2023年4月の訃報特集。4月には一面に載るような訃報がなく、ちょっと忘れていたような著名人の訃報が多かった。まずは「ムツゴロウ」の愛称で「動物王国」を作った畑正憲が4月5日に死去、87歳。80年代にはテレビに本当によく出ていて、誰もが知っている人だった。北海道・浜中町の島に「動物王国」を作り(やがて内陸の中標津町に移動)、そこでの生活を映したテレビ番組が大ヒットした。またエッセイ『ムツゴロウの○○』という著書を何十冊も書いていて、『ムツゴロウの青春記』など本当に面白い本だった。是非若い人に読み継がれて欲しい本だ。最初に書いた『われら動物みな兄弟』でエッセイストクラブ賞。1987年には知床原生林伐採計画反対運動の中心となり、東京で行われた集会で話を聞いた記憶がある。
(畑正憲)
俳優の片桐夕子が2022年10月16日に亡くなっていた。70歳。日活ロマンポルノで曽根中生監督作品などに数多く出演し、曽根監督の特集上映などで話を聞いた。元気だったのに、こんな早い訃報に驚いた。日活がポルノ路線に転換したとき『女高生レポート 夕子の白い胸』で主演して、主人公の名前を芸名にした。明るい役柄でスターとなり、多くの作品に出演している。その時代の代表作は『㊙女郎市場』(1972)かなと思う。その後、一般映画にも出演した。村野鐵太郎監督『鬼の詩』(1975)での上方落語家の妻が代表作か。村野作品にはその後も『月山』『遠野物語』などに出演。テレビドラマにも多数出ていた。私生活では小沼勝監督と結婚、離婚、その後アメリカへ行ってアメリカ人と結婚、子どももいたが離婚とWikipediaに出ていた。
(片桐夕子)
テレビドラマのディレクター、映画監督の生野慈朗(しょうの・じろう)が6日死去、73歳。TBSでドラマ演出を担当し、70年代後半以後の数多くの人気作品を演出した。『3年B組金八先生』『男女7人夏物語』『ずっとあなたが好きだった』『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など伝説的作品を担当している(シリーズ全作品ではない)。映画監督としても『いこかもどろか』『秘密』などがあり、『いこかもどろか』の明石家さんま、大竹しのぶの軽快なやり取りは面白かった。
(生野慈朗)
小説家、詩人、評論家の富岡多恵子が6日死去、87歳。大阪出身で、当初は詩人として出発し女性で初めてH氏賞を受賞した。70年代頃から小説が中心となり、『植物祭』(田村俊子賞)、『冥土の家族』(女流文学賞)、『波打つ土地』、『ひべるにあ島紀行』(野間文芸賞)などがあるが、実は一つも読んでない。また69年の篠田正浩監督『心中天網島』では脚本も担当(篠田、富岡、武満徹)し、篠田監督との電話が冒頭のシーンになっている。批評も多く書いたが、『中勘助の恋』(1993、読売文学賞)には本当に驚いた。他にも『釈迢空ノート』(2000、毎日出版文化賞)、『西鶴の感情』(2004、大佛次郎賞、伊藤整文学賞)などがある。上野千鶴子、小倉千加子との鼎談『男流文学論』(1992)はフェミニズム批評の傑作で大笑いして読んだものだ。
(富岡多恵子)
英文学者で、鉄道ファンとしても知られた小池滋が4月13日に死去、91歳。本当に多くの著書、訳書があり、有名な人なのに訃報が小さかったのは長命で忘れられたか。ディケンズの研究者で、長すぎて訳されていなかった『荒涼館』『リトル・ドリット』などを翻訳した。シャーロック・ホームズ全集も訳している。1979年の『英国鉄道物語』は毎日出版文化賞を受けた。僕も何冊か新書を読んでるし、ちくま文庫4冊になる大作『荒涼館』も読んだ。達意の訳文で、エッセイもとても面白い人である。
(小池滋)
評論家の海野弘が5日死去、83歳。80年代、90年代にヨーロッパの都市、世紀末芸術などを縦横に論じる本を多数著し、僕もかなり読んだ気がする。もともとは平凡社に入社して「太陽」編集長を務め、アール・ヌーヴォーの魅力にひかれて『アール・ヌーボーの世界 : モダン・アートの源泉』を刊行した。その後、次第にアール・デコを紹介するとともに、ファッション、文学、映画、江戸文化など非常に幅広く論じた。ものすごく多数の著書があったけどどのくらい生き残っているのだろうか。
(海野弘)
ノンフィクション作家の川田文子が2日死去、79歳。元慰安婦を数多く取材したことで知られる。『赤瓦の家ー朝鮮から来た従軍慰安婦』『皇軍慰安所の女たち』など多くの著書がある。今年になって『女たちが語る歴史』上下(上=北海道・東北・上信越他篇、下=沖縄篇)を刊行した。歴史教育に関わる著書も多く、僕も何冊か読んできた。
(川田文子)
・元レスリング選手の渡辺長武(わたなべ・おさむ)が2022年10月に死去していた(死亡日は未公表)、81歳。64年東京五輪フリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得。「アニマル」と呼ばれ、五輪でも全試合フォール勝ちした。
・元参議院議員、国家公安委員長の溝手顕正(みぞて・けんせい)が14日死去、80歳。自民党参院幹事長などを務めた有力議員だったが、2019年の参院選で落選した。自民党が広島選挙区に二人目の候補河井案里を擁立したあおりを受けた例の人。
・元日本IBM社長の椎名武雄が19日死去、93歳。米本社と異なる独自路線を取って売り上げ1兆円を87年に達成した。その成果を認められ、米本社副社長を89年~93年に務めた。退任後は経済同友会副会長など財界活動を行い、「ミスター外資」と呼ばれた。
・「ひめゆり平和祈念資料館」の館長を務めた木村つるが7日死去、87歳。戦後長く小学校教員を務め、退職後に資料館開設に向け活動した。2002年から10年まで館長。
・竹山洋、脚本家。12日死去、76歳。テレビ、映画の脚本を多数手掛けた。テレビでは大河ドラマ『秀吉』『利家とまつ』など。映画では『四十七人の刺客』『ホタル』など。小説も書いている。
・歌舞伎役者の市川左団次(4代目)が15日死去、82歳。数々の敵役、老け役で知られた。様々なユーモラスなエピソードで知られたというけど、全然知らないからここでは省略。
・松永有慶、高野山真言宗総本山金剛峯寺412世座主。16日死去、93歳。金剛峯寺座主を初めて2期8年務め、全日本仏教会会長も務めた。密教研究の第一人者で、岩波新書『高野山』『空海』などの一般書を含めて数多くの著書がある。
・黒土始、第一交通創業者。17日死去、101歳。大分で5台から始めたタクシー会社を合併を繰り返して日本一のタクシー会社に発展させた。100歳になって代表取締役を退いた。
・陶芸家で人間国宝指定の加藤孝造が17日死去、美濃焼第二世代として荒川豊蔵を継ぎ活躍した。
・ボクシングのヨネクラジム元会長の米倉健司が20日死去、88歳。60年に東洋バンタム級王者となって5回防衛したが世界には届かなかった。引退後の63年にジムを創設して、柴田国明、ガッツ石松ら5人の世界王者を育てた。
アメリカの歌手ハリー・ベラフォンテが25日死去、96歳。カリブ系移民の子としてニューヨークに生まれ、1956年の「バナナ・ボート」が世界的に大ヒットした。バナナを積み込む労働者の「デーオ」という掛け声が印象的で、日本でも浜村美智子らが歌ってヒットした。歌手として活躍すると同時に社会運動や慈善活動に熱心に取り組んだことでも知られる。キング牧師の熱心な支持者で公民権運動に積極的に関わった。また85年のアフリカ飢餓支援の「USAフォー・アフリカ」の提唱者でもあった。俳優としても多くの映画に出演している。
(ハリー・ベラフォンテ)
イギリスのファッションデザイナー、マリー・クワントが13日死去、93歳。58年頃から「ミニスカート」をデザインし、60年代に世界的に大ブームとなった。高級注文服中心だったファッション界で、若者向けファッションを確立した。近年ドキュメンタリー映画が作られ、日本でも公開された。
(マリー・クワント)
・ジョー・プライス、13日死去、93歳。江戸絵画のコレクターとして知られた。伊藤若冲、長沢蘆雪、曾我蕭白などの作品を多数収集し、「奇想の画家」として人気が出るきっかけを作った。日本でも21世紀になって知られるようになり、里帰り展も開かれた。コレクションの一部は出光美術館が購入している。
・最後に今回調べていて、日本では報道されていないけれど驚くべき訃報を見つけた。イギリスの女性ミステリー作家、アン・ペリーという人が4月10日に亡くなった。82歳。日本でも創元推理文庫から何冊か翻訳されているウィリアム・モンク・シリーズなど、ベストセラー作品を持つ人気作家だった。この人はピーター・ジャクソン監督が映画化した『乙女の祈り』というニュージーランドで1954年に起こった殺人事件の犯人だった。13歳の時に、15歳の親友とともにその親友の母親を殺害したのである。事件のきっかけは、二人の創作したファンタジー小説の中に有名俳優との妄想的な性的場面などがあり、驚いた親たちが二人を引き離そうとしたことだった。無期懲役の判決が出たが、二度と二人が会わないことを条件に5年後に釈放された。その後イギリスへ戻り(ロンドン生まれで、父がニュージーランドの大学学長に就任していた)、改名して作家となったという。
(畑正憲)
俳優の片桐夕子が2022年10月16日に亡くなっていた。70歳。日活ロマンポルノで曽根中生監督作品などに数多く出演し、曽根監督の特集上映などで話を聞いた。元気だったのに、こんな早い訃報に驚いた。日活がポルノ路線に転換したとき『女高生レポート 夕子の白い胸』で主演して、主人公の名前を芸名にした。明るい役柄でスターとなり、多くの作品に出演している。その時代の代表作は『㊙女郎市場』(1972)かなと思う。その後、一般映画にも出演した。村野鐵太郎監督『鬼の詩』(1975)での上方落語家の妻が代表作か。村野作品にはその後も『月山』『遠野物語』などに出演。テレビドラマにも多数出ていた。私生活では小沼勝監督と結婚、離婚、その後アメリカへ行ってアメリカ人と結婚、子どももいたが離婚とWikipediaに出ていた。
(片桐夕子)
テレビドラマのディレクター、映画監督の生野慈朗(しょうの・じろう)が6日死去、73歳。TBSでドラマ演出を担当し、70年代後半以後の数多くの人気作品を演出した。『3年B組金八先生』『男女7人夏物語』『ずっとあなたが好きだった』『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など伝説的作品を担当している(シリーズ全作品ではない)。映画監督としても『いこかもどろか』『秘密』などがあり、『いこかもどろか』の明石家さんま、大竹しのぶの軽快なやり取りは面白かった。
(生野慈朗)
小説家、詩人、評論家の富岡多恵子が6日死去、87歳。大阪出身で、当初は詩人として出発し女性で初めてH氏賞を受賞した。70年代頃から小説が中心となり、『植物祭』(田村俊子賞)、『冥土の家族』(女流文学賞)、『波打つ土地』、『ひべるにあ島紀行』(野間文芸賞)などがあるが、実は一つも読んでない。また69年の篠田正浩監督『心中天網島』では脚本も担当(篠田、富岡、武満徹)し、篠田監督との電話が冒頭のシーンになっている。批評も多く書いたが、『中勘助の恋』(1993、読売文学賞)には本当に驚いた。他にも『釈迢空ノート』(2000、毎日出版文化賞)、『西鶴の感情』(2004、大佛次郎賞、伊藤整文学賞)などがある。上野千鶴子、小倉千加子との鼎談『男流文学論』(1992)はフェミニズム批評の傑作で大笑いして読んだものだ。
(富岡多恵子)
英文学者で、鉄道ファンとしても知られた小池滋が4月13日に死去、91歳。本当に多くの著書、訳書があり、有名な人なのに訃報が小さかったのは長命で忘れられたか。ディケンズの研究者で、長すぎて訳されていなかった『荒涼館』『リトル・ドリット』などを翻訳した。シャーロック・ホームズ全集も訳している。1979年の『英国鉄道物語』は毎日出版文化賞を受けた。僕も何冊か新書を読んでるし、ちくま文庫4冊になる大作『荒涼館』も読んだ。達意の訳文で、エッセイもとても面白い人である。
(小池滋)
評論家の海野弘が5日死去、83歳。80年代、90年代にヨーロッパの都市、世紀末芸術などを縦横に論じる本を多数著し、僕もかなり読んだ気がする。もともとは平凡社に入社して「太陽」編集長を務め、アール・ヌーヴォーの魅力にひかれて『アール・ヌーボーの世界 : モダン・アートの源泉』を刊行した。その後、次第にアール・デコを紹介するとともに、ファッション、文学、映画、江戸文化など非常に幅広く論じた。ものすごく多数の著書があったけどどのくらい生き残っているのだろうか。
(海野弘)
ノンフィクション作家の川田文子が2日死去、79歳。元慰安婦を数多く取材したことで知られる。『赤瓦の家ー朝鮮から来た従軍慰安婦』『皇軍慰安所の女たち』など多くの著書がある。今年になって『女たちが語る歴史』上下(上=北海道・東北・上信越他篇、下=沖縄篇)を刊行した。歴史教育に関わる著書も多く、僕も何冊か読んできた。
(川田文子)
・元レスリング選手の渡辺長武(わたなべ・おさむ)が2022年10月に死去していた(死亡日は未公表)、81歳。64年東京五輪フリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得。「アニマル」と呼ばれ、五輪でも全試合フォール勝ちした。
・元参議院議員、国家公安委員長の溝手顕正(みぞて・けんせい)が14日死去、80歳。自民党参院幹事長などを務めた有力議員だったが、2019年の参院選で落選した。自民党が広島選挙区に二人目の候補河井案里を擁立したあおりを受けた例の人。
・元日本IBM社長の椎名武雄が19日死去、93歳。米本社と異なる独自路線を取って売り上げ1兆円を87年に達成した。その成果を認められ、米本社副社長を89年~93年に務めた。退任後は経済同友会副会長など財界活動を行い、「ミスター外資」と呼ばれた。
・「ひめゆり平和祈念資料館」の館長を務めた木村つるが7日死去、87歳。戦後長く小学校教員を務め、退職後に資料館開設に向け活動した。2002年から10年まで館長。
・竹山洋、脚本家。12日死去、76歳。テレビ、映画の脚本を多数手掛けた。テレビでは大河ドラマ『秀吉』『利家とまつ』など。映画では『四十七人の刺客』『ホタル』など。小説も書いている。
・歌舞伎役者の市川左団次(4代目)が15日死去、82歳。数々の敵役、老け役で知られた。様々なユーモラスなエピソードで知られたというけど、全然知らないからここでは省略。
・松永有慶、高野山真言宗総本山金剛峯寺412世座主。16日死去、93歳。金剛峯寺座主を初めて2期8年務め、全日本仏教会会長も務めた。密教研究の第一人者で、岩波新書『高野山』『空海』などの一般書を含めて数多くの著書がある。
・黒土始、第一交通創業者。17日死去、101歳。大分で5台から始めたタクシー会社を合併を繰り返して日本一のタクシー会社に発展させた。100歳になって代表取締役を退いた。
・陶芸家で人間国宝指定の加藤孝造が17日死去、美濃焼第二世代として荒川豊蔵を継ぎ活躍した。
・ボクシングのヨネクラジム元会長の米倉健司が20日死去、88歳。60年に東洋バンタム級王者となって5回防衛したが世界には届かなかった。引退後の63年にジムを創設して、柴田国明、ガッツ石松ら5人の世界王者を育てた。
アメリカの歌手ハリー・ベラフォンテが25日死去、96歳。カリブ系移民の子としてニューヨークに生まれ、1956年の「バナナ・ボート」が世界的に大ヒットした。バナナを積み込む労働者の「デーオ」という掛け声が印象的で、日本でも浜村美智子らが歌ってヒットした。歌手として活躍すると同時に社会運動や慈善活動に熱心に取り組んだことでも知られる。キング牧師の熱心な支持者で公民権運動に積極的に関わった。また85年のアフリカ飢餓支援の「USAフォー・アフリカ」の提唱者でもあった。俳優としても多くの映画に出演している。
(ハリー・ベラフォンテ)
イギリスのファッションデザイナー、マリー・クワントが13日死去、93歳。58年頃から「ミニスカート」をデザインし、60年代に世界的に大ブームとなった。高級注文服中心だったファッション界で、若者向けファッションを確立した。近年ドキュメンタリー映画が作られ、日本でも公開された。
(マリー・クワント)
・ジョー・プライス、13日死去、93歳。江戸絵画のコレクターとして知られた。伊藤若冲、長沢蘆雪、曾我蕭白などの作品を多数収集し、「奇想の画家」として人気が出るきっかけを作った。日本でも21世紀になって知られるようになり、里帰り展も開かれた。コレクションの一部は出光美術館が購入している。
・最後に今回調べていて、日本では報道されていないけれど驚くべき訃報を見つけた。イギリスの女性ミステリー作家、アン・ペリーという人が4月10日に亡くなった。82歳。日本でも創元推理文庫から何冊か翻訳されているウィリアム・モンク・シリーズなど、ベストセラー作品を持つ人気作家だった。この人はピーター・ジャクソン監督が映画化した『乙女の祈り』というニュージーランドで1954年に起こった殺人事件の犯人だった。13歳の時に、15歳の親友とともにその親友の母親を殺害したのである。事件のきっかけは、二人の創作したファンタジー小説の中に有名俳優との妄想的な性的場面などがあり、驚いた親たちが二人を引き離そうとしたことだった。無期懲役の判決が出たが、二度と二人が会わないことを条件に5年後に釈放された。その後イギリスへ戻り(ロンドン生まれで、父がニュージーランドの大学学長に就任していた)、改名して作家となったという。