尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

原尞を悼むー日本ハードボイルド史上最高の達成

2023年05月15日 22時26分03秒 | 追悼
 ミステリー作家の原尞が5月4日に亡くなった。76歳。本当に大好きな作家だったので、来月回しにせず追悼しておきたい。1989年に『私が殺した少女』で直木賞を取ったので、読んでいる人もいるかもしれない。それにしても「寡作」で知られた作家で、長編小説はたった5作しかない。だから、こういうタイプの小説を愛する人以外には忘れられていたのではないか。他に短編小説集が1つ、エッセイ集が1つ、生涯に残した作品はそれだけだった。しかし、一作ごとの熱気と完成度は抜群で忘れられないのである。

 生まれは佐賀県だが、福岡で育ち、亡くなったのも福岡だった。ペシャワール会の故・中村哲とは高校時代の同期だという。ジャズ・ピアニストとして活躍していたが、1988年に『そして夜は蘇る』(早川書房)でデビューした。早川への持ち込み原稿だったというが、山本周五郎賞候補になるなど高い評価を得た。そして翌1989年に出た『私が殺した少女』で、候補一回目にして直木賞を受賞したわけである。僕が最初に読んだ作品はそれだが、圧倒的な完成度に驚嘆した。日本ハードボイルド史上で一二を争う大傑作である。別に少女殺しの異常者ものじゃなく、題名にも深い意味があるので注意して読むべし。
(『私が殺した少女』)
 直木賞はエンタメ系に与えられる賞だから、受賞作家には多作の人が多い。司馬遼太郎池波正太郎など、没後も文庫の棚にズラリと揃っている。現役ミステリー作家だと、大沢在昌宮部みゆき東野圭吾など、一何冊書いてるのか、本人にも判らないんじゃないかというぐらい多い。直木賞の場合、作品以上に「作家」に与えられる側面が強い。また単に面白いだけじゃダメで、「人間」描写力も問われる。候補一作目で受賞することは珍しいが、他業種から参入して軽々とクリアーしてしまった。

 最初の2作品に魅了されて次の作品を待ち望んだが、3作目が刊行されたのは1995年の『さらば長き眠り』だった。(その間1990年に短編集『天使たちの探偵』が出ているが。)チャンドラーに魅了されてハードボイルドを実作したとはいえ、この題名はどうなんだと読む前には思ったものだ。つまりチャンドラーの名作『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』『大いなる眠り』と当時の翻訳題名を集めたようなネーミングなのである。しかし、読み終わるとこの題名こそ内容に最も相応しいものだと納得したのである。
 
 次はさらに待たされて『愚か者死すべし』(2004)、そして『それまでの明日』(2018)とこれだけである。完成原稿が残されている可能性もあるが、僕はあまり期待はしていない。少ないとは言え、読後の満足度からすれば十分だし、東日本大震災前日で終わったのも良いのではないか。原尞の小説はすべて、西新宿の「渡辺探偵事務所」に所属する探偵沢崎が主人公になっている。下の名は不明だし、なんで沢崎なのに渡辺探偵事務所なのかの真相もなかなか明かされない。
(『それまでの明日』)
 原の小説は完全にチャンドラー仕立ての「ハードボイルド」である。しかし、日本では私立探偵小説は書きにくい。警察以外の捜査は無理があるし、銃を持つ自由が日本にはない。都市の孤独は日本も同じだけど、殺人事件の数は少ないし、他を圧した大富豪もアメリカに比べると存在感が薄い。情緒てんめんたる湿っぽい日本では、「○回泣けます」みたいなコピーの映画がヒットしてしまう。感情を排して行動だけを叙述して、そこに都市空間の孤独を浮かび上がらせるというタイプの小説は選ばれにくい。

 原の小説世界は、なるほど「私立探偵」の出番だという設定が上手い。日本でも調査を頼まれる「探偵事務所」は数多いわけだが、それらは言ってみれば「民事利用」である。小説としての面白さとともに、謎解き小説としての完成度も果たす。そんな力業が原作品では見事に達成されている。それは「日本」社会に潜む「毒」を浮かび上がらせる試みでもあった。日本ハードボイルド史上最高の達成である。完成までの時間を考えると、僕はもう原作品は読めないんだろうと覚悟していた。だけど訃報の小ささにはガッカリした。実に素晴らしい作品を残してくれたことに感謝したい。
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