リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年11月~その1

2011年11月11日 | 昔語り(2006~2013)
午前0時57分、バンクーバー国際空港に着陸

11月1日。火曜日。今日から11月1週間前、月曜日があと少しで火曜日になる頃にバンクーバーを飛び立って、今日、暦が火曜日に変わって間もない時刻にバンクーバーに降り立った。ちょうど1週間の旅。久しぶりの自分たちのベッドでたっぷり9時間も眠った後は、ばたばたと「日常」に戻る。

ボストンはひたすら寒かった。それでも着いた水曜日の午後は曇り空。ホテルから近いコプリー広場の教会と市立図書館を見に行った。図書館の古い建物の部分は宮殿のような豪華さで、へえ、これが市立図書館か~とびっくり。まあ、ボストン市そのものはバンクーバーと同じ人口規模だけど、都市圏の人口はバンクーバーの2倍もあるし、何よりも1630年に移住者が入って開いたと言うから歴史の長さが雲泥の差。でも、古ければそれだけおいそれとは取り壊せない継承遺産も多いだろうから、都市開発などはやりにくいだろうな。何となく小ぢんまりとした印象だったのは、ガラスの高層ビルがそれほどにょきにょきと立ち並んでいないからかもしれない。

翌日の木曜日は雨。まだ10月だからバンクーバーとそれほど変わらないと高を括っていたもので、Tシャツを2枚重ね着して、ホテルの外へ出るときは会議場で買った協会のロゴ入りのフリースのベストとフード付きの毛糸のジャケットという着膨れ状態で、カレシもマフラーを買い込んでの応急の冬装備になった。とりあえず、ワタシのたっての希望でボストン美術館へ行き、そこからランチのためにボストン・レッドソックスのフェンウェイ球場の横にあるビール工場兼レストランへ。この球場、できてから来年で何と100年になるそうで、外側は赤レンガのどう見ても野球場とは思えない古色蒼然とした「建物」。でも、アメリカ発祥の伝統ある「野球」というスポーツを考えると、なかなか趣の深い味わいがある。この7、8年の間ホームゲームは連続してすべて満員御礼だったそうで、新しい球場を作ろうなんて言ったら、ボストンっ子は暴動を起こすかもしれないな。

翌日の金曜日はまぶしいくらいの晴天だったけど、風が冷たい。それでも、トロントから同行したデイヴィッドとジュディと4人で、地図を見ながらアメリカ建国につながったボストンの歴史を辿る「Freedom Trail」の散策。ボストンは実に教会が多いような印象で、少し歩くとビルの間に教会の尖塔が見える。それと開拓時代の埋葬地がたくさん残っていて、刻まれた文字が読めるか読めないかの古い墓標が並んでいる。見て歩いているうちに、18世紀、19世紀は若くして死ぬ人が実に多かったんだということに気づく。開拓地の環境はそれくらい厳しかったということで、開拓者が開いた北海道にこういう墓地があったら、同じように「早すぎる死」を迎えた人たちの多さがわかるだろうなと、並ぶ墓標に何となく自分の先祖の歴史が重なって見えたように思う。

ホテルに戻ると、テレビでは何やらただならぬ雰囲気の天気ニュース。どうやらアメリカ東海岸の冬に特有の「nor’easter」というハリケーン級の低気圧が、「北東」が訛ったその名の通りに北東へ向かって進んでいて、ワシントンやニューヨークではすでにべた雪が降り積もって、空港は閉鎖され、大規模停電が多発しているらしかった。曇り空で始まった翌土曜日の朝は、季節外れのドカ雪のニュースで持ちきりで、ボストンに向かっているという話。このnor’easterという嵐、衛星写真で見るとハリケーンや台風のような「目」がはっきりと見える。ハーヴァード大学へ行って帰ってきた午後には雨が降り始め、暗くなる頃には雪混じりの横殴りの降りになった。夜半にはボストンも勢力圏に入って、翌朝までに10センチから15センチの積雪という話。おいおい、翌朝はトロントへ向かう予定なのに。気になるので、テレビの天気予報チャンネルをつけておいたら、ケーブルの放送が途絶えてしまった。こんなときこそ頼りになるチャンネルなのに・・・。

こういうときのワタシはけっこう運が良いらしくて、日曜の朝起きて一番に窓の外を見たら、雪は屋根の上に薄っすらと見えるだけで、地平線は晴れてきそうな雲行き。テレビのニュースによると郊外ではわりと降ったようだし、マサチューセッツ州としてはかなりの被害が出たらしい。それでも、ワタシたち4人は何事もなかったように定刻でボストンを離れ、予定通りにトロント経由でモントリオールに向かうことができた。飛行機の窓から見下ろす景色は一面の雪だったけど。

モントリオールは夕方着いて、デイヴィッドの娘のスーザンと10年来のパートナーのモンティと夕食をして、翌日月曜日の昼には列車でトロントへ向けて出発と言う、まさに駆け足の寄り道。トロントのピアソン空港を飛び立ったのは午後10時55分。ロッキー山脈を越えたところで暦が変わって火曜日、そして11月。午前零時57分、バンクーバー空港に到着。けっこうおもしろいことがあって、いい「バケーション」だった。

旅に出て実感する自分の幸運さ

11月2日。水曜日。曇り空。寝る前にフランネルのシーツに取り替えたせいか、ほどよく暖かで、なぜか早起きしたカレシが正午前に起こしに来たくらいよく眠った。シーラがミルクを買っておいてくれたので、当面の朝食に困らないのはありがたい。メールを見ると、仕事が3つで全部明日の夕方が期限。お客さんが仕事を送っておいてくれるのもありがたいけど、う~ん、こっちはちょっとば
かり早すぎるような気がしないでもないなあ。せめて2、3日。は後片付けをしながらダラ~ンとしていたかったんだけど、まっ、遊んだ後は、ねじを締めなおして稼がなくちゃね。

だけど、まずは買出し。きのうは冷蔵庫に残っていたもので夕食とランチを間に合わせたけど、今日はそうは行かない。カレシの冷蔵庫にいたってはすっかり萎れたレタスの残りがあるだけで、ほぼ空っぽ。ということで、旅行中は野菜不足で「菜っ葉が食べたい」カレシは、午後のうちに野菜だけ買い出しに行って、スーパーは人の少ない夜になってから行こうと提案。ふむ、仕事があるのに、1日。に2度も買い物に出るってのはちょっときついような。それでも、仕事モードへの切り替えがあまりうまく行きそうにないから、ここのところは「ま、いっか~」主義で妥協。トートバッグ2つにいっぱいの野菜類を買って、スーパー側の駐車場に止めた車まで運んだら、カレシが「どれくらい込んでいるかちょっと見て来よう」。夜になって来る予定なんだから、混み具合を見たって意味がないだろうになあ。でもここはまあ、込んでいなかったら買い物をする条件で妥協。入ってみたら、なんだ空いているじゃないの。

ということで、夜の部の買い物も済ませることができたのはラッキー。「Have the luck of the Irish(アイルランド人の運を持っている)」という言葉があるけど、やっぱりワタシには大昔に西へ移動する仲間に背を向けて東へ向かったあまのじゃくケルト人のはぐれ遺伝子が混じっているのかもしれないな。ボストンでは日本語グループの夕食会で、アメリカでよくフィリピン人と間違われると言うどさんこ同業者と、マレーシア人かインドネシア人に間違われるワタシとで、はぐれ遺伝子の話で盛り上がったっけ。生まれたアフリカを出た人類は・・・と、ワタシ得意のぶっ飛び理論ではぐれ遺伝子説を展開したら、彼女曰く、「ありそうなことよねえ」。結局、どっちも縄文人の末裔に違いないねと確認しあって、彼女はさわやかな笑顔で(国際結婚で海外在住歴の長い人にありがちな)自分の居場所という問題に違った角度が見えて来たと言った。そうそう、未開の蝦夷地に渡った開拓者の末裔であるどさんこは芯が強いんだから。

ま、いろんなはぐれ遺伝子が混じっている(と勝手に思い込んでいる)からこそ、ワタシは雑種の強さによる生存力があるんだろうと思うし、そういう自分は運がいいと思っているから極楽とんぼでいられるのかもしれないな。日常を離れて旅に出ると(というと大げさだけど)、日常生活では経験しないような大小さまざまのできごとに遭遇する。そんな中で行き交う人たちを観察していると、いろんな発見があって、世の中には実にいろんなタイプの人間がいるもんだという感慨がわいて来る。その中で、自分なりに広い世界で自由に生きているワタシはすごく幸運なんだと、しみじみと感じられるのも旅の収穫と言えるかもしれないな。

でもまあ、旅の思い出話はちょっと横に置いとくことにして、またぞろ迫り来る納期にあたふたする「日常」にどっぷりと浸かってしまわないように、まずは仕事にかからないと・・・。

仕事が終わったので、旅のつれづれ話

11月3日。木曜日。我ながら感心するくらい良く眠って、もそもそと起き出したら、先に起きていたカレシ曰く、「うらやましい」。どうやら睡眠のパターンが狂ってしまって、なかなか元に戻らないでいるいるらしい。トロント行きの便では眠らずにネットブックをいじっていたから、もろに徹夜。その日は早寝したけど、寝不足に弱いカレシはひとたまりもなく「時差病」。眠気に勝てずにヘンな時間に居眠りをするもので、体内時計は狂いっぱなし。だから言ったでしょうが、この年で夜行便はやめといたほうがいいよって。

夜行便での往復はカレシなりの(机上の空論っぽい)理屈に基づいた選択だったから、ま、いい経験にはなっただろうな。何につけても、ああだこうだと想像して理屈をこねるよりは、とりあえず経験してみるのが手っ取り早いってことが多いしね。ワタシも往復とも眠らなかったけど、そこは毎年一度や二度は徹夜仕事をするもので、この年ではたしかに少々きつくても身体の方が勝手を知っているという感じで、かなりうまくリセットしてくれた。帰りの便は到着が普段の就寝時間の前だったから、そのままベッドに入ってすんなり「日常パターン」に戻ってしまった感じがする。ワタシ、もう63歳半なんだけど、ちょっと元気が良すぎるのかなあ・・・。

とにかく、まずは今日中に納品する仕事3つの仕上げから始める。いい大人のうっかりなんだかおバカなんだかわからないようなミスをして問題になっていたり、またぞろ社内不倫がもめごとに発展していたりで、ここは実にいろんな人間模様のあるところだなあと感心する。この頃は小町横町で展開される人間模様をそっくり反映したような事件も多いから、ついこれが今どきの日本の(都市)社会の縮図なのかと思ってしまう。そう思ってしまうと、なんか暗~い雰囲気になって来るような気がしていけない。それにしても、よくこうも簡単にすぐにばれるような嘘をついたり、見境なく不倫関係に走るのはどういう心理なんだろうな。元禄時代のような華やかに爛熟した社会という感じはしないのに、奔放な通俗文化だけが爛れているということなのかな。

でもまあ、仕事としてはすいすいと進んで、余裕を持って納品。入れ替わりに2つ仕事が入って来たけど、今夜はオフということにして、旅行の写真をカメラからダウンロード。昔ボストンを訪れたことがあるという人が「茶色の街」という印象だったと言っていたけど、まさに、古い赤レンガの建物があちこちに残るボストンは「茶色」。アメリカン・リーグのボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ球場も外側は古いレンガ造り。来年で100年になるというから、野球というスポーツの歴史の長さを感じる。レッドソックス(赤いソックス)の名の通りの赤いソックスのチームロゴがまた何ともご愛嬌でかわいい。

ボストンのファッショナブルなショッピング街ニューベリー・ストリートはずらっとつながった昔の住居を改装したブティックやレストランが並んでいる。そのニューベリー・ストリートを歩いていたら、ショーウィンドウ一面にアンティークのミシンを並べた店があった。紳士服店のようだったけど、子供の頃に母が使っていたような足踏みミシンがこれだけ並ぶと壮観というか何と言うか・・・。

ニューベリーストリートに近いコプリー広場に面したボストン市立図書館の中はヨーロッパの宮殿を見るような豪華な造りで、大きな読書室では市民がめいめいに本を読んでいた。フラッシュをオフにしたのでちょっとピンボケしたけど、緑色のシェードの読書灯が何ともいえない。

さて、会議場になったコプリープレースのマリオット・ホテルのワタシたちの部屋。緩やかにカーブした角の部屋で広いのは良かったけど、バスルームの換気口のファンがうるさい。おまけに止めようにもスイッチがないし、やたらと強力なもので、部屋のドアの下や回りから冷たい空気を吸い込んで来て、バスルームのドアを閉めても中で「風」が吹いているのが感じられるから、寒くて風呂に入ることもできない。ホテル側は「全館の空調システムの一部だから止められない」と澄ましたもの。部屋を変えてくれるというけど、引越しはめんどうくさい。それならばと、ドアのすきま風を余分の枕とジャケットで防ぎ、さらにバスルームのドアの内側の隙間にありったけのバスタオルを当てて、やっとなんとか「寒中露天風呂」の入浴にならずにすんだ。

翌朝、バスタオルの山と一緒に説明のメモを置いて出かけて、帰って来たら換気口に形に合わせて折ったペーパータオルがぴたっと吸いついていた。これでハリケーン並みのすきま風は納まったけど、意外な知恵に感心するやら、呆れるやら・・・。旅に出るといろんなことがあるもので、これから「ほら、ボストンのホテルでさぁ」と笑い話として思い出すことになりそう。一応は
38階くらいあるモダンな高層建築のホテルではあるけど、設備はかなり古かった。そろそろ建て替え時じゃないのかなと思ったけど、今の景気ではそうも行かないんだろうなあ。ま、冬のボストンでコプリープレースのマリオット・ホテルに泊まるときは、625号室は避けたほうがいいかも。窓からの風景は、レンガ造りのアパートの屋上にテラスがあったりして、渋くてすてきなんだけど・・・。

オリンパスの山頂に向かって吼えてみる

11月4日。金曜日。いい天気。カレシはまだ異常な早起き症が治らないらしい。困ったねえ。とは言っても、夕食後にテレビの前のリクライナーで高いびきで寝てしまうから、狂った体内時計がなかなか復旧しないんだと思うけどな。この週末は時計の針を1時間戻して、「夏時間」から標準時に戻る。ますます狂いがひどくならないといいけど、めんどうくさいことこの上ない。(次の夏時間までたった4ヵ月くらいのことだから、いっそのこと「冬時間」と呼んで、夏時間を「標準時」にした方がいいような気もするけど。)

今日の朝食はマッシュルームのオムレツ。カレシがベトナム人の生徒さんからもらってきたものなんだけど、なにしろ大量なもので食べるのが大変。英語教室の生徒さんたちはカレシがボランティアで無報酬なのを知っているから、ときどき庭で採れた野菜やアジアのおみやげやお茶の差し入れがある。おかげで、我が家には高麗人参茶があり、鉄観音茶があり、ジャスミン茶があり、中国のお菓子があったりする。カレシもお金は中国正月の赤封筒に入ったご祝儀以外は受け取らないけど、こういう現物の差し入れは喜んでもらってくる。それにしても、このマッシュルーム、傘がしっかり閉じた新鮮なものだけど、大きいし、何よりもすごい大盛り。毎日もう1週間近く手を変え品を変えして食べているけど、全部食べ終わるのにまだあと2日。はかかるかなあ。

さて今日は、洗濯機を回し始めて、きのう「交換!」と言って置いて行かれた2つのファイルをアタックする。ひとつはきのうぶつぶつ言いながらやっていた「不倫騒動」の続きの始末書みたいなもの。当事者たちは30代後半くらいかな。たぶん女の方から会社に苦情が出されて、慌てた男の方が申し開きと言うか、逆に相手の女がきっかけを作って始まったことで、手を切ろうとしたらストーカーになったと苦情の申し立て。まあ、いい年の所帯持ちの大人が相手に浅はかにも自分を良く見せようと必死なのは痛々しい。んっとにしょうのない人たち。何だか知らないけど、まるで安っぽい通俗小説でも読んでいるみたいだな。でも、仕事は仕事だから、私情をはさまず、粛々と・・・。

日本のメディアにはあまりニュースがないけど、今世界のメディアで話題のオリンパス。会計士で証券の上場審査をやっていたカレシが関心を持っているので、ワタシもニュースめぐりをしていて記事があればつい読んでしまう。経理上の問題はカレシがぽろぽろと出てくる情報を会計基準に照らしてああだこうだと解説してくれるのに任せるとして、メディアの関心は日本の「企業風土」や「ガバナンス」の方に集まっているような感じ。なにしろ、あやしげな人物や会社が登場するから、そこらの小説よりもずっとおもしろい。日本の首相が一企業の不祥事で日本全体を評価しないでくれとか、日本はそういう社会じゃないとか、言ったとか言わなかったとか。ほんとにそうだよねっ。たまたま見た外国人が何をしたからってその国の人たちが全部そうだってことにはならないということだよね。それと同じことだよねっ。ま、それとこれとは別と言われそうだけど、オリンパス事件はまさに「日本」。カレシは、「日本の政治も企業も、んったく、もう・・・」と、かってはすべてを捨ててもいいくらいに憧れた夢の国のていたらくに少々やけ気味。今に始まったことじゃないけどなあ。日本は昔から日本なんだし、国それぞれなんだし・・・。

まさに、国は人の集合体だから、人それぞれなら国もそれぞれ。ユーロゾーンの危機や各国の駆け引きも、ドイツ君、フランスさん、ギリシャちゃん、イギリス君、イタリアちゃんという風に擬人化して、小町横町レベルにまで還元して見ると、EUという「社会」の問題が、そこら中に転がっている人間社会の問題とさして変わらないなあと思う。EUが急速に東へ拡大し始めたときに、ワタシは何か危なっかしいなあと感じて、カレシにそう言ったんだけど、そのときは「またキミのぶっ飛び理論が出た」と笑われた。ワタシは「人」のレベルで世界を見ているだけなんだけどな。まっ、ワタシは政治家でも学者でも評論家でも何でもないから、神々が住まうオリンパスの山のてっぺんに向かって何を言ったって鼻もひっかけてもらえないのはわかってはいるけど、せめて「神々の黄昏」なんてことにならないように・・・。

カメラを向けたらそそっと近づいて来たボストニアンのリス君だったら聞いてくれるかな。ひょっとしたら、かの「常識は教えてくれない」ハーバード大学を出ていたりして・・・。[写真]

アンディ・ルーニー逝く。享年92歳

11月5日。土曜日。しっかりと眠って午前11時半起床。カレシは今日も超早起きだったらしい。まあ、勤め人じゃないんだから、あわてずさわがずで、そのうちに元の睡眠パターンに戻ると思うけどね。でも、常習的に超早起きの人は寿命が短い傾向があると言う研究発表をどこかで読んだような記憶があるなあ。でも、ママは昔から超早起きだけど、94歳でかくしゃくとしているし、頭脳もかなり明晰だから、カレシも眠れなかったら起きちゃっていいんじゃない?

アメリカのCBSの長寿番組『60 Minutes』のしんがりで30年以上も日常のあれやこれやを辛口で論評していたアンディ・ルーニーが、ちょっとした手術の合併症で亡くなったそうな。享年92歳。引退してからわずか1ヵ月後のことだった。年をとるにつれて眉毛がもじゃもじゃになって、気難しい一言居士の隠居じいさんという感じだった。自分はにこりともせずにドライなユーモアでありとあらゆるものに苦言を呈して人気があった。今でも良く覚えているのが「ニュース番組はなぜ良いニュースだけを流すようにしないのか」という話。デスクから身を乗り出して、「毎日、戦争、犯罪、事故と、暗いニュースばかりで気が滅入ってしまうよね。どうして明るいニュースだけ報道しないんだろう」と言って、たとえば「フロリダ州では今日も気候温暖で、オレンジの実は木からぶら下がってフツーに育っていました」と言うニュースはどうだと。たしかにいいニュースだけど、毎日それじゃあ・・・と、カレシと2人でおなかを抱えて笑ってしまった。犬が人を噛んでもニュースにならないわけがわかるエピソードだったな。

アンディおじいちゃんはかくも言ったとか。「コンピュータのおかげでいろんなことがやりやすくなったよね。だけど、コンピュータがやりやすくしてくれたことって、ほんとのところはやらなくたっていいことなんだけど」と。また、「みんなちょっとしたミスをしでかしたことを自慢に思うよね。だって、どえらいミスはしなかったんだって気分になれるものね」とも。さらには、「菜食主義者ってのは、へぼハンターを意味する古いインディアンの言葉だよ」と。「細かな字で印刷してあることにいい話があったためしがない」というのは、まさにその通り。「もしも犬がしゃべれたら、犬を飼う楽しみが激減してしまうよ」というのは、ペットを飼う人の心理をついているのかな。もの言わぬペットは自分の権威に挑戦しない存在、あるいは、いちいち自分の気持を言葉で伝えなくてもい
いめんどうくさくない存在と言うことか。

「一般に、人間は自分がすでに信じていることと一致する場合のみに事実を真実として受け入れる」というのは、かなり奥が深いな、こういうのもある。「みんな山の頂上に住みたがるけどね、幸せも成長もみんな山を登っている途中で起こることなんだよ」。また、「みんな長生きすることには魅力を感じるのに、年を取ることには魅力を感じないってのはパラドックスだね」というものある。そうだなあ、たしかに長生きするってことは年を取るってことに他ならない。長生きはしたいけど年は取りたくないってのは人類のパラドックスなのか、それとも単なるぜいたくなのか。どうも、今どきの時代は「長生きも何も、とにかく年だけは取りたくない」と、実際に年を取ることを拒否する人が多いような感じがする。残念ながら人間が年を取るのをストップできるのはおつむの中身だけで、いくら年を取らないつもりでいても肉体はおかまいなしに年を取るもんだけどな。

「たしかに、我々はたくさんの理由で40歳以上の女性を称えますが、残念ながら相互的とは言えません。美人で賢くてきれいにおしゃれしているホットな40歳以上の女性と同じ数だけ、黄色いズボンをはいて22歳のウェイトレスなんかと醜態をさらしている禿げでメタボの老いぼれがいるのです。女性の皆さん、ごめんなさい。さて、ただでミルクが手に入るのに牝牛を買うこたあないよという男性諸君には、最新のニュースがあります。昨今は結婚はいらないないという女性が80%もいます。なぜかって?女性たちはちっぽけソーセージを手に入れるのに豚を丸ごと買うのはむだなことだと知ってしまったのですよ」。いやはや、アンディおじいちゃんは毒舌だけじゃなくて、観察眼も鋭いからたまらない。

こっちが思わず「ん?」と耳をそばだてるような鋭いことを、にこりともせずに、しかもドライなユーモアで包みながら言っていたアンディ・ルーニー。ワタシにとってはこんなおじいちゃんがいたらいいなあという人だった。アンディおじいちゃん、安らかに・・・。

日曜の午後は絵の具だらけでお絵かき

11月6日。日曜日。いい天気。時計が変わって「標準時」に戻った初日。カレシはまたまた早起きしたらしいけど、ワタシはのんびりと午前11時ちょっとすぎに起床。まだ時刻を変えていない時計がいくつかあるけど、これから4ヵ月だけの「太平洋標準時」。午前1時59分になって、見ているとコンピュータの画面の時刻が「1時」になる。(夏時間に変わるときは、1時59分からいきなり3時になって、このときはちょっとばかり時差ぼけの症状が出る人が多い。)今日は1日。が25時間の長い日だけど、ま、余分に眠れると思えばいいかな。

今日はお絵かきのワークショップ。先々週の「逆さま模写」はうつむいて物思いにふけっている女性の肖像画がモデルだったけど、いくらがんばっても「物思いにふけって」くれず、スマイル満開で今にも踊り出しそうなって顔にしかならないので諦めてしまった。目の描き方がまずいのか、それとも目の周りの陰影がうまく描けていないのか。どっちにしろ、ワタシの絵の女性は楽しい夢を見ているようなにこにこ顔で、うつむいてなんかいないし、物思いにふけっている様子もない。ワタシって、どうして写生ができないんだろうなあ。名画を模写するなんて逆立ちしたってできない相談。まあ、ワタシはマニュアルを読まない人だし、人の言うこともあまり聞かない人だから、どんな巨匠の絵であってもきっと斜めに構えてみているのかもしれないな。

今日の講義はマーク・ロスコの作品について。あの、でかいカンバスを2色とか3色に塗り分けた作品で有名な画家だけど、抽象表現主義の極限を追求した挙げ句に(他にも理由はあったけど)欝になって、最後は自殺してしまった。カンバスを塗り分けるというのは、素人目には誰にでもできそうに見えるけど、プロの画家に言わせるとすご~く難しいんだそうな。ま、プロだからあれこれと主義主張があって難しいというんだろうな。シロウトのワタシだったら、あれこれ考えないから、えいやっとどこかに線を引いて、上は赤で、下は何色にしようかなあなんて、鼻歌交じりに絵の具を塗って、一歩下がって眺めて「へえ、意外とイケてるじゃん」なんて悦に入ってしまうだろうと思うけど、なまじっかプロの画家となると、きっと色のコントラストがどうの、バランスがどうのと考えて悶々としてしまうだろうから、ちっとも楽しくないかもしれないな。

今日の実技?で選んだのは濃い緑の地面に白いカラーの花がたくさん咲いている写真。「黄金の三分割」を斜めに切って、先がカールした大きな花が2つ並んでいるあたりにズームインして、スケッチブックにサムネイルのスケッチ。スケッチが苦手なワタシにはこれがなかなか難しい。それでも、バランスが取れて見える構図を決めて、カンバスに大雑把なスケッチ。中心になるのは緑と白の2色だけだから簡単そう・・・と思ったのがとんだ大間違いで、緑には青が入っているし、白には赤と黄色と緑が入っている。結局は、カラーの花畑の写生どころではなくなって、花の先のカールにズームインした形になったもので、先生が背景に流していた『くるみ割り人形』の「花のワルツ」のような絵になってしまった。どうもワタシは曲線などの「動き」というかリズムに目を釘付けにする傾向があるらしい。ひょっとしたら、これがワタシのスタイルなのかもしれないな。

午後いっぱい、手も腕もエプロンも絵の具だらけになって格闘して、先生に「もう少し青が必要」と批評されて、宿題を抱えて意気揚々と帰ってきた。趣味はへたの横好きに徹していられるから楽しい。帰って来たらさっそく懸案の大仕事が確定。別の仕事も飛び込んできて、こっちの方は一応はプロだから、楽しいも何もまずは先に鉢巻をきりっと締めてウンウン・・・。

予定はあってなきが如しだけど、年金は・・・

11月7日。月曜日。目が覚めたら午前11時少し前。横を見たら、カレシが気持良さそうにすやすやとお休み。ははあ、疲れたといって、私よりひと足先にベッドに入ってこれだから、超早起き症が治まったというところかな。11時過ぎて目を覚まして、「いやあ、よく眠ったなあ。時差ぼけが抜けるのに1週間もかかったよ」と。どうやら身体のリズムが平常に戻ったとうことだろう。でも、時差ぼけと言うよりも初っ端のトロント行きの「徹夜」の後遺症じゃないのかと思うけどなあ。

雨模様の空だけど、今日は午後いっぱい買い物その他の予定。メインの銀行に直接移動できずに残っている退職年金積立口座を解約する手続きを聞きに言って、斜め向いのメインの銀行に行って使い残しのアメリカドルを口座に戻し、その間にカレシが酒屋へ行ってジンを買い、道路を渡って郵便局の私書箱を空にして、それからHマートまで足を伸ばして・・・と算段していたら、カレシがいつものように「午後は近場で済ませて、Hマートは夜に行こうよ」と言い出した。ま、土壇場での予定変更はいつものことだし、近場は交差点の角を東南、北西、南西と巡回するだけだからそれでいいけど、車に乗り込んだらカチカチいうだけでエンジンがかからない。バッテリが落ちているとわかっていたんだから、ゆうべのうちに当初の予定通りにHマートまで走っておけばよかったのに、土壇場で「明日にしようよ」と言ったのはだあれ?(答は「なんでだ~」とカリカリしている人・・・。)

急遽トラックでのおでかけとなったけど、今度は「こいつもバッテリがちょっと落ちているから少し走って充電してから銀行に行こう」ということになって、銀行とは逆方向へ。しばらく行ったところで、「ついでだからHマートまで飛ばそう」ということになって、一路コキットラムまでぶっ飛ばす。途中で「混んでいるから」と横道に逸れて袋小路に入り込むこと2度。カレシの「急がば回れ」は、よけいな時間を食う確率が90%、道に迷う確率が10%。やっとのことで高速に乗って、2人以上乗っている車が走れる車線を飛ばしながら、エコーを処分すると言う話がまとまった。なにしろ、6年保有して走行距離がやっと12000キロ。んっとに、出不精の2人に2台も車はいらないよね。売ってしまえば年間1500ドルくらいの保険料や諸経費が浮くから、めったにひとりで遠出しないワタシのタクシー代に転用すればおつりが来る。乗用車が必要なときのためにカーシェアリングの会員になるという手もあるし、何よりもバッテリを充電するために不要にガソリンを燃やしてドライブにでかけなくても済むからエコだし・・・。

Hマートに着くまでによけいな時間を食ったので、ささっと買い物をして「近場」の交差点に戻って来たのは午後3時55分。メインの銀行のとなりにある酒屋の駐車場にトラックを止めて、斜め向いの銀行に行くのかと思ったら、「今どきの銀行はけっこう遅くまで開いているから」とさっさと酒屋の方へ。それではと、ワタシはメインの銀行へ。それぞれに用事を済ませて、最初に行く予定だった銀行に行ったら、「午後4時」で終業でとっくに閉まった後。(メインの銀行は夜8時まで開いているのに。)しょうがないから道路を渡って、モールの二階にある郵便局の私書箱からぎっしり詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、本日の「用務」は終了。ハプニングやら土壇場の予定変更やらがあっても5件のうち4件まで完了できたのは上出来だな。

帰ってきて、今日配達された郵便を整理していたら、ワタシの年金の明細書が来た。政府から何年おきかに送られてくるもので、過去に払い込んだ金額の一覧があって、その下に、今すぐ年金受給を開始するといくら、今65歳だといくら、70歳になってからもらい始めるといくら、重度の障害があるといくら、ワタシが死んだら遺族年金はいくら、そして政府から出る葬式料はいくら。質問、訂正、年金の申請などはすべてService Canadaという、いわば「窓口サービス省」のようなお役所に一本化され、「マイアカウント」を登録することもできる。お役所仕事としてはなかなかよくできているな。他に、年金制度の改正点の説明書が入っていて、来年からは年金をもらいながら働いて掛け金を払い続けると(65歳以下は義務、65~70歳は任意)、新しくできた退職後追加年金制度によって物価スライド式の生涯年金がもらえると書いてある。

ベビーブーム世代が人口の3割を占めるカナダでは今はまだ潤沢にある年金基金が目減りする心配がある。70歳は私的な年金貯蓄を年金に切り替える期限でもあるし、ある意味で「70歳」が年金の新しいキーワードになりつつあるのかな。横道に逸れて道に迷うヒマはないのだ。ワタシも本格的に「老後の生活設計」をしなければならない時がすぐ目の前に迫ってきたと言うことで、じっくりと考えて、申請を出す来年の夏までにはどうするか結論を出さなければならない節目の問題。でもまあ、まだ半年以上あるから、とりあえずは仕事、仕事だけど・・・。

年金の話が老後の人生設計の話に

11月8日。火曜日。目が覚めたら何となく薄暗い。今日もまた雨模様か。カレシはまたまた早起き。きのうはまたヘンな時間にテレビの前で眠り込んで、真夜中近くにランチだよ!起こしたのに、ぐずぐず。こっちは仕事中だから、のんきに待っていられない。さっさと(イカのゲソのしょうが揚げ)を食べ始めたら、もそもそとキッチンに現れてワタシの目の前でトドのような大あくび。(そんなに大きなあくびばっかりしていたら、今に顎がはずれるってば・・・。)

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは仕事。気持の隅っこで年金のことを考えながらやっているもので、何だか進み具合が良くない。特に、カレシが「65歳ですぐにもらわないで70歳まで待った方が、5年間の金利とか考えたら有利じゃないの?」なんて(頼まれもしない)アドバイスをよこすから、よけいに仕事と年金と老後の設計が重なってしまって始末が悪い。何で?65歳で引退して70歳まで無収入で過ごせというの?それとも、70歳までこのままフルタイムで働き続けろっていうの?どっち?もちろん年金受給開始を遅らせればもらえる額はぐんと増える。でも、追加年金という制度ができたので、年金をもらいながら仕事を減らして払い込みを続ければ、結果はさして違わないんじゃないのかなあ。選択肢が増えた分、検討することが増えてめんどうな気もするけど。

まあ、60才を過ぎれば、誰しも人生があと何年残っているのか気になって来ると思う。アナタはつまらない火遊びにのめり込んだおかげで、60才にもならないのにいつも文句ばかりの職場から解雇同然に退職させられたけど、それから10年毎日やりたいことをやっていられた隠居暮らしに関しては後悔してないでしょ?65歳になって組合年金に公的年金が2つ加わって経済的に潤沢だし、 女房はまだバリバリの現役で稼いでいるし、傍目に見ても「楽隠居」といわれるいいご身分だと思うな。だから、ワタシも毎日やりたいことをやって暮らしたいと思うわけなんだけど。ひょっとして、ワタシが仕事をやめたら自分の存在理由がなくなってしまうとでも思ってる?前にもはっきり言ったけど、ワタシは「専業主婦」にはならないつもり。だって、長い間働いて来てそれではまるで再就職するようなもので、そんなの真っ平ごめんだから・・・。

引退はあくまで仕事からの引退。それまでお金を稼ぐこと(仕事)に費やしていた時間は、ワタシもアナタと同じく自分がやりたいことに振り向けるつもりでいる。でもまあ、年金問題は、ワタシにとっては単にいくらもらえるかという金額の多寡の問題じゃなくて、「老後」という残りの人生をどんな風に生きたいかという、soul-searching(つまり、徹底的な自己分析)が最重要不可欠の人生の根本問題のように思える。カレシがワタシの分析と結論の舵を取りたそうな素振りを見せるのは、ワタシが自分には与えられなかった自己決定の機会を持つということへのある種の危機感から来るのかもしれないな。専業主婦への「再就職」はないと言っているだけで、「結婚」からも引退するって言っているわけじゃないんだけどなあ・・・。

それにしてもまあ、人間、年を取るほどに男と女の精神的な成長度の違いが顕著になって来るものなのかな。特に共に「仕事」という公共の場を離れたときに、その差が加速的に開き出すのではないかという印象もある。1日。24時間のほぼすべてが自分の可処分時間になったとき、長い間常に仕事と家庭の諸々の雑事をやりくりして来た女と、仕事以外ではその長い間をおんぶに抱っこの酔生夢死で過ごして来た男とでは、人生力というものに大きな格差ができてしまっているような感じもするな。だから女性の方が長生きするんだろうか。やもめになった男は長生きしないそうけど、未亡人になった女性は生き生きと輝き出す人が多いというしなあ・・・。

寿命を考えたとき、ボストンの草分け時代の埋葬地にあった小さい墓標を思い出した。[写真]

子供2人を一緒に埋葬したものらしく、左側は「ジョサイア・スミス、享年1歳と約1ヵ月」、右側は「ナサニエル・スミス、享年3歳と約7ヵ月」、共に1721年11月13日。死去。何かの事故があったのかな?疫病が流行していたのかな?かわいい盛りだったであろう幼い子供2人を同じ日に亡くした両親の悲しみは計り知れないものだったろうな。墓標の保存状態の良さから見て、きっと短い人生を愛されて生きた子供たちだったんだろう。出産で命を落としたのか、まだ年若い妻
たちの墓標もたくさんあった。ワタシは西洋の墓地で墓碑銘を読んでは、長寿を全うした人、若くして世を去った人たちがどんな人生を送ったのかと想像してみるの好き。それを自分の来し方に重ねて、今の自分が徐々に年を取りながらも生きていて、こうして「老後はどんな風に生きようか」と夢を描けることに「天の恵み」を感じる。未来にタイムスリップしてワタシの墓標を見つけたら、「稀代の極楽とんぼであった」なんて墓碑銘が刻まれているかも・・・。

あのさあ、カレシ、2人して年を重ねるこれからは、偕老の契りでやってみることにしない?[写真: 2人の影]

一瞬のボケをシニア・モーメントという

11月9日。水曜日。起床午前11時10分。カレシは今日も早起き。今日はお掃除日だし、ワタシは1時20分に歯医者の予約があるから、ささっと朝食を済ませる。「けさのコーヒー、何だか水っぽいねえ」とカレシ。そういえばあの24時間営業のファミリーレストランの味だなあ。どうして?「袋の底のコーヒーだから香りが抜けたのかも」と、コーヒーを入れるのが担当のカレシ。まっさかぁ~。目分量でコーヒーを少なく量ったんじゃないのかなあ・・・。

正午を過ぎて、シーラとヴァルが来たので、ボストンのおみやげを渡して、おしゃべりしていたら、カレシが「メールを送れない!」と言って来た。サーバーがダウンしてるんじゃないの?「ネットにはつながるのに、いくら送信ボタンをクリックしてもメールが出て行かない」。しょうがないから、どれどれといっしょにオフィスに下りて行って、まずメーラーをチェック。ほんとに「送信」をクリックしてもメールは送信箱から出て行かない。あれ?と思ってちらっと横のルータを見たら、ライトが1個もついていない。(カレシはなぜかよくルータの電源をオフにする。)メールを送れるわけがないでしょうが、アナタ。接続していないんだから。「なんだ、そうか」と、スイッチを入れながらばつの悪そうなカレシ。ま、一瞬ボケする、いわゆる「シニア・モーメント」と言うやつだな。

午後1時過ぎ、エコーのバッテリは上がったままなので、トラックで歯医者まで送ってもらう。イン先生の報告書を読んだウー先生がワタシの舌を引っ張り出して、「赤みがだいぶ落ち着いたね。これからはちゃんと少なくとも9ヵ月ごとに歯の掃除をしなきゃね」。なんだか、このあたりに歯科業界の陰謀が隠れていたりして・・・。ま、歯も健康管理の一部だから、いつまでも自分の歯でおいしいものを食べられるように、せいぜいまじめに掃除をしてもらいに来るか。新しい歯科衛生士が歯垢を落として、磨きをかけて、「フッ素は、ミントとラズベリーのどっちがいいですか」。昔はイチゴとかバニラもあったけど、チョコレート味がないのはどうしてかな。ミントを選んだら、小さな紙コップに入ったミント味の液体を渡されて、それを1分間口の中でくちゅくちゅ回してやる。ひと昔はどろっとしたものを入れた入れ歯みたいなものを上下の歯にはめられて1分間だったから、進歩したと言えるかな。1分が経ったら紙コップにペット吐き出して、歯ブラシとデンタルフロスと歯磨きのサンプルをもらって、今日はおしまい。やっぱりなんだかさっぱりした気分・・・。

カレシのタクシーサービスを呼んで、バス停のベンチに座って待っている間、ぼんやりと辺りを眺めて過ごす。今日はコンタクトレンズを入れていないから、0.008の視力では世間はまさにぼんやり。交通信号は菊の花のようだし、信号で止まった車のテールライトはまるで花火大会の総花のよう。建物や街路樹は二重、三重に絡んだ抽象的モチーフ。これが、角膜に異常を持って生まれて来たワタシがコンタクトレンズを入れるまでの30年間、見続けてきた「世界」なんだと思う。細かいところまではっきりと見えないから、色と形と線の動きで自分の周りの世界を「こういうもの」と判断して来たのかもしれない。それで、具象画が苦手なんだろうな。なにしろワタシの目は具象的なイメージを正常な目が見るようには見ていなかったんだから。ベンチに座って、地面に届かない足をぶらぶらさせながら、ワタシはワタシの目にだけ見える「抽象画」を眺めていた・・・。

カレシのタクシーサービスで帰ってきて、ちょっとした仕事を済ませた後、今日の夕食は(食材を出すのを忘れていたので)速攻で解凍したサーモンとビンナガの刺身と松茸ご飯。つい買ってしまった松茸はたぶん今年最後のものかな。100グラムあたり1400円くらい。全体的に小ぶりで、香りも最盛期ほどではないけど、2本ほどスライスして、イタリア系のカルナロリ米で炊き込んでみたら、もっちりとしたご飯が松茸の香りと柚子の味を吸っていい味だった。松茸のとびん蒸しのレシピをひねってリゾットを作れないかなあと、つらつら考えるワタシ。おいしいものを食べて幸せな気分になっていられる限りはボケることはない。ときたまの一瞬ボケはあるけど・・・。

絶対にばれないと思って嘘をつくのか

11月10日。木曜日。目覚めは午前11時過ぎ。ゆうべはカレシが居眠りをせずにがんばって、午前2時に先にベッドに入ってしまったので、ワタシも仕上げるつもりでいた仕事を3時前に切り上げた。カレシはすでに高いびき。そのままぐっすり眠ったそうで、今日は爽快な気分とか。へえ・・・。ま、ワタシもかなりよく眠れたので、すっきりした気分でやり残した仕事をと仕上げる意気込みたっぷりで起きた。ところが、カレシが「トーストするパンがない」と。きのう焼くつもりだったのがケロッと忘れたとか。しょうがないから、シャンテレルと平茸としめじでオムレツを作って、カイザーロールに挟んだら、えらく気に入った様子・・・。

だけど、ワタシが仕事を始めるやいなや、「ジャンパーケーブルがどこにあるか知らない?」とか、「エコーのラジオをオフにできない」とか、うるさい。アナタがどこかにしまったものをワタシが覚えているわけがないでしょうがっ!それに、探すのを手伝いたくても4時までに納品しなければならない仕事があるし、目の調子が悪いからコンタクトをしていないし。ま、カレシはマニュアルを読んだりして、カレシなりに努力をしたけど、とうとう諦めて「トヨタのロードサービスの番号は?」と聞いてきた。ああ、やれやれ。最長7年のサービスパッケージを買ったのは正解だったな。来年の8月まで、バッテリの充電やら、動かない車の牽引は「ただ」。よく考えたら、このパッケージ、とっくに元を取っておつりが来ているかも。

でも、買っておいたライターに差し込む小型の充電器がエコーでは機能せず、トラックでは機能したというのはおもしろい。エコーの場合はラジオをオフにできなかったためらしいけど、たぶん、実用性が求められる小型トラックとファッション性もある乗用車では、装備するアクセサリにもかなりの違いがあるんだろうな。電話してから40分後にサービスのトラックが来て、数秒でエコーはエンジンスタート。しばらくアイドリングさせておいて、カレシはひとりで「ドライブ」に出かけた。ワタシはその間に仕事を片付けてしまう。雑音が入らなくなって、思考の流れはすいすい。デスク周りをちょっと配置換えしたおかげで、画面の距離は鼻先25センチ。拡大せずに100%のスケールでもかなり無理なく文字を判読できるから、鼻歌が出そうな楽々気分。

仕事を納品した頃にカレシが「調子は上々だよ」と(今泣いた何とかさんのごとく)機嫌よく帰ってきて夕食。この頃はオリンパス事件を中心に日本が会話の軸になることが多い。カレシは州の証券取引委員会で当時は海千山千のバンクーバー証券取引所への上場審査をやっていたから、オリンパスがエリート企業の高嶺から転げ落ちた経緯に少なからぬ関心を持っていて、ワタシはニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナル、ロイターズといったサイトに載る記事を見つけては印刷して渡している。それが今のところ我が家の「食卓の話題」になっているわけで、マティニとワインの酔いも手伝ってか、エンロン事件まで持ち出して話が弾む。

ワタシは、組織の性格はその構成員の平均的性格の集合体であるという持論に立って、企業といえども人間が営むものであれば、その企業を形成する人間集団の性格を反映していると思っているから、オリンパス事件は「日本」そのものの縮図に見える。必定、日本の社会や文化、人間関係にも触れることになるけど、過去の体験に根ざした偏見があるワタシの口からは(バブル時代の太鼓持ちのような)日本礼賛論は出て来ない。それで、これまではむきになって反駁のための反駁攻撃をしかけて来ることが多かったのに、ここのところは「なるほどなあ」とか「そうかもしれないなあ」と、どういう風の吹き回しか反駁して来ないから、会話は盛り上がっても議論はのれんに腕押しの感じで、何だか気が抜けてしまうな。

カレシの考えが変わって来たのか、戦術を変えたのかはわからないけど、「ばれないと思っていたのかなあ」と言うカレシに、ワタシは「アナタはばれないと思っていたの?」と聞いてみたいような、イジワルな気持になる。どうなんだろうなあ。ほんとにばれっこないと思って嘘をついたり、不正をしたりするのかな。それとも、ばれるかもしれないとは考えてもみないのか。「悪いことは
一切していない」と胸を張っておいて、後になって「実は・・・」と認めるのはサマにならないと思うんだけど、そのときは「一時の恥をしのんで」頭を下げて謝ればそれで免罪になると考えているのかなあ。どうなんだろう・・・?


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