生まれ変わったら、またこの人と一緒になる?
11月11日。金曜日。くたびれたと言って午前2時に早々と寝てしまったカレシは今日も早起き。ワタシはいつもの3時過ぎに「営業終了」して、Miss Mappの本を読みながら、ブリーを肴にちょこっとレミで寝酒をしてから就寝。普通に午前11時半に目が覚めて起きた。キッチンに下りて行ったら、いきなり「腹減った~」とカレシ。8時過ぎに目が覚めて、9時までがんばったけど眠れずに起きてしまったそうで、「どうしても東部時間が抜けないんだよ~」。ええ?たった1週間いただけで、しかも帰って来てもう2週間近く経つのに?ま、きのうデイヴィッドが電話して来て、金曜日にトロントを発って月曜日にバンクーバーに着くということだったので、2人して東部時間で寝起きするのもいいかもね。もっとも、4000キロ以上を3日。かけて旅して来たら、時差ぼけなんか全然関係ないだろうと思うけど。
ボストンから帰ったばかりでバンクーバーへ長旅をするというのはすごい。でも、カレシの見るところでは、大学時代からのエンジニア仲間の集まりがあると言うのはたぶん口実。「あいつ、家にいてもすることがないんだろうな」と。ワタシと同じ誕生日のデイヴィッドは2つ年下だから今年61歳。同い年のジュディと結婚したのはワタシがカナダに来た年。会うたびに、何かイマイチかみ合っていない夫婦を感じることが多い。デイヴィッドが些細なことで切れては怒鳴り散らして、ジュディが周囲から離婚を勧められていた時期もあったというから、かみ合わないままになっているのかもしれないけど、ジュディには何らかの発達障害があるのではと思わせるところも多い。ある意味、「外向的自閉症」があったのではないと思われる今は亡きカレシ(とデイヴィッド)のパパとそっくりで、音楽専攻で大学を出ているし、お人よしと言われるくらい気立てのいい人なんだけど、誰と話しても話題をすべてそのときに関心のあることに結び付けるので、なかなか会話がかみ合わないことが多い。無関係の(それもみんなが暗記しているくらい何十回と聞かされている)話題で唐突に人の会話に割り込むくせがあったカレシのパパと違って、ジュディはその場の会話に参加しようという努力をしているのがわかるんだけどなあ。
旅先で4人で連れ立って歩いていても、足の速いワタシたちはどんどん先に進み、膝の関節炎を患っているデイヴィッドは少し遅れ、ジュディはさらに遅れるので、ワタシたちはどっちへ行くかを決めるような交差点で2人が追いつくのを待つんだけど、2丁も3丁も遅れたジュディは、3人が待っていても足を速めるでもなく、ウィンドウを覗くわけでもなく、ひたすらマイペースで歩いて来る。ワタシはその数分を利用してきょろきょろと周りを観察したり、写真を撮ったりするんだけど、待つのが苦手なカレシは「みんなが待っているのを知っていて何で早く追いつこうとしないんだ」とイライラする。(でも、ワタシとモールへショッピングに行ったときは、ワタシがそれほどペースを落としていなくてもちゃんと並んで歩いていたけどなあ。)ま、今はキリスト教史の勉強をしていて、デイヴィッドが「のめり込みすぎ」と言うくらい、思考のすべてがそれを中心に回っているらしいので、引退して手持ち無沙汰のデイヴィッドは辟易して「バンクーバーに行って来る」という気分になったのかもしれない。夫婦って、ほんとに十組いれば十組がそれぞれの形を持っていて、たとえ仲の良い親族であっても、その真の姿は見えないものなんだと思う。
日本はすでに週末だし、こっちは戦死者追悼の日で三連休なので、今日はワタシも休みということにして、小町横町に散歩に出かけたら、『生まれ変わったら、また今の夫(妻)と一緒になりたいですか?』と言うトピックを見つけて、おもしろそうなので覗いてみた。300本近い書き込みがあって、「絶対に嫌!」というのから「絶対にまた!」というのまでいろいろあって、ヒマだからと統計を取ってみたら、「Yes」が43%、「No」が57%だった。数少ない男性の書き込みはほとんどが「Yes」。ま、結婚に関しては男の方が妙にロマンチックなイメージを抱いていたりするから。「No」陣営は、道ですれ違うのも嫌だと言う人もいれば、義両親が付属していなければいいかもという人、違う人生を歩いてみたいからと言う人、そもそも結婚なんてしたくないと言う人がいる。結婚1年でもう「絶対に嫌」と言っている人もいれば、30年も一緒に暮らしてきて「来世はまっぴらごめん」と言う人もいる。相手が知ってか知らずか、特に今の夫が嫌いなわけではないけど、もうおなかいっぱいなので次は違う人、と言う猛者?もいるからすごい。
まあ、結婚に至った流れや目的、結婚した動機や期待感もそれぞれに違うだろうから当然なんだけど、夫婦の絆や形はほんとにいろいろだな。夕食のテーブルの向こうにいるカレシを見ながら、ワタシだったらどうするか考えてみた。どうするかなあ。地獄も見たけど、幸せだと思うことも多かったし、今は四六時中一緒にいてけっこう楽しいしなあと考えながら、ゆうべWhole Foodsへ行って、商品に鼻をくっけるようにラベルを読んでいたら、同じ品物を取って読み上げてくれた男性のことを思い出した。コンタクトを入れていないのでよく見えないと説明したら「それは大変だろうね」と。でも行き交う男性がみんなハンサムに見えるという利点もあるのよと言ったら、その人は「うれしいことを言ってくれるね」と楽しそうに笑った。そうだなあ、テーブルの向こうにいるカレシも38年前の夏に初めて対面したときと同じくらいにハンサムに見える。いや、細部がすっかりぼやけているもので、あのときよりもずっとハンサムに見えるような気もするな。
で、生まれ変わったらどうするか。う~ん、やっぱりカレシと一緒になりたいかなあ。この36年半の間にいろいろとあって、カレシのいろいろなところがわかったし、自分のいろいろなところもわかったから、もう割れ鍋に綴じ蓋のようなものなのかな。生まれ変わったら、前世のことを何か遠い太古の記憶のように漠然と覚えていて、「自分」を危うくするようなことはしないと思うし、また出会って一緒になったら、ずっといい関係になれそうな気がするんだけど、まあ、コンタクトをしていなければ、あばたもえくぼも同じに見えるし、小さなあばたなんか全然見えないしなあ・・・。
TPP、パートナーシップと言えば聞こえがいいけれど
11月12日。土曜日。雨模様。きのうの午後はかなり強烈な寒冷前線が接近していて、夜遅くにはワタシたちの頭上を通過するような予報だったけど、どうも知らないうちに来て、さっさと通り過ぎてしまったらしい。ニュースでも大木が倒れた、雹が降った、フェリーが遅れたと、海峡の向こうのバンクーバー島を中心にあちこちで被害が出た模様。川向こうのリッチモンドでは停電もあったそうだから、かなりの強風だっただろうに、2人ともまったく気づかないままだった。となりのバーナビーの高台バーナビーマウンテンでは雪が降ったそうだし、入り江の向こうのサイプレスマウンテンのスキー場にはどかんと雪が降って、この週末に早々とスキー場開きをするらしい。やっぱり、この冬は荒れるのかなあ・・・。
今日は仕事の手をちょっと緩めて、いつまでもつかわからない古い電子辞書の科学用語辞典から、これはという用語を拾い出して、エクセル形式の用語集に入力する作業を始めた。翻訳者にとって用語集は命。ワタシも20年ちょっとのキャリアで蓄積して来たものがあるんだけど、何でも屋なもので分野ごとの用語集があって、エクセルのファイルに『科学用語集』ならシートを「気候変動」、「環境・気象」、「バイオ」、「地球」、「森林」、「化学」、「医薬」、「医学」、「心理学」、「臨床試験」、「分析法・機器」、「物理」、「天文」、「統計・数学」、「略語」と分けてあり、『ビジネス用語集』では「ビジネス一般」、「証券」、「税務」、「法律名」、「法律用語」、「政府機関」、「政治用語」、「制度」、「条約」、「特許」、「略語」、『産業用語集』では「企業名」、「製造用語」、「工学用語」、「品質管理」、「林業」、「鉱業」、「漁業」、「農業」、「基準・規格」のシートがあり、さらには生物の学名を集めた『生物分類』や訳例を集めたファイルもある。他にもまだどこにも整理していない用語集がたくさんあって、開くたびにいつも整理しなきゃなあと思っていた。今どきはネットでググればたいていの用語は見つかるんだけど、紙の辞書をひっくり返して調べていた癖が抜けないのか、やっぱり自分なりに整理した用語集のほうが使いやすい。
まあ、新しい発見や技術や事象があるたびに「用語」が増えるわけで、何でも屋には追いつくのが大変だけど、調べたときに記録しておかないと、後で再登場したときにまた探すのにひと苦労したりする。でも、いざ整理を始めてみると、人間というのはほんっとに言葉数が多いなあと思ってしまうな。それもずらりと並んでいるのはどれも「知識」であって「知恵」ではないような感じがする。つまり、たまたま翻訳業なんて商売に足を突っ込んだから持っていなければならない「在庫」なわけで、早い話が商品を作るための「部品」。これだけたくさんあっても、たいていの人はその99%を知らなくたって支障なく普通に生きて行ける。ワタシだって、翻訳業から足を洗ったら不要になって、やがては99%が忘却の彼方ということになるんだろうな。言葉、たかが人間の道具、されど言葉・・・。
今ハワイで開かれているAPECの会合でTPPが議題のひとつになっている。日本が参加を表明したけど、日本の総理大臣が「すべての物品やサービスを対象にする」と言った、言わないでもうアメリカと日本で話が食い違っているから、何だか前途多難そう。まあ、「すべて」と言ったら、今7百何十パーセントだかの極端な関税をかけているコメも自由貿易の品目になるわけで、日本人の日本のコメへの思い入れを考えると政権の命取りになるだろうな。日本国内ではTPP参加への反対が強いようだけど、アメリカ国内でも日本参加に反対する声がけっこうある。日本の参加でTPP交渉の先行きが不透明になったという記事もあった。どうせまたGATTのときと同じようにあれこれと例外を認めてくれとダダをこねるんだろうからと言う理由だったな。
ちなみにこのTPP、カナダは参加していない。わずか2万戸ほどの酪農家と養鶏農家を高関税で保護しているのはけしからんと、アメリカとニュージーランドが反対しているとかで、招かれてさえいない。でも、カナダ政府は「TPPがカナダにとって良いことかどうかまだ見極めていないから」と、慌てず騒がずの態度でいる。もちろん、参加しないと取り残されるとせっつく業界や団体も多いけど、ま、TPPはどう見てもオバマ政権のなりふり構わぬ「雇用創出策」の一環のような感じだし、何よりもカナダは北米自由貿易協定(NAFTA)の下でアメリカの「横暴」にさんざん手を焼いて来た経緯があるから、ここは外野席でもよう眺めをしている方が賢明かもしれない。
日本では、TPPに参加したら日本人は日本のコメを食べられなくなるとか、アメリカ式の医療になるとか、外国(アジア)人がどっと流入して来て犯罪が増えるとか、心配性の日本人の不安を掻き立てるような反対論を展開している人もいるらしいけど、あんがい交渉で日本の聖域を主張して例外を認めろと声高に要求すれば、TPPの成立が困難に・・・なんてことにならないとも限らないから、感情的に反対、反対と叫ぶよりも、外交ゲームだと思って攻略の戦術を練った方がいいと思う。外交というのは人間関係の延長だと思うけど、友だちづきあいじゃなくて、いわば「営業」。営業マンはウザったい相手だから距離を置くとか、疎遠にするとか、絶縁するとか言ってはいられないでしょうが。
ワタシの用語集に「TPP用語」のシートを作らないで済めばいいけどなあ。わけのわからない交渉用語でいっぱいになりそうだから・・・。
定年退職した男には7人の敵より1人の友だち
11月13日。日曜日。ぱっとしない天気だけど、普通に近い時間に起きた。カレシの睡眠パターンの乱調には困ったものだけど、小学生の夏休みキャンプじゃないんだから、同じ時間に寝て同じ時間に起きなければならない理由はないか。カレシはワタシが起きるのを待っていてくれて、いっしょに朝食をするし、ま、互いに差し障りがない限りは、起きてから寝るまでの間に一緒に「生活」を共にする時間さえ十分にあればいいんじゃないのかな。要は、量より質・・・。
朝食が終わって、夕食の算段をして、重い道具を担いで絵のワークショップへ。コンタクトなしの目でちょびちょび手を入れて来たカラーの花の絵を先生に見せて、ずいぶんフタロブルーを使ったんですけど~と言ったら、「ちゃんと見えている。今度は奥行きを出すのにライムグリーンで葉をほのめかすように入れてみて。メディアム(展色剤)を使ってね。それから、花の陰影はピンクが強すぎるので、ちょっと黄色を入れた白でぼかしてトーンダウンしてみて」とアドバイス。う~ん、ほのめかすって言ってもなあ。要は、葉っぱとはわからないけど何となくそれらしくってことかな、と勝手に決め込んで、少し明るいグリーンを作って、メディアムを混ぜて、しゅっ、しゅっ。こういうときは両手利きは便利なもので、一方の手で絵の具を塗っては、別の手で濡らしていない絵筆で擦って行くと、けっこううまくぼかしになる。小学校のときは「両手はダメ。ちゃん右手で描きなさい!」と子供心にうんざりするほど言われたけど、ま、日本工業規格の権威はカナダまで及ばないから安心して両手に筆・・・。
帰ってきて、夕食を作って、カレシが午後の間何をして、何がうまく行ったかを聞きながら食べる。ニュースではカナダとメキシコがTPP参加を決めたと言っていた。「オバマ大統領のたっての要請で」なんて言ってる。へえ。カナダとメキシコとアメリカはとっくの昔に自由貿易協定(NAFTA)を結んでいるから、ある意味で勝手を知っているというところかな。さっそく日本が「どうだ、手を組んでアメリカに例外条項を認めさせようじゃないか」とそそのかしているらしい。個々の品目に例外を認めたら、自由貿易とは言えないけどな。いうなれば「今よりはもうちょっと自由な貿易」かも。EUのように労働力の移動が自由になると喜んでいる日本人もいるらしいけど、好きなだけカナダにいて、好きなように働けると思っているのかもしれない。あんまり期待しないほうがいいような気がするけどな。(最近は落ちこぼれ組が多いみたいだから、期待しない方がいいのはカナダの方かもしれないけど。)それにしても、オバマ君、来年は大統領選挙の年だから、必死という感じだな。これから1年、交渉がどんな風に展開するか楽しみな気がする。
8時過ぎにとなりのパットがやって来た。先週12年物のアイリッシュウィスキー(ジェイミソン)を買ったので、カレシが一杯やりに来ないかと誘ってあった。(パットはアイルランド系。)スコッチとアイリッシュウィスキーでは製法が違っていて、後者はモルトがピートの煙に直接触れないので、何ともいえないまろやかな甘さがある。ワタシとしてはシングルモルトのスコッチの方が好みだけど、たまにはアイリッシュもいい。男同士のおしゃべりを始めた2人におつまみを出して、ワタシはちょこっと仕事をしたり、ときどき首を突っ込んだり。おつまみがなくなったら、野菜チップを出し、夜も更けてきたところで、ニラをたっぷり入れたチヂミを作ってひと口サイズに切り分けて出し、自分の分を(グラスと一緒に)持ってオフィスに下りてまた仕事。(チヂミのたれは生地に混ぜ込んでおいた。)でも、グラスを片手にキーを叩いているワタシも、かなり出上がって来ているような感じだけど、いいのかなあ・・・。
カレシとパットは年が近いし、商学部と工学部の違いはあっても同じ大学を出ているし、性格がわりと似ていたりするので、人付き合いが苦手らしいカレシもパットとはウマが合うらしい。最近来た雑誌のどれだったかに、男性は出世競争をしているうちに若い頃の友だちがどんどんいなくなり、定年になって引退する頃には友達と呼べるつきあいがほとんどなくて、孤独感からうつ病になる危険が大きいと言う記事があったから、きっとそれを読んで「気をつけないといかん」と思ったのかな。男は外へ出たら7人の敵がいると言うけど、いったん社会に出たらそれまでの友だち付き合いをそのまま継続するのは難しいのかもしれないな。大学の仲間なら競争相手になり得るし、十代の頃の悪友仲間なら、その後の人生に差ができているかもしれないでも、定年退職したら7人の敵もどこへやらだろうに、どうしてわざわざ人生をめんどうにするのかと思うけど、男ってのはそれだけ孤独な存在なのかなあ。
雑誌に記事によると、年を取って引退した女性は趣味やボランティアなどに行け行けのエネルギッシュな勢い乗る人多いのに対して、男は概してテレビの前のソファでへた~っとなってしまうことが多いらしい。仕事が忙しいとか、男子何とかと言って家庭に参画して来なかったのなら、手持ち無沙汰の濡れ落ち葉になるのも当然かも。男もふだんから仕事やキャリアとは別に交友の輪を広げておくべきということだけど、夫婦の老後のライフスタイルにすれ違いが大きくなると、男は浮気に走り、女は離婚へ進むんだそうな。どうやら、男と女ではそもそも「交友」のコンセプトからしてどえらい違いがあるってことかなあ。やれやれ、男って、んっとにもう・・・。
鉄道の旅は楽しいけど3日半は長い
11月14日。月曜日。この2、3日。はカレシに釣られて少し(というよりはかなり)早く寝ているもので、当然目が覚めるのも早くなって、結局は起きるのも早くなってしまった。それで、今日は午前10時半。ま、日本時間の朝一番(今日の午後)が納期になっている仕事があるから、早起きも悪くはないかな。余裕でやれるし・・・。
先週Via Railでトロントを出たデイヴィッドは、今日バンクーバーに着いたはずなんだけど、まだ連絡がない。カレシは金曜日に出ると聞いたと言っているけど、バンクーバー行は火曜、木曜、土曜の週3便しかないから、木曜日に乗っていれば今日の朝10時前到着ということになるけど、今回は郊外のジムの家に泊まることになっているから、レンタカーを借りて直接そっちへ行ったのかもしれないな。それにしても、いくら運賃無料で、乗り換えなしだといっても、3日。半(シベリア横断鉄道の半分の約4500キロ、所要時間は3日。と11時間・・・)は長いだろうなあ。始発駅のトロントと終着駅のバンクーバーの間には、降りる人がいるときだけ止まる駅を含めて停車駅が何と65もある。特にプレーリーを走る2日。目は、「今は山中、今は浜」なんてものじゃなくて、行けども行けども、果てしなく小麦畑(畑と言う感覚ではないかもしれないな)だったり、大草原だったりするだろうな。オンタリオ州もマニトバ州も高いところで標高千メートル以下だし、次のサスカチュワン州も西側のアルバータ州との境まで行ってやっと一番高い1400メートルちょっとの「山」があるそうで、それまでは地球のスケールで見たらぺっちゃんこのまっ平ら・・・。
先月ボストンに行った帰りに、トロント経由でモントリオールまで飛んで、Via Railでトロントまで帰って来た。オンタリオ州やケベック州は人口もかなり集中しているから、「鉄道網」と言っても良さそうなものはある。モントリオール中央駅は、駅の部分そのものはダサいけど、小さくても東京駅と比べられそうなおしゃれな食べもの屋が並ぶコンコースがつながっていた。
[写真:モントリオール中央駅時刻表]
時刻表はフランス語が先。モントリオールはどこもフランス語最優先で、姪のスーザンのパートナー(フランス人移民二世で完全な英仏バイリンガル)が最近は「反英語」の風潮が強くなっていると言っていた。ちなみに、カナダでは英語とフランス語が公用語だけど、ケベック州だけはフランス語のみが公用語で、しかも英語の表示などの大きさや位置を取り締まる「言語警察」まがいのことまでやっているから、フランス語人口がほとんどいないのにあらゆる商品のラベルにフランス語を「押し付けられている」英語圏はおもしろくない。おかげで、ワタシは特に習ったことのないフランス語を読んで(見て)だいたいの趣旨を察することができるようになったけどな。単語もちらほらと覚えたし・・・。
モントリオールからトロントまでは5時間。Wi-Fiもあるし、ラップトップ用のAC電源もあるし、座席は飛行機よりも快適。車内では飲み物や食べ物のカートが行ったり来たり。カナダ版の駅弁とでも言った感じのランチは、ビールが2ドル、イタリアンサブマリンが6ドル。どれも値段は2ドルか6ドルのどっちかというからおもしろい。サンドウィッチには3種類のハムと3種類のチーズが挟まっていた。列車はどれだけのスピードなのか知らないけど、なぜか途中でよく止まって、「予定より早いので、待ち合わせのために○分停車しま~す」というアナウンスがある。しばらくすると反対方向へ行く列車がゴォ~っと通過して、ゆるゆると発車。Via Railを使い慣れているデイヴィッドが「いつも最低30分は遅れているのがフツーなのに、今日はヘンだなあ」と首を傾げていた。その日はハロウィーンだったから、そのせいじゃないのかなあ。
トロントのユニオン駅到着はみごとに定刻。プラットフォームは駅の地下にあって、狭いし、少々薄暗い。モントリオールでも地下にあって、狭かった。それで、地上部にある改札口は発車の時刻が近づくまで開かないのかも。降りて出口へ向かって歩いていると、ホームが低いので大きな車体が両側から迫って感じられる。何だか古いアメリカのサスペンス映画で見た駅の風景の感じがしないでもなかった。(アメリカのアムトラックの車体は二階建てだったので、もっと見上げるくらいに大きかった。)来年はジャパンレールパスを買って、日本列島を鉄道で旅したいね。のんびりと車窓の風景を眺められる鉄道の旅は楽しい。でも、3日。と11時間も乗り続けるのはやっぱり長いと思うなあ・・・。
国際学会が国際結婚の研究を始めた
11月15日。火曜日。午前3時ちょっと前に寝て、目が覚めたのは2人とも11時ちょっと前で、今日はカレシの英語教室の日なので、11時半に目覚ましをセットしてあったけど不要だった。外はすごく明るい。このくらい天気がいいと昼と夜の寒暖の差が大きくなる。夜の気温がぐっと下がったときに天気が崩れると雪になることもあるけど、市制選挙の投票日がある週末の天気予報には雪印マークだなあ・・・。
カレシを第1ラウンドに送り出して、モールへちょっと。郵便局へ行って、私書箱にたまった郵便物を引っ張り出す。そろそろクリスマス商戦なもので、カタログ攻勢がすごい。思いし、たいていは家の方にも送られてくるので持ち帰る意味がないから、モールのベンチに陣取って、裏表紙に印刷してあるワタシのアドレス(と、中の注文書にアドレスが印刷してあればその部分)を破りとって、受取人不明になったカタログの束はゴミ箱にどさっ。その足でカード屋へ行ってクリスマスカード選び。子供たちがサンタクロースと写真を撮るためのセット作りが始まっていた。あ~あ、今年もいつのまにかそういう季節か・・・。
家の郵便受けには『エコノミスト』の最新号が入っていた。「ベルルスコーニ退陣後のユーロ危機はどうなるか」。目次をざっと見渡したら、「国際」のセクションの「国際結婚」という見出しが目を引いた。「国際結婚」を「国籍が違うカップルの結婚」と定義した上で、100年前は、イギリス貴族がアメリカの成金富豪の娘を娶って資力の回復を図ったように、上級階級がするものだったのが、今では世界の最も顕著な社会的潮流のひとつになり、ここへ来てやっと国際人口学会による研究が始まったと言う話。政治家だけを見ても、フランスの大統領夫人はイタリア人、首相夫人はウェールズ人、ネルソン・マンデラの奥さんはモザンビーク人、デンマークの首相夫人はイギリス人で、アジアではスーチー女史もソニア・ガンジー女史も国際結婚の未亡人。
先進国だけでも少なくとも推定1千万組はいるそうで、雑多な人種がいて国籍者と外国籍者の区別がつけられない北米では「International marriage(国際結婚)」という表現は稀だけど、EUは国籍まで統一していないから、お隣の国の人と結婚したらやっぱり「国際」ってことになるな。でも、国際結婚はグローバル化を反映するものだけど、そのおかげで今度は「国際結婚」をどのように定義するかが(少なくとも人口統計学者には)難しくなって来ているらしい。たとえば、インドからカナダに移民してカナダ国籍になった人が母国インドからお嫁さんをもらった場合は、人種は同じでも「国際結婚」ということになるけど、もしも、たとえばフランス系カナダ人と結婚したら、人種は違っても国籍は同じなので「国際結婚」にはならない。つまり、カナダ国籍のワタシが何らかの理由でひとりになったと仮定して、もしも日本国籍の日本人男性と再婚したら「国際結婚」したことになるわけか。何だかいまいちピンと来ないけどなあ。
スイスは世界で4番目に国際結婚率の高い国なんだそうだけど、おもしろいことにドイツ語圏のスイス人は隣国ドイツの人と、フランス語圏の人はフランスの人と、イタリア語圏の人はイタリア人と国際結婚するんだそうな。このパターンはベルギー人の国際結婚でも同じで、フランダース語圏の人はオランダ人と、ワロン語圏の人はフランス人とそれぞれ結ばれるとか。ヨーロッパでの国際結婚には依然として「言葉の壁」が立ちはだかっていて、第2言語としての英語が普及してもそれは変わっていないらしいということだった。また、欧米では移住した結果として国際結婚が成立する傾向があるのに対して、アジアでは(経済的な理由で)「移住」するために国際結婚する傾向があるとか。(貧しい国の女性が豊かな国の男性に嫁ぐケース・・・。)
さらに、夫と妻の年令や教育水準などの差が同胞婚の夫婦と比べて大きいけれども、その差が大きいほど結婚は長続きする傾向があるそうで、理由を知るのは難しい。(同胞婚よりも双方が結婚の維持に努力をするからかもしれないし、あるいは貧しい国から来た若い妻たちが離婚するのは難しいと知って留まるからかもしれないし・・・。)いずれにしても、経済や教育水準の格差を背景とする搾取や虐待などといった問題はあるものの、国際結婚の持続率は平均よりも長く、夫の国に移住した外国人妻がその国で大きな役割を果たすようになることを示す証拠があるという話だった。(台湾では、台湾企業の対ベトナム投資が始まって以来ベトナム女性との国際結婚が急増したそうで、女性が結婚しても普通に働く台湾ではベトナム人妻が夫のビジネスを助けることも多いだろうと思うな。)
不思議なのは、日本人女性の国際結婚については、いわゆる欧米人(白人)との結婚についてはひと言も触れず、東京の女性が東南アジア人と結婚して、夫の国に住み着く「逆移住」や日本でアフリカ人と結婚するケースが増えている(推定3千人以上とか)という話が載っていたこと。まあ、経済的理由で欧米(豊かな国)に移住するために国際結婚するのではないことはたしかだし、離婚率は相当に高いと言われているから、世界のどの国際結婚のパターンとも一致しないということで、記事にならないと無視されたのかなあ・・・。
夫の上の空は生まれつきなんだそうで
11月16日。水曜日。雨模様。久しぶり?に2人揃っ普通の時間に起床。午前11時50分。カレシは一度も目を覚まさずにぐっすり眠れたとか。ワタシは、う~ん、何だかヘンな(と言うかシュールな)夢を見ていたような気がする。ヘンな夢はときどき見るんだけど、いつもよりヘンだったのは、夢の途中でカレシが姿を消さなかったことかなあ。消さないどころか、車がガンガン走っている道路を歩いていたワタシを一段高いところから手を伸ばして引っ張り揚げてくれた。ワタシの夢にカレシが登場するときは、いつの間にか姿を消していることが多かったから、これは由々しき「ヘン」だよなあ。ひょっとして、ワタシの精神性に由々しき変化が起きているとか・・・?
まっ、ワタシがワタシでいて、そのワタシと仲良くしていれば問題はなしだと思うから、ワタシの精神性もフツーに戻って、カレシがワタシの記憶装置からデフラグされなくなったってことかな。いや、デフラグされなくなったのか、できなくなったのか・・・そんなこと、わかるわけがない。ま、カレシが途中で消えない夢は目覚めがいいから、どっちでも問題はないってことでいいか。ワタシは一挙手一投足を見守ってくれる守護天使がいて、ワタシが知らないうちに危ない方へ進んでいれば、いつも「おいっ!」と声をかけてくれていると信じている。ま、いわしの頭も何とやらというけど、自信たっぷりにそんなのいらないと否定するからその存在が感じられないだけで、実際は、キリスト教も仏教も関係なく、誰にも遠くから見守っている守護天使がいると思う。だから、夢はある意味で眠っている間に守護天使から「注意喚起」の目的で送られて来るメッセージのようなものかもしれないな。夢って、ほんっとに不思議なものだな。
朝食後、嵐もようだと言うのにカレシは庭仕事用のつなぎに着替えて外へ。ワタシはその間に少し仕事を進めるつもりだったけど、何となくだらだら。年金の記録と改正のお知らせが来てからというもの、どうも仕事に身が入っていない気がする。年金の方は最終決定と受給手続きまでまだ一応10ヵ月はあるんだけど、1年以下になったと思うと何だか「そのとき」が迫って来たという感じがするな。ふと数えてみたら、結婚前に日本で勤めていた年数を含めると、再来年の「定年」までに通算40年以上働いたことになる。長いことがんばったワタシ、自分で背中をポンと叩いて、「ごくろうさん」と労ってあげていいかなあという気もするから、改正で増える選択肢に悩んでしまうんだけどな。
午後3時のポーチの気温は3度。郊外の高台では雪混じりの雨だそうな。外の歩道や家の雨どいの落ち葉を掃除したぞ~と入って来たカレシはずぶ濡れ。ドライヤーに入れてと渡されたつなぎは裾が泥んこ。ついでに洗った方がいいからと洗濯機に入れて水を入れ始めたら、「ポケットにティッシュが入ってる」と。洗濯場が雪模様になっては大変だから、引っ張り出してポケットを点検したら、何とガレージのドアのリモコンが出て来た。水に浸かる前だったから良かったけど、おいっ、何がティッシュだっ。ティッシュの方は別のポケットからリップクリームと一緒に大きな塊が出て来た。リップクリームが入ったままでドライヤーに入れたら、解けてえらいことになるじゃないのっ。やれやれ・・・。
でもまあ、とりあえずティッシュの吹雪は回避できたからいいかと思っていたら、今度はゲラゲラとひとり笑いしながら階段を上がってきた。「眼鏡が見つからなくてさ~」とゲラゲラ。それはいつものことだけどなあと思っていると、「どこにあったか当ててみろよ」とまたゲラゲラ。あのさ~と、じっとカレシの顔を見ているうちにワタシもゲラゲラ。頭のてっぺんの禿げているところに老眼鏡がちょこんと載っているじゃないの。あはは、いくらなんでも人間の目では頭のてっぺんは見えないよねえ。でも、何それが見つからないと騒いで家中を探し回ったあげくに灯台下暗しだったというのは、本人が「5歳のときからこうだった」というくらいの日常茶飯事。けさもある本が見つからないと家中を探し回っていて、発見魔のワタシも手伝おうかと本棚のあるリビングに行ったら、探していた本はカレシがいつも座っているリクライナーの横のテーブルの下。探していなくても「こんなところに本がある」と気がつきそうな状態だったんだけど、なぜかカレシの目には止まらない・・・。
ひとしきり2人してゲラゲラ笑っていたら、午後3時半過ぎにやっとデイヴィッドから電話があって、明日の午後に我が家に来て泊まるからよろしく、と。翌金曜日の午後にエンジニアの集まりに出てから、午後8時過ぎ発の列車で帰ると言う。トロントまでは3日。と13時間の旅(なぜ復路が2時間長くなるのかは不明)。往復に丸7日。かけて、滞在は到着日と出発日を含めてもたった5日。って、カレシと同じくご隠居さんの身なんだから、もっとゆっくりすればいいのにと思うけど、家にいたってもて余すぐらいにたっぷりと時間があるからいいのかな。カレシは明日は2人で古いコンピュータを解体することにしたと張り切っている。7つ違いのご隠居さん2人が頭をくっつけてコンピュータを壊している図を想像しておかしくなったけど、仲のいい兄弟ってのはいいもんだなあ。兄弟姉妹はいくつになっても兄弟姉妹であることに変わりはないんだものね。
人気レストランで非売品のボトルを売ってもらった
11月17日。木曜日。午前11時ちょっと過ぎに起床。外は明るかった。ちょうど朝食を終える頃にデイヴィッドから、ダウンタウンに出たのでこれから地下鉄で行くからと電話。荷物は大丈夫かと聞いたら、今回はバックパックひとつで来たとのこと。ま、どこへ行ってもレールの上を走る乗り物に乗りたがるのは、元国鉄OBの土木技師だけある。カレシはいそいそとめったに使わない工作室の片付けにかかって、デイヴィッドが到着したのは正午過ぎ。なるほど、旅慣れたバックパッカーみたいな出で立ち。キッチンでちょっとひと休みしていたと思うと、もうコンピュータの解体作業・・・。
そのうちに、我が家にない道具を買いに行くと言って、兄弟2人で出かけて行ったので、ワタシはその間にまじめに仕事を進めておく。2人が出かけた頃に雨が降り出した。気温はきのうよりはましな5度。仕事のカレンダーを見ると、時間的にちょっとばかり詰まって来ているから、あんまりのんびりしてはいられない。科学でもあまりやったことのない分野なので、参考になる論文や抄録を探しながらの作業だけど、だんだんにどういうことなのか(何となくだけど)イメージが出来てくると、内容がわかっておもしろくなる。おもしろくなって来ると調子が出てくるからしめたもので、2人が帰って来るまでには思った以上に捗っていた。酒屋へ寄って来たそうで、カレシが「うっかりしてアメリカドルのカードを使ってしまった」と告白。いつものカードは緑色、アメリカドルのカードは茶色。眼鏡を持っていなかったからというけど、やっぱりそういう違いまで注意が回らないんだなあ。まあ、今日はまたカナダドルのレートが下がったからいいかと思うけど・・・。
ディナーに出かけるまでのしばしの間、2人はまたコンピュータの解体。カレシが何年も使った古いものなので、よっぽど中は埃がびっしりなんだろう、何となく埃っぽい臭いが同じベースメントにあるオフィスのワタシのデスクまで漂ってくるからすごい。たった1台でこうだから、デスクトップがどのデスクにもある職場はあまり健康に良くないかもしれないなあ。シックビル症候群ならぬシックオフィス症候群なんてあったりして、技術革新はビジネスにはプラスかもしれなくても、人間の健康から見るとちょっと考えものかもしれないな。
ワタシたち2組の夫婦がつるんでどこかへ行くときは、食事などの払いは最終的に何となく帳尻が合っていそうなどんぶり勘定の「割り勘」になることが多い。たとえば、ボストンでのホテル代はワタシがアメリカドルのカードで2部屋分まとめて払い、ワタシたちのトロント→ボストン→モントリオールの飛行機代とモントリオールンホテル代は予約を受け持ったデイヴィッドが払った。通貨は違うけど、双方の頭の中ではだいたい「とんとん」というところ。実際に換算して、それぞれ合計してみたらどっちかが払い過ぎている可能性は大だけど、それはいつかどこかで帳消しになるだろうということで、いちいちレシートを見て計算したりしない。でも、今回はモントリオールでの家族ディナーをデイヴィッドがまとめて払ったから、今度はワタシたちがホストになる番、ということで、開店以来早く行ってみたいと思っていたHawksworthにディナーに行くことになった。
Hawksworthは前によく行ったWestのシェフだった人が改装・増築した老舗のホテル・ジョージアに自分の名前で開いたレストラン。Westは毎年バンクーバーのレストランでナンバーワンに選ばれていたのが、彼が去ってからじりじりとランクを落とし始め、シェフが2度交代しているのに対して、Hawksworthは「長く待たれていた」という形容詞がつくほどの好評。おりしも道路向かいの美術館前にはウォール街に始まった格差に抗議するテント村が出来て、どうやらドラッグパーティ村と化したようで(すでにドラッグ中毒による死者が出ている)、レストランの外は報道陣やら警備の警察、消防署でいっぱい。これではビジネスに差支えがあるんじゃないかと思ったけど、中に入れば盛況のようで、おしゃれな若いカップルも多く、「他に行くところがない」とテント村に居座ろうとする同世代の若者たちとは好対照だった。
さて、レストランが気に入るかどうかは、内装やサービスも要素だけど、やっぱり最終的には料理が決め手。ということで、ワタシたちの印象は「Westのランクが下がった理由がわかった」。やっぱり、シェフのデイヴィッド・ホークスワースはヨーロッパの星付きレストランのシェフと十分に肩を並べられそうな逸材だと思うな。食事が進んでサーバーと打ち解けたところで、カレシが店の名前とロゴがあるミネラルウォーターのびんをさして、「これ、買いたいんだけど」とおねだり。ちょっと困ったサーバーが上司に相談して、「数量限定で作らせているので売れないものですが、特別に25ドルでお持ち帰りOK」ということになった。(びんのキャップが古風なスプリング式の栓なので、たぶん製造元に戻して詰め直しをするんだろうと思うから、客の求めに応じて売っていたら、まとまった量のびんを作り足さなければならなくなるだろうな。)まあ、飲みかけの水のびんが25ドルというのはバカ高い買い物だけど、(何度目かの試みで)非売品を手に入れるのに成功したカレシは有頂天。おしゃれな黒い袋に入れてくれたびんをおみやげに、ホテルの外の歩道を埋めた消防士や警官をかき分けて、みぞれが降りしきる中を地下鉄でご帰館となったのだった。
みぞれはまだ降っている。Hawksworthのミネラルウォーターのびん、透明ですてきだし、クリスマスパーティでも開いて、炭酸水を入れて出したら話しの種になりそうだなあ・・・。
薬漬けで長生きしても楽しくなさそう・・・
11月18日。金曜日。午前11時に起きて外を見たら、日陰に薄っすらと雪が残っていた。ゆうべはバンクーバー市内でもちょっと高いところでは(ベタ雪ではあるけど)わりと本格的に降って積もったらしい。年末まではラニーニャが続くそうだから、ひょっとして今年はホワイトクリスマスになりそうかな。(過去の記録から計算した確率は11%ということだけど・・・。)ゆうべはカレシとデイヴィッドが午前2時過ぎまでスコッチをやりながら「大学教育」について議論をしていた。ワタシは1時過ぎに仕事を店じまいして「飲み会」に加わったけど、アルマニャックを傾けながらもっぱら拝聴。人が議論しているのを黙って聞いているのも楽しいもので、文系(商学部で経済学専攻)のカレシと理系(工学部で土木工学専攻)のデイヴィッドとでは、大学教育のあり方に関する視点がほぼ正反対なのがおもしろかった。
とっくに起きていた(寝床を片付けてくれていた)デイヴィッドが上がってきて、3人で朝食。デイヴィッドが薬の容器を持っていたので、成人病が話題になる。魚を主食するようになってからコレステロールは問題なし(血圧もかなり下がった)のカレシに対して、ひとつ年下のジムは高脂血症の上に糖尿病、7つ年下のデイヴィッドは膝の関節炎と睡眠時無呼吸症候群の上に高血圧症ということで、どちらも複数の処方薬を常用している。3人とも肥満体ではないんだけどな。そういえば、ジュディも何種類かの処方薬を持っていて、2人の家のキッチンカウンターに処方薬の容器がずらっと並んでいてびっくりしたっけ。(カレシの故パパも一体何種類の薬を飲んでいたんだか・・・。)ベビーブーム世代は健康意識が高くて、ジャンクフード依存の子供の世代より長生きしそうだという話を聞いたこともあるけど、あんがい何らかの処方薬を常用しているのが平均的な60代ということなのかなあ・・・。
まあ、テレビを見ていると、中高年をターゲットにしている薬のコマーシャルがけっこうあって、消炎鎮痛剤だったり、高脂血症の治療薬だったりする。処方箋の必要な薬だから、直接薬局で売られるものではないので、薬を飲んで元気いっぱい老後を楽しんでいる老人男女の姿を映して、「ドクターに相談しましょう」とやっている。で、それを見た人がさっそく医者に駆け込んで「あの薬を処方してくれ」ということもあるだろうな。そうでなくても、製薬業界の売り込み合戦のおかげかどうか、医者の方もかなり安易に薬を処方する傾向があると思うし、人気?の薬を飲んでいるとうれしそうに言う人もいるから、ある意味でファッション感覚なのかもしれない。まあ、成人病関係の治療薬はずっと飲み続ける性質のものがほとんどだから、処方箋が一枚書かれるたびにその先何年もの製薬会社の売上が保証されるようなもので、高齢化社会の医療費は膨らむばかりだし、何よりも薬漬けで長生きしてもあまりおもしろくなさそうな感じがするんだけど・・・。
カレシがエンジニアの会合に出る前に駅に荷物を預けると言うデイヴィッドを駅まで送って行って、つむじ風のような「帰省」は終わり。また「 get itchy feet」になったらいつでも来てね。(ジュディと一緒ならなおいいけど。)この、どこかへ行きたくて、旅に出たくて、うずうずと落ち着かない気分を「足がムズムズする」と表現するのはおもしろい。ワタシもときどき仕事を放り出して、どこかへぶらりと言ってみたいような気持になるけど、子供の頃にしもやけになったかかとが痒くて、痒くていても立ってもいられなかった感覚と何となく似ているような気がするな。いつも2人揃って隠居になったら、のんびり旅行したいねと話しているけど、年を取ってから旅を楽しもうとすれば、やっぱり健康と体力がものを言いそうだな。つまりは、普段の摂生の積み重ねしだいと言うことか。
うん、やっぱり70歳まで年金受給を延期するのはやめにしよう。いくら年金の額が43%も増えると言われたって、そのときになって毎日この病気にあの薬、こっちの病気にこの薬という状態になっていたら、旅の楽しみが激減するどころか毎日の生活の質も落ちてしまいそう。ここんところは、再来年65歳になったら年金をもらい始めて、健康や体力が衰えないうちにムズムズする足の向くままを楽しみ、仕事を今の半分くらいでぼちぼち続けて、ボケ防止を兼ねて新設の退職後追加給付(PRB)をもらうのが一番良さそうな気がして来た。薬漬けにならずに長生きするためにも、そうするか・・・。
市議会選挙と、ついでに食卓の話
11月19日。土曜日。外は明るいけど、最低気温はマイナスだったらしい。起床は午後12時過ぎ。なぜか朝食にベーコンとポテトと卵を予定している朝は2人とも目が覚めるのが遅いから不思議。いつものシリアルにトーストの朝食と違って調理する時間がかかるから、朝食が終わる頃にはもう午後1時半。ぐずぐずしているとすぐに日が暮れて来る・・・。
とりあえずやるべきことをやってしまおうと、市政選挙の投票に出かけた。投票所は4ブロック先のコミュニティセンター。受付で有権者カードを渡して、名簿の自分の名前のところにサインして、投票用紙をもらう。いつもながら市の選挙のは大きな紙に裏表に投票する項目があって、投票に時間がかかるから、テーブルの上に段ボールの囲いを置いた記入場所の数も他の選挙のときの何倍もの数がある。まずは、市長。これは候補者のリストから1人、フェルトペンで名前の横の丸を塗りつぶす。次は市議会。定員10人なので、ずらっと並んだリストから10人選ぶ。多すぎたら無効になるから、途中で塗りつぶした丸を数えながら10人。次に公園委員会。市の公園や市営ゴルフ場の運営を監督する機関で定員7人。これもひとつ、ふたつと数えながら7つの丸を塗りつぶす。最後の教育委員会(定員9人)も同様。有権者1人1票でないところがおもしろい。
ここまでが選挙で、次に投票用紙をひっくり返すと、市の借入れ計画の賛否を問う住民投票の部になる。社会福祉や図書館、公共施設など民生関係の施設やサービス拡充に必要な借入金はいくら、道路や街灯、交通信号など交通関係で必要なのはいくら、警察や消防署の補修整備など生活の安全に関して必要なのはいくらで、しめて1億8千万ドル。そんなに借金してもいいのかなあと思いつつ、ひつの項目は「ノー」、2つの項目はひとつはじっくりと考えて、もうひとつはすんなりと「イエス」に投票した。ここまででたっぷり5分。用紙と一緒に渡されたフォルダに挟んで、出口そばの「投票機」のところへ持って行くと、係の人が上に突き出した部分をスロットに差し入れて、投票用紙はするっと機械に飲み込まれた。読み取り装置で瞬時に「開票集計」されるしくみで、これで市民の義務は完了。まあ、バンクーバーは「月光」市長とあだ名される現職が再選されるだろうけど、市長の会派がほぼ独占していた市議会の勢力がちょっとバランスのとれたものになればいいか・・・。
やるべきことが終わったので、ぼちぼちと仕事にかかる。全部で5つあるファイルを完了するのに手持ちの時間が後1週間になったけど、大丈夫なのかな。このまま1週間ずっと新規の発注がなければいいけど、来週の今頃になって、ああ大変だ~と慌てていたりして。それでも、今日は出足が遅かったせいで、1ページしか進まないうちにもうあたりが暗くなって、夕食のしたくの時間だ~ということになる。おととい久しぶりにおいしいものを食べに行ったのに触発されたのか、きのう、今日とちょっぴり手をかけたメニュー。今日はレッドスナッパーを(尾頭抜きで)丸ごと昆布だしとしょうがで湯煮。大根おろしに柚子の汁とポン酢を混ぜて添え、付け合せは蒸したインゲンと、思いつきできのう使った残りのソフト豆腐にイクラと刻みねぎを和えたもの。子供の頃大好きだったメンメの湯煮の味にはならないけど、種類の違う魚だからしょうがないか。でも、あっさりしていて、すごくおいしかった。
[写真] ついでに、これはきのうメニュー。ホタテのバター焼きと紅鮭の即席ムース風。付け合せは蒸したズッキーニときのこ入りの黒米ご飯。ホタテは柚子の汁を振っておいて味付け。紅鮭は尻尾の方を切り落とした残り物。メインには使えないし、そのままでは小皿料理にもならないので、ソフト豆腐と玉ねぎ少々とスターチ少々をチョッパーでピューレにして、シリコンのカップに入れて蒸してみたらムース風にできあがった。上に載っているのはケッパー。途中でスチーマーにズッキーニを入れたので、一石二鳥。真っ黒な米はその昔中国で皇帝に献上するために栽培されていたとかいう「古代米」の一種で、緑色のバンブー米、ブータンの赤米と並んで我が家の「お米コレクション」の花形のような存在。炊いても真っ黒できのこが見えない・・・。
外はもうマイナス2度。明日は絵のワークショップの最終日で、「おやつ」を持ち寄ることになっているから、何を作るか考えなくちゃ。この調子では、ねじり鉢巻での仕事は明日の夜になってからになりそうだなあ・・・。
割り勘をこじらせる損したくない病
11月20日。日曜日。天気がいいけど、外はまだ寒そう。ポーチの温度計は正午でやっとプラス1度。今日は絵のワークショップの最終日で、朝食が済んだらまっさきに持って行く「ポットラック」の準備。みんなが適当に持ち寄ったものを「おやつ」につまみながら最後のレッスンをということで、午後と言う時間からして甘いものが多いと想定して、調理している時間がないのでフリーザーにあった鴨の胸肉の燻製を流水につけて解凍してスライスし、プロシュットを巻き込んだモッツァレラチーズもスライスして、プラスチック容器に詰めた。後は自分が好きな野菜のチップひと袋。使い捨てのフォークが見つからないのでデザートフォークを8本ほど袋に入れて、ついでにナプキンをひと束。ささやか過ぎるように見えるかもしれないけど、ごく少人数だからこれで十分・・・。
こういうカルチャー教室のような講座やコミュニティセンターなどのプログラムでは、クリスマスやクラスの打ち上げのときにポットラックパーティをやることが多い。カレシの英語教室でもほぼ毎年のようにハウスの食堂を借りてポットラックのクリスマスパーティをやっていて、それぞれの家庭料理だったり、お国料理だったりして楽しい。先生は奥さんを連れてくればいいよと言われるので、カレシは忘れられやすいナプキンや紙のお皿、プラスチックのフォークやナイフ、カップなどを用意して行く。手ぶらで来た人がいても誰も気にしないで、自分の自慢の料理をどんどん食べさせてしまう。ま、ポットラックというのは元々中世のイギリスなどで不意の客にありあわせのものを食べさせたことに由来するそうだから、それでいいってことだけど。(昔のアイルランドにはよそ者や旅人に一宿一飯を与える法的な義務があったそうだし。)
日本でも(ホムパと略して)ホームパーティをするファッショナブルな人たちが増えているようだから、たぶんポットラック・パーティもあるだろうと思うけど、どんな感じなんだろうな。まあ、(見劣りがしないように)腕によりをかけすぎて疲れたとか、他人に嫌味な批評をされたとか、手作りせずに出来合いのものを買って来た人がいて目が点になったとか、手ぶらで来て食べまくった人がいてドン引きしたとか・・・よく小町に出てくるようなめんどうくさいことがないんだったら、ホスト側の主婦がキッチンに篭って汗だくで料理をするなんてこともなくて、みんなが楽しい集まりになるんじゃないかと思うけど、日本の「お呼ばれ」的な付き合いの感覚からすると、どうなんだろうな。自分の家に呼んでおきながら、料理は客の持ち寄りなんて!と小町に投稿されてしまうのかなあ。(たしか「こっちは客なのに失礼な!」という憤慨トピックもあったなあ・・・。)
まあ、小町によく割り勘でもめた話や、デート費用の分担や、共働き夫婦の家事や生活費の分担などでもめている話が登場するのは、人間関係を維持する上で一番難しいのが「お金」に関する価値観だからということかな。というよりは、人間はそれぞれに価値観を持っているわけだから、人間関係を円滑に保つには互いの価値観の違いをすり合わせて行く必要があるはずだけど、価値観の根底に「自分が損をしないこと」という考えがあるとそれが難しくなるということかもしれない。自分は損をしたくないと言うのは、ひっくり返して裏から見ると相手に得をさせたくないという気持でもあるな。自分が損をしていると感じるのは、相手が得をしているからに他ならない。相手が得をして自分が損をするのは不公平、不平等。つまり、公平、平等であるためには、両方が得をするか、両方が損をしなければならないってことか。まあ、人間関係を足して2で割れたらどんなにすばらしいかと思うけど、元々マイナスのもの同士は足して2で割ってみてもマイナスだから、そういう平等は両方が損をして終わりってことになるんじゃないのかな。
それにしても、どこからそういう「自分(だけ)は損をしたくない」という後ろ向きの利己主義が生まれて来たんだろうな。ちょっと見には「自分さえ良ければ」という自己中的な考えのようだけど、どうも精神的エネルギーが自分を前面に押し出す方に流れずに、逆に、他人が自分より前に出ないように袖を掴んで引き戻すことに使われているような感じがするな。人の痛みがわかる子を作るとかいう教育の時代に、小学校の運動会で足の速い子をゴール前で遅い子が追いつくまで待たせて、全員手をつないで一斉にゴールインさせているという話を聞いたことがあったけど、そのときの勝利を味わう機会を奪われた足の速い子の心に「自分はいつも損をさせられたから、大人になったら絶対に他人に得はさせない」という気持で社会へ出てきたのかな。まさかと思いたいけど、人間の器の容量に関わることだけに、「損したくない病」はある意味で「得したい病」よりも何倍も扱いにくい難病かも・・・。
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