ひれを取り、内臓を取ったら、ほんの少しの身と見かけの割には硬くてごっつい骨。開きにしたら食べるところがなくなりそうなので、そのままアーモンドバターとパン粉を混ぜたクラストを作って、トースターオーブンで焼いた。昔は魚は骨がどうのこうのとうるさかったカレシも、自分から言い出して魚を常食するようになってからは、少々の小骨もなんのその、けっこうなれた手つきで身をほぐしているから、経験というのは大したもんだと思う。食べ終わって残った背骨と肋骨。きれいに取れたので、昔子供の頃に父がよく作ってくれた「骨せんべい」にした。冬の間、宗八ガレイなどを食べた後の骨を石炭ストーブの上でカリカリに焼いてちょっと醤油をつけたものを「骨せんべい」と称してワタシたちに食べさせてくれた。気候が悪くてカルシウム不足になりやすい土地柄だったからだろうけど、これがまたパリパリと香ばしくておいしい。ストーブはないからトースターオーブンで焼くけど、いわばワタシの「お父さんの味」で、今ではカレシも大好物。

食後にバゲットを作るための生地をブレッドマシンに仕込んだら、カレシも黒オリーブのタペナード作りを始めた。ラジオのホッケーの中継を聞きながら、こうやってキッチンのあっち側とこっち側でクリスマスの準備をしていると、2人して穏やかなクリスマスホリディを過ごせるようになってもう10年も経つんだなあという感慨がわいて来る。まあ、半歩か一歩くらい後退したり、何かのきっかけでずるずると逆戻りするのではという不安を感じたりすることもないとは言えないけど、確実に十歩くらい前進したことは違いない。2人とも年令とともに賢くなって来たのか、それとも老化で人間が丸くなったのか、それはわからないけど、食べて、飲んで、笑って、ぬるま湯のような平和な時間にゆったりとひたろうね。

クリスマスイブの前祝いディナー

12月24日。土曜日。クリスマスイブ。起きてみたら、雨がざぶざぶの天気。まあ、予報どおりではあるけど、朝食後に二階の窓から外を見たら、南側の雨どいが風で飛んできた落ち葉が詰まったらしくて水が溢れている。溢れていると言ったら「どうすればいいんだよ、今さら」と言ったカレシ。あ、そう。それでも外へ点検に行って、「このままじゃ土台に良くない。今になってもう何なんだよ~」と。

とにかく2人して汚れジーンズに着替えて、雨の中をガレージから大きなはしごを持ち出して来て、カレシが登って雨どいの掃除。地下の排水管につながるパイプへの排出口の辺りで何やらごそごそやっていたら、急にどば~っと水が流れる音がして開通。どうやら元凶は落ち葉じゃなくて、先ごろの嵐で屋根に吹き付けられた落葉松の針が雨で洗い落とされて、土ぼこりやゴミと一緒になって排水口を塞いでいたらしい。耳を澄ますと、隣のパットの敷地では詰まった雨どいから滝のごとく水が溢れ落ちる音・・・。

のんびりする代わりに久しぶりに緊急ハプニングが起きたクリスマスイブ。びしょ濡れになって雨どいを掃除したというのに、1時間も経たないうちに雨が止み、やがて雲が切れて日が差してきた。ふ~ん、車を洗うと雨が降るという都市伝説の逆バージョンかなあ、これ・・・。

それでも後はのどかな午後が過ぎて、さて、プレクリスマスの前祝ディナーの時間。

今日のメニュー:
 シーバスの三色クネル風
 酔いどれのホタテとエビ
 銀ザケのほうれん草ソース
 (サラダ)
 デザート (パネットーネとフルーツ)

[写真] シーバスの尻尾の方がフリーザーにあったので、玉ねぎとさっと電子レンジでゆでた少量のジャガイモと液体卵白をフードプロセッサにかけて、2つのカップに大さじ2杯くらいずつを取り分けて、ひとつはトマトのパサタ、もうひとつは抹茶で色をつけてみた。これをステンレスのカップに入れて蒸し器で蒸したら、卵白が多すぎたのかふわ~っと膨れて来たもので、盛り付けたらひっくり返るかもと心配したけど、うまく小皿に外せた。飾りはコリアンダーの葉を1枚。赤い実のついたひいらぎならもっと気分が出たかも・・・。

[写真] 厚いのを開いておいたホタテをスコッチとマイヤーレモンに漬けておいて(だから酔いどれ)、バターでさっと小エビといっしょにさっと火を通した。ゴールデンビーツを下敷きにして盛り付けてから、少し煮詰めたスコッチバターソースをかけて、思いつきでブルーベリーを彩りにパラパラ・・・。

[写真] 今日のメインは銀ザケ。少しくたびれていたほうれん草を玉ねぎ、にんにく、キャラウェイでポタージュに仕立て、明日のために少し取り分けておいてから、さらに煮詰めて、白トリュフ風味のオリーブ油で香りつけてソースに仕上げた。銀ザケは塩と胡椒だけで焼いて、お皿に広げたソースの中に置き、まわりにサーモンキャビアを散らした(なぜか沈没してしまったけど)。時間がかかるので食べ始めからローストしていたミニピーマンと蒸したアスパラガスをあしらってできあがり。

[写真] カレシのデザート作りが間に合わなかった?ので、イタリアのパネットーネをスライスして、いちごとミニみかんを添えてみた。ゴルフボールくらいの大きさのこのミニみかん、箱入りのものよりもこっちの方が甘いからと言われて買った袋入りは、たしかに昔から覚えているみかんよりもずっとずっと甘い。小さいから皮をむくのがめんどうかと思ったけど、意外とすんなりとむけて、白い筋もするりと取れた。甘くなっているだけじゃなくて、扱い方も便利になっているのかな。

ディナーが終わる頃、テレビのニュースで、サンタクロースのそりはアイルランドを飛行中だと言っていた。後は大西洋を(アイスランドを忘れずに)越えるだけか。明日のバンクーバーはまた雨だって・・・。

クリスマスの朝はちょっとエキゾチックに

12月25日。クリスマスの朝。正午を過ぎて目を覚ましたら、外はかなりの荒れ模様。強風注意報が出ていて、気温は何と8度。

まず、ツリーのライトをつけて・・・[写真]

クリスマスの朝食はちょっと趣向を変えて、キリストが生まれた地域で常食されるというシャクシューカにペルシャ風のパン。

[写真] シャクシューカは北アフリカのチュニジアかアルジェリアのあたりが起源だそうで、(少しずつ変化しながら)エジプトからイスラエルまで、よく作られる料理だそうな。使ったレシピはイスラエル式らしい。材料は玉ねぎ、にんにく、ひよこ豆、トマト、ハラペーニョ、フェタチーズ、卵。スパイスはパプリカとクミン。彩りはパセリとコリアンダー。(パセリはカレシ菜園の片隅で未だにしぶとく青々としているイタリアンパセリ。)

オリーブ油で玉ねぎとにんにくを炒めて、ハラペーニョとひよこ豆とスパイスを入れて、缶詰のトマトを汁ごと入れてちょっと煮て、オーブンに入れられる鉄のフライパンがないので、ここではミートパイ用のココットに。崩したフェタチーズを散らして、その上に卵を割ってオーブン焼き。

またしても雨が止んで、でき上がった頃には雲が切れて、薄日が差して来た。カレシがゆうべのうちに絞っておいたオレンジとマイヤーレモンのジュースで乾杯。イランのバルバリというパンをトーストして添えて、刻みたてのパセリとコリアンダーを散らした熱々のシャクシューカをふうふう言いながら食べる、ちょっぴりエキゾチックなクリスマスの朝。食後はポットでボコボコと入れたイタリアのエスプレッソで・・・。

クリスマスの晩餐は三羽鳥のバロティーヌ

日が差してからは穏やかな午後が過ぎて、ほのかにばら色の夕焼け。急に気温が下がって来た。でも、今夜はまた雨、高台ではみぞれという予報だから、忙しい。4時頃にマリルーに電話してクリスマスのあいさつしてから、ご馳走の準備にかかった。今日のメニューは下準備に手間がかかるので要領よくやらないと・・・。

今日のメニュー:
 (食前酒: シャンペン)
 アミューズブーシュ(グラヴラックスのばら)
 ポタージュのトリオ
 骨抜きうずらのポルチーニ詰め
 (マイヤーレモンのソルべ)
 三羽鳥のバロティーヌ、シャンテレルと野菜添え
 イチゴのチョコレートフォンデュ
 (食後酒: ポートワイン)

下準備が整って、主食をオーブンに入れたところで、シャンペンを抜いて乾杯。カレシの手際はなかなかのもので、コルクの部分をタオルに包んで持ち、びんの方をゆっくりと回しながら抜く。こうするとコルクが飛ばないし、シャンペンも溢れない。(天井にかって勢いよく飛んだコルクが当たってできた凹みがある・・・。)ポンッと軽快な音がして、まずはバブリーでメリークリスマス。

[写真] アミューズブーシュは食べごろになった自家製のグラヴラックス。パセリの葉を使ってバラの花のデザインにしてみた。ケッパーをあしらってアクセント。

[写真] マイケル・ミナがやるような「三通り」をやってみたくて買った皿とボウルのセット。まずはポタージュのトリオ。緑色はほうれん草、クリーム色はじゃがいもとリーク、赤はトマト。ほうれん草のスープはきのう作ったもの。ジャガイモとリークはコニャックで味付け。トマトは玉ねぎとポルチーニにトマトのパサタ(ピューレ)。小さいボウルには大さじ4杯くらいしか入らないので、小さいスプーンでひと口ずつのスープ。カレシ曰く、「イタリアの国旗はこんな色じゃなかったかな」。あはは、そういわれてみればそうだねえ。

[写真] 食べてもいいのかなと思うくらい小さなうずら。それでも一人前に骨がある(あたりまえだけど)。骨抜きにするいい方法はないかとググっていたら、YouTubeに実演をしているクリップがあったので、3度くらいじっくり見て「わかった」。あるかないかの手羽だけを残してももを切り取り、背中から両側に骨に沿って肉を外すようにナイフを入れて、手で肋骨と胸骨を剥がす。最初のは手間取ったけど、次のはけっこう簡単。詰め物は鶏のもものひき肉ごく少量と刻んだポルチーニきのこを混ぜ、少しのパン粉でボールにまとめたもの。実演で見たとおりにうずらで包むようにして形を整えたら、ちょっとした七面鳥のミニチュアのようになった。これをローストして、赤ワインのリダクションを回りに流したら、詰め物に吸い取られてしまった・・・。

[写真] ここでひと休み。カレシが作ったマイヤーレモンのソルベをクラシックなシャンペンソーサーに盛って舌をリセット。温州みかんとの交雑種と言われるマイヤーレモンはレモンの香りがたっぷりだけど、顔がくしゃっとなるような酸っぱさはない。シャンペングラスは今はフルートと呼ばれる細長いグラスが主流で、昔のハリウッド映画に出てきたようなソーサーと呼ばれる平たいグラスはすっかり廃れてしまった。平たいグラスではバブルがすぐに消えてしまうから細長いグラスになったという話。シャンペン以外にも使いようはあるんだけどな。

[写真] 今年はカナダでも話題になったのがアメリカはアラバマ州の田舎町の肉屋が作っているターダッキンという名物。ターキーとダックとチキンをつなげた命名で、1950年代に客に頼まれて、七面鳥の中に鴨を詰め、その中にチキンを詰め、その中にナッツやレバーなどの詰め物をしてローストしたのが始まりだそうだけど、実際はイギリスなどで中世から何種類もの鳥を順に詰めた料理を作ったという記録がいくつもあるとか。何となくマトリョーシカの料理版というところか。家庭で3種類の鳥を骨抜きにして詰めるのは不可能なので、手っ取り早く、胸肉を屏風のように開いて、叩いて平たくしたものを間にハーブを散らしながら重ねて巻いて、タコ糸で縛ってバロティーヌ。2時間ほど焼いて、さて、どんな具合に仕上がったかは、切ってみてのお楽しみ・・・。

[写真] 三羽烏ならぬ「三羽鳥」のバロティーヌは、思ったよりきれいに層になっていた。外側から七面鳥、鴨、鶏。中心は鴨の胸肉の燻製と黒オリーブ。ベーキング用のパーチメントペーパーにしっかり包んで焼いたので、あまり乾かずにできあがったけど、やっぱりまだちょっとぱさつくかな。カレシは「クランベリーソースとかチェリーソースがあればいいかもしれないよ」とアイデア。そうだなあ、七面鳥には(ジャムのような)クランベリーソースが定番だけど・・・。

[写真] 3時間近くかかって主食までたどり着いて、残るはデザート。カカオ70%のダークチョコレートを溶かして、いちごでフォンデュー。フォークにいちごを差してとろけたチョコレートをたっぷりすくって・・・おお、なんとデカダント。

ポートワインを食後酒にして、2011年のクリスマスの晩餐はお開き。おなかいっぱい。でも、食べ過ぎて胃が重いという感じはない。まあ、家族が大勢集まって10キロくらいもある大きな七面鳥を囲むディナーだったらこうは行かないだろうなあ。2人だけだから少量ずつをゆっくりのペースで消化しながら食べられるわけでね・・・。

今日はキッチンのスパイス・キャビネットを整理

12月26日。月曜日。ボクシングディ。雨にしたいんだか、晴れたいんだか、さっぱり腰の据わらないお天気模様。雨でも晴れでもいいから、どっちかにしてくれないかなあ・・・。

正午に起きて、2人ともきのうの今日でヘタレ気味。どっちみち今日はどこへ行っても恒例のボクシングディセールの人ごみで大変だから、どこへも行かずにもっぱら冬ごもり(ま、そうでなくてもそうなるんだけど・・・)。先週はけっこういろいろと忙しかったから、今週は大晦日までは日がな一日のんびりと行こう。とは思ったものの、断捨離作戦を始めた勢いで、ずっと前からやろうと思っていたキッチンのスパイスキャビネットの整理整頓に取りかかってしまった。

キッチンを改装したのはカレシが早期退職になったばかりのときだったから、もう11年になる。ワタシたちの関係はまだぎくしゃくしていたけど、2人が四六時中ひとつ屋根の下に一緒にいることになる暮らしを想定して、天井から床、壁を全部剥がしての大改装だった。そのときに注文したのがスパイスやハーブを取りやすいところに収納すること。キャビネットを作る「あたしゃこの道50年なんだよ」というセルビア人のオヤジさんとプロジェクトマネジャーのジョーを交えて、いろんなアイデアが浮かんでは(だいたいが)オヤジさんのダメ出しで消えた。思い余っていたところでジョーの頭に閃いたのが階段とキッチンの間の壁にキャビネットを埋め込むアイデア。壁の間柱は2×4で奥行きは十分以上。職人気質で気難し屋のオヤジさんが「それだ!」と膝を打って、さらさらとデザインをスケッチ・・・。

両開きと片開きのセクションがあって、スパイスのびんは両開きの部分に並べ、幅が半分の片開きの部分には旅先で買って来たご当地のショットグラスやデミタスを入れていたのが、グラスやカップの方がだんだん増えて溢れてしまった。そこで前後に2列にできるスパイスを片開きの方へ移そうという話になっていたのを、年末大掃除はちょうどいい機会ということでやっと決行。ついでに古くなって香りが抜けたスパイスを処分。カレシが庭で育てたハーブが入っているらしいラベルのないびんも、これなあに?と聞いても本人でさえ「さあ・・・」ということで、中身の正体が不明のびんはすべて廃棄処分。おかげで、めったに使わないものは後ろの列、よく使うものは前の列に並べたら、棚のスペースが半分になったのに余裕で納まって、両開きのセクションに移った旅の記念品も余裕たっぷり↓

[写真] 片開きのセクションの下の方はカレシがジャムや調味料を入れるところで、両開きの方は元からあった階段下の物置。取ってつけたような無粋なドアがあったのが、キャビネットのデザインに取り入れてもらったおかげで物置には見えなくなったけど、開けてみれば昔のまんまのごちゃごちゃ状態で、かさばるペーパータオルやトイレットペーパーのパッケージを無造作に放り込んである。奥の方にはいったい何がいつから入っているやら見当も付かない。ということは、なくても困らないし、あることさえ忘れている不用品ということで、ま、いずれはここも大掃除しないとね。(左側の低いキャビネットはオフィスの小部屋から持って来たCD/DVDキャビネット。右側のカレンダーをかけてあるドアは新築のときに階段の上の方の下を利用して作った食品収納庫。向かい側の冷蔵庫の横には「盗んだ」スペースに作ってくれた同じ両開き+片開きのガラスドアのデザインのリカーキャビネットがある。)

またひとつ懸案が片付いて、気分はさっぱり。まったく仕事をしない「休み」って、家の中のいろいろなことが捗って、いいもんだなあ。もっとも、1月は仕事の予定がもうほぼ満杯になっているから、、そろそろ仕事モードに切り替える心構えをしないとね。整理整頓のすっきり気分を楽しむのも今のうち・・・。

これからお正月なのに休みはもうおしまい?

12月28日。水曜日。起床、午後12時35分。相変わらずの雨もよう。(このままで春になればいいな・・・。)お客があったきのうの今日ということで、今日は一応の休養日。カレシや、1日。のイベントのたびに1日。は休養しなければダメってのは、やっぱりあれのせいだと思うんだけどな。(あれって、ほら、ローカゲンショーとかいう、あれ・・・。)

でも、きのうは楽しかったな。ワタシたちからすれば「若い」2人と、むぎゅ~っと抱きしめたくなるようなかわいらしい幼児。早く言えば、「息子夫婦と孫」が訪ねて来たようなもので、好奇心が満開であっちこっちと動き回る子供を追いかけながら、ああ、おばあちゃんになるってこういうことかなあと感慨がわいて来たり、かいがいしくオムツを取り替えに立つパパを見て、ああ、カレシには到底できなかっただろうなあと思ったり、持参のおもちゃはそっちのけで単純な「引き戸」に興味津々の様子を見て、幼児の無限の想像力に感心したり、大の字になって眠ってしまった子供の無垢なあどけなさにちょっぴり胸がキュンとなったり。かなり遅くまで話が弾んで、ほんっとに楽しいひとときだった。来てくれてありがとう!

まあ、小さい子供がいることでよけいに疲れたのかもしれないけど、午後はゆっくりと過ごして、夕食後はホッケーの試合を聞きながらうたた寝のカレシ。今夜に行く予定になっていたHマートへは明日の夜でもいいからね(ただし、明日は行かないと大晦日とお正月のご馳走ができないよ)と譲歩。ワタシはそれで良かったんだけど、しばらくして「しゃきっと目が覚めたからこれから行こうよ」と言って来た。まあ、それもいいかということで、カレシの気が変わらないうちにしたくをして、いざ出発。雨はしょぼしょぼていど。

ハイウェイに向かってウィリンドン・アヴェニューを北へ向かって走っていたら、突然パトカーが何台もいて通せんぼ。整理の警察官の示す方向に行ったら、あまり知らない名前の道路に入って、いつのまにか迷子に。昼間なら影の位置を見て方角の見当をつけられるけど、勝手のわからない夜道ではお手上げ。ワタシが通り過ぎる道路の名前を読む役目で、カレシが方角の見当をつける役目。どうやらしばらく南の方へ走っていて、いつのまにか東に方向転換したらしく、そのうち行く手にノースショアの夜景が見えて来て、方向感覚が戻って来た。そのうちにハイウェイに入ることができて、やれやれ。車の中ではホッケーの中継を聞いていて知らなかったけど、通行止めになっていたのは交差点で歩行者がバスに轢かれて車体に足を挟まれる事故があったためとか。命には別状はないらしいけど、雨の夜は視界が悪いから気をつけないとね。時間の余裕があったので、閉店時間を気にしないで済んだけど、なぜかHマートへ行くときに限って何かが起きるような・・・。

今日は生のほっけ2匹とめんめ1匹をきれいに処理してもらい、切らしていた醤油や濃縮のめんつゆを買って、後は刺身用のサケやら冷凍のアサリやゲソ、ロブスターの尻尾やロコあわび、寿司用のエビやら何やらと、しめじやエリンギ、えのきのきのこ類、ニラやししとうや大豆もやしも買い込んで、八穀米とチヂミのミックス。緊急食用のおでんセットに、夜中のランチ用の冷凍たこ焼きやラーメン。カレシは大好物の白いキムチとごま油味の海草サラダ、黄色くない大根の漬物を丸ごと1本。まあ、これくらいあればのんびりと食べて年を越せるような・・・。

帰り道のカレシは疲れてきたのかちょっぴりご機嫌ナナメ。(明日でいいよって言ったはずだけどなあ。)クリスマスが終わったばかりで、家の外の飾りにカラフルなライトが煌々とついているところがかなりあって、ながめていると楽しい。中には道路を挟んでご近所さん同士で一種のライトアップ競争でもしているのか、派手に飾り立てた家がずらりと連なっているブロックもある。広い前庭いっぱいにサンタクロースやらトナカイやらツリーやらの大きな飾りに何百個というライトが点いてまばゆいくらいの家もある。でも、こうやって車で通り抜ける分にはすごく華やかで、見ごたえがあっていいな。

帰ってきて、真空包装の品物にまで不要についてくるトレイとラップを外して、フリーザーの中を整理して詰め込み、まだいろいろと混雑している冷蔵庫に野菜類を詰め込むのに1時間。過剰包装はアジア文化なのかもしれないと思いつつ、ベースメントへ降りて行ってメールをチェックしたら、あ~あ、また仕事の話。し~らない。日本では今日は29日。の仕事納めじゃなかったのかなあ。こんな日に正月明け早々の朝一番の納期を指定して仕事を発注する企業もあるとは驚き。置きみやげというのか、いたちの何とかというのか。カレンダーがまだ変わっていないというのにもう1月の予定が立て込んでしまっているのは、来年は商売繁盛でてんてこまいになるという予兆なのかなあ。何だか明日あたりから本気になってぼちぼちと仕事を始めた方がいいような気配になって来た・・・。

緊急事態で救急センターに駆け込み

12月29日。木曜日。いつの間にか起き出していたカレシがいきなり明かりをつけて「救急センターへ行く」。びっくりしてどうしたのか聞いたら、前からときどき再発するようになった泌尿器系の問題が「急に悪くなった。出血して痛くてがまんができない」と、ハアハア言っている。飛び起きて、一緒に行こうかと聞いたら、「とにかく一刻も早く診てもらいたいから、どっちでもいい」との返事。付き添うなら身支度をしなければならず、パニックに近いような青ざめた顔をしているカレシを待たせることになるので、行かない方が良いと判断して、携帯を持たせて送り出した。

午前11時20分。総合病院の救急センターまでは車で15分ほど。出血と痛みがあると言っても、心臓発作のような一刻を争う問題ではないから、救急車を呼ぶほどではないんだけど、カレシは痛みの敷居が低い方だし、大きな病気や手術の経験がないので平常と違うことが起きると不安症が一気に噴き出してパニック状態になってしまう。コレステロール値が高いからと処方された薬で副作用が起きたときはワタシが病院まで運転して行ったけど、ホットラインの看護師が「すぐに救急へ!」と指示したことでパニックになって、歯がガチガチと言うほど震えていた。けさも痛そうにしていたので、あせって事故を起こさなければいいけどと思って心臓がどきどきするし、何とも落ち着かない気分で立ったり、座ったり、うろうろしたり・・・。

電話が鳴ったのは午後12時半過ぎ。テーブルに突っ伏して眠ってしまったみたいだった。番号表示を見るとカレシの携帯。意外と元気な声で「今ドクターが来るのを待ってるんだけど、退屈しちゃってさあ」。ええ?どうやら救急センターの第一線であるトリアージュのカウンターはすんなりと突破して、問題の性質上なのかカーテンで仕切っただけのベッドでなくて、ちゃんとドアのある個室のようなところに入れられたらしい。昔は重病も軽症もみんな大きな待合室のようなところで待たされたものだけど、最近は救急センターの玄関を入るとトリアージュを兼ねた受付があって、自力で行くとそこで緊急性を判定して中に入れてくれ、診察ベッドに案内されるようになっている。前回は早朝だったせいか混んでいなかったけど、今回は時節柄もあって「すんごく混んでいる」。そうだろうなあ。かかりつけの医者が休暇に行って留守というケースも多いだろうから、たとえば高熱が出たら救急センターに行くしかないだろうな。

他の患者を診ている救急医の手が空くまで待つしかないカレシは「退屈で、退屈で・・・」。前回は心電図やら点滴チューブにつながれて退屈している余裕はなかったけど、今回は「こうやって待つんだったら、iPodを持って来ればよかったなあ」と。おいおい、iPodなんか準備して行ったら緊急性ゼロと思われて、受付の外で何時間も待たされちゃうよ。ま、退屈して女房に電話してくるくらいなら、生死にかかわることじゃないのは100%確実。看護師が入ってきた、ドクターが来たと言っては電話を切り、10分か15分くらい経つとまた電話で進捗状況の報告・・・。

午後1時半を過ぎて、泌尿器科の専門医が来るのを待っていると言う電話。何らかの処置をしてもらえるらしい。午後2時20分、その「処置」が終わって、「いやあ、痛かったの何のって」と報告。点滴のチューブを外して、処方箋をもらったら帰って来るとか。ワタシの方はひと安心して、少し仕事を進めておこうと思ったけど、こういう状況では全然集中できず、1行も進まないので諦めた。午後3時過ぎ、抗生物質の処方箋と去年診てもらった泌尿器科専門のフェンスター先生の予約を持って帰ってきた。出かけてから4時間近く。朝から何も食べていなかったカレシに、ポルチーニきのことパンチェッタ入りのオムレツバーガーを作ってあげた。腹ペコだったカレシはそれをほおばりながら、微にいり細に入って説明。ま、夫婦だから話せる内容なんだけど・・・。

聞いてみると、あと3時間くらい放置したら組織が壊死し始める可能性があったそうで、とにかく緊急の状態だったことは確からしい。だから混雑にもかかわらずかなり優先的に手当てを受けられたんだろう。年が明けてフェンスター先生のところへ行ったら、前回(ちょっとびびって)保留した外科的処置を今度はカレシの方からリクエストするんだそうな。まあ、男子のプライドに差し障るのか頑として拒絶する人が多いらしいけど、「なくなっちゃうわけじゃないんだし、このくらいの年になったらプライドなんかよりも医者要らずの方が断然いいに決まっているでしょ」とカレシ。ごもっとも・・・。

ああ、今日はワタシもぐったりと疲れた。でもまあ、病院のベッドで年越しなんてことにならなくて良かったよね。

何だか仕事に疲れてきたような・・・

12月30日。金曜日。どろ~んと眠って目が覚めたのは午後1時半過ぎ。やっぱりきのうは疲れたな。起きていつものように秤に乗ったら、体重がきのうの朝と比べて1キロ減っていた。別に食べなかったわけでも飲まなかったわけでもないし、10キロ全力疾走したわけでもないのに1日。で1キロ減ることはめったにない。じわじわと太るのとはまったく性質の違うストレスだったということかな・・・。

とりあえず、カレシが処方された薬をもらいに行くことにして、運動代わりに歩くのもめんどうだなあと意見が一致したので車で行く。明日は大晦日だし、今週は休みを取っている人も多いだろうし、モールの駐車場は混むと見越して初めから路上駐車。駐車場が満杯でもだいたいはいつも空きスペースが見つかるから不思議。2時間までの時間制限付きだけど無料だし、幹線ではない道路を渡るだけの近さなのに、モールの駐車場ではスペースを探す車がぐるぐる・・・。

スーパーの薬局で薬の用意をしている間に、酒屋へ行って底をつきかけているレミを買う。見たら箱の外に「XOのミニボトルのおまけつき」とステッカーが貼ってある。機内に持ち込めるサイズだから来年日本へ行くときに便利ということで、レミの箱を2つ。前回の「おまけ付き」のときは棚に並んでいた箱のどれにも実際にはおまけが入っていなかったというハプニングがあったので、今度はまず開けてみてミニボトルがちゃんと入っていることを確認してからバスケットに。レジでその話をしたら、若いキャッシャーが素っ頓狂に「ありえな~い」。ありえないよねえ。でも、ほんとうに輸送途中でおまけが蒸発してしまっていたんだよねえ。「うわっ、ありえな~い」とアルバイトらしいお嬢さん。若い人のボキャ貧は世界的な現象なのか・・・。

スーパーに戻ったら薬の用意ができていて、小さな容器の塗り薬が40ドルなり。カレシの場合は年間の処方薬の額が一定以上になると州政府の医薬品の保険が利くし、年金についてくる拡大医療保険も控除額を超えると2人の薬代を払ってくれるんだけど、高脂血症の治療薬とかバイアグラでも常用していなければ、そんな金額にはならない。まあ、そういう高価な成人病の薬を常用せずに済んでいるのは比較的健康な証拠だろうから、保険が払ってくれなくても別に損だとは思わないけどな。年を重ねるに従って、そろって医者いらず、薬いらずの健康でいられることが何よりの生命保険のように見えてくるから。

夕食を済ませて、納期が年明け一番の仕事にかかった。きのうとうとう先に進まないままだったので、ちょっとがんばらないと年越しのシャンペンどころではなくなりそうな気もするけど、これがまた美辞麗句の羅列のような自画自賛PRで、おまけに場違いなバカていねい表現がぞろぞろと来ているから、最初のパラグラフをやっただけでもう気が滅入ってきてしまった。考えてみると、窮屈で居心地が悪かったと言っても生まれ育った文化なんだし、そこでほんの数年だけど社会人をやったし、実質的に部外者になってからも社会の動きとは無縁にならなかったし、そんな中で見たくもない醜い部分をいやというほど見せつけられたし、いくら「我々はこんなに先進的なんだぞ」と世界に威張ろうとしても、ワタシには「タテマエ」という言葉しか思い浮かばない。孔子先生が言ったでしょうが、「巧言令色少なし仁」と・・・。

アホくさくなって来るけど、仕事は仕事。ちゃんとやらないとご飯が食べられなくなる。でも、こういう内容のものはまじめにやろうとするほど気が滅入って来て、胸の内やおなかの底にいろいろな負の感情が発散できないままに滓のように沈殿するばかりで、なんでその出所の表向きを飾るようなことに労力を使っているんだろうという疑問が膨らんで来るからつらいところ。仕事と割り切ってまじめにやろうとするから、いつまでも自分の気持を整理できないでいるのかもしれないと思えて来る。あるいは、異質の2つのものをうまくとりなそうとすることに疲れて来てしまったのかもしれない。もしもそういうことだったら、やっぱりフルタイムのフル稼働は来年2012年を以って終わりにするのが最善の策なのかな。ま、考えるだけで鬱っぽくなりそうだから、今夜のところは別の仕事に取りかかることにしよう。何といっても科学方面はやりがいがあるし、人の役に立つものだし、何よりも美辞麗句の解釈に悶々としなくてもいいし・・・。

おおみそか、今年もいよいよ食べ納め

12月31日。土曜日。おおみそか。カレンダーの曜日の列のどん尻で、1年のどん尻の日。正午ぎりぎりに起床。(ぐずぐずしていたら今年が終わっちゃうってば・・・。)フリーザーをのぞいて大晦日のディナーの算段をしながら、太平洋の向こう側はもう「新年」で、日本ではお雑煮のお餅が膨らんでいる頃だなあと思い、いつもながら奇妙な感覚に陥る。だって、世界中が「来年」になのに、こっちはまだ「今年」の最後のディナーの準備をしているんだから。いっそのこと、サモアのように日付変更線をロッキー山脈のあたりまでねじ曲げたら、世界でいの一番に新年を祝えるのに。

まあ、西洋的には(老人の姿で)去って行く「旧年」をどんちゃん騒ぎで見送り、午前零時きっかりに誕生する(オムツに包まった赤ちゃんの)「新年」をにぎやかに歓迎するのが基本。新しいカレンダーにかけ替える以外は特に改まった感じはないな「時間のベクトル」の感覚に農耕民族と狩猟民族の違いのようなものがあるのかもしれないな。新年の決意は話題になるけど、一年の計は元旦にあり!と拳を握り締めるような気迫はない。きのうは酒屋のレジで「新年の決意はしたんですか?」と聞かれた客が「去年のをね。手付かずだから新品同様さ」と笑い飛ばしていた。ま、とりあえずシャンペンを冷蔵庫に入れて、夕方までは少し腰をすえて仕事・・・。

大晦日のプチ晩餐メニュー:
 昆布巻きのてんぷらと小エビとコーンのフリッター
 寿司ロール2種
 すき焼き風ビーフスープ
 刺身盛り合わせ、野菜と海草サラダ添え

[写真] 真空包装の昆布巻きがあったので、そのままでは退屈だなあと思案して思いついたのが「てんぷら」。そういえば、とフリーザーからほんの少しの小エビを持ち出して来て、生とうもろこしの半分から実を外してフリッターにして合わせた。

[写真] 寿司用の開いたエビがあるけど、ご飯に載せるだけではただの寿司・・・ということで、ねぎを入れて巻き寿司。ついでに、ししとうをトースターオーブンで焼いて醤油をまぶし、冷ましておいてビンナガといっしょにこれも巻き寿司。ししとうの味とちょっと脂っぽいビンナガの味がけっこう相性がいいみたいで、ときにはピリッとしてなかなかおもしろい思いつき寿司になった。

[写真] フォーなどに使うために小分けにしてある牛肉の薄切りを使って、白菜、豆腐ですき焼き風のスープ。味がしみるようにゆっくりとろ火で温めた。スープはすき焼き鍋の割り下ほど濃くしないで作ったら、意外とあっさりした味わいになって、カレシはおいしいといってきれいに飲んでしまった。

[写真] ひと休みしてプロホッケーの試合を観戦(旗色は良くないけど)。カレシが大根おろしを食べたいと言っていたので、ちょっとポン酢を加えて刺身と合わせることにした。刺身を食べられるようになったと言ってもまだあまりバラエティがないのが悩みだけど、今日はビンナガ、サーモン、ハマチ、イクラ。つまはきゅうりをカップにしたイクラと、他のコースを食べている間に玄米酢で即席に漬けておいた花ラディッシュ。付け合せは大豆もやしとしいたけのごま油炒めと海草サラダの白ごま和え。赤米が混じっているので炊くと薄い赤紫色に染まる雑穀ご飯を添えて。

調理の時間のタイミングがけっこううまく行って、中休みは20分ほど。終わった頃には「極上吟醸酒」の小瓶も空になったけど、食べたなあという満足感はあっても、食べ過ぎておかながきついという実感までは行かずに無事終了。調理の段取りというのも、仕事の段取りと似たようなもので、つまるところは経験と慣れというところなのかな。必要以上に材料に手をかけないことが鍵かもしれない。

さて、2011年もあと2時間とちょっと。きのうは総数160万以上もあるブログの7300何十位だかにランクされていて、ワタシ、いったい何を書いたの?とびっくりしたけど、頭の中の雑音をとりとめもなくだらだらと書き散らしてばかりのワタシのブログに来てくださったみな様、どうもありがとうございました!

それでは、2012年の訪れを待ちつつ、またちょっと仕事をば・・・。


2011年12月~その2

2011年12月21日 | 昔語り(2006~2013)
年末の大掃除、夫もリサイクルに出せる?

12月11日。日曜日。11時過ぎにちょっと目が覚めたけど、また眠ってしまって結局寝すぎてしまった。きのうは2度に分けて外出したから疲れたのかな。外出そのものよりは、カレシのドタチェン癖に付き合う方が疲れるんだけどな。そのカレシ、今日は出かけるのは休みにして、家の中いたるところにたまっているリサイクル向けのガラクタを整理するんだそうで、ま、狭まりつつある生活空間が広くなるんだったらそれもいいけど、外に出かけていても予定を端折りたがることが多いカレシのこと、家の中ではどうなるのかなあ・・・。

それでは、とワタシはたまった洗濯。白いものと色物と、洪水騒ぎでカーペットの水の吸い取りに使ったありったけのタオルの類で、合計3ラウンド分の大洗濯。合間にクリスマスカードやカレンダーを送る準備をしていたら、外したままになっていた棚を持って来て、「元のところにつけようと思うんだけど・・・」と。大きな段ボール箱にごちゃごちゃと入れてあるものを棚に移して、空き箱になったら別の箱に入れてあるガラクタを移して、そうしたらワタシがリサイクルに出す紙類の容器にしていた箱を空にして返せる、というもくろみらしいけど、言葉にしない「・・・」の部分がくせ者だから、ワタシはいいと思うよと賛成して、後は自分の作業。壁の元の場所にはねじ穴が残っているし、棚板には支えの金具がついたままだから、取り付けるのは造作もないことだし・・・。

造作もないことのはずなんだけど、しばらくうろうろしていたかと思ったら、まず「ねじのサイズはこれでいいか」、次に「ドリルを使ったほうがいいか」と、ひとつずつ聞きに来る。しょっぱい口笛を吹きながら棚を壁にあてがってみたり、穴にねじをあわせてみたり。しまいに、「プラグのある穴とない穴があるのはどうして」。(ない穴は石膏ボードの後ろに間柱があって、ある穴はそれがないからプラグで補強するの。)ああ、やれやれ。しょうがないから、ねじとねじ回しを持って来て、支えを1本外して壁に取り付け、そこに棚板を載せて残る2本の支えをねじで固定したら、ほら10分もかからないでしょうが。あ~あ。ワタシにやらせたいんだったら、威圧的な手段なんか使わなくたって、ひと言「やって」といえばいいものを何ですなおに頼めないんだろうなあ。37年も連れ添った女房を相手にして男の沽券もへったくれもあったもんじゃないと思うけど・・・。

棚ができて、目論見どおり?にいろんなものが並んだけど、空っぽになるはずの大きな箱はまだ空になっていない。空っぽになっていないから、ガラクタを移せない。ガラクタを移せないから、ワタシのリサイクル箱もまだ戻ってこない。このあたりは案の定というところだけど、もしもワタシが明日ぽっくり逝ったらどうなるかと、ちょっぴりイジワルな想像をしてみる。すぐに後釜を探すことになるんだろうけど、今どきの日本の奥さんは思い込みというか、こだわりの強い人が多いみたいだから、お嫁に来てくれても、やりっぱなしで片づけができないと文句を言いそうだし、家事を分担しなければ文句を言いそうだし、やっても奥さん規格に合格しないとまた文句を言いそうだし、並以上の収入がないと(自分の)将来が不安だと文句を言いそうだし、けっこう厳しい毎日じゃないかと思うけどなあ。そんなことよりも、70に手の届くご隠居さんじゃあ、結婚がしたくて焦っているアラフォーさんにも敬遠されてしまうかもしれないなあ。ひとりで大丈夫?ワタシ、知らないから・・・。

まあ、そういうイジワルは空想だけにしておくことにして、ワタシも来週になったら早々と仕事納めしてしまうから、2人でちゃっちゃと年末大掃除をやってしまって、すっきりした気分でホリデイを楽しもうじゃないの。(でないと、アナタもリサイクルに出してしまうかもよ~。)

レーザープリンタのトナーは品不足

12月12日。月曜日。午前9時に目覚ましをセットしておいたけど、10分前に目が覚めたので、オフにしてからリビングの窓際のベンチに寝床を移した。金曜日に注文した新しいシュレッダなどが午前9時から午後5時の間に配達されることになっていて、この事務用品店は物流倉庫がすぐ川向こうにあるもので、いつも9時台のけっこう早い時間に来てしまう。そこで、9時に起きてゲートに近い窓際のベンチに横になってうとうとしながら待つわけだけど、カレシが起きて来たときにはもう午前11時過ぎ。ついぐっすりと寝込んでしまってゲートのチャイムで目を覚まさなかったのか、それとも週明けなので配達量が多くていつもより遅れているのか・・・。

郵便をチェックしに出て行ったカレシが「来たらしいぞ」と言って見せてくれたのは「不在通知」。やっぱり眠り込んでしまったのか、と悔しがったのはいいけど、よくよく見たら配達時間のところに「午前8時20分」と書いてある。おいっ!配達は「9時」から5時の間で指定は不可というから、こっちは早起きしてうたた寝しながら待っているのに、9時より40分も前に来るとはけしからん。「翌日に再トライ」のところをチェックしてあるけど、2日。連続で9時起きはしんどいし、ましてやそれより早く起きなんて半徹夜のようなもので冗談じゃない。(カレシのシュレッダが壊れて、ワタシのデスクの下にあったシュレッダがいつの間にかカレシの側に移動してしまって戻って来ないから、新しいのを注文したのに、もう・・・。)

結局は、カードの一番下に受け取りのサインなし(つまり盗まれても責任は持たない)で置いて行ってくれると書いてあったので、ゲートのドアのロックを外しておいて、ポーチに置いて行ってもらうことにした。ま、またまた早朝に来たとしても、ワタシたちが起きるまでせいぜい2、3時間のことだし、我が家の玄関ポーチに何があるかは外からほとんど見えないし、木の枝をかき分けて覗いて出来心に襲われたとしても、庭の中に入って来てきてくすねて行くにはちょっとばかり嵩があるものだし、大丈夫だろうと思うけど。カードに書いた指示の通りにドアをロックして行ってくれればもっといいけど、そこまで気の利く人が配達しに来る確率はかな~り低いだろうな。それにしても、早すぎる配達には会社に文句を言っておかないとなあ。時刻を指定できないというなら、せめて指定の時間内に来てくれればいいのにと思うけど、配達はたぶん下請けがやっているだろうから、会社の方は「カンケーない」かな。

とりあえず一件落着ということにして、メールをチェックしたら、別の事務用品店から発送のお知らせ。プリンタのカラーのトナーが半分以下になって、シュレッダと一緒に注文しようとしたら「在庫切れ」。ここは前にも黒のトナーが「在庫切れ」で、慌てて探し回って別の会社で見つけて買った。プリンタを売っておきながら、トナーが在庫切ればかりでどうするんだ~と突っ込みを入れながら、前回在庫があった会社に、今度はアカウントを登録して、青、赤、黄をそれぞれ2本ずつと、ついでに黒を1本注文。それが、カラーは全部入荷待ちのバックオーダー(3週間くらい)になっていて、黒だけを発送したというメッセージ。配達はクーリアになっているから、もしも不在のときに来たら(このクーリアは再トライしないので)こっちから取りに行けばいい。オフィスの場所はわかっているから早起きするめんどうがない・・・と思っていたら、いつの間にか配達に来て、黙ってゲートハウスの中に置いて行ってくれていた。サインオフ不要かあ。ふむ、将来の事務用品の注文もこっちの方に鞍替えしてしまおうかなあ。

それにしても、HPプリンタのトナーがどこへ行っても「在庫切れ」なのはどういうことなんだろう。2つの会社はどちらも各地に事務用品の量販店を展開している大手中の大手だから、HPにも流通業者にも最優先で卸したい客筋だと思うんだけど、どっちも在庫切れになってばかりというのは不思議な話だなあ。プリンタは比較的新しい機種だから、普通に生産しているはずなんだけど、いったいどうなってんだろう。あんまり不思議で好奇心がムラムラして来たから、「どうしてだ~?」とググって回ったら、トナーの品不足の元凶は「東北大震災」という思いがけない答が出て来た。へえと思って箱を見たら、たしかに「Made in Japan」と印刷してある。そうか、HPのプリンタのエンジンはキャノン製だという話を聞いたことがあるから、のHP「純正」トナーは東北にあるキャノンの工場が作っていたのが、大地震の影響で停電やら材料供給の中断やら夏場の節電やらがあった結果生産量が激減して世界的にトナーの品不足が起きているということなのか。カラーは2本ずつ注文しておいたから、その「在庫」が切れる頃までには東北地方の産業の復興も進んで、トナーの生産も正常に戻っているといいけどなあ。

遊びたいのに年越しの仕事だって

12月13日。火曜日。目覚ましが鳴る前の午前11時ちょっと過ぎに目が覚めた。ゆうべは配達品の置き場所を指示した不在通知をゲートのドアノブにかけて、ロックを外したままにしておいたので、先に起きたカレシが真っ先に玄関のドアを開けたら、来ていた。ポーチの玄関脇に大きな箱が2つ。指示通りにきちんとゲートをロックして行ってくれたそうな。

その昔、読売新聞衛星版というのを仕事の情報源として購読していた。まだインターネットが普及していなかった頃で、ロサンゼルスで印刷してバンクーバーへ空輸されていたから、空港に近い我が家に配達されるのは夜中前後。それはいいんだけど、ゲートハウスの鉄の門扉を開けっ放しにして行かれるもので、「門を閉めてください」と張り紙をした。ところが効果がまったくない。ひょっとしたらとしたらと思って日本語で書いてみたけど、これも効果なし。もう一度ひょっとしたらと思って、ピアノの先生に中国語で書いてもらったら、その夜から門扉の開けっ放しはなくなった。ちょっと「目からうろこ」的な経験だったな。ボランティア先生10年のカレシの経験からすると、耳から入る英語を理解できても新聞やパンフはあまり理解できない、相手が理解できるレベルで話せてもまともな英語は書けないという人はかなりいるらしい。まあ、職業によってはそれでも何とやって行けるんだけど。

ひとつ懸案が片付いたところで、カレシを英語教室午後の部に送り出して、お歳暮宅配の注文をメールで送って、モールの郵便局までひとっ走り。クリスマスメールの季節で行列しているかと思ったら、それほどでもなくて、カレンダーの発送は20分で完了。海外向けのカードもポストに入れて、もうひとつの懸案も完了。時間が余ったので、ベイの地下の売り場に降りて行って、食器類のウィンドウショッピング。竹を使った大きなお盆があって、とんぼ航空の機内食にちょうどいいかと思ったけど、スーパーに寄るのでお荷物になるから出直し。食器売り場を歩いていて、アミューズブーシュ用の陶器のスプーンの6本セットと、Villeroy&Bochのちょっと変わった形の小皿を2種類4枚ずつ。レジで支払をしていたら携帯が鳴って、カレシが「そっちで落ち合う約束を忘れて家に帰って来てしまった。これから出直すけど、どこに行けばいい?」と。あ~あ・・・。

カレシは夜の部があるから、帰ってきて即夕食のしたく。解凍しておいたイカとエビに冷蔵庫にあった玉ねぎ、にんにく、スナップえんどう、ブロッコリ、もやしを、タイのスパイスペーストでジャジャッと炒めて、炊き立てのジャスミン米のご飯の上にかけて、何だかわからない即席ごはん。カレシを送り出して、今朝届いたシュレッダを箱から出して、3ページくらいしなかい説明書をざっと読んで、さっそくたまっていた紙類の処理。上に100枚まで載せてスイッチを入れると自動的に細かくクロスカットするというもので、カレシに取られた?シュレッダの倍の値段で4、50倍の効率。あっという間に200枚以上あった書類の山が大きなゴミ袋2つに化けたからすごい。

仕事上書類を印刷することが多いので、裏表使っても、ちょっとぐうたらをするとあっという間に「ゴミ」がたまってしまう。クライアントの社内情報が多いし、人事関係なら懲戒解雇の通知とかセクハラの苦情といった個人の赤裸々?な内情が一目瞭然だから、日本語原稿ではあってもそのままリサイクルに出すのがはばられるような気がして、つい「シュレッダ行き」の箱に入れてしまう。そのときごとにデスクの下においてあるシュレッダにかけてしまえばいいんだけど、ついついシュレッダの上にも置きっぱなしになってたまってしまう。でもこれからは100枚までため込んでまとめてジャジャッと処理できるわけで、う~ん、あんがいぐうたらを助長するだけかなあ・・・。

カレシが帰ってきて、英語教室の午後の部は生徒の数がカレシが決めた「最低6人」の定員を割ったので無期限休講にしたから、あと1回夜の部があるけど3週間の休みに入ると宣言。冬休み、いいなあ。来週から休みに入ろうともくろんでいたワタシだけど、1月上旬いっぱいが期限のでっかい仕事が入って来てしまった。年が明けてから始めることにすると作業期間が短くなりすぎて、期限ぎりぎりで慌てることになりかねないから、遊び呆けることに専念するというわけには行きそうにないなあ。ちっともフリー(ひま)じゃないのがフリーランス稼業ではあるけど、よりによって年越し仕事はないだろうに。これから遊ぶ気満々でいたというのに。でも、科学ものはけっこう楽しみながらやれるし、夕食後にほんのちょこちょこっとやる程度で大丈夫そうだ(と思う)し、こういうのももう今年と来年だけのことになるかもしれないし・・・ま、いっか。

65歳を高齢とは失礼な!

12月14日。水曜日。何だかどこかでヘンな声を聞いたような気がして目が覚めた。寝ぼけ半分で顔を洗っているところへカレシが階段を上がって来たから、ひょっとして起こしに来た?と聞いてみたら、「お~いと言ってみただけで、あまり大きな声じゃなかったよ」という返事。つまりは、起こしに来たってことじゃないの?

オリンパスがやっとこさ5年も遡って決算のやり直しをして、期限通りに提出して上場廃止を免れたのに、純資産が千億円も減ってしまったもので、株価が20%も下がってしまったとか。上場を維持できると見込んで買っていた投機筋はさぞかしがっかりしたことだろう。要するに、世界に名だたる日本の「優良」企業オリンパスは、株主や投資家に1千億円もの「見せ金」をちらつかせて来たということになるけど、経団連はまだ「あれは一企業の問題で、日本の企業統治には何も問題はないっ」と強気で、外部取締役の任命を義務化する会社法改正案は潰すつもりでいるらしい。企業経営の自由が制限されるし、外部取締役がいても企業統治が良くなる保証はないという理由で、オリンパスには3人もいたのに粉飾を見抜けなかったではないかと意気盛ん。まあ、オリンパスとしては「3人もいれば体裁がつくだろう」と当たり障りのない連中を集めたんだろうし、法律で義務化されても「建前」としての外部取締役であることには変わりはないだろうから、別に差し障りがあるとは思えないけどな。

月曜日のロイターズには「日本にはオリンパス事件後の大改革への意欲はない」とかなり手厳しい分析記事があった。要するに、これだけ日本の企業統治の現状について注目が集まっているのに、企業経営者も政治家も本気で改革を断行する意欲はなさそうだという結論だったけど、「やれない、やらない、やりたくない」のないない主義が蔓延っているような現状では、そんなものかもしれないな。ない袖は振れないんだからしょうがない。イギリスでは、かって世界で強大な勢力を誇った大英帝国が落ちぶれて久しい頃に「イギリス病」というものが蔓延していたらしい。かってバブルという名の強大な経済力を謳歌した日本も停滞して久しいから、そのうち世界のあちこちで日本では「日本病」が蔓延しているなんて言われなければいいけどな。

企業経営の自由を守るべく会社法改正を潰すと鼻息の荒い経団連は、希望者の65歳までの雇用継続を義務付ける厚労省の法案も潰してやると威勢がいい。経団連会長の曰く、「人間は高齢になればなるほど健康(と能力)に個人差がでて来る」から一律な義務化は困ると。あれ、朝に見た記事ではカッコに入れた能力という言葉があったけど、いつの間にかなくなっている。誰かが新聞社に文句を言ったのかな、「高齢になっても能力のある人はいるんだから、ひとくくりにするのはいかがなものか」と。なるほど、日本では60歳になったらもう「高齢者」なんだ。てことは、来年の春に64歳になるワタシはかなり高齢化が進んでいるってことか。うへっ。高齢者というのは「elderly」と言われる80代くらいから先かと思っていたけどなあ。

高齢、高齢と軽く言っちゃってるけど、ここでは「65歳」までの話。カナダもアメリカもずっと昔から「定年」は65歳だったし、カナダでは何年か前にその「65歳定年」を労働法から消してしまったから、年金を受け取りながらでも働き続けられるんだけど、日本の人は60歳を過ぎたらもう体力も能力も衰えて、労働市場では役に立たなくなるくらいひ弱な人が多いってことなの?まあ、消耗品扱いのような労働環境のせいで60歳に達する頃には体力も能力も枯渇してしまうということじゃないのかな?だったら、それを改善するのが政治家や企業経営者の仕事だろうに。もしも本当に60歳が働く限界なんだったら、何で年金年令を65歳まで引き上げるの?60歳でお役ご免になって年金がもらえるまでの5年間をどうやって生活しろというんだろうな。何となく昔話の「姥捨て山」みたいだけど・・・。

会社法改正に大反対で、「高齢者」の雇用継続義務化にも大反対と鼻息の荒い経団連会長は今年74歳だそうな。体力・能力に個人差が出る60歳を14年もオーバーしているけど、まだ大企業の会長をやっているらしい。こういうエライ人たちは60歳を過ぎても体力も能力も劣化しないからエライんであって、だから60歳定年は不要で「雇用継続可」ということなのかな。というよりは、大企業の会長なんてそれくらいの超高齢者でも勤まる仕事だということなのかな。まあ、年を取っても元気であることに越したことはないけど、74歳になってもまだ経営者に居座っている人が、自分の年を棚に上げて10年以上も年下の労働者は高齢になって体力や能力がなんたらかんたらだから、65歳までの雇用継続の義務化には反対って、いやあ、エライ人ってそれくらい劣化のしかたが一般の人間とは違っているということなのかな。う~ん、どこかで「老害」という言葉を聞いたことがあるような記憶があるんだけど・・・。

2011年の断捨離大作戦

12月15日。木曜日。午後1時前に起床。そんなに夜更かししたわけではないのに、どうしてこんなに寝坊したんだろうな。外は何だか湿っぽそう。きのう、おとといあたりは高台で雪が降るかもという予報だったけど、気温が予想外に上がったらしく、結局は雨。こういう外れはいいことだと思うけど。

朝食のしたくができて座ろうとしたところで、ゲートのチャイム。ケーブルテレビの会社がデジタルコンバータのセットアップに来てくれた。でも、予約は午後2時から4時の間ってことだったんだけどな。まあ、いいけど。我が家のコンバータはカレシがどうしてもDVDレコーダと一緒にセットアップすることができなくて、この2年間毎月レンタル料を払いながら放置されていた。それを返してしまおうということで、ケーブル会社に電話したら、近々数字の大きいチャンネルはコンバータがないと見られなくなるということで、テクニシャンを寄こしてくれることになった。その予約が今日で、やって来たおにいちゃん、コンバータをDVDレコーダにつないで、いろいろと説明しながらリモートをいじっていたと思ったら、5分でセットアップ完了。どうもカレシがDVDレコーダのチャンネルを設定する必要があったのを知らずにいたために機能しなかったということらしい。ただし録画しながら別のチャンネルを見られないそうだから、進歩したのかどうかわからないな。テレビごとに別個のコンバータが必要ということで、カレシはぼったくりだと怒っていたけど、キッチンでいつも見ているニュースはこれからも見られるんだし、1年間レンタル料をただにしてくれるそうだし、そのうちにコンバータ不要のテレビが出回るだろうから、これでいいと思うけどな。

懸案がまたひとつ解決して朝食が済んだところで、カレシはシュレッダにかけた紙ふぶきの袋をリサイクルデポに持って行って、帰って来たら今度はベースメントにたまったガラクタの整理。まずは床の上にごちゃごちゃと置いてあるカレシの不用品をまとめることから始める。積み上げるという発想がない人だから、放っておいたら「そのうち処分する」つもりのガラクタ類が水平に広がって、掃除のヴァルにまで「何とかして~」と言われるくらい足の踏み場のない状態になってしまっている。(トラックがあればいつでも市のゴミ捨て場に持って行けるし・・・といったのは誰だったかなあ。)そこで、今年のクリスマスはモノを買うのをやめて、片付けてできる「スペース」を共同のプレゼントにすることにした。我ながら妙案だと思うけど、さて、どこまで片づけが進むかは、サンタクロースのそりの空きスペースしだいか・・・。

というわけで、週末はベースメントの年末大掃除。月曜日に注文してあるスモークサーモンなどをピックアップしに行くついでに、途中にあるゴミ捨て場に寄ればいいね、と「にんじん」をぶら下げてみた。一番場所を取っているのはエレクトロニクスの不用品で、キーボードだけで5、6個あるし、モニターも3台、CPU3台、ラップトップ1台、プリンタ1台、その他ドライブやら何やら、ゴミとして出せなくて何年もたまる一方だった厄介もの。これはカレシがまとめておくと料金50ドルで引き取りに来てくれるところを見つけた。どうやら業界の非営利団体らしく、使えるものは修理して福祉団体に送り、使えないものは貴金属などをリサイクルする会社に売るということだったので、年明けに来てもらうことにしたとか。

2人でこれを処分して、あれをどこそこへ動かして、と我が家の「断捨離作戦」の戦略?を練りながら、とにかく文明生活ってのはゴミが出るもんだと感心することしきり。コンピュータが普及して来た頃は「ペーパーレス社会」になると言われたものだけど、実際のところは紙の量が増えたような気がするし、キカイの類は壊れても修理するよりは買い替えた方が格段に安いものが多いし、まだ使えるものでもすぐに「便利な新機能」の甘い誘いで買い替えを迫られる。アップルなどのような企業は新しい機能を一度に搭載せずに、バーションアップと称して小出しにすることで意図的に買い替え需要を作り出しているという話もある。ま、20世紀の後半からそうやって大量生産、大量消費でグローバル経済を拡大してきたわけで、ワタシもその恩恵?を享受して来たんだけど、それでもつくづく人間のやることにはむだが多すぎるなあと思う。

「スペースが増えると、ガラクタも増える」というのはマーフィーの法則だけど、まあ、「2011年度断捨離大作戦」が功を奏して、我が家って実はこんなに広かったんだなあと2人して感激するくらいにすっきり片付いたら、来年はそのスペースをいらないモノで埋めてしまわずに済むような生活習慣を考えたいもんだよねあ。

今日は一日いい汗をかいたかな

12月16日。曜日。いつの間にかカレシの腕枕で寝ていて、目が覚めたら午後12時50分。きのうの夕食後にテレビの前でうたた寝しなかったカレシは正午少し過ぎまでぐっすり眠れたとか。外はあい、変わらずぐずぐずした天気。まあ、こんなとことが典型的なバンクーバーの冬なんだけど・・・。

朝食後、ゆうべちょうどボトルの水がなくなったので、ウォータークーラーの切り替えにかかる。段ボール箱から出して、所定の場所に設置して、説明書の通りに新しいボトルのキャップを外して、汲み上げパイプを入れて、しっかりと密封。ボトルをスライドしてクーラーの底にセットしてドアを閉めて、電源を入れたらボコボコとポンプの音がした。簡単、簡単。作業の途中でまたも貯蔵してあるボトルの1本が漏れているのを見つけた。ビニールタイルの床が濡れていただけで済んだけど、どうもボトルのデザインが持ち運び用の取っ手付きに変わったあたりから水もれ事故が多くなったような気がするな。ま、欠陥ボトルの水は別のボトルに移せば新しいクーラーで使えるので、いちいち払い戻しを請求しなくても済むからいいか・・・。

クーラーの切り替えが簡単だったので、勢いに乗って半年以上も放置してあったテーブルの組み立てを始めた。プリンタを置くつもりで買ったのに結局不用だったもので、トップはガラス、下はファイル収納の引き出しになっている。部材は1から13まで番号が付いていて、まずは下準備ということでカムねじ用のボルトの取り付け。イケアの家具に昔から使われているカムねじのおかげで、今どきのノックダウン家具は素人でも組み立て易くなったな。中国製のものの組立て説明書と違って、台湾製のこれは正確かつビジュアルで使いやすい。(中国製品には宇宙人語かと思うような意味不明の説明書がついて来たりする。)それでも、下準備、本体の組み立て、ファイル収納引き出しの組み立てまで、12のステップがある工程を完了するのに汗だくになって約1時間半。古いステレオのケースをスタンド代わりにしていたテレビとDVDプレーヤーをこのテーブルに置いて、お払い箱になったスタンドはカレシがさっそく分解。(ふ~ん、我が家はワタシ、組み立てる人、アナタ、分解する人・・・?)

夕食後は、コの字型のデスクの中央部の下から古いプリンタとファックス機を追放して、そのあとにアトリエ部分の下にあった家具を動かして、空いたところに長いこと小部屋にあった二段の本箱を移動。本箱の高さがぎりぎりのところでつっかえてしまったので、造り付けのデスクをちょいと持ち上げて強引に押し込んだけど、ああ、背中は痛いし、大汗はかくし・・・。ファックスはごくたまに必要なときだけ電話線につないで使っていたけど、新しいプリンタではPDFファイルにスキャンしてメールに添付できるので、もう使うことはなさそうと判断して廃棄処分。1990年代は仕事の原稿のほとんどがファックスで来ていたから、在宅自営業にはまさにライフラインだった。最初に買った機械はカッターがついていなかったので、何十ページもある大きな仕事のときは用紙が機械の後ろでとぐろを巻いていて、それを1ページずつ定規を当ててビリッ!と切り離していたもんだな。のんきといえばのんきな時代だったけど、まあ、いつの世でも「昔」はのんきな時代ということになっているのかもしれない。

動かすものを動かして、何年分もありそうな雑誌の山をリサイクルボックスに入れたら、せっかくきのうカレシがリサイクルする紙類や古雑誌をデポに持って行ったのに、もうそれ以上になったから我ながら呆れるなあ。昔カレシの同僚だったアリスが、1年間納戸にしまったままだったもの、一度も使わなかったもの、持っていることさえ忘れていたものは、未練に惑わされずにすっぱり廃棄すると言っていたな。そうでないと、ほんとにモノがたまってしまう。1年間一度も使わなかったということはそれで不便しなかったということだから、捨てるのが理に適っていそう。だけど、「いつか使うかもしれない」、「他に使い道があるかもしれない」、「そのうちに捨てるから」と言ってため込みたがる人もいるから、我が家の片づけを始めるたびに、「こんなものが出て来た」とまるで考古学の発掘調査のようなことになる。そういう発見自体は楽しくもあるけど、それがしまいに「これ、まだ使えるかなあ」とか「せっかく出てきたから取っておくか」と、方向音痴の「モッタイナイ」運動になってしまうと、元の木阿弥・・・。

それでも少しずつ断捨離大作戦の進捗が目に見えて来たかな。今夜の真夜中のランチは夕食前にスロークッカーに仕込んでおいたアイリッシュシチュー。アイルランドのコーヴで食べて感激したあの味にどれだけ近づけるかなあ。ああ、今日は1日。中ほぼ立ちっぱなしで、肩も腰も凝ったし、膝は痛いし・・・。

ツリーを飾って、うきうきとクリスマスムード

12月17日。土曜日。今日も起床は午後1時ぎりぎり。まあ、寝るのがほぼ午前5時にまでずれ込んでいるからしょうがないんだけども、冬至に近い今頃は、起きて1日。の活動を始めたと思ったら、すぐに日が傾き始めるから、「どげんかせんと」だなあ。(お国言葉の響きには趣があっていいなあ・・・。)

来週はクリスマスイブ、再来週はおおみそかという、今年もまさにホームストレッチのゴール前。遅い朝食が済んだら、納戸にもぐり込んで、クリスマスツリーと飾りを出す作業。ここもいつのまにかいろんなガラクタがたまっているもので、背中かをかがめて奥の奥にあるツリーの箱にたどり着くまでが大変。途中でシュレッダにかける紙が詰まった段ボール箱が出て来た。奥にはとうてい使いそうにない古いスーツケースがいくつもあったりして、ふむ、ここも断捨離大作戦の対象にしないといかんなあ。ね、いらないものを捨ててしまえば、どうしても捨てられないものを収納するスペースもできるんだからと、もう息切れ気味になったのか大掃除を渋る気配を見せ始めたカレシを相手にキャンペーンを張ってみたけど・・・。

今年はツリーの置き場所をダイニングになっている八角塔の反対側に変えてみた。キッチンからは見えにくいけど、重いエンドテーブルを動かさずに済む。えんやこらと階段を抱え上げて来たツリーをスタンドに立てて、まずはライトのコードを3本つないでぐるぐる。たぶん全部で150個くらいあるだろうけど、LEDに変えてからは点滅しなくなったのがちょっと寂しいかな。でも、最近はそういうのもできているらしいので、そのうちに買い替えればいいか。次にガーランドをぐるぐると巻きつけて、できるだけライトを反射するように微調整。これだけで午後いっぱい汗だくになっての作業。ふはぁ~。

夕食後はさっそく飾りつけ。今年はボストンで買って来た3個が加わって、いったい全部でいくつあるのやら。なぜボストンでロシア民話の火の鳥がモチーフの木の玉飾りを売っていたのかよくわからないけど、真っ赤な地に手描きされた火の鳥が気に入って、買わずにはいられなかった。この10年ほど旅先で買うようになったご当地モチーフの飾りもだいぶ増えて、ひとつひとつがワタシたちの10年の積み重ねの足跡。あり地獄に落ち込んで辛い気持をいっとき忘れて友だちと思いっきり遊んだサンフランシスコの思い出はクリスマス飾りをしたケーブルカー。結婚25周年を祝って、改めてやり直しの一歩を踏み出したパリの思い出はノートルダム寺院にサンタクロースをあしらったもの。初めて行ったニューヨークで買ったのは自由の女神像の足下に立つサンタクロース。あのとき、エンパイアステートビルの展望台からWTCがあったところにぽっかりと空いた空間を見たとき、やり直しの旅のマルタで突然起こった高所恐怖症がすっと消えた。今では高いところで凍りついて金縛りのように動けなくなっていたのが信じられない。

誕生日のプレゼントにシルクドゥソレイユのショーを見に行った初めてのラスベガスの思い出は『アレグリア』のシャントゥーズ。粋なサングラスをかけてサックスを吹くクールなサンタクロースはハリケーンカトリーナの翌年に行ったニューオーリンズのみやげ屋でひとつだけ残っていたもの。カレシと行ったサンフランシスコの思い出はステンレスのマティニグラス。再び訪れたニューヨークの思い出はティファニーの陶磁器のエレガントな飾り。他にも、アイルランドの思い出はレプレコンとボラン、太平洋を北から大回りして延々28時間かかって行ったシドニーの思い出はクリスマスのソックスに入ったコアラとカンガルー。カレシからプレゼントされたインゲグラスの『クリスマスキャロル』のキャラクターセットにはイギリスと同時に、まだ見ぬドイツへの思いも・・・。

午後11時、クリスマスツリーの飾りつけが完了。去年は2日。かかったのに、今年は早かったな。ツリーを立てる場所を変えて、身動きが取りやすかったからかな。ああ、これでやっとクリスマス気分になって来た。子供も孫もいないし、サンタクロースも来ない、カレシと2人だけのクリスマス。それでもなぜか心がうきうきと弾んで来る。小さいときからそうだったけど、もしもいつかおひとり様で暮らす日が来ても、やっぱりいそいそとツリーを飾って、おいしいものを用意して、ひとりだけのクリスマスを楽しむんじゃないかと思うな。スクルージもさぞかしびっくりするだろうなあ。

リサイクル、紙も天下の回りもの

12月18日。日曜日。まちがいなく日曜日・・・だよね。「あ、忘れたっ」とカレシが飛び起きたもので、せっかく夢を見ていたのに目が覚めてしまった。ゴミを出し忘れたんだそうな。容器がいっぱいで次の収集日まで待てないのに、と。そそくさと着替えたカレシは大急ぎで外へ出て行った。時計を見たら午前11時50分。う~ん、普通はトラックの音で目が覚めるんだけどなあ。連日の汗かき作業で疲れてぐっすり眠っていたのかな。眠いけどもう正午だしと起き出して気がついた。あまりにもくたびれて眠り姫になったのでなければ、今日は日曜日のはず。何を寝ぼけてんだか、もう・・・。

クリスマスツリーも飾り終わったことだし、今日は廃棄するものをまとめる日ということにして、まずはワタシの古い、古いコンピュータの分解。筐体の大きさと重さにびっくり。15年くらい前のものかな。Windows XPになって英語環境でも日本語の処理ができるようになったけど、その前は少なくとも日本から買ってくるか、日本語版のOSやソフトを入れて日本語環境に変えるかのどっちかだった。日本から買って来る人たちが多かったけど、えらい円高(というよりはカナダドル安)だったし、大きなスースケースひとつ分はありそうな機械を抱えて帰るのがめんどうくさくて、ワタシは日本人がやっていたサービス会社にカスタム仕様で組み立てて、日本語環境にしてもらっていた。カレシが筐体を開けてみたら意外に中はすかすか。たまった埃の塊がすごくて、そばにいるだけで、ああ、鼻がむずむず。

次に廃棄するつもりでThinkPadを持ち出したら、カレシがハードドライブをフォーマットして空にしてからじゃないとダメという。これも10年くらい前のもので、バッテリはとっくに死んでいるし、元々使い勝手もあまり好きじゃなかったし、ムリに日本語環境にしたものだから、このまま捨ててもいいんじゃないかと思うけど、ま、一応は電源を入れて見た。のっけからエラーメッセージが出てきて、CMOSのバッテリがどうのこうの。えいっとENTERキーを押したら、ウィンドウズが立ち上がったけど、カレシは「何だ、これ?読めないよ」。だから言ったでしょ、日本語版のウィンドウズが入っていて、日本語環境なんだって。しょうがないから、ワタシが日本語メッセージを即時翻訳(サイトラ)して、カレシがあれこれと試してみたけどうまく行かない。そのうちググってみたらフォーマットの手順が見つかって、今度はカレシが読み上げる手順をワタシが日本語に即時翻訳しながら操作して、どうやら成功してCドライブの容量と空き容量がぴったり同じ数字になった。これで廃棄していいのかと思ったら、カレシが英語のウィンドウズを入れて、少しいじってみたいと言い出した。古いからRAMは小さいし、USBのドライバがないし・・・ま、ラップトップだから、おもちゃ代わりに取っておいてもいいけど。

コンピュータ2台の処理が終わったらもう午後4時で、外は暗い。冬至が迫っているのになぜか最高気温が8度という春めいた気温。冷えて雪が降るよりはいいけど、厳しい冬になるという予報はどうなったのかなあ。(噂をすれば何とやらだから、黙っていた方がいいか・・・。)夕食後は朝から予定していたシュレッダ作戦。ワタシ用とカレシ用と2台になったシュレッダをフル稼働させて、まずは納戸にあった段ボール箱の中身を処理。一度に100枚まで連続処理できるワタシのに業務関係の紙を積み上げ、グチャグチャと裁断している間に、手差し専用のカレシのキカイで請求書やレシートの類をジャリジャリ。容器がいっぱいになるたびに45リットル入りの袋にくずを詰めて、またグチャグチャ、ジャリジャリ。オフィスの床は紙ふぶきが散らばって、水曜日に掃除に来るヴァルに「なあに、この散らかりようは~」と叱られるかな。(忘れずに今年1年の感謝のチップを包んでおかなくちゃ。)

裁断される紙から出る粉が埃になって舞うのか、鼻はむずむずするし、ゴホゴホとやたらと咳が出て、けっこう痰がでて来る。ゴミ袋3つが満杯になったところで、今日のシュレッダ作戦はおしまいにした。いったい何千枚分あるのかな。もっと早くにリサイクルしていたら、どれだけの再生紙ができて、どれだけの木が伐採されずに済んだのか。やっと新しい紙に生まれ変われることになった古紙・・・↓[写真]

いつままたプリンタ用紙になって戻って来るか、それとも世界情勢を伝える雑誌になって戻って来るか、リサイクル時代は紙も天下の回りものということか・・・。

食い気一番のクリスマスの準備

12月19日。月曜日。ごみ収集車の通る音で目が覚めたから、今日が月曜日でまちがいなし。胸がむずむずしたけど、最近になって軽く握ったこぶしを口のあたりに当てていると咳が出ないことに気が付いたので、赤ちゃんのおしゃぶりよろしく握りこぶしを唇に当てて眠り直し。(適度の湿気を吸うことになって咳が抑えられるんだろうと思うけど、よくわからない。)起床は正午ぎりぎり。雨模様で薄暗いけど気温は5度。

朝食が終わったら、即リサイクル品を集めてトラックの荷台に移し、今日の順路を決める。カレシが木曜日にヘアカットの予約を入れてしまったので、クリスマス前の予定を(またも)微調整。何となくクリスマスのご馳走は洋風、大晦日と元旦のはアジア風というテーマみたいなものができて来たので、それでもいいんだけど、今日はドタチェンはなしだからね!と釘を刺しておいて、まずはリサイクルデポで紙ふぶきと雑誌、カタログ類を処理。次に注文しておいたスモークサーモンその他をピックアップ。ここは海産物などの輸出が商売だけど、いつもお中元・お歳暮の季節には日本向けの宅配を頼んで、同時に自家消費用のストックもまとめ買いしている。今年はおまけの品までいただいてしまった。うれしいな。

家に帰ってすぐに冷凍品をフリーザーに押し込んで、今度は反対方向のイタリア食材のBosa Foodsまでひとっ走り。まだ3時前だというのに道路はかなり混んでいた。カレシがうっかり標識を見落として危うく(帰り道方向の)ハイウェイに入ってしまいそうになり、たまたま変わった赤信号に助けられてUターン。さらにもう一度Uターンして目的地の方向に戻った。やれやれと思ったら、今度は左折すべき道路を行き過ぎて、また信号でUターン。前回初めて来て迷子になったときのうろ覚えの記憶が頼りで、違った道路に入ったらのろのろ運転の車の列に割り込むのが大変なので、たまたま空いた路上駐車のスペースに止めて、「たしかこの道だったなあ」と小雨の中をテクテク。たしかに。店に着いてみたら駐車場はいっぱいだったから、路上駐車できたのはラッキー。(月曜日の午後なのにこの混みよう・・・。)

ここは食品輸入卸会社の小売部のようなもので、イタリア料理の食材を中心にほぼ卸値で売っている。普通の小売業ではないので、支払は現金か銀行のデビットカードだけ。クレジットカードが使えないのはちょっとだけ不便だけど、多量の買い物をするわけではないからだいたいは手持ちの現金で間に合う。(デビットカードも持っていることは持っているし。)狭い店の中はクリスマスの食材を買う人たちで混雑していた。カレシの目当ては年代もののバルサミコ酢とイチジクのジャムやイタリアのエスプレッソコーヒー。ワタシはイカ、タコ、イワシの缶詰に、プロシュットとパンチェッタ、サラミ、鴨のパテ、それと冷凍の(四つ割りの)ポルチーニきのこ。ついでにレジのそばに積んであった小さいパネットーネ。これはイタリアのクリスマスケーキで、クリスマス模様のきれいな箱に入って、ツリーに吊るせそうなリボンの輪がついていた。

お買い上げ100ドル以上ということで、すてきなティータオルを粗品にもらって、ついでにひと口サイズのトローネを2個。いわゆるヌガーで、これもイタリアではクリスマスの伝統なんだそうな。ナッツが入っていて、おいしいことと来たら、もう。イタリアのクリスマスってどんな感じなんだろうな。イブの夜にはみんなで教会へミサに行くんだろうな。サンタクロースは名前からしてゲルマン系だと思うけど、イタリアの子供たちのところにも来るのかな。クリスマスの日にはきっと家族が集まって、テーブルには山のようなご馳走が並ぶんだろうな。たぶん七面鳥はないだろうから、ガチョウのローストかな。ん~、やっぱりどうしても食べる話の方に行ってしまうなあ・・・。

まあ、我が家のクリスマスはもっぱら食い気。食道楽プランもこれで8割がた準備ができたかな。帰りの道はラッシュとはほぼ反対の方向なので渋滞もなく楽々。しょぼしょぼと雨が降っているのに、西の空にはピンク色の夕焼けが広がっていた。好天になってまた寒くなるのかなあ。

ああ日本語よ、きみはどこへ行くのか

12月20日。火曜日。何だか早くから目が覚めたり、うとうとしたりで、このままずっと冬眠したいような気分。週末からけっこう忙しかったから、ちょっと疲れたのかな。きのうの夕焼けの予告通り、まぶしいくらいのいい天気。あしたとあさっては晴れの天気で最低気温がちょっと冷え込むけど、クリスマスになる頃には雨、雨、雨で最高気温は7度というから、サンタクロースも汗だくになるかも。

カレシが「本日休業」の看板を出したので、英語教室はどうするのかと思ったら、先週のうちに夜の部も年明けまで休講にしていた。早くそういってくれればいいのに。「言わなかったっけ?」と寝ぼけ顔のカレシ。午後の部は閉めたと聞いたていたけど。何でも教室にしている部屋がネイバーフッドハウスの行事に必要になったので、これ幸い?と完全休業にしたらしい。じゃ、今日は夕食も急ぐことはないから、ワタシも「本日休業」。明るいキッチンでゆっくりと朝のコーヒーを飲みながら今日届いた雑誌をめくる。エコノミスト、Maclean’s、タイムの3冊は、どれも2週間分をまとめた年末年始特別号でいつもの倍くらいの厚さ。

Maclean’sの表紙はカナダの国旗をケープのようになびかせたビーバー。「アメリカは意気消沈、ヨーロッパはボロボロ。我々は違う。なぜカナダ人は未来に先例のない自信を持っているのか」。ひと言でいってしまえば、これまで15年間の銀行などの規制強化、国の負債の削減、税制と年金の改革といった公共政策のおかげでいち早くリーマンショックを乗り切ったからだとか。たしかに銀行の監督と規制の効果は大きいだろうな。カナダの銀行は世界でも最も健全だという話で、ついこの間大手各行が膨大な純利益を発表したばかりだし、中央銀行のカーニー総裁が世界の金融安定理事会の議長に指名されたしな。ちなみにこの人は今年まだ46歳。リーマンショックの前に43歳の若さでカナダの中央銀行総裁に任命されて、金融政策を巧みに舵取りして来た。ハーバードで経済を学んで、オックスフォードで博士号を取り、証券会社時代には日本にいたこともあるとか。頭が切れて、ルックスも良くて、イギリス生まれの奥さんもオックスフォード出身のエコノミストだそうな。

小町横町を散歩していたら「モーニングを食べる」という表現に遭遇した。へえ、日本にはそんな料理があるのかいなと思ったら、どうやら昔から喫茶店などでやっている「モーニングサービス」のことを言っているらしい。好奇心を起こしてググって見たら、どこそこのモーニングというのがぞろぞろでて来る。ホテルの宿泊客が「モーニングに行く」と言うのは朝食サービス券を持っているということかな。ここまで来るとモーニングサービスというよりは単に「朝食を食べに行く」という感じがするな。つまり、朝ごはんの外食版か。でも、「外モーニング」というのもあったところを見ると、もう「モーニング」は単に朝食をすること、あるいは朝食そのものを意味するようになっているのかもしれない。とすると、家で食べる朝食は「内モーニング」になるのかな。まあ、日本語では昔から「朝は食べない」というような言い方があるから、その「朝」が英語的カタカナ語化しただけのことかもしれないけど、日本語よ、どこへ行く・・・。

そういえば、同業仲間のサイトで最近の英日翻訳におかしな傾向が見られるといって議論をしていたな。翻訳そのものの傾向よりも客先での校正の段階で極端に機械的な直訳の文体を要求されるケースがあるらしい。どうやら企業などが上がってきた翻訳のチェックにマニュアル化された機械的な品質管理を持ち込んでいるという印象で、例を見ているとまさに無料翻訳サイトの訳文にちょこっと手を入れただけという感じがするものが多い。かっては「翻訳調」と呼ばれた日本語だけど日本語でないようなスタイルが批判されたもんだけど、こんなギクシャクした日本語訳が企業の文書として通用するようになるのかと思うと、日本語よ、どこへ行く・・・。

かっては英語と日本語は動詞と述語の順が逆だから後ろから訳し出すことを教えられて来たのが、最近では中学高校の英語の授業でさえ「頭から訳す」ように教えているという話だった。そういう英語の読み方を学んだ人たちにとっては、マニュアル頼りの機械的な校正はやりやすいのかな。英日翻訳をやりたいと言えば日本語の文章力はどうなんだと言われたのはつい最近のことだと思っていたけど、「品質管理」をする側としては翻訳者の文章力よりも原文の単語が「もれなく」訳されているかどうかが焦点になるということか。どう考えても、翻訳を発注する企業側の都合ばかりが優先されて、最終的に翻訳された文書を読んで使用する人たちのことはまったく念頭にないとしか思えないけど、そこまで社会的な視野狭窄が進んでいるとしたら怖い現象としかいいようがない。

まあ、英日翻訳だけの問題なら、ワタシは日本語訳はほとんどやらないので傍観者でいられる。だけど、どうも同じ傾向が「意訳を嫌う」という形で、日英翻訳にもじわじわと浸透しつつあるらしいのが気にかかる。ワタシのところにも1、2ヵ月くらい前だったか「英語のナチュラルさや文法の正しさよりも、日本語の原文に忠実に訳して欲しい」というエンドユーザー側の校正者(日本人)のコメントというものが送られて来たことがあった。言葉になっていない含みが多い日本語を言われる通りに直訳したら英語人が読んでも理解できない英語になるんだけど、おそらくは翻訳の品質管理マニュアルに沿って日本語が「もれなく」訳されているかどうかをチェックした結果のコメントなんだろう。ここでも翻訳文を読む人への配慮はみじんもなくて、あくまでも(翻訳者が英語を母語とするしないに関係なく)翻訳をチェックする立場の自分が(あるいは英語オンチの上司たちが)「もれなく」訳されているとわかればそれで良しという思考が透けて見える。

昔も、いわゆる「英語屋」と呼ばれる人間が意訳を直訳に変え、意図的に省かれた冗長な語をすべて拾って入れ、質の高い翻訳を目も当てられない粗悪な英作文にするということは珍しくなく、英文のチェックを任されたからにはどんどん赤ペンを入れて自分の存在と能力をアピールしようということなのかと勘ぐったもんだった。ワタシもある省庁の白書を英訳して、カレシが太鼓判を押してくれるくらい会心の作だったのに、偶然ホームページに掲載されていたものを見たら、相当に改悪されていて唖然としたことがあった。まあ、翻訳者の名前は表に出ないし、「んったくアメリカ人は英語がわかってないやつらばかりだ」なんてため息をつきつき、せっせと英語を添削?している英語おじさんの姿を想像しておかしくなったけど、自分が理解できる英語でなければ、あるいは外国人が翻訳したものは信用できないということなのかとも思ったな。

英語から日本語、日本語から英語のどっちの方向に訳すにしても、誰が何のために読むのかという視点が重要なんだけど、翻訳はコミュニケーションの仲介手段であるということが忘れ去られつつあって、言葉を機械的に置き換えようとするマニュアル思考が跋扈するようになりつつあるのかもしれない。あ~あ、何だかこの商売から早く足を洗ってしまいたくなって来た・・・。


2011年12月~その1

2011年12月11日 | 昔語り(2006~2013)
左利きはどうのこうのと、しつこいなあ

12月1日。木曜日。ちょっと曇りがち。今日から12月。師走。英語の「December」は本来ラテン語で「10番目の月」。どういうわけで10月が12月になってしまったのか。(かなり眉唾ものの)一説によると、7月に生まれたジュリアス・シーザーが無理やり自分の誕生月に自分の名前をつけて割り込ませ、8月に生まれたアウグストゥスがそれならオレ様も~と同じように割り込みしたので、「7番目の月」を意味したSeptemberが9月になり、8番目を意味したOctoberが10月に、9番目を意味したNovember が11月にずれてしまったという話。もっとも、7月のジュリアスはシーザーではなくて、もっと後の皇帝らしい。でも、いくら伝説でも、2千年も先までカレンダーを狂わせっぱなしというのは偉業の一種かもしれない。

カレシはつなぎを着込んで庭仕事。ワタシはまずは最後のワークショップで未完のままだった風景画の仕上げ。なぜか行き止まりだった歩道を右と左に曲げて「道の角」の風景にして、秋の風景らしく落ち葉を散らして、できあがり。だけど、青空なのにどこにも陰影がないからなんだかフラット・・・。歩道の色が気に入らないし、構図も気に入らないし、描き直しだな、これ(な~んて、芸術家っぽく聞こえるけど)。まあ、お絵かきが終わったところで、今度はのんびりと小町横町の散歩。ふむ、またぞろ「左利きはマナー違反かどうか」なんてやっているから呆れる。日本だってもう何十年もグローバル化だの国際化だの人権尊重だの個性尊重だのと言って来たんだろうに、小町でまだ執拗に左利きトピックが上がって盛り上がる。よほど左利き嫌いが多いんだろうな。いや、左利きが嫌いというよりは、生理的美醜感覚が異なるものに拒絶反応を示しているのかもしれないな。

飲食店で肘がふつかるとか何とか、箸のおき方が間違っているとか何とか、見苦しいとか何とか、右利きが多数の世界で合理的でないとか何とか、日本にいた頃に耳にたこができるくらいにさんざっぱら聞かされた「右利きの理屈」が繰り返される。しつこいなあ。「左利きで字をうまく書く人、お箸をきれいに使っている人を見たことがない」って、近頃は右利きでも「うまく」字を書けなかったり、お箸を「きれいに」使えなかったりする人が多いようだから、社会全体の風潮と違うのかな。「左利きの人を見ると、躾をしてくれなかったんだと親は家などのバックグラウンドが見えてくる」って、近頃は右利きでも「躾をしてもらわなかった」人たちが多いようだけどな。「きれいな人はダンディーな人の左で持つお箸は見たくありません」って、じゃあ目をつぶっていればいいのに。「世の中は右利きを基本として作られているから、その世界を壊さない配慮とマナーが人一倍必要」って、自分がいかに恐ろしい発言をしているかわかってないだろうなあ・・・。

今までと少しだけ風向きが違っていておもしろいのは、左利きでも「問題はない」、「何とも思ったことはない」と肯定しておいて、「○○であるなら」と条件を付ける人がけっこう多いことかな。その条件というのが、たとえば「きれいに箸が使えれば」、「うまく字が書ければ」というような、要するに見た目の判断基準。つまり、きれいに箸を使えるなら、字が上手なら、(右利きが見て)見苦しくなければ、左利きでも我々と共存してかまわないよってことか。似たようなところで、「自分は気にしていないけど」と強調しておいて、他の人たちが気にしたり、親の躾が悪かったと思うかもしれないから矯正した方がいいという人もけっこういる。条件付き認知派と同じく、ほんとは自分が気になるのを他人に転嫁して、(少数派に対して偏見を持たない)「心の広いわたくし」を演出しているかのような印象だけど、ある意味で今どきの社会心理に通じているところがあるような感じがするな。

東京大学には一般世間の倍の割合で左利きがいるそうなんだけど、よく左利きは頭が良いとか言われるのは、偏見に満ちためんどうくさい社会では何よりも賢くならないと生きにくいからだと思うな。偏見がなくなったところでは、誰の目にも普通にどこにでもいる人間ということで、利き手の違いをしつこく指摘されるどころか注目もされないから、左利きの方が賢いというわけでもなさそうだけどな。適者生存というし・・・。

ああ、若き日の左利き人生

12月2日。金曜日。晴れ。目が覚めたらもう正午を過ぎていた。またヘンな夢を見ていたような記憶があるけど、どんな夢だったのかは目が覚めたとたんに忘れてしまった。いい夢はすぐに忘れて、悪い夢は覚えていると言う話だけど、だったらいい夢を見ていたんだということで納得。見た夢を覚えているかどうかはその人の記憶力によるという説もあるそうで、枕元にペンとメモ用紙を置いておいて、目が覚めたらすぐに夢を記録する訓練をすれば記憶力を高められるという話だけど、ワタシは嫌な夢、怖い夢、不吉な夢を思い出したくないから、そこまでして記憶力を高めたいという気にはなれないなあ。

夢でなくても、誰にでも思い出したくない記憶のひとつやふたつは脳裏の奥深くにしまい込まれてあるだろうと思う。きのう小町横町の井戸端で盛り上がっていた左利き論議を読んでいるうちにだんだん熱くなって来たのは、日本という国で左利きに生まれついたことで経験した「屈辱感」に対する怒りがおなかの根底からむくむくとわき上がって来るからだろうな。小さい頃に箸を持てないようにと母にハンカチで縛られた左手のイメージは60年も経った今でも鮮明で、幼い心に深く焼きついた「屈辱感」はワタシの性格形成に少なからず影響したことはたしかだと思う。でも、心のどこかに母に対する「恨み」があったとしても、小町で矯正派の理屈を読むほどにあれはそういう社会で生きて行かなければならない娘の将来を思いやってのことだったと納得できたように思う。そもそも日本の最果ての地で生まれた娘に利き手をとやかく言われないところで自由に生きる未来があるなんてことは想像できる由もなかったんだし。

それでも、心のどこかに「異質なものを拒絶し、差別する社会」への漠然とした怒りがあったのもたしかだと思うな。小学校時代の夏休みに隣接する2つの学校の合同絵画教室があって、絵が得意だったワタシは6年間参加したけど、5年生のときだったか、両手でクレヨンを使っていたら先生に「両手はダメ」と言われ、左手だけにしたら「右手を使いなさい!」と大きな声で叱れ、クレヨンを取り上げられて泣きそうになり、そのとから絵を描くことが苦痛になってしまった。中学時代に田舎に住んだときは、何かにつけて「いずい~」と言われた。北海道語で「違和感」や「異物感」があるという意味で、今どき風に言うなら「うざい」とか「きもい」ということか。高校時代には進路指導の先生に「就職できないかもしれないから、そのつもりでいて」と言われたな。ま、父が(両手を使う)英文タイプの学校に入れてくれたおかげで無事に就職できたけど。

札幌で秘書学校に入って、卒業間近に青年商工会議所というところでしばらく実習を兼ねたアルバイトをしていたことがあって、そのときに中小企業の社長のぼんぼんが「女のぎっちょかよ。嫁に貰うやつがいたら見てぇな。親の顔が見たいよ」と絡んで来たことがあって、(あったかどうかわからないけど)二十歳の結婚願望はすっと失せてしまった。まあ、そろそろ出席日数が足りなくなりそうだったのでさっさと辞めたけど、こんなのが男というものなら結婚なんかしない方がよっぽどましだと思ったな。(そういう男と見合いもせずに済んだのは防衛線を張ってくれた父のおかげ・・・。)そうやって英文タイプと英語を磨いて再就職したのがスウェーデンの会社。学歴が同じなら男女同賃金、必要なら女性社員にも旋盤や工具の研修をするという破格の環境でやっと深呼吸ができたのもつかの間、昼食に入ったラーメン屋で、おやじ客に満員の客がいる中で「オレのがまずくなるから早く出て行け」と怒鳴られた。(そこのラーメンはおいしくて好きだったんだけど・・・。)

それが、27歳で日本を離れるまでのワタシの左利き人生。たぶん、幼い頃の葛藤で植えつけられた反骨精神が人さまの神経を逆なでしてよけいに事を荒立てた(と日本の人に言われたことがある)のかもしれない。カレシが理想像として押し付けてきた従順な日本のオンナノコらしく、しおらしく振舞って、「右利きを基本として作られた世界を壊さない配慮をして」、神経の繊細な人たちに不快感を与えないようにひたすら身を縮めていたら、果たして今のワタシのような、生きていて良かったと思えるような人生があったんだろうか。ワタシは(おそらく父の遺伝子という)縁があって左利きに生まれついたの。右手も使えるようにしてもらったけど、あくまでも左手がワタシの利き手なの。ワタシの脳がそういう作りになっているんだから、それが矯正すべきことだというなら、「利き手障害」とでも、「利き脳障害」とでも、好きなように名前をつけたらいいと思う。

あ~あ、やっぱり熱くなって来るなあ、この話になると。もうひと昔前になるけど、日本語を話そうとしても声にならなくて、話せなくなったことがあった。普通に日本語を読んで、書いて仕事をしていたのに、頭の中にはちゃんと日本語があるのに、話そうとすると喉の奥に絡んで口まで出て来ない。まあ、特に話す必要もなかったから良かったのかもしれないけど、つっかえを感じないで話せるようになるまでに数年かかったな。心理的に話すことを拒否しているのかとも思ったけど、今になって考えると、あれは「日本」というものがワタシの中でどうしようもないくらい複雑にもつれていたときで、白いハンカチで縛られた左手が「ワタシ」という人間の存在を否定された「屈辱感」と重なって、大きな心理的なストレスが幼いときの吃音障害を蘇らせたのかもしれないな。三つ子の魂は何とかと言うけこ、まさにそのとおり・・・。

イギリスから迷子の郵便が来た!

12月3日。土曜日。ぐっすり眠れた気分で目が覚めたらとっくに正午過ぎ。今日は早めの時間にディナーの予約を入れてあるから、ぐずぐずしていると朝食が済んだらもうお出かけのしたくなんてことになってしまう。2人して飛び起きて、朝食はいつもよりちょっぴり少なめに・・・。

カレシは日々のパンをセットしてから庭仕事。ワタシはめったに引き受けない翻訳チェックの仕事。それにしても変更履歴をオンにしてやると見づらいなあとぶつぶつ。そっか、新バージョンのワードになって、挿入したところと削除したところを別々の色に設定するのを忘れていた。ま、色を別々にして、やっと何とか見やすくなった。やれやれ。マイクロソフトにお任せしておいたら仕事がやりにくいもので、2003年バージョンを使っていたときはせっせとツールバーをカスタマイズしていたんだけど、めったに使うことのない変更履歴はあまりいじったことがなかった。旧バージョンのはカレシにお下がりしたのはいいけど、あまりにも徹底的に「仕事仕様」にスタマイズしてあったので、カレシは「おい、○○のアイコンはどこだ?」の連発。(昔からキーでやるのに慣れていたコマンドは全部ツールバーから外してあった。)まあ、カスタマイズの極意を伝授したから、少しずつカレシバージョンへの移行が進んでいるようだけど・・・。

カレシが入って来て「これを見てごらん」と手渡されたのがちょっとしわになった茶色の封筒。イギリスからの料金支払い済みの郵便。「きのうキミの本が届いたときの郵便袋に落ち葉を集めようとして広げたら底に残っていたんだ」と。そうそう、ロンドンのFolio Societyに2012年度分として注文してあった本のうちの1冊が届いて、いつものようにサックレースに使えそうなくらい大きな頑丈なメッシュ入りの袋に入っていた。郵便局で袋に入れるときにくっついて一緒に入ってしまったのかな。でも、本は一応段ボールに包んだ小包で、こっちは封書なんだけど・・・。

封筒は印刷用紙を2つ折りにしたくらいの大きさ。切手の代わりに「料金支払済み」と印刷されていて、何となくお役所っぽい。イギリス郵便公社(Royal Mail®←登録商標になっている!)の青い「航空便」のステッカーが貼られている。全部大文字で手書きされた宛先は、かなくぎ流だけど猛烈に丸っこくてDとOの区別がつきにくい。受取人は「フィーリー氏」。住所を見たら、あらまあ、何とアイルランドのスライゴー州!裏を見たら、配達不能の際の返送先が「労働年金局」で、住所は北アイルランドのベルファストになっていた。ん~ん、てことは、北アイルランドのベルファストで投函された郵便が、地続きのアイルランドに行く代わりに、なぜか(おそらく誰かがうっかり「航空便」のステッカーを貼ったもので)イングランドに行ってしまって、本の発送地のウィルトシャーかロンドンか、どこかでカナダ行きの郵便袋に紛れ込んでしまっということか。

ちょこっと調べてみたら、ベルファストからスライゴーまでは車で3時間くらいの距離らしい。だいたいバンクーバーからシアトルへ行くのを同じくらいか。それって、航空便で送るような距離じゃないでしょうが。つまり、元々たった3時間で行けるところへ行くはずだった郵便が波荒きアイリッシュ海を越えてイングランドに渡り、大西洋を飛び越えて、さらにはカナダを(ひょっとしたら鉄道で3日。半かけて)横断して、はるばるとバンクーバーの我が家まで来てしまったわけか。いやはや、どえらいはぐれ郵便だなあ。なんだか、海に流されたメッセージ入りのびんが遠い国の砂浜に打ち上げられたような、「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る やしのみ・・・」みたいな、う~ん、ロマンがあるような、ないような・・・。

だけど、現実問題として、この迷子の郵便、どうしたもんだろうな。私書だから捨てるわけにはいかないし、年金か何かの重要な書類だったら受取人のフィーリー氏は届かなくて困っているかもしれない。宛先が手書きと言うのはお役所の郵便にしては「?」だけど、ひょっとしたらフィーリー氏だけに関係のある特別な用件なのかもしれない。そうだとしたら、フィーリー氏は首を長くして待っているかもしれないな。別の封筒に入れて、「迷子になって来ました」とメモをつけて、フィーリー氏に送ってあげよう。でも、匿名だとまた迷子になったら困るな。ちゃんと我が家の住所を書いた方がいいのかな。クリスマス切手があるから、それを貼ってあげようか・・・。

シェフが描いてくれた3匹の魚

12月4日。日曜日。片目を開けてベッド脇の時計を見たら、午後12時56分!寝たのは5時近かったからムリもないけど、起きないとすぐに日が暮れてしまうよ~と、カレシを肘でちょいちょい。今日は仕事があるんだし、いつまでも寝ているわけにはいかないの。

と言いながら、朝食の後、しばしコーヒーを飲みながら、きのう食事に行ったレストランで買って来た料理本を開いてみる。大きな本で、きれいな写真がたくさん。シーフードのレストランだから、どれも魚、魚、魚。久しぶりに行ったBlue Water Caféでの食事。ワタシはたこ、貝類、えびのセヴィチェで始めて、メインはアルプスイワナ。カレシはカニとアスパラガスのパンナコッタで始めて、メインはチョウザメ。このチョウザメは地元フレーザー川で獲れたもの。成長すると数メートルになる大きな魚で、150年くらい生きることもあるとか。昔はうんざりするほどいたそうだけど、豪快な釣りができるというので乱獲されてめっきり減ったという話しで、持続可能な漁業を支持する地元の有名レストランも加わって資源保護の取り組みが進んでいるという。白身でオヒョウのようだけど独特の味わいがあって「おいしかった」とカレシ。

料理の本があるのは前から知っていたので、サーバーに持ち帰りたいと言ったら、名前をメモして行って、しばらくして勘定と一緒に持って来てくれたのはシェフのサイン入りの本。去年だったかバンクーバーの「シェフ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたフランク・パブストはドイツ人。バンクーバーの有名シェフにはフランスのアルザス地方出身の人がけっこういるけど、ドイツ人は珍しいかな。だいたい、ドイツ料理屋というものはあるらしいけど、レストランガイドに載るようなのはない。まあ、シェフ・パブストの修行経歴は、ドイツのアーヘンのレストラン(フランス料理)の他はほとんどがフランスのミシュランの星付きレストラン。まあ、地元の食材を使ったウェストコースト料理は概ねフランス料理を基本にして、アジア料理を加味したものだから、何国人でもいいわけだけど・・・。

[写真] そのシェフがサインしてくれた中表紙を見たら、あ~ら、何とかわいいお魚が3匹、あぶくをプクプク。テーブルから見えるオープンキッチンにいたシェフは、いかにも(ステレオタイプの)ドイツ人らしい、ジョークをかましても笑いそうにないなあという印象だったから、サインのついでにさらさらと描いたらしい、いかにも楽しそうな魚とのコントラストにびっくり。人は見かけによらないって言うけど、ほんとに見た目だけで人を判断してはいけないということだな。なんか、感動・・・。

きのうは店の一番奥のブースに案内されて、2人で占拠するには申し訳ないくらい大きなテーブルでデザートまでゆったりと食事を楽しめた。あんまり気に入ったので、テーブル番号を聞いておいて、帰りがけに「お気に入りのテーブル」としてデータベースに記録してもらった。コンピュータ化のおかげで、たいていのレストランで、一度予約を入れると名前と電話番号が記録されて、次に電話するとリピーターだとわかる仕組みになっている。(名前より先に電話番号を聞いて「○○様でいらっしゃいますね」とやるから、ちょっといい気分にさせる。)そこで、特に気に入ったテーブルがあったら、その番号を備考に記録しておいてもらえば、先約がない限りそこにマークしてくれるから、いつもお気に入りのテーブルに座れるという寸法。まあ、せっかくちょっといいところで食事をするんだったら、気持が落ち着くとか、外の景色がいいとか、気に入ったテーブルでリラックスして味わいたいもん。

好きなことだけをやるのもいいけれど

12月5日。月曜日。今日は正午前に起床。いい天気で、八角塔から燦々と日が差し込む二階はぽかぽか。ごみ収集日だから、ゴミのトラックとリサイクル車が轟音を立てて通ったはずだけど、目が覚めなかった。それくらいよく眠れたということかな。慢性的な睡眠不足は低体温の原因にもなって、基礎体温が低くなると免疫機能が低下するということだから、年を取るほどにしっかりと睡眠をとるのが何よりの健康法というところ。

今日は小さめの仕事が2つ。午後にひとつ、夜にひとつ・・・と思っていたら、夜の分は期限が午後10時ではなくて8時。日本時間の13時と15時とかん違いしたのかとちょっぴり慌てた。まあ、午後のうちに猛ダッシュで仕上げて、2つまとめて納品できたからいいけど、こうやって地球上のある時間帯に住んでいて、半日以上も先に進んでいる別の時間帯で(仮想的に)仕事をするというのは、少々めんどうくさくなって来たような気もするな。日曜日になると1日。中漠然と月曜日だと思っていて、月曜日の予定をすっぽかした!と慌てることが多い。ひとつの時間帯で、ひとつの言語で、ひとつの文化習慣の毎日だったら楽かなあと思う。やっぱり、そろそろ引退する潮時ってことなのかなあ・・・。

仕事といえば、小町横町でおもしろいトピックが盛り上がっていた。レストランで1年ほど料理見習いをしているという30代前半のおにいちゃんが「好きなことだけしたいというのはダメなんですか」という相談。なんでも「ボクの本音は好きなことだけしたいんですよ」ということで、めんどうなことは嫌だし、興味があるのは「おしゃれな料理を作ったり、パンを焼くこと」。今の店はあまり好きなことをやらせてくれないし、厳しいので、もっと華やかな有名店ならがんばれそうだと思う。で、質問というのが、「仕事で好きなことだけをしようとしちゃだめなんですかね!?」

この「~ですかね」という表現、見るたびにひょろひょろっと吹けば飛びそうな今どきの若者を連想するんだけど、このおにいちゃんは30代だそうだから、若者じゃあないなあ。でも、文章を読む限りでは高校生、せいぜい20歳前後かなという印象。どうやら人気マンガに刺激されて料理人を目指したらしいけど、「ボクは基本自分が好きなものしか作りたくないんです」。挙げ句に、有名店に行けば「ぼく」のことをわかってくれるな~と(夢想的に)思い、「給料安いんだし、好きなことやらせてもらえなきゃ意味ないと思っていますよ」。かっこう肩で風を切っている感じだけど、好きなことだけやりたいのなら自分の店を持て、趣味でやればいい、いつまでバンドに目覚めた中学生のようなことを言っているのかと、さんざん意見されたら、「こんなに怒られるとは思いませんでした」。でもまだ有名店、有名店と言っているところを見ると、誰の意見も右から左へノンストップで通過というところだな。

いったいどんな教育を受けて来たんだろうな、この人。バブル時代あたりから、叱らない育児や教育、個性や感性の尊重と称して、とにかくひたすら子供にやさしくという教育方針で、「やりたくなければ/やりたくないことは、やらなくてもいい」という風潮が生まれたらしいけど、その教育の観点から見れば、この人は優等生の部類に入るのかもしれない。仮想的有能感から来る過信もあるだろうし、華やかなメディアに「夢は見続けていれば(当然)かなう」と洗脳されて、「かなえる」ために学び、努力するという能動的なプロセスがあることを知らずにいたのかもしれない。あるいは、「シェフになりたい→今すぐここをクリック」のようなデジタル思考なのかもしれない。甘いといえばそれまでのことだけど、高校生じゃあるまいし、30歳を過ぎてもまだそんなんでいいのかなあ、おにいちゃん。しっかりせんかい。

ま、人間誰しも「好きなことだけやっていられたらどんなにいいだろう」と思うだろうけど、好きなことだけを「やり続ける」というのは意外とめんどうくさそうな気がしないでもないなあ。

ブランド品もマークを取ったらただの品

12月6日。火曜日。午前11時30分に目覚まし。なんだか薄暗い。雨かな。スヌーズボタンをポンと叩いて、肘で突いてカレシを起こしたら、「う~ん」、「ふはぁ~」と寝ぼけ声。温かいのでくっついていたら、ワタシも目覚ましがまた鳴り出すまでついうとうと・・・。

朝食後、カレシを英語教室午後の部に送り出して、イギリスから来た迷子郵便をアイルランドへ送ってあげようと、封筒に入れて宛名を書いていたら、スライゴー州の綴りが間違っている。そこで念のため、ググって町の名前もチェックしたら、こっちにも綴り違い。おいおい。番地が大丈夫かなあと思ったけど、ケリー州のキラーニーで2度お世話になったB&Bの住所も家の名前だけで「番地」にあたる数字がなかったのを思い出した。つまり、フィーリー氏は「マウンテンビュー」という名前の家に住んでいるということで、きっと山が見える景色のいいところにあるんだろうな。あんがいB&Bをやっていたりして。封筒には正しい綴りの住所を書いて、クリスマス切手を貼った。今度こそ、迷子にならずにアイルランドまで行ってほしいなあ。

郵便局で私書箱を空にして、モールを歩いていたら、サンタクロースのコーナーでちょうど写真を撮ってもらっている子供がいた。お誕生を過ぎたくらいの男の子。頭をぐっと反らせて、まじまじとサンタクロースの顔を見上げていて、ママらしい人とサンタのヘルパーが鈴を鳴らしたり、呼びかけたりして、手を叩いたりして、カメラの方に注意を向けさせようとするんだけど、赤ちゃんは丸くした目でじぃ~っとサンタに見入ったまま。その顔が何ともあどけなくて、思わず立ち止まってしまった。ワタシだったらそのまま写真を撮ってしまうけどな。サンタと一緒にカメラの方を向いている写真はごまんとあるけど、不思議なものを発見したときの幼い子供の驚きの表情は絶対に演出できるものじゃない。せっかくのシャッターチャンスなのに、ああ、もったいない・・・。

諦めたママが赤ちゃんを座り直させたので、その場を離れてまずは25%割引のカードにあって気に入ったタータンチェックの小さなバッグを買いにCoachへ。まあ、2年ほど使った黒革のが少々くたびれて来たから新しいのを買ってもいいかなと思ったわけだけど、何だか昔の○○商店のおじさんの集金袋のようなデザインで、手首からぶら下げて歩けるから「リストレット」。小さい割には財布とクレジットカードケース、携帯がみんな収まって、それをトートバッグにポンと放り込んで歩けるからいい。カードの写真を指して「これをください」と言ったのに、店員さんは「お買い上げトータルの25%引きになっておりますので~」と、他にも何か買わせようと誘惑して来るから、ご用心。

ワタシは元々ブランドのバッグ類は好きではない(とは、店員さんに言わなかったけど)。特にあのヘンな茶色にブランドのマークを散らしたようなバッグや財布はもらっても持ち歩きたくないな。まあ、かなりのファッション音痴のワタシにだって一応のワタシなりの「ファッション」があるわけで、たまたま最初に買ったリストレットが用途にぴったりと合って気に入ったまでのこと。新しいバッグも、家に帰ってすぐに縫い付けてあった革製の光るロゴマークをナイフで縫い目を切って取ってしまった。(タータン生地の上に散らしてある「C」のマークは取れないけど、革バージョンにがっちり止めてあった銀色の駅馬車マークほどには目立たないからいいか。)帰ってきたカレシに外したロゴのプレートを見せて「取っちゃった」と言ったら、「みんなそれがついているから高い金を出して買うんだろうに、わざわざ取ってしまうやつもいるんだ。へえ~」と感心したんだか、呆れたんだか・・・。

日本では偽のシャネルを販売していた店が摘発されたというニュースがあったけど、正規品なら20万円以上するものが「3500円」だったそうで、買った人が「マークがおかしい」と相談に来て発覚したという話。高いのが売りのはずのブランド品を激安で買えることを「おかしい」と思わなかったのかなと不思議なんだけど、人間の心理自体がそもそも不思議なものだから驚くにはあたらないのかもしれない。重ねた「O」に細工をしてシャネルのマークに見せかけていたそうだけど、ワタシならマークを取ってしまうだろうから、無印になってしまえば偽物も本物もただのバッグ。それにしても、自社のロゴ入りデザインの商品を高額で買わせておいて、ついでにブランドの宣伝広告をさせて「商品価値」をさらに高めるというマーケティング戦術を考え出したのはどんな人なんだろうな。心理学の専門家なのかなあ・・・。

妻の更年期障害は夫のせいだって

12月7日。水曜日。今日はカレシに「もうそろそろ11時半だぞ~」と起こされた。シーラとヴァルが正午あたりに掃除に来るの、起きて大急ぎで身づくろいをしてキッチンに下りたら、まだ午前11時20分。11時半だなんて!とちょっぴりむくれてみせたら、「11時半だとは言わなかったぞ。そろそろ、と言ったんだ」とニヤニヤ。でも、せっかくよく眠ってたのに、10分も水増しするなんて・・・。

今日は仕事なしで始まった1日。。結局はだらだらしてしまったけど、ノートのように綴りになって売られているカンバスに石膏を塗って、滑らかにする作業を始めた。元々練習用の安いものだから、生地の目が粗い上に下地の石膏が薄くて絵の具の乗りが悪い。そこでさらに石膏を塗って、へらで均したらどうやら織り目が目立たなくなった。石膏のペーストはアトリエの必需品で、描き損ねたカンバスに塗れば再使用できるから無駄にならないし、どうしようもないへぼ絵の「隠蔽」にはうってつけ。まっさらになったカンバスを見ていたら、何となくイメージがわいて来るからおもしろい。冬の日の夕焼けなんてどうかなあ・・・。

今日の郵便にクリスマスカードの第1号。ほお、ちょっと知られたあるビジネスの共同経営者になったんだって。すごいなあ。ワタシとはひとつしか年は違わないけど、野心と頭脳でいくつものハンディキャップを乗り越えた人。見た目は華やかだけど淘汰の激しいビジネスだから大変だろうとは思うけど、がんばってね。でも、クリスマスまであと2週間とちょっとしかないのに、ワタシはクリスマスカードをまだ1枚も出していないし、お客筋への「寸志」も送っていない。これは少しばかり慌てないといけないな。カレシはもうクリスマスから新年にかけての「グルメホリデイ」の話ばかり。巣ごもりして、おいしいものを作って、食べて、飲んで、暖炉に火を入れて、2人でゆっくりDVDを見て、のんびりするんだそうな。ふむ、ワタシも「年末年始の休業のお知らせ」を出して、再来週あたりから休みにしようかなあ・・・。

日本で「男性更年期外来」という珍しいクリニックをやっていた石蔵文信という先生が『夫源病』という本を出版したそうな。サブタイトルが「こんなアタシに誰がした」。クリニックに来る男たちに夫婦同伴で出来てもらったら、妻たちの方も更年期障害で苦しんでいたということで、心身を守る働きのある女性ホルモンが減少する時期に(男更年期の)夫たちの何気ない言動によって傷ついたりして受けるストレスによって、自律神経失調症や体調不良など更年期障害を誘発する、と言うことらしい。カウンセリングで改善されるそうだけど、それにしても、「夫源病」という命名は単刀直入ですごい。ワタシが更年期障害の症状に気がついたのは、ちょうど40代の終わりから50歳になる頃。カレシが一過性の精神変調を来たした頃と一致するから、ワタシのうつ病もりっぱな「夫源病」だったんだろうな。「こんなアタシに誰がした!」と言ってやりたいけど、どっこい今のワタシはその結果の「こんなアタシ」でハッピーだから、ま、カレシの場合は怪我の功名かな。でも、この本、一度読んでみたいような、翻訳してみたいような・・・。

ロイターズのサイトを見ていたら、日本の泣く子も黙る経団連の偉い人が、「投資家は企業の業績や日本経済の動きを見ているんであって、企業統治の実績だけを見て投資するわけじゃない。スキャンダルは一企業が起こしたことで、日本の企業(統治)制度には問題はない」と言ったという記事があった。どうやら「同じ日本企業として」恥ずかしいとは言わず、「ひとくくりにするな」ということか。エダノ大臣も同じようなことを言っていたな。「日本の企業統治はアメリカと同等かそれ以上なんだ!」と。何かまずいことを指摘されると、「そっちこそ」とか「○○だって」と、まるで砂場の子供の口げんかみたいだけど、問題の本質は見ないで済むから便利な議論でもある。

まあ、これだけ世界の経済界が「日本の企業統治」(本質的に江戸時代の藩みたいなもの)に関心を持っているのに、日本の経済界は会社法改正は必要だ(立派なタテマエ)と言いながら、社外取締役(=よそ者)の導入が義務化されたら「経営の自由」が損なわれると心配しているらしい。損失を隠すのも、事故を隠すのも、正論を述べる人を飛ばすのも、これ経営の自由という、か。経営の責任も真っ当に果たさないで経営の自由も何もないと思うけど、オリンパスは外国人というよそ者中のよそ者を入れたからあんなことになったんだと言いたいのかもしれない。まあ、たぶんこれがホンネなんだろう。オリンパス事件はさしずめ「他源病」で、「こんな会社に誰がした」というところかな。ちなみに経団連には『企業行動憲章』なるものがあるそうだけど、どんなに崇高な理念が掲げられていることか・・・。

水もれ洪水騒動の後始末

12月8日。木曜日。正午前に起きたけど、何だか眠い。寝たのは午前5時過ぎ。4時前におなかがすいたから寝酒とスナックにしようとシステムをシャットダウンして、いつもベッド脇に置いておく飲み水をびんに入れようと奥の部屋に言ったら、きゃあ、洪水!

ウォータークーラーの上に逆さまにセットしてあった19リットル入りのボトルの底に目に見えないひびが入っていたらしい。ボトルの内外の気圧を同じにすることで一気に水がタンクに流れ込まないようになっているんだけど、プラスチックのボトルのどこかに目に見えなくても空気が通るほどのひびが入っていたら、気圧の均衡が破れて、水はどんどんタンクに流れ込み、3、4リットル程度の冷却タンクはすぐ満杯。溢れた水はクーラーの底から床に流れ出すことになる。たまにそういう欠陥ボトルに当たってカーペットが水浸しになることがあるもので、厚いビニールシートの上に板を置き、その上に四辺を折って箱のように作ったビニールの「受け皿」を置いて、その中にクーラーを置いていた。きのうはその受け皿があふれてしまって、周りのカーペットはぐちゃぐちゃ。セットしたばかりのボトルの3分の2が床に溢れてしまった勘定で、2人して大騒ぎしながら、ありったけのタオルやバスマットで吸い取った。

まあ、ベースメントだから、コンクリートの床にスタイロフォームの断熱材、合板の下地板、ゴム系のカーペットの下敷き、そしてカーペットの順になっているから、最悪の場合、乾く前に合板が腐るかカーペットにカビが生えるか。小部屋の暖房の温度を上げて、カレシが二階のパスルームから吸水性の良い大きなバスマットを持ち出して来て被せて、とりあえずそれまでということになったけど、2人とも何だかぐったり。水を配達してもらうようになって15年くらい経つけど、昔はごくごくたま~にあった欠陥ボトル、オンタリオの会社に買収されてからは何だか年に2、3回は当たるようになった気がするな。コスト削減もいいけど、洪水騒ぎは困る。請求書にはいつも社長が「何かあったら直接電話かメールをください」って書いてあるから、苦情メールを送ってやろうか。寝酒をやりながらそんな話をして、ちょっと気を取り直して就寝・・・。

起きてから調べたら、バスマットはかなり水を吸って濡れていた。カーペットが完全に乾くまでに2日。や3日。はかかりそうなので、クーラーは別の場所において、新しいボトルをセット。水漏れを示しそうな泡がないことを確かめて、電源を入れて冷却開始。コンプレッサーには被害はなかったようだけど、早めに重いボトルを逆さまにしなくて済むポンプ式のクーラーに買い替えて、洪水とはおさらばしたいな。ま、あしたは水の配達日なので、空にした欠陥ボトルに太いフェルトペンで「欠陥ボトル!水漏れ洪水でカーペットに被害の可能性あり。要代金払戻し!」と書いておいたけど、やっぱり頭に来るから、社長にメールして文句を言ってやろうっと。「ゴメンネ~」ぐらいは言ってくるのかなあ。

朝食後、郵便受けを見に行ったカレシが白い封筒2枚をヒラヒラさせて戻って来た。おお、CIBCからの小切手。2週間くらいかかると言っていたけど早かったじゃないの。これでほんとに、ほんとにCIBCと縁が切れた。バンザ~イ!税金が源泉徴収されても、2人分を合わせるとちょっとした額になる。ワタシたちのものなのに何年も手を出せないでいたお金がやっと戻って来たという感じで、日本だとボーナスが出たような、なんか急に懐が暖まった気分。折りしもクリスマスの季節だから、ちょっと贅沢をしてみたいなあという気もする。だけど、なかったのも同然のお金だからパッと使ってしまおうというのもちょっと抵抗感があるな。その気になればけっこうパッと使えてしまいそうな金額だし、元々2人の「老後の資金」の一部だったんだから、宝くじのように空から降ってきたわけじゃないし・・・。

ま、とりあえず銀行の口座に入金しておくことにする。たぶん、2人ともたいして贅沢なことは考えつかずじまいになりそうだけど、12月にもならないうちからカレシがご馳走の話をしては「何だか今年はすごく楽しみなんだよね」と言っているクリスマス、やっぱりワタシたちには食い気を満たすのが一番の贅沢かな・・・。

のどかに過ぎた普通の1日

12月9日。金曜日。正午前に起床。カレシは9時半に目が覚めてしまったけど、早すぎるからとがんばって寝なおしたんだそうで、今度はなかなか目が覚めないとぼやくことしきり。やれやれ。起きてみたら、水の会社から「水もれボトルの件は倉庫の管理責任者に伝えます」との返事。ふむ、倉庫での扱いが粗雑ってことなのか、配達前の点検を強化するってことなのか。どっちにしても、水もれボトルが配達されなくなればそれに越したことはない。カーペットはまだ湿っていて、見るとかなり広い範囲で濡れたのがひと目でわかるから、あ~あとため息が出る気分になるもの。

カレシは何となくダレちゃったということで、予定していたクリスマスとお正月のご馳走の食材探しはあしたに変更。またまたドタチェンか。明日は土曜日だからどこへ行っても混むんだけどな。ま、野菜がなくなったし、日ごろ食べるものもなくなって来たから、とりあえずは明日のご飯の話。でも、あれが欲しい、これが欲しいと言っておいて、いざとなると買いに行こうというときにめんどうくさくなって頓挫するのはけっこう経済的でいいかもしれないな。もっともカレシがあれが欲しいねえ、これを作りたいなあと言い続けるときは、実は(ワタシに)「買って来て」、「作ってくれ」という信号を送っていることが多い。そういうところは幼児が母親の愛情を試すのと似ていなくもないけど、たぶん「してくれる」ということで自分の愛され度を測りたいのかもしれないな。だから自分でちょっと買いに行けば手っ取り早いのに、あれが欲しいなあ、あれがあるといいなあ、あれを作りたいなあ・・・。

でも、ダレているわりには外へ出て行って、落ち葉でいっぱいになったポーチの雨どいの掃除を始めたからエライ。ワタシもあちこちに放置してある雑誌やカタログを集めて、宛名のところに「隠蔽スタンプ」をポンポン押して、リサイクル用にひとまとめ。ウォータークーラーの隣に置いてあったビデオとCDのキャビネットをえっちらおっちらとキッチンに運び上げて、壁に埋め込んだスパイスキャビネットの隣に置いたら、仕上げの色合いもほぼ同じで収まりがいい。最近はテレビのニュース番組も同じ話を繰り返し流してつまらないから、キッチンで音楽を楽しもうということなんだけど、上にちょっとした飾り物も置けるから、季節がらクリスマスカードを並べた。後は2段の本箱と収納キャビネットをどこかに移せば、昔ワタシのランチルームだった奥の小部屋を普段は納戸代わりにして、泊り客があるときはガラクタを外に出して「開かずのベッド」になっていたソファベッドを活用できる。水もれ洪水騒ぎのおかげで整理整頓になればしめたもの・・・。

日本ではもう週末で、ワタシは仕事が入っていないから、夕食が終わったら「趣味の時間」ということで、絵を描き始めた。我が家から見えるゴルフ場の向こうの夕焼けのイメージ。まず下地に普通の空の色を塗って、少しずつ夕焼け色に塗って行く。最終的には「青空」はなくなるんだけど、この下地があるのとないのとでは微妙な違いが見えることがあるから不思議。太陽が沈んだばかりの夕焼け色を出すのに、赤、深紅、黄色、青を、混ぜ合わせてみたり、塗り重ねたり、ぼかしたりと、絵の具だらけになりながら3時間ばかり悪戦苦闘。その間に太陽は地平線の向こうにだいぶ深く沈んでしまったようで、日没直後の夕焼け色とはちょっと違う色の空になったけど、その地平線を塗って今日はおしまい。こうやって遊びごとに気持を集中できるのはいいな。やっぱり今年は早めに休みにしてしまうか・・・。

1日中食べ物を追いかけた日

12月10日。土曜日。目が覚めたら、外は何となく薄暗そう。来週半ばくらいまでずっと晴れの日が続くはずじゃなかったのかなあ。窓から外を見たら、小ぬか雨というのか、それとも霧雨というのか、よくわからないけどかなり湿っぽいことだけはたしかだな。

朝食が終わってすぐに、スロークッカーに夕食に仕込み。といっても、カレシが久しぶりにカレーを食べたいというので、少量の牛肉をスライスして、お決まりの玉ねぎ、にんじん、じゃがいもと一緒に炒めて、適量の水と市販の入れただけ。普通ならセーフウェイのような普通のスーパーでいつも普通に売っているグリコカレーなんだけど、今日はHマートで買った「ジャワカレー」というのを使ってみることにした。何しろカレシは去年新宿駅西口のちっちゃな立ち食いの店で食べたカレーの味が忘れられないで、ときどき日本式のカレーライスを食べたくなるらしい。あのとき、カレシは野菜カレーでワタシはビーフカレーを注文したけど、具らしいものがほとんど入っていなかったから、実際にはどっちがどっちを食べたのかわからない。でも、500円玉ひとつでおつりが来て、しかも未だになつかしがるくらいおいしかったから言うことなしだけど。

まずはWhole Foodsへ行って、高いけどやめられない大好きな量り売りのシリアルを袋にいっぱい買い、最近はまっているTERRAというブランドのサツマイモやビーツ、タロ、カッサバなどの野菜チップを大量に仕入れ、ついでにアルメニア式クラッカーも買ってホリデイシーズンの準備。肴売り場では、鯛とブランジーノを2匹ずつ鱗と内臓を取って(鯛は尾頭付き)包んでもらった。ブランジーノはヨーロッパのスズキ科の魚で、最近ときどきレストランのメニューに登場するようになった。資源が乏しくなってからは養殖されているそうで、仕入れ過ぎて余ったのが魚屋に現れるということかな。お正月用の鯛も養殖ものだけど、潮汁風にしてみようと思って頭を残してもらった。本式の鯛の潮汁はお椀に頭が入っていて見上げているんだと言ったら、カレシは「イ~ッ」という顔。まあ、鯛ってなんか気むずかしそうでエラソーな顔をしているから、ワタシだってお椀の中から睨まれたくないなあ。

食べ物の手当が付いたら、隣のLondon Drugsにポンプ式のウォータークーラーを見に行った。さして重くはないけど、問題は車に納まるかどうか。ポンプ式はひとつしかない。配達してもらえるかどうかを聞くのに、サービス(とは名ばかりの)カウンターに並ぶこと15分。配達の手配はするけど、バンクーバー市内は最低50ドルかかる(からやめといたら?)とそっけない返事。はいはい。車の後部座席に納まらなければ座席の片側を倒せばいいだろうということで、2人がかりでえっちらおっちら箱をレジへ運んで、駐車場まではエレベーター。ま、買ってしまえばこっちのもので、今クーラーに載っているボトルが空になったら切り替えればいい。とにかくボトルを逆さまにしなくてもいいから楽だし、洪水の心配もなくなるのはうれしいな。(ずぶ濡れになったカーペットはまだ湿っぽい・・・。)

家に帰ると夕食のカレーがほぼ出来上がっていて、普通の日本米が足りなかったので、タイのジャスミン米にしようか、インドのバスマティ米にしようかとちょっと思案したけど、結局は発芽玄米を炊いた。だって、カレーライスはれっきとした「日本食」で、日本食には日本のご飯が一番合うんだもの。日本から輸入される日本米はレストラン業界向けのごく少量なので、この発芽玄米も産地こそ日本ではないけどジャポニカ米なんだから、日本のカレーに合わないはずはない。実際にカレーをかけて食べてみたら、玄米のナッツのような味わいがスパイスとぴったり合っていて白米で食べるよりもおいしかった。この次は八穀米でカレーを食べてみようかな。

満腹になったところで、今度は西の方のスーパーへ野菜の買出し。2人とも冷蔵庫の野菜が底をつきかけていたので、あれもこれもとカートいっぱいに盛大に買い込んだら、レシートの長さが何と40センチになった。そのほとんどが野菜と果物。なんというか、今日は1日。中食べ物を追っかけ回していたような気がするなあ。


2011年11月~’その3

2011年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
国際結婚が破綻してもがんばっている母はえらい

11月21日。月曜日。目覚めは午後12時半。雪は降らなかった。ま、夜中を過ぎてから気温が1度上がり、午前3時に店じまいした頃にはまた1度上がって、プラス3度になっていたから、雪が降るわけはないんだけどな。だから当然朝までに「降雪注意報」は解除。この「降雪注意報」というのは「大雪注意報」とは大違いで、道路がちょっと白くなっただけでてんやわんやするバンクーバーの住人に「雪が降りますよ~」と警告するためのもの。予想積雪量が1、2センチでも発令されるから、雪国の人は笑ってしまう。まあ、バンクーバーの冬は「雨期」であって、世界が一般に想像する「カナダの冬」はめったにないし、移民してきて初めて雪を見る人たちもたくさんいる土地柄だからね。ただし、今日は「降雪注意報」の解除と入れ替わりに「大雨注意報」と「強風注意報」が出ている。こっちの方は典型的なバンクーバーの冬って感じだな・・・。

今日はまじめに仕事をすることにして、後から発注されたけど納期が明日になっている方に手をつける。半日程度の小さい仕事だけど、離婚が絡んだ話。改製される前の旧式の戸籍は数字まで全部漢字で、おまけに癖字や金くぎ流の見本みたいな手書きだったから読むのにひと苦労した。新形式のは人名や地名の読みに苦労するのは同じでも、格段に読み易い。1990年代にはよく移民申請の関係で戸籍の翻訳を持ち込まれたけど、野次馬的好奇心をそそるような人間ドラマもあったな。たとえば、ある40代の男性。移民コンサルタントから来た戸籍では未婚だったのが、1年以上経って「変更があった」と送られてきた戸籍を見たら、なんと二十代前半の妻が入籍。それから1年経って「また変更があった」と送られてきた戸籍には子供の名前があった。入籍と出生の日付からして「できちゃった婚」というやつらしい。悪いけど、あまりモテなかったしょぼい40男が「オレ、カナダに移民申請中でね」なんて言ったとたんに海外デビューを目指す若い女性にモテモテになって、うまくでき婚に持ち込まれたのかなと想像してしまった。その後どうなったのかは知る由もないけど・・・。

今、アメリカのウィスコンシン州で離婚係争中に子供を連れて日本へ帰ってしまった日本人女性の裁判をやっている。アメリカでは夫が単独親権を取り、一方日本では妻が日本の裁判所から親権を取って、日米両国で争っていたとか。この春に自分の永住権を更新するためにハワイへ行ったところで、ウィスコンシン州から逮捕状が出ていたために逮捕されて、ずっと拘留されていたそうな。この人、日本へ子供を連れ帰って、実質的に「ハーグ条約未加盟」の壁に守られて暮らしていたことになると思うんだけど、自分のアメリカ永住権を維持するためにハワイまで行ったのは、いずれ親権問題が解決したらアメリカに戻って(子供と)アメリカで暮らすつもりだったということかな。逮捕状が出ていることを知らなかったんだろうか。知っていたけど、ハワイならウィスコンシン州から遠いから大丈夫だと思ったんだろうか。せっかくのアメリカ永住権が無効になりそうになって慌てたんだろうか。まあ、この人は司法取引で子供をアメリカに戻すことに同意したそうだから、実際に子供が元夫のところに戻ったら無罪放免になるだろうと思うけど、そのままアメリカに住めるのかな。それにしても、永住権ってのは魔物というのか何か・・・。

だけど、国際結婚が破綻しても移住先の国に踏みとどまって、働きながらひとりで子供を育てている日本女性はたくさんいると思う。元夫からの養育費が滞っても、低賃金の仕事しか得られなくても、一生懸命に子供を育てている人がたくさんいるはず。働けなくて生活保護を受けている人だっている。カナダでは結婚破綻の責任を問わないので、不倫した方からでも離婚を申し立てることができるし、女性が結婚して家庭に入るなんてもう昔話だから、小町横町でよく聞かれるような「経験も資格もなくて生活できないから離婚できない」と不満足な結婚を続ける理由は成り立たないし、子供がいればDVなどの問題がない限り共同親権になることが多い。それでも(多くは親を頼って)子供を連れて母国へ逃げ帰るという選択をせずに、がんばっている日本女性が世界中にたくさんいるんだということを声を張り上げて言っておきたい。外国人を配偶者に選んだ動機や経緯がどうであれ、彼女たちは離婚するなり、努力して結婚を継続するなりして、ひとりの女性として自立することができた「勝ち組」なんだと。

まあ、ワタシはもう日本には戸籍がないから、結婚の破綻という状況に置かれても日本に帰るという選択肢はないし、あったとしてもたぶん考えてもみないだろうな。それはともかく、戸籍の仕事はさっさと仕上げて、壮大な地球の話に戻ることにしよう。外はかなりの荒れ模様・・・。

「たかり」の新しい意味

11月22日。火曜日。いやあ、夜中ものすごい嵐だった。ゴォ~ッと風が吹くと、雨がばしゃばしゃと窓に叩きつけられて、ときどきどこかでガシャン、バタン。おかげで寝付けなくて、午前5時半頃に急に外が静かになって、やっと眠りについた。目が覚めたのは午前11時過ぎ。停電していなくて、まずはひと安心。テレビのニュースでは、大木が根こそぎ倒れかかって壊れた建物や外壁のレンガがそっくり落ちてしまったホテルの映像が流れる。木が倒れて来る中で間一髪で窓際のベビーベッドから赤ちゃんを抱き上げて助かったという若い両親の話もあって、見ている方も安堵のため息が出る。瞬間最大風速は30メートルくらいあったらしい。停電は数万世帯とか。

我が家は裏庭に置いてあったゴミの容器が倒れていただけで、家の中は雨漏りの形跡もなく、大雨で水が滲み込むことがあるスカイライトも問題なし。風が吹き付ける雨が洗ってくれたおかげで、東側から南側へかけての窓のガラスはどれもすっかりきれいになっていたから、言うことなしだな。庭や歩道の落葉樹はほとんどが葉をむしり取られて一気に冬っぽい風景になり、玄関を開けたら、ポーチには落ち葉の「吹き溜まり」の山。カレシが掃除をしたばかりの雨どいにも落ち葉が詰まっていたけど、あさって配管屋が来て温室に給水パイプを通してくれたら、いよいよ池の跡の穴を埋め戻す段階になるので、堆肥になる落ち葉はいくらあってもありすぎることはない。ついでに風が穴に吹き落としてくれるとなおいいんだけど、そこまではムリか・・・。

ニューヨークのウォール街から始まって、だいぶ前から美術館前の広場にテント村を作っていた「オキュパイヤー」と呼ばれる連中は、市が裁判所から占拠差し止め命令を取り付けたもので、きのう隣のブロックの裁判所があるロブソンスクエアに移転。ところが、今度は州政府が速攻で差し止め命令を取り付けて、どうやらダウンタウンを離れた公園に移動するらしい。ウォール街で始まった「運動」はアメリカの人口の1%が富を独占しているのに99%(の一般人)が抗議するという趣旨だったはずで、バンクーバーでも最初はそういう草の根運動的な雰囲気があった。それが、いつのまにか無職無為の若者たちのドラッグパーティの場と化した感があって、最初は共感を持った市民もそっぽを向いた。何が「強欲な1%」に抗議だ。(働かずに)生活費や住むところを与えられる権利があるとか、まったく連中こそまじめに働いて税金を払っている99%の市民にたかる「強欲な1%」だな。

この「たかる」と言う言葉、この頃小町横町でもよく聞かれるような気がするな。婚活がらみのトピックでも、低収入の男との結婚はムリと女が言えば、結婚するなら専業主婦はムリと男が言い、それを「たかられたくない」と考えているからだと言う人がいる。元々「たかる」というのは人を脅したりしてお金やものを巻き上げたり、無理強いしておごらせたりする行為だったはずだけど、仕事を辞めた妻が生活費を要求するのを「たかられている」という高収入夫がいたりして、どうやら「相手に経済的に依存すること」という意味も加わったということかな。件の高収入夫は自分の収入は(自分の稼ぎだからと)趣味に使い、低収入の妻に生活費や保育費を負担させて来たそうで、その妻が資格勉強のために(相談もなく)仕事を辞めたので、しかたなく15万円の生活費を渡して、「たかられている」。夫婦なのに、なんかおそろしい心理だけど、こんな思考が幅を利かせるようになったら、「強欲な99%」が支配する社会になってしまいそうだな。

自分が稼いだお金なんだから自分だけのために使いたいのに、政府には税金をたかられるし、慈善団体には寄付をたかられるし、飲兵衛の同僚には飲み会でたかられるし、大食いの友だちには割り勘と称してたかられるし、低収入や無収入の妻/夫には生活費をたかられるし、子供には育児費・教育費をたかられるし、しまいに年老いた親にも仕送りと称してたかられる。ああ、たかられっぱなしの人生。いっそのこと、たかってくるしがらみはすべてさっぱりと捨てて、ひとり飄々と托鉢の旅にでも出たらいいのに・・・。

ていねいに、美しく包み隠す文化

11月24日。木曜日。目が覚めたらもう午後1時に近い時間。何たってきのうは仕事がどたばたでくたびれたもの。超特急の仕事、その日のうちにということで、超特急でやって編集担当に送って、次の超特急仕事にかかったら、終わらないうちに送った仕事に「クライアントから新しい原稿が来た」と。急がせておいて・・・とファイルを開けてみたら、手を入れたというよりは書き直し。これでは翻訳もやり直し。割り増し料金を払ってくれるそうだし、原稿自体が短いからいいんだけど、この忙しいときに超特急だと急がしといて、何をやってるんだろうなあ。新旧の原稿両方に料金を払ってもらいたいな、もう。次の特急仕事も何とか無事に済ませたら、午前3時半。カレシに愚痴りながら寝酒をぐいっとやって、つまみにソーセージを半分も食べて、おやすみ・・・。

おかげで大きい仕事が遅れ気味。こっちは内容がおもしろいからいいんだけど、何だかすごい学術用語がぞろぞろ出てきて、用語や表現例を調べながらの作業だから進捗は少しのろい。でも、今日は工事に来る予定だったマイクが「天気が悪そうだから」と明日に延ばしたので、仕事に専念できそう。きのうの夜からまた「強風注意報」が出ている。どうも11月の嵐は単独で来ないで、2つか3つが団子になって来るから困る。先週の雪交じりの嵐、月曜の夜の風と雨、今日もまた風と雨。あしたは日中は「晴れ」、土曜日は「雨(50ミリ以上)」、プロフットボールの決勝戦がある日曜日は「晴れときどき曇りときどき小雨」、月曜日は「雨(50ミリ以上)」、火曜日は「雨(40~50ミリ)」と言う予報で、11月最後の水曜日になってやっと「晴れ」。翌日12月1日。は何と「晴れのち雨かべた雪」になっている。ま、バンクーバー地方の天気予報は地形が複雑なもので当たらない確率の方が高いから・・・。

オリンパスの怪しげな取引に疑問を持って追及したために解任された元社長が日本へ出向いて、取締役会で例の三人組と対峙すると言うことだったけど、肝心の三人組はその前に辞任してしまったらしい。なんだ、敵前逃亡かいな。さんざん日本の慣習を無視して独断的だったとか何とか非難しておきながら、いざとなると面と向かって堂々と説明できない(したくない)ってことか。ま、ガイジンを社長に据えればグローバル企業でございと見栄えがするし、ガイジンだから日本側でやっていることには首を突っ込んで来ないだろうし、突っ込んで来ても「これだからガイジンはダメだ、日本のやり方を理解していない」とその首をすげ替えればいい、と高を括っていたかどうか知らないけど、やっぱりムラ社会的な発想という感じがする。要するに、ムラの外の社会も自分たちのムラと同じであるはず・・・ということかな。やれ国際化時代だ、やれ国際交流だと、あれだけ長いこと鉦太鼓を叩いて来ても、変えれば変えるほど元のまま・・・。

在日外国人の英語サイトに投稿されていたリンクを辿って、ウッドフォード氏が成田に到着したときのインタビューを聞いてみたら、下っ端から叩き上げてきただけあって、なかなか骨太な人という印象だったけど、社長に復帰する気はあるかと聞かれたときに、まだわからないと答えた後でちょっと曇った表情になって「妻も私もトラウマになっているので・・・」と言ったのが耳に残った。そういえば、解任された直後に急ぎイギリスに帰国したという話だったけど、会長や取締役会におかしい取引の説明を要求してから解任されるまでの間に何があったんだろう。いわゆる「反社会組織」が絡んでいるという報道もあって、オリンパスは否定に必死だけど、日本には株主を黙らせるための「総会屋」という、まるでバーの用心棒のような商売もあるし、(会社の内密の依頼で)水面下でウッドフォード氏とその家族が身の危険を感じるような「働きかけ」をする人間がいたとしてもワタシは驚かないけどな。

法律や規制なんていくらでも立派なものを作ることができるわけで、それを所詮は「建前」として見るから、世間の目に遵守しているようにさえ映ればそれで十分という思考になるのかもしれない。つまり、「中身」よりも「見た目」が重要な判断基準ということなのかな。それとも、中身を見られないようにきれいな紙に見栄え良く包むということなのか。日本語に「包み隠さずに言う」という表現があるのはおもしろいし、ふろしきもモノを包んでおくためのものであって、みだりに広げると「大ぶろしき」と揶揄されかねない。まあ、包み紙文化も社会文化のひとつだから、良し悪しも優劣もないけど、外から見える日本は大海の中で先端だけが水面に出ている巨大な氷山に似ていなくもない。水中の部分を見たいとは思うけど、ワタシ、かなづちなんで・・・。

近頃の日本語、変じゃなくないですか?

11月25日。金曜日。午前9時過ぎ、裏庭でドンドン、ガンガンと物音がして目が覚めた。ラジオが聞こえる。マイクが来て作業を始めたということか。まだ5時間そこそこしか眠ってないんだけど。大雨続きの天気予報の中では今日が1日。だけ開いている作業のチャンス、ということで、そのうち配管屋も来るんだろう。でも、まだ5時間しか眠ってない。シリコンの耳栓をしているカレシは何とも気持良さそうにすやすやと眠っているから、ワタシもひたすら目をつぶって、うとうと、うとうと・・・。

結局、眠っているんだから覚めているんだかわからない状態で、起きた頃には11時を過ぎていた。配管屋が来て、マイクと息子が掘った溝に温室への水道管を敷設中。カレシが話をしたところではキェルという北欧系の人で、窓から見たらそれはまあ見事な金髪。先週まで山の中にこもって猟をしていたと言うけど、なんかイメージが釣り合わないような。そのキェルが業務終了で帰った後は、マイク親子がパティオと歩道を作る場所の表土を掘り起こして、池の跡の大穴を埋め戻す作業。まあ、これでプロジェクトその1はほぼ終了で、次のその2はパティオと歩道。これは掘ったところに砂利と砂を均してコンクリートのタイルを敷くだけだから、うるさいのは均すための機械を使うときだけかな。う~ん、5時間しか眠ってないから、ああ、眠い~。

でも、今日は腕まくりして仕事に専念する日。だけど、どういうわけかここのところちょっと調子が出ない。やたらとおなかが空いたり、咳き込んだりするのは、ひょっとしてストレスか。おまけに何かと欝っぽいような気分になる。やっぱりストレスかな。だとすると、何がストレスなんだろうな。楽しかった絵のワークショップが終わってしまったからかな。描きかけの絵がすぐそばのイーゼルで「まあだ?」と言っているような気がする。先生が言ってたな、「普通の職業と創作的な仕事は両立しない」と。そうだな、オフィスで仕事をしていたら、すごいインスピレーションがわいてもそのときはどうにもできないもの。在宅のワタシでも、芝居や短編のアイデアが浮かんだからといって、仕事を放り出すわけにも行かず、かといって、まともなご飯を食べたいから、貧乏作家として夢を追求というわけにも行かない。フラストレーションが溜まる。お役所から年金の明細が来てから何となく仕事はもういいやという気持がもやもやしているのがストレスなのかな・・・。

手を休めて、小町横町をのぞいたら、『「じゃないですか」という言い方が気になりませんか?』というトピックがあって、この頃とみにヘンテコ日本語に頭を悩ませることが多くなったワタシは見逃せないとばかりにのぞいてみた。まあ、「○○じゃないですか?」というのはわかるけど、「私って、○○な人じゃないですか~」って何じゃいな。つい、「ん、で?」と言い返してしまいそうだけど、どうもそういう反応を想定しているのではなさそうだな。もし「アタシってイケメンにモテる人じゃないですか~」なんていわれた日には何と言ったら良いのやら。もう25年も前になるけど、勤め先でワーホリの女の子を4人くらい次々とアシスタントに雇ってくれたことがあった。さすがバブル時代の落とし子たち、本当に役に立ってくれたのはひとりだけで後は全部ダメ。中でもよく遅刻した20代半ばの(名前は忘れた)人。にこにこと悪びれもせずに「アタシってぇ、ほんとは遅刻する子じゃぁないんですよぉ~」。へえ、今日も遅刻したでしょうが・・・。

自分を「○○する人」とまるで他人のように表現するのはどういう心理なのか、研究したらおもしろいかもしれないけど、翻訳原稿には絶対に使わないでよね!他にも、最近出くわしたヘンテコ日本語で未だに謎が解けていないのが「いらなくないですか?」という表現。「いらない」はわかるな。つまり、不要だってことでしょ?それを「いらなくない」と二重否定にしたら「いる」ってことにならなくない?(という風に使うらしい・・・。)何だか、「いらないよね」と言っているのか、それとも「いるんじゃないの?」と言っているのか、さっぱりわからなくないと思わない?最近はどうやらテレビの人間までがナニゲに使っているらしい。この「なにげに」と言うやつも、本来は「なにげなく」だったのに、どういうわけか「なく」がなくなってしまっている。ひょっとしたら「ない」と言う語に対して無意識に不安や嫌悪を感じているのかな。ヘンテコ日本語は果てしに続く・・・。

単語ごとにいちいち疑問符(?)で区切る半疑問形という怪しげな話法もあるそうだけど、言葉は生き物だと言われるし、時代と共に変化するものなので、ある時代に多用されるものはあんがいそのときの世相というか、社会全般のムードのようなものが反映されていたりする。だとすれば、この「私は○○な人じゃないですか~(↓)」という言い回しの裏にはいったいどな心理があって、どんな返事を想定しているんだろう。もしも「私ってそうだよね?」という肯定を求める形なんであれば、「私はそうじゃないよね?」という否定に同意を求めるときは「私って○○な人じゃなくないですか~」と言うの?はあ、さっぱりわかんない・・・。

ハリウッド映画にはならないオリンパス事件

11月26日。土曜日。起床午前11時55分。ぎりぎりで「午前中」に起きたけど、9時間も寝たのにまだ眠い。カレシは天気のせいじゃないかと言うけど、外は天気予報の通りに雨が降っている。ハワイ方面から来るから「パイナップル特急」と呼ばれるこの冬の低気圧、ハワイとカナダの間には陸地がないもので、太平洋の水分をどんどん吸い上げて来て、カナダに到着したところでどば~っと落として行く。しかも単独の「嵐」では来ないで、1週間も2週間もかけて2個、3個と行列で来るから始末が悪い。それでもまあ、雪よりはましかもしれないけど、雨風で被害が出ることが多い。

今日は明日バンクーバーで行われるカナダ式プロフットボールの決勝戦の前日。また大雨注意報発令中だから、景気づけのパレードどころじゃなさそう。スタンレー卿が寄付したスタンレー杯がプロホッケーの優勝杯なら、(たぶん紅茶のアールグレイと関係のある)グレイ伯爵が寄付したグレイ杯はカナダのプロフットボールリーグCFLの優勝杯。プロと言うけどチームの数は少ないし、シーズンもアメリカのNFLに比べたらかなり短いと思う。グレイ杯の試合は1試合だけの一発勝負で、試合開催地はシーズン前から決まっているので、決勝進出チームとはまったく違うところでやっていたりする。でも、今年はバンクーバーが開催地で、地元BCライオンズは出だしの連敗でどうなるかとはらはらさせたのが後半は連戦戦勝で決勝進出。たぶんこの大雨でも盛り上がっているだろうな。楽しく前夜祭パーティをして、(勝ったら)楽しく優勝を祝うことにして、くれぐれも暴動だけはやめとこうよね。

大仕事の持ち時間はとうとう今日と明日だけになってしまった。まあ、ワタシはあまりスポーツ試合に関心がある方じゃないから、カレシがテレビの前で(たぶん)うたた寝している間に、仕事に専念できそう。カナダ式のフットボールはフィールドの規格が55ヤードずつで、アメリカのよりも長く、ダウンの数は3つでアメリカよりも少ない。それ以外はあまり大きな違いはないと思うけど、試合時間の大半はヘルメットで頭でっかちになったでかい男たちがうろうろしているだけに見えるもので、サッカーなんかと比べると退屈なスポーツのような感じだな。何であんなに興奮して熱狂できるのかなと思うくらい。それでも、ボールを抱えた選手が体当たりでタックルして来る敵をかわしながらエンドゾーンまで駆け抜けてタッチダウンするのは痛快でいい。

きのう産経にオリンパスのウッドフォード元社長の外国人記者クラブでの講演内容の全文を日本語に訳したものが載っていて、あとでゆっくり読もうとコピーしておいた。YouTubeにも一部が投稿されていて、肉声の講演を一緒に聞いていたカレシが「記事を全部訳してくれ」と。だけど、カウントをかけたら1万文字くらいあったから、びっちりやっても2日。はかかるなあ。まあ、手があいたらということにしておいたけど、ざっと読んでみたらなかなかおもしろい。社長に抜擢されて日本へ行ったら、盛大なレセプションで祝ってくれて、ヨーロッパでの業績が評価されたと感激したという話があって、最後の方で、スキャンダルが大きくなった後の菊川元会長と森元副社長との最後の昼食では、2人に寿司を食べているのに、自分の前に出されたのはツナサンドイッチだったという話には、やれやれ2人とも何とケツの穴のちっちゃい連中なんだと笑ってしまったけど、「重大な非行」があったからと役員報酬をカットしたり、「内部情報を漏らしたから」と法的措置を取るとぶち上げたり、お仕置きするぞ~と脅しに懸命の様子。アホか・・・。

北米のどこかのビジネス雑誌に『オリンパスはハリウッド映画ではない』とかいう記事があって、ハリウッド映画だったらウッドフォードは不正を暴いたヒーローと言う設定になるけど、日本のサムライ映画では御家の恥をさらした大悪人になって、ハラキリを申し付けられるか、悪くすると殿様直々のお手打ちになる(つまり、クビ)という比喩がおもしろかった。言えてるなあ、ほんとに。臨時取締役会で解任されてすぐに会社の携帯を取り上げられ、マンションでも荷造りするのがやっとの時間しか与えられず、車は出せないから空港までリムジンバスで行けと言われ、香港行きの飛行機に乗ってみたら(ビジネスクラスに格下げして)大嫌いなトイレのすぐ横の席を取ってあったとか。いやはや、すごい会社だな。これが日本人をクビにしたんだったらここまで露骨にやれたかなあ。

ウッドフォード氏も講演で「グリシャムの小説の世界にいるような異様な体験をした」と語っていたけど、「ファクタ」とかいう雑誌に取引を疑問視する記事が載っていたのを最初にウッドフォードに教えた人物についてはオリンパスの社員だと認めただけで、「自分は子供が大きいし、貯金もあるので困らないが」と答をはぐらかしていた。日本にも内部告発者を保護する法律があるはずだけど、彼はそんなのは建前に過ぎないことを身をもって学んだってことかな。バブルの前後に社長だった人(ということは「飛ばし」の火付け人?)が、「ガイジンを社長にしたのが間違いだった」と言ったそうだけど、日本人だけでやっていれば不正が外に知られることもなかったものを、よそ者を入れたばかりに・・・ということか。一方で「会社をきれいにしたら自分の役目は終わりだ」と言ったウッドフォード氏、う~ん、ハリウッドの名画『シェーン』のラストシーンと重なって来そうなせりふ・・・。

優勝(前)祝いのスペシャルディナー

11月27日。日曜日。いい天気。フットボール日和というものがあるのかどうか知らないけど、バンクーバーはドーム型のスタジアムだから関係ないかな。でも、テフロンの屋根を開閉式に改装したのはいいけど、大雨が降るたびに雨漏りもがするから問題。試合前日のきのうもフィールドが水浸しになっていたらしい。そのたびに誰かが屋根に上がって穴を塞ぐらしいけど、何だか堤に指を突っ込むような感じがしないでもないな。

仕事は今日1日。がのるかそるかの勝負の日。だけど、せっかく地元BCライオンズの優勝が確実と言われる決勝戦だから、ちょっと特別ディナーを作ってみた。ただし、忙しいのでコースにしている時間がないから、まとめて「エアライン方式」で・・・。

[写真] Whole Foodsで紅鮭の後ろ半分を買って来たので、最後の最後の尻尾の部分を使って、なんちゃら「石狩鍋」風。だしは昆布の味が利いているレッドスナッパーを湯煮したときの煮汁。じゃがいも、にんじん、ごぼう、大根、ねぎを少しずつ入れて、みそ味仕立て。その昔、妹の結婚式の後で今は亡き叔父夫婦と行った苫小牧の郷土料理レストランで、カレシが「おいしい」を連発しながら大半をひとりで食べてしまったのが石狩鍋だったなあ・・・。

主菜の魚はシーバスの「とろ」。きのことブロッコリーニをバター炒めして付け合せ。副菜は枝豆と大振りのむきエビの柚子醤油和え。

食べ終わる前に試合が終わって、予想通りBCライオンズが大勝。ぴかぴかのグレイ杯を高々と掲げてお祝い。ホッケーでもこういう場面を見たかなったなあ。一試合だけ出し、天気も良くないので、祝賀?の暴動は起きないらしい。ダウンタウンに繰り出してまだ雄たけびだかなんだか、奇声を張り上げて徘徊している大人がたくさんいるけど、明日は月曜日。仕事だろうに・・・。

さて、胸突き八丁の終点はもうすぐ。夕食がちょっとボリュームがあったので、ランチはいらないと思うから、とにかくがんばろうっと・・・。

年を取ってしんどくなるのは女も男も同じ

11月28日。月曜日。大雨のはずなのに、外はいい天気で暖かそう。正午ぎりぎりに起きたけど、なんだか疲れが抜けてくれないような気がする。胃が背中まで抜けるように痛かったり、おなかがゴロゴロなったり、やたらとあくびと酸っぱいげっぷが出たり・・・。何かのストレスなのかなあ、これ。ストレスなんだとしたらいったい何だろうな。いつもより飲みすぎているということもないし、仕事の方もまあまあの量と内容だったし、息抜きもしていたはずだけど。年のせいかな?とにかく、な~んかストレス、ストレスという感じ。

それでもまあ、大きな仕事が期限に間に合って完了。学者さんたちって家に帰ってからもこんなことを考えているのかなあと思っておもしろかった。システム関係の仕事のときは、あまりにもマニュアル的な文章だったので、この人たちってデートのときもこんなしゃべり方をするのかなあと思ったし、法律関係の文書をやつといつも弁護士さんたちは奥さんにも物言いをするのかなと思っておかしくなったもんだけど、実際にはどうなんだろう。むにゃむにゃうやむやがを得意とする政治家センセイたちはどうなんだろうな。こういう人たちのお茶の間の壁にとまったハエになって、聞き耳を立ててみたいもんだ。

ワークショップが終わったばかりだけど、カレッジからはもう来年の1月下旬から始まる次学期の講座のカタログが送られて来た。最新作が好評だったガチャリアン先生がフェイスブックで予告していた通り、久しぶりに劇作講座を開講する。これは水曜日の夜。アトキンソン先生の絵のワークショップもまた日曜日の午後にあるし、同じ先生の抽象画の講座が火曜日の夜にある。迷ってしまうなあ、ほんと。カレシはいっそのこと劇作と抽象画とまとめて申し込んだらいいのにと言うけど、いつも2月3月になれば年度末の予算消化がらみで仕事がどんと増えるから、毎週2夜連続はきついな。特に劇作コースは8回の授業の間に30分ほどの一幕物を1本書き上げるわけで、「宿題」として家で書かなければならないから、これが一番きつい。どうしようかな。いっそ、また即興芝居の方に行こうかな。こっちは劇作講座と同じ水曜日で、3時間も飛んだり跳ねたりは重労働だけど、宿題はないし、おなかの底から声を出すのは息抜きになるし・・・。

こうやって迷っていると、早く引退してカレシのような趣味三昧の老後生活に入りたいなあという気持が逸ってくる。日本とカナダとで通算したら40年フルタイムで働いたことになるし、そのうちの25年はダブルシフトでフルタイムの「主婦業」もやったんだから、もういいよという気分かな。ひと昔前だったけど、ローカルの掲示板に国際結婚の若い夫婦が夫が妻に働くように求めたことで紛糾しているという投稿があって、男は妻子を養ってなんぼなのに!と憤慨していた妻の言い分というのが「年をとって働くのはしんどいしぃ~」。そのときは今から年を取った自分を想像して働くのはしんどいも何もないだろうにと笑ったけど、まあ、たしかに60を過ぎたこの年になってみると少々しんどいなあと感じることはあるな。でも、やりたいことがありすぎて、仕事なんかしていられないというのは、何とも贅沢な悩みだと思うけど・・・。

ま、ぼちぼちと考えて、年明けまでにどうするか決めることにしよう。老後になってあんまり趣味がありすぎても、働くのと同じように少々しんどいと感じるようになるかもしれないから、ふむ、欲張るべきか、欲張らざるべきか、それが問題・・・。

仕事がないといろんなことがはかどる

11月29日。火曜日。午前11時に目覚ましが鳴ったけど、ヘンな夢を見ていたので、もう少しで聞き逃すところだった。何だな知らないけど探偵ドラマみたいな夢で、疲れているときって荒唐無稽な夢を見ることが多いような気がする。まあ、よく眠れたような感じがするからいいけど。

今日は仕事戦線が一段落して静かなので、英語教室の午後の部に出かけるカレシのトラックにヒッチハイクして、モールに出かけた。本格的なクリスマス商戦の始まりで、私書箱に入って来るカタログがどんと増えるから、週に1回は回収に行かないと溢れてしまう。案の定、これ以上は葉書1枚入らないくらいにぎっちぎち。全部出したら10センチ近い山になったから、資源の無駄もいいところだな。今日は国内用の普通切手の他に国内用と外国用のクリスマス切手のシートを買って、いつものようにモールのベンチでカタログのアドレスむしり。中の注文用紙のもびりびりとむしり取って、カタログの山は興味があったらどうぞとばかりにベンチに残しておいた。

それからカレンダー屋探し。毎年今頃になると空き店舗(空きがないときはモールの通路)に店ができて、翌年のカレンダーが並ぶ。日本と違って広告入りのカレンダーをくれるのは保険代理店か不動産屋くらいのものなので、毎年本屋などでいろいろとあるテーマから選んで買うのが普通といったところ。まずはクライアントへの「寸志」用をいくつか選んで、次に家庭用。キッチンには「カクテル」。オフィス用はワタシが好きなエドワード・ホッパーとジャック・ヴェットリアーノ。ホッパーは40年以上前に亡くなったけど、20世紀の前半に今となっては遠い過去になった「アメリカ」の風景を描き続けた人。さりげない場面にドラマがある。スコットランド人のヴェットリアーノは20世紀後半の生まれで、何となく危険な匂いが漂ってくるような、心理ドラマの場面のような絵が多くて見飽きない。並べてみると、ホッパーの作品に通じる雰囲気がないでもないような感じがするな。[写真]

カレンダーもたくさんまとめて買うとずっしりと重い。7冊買って、しめて130ドル。でも、いつもならとっくに12月になってからあわてて買いに走るのに、今年は(ぎりぎりではあるけど)11月のうちに済ませてしまったのは、我ながら上々の出来だと思う。仕事が途切れると、こういう具合にいろんな「懸案事項」がはかどるということで、「臨時失業」も悪くないな。使命?を終えてのんきにウィンドウショッピングをしていたら、開店準備中の新テナントがあって、ブルーに塗った囲いの名前を見たら、おお、ティファニー。何か高級な靴屋と宝飾店ばっかりのような感じになって来たけど、ダウンタウンにすでに店があるけど、モールの西の地域は金満家の移民が十何年前は香港から、最近は中国本土からどっと入って来たから、こっちにも出店するメリットがあるんだろうな。バンクーバーみたいなところでも、お金はあるところにはたっぷりあるんだ~と感心しながら歩いていたら、いつも満員御礼のアップルの店では防犯アラームがわんわんと鳴っていた。でも、なぜか誰も慌てている様子がない。宝飾店にはときどき昼間っから強盗が入ったりするけど、ふむ、こっちは誤作動か・・・。

雨がぽつり、ぽつりと降る中を歩いて帰宅。すぐに冷蔵庫からナスやらズッキーニやらを出して、ラタトゥイユの下ごしらえ。トマトやワインと一緒にスロークッカーのポットに入れてスイッチをオン。これで放っておいても今夜の夕食は半分できたも同じ。ストレスの身体症状も治まってきたので、欲張って「今週いっぱい」は仕事が入ってこないことを指をクロスして祈りつつ、うん、久しぶりにジグソーパズルでもやろうかな・・・。

薬局でインフルエンザの予防注射

11月30日。水曜日。目が覚めたら明るい。今週はほぼ毎日雨の予報だと思っていたら、いつのまにか気が変わって、週明けまでずっと晴れの予報。マザーネイチャーはほんとにお天気屋だから困る。ま、天気が良くて困ることはまずないけど、今の時期に好天が続くと最低気温がぐっと下がる傾向があって、雨雲が接近してくると雪が降り出したりするから困る。でも、今日で11月も終わりで、あしたからは早くも12月2011年も追い込みに入ったと言うことか(誰が何を追い込むのかよくわからないけど・・・。)

今日はバーナビーとの境目にあるイタリア食材の輸入卸問屋へ行く予定だったのが、例によってカレシが土壇場での予定変更で、まさにドタキャンならぬ「ドタチェン」。せっかく天気がいいんだから運動代わりに歩いて出かけて、とっくの昔に口座を閉めた銀行にひっかかったままの退職年金積立て制度の残高を引き出し、ついでに道路向かいのモールのスーパーの薬局でインフルエンザの予防注射をしてもらおうという提案。まあ、イタリア食材は別に今すぐ必要なわけじゃないからそれでいいとして、そうやってやたらとドタチェンしては人を振り回すの、そろそろやめにしない?アナタがやたらと唐突に話題を変えるのと同じで、こっちはちょっと疲れるんだけど。そうやって采配を振るいたいという気持はわかるけど、すごく非効率的だと思うよ、人生・・・。

メインの銀行と交差点を隔てて斜め向かいにあるCIBCの口座を閉めたのは数年前。プロが運用するという投資口座の開設を勧められて、10万ドル預けてみたらわずか半年で何と1万ドルも減ってしまったので、怒って投資口座も預金口座も解約してしまった。でも、年金貯蓄だけは銀行間で移動してもらわないと「引き出し」とみなされて課税されるので、(それでもめんどうな手続きをして)移動できたのは定期だけ。たまたま満期で現金で入っていた分は残高が毎日変わるために簡単に動かせないまま「腐れ縁」のような状態になっていた。それを今年はワタシの課税所得がかなり低くなりそうなので、所得に加算されても税金は増えそうにないと見込んで、思い切って引き出してしまうことにした。手続きをした人は、「臨時に口座を開けばすぐに入金されるけど、そうでなければ小切手を郵送するので2週間くらいかかるけど」と商売っ気たっぷり。いえいえ、今すぐお金が要るんじゃなくて、処理の日付が「今年中」であることが重要なんで、小切手でいいですから・・・。

それでも30分近くかかったけど、何年も懸案だった2人分の年金貯蓄の残高をやっと「取り戻す」ことができた。これでCIBCとの縁はすっぱりと切れた。お金よりもこっちの方がうれしいくらいだな。なんだか意気揚々として、道路を渡ってセーフウェイの薬局へ。インフルエンザの予防注射は去年もしてもらったので記録が残っていて、健康状態の質問票にイエスかノーの印をつけるだけ。新型インフルエンザの流行をきっかけに薬局で予防注射を受けられるように訓練を受けた薬剤師に資格が与えられて以来、予防注射と名のつくものは無料のものも有料のものもすべて薬局で済むから便利でいい。エレインさんの注射はそこらの看護師さんよりもずっと上手で、全然感じないくらいだからすごい。カレシは65歳を過ぎているので無料。ついでに「政府推奨」の肺炎ワクチンも無料。ワタシの場合は、インフルエンザの予防注射は(たぶんストレス性の咳だと思うけど)慢性の呼吸器疾患があるということで、65歳以下でも無料でしてもらえるけど、肺炎ワクチンの方は「無料の分しか置いていないので」ということでしてもらえなかった。ま、いいけど・・・。

懸案事項がまた2つ完了して、せいせいした気分でモールを出たらもう夕焼け。明日から12月で、1年で一番日暮れの早い日ももうすぐそこ。冬の夕焼けは何となく薄紫がかった色合いで、今夜は冷えそうだなあという予感がする。日暮れの道はつないでいる手が冷たい。つないだままでカレシのポケットに居候したけど、それでも冷たい。ねえ、手をつないではめる2人用の手袋を買おうか・・・?


2011年11月~その2

2011年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
生まれ変わったら、またこの人と一緒になる?

11月11日。金曜日。くたびれたと言って午前2時に早々と寝てしまったカレシは今日も早起き。ワタシはいつもの3時過ぎに「営業終了」して、Miss Mappの本を読みながら、ブリーを肴にちょこっとレミで寝酒をしてから就寝。普通に午前11時半に目が覚めて起きた。キッチンに下りて行ったら、いきなり「腹減った~」とカレシ。8時過ぎに目が覚めて、9時までがんばったけど眠れずに起きてしまったそうで、「どうしても東部時間が抜けないんだよ~」。ええ?たった1週間いただけで、しかも帰って来てもう2週間近く経つのに?ま、きのうデイヴィッドが電話して来て、金曜日にトロントを発って月曜日にバンクーバーに着くということだったので、2人して東部時間で寝起きするのもいいかもね。もっとも、4000キロ以上を3日。かけて旅して来たら、時差ぼけなんか全然関係ないだろうと思うけど。

ボストンから帰ったばかりでバンクーバーへ長旅をするというのはすごい。でも、カレシの見るところでは、大学時代からのエンジニア仲間の集まりがあると言うのはたぶん口実。「あいつ、家にいてもすることがないんだろうな」と。ワタシと同じ誕生日のデイヴィッドは2つ年下だから今年61歳。同い年のジュディと結婚したのはワタシがカナダに来た年。会うたびに、何かイマイチかみ合っていない夫婦を感じることが多い。デイヴィッドが些細なことで切れては怒鳴り散らして、ジュディが周囲から離婚を勧められていた時期もあったというから、かみ合わないままになっているのかもしれないけど、ジュディには何らかの発達障害があるのではと思わせるところも多い。ある意味、「外向的自閉症」があったのではないと思われる今は亡きカレシ(とデイヴィッド)のパパとそっくりで、音楽専攻で大学を出ているし、お人よしと言われるくらい気立てのいい人なんだけど、誰と話しても話題をすべてそのときに関心のあることに結び付けるので、なかなか会話がかみ合わないことが多い。無関係の(それもみんなが暗記しているくらい何十回と聞かされている)話題で唐突に人の会話に割り込むくせがあったカレシのパパと違って、ジュディはその場の会話に参加しようという努力をしているのがわかるんだけどなあ。

旅先で4人で連れ立って歩いていても、足の速いワタシたちはどんどん先に進み、膝の関節炎を患っているデイヴィッドは少し遅れ、ジュディはさらに遅れるので、ワタシたちはどっちへ行くかを決めるような交差点で2人が追いつくのを待つんだけど、2丁も3丁も遅れたジュディは、3人が待っていても足を速めるでもなく、ウィンドウを覗くわけでもなく、ひたすらマイペースで歩いて来る。ワタシはその数分を利用してきょろきょろと周りを観察したり、写真を撮ったりするんだけど、待つのが苦手なカレシは「みんなが待っているのを知っていて何で早く追いつこうとしないんだ」とイライラする。(でも、ワタシとモールへショッピングに行ったときは、ワタシがそれほどペースを落としていなくてもちゃんと並んで歩いていたけどなあ。)ま、今はキリスト教史の勉強をしていて、デイヴィッドが「のめり込みすぎ」と言うくらい、思考のすべてがそれを中心に回っているらしいので、引退して手持ち無沙汰のデイヴィッドは辟易して「バンクーバーに行って来る」という気分になったのかもしれない。夫婦って、ほんとに十組いれば十組がそれぞれの形を持っていて、たとえ仲の良い親族であっても、その真の姿は見えないものなんだと思う。

日本はすでに週末だし、こっちは戦死者追悼の日で三連休なので、今日はワタシも休みということにして、小町横町に散歩に出かけたら、『生まれ変わったら、また今の夫(妻)と一緒になりたいですか?』と言うトピックを見つけて、おもしろそうなので覗いてみた。300本近い書き込みがあって、「絶対に嫌!」というのから「絶対にまた!」というのまでいろいろあって、ヒマだからと統計を取ってみたら、「Yes」が43%、「No」が57%だった。数少ない男性の書き込みはほとんどが「Yes」。ま、結婚に関しては男の方が妙にロマンチックなイメージを抱いていたりするから。「No」陣営は、道ですれ違うのも嫌だと言う人もいれば、義両親が付属していなければいいかもという人、違う人生を歩いてみたいからと言う人、そもそも結婚なんてしたくないと言う人がいる。結婚1年でもう「絶対に嫌」と言っている人もいれば、30年も一緒に暮らしてきて「来世はまっぴらごめん」と言う人もいる。相手が知ってか知らずか、特に今の夫が嫌いなわけではないけど、もうおなかいっぱいなので次は違う人、と言う猛者?もいるからすごい。

まあ、結婚に至った流れや目的、結婚した動機や期待感もそれぞれに違うだろうから当然なんだけど、夫婦の絆や形はほんとにいろいろだな。夕食のテーブルの向こうにいるカレシを見ながら、ワタシだったらどうするか考えてみた。どうするかなあ。地獄も見たけど、幸せだと思うことも多かったし、今は四六時中一緒にいてけっこう楽しいしなあと考えながら、ゆうべWhole Foodsへ行って、商品に鼻をくっけるようにラベルを読んでいたら、同じ品物を取って読み上げてくれた男性のことを思い出した。コンタクトを入れていないのでよく見えないと説明したら「それは大変だろうね」と。でも行き交う男性がみんなハンサムに見えるという利点もあるのよと言ったら、その人は「うれしいことを言ってくれるね」と楽しそうに笑った。そうだなあ、テーブルの向こうにいるカレシも38年前の夏に初めて対面したときと同じくらいにハンサムに見える。いや、細部がすっかりぼやけているもので、あのときよりもずっとハンサムに見えるような気もするな。

で、生まれ変わったらどうするか。う~ん、やっぱりカレシと一緒になりたいかなあ。この36年半の間にいろいろとあって、カレシのいろいろなところがわかったし、自分のいろいろなところもわかったから、もう割れ鍋に綴じ蓋のようなものなのかな。生まれ変わったら、前世のことを何か遠い太古の記憶のように漠然と覚えていて、「自分」を危うくするようなことはしないと思うし、また出会って一緒になったら、ずっといい関係になれそうな気がするんだけど、まあ、コンタクトをしていなければ、あばたもえくぼも同じに見えるし、小さなあばたなんか全然見えないしなあ・・・。

TPP、パートナーシップと言えば聞こえがいいけれど

11月12日。土曜日。雨模様。きのうの午後はかなり強烈な寒冷前線が接近していて、夜遅くにはワタシたちの頭上を通過するような予報だったけど、どうも知らないうちに来て、さっさと通り過ぎてしまったらしい。ニュースでも大木が倒れた、雹が降った、フェリーが遅れたと、海峡の向こうのバンクーバー島を中心にあちこちで被害が出た模様。川向こうのリッチモンドでは停電もあったそうだから、かなりの強風だっただろうに、2人ともまったく気づかないままだった。となりのバーナビーの高台バーナビーマウンテンでは雪が降ったそうだし、入り江の向こうのサイプレスマウンテンのスキー場にはどかんと雪が降って、この週末に早々とスキー場開きをするらしい。やっぱり、この冬は荒れるのかなあ・・・。

今日は仕事の手をちょっと緩めて、いつまでもつかわからない古い電子辞書の科学用語辞典から、これはという用語を拾い出して、エクセル形式の用語集に入力する作業を始めた。翻訳者にとって用語集は命。ワタシも20年ちょっとのキャリアで蓄積して来たものがあるんだけど、何でも屋なもので分野ごとの用語集があって、エクセルのファイルに『科学用語集』ならシートを「気候変動」、「環境・気象」、「バイオ」、「地球」、「森林」、「化学」、「医薬」、「医学」、「心理学」、「臨床試験」、「分析法・機器」、「物理」、「天文」、「統計・数学」、「略語」と分けてあり、『ビジネス用語集』では「ビジネス一般」、「証券」、「税務」、「法律名」、「法律用語」、「政府機関」、「政治用語」、「制度」、「条約」、「特許」、「略語」、『産業用語集』では「企業名」、「製造用語」、「工学用語」、「品質管理」、「林業」、「鉱業」、「漁業」、「農業」、「基準・規格」のシートがあり、さらには生物の学名を集めた『生物分類』や訳例を集めたファイルもある。他にもまだどこにも整理していない用語集がたくさんあって、開くたびにいつも整理しなきゃなあと思っていた。今どきはネットでググればたいていの用語は見つかるんだけど、紙の辞書をひっくり返して調べていた癖が抜けないのか、やっぱり自分なりに整理した用語集のほうが使いやすい。

まあ、新しい発見や技術や事象があるたびに「用語」が増えるわけで、何でも屋には追いつくのが大変だけど、調べたときに記録しておかないと、後で再登場したときにまた探すのにひと苦労したりする。でも、いざ整理を始めてみると、人間というのはほんっとに言葉数が多いなあと思ってしまうな。それもずらりと並んでいるのはどれも「知識」であって「知恵」ではないような感じがする。つまり、たまたま翻訳業なんて商売に足を突っ込んだから持っていなければならない「在庫」なわけで、早い話が商品を作るための「部品」。これだけたくさんあっても、たいていの人はその99%を知らなくたって支障なく普通に生きて行ける。ワタシだって、翻訳業から足を洗ったら不要になって、やがては99%が忘却の彼方ということになるんだろうな。言葉、たかが人間の道具、されど言葉・・・。

今ハワイで開かれているAPECの会合でTPPが議題のひとつになっている。日本が参加を表明したけど、日本の総理大臣が「すべての物品やサービスを対象にする」と言った、言わないでもうアメリカと日本で話が食い違っているから、何だか前途多難そう。まあ、「すべて」と言ったら、今7百何十パーセントだかの極端な関税をかけているコメも自由貿易の品目になるわけで、日本人の日本のコメへの思い入れを考えると政権の命取りになるだろうな。日本国内ではTPP参加への反対が強いようだけど、アメリカ国内でも日本参加に反対する声がけっこうある。日本の参加でTPP交渉の先行きが不透明になったという記事もあった。どうせまたGATTのときと同じようにあれこれと例外を認めてくれとダダをこねるんだろうからと言う理由だったな。

ちなみにこのTPP、カナダは参加していない。わずか2万戸ほどの酪農家と養鶏農家を高関税で保護しているのはけしからんと、アメリカとニュージーランドが反対しているとかで、招かれてさえいない。でも、カナダ政府は「TPPがカナダにとって良いことかどうかまだ見極めていないから」と、慌てず騒がずの態度でいる。もちろん、参加しないと取り残されるとせっつく業界や団体も多いけど、ま、TPPはどう見てもオバマ政権のなりふり構わぬ「雇用創出策」の一環のような感じだし、何よりもカナダは北米自由貿易協定(NAFTA)の下でアメリカの「横暴」にさんざん手を焼いて来た経緯があるから、ここは外野席でもよう眺めをしている方が賢明かもしれない。

日本では、TPPに参加したら日本人は日本のコメを食べられなくなるとか、アメリカ式の医療になるとか、外国(アジア)人がどっと流入して来て犯罪が増えるとか、心配性の日本人の不安を掻き立てるような反対論を展開している人もいるらしいけど、あんがい交渉で日本の聖域を主張して例外を認めろと声高に要求すれば、TPPの成立が困難に・・・なんてことにならないとも限らないから、感情的に反対、反対と叫ぶよりも、外交ゲームだと思って攻略の戦術を練った方がいいと思う。外交というのは人間関係の延長だと思うけど、友だちづきあいじゃなくて、いわば「営業」。営業マンはウザったい相手だから距離を置くとか、疎遠にするとか、絶縁するとか言ってはいられないでしょうが。

ワタシの用語集に「TPP用語」のシートを作らないで済めばいいけどなあ。わけのわからない交渉用語でいっぱいになりそうだから・・・。

定年退職した男には7人の敵より1人の友だち

11月13日。日曜日。ぱっとしない天気だけど、普通に近い時間に起きた。カレシの睡眠パターンの乱調には困ったものだけど、小学生の夏休みキャンプじゃないんだから、同じ時間に寝て同じ時間に起きなければならない理由はないか。カレシはワタシが起きるのを待っていてくれて、いっしょに朝食をするし、ま、互いに差し障りがない限りは、起きてから寝るまでの間に一緒に「生活」を共にする時間さえ十分にあればいいんじゃないのかな。要は、量より質・・・。

朝食が終わって、夕食の算段をして、重い道具を担いで絵のワークショップへ。コンタクトなしの目でちょびちょび手を入れて来たカラーの花の絵を先生に見せて、ずいぶんフタロブルーを使ったんですけど~と言ったら、「ちゃんと見えている。今度は奥行きを出すのにライムグリーンで葉をほのめかすように入れてみて。メディアム(展色剤)を使ってね。それから、花の陰影はピンクが強すぎるので、ちょっと黄色を入れた白でぼかしてトーンダウンしてみて」とアドバイス。う~ん、ほのめかすって言ってもなあ。要は、葉っぱとはわからないけど何となくそれらしくってことかな、と勝手に決め込んで、少し明るいグリーンを作って、メディアムを混ぜて、しゅっ、しゅっ。こういうときは両手利きは便利なもので、一方の手で絵の具を塗っては、別の手で濡らしていない絵筆で擦って行くと、けっこううまくぼかしになる。小学校のときは「両手はダメ。ちゃん右手で描きなさい!」と子供心にうんざりするほど言われたけど、ま、日本工業規格の権威はカナダまで及ばないから安心して両手に筆・・・。

帰ってきて、夕食を作って、カレシが午後の間何をして、何がうまく行ったかを聞きながら食べる。ニュースではカナダとメキシコがTPP参加を決めたと言っていた。「オバマ大統領のたっての要請で」なんて言ってる。へえ。カナダとメキシコとアメリカはとっくの昔に自由貿易協定(NAFTA)を結んでいるから、ある意味で勝手を知っているというところかな。さっそく日本が「どうだ、手を組んでアメリカに例外条項を認めさせようじゃないか」とそそのかしているらしい。個々の品目に例外を認めたら、自由貿易とは言えないけどな。いうなれば「今よりはもうちょっと自由な貿易」かも。EUのように労働力の移動が自由になると喜んでいる日本人もいるらしいけど、好きなだけカナダにいて、好きなように働けると思っているのかもしれない。あんまり期待しないほうがいいような気がするけどな。(最近は落ちこぼれ組が多いみたいだから、期待しない方がいいのはカナダの方かもしれないけど。)それにしても、オバマ君、来年は大統領選挙の年だから、必死という感じだな。これから1年、交渉がどんな風に展開するか楽しみな気がする。

8時過ぎにとなりのパットがやって来た。先週12年物のアイリッシュウィスキー(ジェイミソン)を買ったので、カレシが一杯やりに来ないかと誘ってあった。(パットはアイルランド系。)スコッチとアイリッシュウィスキーでは製法が違っていて、後者はモルトがピートの煙に直接触れないので、何ともいえないまろやかな甘さがある。ワタシとしてはシングルモルトのスコッチの方が好みだけど、たまにはアイリッシュもいい。男同士のおしゃべりを始めた2人におつまみを出して、ワタシはちょこっと仕事をしたり、ときどき首を突っ込んだり。おつまみがなくなったら、野菜チップを出し、夜も更けてきたところで、ニラをたっぷり入れたチヂミを作ってひと口サイズに切り分けて出し、自分の分を(グラスと一緒に)持ってオフィスに下りてまた仕事。(チヂミのたれは生地に混ぜ込んでおいた。)でも、グラスを片手にキーを叩いているワタシも、かなり出上がって来ているような感じだけど、いいのかなあ・・・。

カレシとパットは年が近いし、商学部と工学部の違いはあっても同じ大学を出ているし、性格がわりと似ていたりするので、人付き合いが苦手らしいカレシもパットとはウマが合うらしい。最近来た雑誌のどれだったかに、男性は出世競争をしているうちに若い頃の友だちがどんどんいなくなり、定年になって引退する頃には友達と呼べるつきあいがほとんどなくて、孤独感からうつ病になる危険が大きいと言う記事があったから、きっとそれを読んで「気をつけないといかん」と思ったのかな。男は外へ出たら7人の敵がいると言うけど、いったん社会に出たらそれまでの友だち付き合いをそのまま継続するのは難しいのかもしれないな。大学の仲間なら競争相手になり得るし、十代の頃の悪友仲間なら、その後の人生に差ができているかもしれないでも、定年退職したら7人の敵もどこへやらだろうに、どうしてわざわざ人生をめんどうにするのかと思うけど、男ってのはそれだけ孤独な存在なのかなあ。

雑誌に記事によると、年を取って引退した女性は趣味やボランティアなどに行け行けのエネルギッシュな勢い乗る人多いのに対して、男は概してテレビの前のソファでへた~っとなってしまうことが多いらしい。仕事が忙しいとか、男子何とかと言って家庭に参画して来なかったのなら、手持ち無沙汰の濡れ落ち葉になるのも当然かも。男もふだんから仕事やキャリアとは別に交友の輪を広げておくべきということだけど、夫婦の老後のライフスタイルにすれ違いが大きくなると、男は浮気に走り、女は離婚へ進むんだそうな。どうやら、男と女ではそもそも「交友」のコンセプトからしてどえらい違いがあるってことかなあ。やれやれ、男って、んっとにもう・・・。

鉄道の旅は楽しいけど3日半は長い

11月14日。月曜日。この2、3日。はカレシに釣られて少し(というよりはかなり)早く寝ているもので、当然目が覚めるのも早くなって、結局は起きるのも早くなってしまった。それで、今日は午前10時半。ま、日本時間の朝一番(今日の午後)が納期になっている仕事があるから、早起きも悪くはないかな。余裕でやれるし・・・。

先週Via Railでトロントを出たデイヴィッドは、今日バンクーバーに着いたはずなんだけど、まだ連絡がない。カレシは金曜日に出ると聞いたと言っているけど、バンクーバー行は火曜、木曜、土曜の週3便しかないから、木曜日に乗っていれば今日の朝10時前到着ということになるけど、今回は郊外のジムの家に泊まることになっているから、レンタカーを借りて直接そっちへ行ったのかもしれないな。それにしても、いくら運賃無料で、乗り換えなしだといっても、3日。半(シベリア横断鉄道の半分の約4500キロ、所要時間は3日。と11時間・・・)は長いだろうなあ。始発駅のトロントと終着駅のバンクーバーの間には、降りる人がいるときだけ止まる駅を含めて停車駅が何と65もある。特にプレーリーを走る2日。目は、「今は山中、今は浜」なんてものじゃなくて、行けども行けども、果てしなく小麦畑(畑と言う感覚ではないかもしれないな)だったり、大草原だったりするだろうな。オンタリオ州もマニトバ州も高いところで標高千メートル以下だし、次のサスカチュワン州も西側のアルバータ州との境まで行ってやっと一番高い1400メートルちょっとの「山」があるそうで、それまでは地球のスケールで見たらぺっちゃんこのまっ平ら・・・。

先月ボストンに行った帰りに、トロント経由でモントリオールまで飛んで、Via Railでトロントまで帰って来た。オンタリオ州やケベック州は人口もかなり集中しているから、「鉄道網」と言っても良さそうなものはある。モントリオール中央駅は、駅の部分そのものはダサいけど、小さくても東京駅と比べられそうなおしゃれな食べもの屋が並ぶコンコースがつながっていた。

[写真:モントリオール中央駅時刻表]
時刻表はフランス語が先。モントリオールはどこもフランス語最優先で、姪のスーザンのパートナー(フランス人移民二世で完全な英仏バイリンガル)が最近は「反英語」の風潮が強くなっていると言っていた。ちなみに、カナダでは英語とフランス語が公用語だけど、ケベック州だけはフランス語のみが公用語で、しかも英語の表示などの大きさや位置を取り締まる「言語警察」まがいのことまでやっているから、フランス語人口がほとんどいないのにあらゆる商品のラベルにフランス語を「押し付けられている」英語圏はおもしろくない。おかげで、ワタシは特に習ったことのないフランス語を読んで(見て)だいたいの趣旨を察することができるようになったけどな。単語もちらほらと覚えたし・・・。

モントリオールからトロントまでは5時間。Wi-Fiもあるし、ラップトップ用のAC電源もあるし、座席は飛行機よりも快適。車内では飲み物や食べ物のカートが行ったり来たり。カナダ版の駅弁とでも言った感じのランチは、ビールが2ドル、イタリアンサブマリンが6ドル。どれも値段は2ドルか6ドルのどっちかというからおもしろい。サンドウィッチには3種類のハムと3種類のチーズが挟まっていた。列車はどれだけのスピードなのか知らないけど、なぜか途中でよく止まって、「予定より早いので、待ち合わせのために○分停車しま~す」というアナウンスがある。しばらくすると反対方向へ行く列車がゴォ~っと通過して、ゆるゆると発車。Via Railを使い慣れているデイヴィッドが「いつも最低30分は遅れているのがフツーなのに、今日はヘンだなあ」と首を傾げていた。その日はハロウィーンだったから、そのせいじゃないのかなあ。

トロントのユニオン駅到着はみごとに定刻。プラットフォームは駅の地下にあって、狭いし、少々薄暗い。モントリオールでも地下にあって、狭かった。それで、地上部にある改札口は発車の時刻が近づくまで開かないのかも。降りて出口へ向かって歩いていると、ホームが低いので大きな車体が両側から迫って感じられる。何だか古いアメリカのサスペンス映画で見た駅の風景の感じがしないでもなかった。(アメリカのアムトラックの車体は二階建てだったので、もっと見上げるくらいに大きかった。)来年はジャパンレールパスを買って、日本列島を鉄道で旅したいね。のんびりと車窓の風景を眺められる鉄道の旅は楽しい。でも、3日。と11時間も乗り続けるのはやっぱり長いと思うなあ・・・。 

国際学会が国際結婚の研究を始めた

11月15日。火曜日。午前3時ちょっと前に寝て、目が覚めたのは2人とも11時ちょっと前で、今日はカレシの英語教室の日なので、11時半に目覚ましをセットしてあったけど不要だった。外はすごく明るい。このくらい天気がいいと昼と夜の寒暖の差が大きくなる。夜の気温がぐっと下がったときに天気が崩れると雪になることもあるけど、市制選挙の投票日がある週末の天気予報には雪印マークだなあ・・・。

カレシを第1ラウンドに送り出して、モールへちょっと。郵便局へ行って、私書箱にたまった郵便物を引っ張り出す。そろそろクリスマス商戦なもので、カタログ攻勢がすごい。思いし、たいていは家の方にも送られてくるので持ち帰る意味がないから、モールのベンチに陣取って、裏表紙に印刷してあるワタシのアドレス(と、中の注文書にアドレスが印刷してあればその部分)を破りとって、受取人不明になったカタログの束はゴミ箱にどさっ。その足でカード屋へ行ってクリスマスカード選び。子供たちがサンタクロースと写真を撮るためのセット作りが始まっていた。あ~あ、今年もいつのまにかそういう季節か・・・。

家の郵便受けには『エコノミスト』の最新号が入っていた。「ベルルスコーニ退陣後のユーロ危機はどうなるか」。目次をざっと見渡したら、「国際」のセクションの「国際結婚」という見出しが目を引いた。「国際結婚」を「国籍が違うカップルの結婚」と定義した上で、100年前は、イギリス貴族がアメリカの成金富豪の娘を娶って資力の回復を図ったように、上級階級がするものだったのが、今では世界の最も顕著な社会的潮流のひとつになり、ここへ来てやっと国際人口学会による研究が始まったと言う話。政治家だけを見ても、フランスの大統領夫人はイタリア人、首相夫人はウェールズ人、ネルソン・マンデラの奥さんはモザンビーク人、デンマークの首相夫人はイギリス人で、アジアではスーチー女史もソニア・ガンジー女史も国際結婚の未亡人。

先進国だけでも少なくとも推定1千万組はいるそうで、雑多な人種がいて国籍者と外国籍者の区別がつけられない北米では「International marriage(国際結婚)」という表現は稀だけど、EUは国籍まで統一していないから、お隣の国の人と結婚したらやっぱり「国際」ってことになるな。でも、国際結婚はグローバル化を反映するものだけど、そのおかげで今度は「国際結婚」をどのように定義するかが(少なくとも人口統計学者には)難しくなって来ているらしい。たとえば、インドからカナダに移民してカナダ国籍になった人が母国インドからお嫁さんをもらった場合は、人種は同じでも「国際結婚」ということになるけど、もしも、たとえばフランス系カナダ人と結婚したら、人種は違っても国籍は同じなので「国際結婚」にはならない。つまり、カナダ国籍のワタシが何らかの理由でひとりになったと仮定して、もしも日本国籍の日本人男性と再婚したら「国際結婚」したことになるわけか。何だかいまいちピンと来ないけどなあ。

スイスは世界で4番目に国際結婚率の高い国なんだそうだけど、おもしろいことにドイツ語圏のスイス人は隣国ドイツの人と、フランス語圏の人はフランスの人と、イタリア語圏の人はイタリア人と国際結婚するんだそうな。このパターンはベルギー人の国際結婚でも同じで、フランダース語圏の人はオランダ人と、ワロン語圏の人はフランス人とそれぞれ結ばれるとか。ヨーロッパでの国際結婚には依然として「言葉の壁」が立ちはだかっていて、第2言語としての英語が普及してもそれは変わっていないらしいということだった。また、欧米では移住した結果として国際結婚が成立する傾向があるのに対して、アジアでは(経済的な理由で)「移住」するために国際結婚する傾向があるとか。(貧しい国の女性が豊かな国の男性に嫁ぐケース・・・。)

さらに、夫と妻の年令や教育水準などの差が同胞婚の夫婦と比べて大きいけれども、その差が大きいほど結婚は長続きする傾向があるそうで、理由を知るのは難しい。(同胞婚よりも双方が結婚の維持に努力をするからかもしれないし、あるいは貧しい国から来た若い妻たちが離婚するのは難しいと知って留まるからかもしれないし・・・。)いずれにしても、経済や教育水準の格差を背景とする搾取や虐待などといった問題はあるものの、国際結婚の持続率は平均よりも長く、夫の国に移住した外国人妻がその国で大きな役割を果たすようになることを示す証拠があるという話だった。(台湾では、台湾企業の対ベトナム投資が始まって以来ベトナム女性との国際結婚が急増したそうで、女性が結婚しても普通に働く台湾ではベトナム人妻が夫のビジネスを助けることも多いだろうと思うな。)

不思議なのは、日本人女性の国際結婚については、いわゆる欧米人(白人)との結婚についてはひと言も触れず、東京の女性が東南アジア人と結婚して、夫の国に住み着く「逆移住」や日本でアフリカ人と結婚するケースが増えている(推定3千人以上とか)という話が載っていたこと。まあ、経済的理由で欧米(豊かな国)に移住するために国際結婚するのではないことはたしかだし、離婚率は相当に高いと言われているから、世界のどの国際結婚のパターンとも一致しないということで、記事にならないと無視されたのかなあ・・・。

夫の上の空は生まれつきなんだそうで

11月16日。水曜日。雨模様。久しぶり?に2人揃っ普通の時間に起床。午前11時50分。カレシは一度も目を覚まさずにぐっすり眠れたとか。ワタシは、う~ん、何だかヘンな(と言うかシュールな)夢を見ていたような気がする。ヘンな夢はときどき見るんだけど、いつもよりヘンだったのは、夢の途中でカレシが姿を消さなかったことかなあ。消さないどころか、車がガンガン走っている道路を歩いていたワタシを一段高いところから手を伸ばして引っ張り揚げてくれた。ワタシの夢にカレシが登場するときは、いつの間にか姿を消していることが多かったから、これは由々しき「ヘン」だよなあ。ひょっとして、ワタシの精神性に由々しき変化が起きているとか・・・?

まっ、ワタシがワタシでいて、そのワタシと仲良くしていれば問題はなしだと思うから、ワタシの精神性もフツーに戻って、カレシがワタシの記憶装置からデフラグされなくなったってことかな。いや、デフラグされなくなったのか、できなくなったのか・・・そんなこと、わかるわけがない。ま、カレシが途中で消えない夢は目覚めがいいから、どっちでも問題はないってことでいいか。ワタシは一挙手一投足を見守ってくれる守護天使がいて、ワタシが知らないうちに危ない方へ進んでいれば、いつも「おいっ!」と声をかけてくれていると信じている。ま、いわしの頭も何とやらというけど、自信たっぷりにそんなのいらないと否定するからその存在が感じられないだけで、実際は、キリスト教も仏教も関係なく、誰にも遠くから見守っている守護天使がいると思う。だから、夢はある意味で眠っている間に守護天使から「注意喚起」の目的で送られて来るメッセージのようなものかもしれないな。夢って、ほんっとに不思議なものだな。

朝食後、嵐もようだと言うのにカレシは庭仕事用のつなぎに着替えて外へ。ワタシはその間に少し仕事を進めるつもりだったけど、何となくだらだら。年金の記録と改正のお知らせが来てからというもの、どうも仕事に身が入っていない気がする。年金の方は最終決定と受給手続きまでまだ一応10ヵ月はあるんだけど、1年以下になったと思うと何だか「そのとき」が迫って来たという感じがするな。ふと数えてみたら、結婚前に日本で勤めていた年数を含めると、再来年の「定年」までに通算40年以上働いたことになる。長いことがんばったワタシ、自分で背中をポンと叩いて、「ごくろうさん」と労ってあげていいかなあという気もするから、改正で増える選択肢に悩んでしまうんだけどな。

午後3時のポーチの気温は3度。郊外の高台では雪混じりの雨だそうな。外の歩道や家の雨どいの落ち葉を掃除したぞ~と入って来たカレシはずぶ濡れ。ドライヤーに入れてと渡されたつなぎは裾が泥んこ。ついでに洗った方がいいからと洗濯機に入れて水を入れ始めたら、「ポケットにティッシュが入ってる」と。洗濯場が雪模様になっては大変だから、引っ張り出してポケットを点検したら、何とガレージのドアのリモコンが出て来た。水に浸かる前だったから良かったけど、おいっ、何がティッシュだっ。ティッシュの方は別のポケットからリップクリームと一緒に大きな塊が出て来た。リップクリームが入ったままでドライヤーに入れたら、解けてえらいことになるじゃないのっ。やれやれ・・・。

でもまあ、とりあえずティッシュの吹雪は回避できたからいいかと思っていたら、今度はゲラゲラとひとり笑いしながら階段を上がってきた。「眼鏡が見つからなくてさ~」とゲラゲラ。それはいつものことだけどなあと思っていると、「どこにあったか当ててみろよ」とまたゲラゲラ。あのさ~と、じっとカレシの顔を見ているうちにワタシもゲラゲラ。頭のてっぺんの禿げているところに老眼鏡がちょこんと載っているじゃないの。あはは、いくらなんでも人間の目では頭のてっぺんは見えないよねえ。でも、何それが見つからないと騒いで家中を探し回ったあげくに灯台下暗しだったというのは、本人が「5歳のときからこうだった」というくらいの日常茶飯事。けさもある本が見つからないと家中を探し回っていて、発見魔のワタシも手伝おうかと本棚のあるリビングに行ったら、探していた本はカレシがいつも座っているリクライナーの横のテーブルの下。探していなくても「こんなところに本がある」と気がつきそうな状態だったんだけど、なぜかカレシの目には止まらない・・・。

ひとしきり2人してゲラゲラ笑っていたら、午後3時半過ぎにやっとデイヴィッドから電話があって、明日の午後に我が家に来て泊まるからよろしく、と。翌金曜日の午後にエンジニアの集まりに出てから、午後8時過ぎ発の列車で帰ると言う。トロントまでは3日。と13時間の旅(なぜ復路が2時間長くなるのかは不明)。往復に丸7日。かけて、滞在は到着日と出発日を含めてもたった5日。って、カレシと同じくご隠居さんの身なんだから、もっとゆっくりすればいいのにと思うけど、家にいたってもて余すぐらいにたっぷりと時間があるからいいのかな。カレシは明日は2人で古いコンピュータを解体することにしたと張り切っている。7つ違いのご隠居さん2人が頭をくっつけてコンピュータを壊している図を想像しておかしくなったけど、仲のいい兄弟ってのはいいもんだなあ。兄弟姉妹はいくつになっても兄弟姉妹であることに変わりはないんだものね。

人気レストランで非売品のボトルを売ってもらった

11月17日。木曜日。午前11時ちょっと過ぎに起床。外は明るかった。ちょうど朝食を終える頃にデイヴィッドから、ダウンタウンに出たのでこれから地下鉄で行くからと電話。荷物は大丈夫かと聞いたら、今回はバックパックひとつで来たとのこと。ま、どこへ行ってもレールの上を走る乗り物に乗りたがるのは、元国鉄OBの土木技師だけある。カレシはいそいそとめったに使わない工作室の片付けにかかって、デイヴィッドが到着したのは正午過ぎ。なるほど、旅慣れたバックパッカーみたいな出で立ち。キッチンでちょっとひと休みしていたと思うと、もうコンピュータの解体作業・・・。

そのうちに、我が家にない道具を買いに行くと言って、兄弟2人で出かけて行ったので、ワタシはその間にまじめに仕事を進めておく。2人が出かけた頃に雨が降り出した。気温はきのうよりはましな5度。仕事のカレンダーを見ると、時間的にちょっとばかり詰まって来ているから、あんまりのんびりしてはいられない。科学でもあまりやったことのない分野なので、参考になる論文や抄録を探しながらの作業だけど、だんだんにどういうことなのか(何となくだけど)イメージが出来てくると、内容がわかっておもしろくなる。おもしろくなって来ると調子が出てくるからしめたもので、2人が帰って来るまでには思った以上に捗っていた。酒屋へ寄って来たそうで、カレシが「うっかりしてアメリカドルのカードを使ってしまった」と告白。いつものカードは緑色、アメリカドルのカードは茶色。眼鏡を持っていなかったからというけど、やっぱりそういう違いまで注意が回らないんだなあ。まあ、今日はまたカナダドルのレートが下がったからいいかと思うけど・・・。

ディナーに出かけるまでのしばしの間、2人はまたコンピュータの解体。カレシが何年も使った古いものなので、よっぽど中は埃がびっしりなんだろう、何となく埃っぽい臭いが同じベースメントにあるオフィスのワタシのデスクまで漂ってくるからすごい。たった1台でこうだから、デスクトップがどのデスクにもある職場はあまり健康に良くないかもしれないなあ。シックビル症候群ならぬシックオフィス症候群なんてあったりして、技術革新はビジネスにはプラスかもしれなくても、人間の健康から見るとちょっと考えものかもしれないな。

ワタシたち2組の夫婦がつるんでどこかへ行くときは、食事などの払いは最終的に何となく帳尻が合っていそうなどんぶり勘定の「割り勘」になることが多い。たとえば、ボストンでのホテル代はワタシがアメリカドルのカードで2部屋分まとめて払い、ワタシたちのトロント→ボストン→モントリオールの飛行機代とモントリオールンホテル代は予約を受け持ったデイヴィッドが払った。通貨は違うけど、双方の頭の中ではだいたい「とんとん」というところ。実際に換算して、それぞれ合計してみたらどっちかが払い過ぎている可能性は大だけど、それはいつかどこかで帳消しになるだろうということで、いちいちレシートを見て計算したりしない。でも、今回はモントリオールでの家族ディナーをデイヴィッドがまとめて払ったから、今度はワタシたちがホストになる番、ということで、開店以来早く行ってみたいと思っていたHawksworthにディナーに行くことになった。

Hawksworthは前によく行ったWestのシェフだった人が改装・増築した老舗のホテル・ジョージアに自分の名前で開いたレストラン。Westは毎年バンクーバーのレストランでナンバーワンに選ばれていたのが、彼が去ってからじりじりとランクを落とし始め、シェフが2度交代しているのに対して、Hawksworthは「長く待たれていた」という形容詞がつくほどの好評。おりしも道路向かいの美術館前にはウォール街に始まった格差に抗議するテント村が出来て、どうやらドラッグパーティ村と化したようで(すでにドラッグ中毒による死者が出ている)、レストランの外は報道陣やら警備の警察、消防署でいっぱい。これではビジネスに差支えがあるんじゃないかと思ったけど、中に入れば盛況のようで、おしゃれな若いカップルも多く、「他に行くところがない」とテント村に居座ろうとする同世代の若者たちとは好対照だった。

さて、レストランが気に入るかどうかは、内装やサービスも要素だけど、やっぱり最終的には料理が決め手。ということで、ワタシたちの印象は「Westのランクが下がった理由がわかった」。やっぱり、シェフのデイヴィッド・ホークスワースはヨーロッパの星付きレストランのシェフと十分に肩を並べられそうな逸材だと思うな。食事が進んでサーバーと打ち解けたところで、カレシが店の名前とロゴがあるミネラルウォーターのびんをさして、「これ、買いたいんだけど」とおねだり。ちょっと困ったサーバーが上司に相談して、「数量限定で作らせているので売れないものですが、特別に25ドルでお持ち帰りOK」ということになった。(びんのキャップが古風なスプリング式の栓なので、たぶん製造元に戻して詰め直しをするんだろうと思うから、客の求めに応じて売っていたら、まとまった量のびんを作り足さなければならなくなるだろうな。)まあ、飲みかけの水のびんが25ドルというのはバカ高い買い物だけど、(何度目かの試みで)非売品を手に入れるのに成功したカレシは有頂天。おしゃれな黒い袋に入れてくれたびんをおみやげに、ホテルの外の歩道を埋めた消防士や警官をかき分けて、みぞれが降りしきる中を地下鉄でご帰館となったのだった。

みぞれはまだ降っている。Hawksworthのミネラルウォーターのびん、透明ですてきだし、クリスマスパーティでも開いて、炭酸水を入れて出したら話しの種になりそうだなあ・・・。

薬漬けで長生きしても楽しくなさそう・・・

11月18日。金曜日。午前11時に起きて外を見たら、日陰に薄っすらと雪が残っていた。ゆうべはバンクーバー市内でもちょっと高いところでは(ベタ雪ではあるけど)わりと本格的に降って積もったらしい。年末まではラニーニャが続くそうだから、ひょっとして今年はホワイトクリスマスになりそうかな。(過去の記録から計算した確率は11%ということだけど・・・。)ゆうべはカレシとデイヴィッドが午前2時過ぎまでスコッチをやりながら「大学教育」について議論をしていた。ワタシは1時過ぎに仕事を店じまいして「飲み会」に加わったけど、アルマニャックを傾けながらもっぱら拝聴。人が議論しているのを黙って聞いているのも楽しいもので、文系(商学部で経済学専攻)のカレシと理系(工学部で土木工学専攻)のデイヴィッドとでは、大学教育のあり方に関する視点がほぼ正反対なのがおもしろかった。

とっくに起きていた(寝床を片付けてくれていた)デイヴィッドが上がってきて、3人で朝食。デイヴィッドが薬の容器を持っていたので、成人病が話題になる。魚を主食するようになってからコレステロールは問題なし(血圧もかなり下がった)のカレシに対して、ひとつ年下のジムは高脂血症の上に糖尿病、7つ年下のデイヴィッドは膝の関節炎と睡眠時無呼吸症候群の上に高血圧症ということで、どちらも複数の処方薬を常用している。3人とも肥満体ではないんだけどな。そういえば、ジュディも何種類かの処方薬を持っていて、2人の家のキッチンカウンターに処方薬の容器がずらっと並んでいてびっくりしたっけ。(カレシの故パパも一体何種類の薬を飲んでいたんだか・・・。)ベビーブーム世代は健康意識が高くて、ジャンクフード依存の子供の世代より長生きしそうだという話を聞いたこともあるけど、あんがい何らかの処方薬を常用しているのが平均的な60代ということなのかなあ・・・。

まあ、テレビを見ていると、中高年をターゲットにしている薬のコマーシャルがけっこうあって、消炎鎮痛剤だったり、高脂血症の治療薬だったりする。処方箋の必要な薬だから、直接薬局で売られるものではないので、薬を飲んで元気いっぱい老後を楽しんでいる老人男女の姿を映して、「ドクターに相談しましょう」とやっている。で、それを見た人がさっそく医者に駆け込んで「あの薬を処方してくれ」ということもあるだろうな。そうでなくても、製薬業界の売り込み合戦のおかげかどうか、医者の方もかなり安易に薬を処方する傾向があると思うし、人気?の薬を飲んでいるとうれしそうに言う人もいるから、ある意味でファッション感覚なのかもしれない。まあ、成人病関係の治療薬はずっと飲み続ける性質のものがほとんどだから、処方箋が一枚書かれるたびにその先何年もの製薬会社の売上が保証されるようなもので、高齢化社会の医療費は膨らむばかりだし、何よりも薬漬けで長生きしてもあまりおもしろくなさそうな感じがするんだけど・・・。

カレシがエンジニアの会合に出る前に駅に荷物を預けると言うデイヴィッドを駅まで送って行って、つむじ風のような「帰省」は終わり。また「 get itchy feet」になったらいつでも来てね。(ジュディと一緒ならなおいいけど。)この、どこかへ行きたくて、旅に出たくて、うずうずと落ち着かない気分を「足がムズムズする」と表現するのはおもしろい。ワタシもときどき仕事を放り出して、どこかへぶらりと言ってみたいような気持になるけど、子供の頃にしもやけになったかかとが痒くて、痒くていても立ってもいられなかった感覚と何となく似ているような気がするな。いつも2人揃って隠居になったら、のんびり旅行したいねと話しているけど、年を取ってから旅を楽しもうとすれば、やっぱり健康と体力がものを言いそうだな。つまりは、普段の摂生の積み重ねしだいと言うことか。

うん、やっぱり70歳まで年金受給を延期するのはやめにしよう。いくら年金の額が43%も増えると言われたって、そのときになって毎日この病気にあの薬、こっちの病気にこの薬という状態になっていたら、旅の楽しみが激減するどころか毎日の生活の質も落ちてしまいそう。ここんところは、再来年65歳になったら年金をもらい始めて、健康や体力が衰えないうちにムズムズする足の向くままを楽しみ、仕事を今の半分くらいでぼちぼち続けて、ボケ防止を兼ねて新設の退職後追加給付(PRB)をもらうのが一番良さそうな気がして来た。薬漬けにならずに長生きするためにも、そうするか・・・。

市議会選挙と、ついでに食卓の話

11月19日。土曜日。外は明るいけど、最低気温はマイナスだったらしい。起床は午後12時過ぎ。なぜか朝食にベーコンとポテトと卵を予定している朝は2人とも目が覚めるのが遅いから不思議。いつものシリアルにトーストの朝食と違って調理する時間がかかるから、朝食が終わる頃にはもう午後1時半。ぐずぐずしているとすぐに日が暮れて来る・・・。

とりあえずやるべきことをやってしまおうと、市政選挙の投票に出かけた。投票所は4ブロック先のコミュニティセンター。受付で有権者カードを渡して、名簿の自分の名前のところにサインして、投票用紙をもらう。いつもながら市の選挙のは大きな紙に裏表に投票する項目があって、投票に時間がかかるから、テーブルの上に段ボールの囲いを置いた記入場所の数も他の選挙のときの何倍もの数がある。まずは、市長。これは候補者のリストから1人、フェルトペンで名前の横の丸を塗りつぶす。次は市議会。定員10人なので、ずらっと並んだリストから10人選ぶ。多すぎたら無効になるから、途中で塗りつぶした丸を数えながら10人。次に公園委員会。市の公園や市営ゴルフ場の運営を監督する機関で定員7人。これもひとつ、ふたつと数えながら7つの丸を塗りつぶす。最後の教育委員会(定員9人)も同様。有権者1人1票でないところがおもしろい。

ここまでが選挙で、次に投票用紙をひっくり返すと、市の借入れ計画の賛否を問う住民投票の部になる。社会福祉や図書館、公共施設など民生関係の施設やサービス拡充に必要な借入金はいくら、道路や街灯、交通信号など交通関係で必要なのはいくら、警察や消防署の補修整備など生活の安全に関して必要なのはいくらで、しめて1億8千万ドル。そんなに借金してもいいのかなあと思いつつ、ひつの項目は「ノー」、2つの項目はひとつはじっくりと考えて、もうひとつはすんなりと「イエス」に投票した。ここまででたっぷり5分。用紙と一緒に渡されたフォルダに挟んで、出口そばの「投票機」のところへ持って行くと、係の人が上に突き出した部分をスロットに差し入れて、投票用紙はするっと機械に飲み込まれた。読み取り装置で瞬時に「開票集計」されるしくみで、これで市民の義務は完了。まあ、バンクーバーは「月光」市長とあだ名される現職が再選されるだろうけど、市長の会派がほぼ独占していた市議会の勢力がちょっとバランスのとれたものになればいいか・・・。

やるべきことが終わったので、ぼちぼちと仕事にかかる。全部で5つあるファイルを完了するのに手持ちの時間が後1週間になったけど、大丈夫なのかな。このまま1週間ずっと新規の発注がなければいいけど、来週の今頃になって、ああ大変だ~と慌てていたりして。それでも、今日は出足が遅かったせいで、1ページしか進まないうちにもうあたりが暗くなって、夕食のしたくの時間だ~ということになる。おととい久しぶりにおいしいものを食べに行ったのに触発されたのか、きのう、今日とちょっぴり手をかけたメニュー。今日はレッドスナッパーを(尾頭抜きで)丸ごと昆布だしとしょうがで湯煮。大根おろしに柚子の汁とポン酢を混ぜて添え、付け合せは蒸したインゲンと、思いつきできのう使った残りのソフト豆腐にイクラと刻みねぎを和えたもの。子供の頃大好きだったメンメの湯煮の味にはならないけど、種類の違う魚だからしょうがないか。でも、あっさりしていて、すごくおいしかった。

[写真] ついでに、これはきのうメニュー。ホタテのバター焼きと紅鮭の即席ムース風。付け合せは蒸したズッキーニときのこ入りの黒米ご飯。ホタテは柚子の汁を振っておいて味付け。紅鮭は尻尾の方を切り落とした残り物。メインには使えないし、そのままでは小皿料理にもならないので、ソフト豆腐と玉ねぎ少々とスターチ少々をチョッパーでピューレにして、シリコンのカップに入れて蒸してみたらムース風にできあがった。上に載っているのはケッパー。途中でスチーマーにズッキーニを入れたので、一石二鳥。真っ黒な米はその昔中国で皇帝に献上するために栽培されていたとかいう「古代米」の一種で、緑色のバンブー米、ブータンの赤米と並んで我が家の「お米コレクション」の花形のような存在。炊いても真っ黒できのこが見えない・・・。

外はもうマイナス2度。明日は絵のワークショップの最終日で、「おやつ」を持ち寄ることになっているから、何を作るか考えなくちゃ。この調子では、ねじり鉢巻での仕事は明日の夜になってからになりそうだなあ・・・。

割り勘をこじらせる損したくない病

11月20日。日曜日。天気がいいけど、外はまだ寒そう。ポーチの温度計は正午でやっとプラス1度。今日は絵のワークショップの最終日で、朝食が済んだらまっさきに持って行く「ポットラック」の準備。みんなが適当に持ち寄ったものを「おやつ」につまみながら最後のレッスンをということで、午後と言う時間からして甘いものが多いと想定して、調理している時間がないのでフリーザーにあった鴨の胸肉の燻製を流水につけて解凍してスライスし、プロシュットを巻き込んだモッツァレラチーズもスライスして、プラスチック容器に詰めた。後は自分が好きな野菜のチップひと袋。使い捨てのフォークが見つからないのでデザートフォークを8本ほど袋に入れて、ついでにナプキンをひと束。ささやか過ぎるように見えるかもしれないけど、ごく少人数だからこれで十分・・・。

こういうカルチャー教室のような講座やコミュニティセンターなどのプログラムでは、クリスマスやクラスの打ち上げのときにポットラックパーティをやることが多い。カレシの英語教室でもほぼ毎年のようにハウスの食堂を借りてポットラックのクリスマスパーティをやっていて、それぞれの家庭料理だったり、お国料理だったりして楽しい。先生は奥さんを連れてくればいいよと言われるので、カレシは忘れられやすいナプキンや紙のお皿、プラスチックのフォークやナイフ、カップなどを用意して行く。手ぶらで来た人がいても誰も気にしないで、自分の自慢の料理をどんどん食べさせてしまう。ま、ポットラックというのは元々中世のイギリスなどで不意の客にありあわせのものを食べさせたことに由来するそうだから、それでいいってことだけど。(昔のアイルランドにはよそ者や旅人に一宿一飯を与える法的な義務があったそうだし。)

日本でも(ホムパと略して)ホームパーティをするファッショナブルな人たちが増えているようだから、たぶんポットラック・パーティもあるだろうと思うけど、どんな感じなんだろうな。まあ、(見劣りがしないように)腕によりをかけすぎて疲れたとか、他人に嫌味な批評をされたとか、手作りせずに出来合いのものを買って来た人がいて目が点になったとか、手ぶらで来て食べまくった人がいてドン引きしたとか・・・よく小町に出てくるようなめんどうくさいことがないんだったら、ホスト側の主婦がキッチンに篭って汗だくで料理をするなんてこともなくて、みんなが楽しい集まりになるんじゃないかと思うけど、日本の「お呼ばれ」的な付き合いの感覚からすると、どうなんだろうな。自分の家に呼んでおきながら、料理は客の持ち寄りなんて!と小町に投稿されてしまうのかなあ。(たしか「こっちは客なのに失礼な!」という憤慨トピックもあったなあ・・・。)

まあ、小町によく割り勘でもめた話や、デート費用の分担や、共働き夫婦の家事や生活費の分担などでもめている話が登場するのは、人間関係を維持する上で一番難しいのが「お金」に関する価値観だからということかな。というよりは、人間はそれぞれに価値観を持っているわけだから、人間関係を円滑に保つには互いの価値観の違いをすり合わせて行く必要があるはずだけど、価値観の根底に「自分が損をしないこと」という考えがあるとそれが難しくなるということかもしれない。自分は損をしたくないと言うのは、ひっくり返して裏から見ると相手に得をさせたくないという気持でもあるな。自分が損をしていると感じるのは、相手が得をしているからに他ならない。相手が得をして自分が損をするのは不公平、不平等。つまり、公平、平等であるためには、両方が得をするか、両方が損をしなければならないってことか。まあ、人間関係を足して2で割れたらどんなにすばらしいかと思うけど、元々マイナスのもの同士は足して2で割ってみてもマイナスだから、そういう平等は両方が損をして終わりってことになるんじゃないのかな。

それにしても、どこからそういう「自分(だけ)は損をしたくない」という後ろ向きの利己主義が生まれて来たんだろうな。ちょっと見には「自分さえ良ければ」という自己中的な考えのようだけど、どうも精神的エネルギーが自分を前面に押し出す方に流れずに、逆に、他人が自分より前に出ないように袖を掴んで引き戻すことに使われているような感じがするな。人の痛みがわかる子を作るとかいう教育の時代に、小学校の運動会で足の速い子をゴール前で遅い子が追いつくまで待たせて、全員手をつないで一斉にゴールインさせているという話を聞いたことがあったけど、そのときの勝利を味わう機会を奪われた足の速い子の心に「自分はいつも損をさせられたから、大人になったら絶対に他人に得はさせない」という気持で社会へ出てきたのかな。まさかと思いたいけど、人間の器の容量に関わることだけに、「損したくない病」はある意味で「得したい病」よりも何倍も扱いにくい難病かも・・・。


2011年11月~その1

2011年11月11日 | 昔語り(2006~2013)
午前0時57分、バンクーバー国際空港に着陸

11月1日。火曜日。今日から11月1週間前、月曜日があと少しで火曜日になる頃にバンクーバーを飛び立って、今日、暦が火曜日に変わって間もない時刻にバンクーバーに降り立った。ちょうど1週間の旅。久しぶりの自分たちのベッドでたっぷり9時間も眠った後は、ばたばたと「日常」に戻る。

ボストンはひたすら寒かった。それでも着いた水曜日の午後は曇り空。ホテルから近いコプリー広場の教会と市立図書館を見に行った。図書館の古い建物の部分は宮殿のような豪華さで、へえ、これが市立図書館か~とびっくり。まあ、ボストン市そのものはバンクーバーと同じ人口規模だけど、都市圏の人口はバンクーバーの2倍もあるし、何よりも1630年に移住者が入って開いたと言うから歴史の長さが雲泥の差。でも、古ければそれだけおいそれとは取り壊せない継承遺産も多いだろうから、都市開発などはやりにくいだろうな。何となく小ぢんまりとした印象だったのは、ガラスの高層ビルがそれほどにょきにょきと立ち並んでいないからかもしれない。

翌日の木曜日は雨。まだ10月だからバンクーバーとそれほど変わらないと高を括っていたもので、Tシャツを2枚重ね着して、ホテルの外へ出るときは会議場で買った協会のロゴ入りのフリースのベストとフード付きの毛糸のジャケットという着膨れ状態で、カレシもマフラーを買い込んでの応急の冬装備になった。とりあえず、ワタシのたっての希望でボストン美術館へ行き、そこからランチのためにボストン・レッドソックスのフェンウェイ球場の横にあるビール工場兼レストランへ。この球場、できてから来年で何と100年になるそうで、外側は赤レンガのどう見ても野球場とは思えない古色蒼然とした「建物」。でも、アメリカ発祥の伝統ある「野球」というスポーツを考えると、なかなか趣の深い味わいがある。この7、8年の間ホームゲームは連続してすべて満員御礼だったそうで、新しい球場を作ろうなんて言ったら、ボストンっ子は暴動を起こすかもしれないな。

翌日の金曜日はまぶしいくらいの晴天だったけど、風が冷たい。それでも、トロントから同行したデイヴィッドとジュディと4人で、地図を見ながらアメリカ建国につながったボストンの歴史を辿る「Freedom Trail」の散策。ボストンは実に教会が多いような印象で、少し歩くとビルの間に教会の尖塔が見える。それと開拓時代の埋葬地がたくさん残っていて、刻まれた文字が読めるか読めないかの古い墓標が並んでいる。見て歩いているうちに、18世紀、19世紀は若くして死ぬ人が実に多かったんだということに気づく。開拓地の環境はそれくらい厳しかったということで、開拓者が開いた北海道にこういう墓地があったら、同じように「早すぎる死」を迎えた人たちの多さがわかるだろうなと、並ぶ墓標に何となく自分の先祖の歴史が重なって見えたように思う。

ホテルに戻ると、テレビでは何やらただならぬ雰囲気の天気ニュース。どうやらアメリカ東海岸の冬に特有の「nor’easter」というハリケーン級の低気圧が、「北東」が訛ったその名の通りに北東へ向かって進んでいて、ワシントンやニューヨークではすでにべた雪が降り積もって、空港は閉鎖され、大規模停電が多発しているらしかった。曇り空で始まった翌土曜日の朝は、季節外れのドカ雪のニュースで持ちきりで、ボストンに向かっているという話。このnor’easterという嵐、衛星写真で見るとハリケーンや台風のような「目」がはっきりと見える。ハーヴァード大学へ行って帰ってきた午後には雨が降り始め、暗くなる頃には雪混じりの横殴りの降りになった。夜半にはボストンも勢力圏に入って、翌朝までに10センチから15センチの積雪という話。おいおい、翌朝はトロントへ向かう予定なのに。気になるので、テレビの天気予報チャンネルをつけておいたら、ケーブルの放送が途絶えてしまった。こんなときこそ頼りになるチャンネルなのに・・・。

こういうときのワタシはけっこう運が良いらしくて、日曜の朝起きて一番に窓の外を見たら、雪は屋根の上に薄っすらと見えるだけで、地平線は晴れてきそうな雲行き。テレビのニュースによると郊外ではわりと降ったようだし、マサチューセッツ州としてはかなりの被害が出たらしい。それでも、ワタシたち4人は何事もなかったように定刻でボストンを離れ、予定通りにトロント経由でモントリオールに向かうことができた。飛行機の窓から見下ろす景色は一面の雪だったけど。

モントリオールは夕方着いて、デイヴィッドの娘のスーザンと10年来のパートナーのモンティと夕食をして、翌日月曜日の昼には列車でトロントへ向けて出発と言う、まさに駆け足の寄り道。トロントのピアソン空港を飛び立ったのは午後10時55分。ロッキー山脈を越えたところで暦が変わって火曜日、そして11月。午前零時57分、バンクーバー空港に到着。けっこうおもしろいことがあって、いい「バケーション」だった。

旅に出て実感する自分の幸運さ

11月2日。水曜日。曇り空。寝る前にフランネルのシーツに取り替えたせいか、ほどよく暖かで、なぜか早起きしたカレシが正午前に起こしに来たくらいよく眠った。シーラがミルクを買っておいてくれたので、当面の朝食に困らないのはありがたい。メールを見ると、仕事が3つで全部明日の夕方が期限。お客さんが仕事を送っておいてくれるのもありがたいけど、う~ん、こっちはちょっとば
かり早すぎるような気がしないでもないなあ。せめて2、3日。は後片付けをしながらダラ~ンとしていたかったんだけど、まっ、遊んだ後は、ねじを締めなおして稼がなくちゃね。

だけど、まずは買出し。きのうは冷蔵庫に残っていたもので夕食とランチを間に合わせたけど、今日はそうは行かない。カレシの冷蔵庫にいたってはすっかり萎れたレタスの残りがあるだけで、ほぼ空っぽ。ということで、旅行中は野菜不足で「菜っ葉が食べたい」カレシは、午後のうちに野菜だけ買い出しに行って、スーパーは人の少ない夜になってから行こうと提案。ふむ、仕事があるのに、1日。に2度も買い物に出るってのはちょっときついような。それでも、仕事モードへの切り替えがあまりうまく行きそうにないから、ここのところは「ま、いっか~」主義で妥協。トートバッグ2つにいっぱいの野菜類を買って、スーパー側の駐車場に止めた車まで運んだら、カレシが「どれくらい込んでいるかちょっと見て来よう」。夜になって来る予定なんだから、混み具合を見たって意味がないだろうになあ。でもここはまあ、込んでいなかったら買い物をする条件で妥協。入ってみたら、なんだ空いているじゃないの。

ということで、夜の部の買い物も済ませることができたのはラッキー。「Have the luck of the Irish(アイルランド人の運を持っている)」という言葉があるけど、やっぱりワタシには大昔に西へ移動する仲間に背を向けて東へ向かったあまのじゃくケルト人のはぐれ遺伝子が混じっているのかもしれないな。ボストンでは日本語グループの夕食会で、アメリカでよくフィリピン人と間違われると言うどさんこ同業者と、マレーシア人かインドネシア人に間違われるワタシとで、はぐれ遺伝子の話で盛り上がったっけ。生まれたアフリカを出た人類は・・・と、ワタシ得意のぶっ飛び理論ではぐれ遺伝子説を展開したら、彼女曰く、「ありそうなことよねえ」。結局、どっちも縄文人の末裔に違いないねと確認しあって、彼女はさわやかな笑顔で(国際結婚で海外在住歴の長い人にありがちな)自分の居場所という問題に違った角度が見えて来たと言った。そうそう、未開の蝦夷地に渡った開拓者の末裔であるどさんこは芯が強いんだから。

ま、いろんなはぐれ遺伝子が混じっている(と勝手に思い込んでいる)からこそ、ワタシは雑種の強さによる生存力があるんだろうと思うし、そういう自分は運がいいと思っているから極楽とんぼでいられるのかもしれないな。日常を離れて旅に出ると(というと大げさだけど)、日常生活では経験しないような大小さまざまのできごとに遭遇する。そんな中で行き交う人たちを観察していると、いろんな発見があって、世の中には実にいろんなタイプの人間がいるもんだという感慨がわいて来る。その中で、自分なりに広い世界で自由に生きているワタシはすごく幸運なんだと、しみじみと感じられるのも旅の収穫と言えるかもしれないな。

でもまあ、旅の思い出話はちょっと横に置いとくことにして、またぞろ迫り来る納期にあたふたする「日常」にどっぷりと浸かってしまわないように、まずは仕事にかからないと・・・。

仕事が終わったので、旅のつれづれ話

11月3日。木曜日。我ながら感心するくらい良く眠って、もそもそと起き出したら、先に起きていたカレシ曰く、「うらやましい」。どうやら睡眠のパターンが狂ってしまって、なかなか元に戻らないでいるいるらしい。トロント行きの便では眠らずにネットブックをいじっていたから、もろに徹夜。その日は早寝したけど、寝不足に弱いカレシはひとたまりもなく「時差病」。眠気に勝てずにヘンな時間に居眠りをするもので、体内時計は狂いっぱなし。だから言ったでしょうが、この年で夜行便はやめといたほうがいいよって。

夜行便での往復はカレシなりの(机上の空論っぽい)理屈に基づいた選択だったから、ま、いい経験にはなっただろうな。何につけても、ああだこうだと想像して理屈をこねるよりは、とりあえず経験してみるのが手っ取り早いってことが多いしね。ワタシも往復とも眠らなかったけど、そこは毎年一度や二度は徹夜仕事をするもので、この年ではたしかに少々きつくても身体の方が勝手を知っているという感じで、かなりうまくリセットしてくれた。帰りの便は到着が普段の就寝時間の前だったから、そのままベッドに入ってすんなり「日常パターン」に戻ってしまった感じがする。ワタシ、もう63歳半なんだけど、ちょっと元気が良すぎるのかなあ・・・。

とにかく、まずは今日中に納品する仕事3つの仕上げから始める。いい大人のうっかりなんだかおバカなんだかわからないようなミスをして問題になっていたり、またぞろ社内不倫がもめごとに発展していたりで、ここは実にいろんな人間模様のあるところだなあと感心する。この頃は小町横町で展開される人間模様をそっくり反映したような事件も多いから、ついこれが今どきの日本の(都市)社会の縮図なのかと思ってしまう。そう思ってしまうと、なんか暗~い雰囲気になって来るような気がしていけない。それにしても、よくこうも簡単にすぐにばれるような嘘をついたり、見境なく不倫関係に走るのはどういう心理なんだろうな。元禄時代のような華やかに爛熟した社会という感じはしないのに、奔放な通俗文化だけが爛れているということなのかな。

でもまあ、仕事としてはすいすいと進んで、余裕を持って納品。入れ替わりに2つ仕事が入って来たけど、今夜はオフということにして、旅行の写真をカメラからダウンロード。昔ボストンを訪れたことがあるという人が「茶色の街」という印象だったと言っていたけど、まさに、古い赤レンガの建物があちこちに残るボストンは「茶色」。アメリカン・リーグのボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ球場も外側は古いレンガ造り。来年で100年になるというから、野球というスポーツの歴史の長さを感じる。レッドソックス(赤いソックス)の名の通りの赤いソックスのチームロゴがまた何ともご愛嬌でかわいい。

ボストンのファッショナブルなショッピング街ニューベリー・ストリートはずらっとつながった昔の住居を改装したブティックやレストランが並んでいる。そのニューベリー・ストリートを歩いていたら、ショーウィンドウ一面にアンティークのミシンを並べた店があった。紳士服店のようだったけど、子供の頃に母が使っていたような足踏みミシンがこれだけ並ぶと壮観というか何と言うか・・・。

ニューベリーストリートに近いコプリー広場に面したボストン市立図書館の中はヨーロッパの宮殿を見るような豪華な造りで、大きな読書室では市民がめいめいに本を読んでいた。フラッシュをオフにしたのでちょっとピンボケしたけど、緑色のシェードの読書灯が何ともいえない。

さて、会議場になったコプリープレースのマリオット・ホテルのワタシたちの部屋。緩やかにカーブした角の部屋で広いのは良かったけど、バスルームの換気口のファンがうるさい。おまけに止めようにもスイッチがないし、やたらと強力なもので、部屋のドアの下や回りから冷たい空気を吸い込んで来て、バスルームのドアを閉めても中で「風」が吹いているのが感じられるから、寒くて風呂に入ることもできない。ホテル側は「全館の空調システムの一部だから止められない」と澄ましたもの。部屋を変えてくれるというけど、引越しはめんどうくさい。それならばと、ドアのすきま風を余分の枕とジャケットで防ぎ、さらにバスルームのドアの内側の隙間にありったけのバスタオルを当てて、やっとなんとか「寒中露天風呂」の入浴にならずにすんだ。

翌朝、バスタオルの山と一緒に説明のメモを置いて出かけて、帰って来たら換気口に形に合わせて折ったペーパータオルがぴたっと吸いついていた。これでハリケーン並みのすきま風は納まったけど、意外な知恵に感心するやら、呆れるやら・・・。旅に出るといろんなことがあるもので、これから「ほら、ボストンのホテルでさぁ」と笑い話として思い出すことになりそう。一応は
38階くらいあるモダンな高層建築のホテルではあるけど、設備はかなり古かった。そろそろ建て替え時じゃないのかなと思ったけど、今の景気ではそうも行かないんだろうなあ。ま、冬のボストンでコプリープレースのマリオット・ホテルに泊まるときは、625号室は避けたほうがいいかも。窓からの風景は、レンガ造りのアパートの屋上にテラスがあったりして、渋くてすてきなんだけど・・・。

オリンパスの山頂に向かって吼えてみる

11月4日。金曜日。いい天気。カレシはまだ異常な早起き症が治らないらしい。困ったねえ。とは言っても、夕食後にテレビの前のリクライナーで高いびきで寝てしまうから、狂った体内時計がなかなか復旧しないんだと思うけどな。この週末は時計の針を1時間戻して、「夏時間」から標準時に戻る。ますます狂いがひどくならないといいけど、めんどうくさいことこの上ない。(次の夏時間までたった4ヵ月くらいのことだから、いっそのこと「冬時間」と呼んで、夏時間を「標準時」にした方がいいような気もするけど。)

今日の朝食はマッシュルームのオムレツ。カレシがベトナム人の生徒さんからもらってきたものなんだけど、なにしろ大量なもので食べるのが大変。英語教室の生徒さんたちはカレシがボランティアで無報酬なのを知っているから、ときどき庭で採れた野菜やアジアのおみやげやお茶の差し入れがある。おかげで、我が家には高麗人参茶があり、鉄観音茶があり、ジャスミン茶があり、中国のお菓子があったりする。カレシもお金は中国正月の赤封筒に入ったご祝儀以外は受け取らないけど、こういう現物の差し入れは喜んでもらってくる。それにしても、このマッシュルーム、傘がしっかり閉じた新鮮なものだけど、大きいし、何よりもすごい大盛り。毎日もう1週間近く手を変え品を変えして食べているけど、全部食べ終わるのにまだあと2日。はかかるかなあ。

さて今日は、洗濯機を回し始めて、きのう「交換!」と言って置いて行かれた2つのファイルをアタックする。ひとつはきのうぶつぶつ言いながらやっていた「不倫騒動」の続きの始末書みたいなもの。当事者たちは30代後半くらいかな。たぶん女の方から会社に苦情が出されて、慌てた男の方が申し開きと言うか、逆に相手の女がきっかけを作って始まったことで、手を切ろうとしたらストーカーになったと苦情の申し立て。まあ、いい年の所帯持ちの大人が相手に浅はかにも自分を良く見せようと必死なのは痛々しい。んっとにしょうのない人たち。何だか知らないけど、まるで安っぽい通俗小説でも読んでいるみたいだな。でも、仕事は仕事だから、私情をはさまず、粛々と・・・。

日本のメディアにはあまりニュースがないけど、今世界のメディアで話題のオリンパス。会計士で証券の上場審査をやっていたカレシが関心を持っているので、ワタシもニュースめぐりをしていて記事があればつい読んでしまう。経理上の問題はカレシがぽろぽろと出てくる情報を会計基準に照らしてああだこうだと解説してくれるのに任せるとして、メディアの関心は日本の「企業風土」や「ガバナンス」の方に集まっているような感じ。なにしろ、あやしげな人物や会社が登場するから、そこらの小説よりもずっとおもしろい。日本の首相が一企業の不祥事で日本全体を評価しないでくれとか、日本はそういう社会じゃないとか、言ったとか言わなかったとか。ほんとにそうだよねっ。たまたま見た外国人が何をしたからってその国の人たちが全部そうだってことにはならないということだよね。それと同じことだよねっ。ま、それとこれとは別と言われそうだけど、オリンパス事件はまさに「日本」。カレシは、「日本の政治も企業も、んったく、もう・・・」と、かってはすべてを捨ててもいいくらいに憧れた夢の国のていたらくに少々やけ気味。今に始まったことじゃないけどなあ。日本は昔から日本なんだし、国それぞれなんだし・・・。

まさに、国は人の集合体だから、人それぞれなら国もそれぞれ。ユーロゾーンの危機や各国の駆け引きも、ドイツ君、フランスさん、ギリシャちゃん、イギリス君、イタリアちゃんという風に擬人化して、小町横町レベルにまで還元して見ると、EUという「社会」の問題が、そこら中に転がっている人間社会の問題とさして変わらないなあと思う。EUが急速に東へ拡大し始めたときに、ワタシは何か危なっかしいなあと感じて、カレシにそう言ったんだけど、そのときは「またキミのぶっ飛び理論が出た」と笑われた。ワタシは「人」のレベルで世界を見ているだけなんだけどな。まっ、ワタシは政治家でも学者でも評論家でも何でもないから、神々が住まうオリンパスの山のてっぺんに向かって何を言ったって鼻もひっかけてもらえないのはわかってはいるけど、せめて「神々の黄昏」なんてことにならないように・・・。

カメラを向けたらそそっと近づいて来たボストニアンのリス君だったら聞いてくれるかな。ひょっとしたら、かの「常識は教えてくれない」ハーバード大学を出ていたりして・・・。[写真]

アンディ・ルーニー逝く。享年92歳

11月5日。土曜日。しっかりと眠って午前11時半起床。カレシは今日も超早起きだったらしい。まあ、勤め人じゃないんだから、あわてずさわがずで、そのうちに元の睡眠パターンに戻ると思うけどね。でも、常習的に超早起きの人は寿命が短い傾向があると言う研究発表をどこかで読んだような記憶があるなあ。でも、ママは昔から超早起きだけど、94歳でかくしゃくとしているし、頭脳もかなり明晰だから、カレシも眠れなかったら起きちゃっていいんじゃない?

アメリカのCBSの長寿番組『60 Minutes』のしんがりで30年以上も日常のあれやこれやを辛口で論評していたアンディ・ルーニーが、ちょっとした手術の合併症で亡くなったそうな。享年92歳。引退してからわずか1ヵ月後のことだった。年をとるにつれて眉毛がもじゃもじゃになって、気難しい一言居士の隠居じいさんという感じだった。自分はにこりともせずにドライなユーモアでありとあらゆるものに苦言を呈して人気があった。今でも良く覚えているのが「ニュース番組はなぜ良いニュースだけを流すようにしないのか」という話。デスクから身を乗り出して、「毎日、戦争、犯罪、事故と、暗いニュースばかりで気が滅入ってしまうよね。どうして明るいニュースだけ報道しないんだろう」と言って、たとえば「フロリダ州では今日も気候温暖で、オレンジの実は木からぶら下がってフツーに育っていました」と言うニュースはどうだと。たしかにいいニュースだけど、毎日それじゃあ・・・と、カレシと2人でおなかを抱えて笑ってしまった。犬が人を噛んでもニュースにならないわけがわかるエピソードだったな。

アンディおじいちゃんはかくも言ったとか。「コンピュータのおかげでいろんなことがやりやすくなったよね。だけど、コンピュータがやりやすくしてくれたことって、ほんとのところはやらなくたっていいことなんだけど」と。また、「みんなちょっとしたミスをしでかしたことを自慢に思うよね。だって、どえらいミスはしなかったんだって気分になれるものね」とも。さらには、「菜食主義者ってのは、へぼハンターを意味する古いインディアンの言葉だよ」と。「細かな字で印刷してあることにいい話があったためしがない」というのは、まさにその通り。「もしも犬がしゃべれたら、犬を飼う楽しみが激減してしまうよ」というのは、ペットを飼う人の心理をついているのかな。もの言わぬペットは自分の権威に挑戦しない存在、あるいは、いちいち自分の気持を言葉で伝えなくてもい
いめんどうくさくない存在と言うことか。

「一般に、人間は自分がすでに信じていることと一致する場合のみに事実を真実として受け入れる」というのは、かなり奥が深いな、こういうのもある。「みんな山の頂上に住みたがるけどね、幸せも成長もみんな山を登っている途中で起こることなんだよ」。また、「みんな長生きすることには魅力を感じるのに、年を取ることには魅力を感じないってのはパラドックスだね」というものある。そうだなあ、たしかに長生きするってことは年を取るってことに他ならない。長生きはしたいけど年は取りたくないってのは人類のパラドックスなのか、それとも単なるぜいたくなのか。どうも、今どきの時代は「長生きも何も、とにかく年だけは取りたくない」と、実際に年を取ることを拒否する人が多いような感じがする。残念ながら人間が年を取るのをストップできるのはおつむの中身だけで、いくら年を取らないつもりでいても肉体はおかまいなしに年を取るもんだけどな。

「たしかに、我々はたくさんの理由で40歳以上の女性を称えますが、残念ながら相互的とは言えません。美人で賢くてきれいにおしゃれしているホットな40歳以上の女性と同じ数だけ、黄色いズボンをはいて22歳のウェイトレスなんかと醜態をさらしている禿げでメタボの老いぼれがいるのです。女性の皆さん、ごめんなさい。さて、ただでミルクが手に入るのに牝牛を買うこたあないよという男性諸君には、最新のニュースがあります。昨今は結婚はいらないないという女性が80%もいます。なぜかって?女性たちはちっぽけソーセージを手に入れるのに豚を丸ごと買うのはむだなことだと知ってしまったのですよ」。いやはや、アンディおじいちゃんは毒舌だけじゃなくて、観察眼も鋭いからたまらない。

こっちが思わず「ん?」と耳をそばだてるような鋭いことを、にこりともせずに、しかもドライなユーモアで包みながら言っていたアンディ・ルーニー。ワタシにとってはこんなおじいちゃんがいたらいいなあという人だった。アンディおじいちゃん、安らかに・・・。

日曜の午後は絵の具だらけでお絵かき

11月6日。日曜日。いい天気。時計が変わって「標準時」に戻った初日。カレシはまたまた早起きしたらしいけど、ワタシはのんびりと午前11時ちょっとすぎに起床。まだ時刻を変えていない時計がいくつかあるけど、これから4ヵ月だけの「太平洋標準時」。午前1時59分になって、見ているとコンピュータの画面の時刻が「1時」になる。(夏時間に変わるときは、1時59分からいきなり3時になって、このときはちょっとばかり時差ぼけの症状が出る人が多い。)今日は1日。が25時間の長い日だけど、ま、余分に眠れると思えばいいかな。

今日はお絵かきのワークショップ。先々週の「逆さま模写」はうつむいて物思いにふけっている女性の肖像画がモデルだったけど、いくらがんばっても「物思いにふけって」くれず、スマイル満開で今にも踊り出しそうなって顔にしかならないので諦めてしまった。目の描き方がまずいのか、それとも目の周りの陰影がうまく描けていないのか。どっちにしろ、ワタシの絵の女性は楽しい夢を見ているようなにこにこ顔で、うつむいてなんかいないし、物思いにふけっている様子もない。ワタシって、どうして写生ができないんだろうなあ。名画を模写するなんて逆立ちしたってできない相談。まあ、ワタシはマニュアルを読まない人だし、人の言うこともあまり聞かない人だから、どんな巨匠の絵であってもきっと斜めに構えてみているのかもしれないな。

今日の講義はマーク・ロスコの作品について。あの、でかいカンバスを2色とか3色に塗り分けた作品で有名な画家だけど、抽象表現主義の極限を追求した挙げ句に(他にも理由はあったけど)欝になって、最後は自殺してしまった。カンバスを塗り分けるというのは、素人目には誰にでもできそうに見えるけど、プロの画家に言わせるとすご~く難しいんだそうな。ま、プロだからあれこれと主義主張があって難しいというんだろうな。シロウトのワタシだったら、あれこれ考えないから、えいやっとどこかに線を引いて、上は赤で、下は何色にしようかなあなんて、鼻歌交じりに絵の具を塗って、一歩下がって眺めて「へえ、意外とイケてるじゃん」なんて悦に入ってしまうだろうと思うけど、なまじっかプロの画家となると、きっと色のコントラストがどうの、バランスがどうのと考えて悶々としてしまうだろうから、ちっとも楽しくないかもしれないな。

今日の実技?で選んだのは濃い緑の地面に白いカラーの花がたくさん咲いている写真。「黄金の三分割」を斜めに切って、先がカールした大きな花が2つ並んでいるあたりにズームインして、スケッチブックにサムネイルのスケッチ。スケッチが苦手なワタシにはこれがなかなか難しい。それでも、バランスが取れて見える構図を決めて、カンバスに大雑把なスケッチ。中心になるのは緑と白の2色だけだから簡単そう・・・と思ったのがとんだ大間違いで、緑には青が入っているし、白には赤と黄色と緑が入っている。結局は、カラーの花畑の写生どころではなくなって、花の先のカールにズームインした形になったもので、先生が背景に流していた『くるみ割り人形』の「花のワルツ」のような絵になってしまった。どうもワタシは曲線などの「動き」というかリズムに目を釘付けにする傾向があるらしい。ひょっとしたら、これがワタシのスタイルなのかもしれないな。

午後いっぱい、手も腕もエプロンも絵の具だらけになって格闘して、先生に「もう少し青が必要」と批評されて、宿題を抱えて意気揚々と帰ってきた。趣味はへたの横好きに徹していられるから楽しい。帰って来たらさっそく懸案の大仕事が確定。別の仕事も飛び込んできて、こっちの方は一応はプロだから、楽しいも何もまずは先に鉢巻をきりっと締めてウンウン・・・。

予定はあってなきが如しだけど、年金は・・・

11月7日。月曜日。目が覚めたら午前11時少し前。横を見たら、カレシが気持良さそうにすやすやとお休み。ははあ、疲れたといって、私よりひと足先にベッドに入ってこれだから、超早起き症が治まったというところかな。11時過ぎて目を覚まして、「いやあ、よく眠ったなあ。時差ぼけが抜けるのに1週間もかかったよ」と。どうやら身体のリズムが平常に戻ったとうことだろう。でも、時差ぼけと言うよりも初っ端のトロント行きの「徹夜」の後遺症じゃないのかと思うけどなあ。

雨模様の空だけど、今日は午後いっぱい買い物その他の予定。メインの銀行に直接移動できずに残っている退職年金積立口座を解約する手続きを聞きに言って、斜め向いのメインの銀行に行って使い残しのアメリカドルを口座に戻し、その間にカレシが酒屋へ行ってジンを買い、道路を渡って郵便局の私書箱を空にして、それからHマートまで足を伸ばして・・・と算段していたら、カレシがいつものように「午後は近場で済ませて、Hマートは夜に行こうよ」と言い出した。ま、土壇場での予定変更はいつものことだし、近場は交差点の角を東南、北西、南西と巡回するだけだからそれでいいけど、車に乗り込んだらカチカチいうだけでエンジンがかからない。バッテリが落ちているとわかっていたんだから、ゆうべのうちに当初の予定通りにHマートまで走っておけばよかったのに、土壇場で「明日にしようよ」と言ったのはだあれ?(答は「なんでだ~」とカリカリしている人・・・。)

急遽トラックでのおでかけとなったけど、今度は「こいつもバッテリがちょっと落ちているから少し走って充電してから銀行に行こう」ということになって、銀行とは逆方向へ。しばらく行ったところで、「ついでだからHマートまで飛ばそう」ということになって、一路コキットラムまでぶっ飛ばす。途中で「混んでいるから」と横道に逸れて袋小路に入り込むこと2度。カレシの「急がば回れ」は、よけいな時間を食う確率が90%、道に迷う確率が10%。やっとのことで高速に乗って、2人以上乗っている車が走れる車線を飛ばしながら、エコーを処分すると言う話がまとまった。なにしろ、6年保有して走行距離がやっと12000キロ。んっとに、出不精の2人に2台も車はいらないよね。売ってしまえば年間1500ドルくらいの保険料や諸経費が浮くから、めったにひとりで遠出しないワタシのタクシー代に転用すればおつりが来る。乗用車が必要なときのためにカーシェアリングの会員になるという手もあるし、何よりもバッテリを充電するために不要にガソリンを燃やしてドライブにでかけなくても済むからエコだし・・・。

Hマートに着くまでによけいな時間を食ったので、ささっと買い物をして「近場」の交差点に戻って来たのは午後3時55分。メインの銀行のとなりにある酒屋の駐車場にトラックを止めて、斜め向いの銀行に行くのかと思ったら、「今どきの銀行はけっこう遅くまで開いているから」とさっさと酒屋の方へ。それではと、ワタシはメインの銀行へ。それぞれに用事を済ませて、最初に行く予定だった銀行に行ったら、「午後4時」で終業でとっくに閉まった後。(メインの銀行は夜8時まで開いているのに。)しょうがないから道路を渡って、モールの二階にある郵便局の私書箱からぎっしり詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、本日の「用務」は終了。ハプニングやら土壇場の予定変更やらがあっても5件のうち4件まで完了できたのは上出来だな。

帰ってきて、今日配達された郵便を整理していたら、ワタシの年金の明細書が来た。政府から何年おきかに送られてくるもので、過去に払い込んだ金額の一覧があって、その下に、今すぐ年金受給を開始するといくら、今65歳だといくら、70歳になってからもらい始めるといくら、重度の障害があるといくら、ワタシが死んだら遺族年金はいくら、そして政府から出る葬式料はいくら。質問、訂正、年金の申請などはすべてService Canadaという、いわば「窓口サービス省」のようなお役所に一本化され、「マイアカウント」を登録することもできる。お役所仕事としてはなかなかよくできているな。他に、年金制度の改正点の説明書が入っていて、来年からは年金をもらいながら働いて掛け金を払い続けると(65歳以下は義務、65~70歳は任意)、新しくできた退職後追加年金制度によって物価スライド式の生涯年金がもらえると書いてある。

ベビーブーム世代が人口の3割を占めるカナダでは今はまだ潤沢にある年金基金が目減りする心配がある。70歳は私的な年金貯蓄を年金に切り替える期限でもあるし、ある意味で「70歳」が年金の新しいキーワードになりつつあるのかな。横道に逸れて道に迷うヒマはないのだ。ワタシも本格的に「老後の生活設計」をしなければならない時がすぐ目の前に迫ってきたと言うことで、じっくりと考えて、申請を出す来年の夏までにはどうするか結論を出さなければならない節目の問題。でもまあ、まだ半年以上あるから、とりあえずは仕事、仕事だけど・・・。

年金の話が老後の人生設計の話に

11月8日。火曜日。目が覚めたら何となく薄暗い。今日もまた雨模様か。カレシはまたまた早起き。きのうはまたヘンな時間にテレビの前で眠り込んで、真夜中近くにランチだよ!起こしたのに、ぐずぐず。こっちは仕事中だから、のんきに待っていられない。さっさと(イカのゲソのしょうが揚げ)を食べ始めたら、もそもそとキッチンに現れてワタシの目の前でトドのような大あくび。(そんなに大きなあくびばっかりしていたら、今に顎がはずれるってば・・・。)

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは仕事。気持の隅っこで年金のことを考えながらやっているもので、何だか進み具合が良くない。特に、カレシが「65歳ですぐにもらわないで70歳まで待った方が、5年間の金利とか考えたら有利じゃないの?」なんて(頼まれもしない)アドバイスをよこすから、よけいに仕事と年金と老後の設計が重なってしまって始末が悪い。何で?65歳で引退して70歳まで無収入で過ごせというの?それとも、70歳までこのままフルタイムで働き続けろっていうの?どっち?もちろん年金受給開始を遅らせればもらえる額はぐんと増える。でも、追加年金という制度ができたので、年金をもらいながら仕事を減らして払い込みを続ければ、結果はさして違わないんじゃないのかなあ。選択肢が増えた分、検討することが増えてめんどうな気もするけど。

まあ、60才を過ぎれば、誰しも人生があと何年残っているのか気になって来ると思う。アナタはつまらない火遊びにのめり込んだおかげで、60才にもならないのにいつも文句ばかりの職場から解雇同然に退職させられたけど、それから10年毎日やりたいことをやっていられた隠居暮らしに関しては後悔してないでしょ?65歳になって組合年金に公的年金が2つ加わって経済的に潤沢だし、 女房はまだバリバリの現役で稼いでいるし、傍目に見ても「楽隠居」といわれるいいご身分だと思うな。だから、ワタシも毎日やりたいことをやって暮らしたいと思うわけなんだけど。ひょっとして、ワタシが仕事をやめたら自分の存在理由がなくなってしまうとでも思ってる?前にもはっきり言ったけど、ワタシは「専業主婦」にはならないつもり。だって、長い間働いて来てそれではまるで再就職するようなもので、そんなの真っ平ごめんだから・・・。

引退はあくまで仕事からの引退。それまでお金を稼ぐこと(仕事)に費やしていた時間は、ワタシもアナタと同じく自分がやりたいことに振り向けるつもりでいる。でもまあ、年金問題は、ワタシにとっては単にいくらもらえるかという金額の多寡の問題じゃなくて、「老後」という残りの人生をどんな風に生きたいかという、soul-searching(つまり、徹底的な自己分析)が最重要不可欠の人生の根本問題のように思える。カレシがワタシの分析と結論の舵を取りたそうな素振りを見せるのは、ワタシが自分には与えられなかった自己決定の機会を持つということへのある種の危機感から来るのかもしれないな。専業主婦への「再就職」はないと言っているだけで、「結婚」からも引退するって言っているわけじゃないんだけどなあ・・・。

それにしてもまあ、人間、年を取るほどに男と女の精神的な成長度の違いが顕著になって来るものなのかな。特に共に「仕事」という公共の場を離れたときに、その差が加速的に開き出すのではないかという印象もある。1日。24時間のほぼすべてが自分の可処分時間になったとき、長い間常に仕事と家庭の諸々の雑事をやりくりして来た女と、仕事以外ではその長い間をおんぶに抱っこの酔生夢死で過ごして来た男とでは、人生力というものに大きな格差ができてしまっているような感じもするな。だから女性の方が長生きするんだろうか。やもめになった男は長生きしないそうけど、未亡人になった女性は生き生きと輝き出す人が多いというしなあ・・・。

寿命を考えたとき、ボストンの草分け時代の埋葬地にあった小さい墓標を思い出した。[写真]

子供2人を一緒に埋葬したものらしく、左側は「ジョサイア・スミス、享年1歳と約1ヵ月」、右側は「ナサニエル・スミス、享年3歳と約7ヵ月」、共に1721年11月13日。死去。何かの事故があったのかな?疫病が流行していたのかな?かわいい盛りだったであろう幼い子供2人を同じ日に亡くした両親の悲しみは計り知れないものだったろうな。墓標の保存状態の良さから見て、きっと短い人生を愛されて生きた子供たちだったんだろう。出産で命を落としたのか、まだ年若い妻
たちの墓標もたくさんあった。ワタシは西洋の墓地で墓碑銘を読んでは、長寿を全うした人、若くして世を去った人たちがどんな人生を送ったのかと想像してみるの好き。それを自分の来し方に重ねて、今の自分が徐々に年を取りながらも生きていて、こうして「老後はどんな風に生きようか」と夢を描けることに「天の恵み」を感じる。未来にタイムスリップしてワタシの墓標を見つけたら、「稀代の極楽とんぼであった」なんて墓碑銘が刻まれているかも・・・。

あのさあ、カレシ、2人して年を重ねるこれからは、偕老の契りでやってみることにしない?[写真: 2人の影]

一瞬のボケをシニア・モーメントという

11月9日。水曜日。起床午前11時10分。カレシは今日も早起き。今日はお掃除日だし、ワタシは1時20分に歯医者の予約があるから、ささっと朝食を済ませる。「けさのコーヒー、何だか水っぽいねえ」とカレシ。そういえばあの24時間営業のファミリーレストランの味だなあ。どうして?「袋の底のコーヒーだから香りが抜けたのかも」と、コーヒーを入れるのが担当のカレシ。まっさかぁ~。目分量でコーヒーを少なく量ったんじゃないのかなあ・・・。

正午を過ぎて、シーラとヴァルが来たので、ボストンのおみやげを渡して、おしゃべりしていたら、カレシが「メールを送れない!」と言って来た。サーバーがダウンしてるんじゃないの?「ネットにはつながるのに、いくら送信ボタンをクリックしてもメールが出て行かない」。しょうがないから、どれどれといっしょにオフィスに下りて行って、まずメーラーをチェック。ほんとに「送信」をクリックしてもメールは送信箱から出て行かない。あれ?と思ってちらっと横のルータを見たら、ライトが1個もついていない。(カレシはなぜかよくルータの電源をオフにする。)メールを送れるわけがないでしょうが、アナタ。接続していないんだから。「なんだ、そうか」と、スイッチを入れながらばつの悪そうなカレシ。ま、一瞬ボケする、いわゆる「シニア・モーメント」と言うやつだな。

午後1時過ぎ、エコーのバッテリは上がったままなので、トラックで歯医者まで送ってもらう。イン先生の報告書を読んだウー先生がワタシの舌を引っ張り出して、「赤みがだいぶ落ち着いたね。これからはちゃんと少なくとも9ヵ月ごとに歯の掃除をしなきゃね」。なんだか、このあたりに歯科業界の陰謀が隠れていたりして・・・。ま、歯も健康管理の一部だから、いつまでも自分の歯でおいしいものを食べられるように、せいぜいまじめに掃除をしてもらいに来るか。新しい歯科衛生士が歯垢を落として、磨きをかけて、「フッ素は、ミントとラズベリーのどっちがいいですか」。昔はイチゴとかバニラもあったけど、チョコレート味がないのはどうしてかな。ミントを選んだら、小さな紙コップに入ったミント味の液体を渡されて、それを1分間口の中でくちゅくちゅ回してやる。ひと昔はどろっとしたものを入れた入れ歯みたいなものを上下の歯にはめられて1分間だったから、進歩したと言えるかな。1分が経ったら紙コップにペット吐き出して、歯ブラシとデンタルフロスと歯磨きのサンプルをもらって、今日はおしまい。やっぱりなんだかさっぱりした気分・・・。

カレシのタクシーサービスを呼んで、バス停のベンチに座って待っている間、ぼんやりと辺りを眺めて過ごす。今日はコンタクトレンズを入れていないから、0.008の視力では世間はまさにぼんやり。交通信号は菊の花のようだし、信号で止まった車のテールライトはまるで花火大会の総花のよう。建物や街路樹は二重、三重に絡んだ抽象的モチーフ。これが、角膜に異常を持って生まれて来たワタシがコンタクトレンズを入れるまでの30年間、見続けてきた「世界」なんだと思う。細かいところまではっきりと見えないから、色と形と線の動きで自分の周りの世界を「こういうもの」と判断して来たのかもしれない。それで、具象画が苦手なんだろうな。なにしろワタシの目は具象的なイメージを正常な目が見るようには見ていなかったんだから。ベンチに座って、地面に届かない足をぶらぶらさせながら、ワタシはワタシの目にだけ見える「抽象画」を眺めていた・・・。

カレシのタクシーサービスで帰ってきて、ちょっとした仕事を済ませた後、今日の夕食は(食材を出すのを忘れていたので)速攻で解凍したサーモンとビンナガの刺身と松茸ご飯。つい買ってしまった松茸はたぶん今年最後のものかな。100グラムあたり1400円くらい。全体的に小ぶりで、香りも最盛期ほどではないけど、2本ほどスライスして、イタリア系のカルナロリ米で炊き込んでみたら、もっちりとしたご飯が松茸の香りと柚子の味を吸っていい味だった。松茸のとびん蒸しのレシピをひねってリゾットを作れないかなあと、つらつら考えるワタシ。おいしいものを食べて幸せな気分になっていられる限りはボケることはない。ときたまの一瞬ボケはあるけど・・・。

絶対にばれないと思って嘘をつくのか

11月10日。木曜日。目覚めは午前11時過ぎ。ゆうべはカレシが居眠りをせずにがんばって、午前2時に先にベッドに入ってしまったので、ワタシも仕上げるつもりでいた仕事を3時前に切り上げた。カレシはすでに高いびき。そのままぐっすり眠ったそうで、今日は爽快な気分とか。へえ・・・。ま、ワタシもかなりよく眠れたので、すっきりした気分でやり残した仕事をと仕上げる意気込みたっぷりで起きた。ところが、カレシが「トーストするパンがない」と。きのう焼くつもりだったのがケロッと忘れたとか。しょうがないから、シャンテレルと平茸としめじでオムレツを作って、カイザーロールに挟んだら、えらく気に入った様子・・・。

だけど、ワタシが仕事を始めるやいなや、「ジャンパーケーブルがどこにあるか知らない?」とか、「エコーのラジオをオフにできない」とか、うるさい。アナタがどこかにしまったものをワタシが覚えているわけがないでしょうがっ!それに、探すのを手伝いたくても4時までに納品しなければならない仕事があるし、目の調子が悪いからコンタクトをしていないし。ま、カレシはマニュアルを読んだりして、カレシなりに努力をしたけど、とうとう諦めて「トヨタのロードサービスの番号は?」と聞いてきた。ああ、やれやれ。最長7年のサービスパッケージを買ったのは正解だったな。来年の8月まで、バッテリの充電やら、動かない車の牽引は「ただ」。よく考えたら、このパッケージ、とっくに元を取っておつりが来ているかも。

でも、買っておいたライターに差し込む小型の充電器がエコーでは機能せず、トラックでは機能したというのはおもしろい。エコーの場合はラジオをオフにできなかったためらしいけど、たぶん、実用性が求められる小型トラックとファッション性もある乗用車では、装備するアクセサリにもかなりの違いがあるんだろうな。電話してから40分後にサービスのトラックが来て、数秒でエコーはエンジンスタート。しばらくアイドリングさせておいて、カレシはひとりで「ドライブ」に出かけた。ワタシはその間に仕事を片付けてしまう。雑音が入らなくなって、思考の流れはすいすい。デスク周りをちょっと配置換えしたおかげで、画面の距離は鼻先25センチ。拡大せずに100%のスケールでもかなり無理なく文字を判読できるから、鼻歌が出そうな楽々気分。

仕事を納品した頃にカレシが「調子は上々だよ」と(今泣いた何とかさんのごとく)機嫌よく帰ってきて夕食。この頃はオリンパス事件を中心に日本が会話の軸になることが多い。カレシは州の証券取引委員会で当時は海千山千のバンクーバー証券取引所への上場審査をやっていたから、オリンパスがエリート企業の高嶺から転げ落ちた経緯に少なからぬ関心を持っていて、ワタシはニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナル、ロイターズといったサイトに載る記事を見つけては印刷して渡している。それが今のところ我が家の「食卓の話題」になっているわけで、マティニとワインの酔いも手伝ってか、エンロン事件まで持ち出して話が弾む。

ワタシは、組織の性格はその構成員の平均的性格の集合体であるという持論に立って、企業といえども人間が営むものであれば、その企業を形成する人間集団の性格を反映していると思っているから、オリンパス事件は「日本」そのものの縮図に見える。必定、日本の社会や文化、人間関係にも触れることになるけど、過去の体験に根ざした偏見があるワタシの口からは(バブル時代の太鼓持ちのような)日本礼賛論は出て来ない。それで、これまではむきになって反駁のための反駁攻撃をしかけて来ることが多かったのに、ここのところは「なるほどなあ」とか「そうかもしれないなあ」と、どういう風の吹き回しか反駁して来ないから、会話は盛り上がっても議論はのれんに腕押しの感じで、何だか気が抜けてしまうな。

カレシの考えが変わって来たのか、戦術を変えたのかはわからないけど、「ばれないと思っていたのかなあ」と言うカレシに、ワタシは「アナタはばれないと思っていたの?」と聞いてみたいような、イジワルな気持になる。どうなんだろうなあ。ほんとにばれっこないと思って嘘をついたり、不正をしたりするのかな。それとも、ばれるかもしれないとは考えてもみないのか。「悪いことは
一切していない」と胸を張っておいて、後になって「実は・・・」と認めるのはサマにならないと思うんだけど、そのときは「一時の恥をしのんで」頭を下げて謝ればそれで免罪になると考えているのかなあ。どうなんだろう・・・?


2011年10月~その2

2011年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
抽象画をさらに抽象化してしまった・・・

10月16日。日曜日。先週は目覚ましで起きることが多くて、なんか忙しない1週間だった。寝酒もなしで寝た日が多かったような気がしたので、ゆうべはスモークサーモンのパテとクラッカーとアルマニャックでのんびりとクオリティタイム。大きな仕事がドタキャンになったので、ワタシも気分はゆったり。いくらのんびり構えていても、身体のどこかに「普通じゃない」ところがあれば、そうと意識しなくてもやっぱりストレスを感じているんだろうな。(それにしても「皮膚のカブレ」のようなもの」って、言われて見ればそんな感じだったかな。要するに接触性皮膚炎の一種と言うことか。)

今日は息抜きの絵のワークショップ。念のために正午に掛けておいた目覚ましよりずっと早く目が覚めて、朝食後の余裕の時間はメールのチェック。ニューヨークからまた引き合いがあるけど、何か大きそうだな。実際に発注する担当者はロンドンのオフィスにいるってことはどの通貨で払ってくれるのかな。どうして旅行の予定が迫ってくるとどさどさと仕事の話が来るんだろう。これも何かのジンクスのようなものかな。ま、とりあえず返信は後回しで、いそいそとお絵かき道具のしたく。やっぱり自分の奥底の気持をイメージや言葉で「抽象的」に表現するという行為は、エネルギー資源の埋蔵地を探し当てるようなもので、元気がわいて来る。でも、言葉で場面を描くと言う作業は自分の身を少しずつ削るような、なんか『夕鶴』のおつうが感じたであろう「痛み」を伴うような気がする。その点、思いつくままの色や形で表現できる絵ずっと直截的で楽しいな。

前回から色の勉強をしていて、今日は先生が持って来た古いカレンダーの絵から好きなものを選んで色の「模写」をやった。色だけに注意を集中できるようにと、絵は逆さま。ワタシが選んだのは色は鮮やかだけどかなり重厚な雰囲気の抽象的な風景画。まずは、ここはこの系統の色、こっちはあの系統の色と、薄く絵の具を塗っておいて、それから元の絵の色を作りにかかる。いつもごちゃごちゃと絵の具を混ぜてみるワタシのパレットはすぐに空きスペースがなくなってしまう。みんなはどうしているのかなあと偵察してみたら、きちんとしているなあ。それに逆さまでもきちんとした模写になっているからすごい。ワタシのは色も形もどんどん原画からずれて行って、どんなものができあがるのか、まるでフォレスト・ガンプのチョコレートの箱・・・。

だいたい2時間ちょっとかけてほぼ出来上がったところで、みんな原画と作品を並べて壁に貼って、先生に批評してもらうんだけど、ワタシのは原画の面影を留めているのは空と入道雲くらいのもので、原画を見て「あ、これは木だったのか。こっちは家で、この白いのは走って行く蒸気機関車の煙なんだ」と、逆さまのときには認識できなかった形を次々と発見。もちろん、作品の上下をひっくり返しても、原画とはまったく違ったものになってしまっているから、木も家も機関車もあったもんじゃない。だけど、えいっと90度回転させてみたら、ふむ、なんちゃらピカソカンディンスキーマチス風でおもしろいな。原画はカンディンスキーの『ムルナウ付近の機関車のある風景』だった。どうりで選んでいて直感的に「これ!」と決めたはずだな。ああ、この強烈な色使い。ワタシはカンディンスキーの初期の作品が大好きなの・・・。

先生にもう少し手を入れるところを指摘してもらって、意気揚々と帰って来たら、ドタキャン仕事の代わりにと、別の大きな仕事が入っている。5日。分はあるかな。いや、内容が内容だから6日。か。ボストンへ出発する前日までのぎりぎりの線だな。ま、ニューヨークへは手一杯ということで残念メールを出して、残っている小さい仕事を片付けて、明日からぼちぼちと行くか・・・。

幸せ感・不幸せ感を左右する遺伝子

10月17日。月曜日。いい天気。少し早めに寝て、正午ぎりぎりに目を覚まして、いろんな生活音を聞きながら、何となく抱き合ってしばしうとうと。(暖かくて気持がいいのは同感だけど、でも、ワタシ、縫いぐるみのクマちゃんじゃないのよねえ・・・。)でも、目が覚めてもすぐに起きなくていいというのは幸せだなあ。でも、そのうちにどっちからともなく「おなか空いたなあ~」と言って、ごそごそと起きた。まあ、いくらなんでも朝っぱらからロマンチックな気分でいちゃいちゃもないもんだ思うし・・・。

久しぶりにベーコンとポテトときのこと目玉焼きでしっかり朝ごはんを食べて、まずは旅行前の大きな仕事の算段。うわ、民事訴訟か。どうやら日本国政府のお役所が訴えられているらしい。ま、弁護士が書いた文書なら、ああだこうだでこうなってああなるから、我々の主張が正しいのだ!って感じで、翻訳はやりやすい。(事実関係をむにゃむにゃと行間で濁したら負けるもの。)話は別だけど、オリンパスがイギリス人の社長を(日本の企業経営の慣習を無視したとかいう理由で)半年で解任したというニュースを読んだときは、理由が「企業文化の壁」なんて初めっからきな臭い感じがしたけど、日本語のメディアにはあまり出て来ないところをみると、何だかおもしろくなりそうな雲行き。ぶっちゃけ、建前と本音の文化は「臭いものに蓋」の、「壁」の外に知られなければ善しとする隠蔽文化。知られたら、雁首をそろえて「せ~の」と最敬礼で「シャザイ」
すればそれでおしまいで、結局は何も解決しない。まあ、そういう文化で、みんなそれでいいんだったら、ワタシのような部外者がどうのこうの言うことではないんだけど・・・。

今日届いた『エコノミスト』誌の「サイエンス」ページにおもしろい記事があった。「幸福感の遺伝学」。ずっと世界には生来ポジティブな人とネガティブな人がいると思っていたけど、まさにその通りのような研究成果が出て来ているらしい。欧米の大学がアメリカ人を対象に、脳内の気分を掌るセロトニンを輸送するたんぱく質の遺伝子の長さを調べたんだそうな。このたんぱく質には短いのと長いのと2つの対立遺伝子があって、両親から短いのを2個受け継いだ人、長いのを2個受け継いだ人がいて、長短を1個ずつ受け継いだ人がいる。短い遺伝子を持っている人は欝っぽくなりやすく、長い遺伝子を持っている方は能天気になりやすい、ということらしい。ボランティアで研究対象になったアメリカ人のうち、セロトニン輸送タンパクの遺伝子の長さは、平均して、アジア系で短く、アフリカ系で長く、ヨーロッパ系(白人系)はその中間くらいと言う結果が出
たという。

おもしろいのは、この遺伝子が長い人種は個人主義的で、短い人種は集団主義的な傾向があるという研究発表が何年か前に出ていたという話。特に中国と日本には短い遺伝子と気分障害の両方が揃って多い、と注記してあった。中国人が概して欝っぽい性質を持っているのかどうかは知らないけど、大陸系(弥生系)が優勢で、「和をもって尊し」とする日本人は、自殺者の数の多さと言い、出る杭は叩かずに入られないらしい思考といい、小町横町に蔓延する「~された」という被害者妄想的なネガティブ思考といい、「幸せ感」の遺伝子が短いんだろうと思わざるを得ないな。もちろん、幸福感(満足感)の多寡は生育や生活といった環境的要素が大きくて、遺伝的要素の寄与率は全体の3分の1くらいだそうだから、社会的、文化的な環境が遺伝的要素を増幅しているのかもしれない。逆に、そういう遺伝的要素が社会的、文化的な環境を形成して来たと言えなくもないだろうけど。

じゃあ、能天気な極楽とんぼのワタシはどうなんだろうと思うんだけど、直感的にわりと長めの遺伝子を持っているんだろうと思う。だからこそ、モラハラの圧力で抑うつ状態になるまで何年もかかったんだろうし、ついにうつ病になってしまったときにSSRIというセロトニンの伝達ロスを減らすタイプの抗うつ剤が目覚しい効果を上げたんだろう。最近どこかの化粧品メーカーが縄文系はしみやそばかすができやすく、弥生系はできにくいという研究結果を発表していたけど、ワタシはしみもそばかすもあるし、顔つきからしてどう見てもマレーシアからインドネシアにかけてのアジア的らしいから、たぶん縄文系の遺伝子が勝っているんだろうと思う。だとすれば、平均的な弥生系日本人とは少しばかり遺伝子構成が違っていてもおかしくはないな。

まあ、人種間の遺伝子の長さの違いはあくまでも平均的なものだから、それぞれの人種に趨勢に逆らう「あまのじゃく」がいてあたりまえなんで、だから、どこの社会にもポジティブな人とネガティブな人がいるわけなんだけど、問題はどうしたら両者が平和共存できるのか・・・。

法律家の論理はなんちゃらかんちゃら

10月18日。火曜日。今日もいい秋日和。起床は11時。削岩機の音で目が覚めた。池の取り壊しは一応終わったはずだったんだけど、カレシが池の形を作っている鉄筋を全部掘り出すようにと「後出し注文」を出したもので、今日来るという予告メールが入っていた。アクセスのために壁板を外したゲートに応急で貼ってある合板を外して、そのまま入ってくれればいいので、早起きして待っていなくてもいいから助かる。

英語教室の午後の部に出かけるカレシを送り出して、裁判書類の仕事にかかる。400文字で原稿用紙に換算するとざっと50枚あるのを週末までに仕上げようと言うわけだけど、思いのほかすいすいと進んでくれるのでホクホク。何しろ裁判だから、何とか法の何条の何項では「なんちゃらかんちゃら」というのがぞろぞろ出てくる。でも、最近は日本政府が法令の英訳プロジェクトを進めているおかげで、「法なび」というサイトでかなりの法律の英語版・日英対訳版(現在の収録数200以上)が見つかるし、『標準対訳辞書』と言う基本的な用語集もできていて、翻訳者にとってはいい時代になったもんだと思う。ま、法律によっては「外国人に関係のある部分」しか訳されていないのもあるけど、昔のように引用されている「なんちゃらかんちゃら」をいちいち自分で訳さずに済むことが多くなったから良しとしなきゃ。

だけどまあ、ひとつひとつの文章の長ったらしいこと。のっけから、「本件は、原告がなんたらかんたらの理由でなんちゃらかんちゃら(以後「ナンチャラカンチャラ」と言う)したところ、被告がなんじゃもんじゃでなんじゃもんじゃ(以後「ナンジャモンジャ」と言う)であるから、こんなもんじゃではアカンのじゃわとケチをつけ、勝手にああじゃこうじゃをしたことに対して、原告がああちゃらこうちゃらなんであるから被告の方が間違っておるっちゃと言い、裁判所に被告は間違っておると言ってくれやと提訴した事案である」と、ほぼ1ページいっぱいに「。」なしで訴訟にもつれ込んだ経緯の説明。

まあ、こういうのはけっこうやり慣れているからいいんだけど、声に出してひと息に読んだら息が続かないな。(英日翻訳を主にやっていた昔、セミコロンばかりのセンテンスが延々と2ページも続いてやっとピリオドに出会えたというすごいのに出くわしたことがあった。あのとき、アメリカの弁護士の脳の中はどういう配線になってるんだろうと不思議だったけど、日本語でも同じということは、アメリカも日本もなくて、弁護士と言う職業の人たちの脳内には思考回線が世界共通の配線パターンになっているのかもしれないな。契約の類もそうだけど、誤解の余地がないように綿密に論理を構成しているつもりが、逆に誤解どころかさっぱりわからないと言うことになっていることも考えられるかな。

つまるところ、こういう翻訳はジグソーパズルみたいなところやクロスワードパズルのようなところもあって、どっちもワタシが大の得意のパズルだから、ベースメントのオフィスにひとり篭ってこの稼業を20年以上も続けられたのかな。今は外野席に野次馬が控えていてときどきはうるさいけど、ま、明日もけっこう早起きになりそうだから、腕まくりをして「なんちゃらかんちゃら」パズルの謎解きに精を出そうっと・・・。

ちょっと息抜きのひとときの雑感・・・

10月19日。水曜日。午前9時過ぎに外でかなりの騒音。どうやらコンクリートの残骸を撤去するためのコンテナが届いたらしい。何しろ、カレシの注文どおりに池の底までコンクリートを掘り起こして、鉄筋をすべて掘り出したら、裏庭中が大小のコンクリートの塊の山。池があったところは象が水浴びできそうなくらいの大きな穴になった。まるで隕石か何かが落ちたんじゃないかというような、まさに激甚災害地みたいな風景で、今さら、すごいものを作らせたもんだなあという感じがする。残っているのは北側の一角だけ。新しく作るガレージから家までの通り道のアクセントになる。

マイクと息子が手押し車を持って現れるまで、しばしの間うとうと。運動が必要だから自分でやると言ったマイクは3キロの減量になったと笑っていた。コンクリートの塊を手押し車に乗せて、道路においたコンテナに積み込む単純な作業だけど、午後4時過ぎまでにはきれいに片付けて、新たに温室まで引く給水パイプを埋める溝まで掘ってしまった。それにしても、ほんとうにでかい穴だ。池の深さは1メートル以上あったな。何年も春から秋にかけて蛙がたくさん住み着いて夜な夜なにぎやかな大合唱だったし、野鳥の水浴び場になっていたし、ときには大きなアオサギが魚がいないかと偵察に来たりもした。この4、5年蛙が来なくなったのは、向かいのゴルフ場で農薬を使っているからだろうと思う。(昔は玄関を開けるとうわ~んと聞こえてきた虫の声がまったくしなくなったし・・・。)

外で作業が進んでいる間に、ワタシの仕事も昨日に続きすいすい。順調だなあと思っていたら、別のところから「出かける前に何とかねじ込んでぇ~」と、また仕事。やれやれ、今回もぎりぎりまで仕事だなあ。ま、何とかなるかと思ってはいいよと言ってしまうワタシもワタシなんだけど、おかげで今月は売上が膨らんで、出かけずに丸々1ヵ月仕事をしたら久々に1万ドルの大台に乗れるペース。でも、年のせいか、年金受給年令に近づいてだんだんぐうたらになって来たせいか、この頃はときどきもういいよと言う気分にもなる。よく考えたら、来年の今頃はとっくに年金の手続きを済ませていなければならないわけで、ワタシもいよいよそういう記念すべき年に到達しつつあるってことか。そういえば、日本では年金の受給開始年令を68歳だか70歳だかに引き上げようかという話になっているらしい。まだまだ「60歳定年制」が大手を振ってまかり通っているのに、年金だけ先延ばしされるのはきついなあ。

そんなんだと若い人たちはますます将来に夢を持てなくなるんじゃないかという気がするけど、高齢化と言っても日本のベビーブーム世代はわずか3年だけ。カナダやアメリカでは20年も続いて、今やカナダの全人口の3分の1がベビーブーマー世代なんだけど。ま、あと1年と6ヵ月で、ワタシも「シニア」の仲間入り。それまでは、バリバリの現役でがんばるか。うん・・・。

嘘と偽りで守る名誉の価値

10月20日。木曜日。たぶんマイクは来ないからゆっくり寝られるね、と言っていたカレシ。残念でした。ワタシは正午にヘアサロンの予約がある。(ま、勝手に起きて、何か食べて行くからいいよと言っておいたけど。)目覚ましを午前10時45分にセットしておいたら、外で何やら騒音で10時半に目が覚めてしまった。庭から撤去したコンクリートの残骸を入れたコンテナを廃棄物処理業者が取りに来たらしい。これで、裏庭の改修プロジェクトはひと区切り。

カレシがよく眠っているので、そっと起き出して、はて、朝ごはんをどうしよう?この10年というもの、我が家の朝食当番はカレシだった。はたと考えて、思いつくままに卵を1個溶いて、ミニサイズの四角いフライパンに流し込んで、スライスしたウクライナ風ソーセージを載せて、オムレツ?ができるまでの間にパンを1枚トースターに入れて、ジュースを飲んでいたら、カレシが起きて来た。フライパンをのぞき込んで「何だかうまそうなのを作ってるね」。そうなの。焼きあがったトーストを2つに切って、二つ折りにしたオムレツをはさんで、即席朝ごはんサンドイッチ。まあ、カレシがタイミングよく起きたおかげで、普通メニューの朝食を終えるのを待って、モールまで送ってもらうことになった。

おかげで10分ほど節約できるので、オフィスへ下りてメールのチェック。きのう、同業仲間のサイトに載せたワタシの写真が聞いたこともないメディアの記事に使われていたことがわかって、それを削除させるために、あっちへメール、こっちへメール、あっちからメール、こっちからメール。いやあ、ネット空間てのは片時の油断もできないところだと改めて実感。著作権だって、よくよく規約を読んでみたら、何か最終的にはサイトに帰属すると解釈できるようなことになっていたらしい。別にスキャンダルになるようなものじゃないんだけど、勝手にワタシの写真を使うなと抗議したら、メディアの方から問題の写真を同業仲間の写真ギャラリーから削除されたら、記事からも削除すると言って来たので、結局はその通りに写真を削除してもらって、だからそっちも削除しなさいとメールを送って一応の決着。(ほんとにするかどうかはわからないけど。)ほんっとに油断も何もあったもんじゃないな。こっちは超忙しいってのに、もう・・・。

伸び放題、白髪生え放題になっていた頭を数ヵ月ぶりにハイライトと白髪染めとカットですっきりさせてもらって、道路向こうの銀行でアメリカドル建ての口座からボストンで使うアメリカドルを引き出して、また道路を渡って、郵便局の私書箱を空にして、モールの反対側の青果屋で当面必要な野菜を買う。(くどい法律口調が移っちゃったじゃないの・・・。)カレシに電話して「いるものはない?」と聞いたら、トマトがいると言って、結局はモールの外の交差点まで迎えに来てくれることになったので、玉ねぎやポテト、まだあった地場もののとうもろこしなど、けっこう重いものを買い込んでしまった。今夜の夕食はマグロとエビとピーマンととうもろこしのグリルと行こう。

テレビのニュースはリビアのカダフィが死んだという話で持ちきり。リビアの人たちにしてみれば、「やっと」というところだろうけど、これからどうなるかはリビアの人たちしだい。長い間独裁政治を許してきたイスラム世界だって民主主義や人権を尊重する近代的な政治体制を作れる資質があるんだと世界に見せ付けるチャンスだと思うけど、人間の思想や価値観や文化は一夜にして変われるわけじゃないから、はたして現実はどう展開するんだろうな。西洋の民主主義や人権思想は彼らの文化とは相容れない異教徒のものじゃなかったのかな。「アラブの春」もやがては部族間闘争に陥るか、あるいは別の独裁者が台頭してくるかするかもしれない。欧米が手を貸そうとすれば、支援のしかたが気に食わないといって「聖戦」を仕掛けてくるかもしれない。だからと言って手を貸さなければ、それはそれで不満の種になるかもしれないし・・・。

おりしも、オンタリオ州ではアフガン人移民の男が第2夫人と息子との共犯で、3人の娘と第1夫人を車ごと運河に落として殺したという「名誉殺人」の裁判が行われている。殺された3人の娘たちはいずれも十代。カナダにいて、父親の命令に逆らってメイクをし、へジャブをつけず、こっそりデートまでしたのが父親の「名誉」を汚したというこで、無慈悲に殺されてしまった。だけど、大人の男が自分より力の弱い者を意のままに支配するのが「名誉」という文化は、宗教がどうのこうのと言ってもDVやモラ男の言動とあまり変わらないし、名誉を汚された(自分への服従を拒否した)から殺せというのはテロリストの理屈と変わらないように思う。

それにしても、このアフガン人の父親は娘たちの遺体が運河に沈んだ車から発見されたときにテレビカメラに向かって涙を流して悲しんで見せていた。このパターン、バンクーバー周辺でインド系の女性が行方不明になるたびに夫がテレビで「無事でいてくれ」と涙ながらに訴え、遺体が発見されて、やがてその夫が殺人犯として逮捕されるパターンとよく似ているな。空々しいというか何か、嘘が自己防衛の手段になる「嘘も方便」の思想なのか、見ていてものすごく腹が立ってくる。たしかに嘘や欺瞞で都合の悪い事実を隠そうという人間はどの人種にもいるんだけど、ということは、そうやって自分の「世間体(名誉)」を守ろうという心理が共通して根底にあるということなんだろうか。嘘と欺瞞で塗り固めて守る名誉ってどれだけの価値があるのかなあ・・・。

奥さんが忙しいとかまってちゃんになる人

10月21日。金曜日。久しぶりに目覚ましで起きなくてもいい日。それなのに、カレシが早く起きだしてしまって、おまけに防犯アラームを解除せずに外へ出て行ったもので、こっちの方のアラームの音で目が覚めてしまった。炊いての場合はドアを開けたところでアラームが鳴り出したのに気づいて、戻って来て解除するんだけど、けさはその気配なし。アラームの音が大きくなって来たから、サイレンが鳴り出す前に飛び起きて解除。ベッドに戻ってもうひと眠りしてみたものの、今度はゴミ収集車の音で目が覚めた。ゆっくり寝たかったのになあ・・・。

肌寒い雨模様。朝食もそこそこに、とにかく回りくどくてややこしい仕事を再開。後10ページもあるけど、何とか明日の午後中に終えられるところまではやってしまいたい。だけど、こっちは主語があるのかないのか、さっぱり要領を得ない文章を、誰が何をどうしてどうなったと論理的に整理をしようと躍起になっているのに、カレシは後ろで(おもちゃ代わりの)ネットブックがどうしたのこうしたの、ネットワークに接続できなくなったの、すでに廃棄が決まっているコンピュータのキーボードが言うことを聞かないのと、愚痴のオンパレードで「かまってちゃん」モード全開。あのねえ、ワタシは勤務中で、特に今は頭が爆発しそうなくらい超ストレスの仕事をやってるんだけど・・・。

おまけにこの超ストレスな仕事、文書を書いている方も思考が混乱して来たのか、どれが主語なのかさっぱりわからないめちゃくちゃなモンスター文が出てきた。それが「。」まで延々と6行も7行も続くから、読んで、読み返して、また読み返して、15分もかかってやっと冒頭の「○○上も」というのが、最後にある「定めている」につながる主語らしいとわかってきた。その「○○」は業務のことであって、法律の名前じゃないんだけど。業務は法律の規定を実行する作業なんであって、だから何にも定めないんだけど。「○○法上は・・・定めている」と書くべきじゃないかと思うんだけど、法曹人のなんちゃらかんちゃら日本語の添削なんかやっているヒマはない。

もう、肩が痛いし、指はコチコチだし、目はしょぼしょぼだし、カレシがいくらがんばって「かまってちゃん」圧力をかけて来たって、いちいち反応しているヒマなんかないんだから。ワタシは大まじめに仕事をしているんだから。おとなしく遊んでいてくれないかなあ、もう・・・。

涙が出るくらいにくたびれた

10月22日。土曜日。ああ、もっと寝たいのに、何だってカレシは早起きしてしまうんだろうなあ。まったく、メイワクも甚だしいことこの上ない。それでも、脳みそがスクランブルエッグになりそうな仕事はホームストレッチだから、早く始めて、早く終わらせて、息抜きをした方方がいいかな。手持ちの仕事を終わらせて、留守中に期限の請求書の支払をセットして、売上税の申告をして・・・あ~あ、今日と明日でやっておかなければならないことがあり過ぎ。そこへして、カレシは「持って行く下着がな~い」と言い出すし・・・。

ということで、洗濯機を回し始めて、ホームストレッチのラストスパートをかける。一番めんどくさい会計処理のああだこうだを過ぎれば少し楽になるかと思っていたけど、今度はカレシが突然ワタシの古いコンピュータを元の場所(ワタシのデスクの端)においてファイルを移したいと言い出して、地平線いっぱいに暗雲がむくむく。「元の場所」は資料をいっぱいに広げてあるし、カレシがいすを持ち込めるスペースがないし、何よりも早くこの仕事を終わらせたくてカリカリしているワタシのすぐ後ろでなんだかんだとやられてはたまらない。結局は自分の古いコンピュータと入れ替えたけど、ため息、ため息。ずっと長いこと「そのうちに」と言って放置してあったことを、どうして後2日。で家を空けるという今になってやらないといけないのか、そのあたりの心理が何とも不思議。研究してみたらおもしろいかもしれないけど、知りたくないという気がしないでもない。ま、ヘンな人はヘンな人なりに(他人の目には)ヘンな行動を取るってことかな。

それでも、もう大噴火寸前のあたりまでマグマが上がって来たところで、やっと、やっと大仕事が完了。午後5時20分。夕食のしたくをはじめる時間をとっくに過ぎていたけど、やっぱり優先すべきはワタシの生活の糧である仕事。最後まで行ってカウントをかけたら1万語に後少しのところだった。ファイルを圧縮して送るだけにしておいてからキッチンに上がったら、さすがにど~っと疲れた気分になって、なんだか知らないけど涙がぽろぽろ。きっといつもの仕事以上に神経を集中したもので、緊張が解けたときの反動が大きかったんだろうな。カレシが困ったような顔をしていたいたけど、それだけすごいストレスをかけてくれてたのよ、アナタ。それでも、とにかく超特急で夕食のしたく。ストレスがたまって来るといつもおなかが空いて、めちゃくちゃにやけ食いしてみたい誘惑というか、一種の精神的な飢餓感に苛まれるのは、生存本能なのか・・・。

夕食後、さて次の仕事にかかるか、と思ったら、カレシは今度はノートン君とけんかを始めた。送ってきたプロダクトキーをメールソフトごと削除したかもしれないから、サポートデスクに電話することもできないとおろおろ。そういう重要な情報をどうして自分できちんと管理しないのかなあ。(最近、物忘れが多くない・・・?)ああもう、知らないったら。まあ、出発前の最後の仕事は医学系の論文でおもしろそう。科学者は文系と違ってまだまともな文章を書いてくれるからいい。ただし、同じ理系でもエンジニアはなぜか表現べたで、ものごとをうまく説明できない人がかなりいるような気がするけど、このあたりは法曹家と似ているところもあるような、ないような。工学系は科学系とでは思考回路の配線が違うのかなあ。

文章を書く話と言えば、ネットのMSN産経ニュースの「ライフ」のページの「学術・アート」のセクションに週一くらいで載る『赤字のお仕事』というコラムをいつも楽しみにしているんだけど、報道記事の校閲をする人が書いていて、日本語の表現や意味合い、誤用についての深い薀蓄に、いつもなるほど~と「目からうろこ」。読点(、)の位置によって意味合いが変わってくるところが英語のコンマと似ているのは、日本語だってちゃんと文法があるからだけど、それを学校で系統立てて教えられた記憶がないのはどうしてかな。カレシは小学校のときから英語文法の授業があったというけど、中学以降英語の文法はみっちり?教えられたのに、国語の授業ではいつも教科書の「お話」を読んで、感想文を書いたり、作文をしたりしていたような気がする。もっとも、ボケ~っと白日夢をむさぼっていて、先生の話を聞いていなかったという可能性もあるけど・・・。

なるほど。その頃からいろんな雑念に集中して、周囲の「雑音」をやり過ごしていたということか。だから、カレシの「雑音」は右から左へ素通り通過なんだろう。でも、「騒音」はやっぱりメイワクなんだけどなあ。おや、静かだと思ったら、どうやらノートン君と仲直り・・・?

仕事は終わったし、ストレスは吹っ飛ばしたし

10月23日。日曜日。やっと普通に眠れて、普通に起きることができた。鏡を見たら、ああ、目の下にはっきりと隈ができていて、なんか一気に老けたような顔。やれやれ・・・。

どよんとした気分で朝食を済ませて、出発前の最後の仕事をぎりぎりまで(といっても30分くらいだけど)やって、絵のワークショップに駆け出した。いい天気だけど、空気は冷たい。今日はまず抽象画の講義。特にデクーニングとポラック。ジャクソン・ポラックの作品は、ワタシが冗談に「accidental art(偶然芸術)」と言っているものに似ていなくもないけど、ワタシの偶然芸術はまさに偶然「アートっぽく」なったもので、ポラックはきっとどこにどういう風に絵の具やペンキのしぶきを飛ばそうかと考えながらやっているんだろうな。そこが本物の「芸術家」と「へたの横好き」の大違いなところ。ま、競合するわけでもないから、それはそれでいいんだけど。

講義の後はそれぞれ大きな紙をもらって、跳ねかし芸術の実習。これがまた楽しい。絵の具をたっぷりつけた筆で紙を叩いたり、水にゆるく溶かした絵の具をぽたぽたと垂らしたり、振り回してしぶきを飛ばしたり。おかげでこの1週間にたまりにたまっていたストレスはすっかり吹っ飛んでしまった。意気揚々と家に帰って来たら、カレシ曰く、「けさと顔つきが全然違うよ」。うん、人間、外へ出て、人と交流して、思い切り息抜きしないとね。ま、人との交流にもいろいろあるだろうけど、ストレスを解消してくれるのは、お互いに楽しくて、心から笑えて、誰も悲しい思いをしないし、第三者ともけんかをしないで済む交流なのだ。そういうところから末永い友だちもできるしね。

夕食後は超特急で仕事。麻酔の話が出てきて、こっちまで何だか眠くなりそうだけど、がんばって目を開けて仕上げ。これで10月の業務は打ち上げだ~。後は仕事と家庭のこまごまとした事務処理を済ませて、荷物をまとめるのは明日ということにする。ま、飛行機の出発時刻はほぼ真夜中だし、家から空港まではタクシーで10分。普通の時間に起きれば、午後いっぱいの時間の余裕がある。それでも、どっちみちバタバタするんだろうけど・・・。

それじゃ、売上税の申告をやってしまおうっと。

やっと準備完了して、夜行便でトロントへゴー

10月24日。月曜日。起床は午後12時半。いい天気。予報を見ると、トロントもボストンもかなり寒いらしい。心配していた航空会社の客室乗務員組合のストは仲裁で労使が合意して、立ち往生の心配がなくなったし、スト中だったトロントの空港からのバスがスト解除になったとデイヴィッドが電話して来たし、うん、何よりの出発日和のような感じ・・・。

デスクの周りを片付けて、請求書をささっと書いて送って、荷物をまとめたら、後は留守番サービスのシーラが来て、一緒に食事をして、タクシーを呼ぶだけ。はあ、何とかすべて間にあった。はあ、やれやれ。どうして旅行に出かける前っていつもこうてんてこ舞いのきりきり舞いになるんだろうな。それでもとにかく、出かけられる状態になったのは、めでたし、めでたし・・・。

旅行の荷物の詰め方と言うのは、すごい個人差があって実におもしろい。大雑把にわけると、必要最小限を持って行って、後はそのとき、そのときに必要なものを現地で調達する人と、初めから「念のために」何でも持って行かないと気がすまない人がいると思う。あのさあ、トロントもボストンもモントリオールも近代技術による利便がすべて手に入る近代都市なんだけど。暗黒大陸のど真ん中へ冒険旅行をしようというんじゃないんだから、身軽なのが一番楽で言いと思うんだけど、それでは気分的に落ち着かない人がけっこういるから、人間てのはおもしろいと思う。要するに、突き詰めると「縫いぐるみのくまちゃん」が一緒じゃないと、ベッドに入っても眠れない人の心理なのかな。つまり、「安心感」を得るために、重い荷物、重量オーバーの荷物、「念のため」に行く先では手に入りそうにない、慣れ親しんでそれなしでは生きられない食品やモノを詰め込んで、引いて歩くってことなのかなあ。

そういうわけで、荷物をまとめる段階になると、いつもちょっとした小競り合いになる。カレシは何でも自分の(それも預けないで機内に持ち込む)バッグに詰め込みたがる。ワタシは機内でいらないものは預けてしまって、身軽に旅を楽しみたい方なんだけど、カレシが預けた荷物がカル―セルに出てくるまで待つのを嫌がるので、できるだけ機内に持ち込める小さいスーツケースに納める。ま、それで不便を感じたことがないからいいんだけど、カレシはスポーツバッグにすべてを詰め込むもので、iPodやらBoseの騒音消去ヘッドフォンを出したり、入れたりするのに、狭い座席でごそごそ、ふうふう、はあはあ、ぶつぶつ・・・。

車に乗ってハンドルを握ったとたんに性格が豹変する人は多いけど、飛行機に乗ったとたんに豹変する人も多いんだろうな。今の時代になっても、飛行機に乗ることが非日常なのか、あるいは旅行すること自体が非日常なのか、そこんところはよくわからないけど、国境を越え、言葉や文化の壁を越えて人生を営んできたワタシにとっては、そんなたかが1週間や10日。のことで大騒ぎするようなことかいなと思うんだけど、まあ、そこはやっぱりそういうハードな「越境経験」のある人とない人では感覚が違うのかもしれないな。

とりあえず、ネットで搭乗券を取るのに、預ける荷物は1個と申告させておいたし、真空状態で嵩を減らせる袋がたくさんあるので、カレシの大きなスポーツバッグから機上で不要な衣料品を圧縮包装してワタシの小さいスーツケースに移させて、まあ、何とか扱いやすくしたけど、う~ん、来年の日本旅行はもっと長そうだから、はて、どうなることか。考えたら、ワタシとカレシでは合理的と思う思考経路が違うし、それよりも空間認識のパターンが違っているから、「あ~あ」の種は尽きないような感じがするな。あ~あ。

ま、年に一度か二度、同業仲間と会って、わっとストレスを発散できる会議はワタシにとっては何よりのレクリエーション。だから、仕事は持ち込まないし、客先には連絡先もヒ・ミ・ツ。さて、そろそろタクシーを呼ぶ時間かな・・・。

では、行ってき~ます!